磁気とはなにか
2005年は物理年と呼ばれる。1905年にアインシュタインが多数の物理分野の功績を残した年だからです。
その中に「特殊相対論」が含まれる事も有名です。理論というのは真偽を確かめる事が難しいので、ノーベル賞の対象になるには多くの時間を要します。
実際にアインシュタインがノーベル賞を受賞したのは、「光電効果の理論」です。
そののち「一般相対論」を発表したが、「特殊相対論」自体が理解が難しいのであるから、「一般相対論」の理解者がいかほどいるのかははなはだ興味があります。
ところで、「電気」と「磁気」は同時に扱われる事が多いです。
理由のひとつは、その公式の類似性であり、もう一つは「電磁誘導」の存在であると思います。
従って工学的には、妥当であるし、教科書で語られる順序もほぼ決まっています。
名著と言われる高橋秀俊の「電磁気学」では次の順になっています。
「静磁場>極性>電気と磁気の法則の類似性>電磁誘導」。他の本もほぼこのようになっています。
これは、「電気」と「磁気」の類似性であるが、実は決定的に異なる事が存在します。
それは「電荷」の存在であり、「磁荷」がまだ見つかっていない事にあります。電荷は「電子」の存在にも繋がります。
「磁荷」はまだみつかっておらず、必ず「N極とS極のペア」でのみ見つかっています。
文字どおり見つかっておらず、理論的に存在しない事が証明されている訳ではありません。
むしろ、デイラックはもし「磁荷」が存在すれば、「プランク定数(h)」の数値の必然性を示せる論文を発表していると言われています(デイラックの論文は専門家しか理解できません。)
地球に存在しないならば、宇宙に存在する可能性があると言うことで隕石や落下跡を調べて捜している人もいると聞いています。
さて、みつからないならば存在しないと仮定しての理論体系の構築を行う試みも存在します。
パーセルは「磁気は電荷の相対論的効果である」という基本のもとに論述しています。
相対論では、観測系が存在してそこからほかを見ます。そして観測系がかわれば、見える内容も異なりますが、観測系の違いだけで全体の世界では何も矛盾はないことになります。
絶対的な観測系は存在しなく、観測系をどこにおいても同じというのが相対論です。
それでは動いていない電荷をみてみます。すなわち、電荷が静止している観測系です。
電荷は静電場を発生します。一方、その系で見て動いている電荷も存在します。
電荷が動いていると電流になります。電流があるとその周囲に「アンペールの法則」で磁場が発生します。
観測系をかえても同じというのが相対論ですので、上記の動いている電荷に観測系を変えます。
すると電流として見えていた電荷は静止して見えますので、電流はなく、静電場のみ存在します。
ところが先の系で静止していた電荷は、今度は逆方向に動いて観測されます。電流が発生し磁場も発生します。勿論、逆方向になります。
ここから、「磁気は電荷の相対論的効果である」という考えが成立します。
工学や社会でも、磁気の応用は広く一番はじめに述べた「電気」と「磁気」から始める体系に不具合はありませんし、モーターや磁気記録をはじめ現代の社会に貢献している「磁気」とその理論を変える必要性は存在しません。
物理年に、ふと別の考え方を思い起こすのも一興ではないかと思うだけです。
参考 (特に)
パーセル 電磁気学 丸善
高橋秀俊 電磁気学 裳華房