予測
予測・予報は、実用面からいえば重要です。学術的にも、色々な分野の研究が行われています。
それらを実生活に有用かどうかを判断する場合には、製品という形になる物はそれ自体で有用性を判断される事になります。
それでは、それ以外の分野はどうかといえば、上記製品の生産上で有用な知見を与える事ができるか、またはなんらかの分野で実用的な予測・予報を出すことができるかに関わっていると言ってよいと思います。
学術的な研究は、それがなんらかの成果を出し、最終的に実用面で有用な予測を行う事が可能になるまでの期間を一意的に定める事はできません。
ただし、目標の少なくても1つにはこれに関する事があるべきと考えます。
一部の考えに、なんらかの成果をだせばそれの実用性は誰かが考えるだろうという事があります。
しかしこの考え方は、しばしば自己満足で成果ないしは失敗・派生した事柄を自己のなかにしまいこむ危険性があります。
これは企業等が成果を利益面で考慮して実用化を遅らす・見送る事とは異なります。
成果の公表から継続をへて、なんらかの実用に繋げる長い時間をとぎれさせないことは、目標意識の有無で大きく異なると判断します。
予測は、預言とは異なりますが後者が未来予測とすると考え方を間違うと同じ事になります。
科学的根拠の有無が大きな差です。しかし、誤差を少なく出来る時間は現実には短くなっています。
誤差は当然ありますが、それ自体が不明・または大きすぎて実用的とは全く言えなければ預言となんら変わりがなくなります。
科学でも、証明がない予測は数多く出されています。
これらは、証明がないが多くのその分野の専門家が正しいと考えている場合のみ、証明しようと取り扱われます。
偶然に当たるかもしれない程度の正しさでは、預言との差はないといえます。
逆に言えば、いつか証明されるであろうと思われる予測は、実用性とは異なる分野とも言えますので預言といってしまうべきかもしれません。
未来予測の方法のひとつとして、多くの専門家に多数の事の予測を行ってもらい、集計して分布を調べて平均と誤差(偏差)を得る方法があります。
ひとりが行えば預言で、多人数ならば予測になるという科学的根拠は予測解答者の選び方によると言えます。
分野や予測の根拠が独立していて相関性がなければ、人数が多くなると統計的に精度が高くなりますがそうでなければ人数が多くても一つの考えと差がなくなります。
人間の考え方には、経験が占める部分が多いです。科学的には帰納法といいますが同じです。
もしそこから全く抜け出す事が出来なければ、予測は過去の統計・経験の範囲にある場合しか出来ません。
実験は経験のひとつです。理論やコンピュータでの思考実験が、経験より優れる理由はありません。
ただ逆も同様で、絶えず色々な見方・方法でのアプローチが単独よりも優れるという事を否定できません。