山村美沙没後十年追悼 京都 都大路謎の花くらべ
平成18年9月 京都南座 1ヶ月公演
出演は、萬田久子・若林豪・池畑慎之介・国広富之・大村昆・山村紅葉・他
劇場演劇ですが、テレビの2時間ドラマと重なる出演者です。(注1)
役柄も、小説とテレビドラマと交叉しています。
若林豪の狩矢警部は、色々なキャラクター作品シリーズに共通して登場する山村美沙作品の共通キャラクターです。
一応、原作が「京都西大路通り殺人事件」となっていますが、原作の演劇化ではなくミステリでいう所のメタ化に近い趣向です。
これは最近の演劇や映画等で、時々用いられる手法で、原作を演劇や映画の中のドラマとして使用する手法です。
本作では、題名の如く「山村美沙没後十年追悼」がメインになっており、それに集まった人々と発生した事件が同時に推理し解決する趣向になっています。
原作者を登場させてその周囲の事件を演劇にする時に、その中に原作者の作品と登場人物を登場させる事がこの手法の基本です。
今回は、没後・追悼ですから作者は登場しませんが、それ以外は同じ手法と言えるでしょう。
映画の夏樹静子原作「wの悲劇」が、「メインテーマ」という作品になる過程は、極端に分かり易いです。
すなわち、原作の演劇化を行う過程で生じる事件等を映画として描いてゆきますが、切れ切れに演劇のシーンが入ります。
そして、それ自体が原作の演劇化になっています。
原作がある作品では、忠実に演劇・映像化した方が良いかどうかがしばしばミステリ愛好者で議論されます。
これはミステリに限らない広い問題でもあります。
しかし、ミステリ特に本格ミステリでは複雑に絡みあった伏線を原作から離れると表現出来ないとされています。
しかし、例外は多数あります。
原作に、欠点・ミスがある場合に映像化等で修正する。(注2)
小説では表現出来ないモチーフを、映像ならではの手法で表現する。(注3)
本来は映像化が困難な原作を、大きく変える事で映像化を可能にする。(注4)
ミステリ的謎以外の部分を強調する(注5)、等です。
この他に原作を読んでいる人にも、再度楽しめるため内容特に結末を変える事があります。
ただし、これで原作以上になった例は直ぐに思いつきません。
それならば、原作のキャラクターとトリックぐらいを使用して、残りはオリジナル脚本にする手法が登場します。
これの一つが、本演劇等で見られるメタ化と言えると思います。
注記は筆者の主観が多い事を述べておきます。
注1:萬田久子:検屍官・江夏冬子
:若林豪 :京都府警・狩矢警部
:大村昆 :赤い霊柩車・葬儀社社員
:山村紅葉:山村美沙・西村京太郎作品の多数
注2:アルレー「わらの女」>「13階段の遺言状」>日本でのドラマ化で相続問題を修正
:松本清張「砂の器」>小さなキズが多いが、犯人と被害者が話しをしていた所の証言が大きなミス>映画では修正されている
注3:松本清張「砂の器」モチーフのラストの親子巡礼が旅をするシーンは原作では簡単な表現のみ
:森村誠一「人間の証明」麦藁帽子がゆっくりと谷間に舞い降りてゆくシーンが作品全体のモチーフになったのは映像化時
注4:佐々木丸美「雪の断章」では主人公は幼少から20過ぎまでだが、幼少は重要度は低い>映画「情熱・雪の断章」では10代後半から斎籐由貴が演じた>まとまりが良くなった
注5:鮎川哲也「人それを情死と言う」は複数回ドラマ化されている>原作は被害者の妻が謎を追う側の主人公だが、ドラマでは原作通りと犯人側の妻が主人公で倒叙的に描いた場合がほぼ半数ある。