演劇「そして誰もいなくなった」を観る

アガサ・クリステイはかなりの戯曲を書いている。

オリジナルもあれば、自身の小説の戯曲化も多い。

私は昨年「ナイル殺人事件」を観た。

今春は「検察側の証人」が上演されていたようだが見れなかった。

7月3日、翌日の大阪分科会臨時会を欠席して、東京池袋に「そして誰もいなくなった」を観に来た。

日本上演は2回目と思うが、今回は原作者自身の戯曲の新訳との事である。

これを強調するのは、終わり方が小説と違うためらしいが、作品的にストーリーを大きく変えられない作品である。

やはり1場で、3幕であり実質上演時間は2時間45分で、本格ミステリである。

本格ミステリ劇の場合、伏線と手がかりに影響するのでアドリブが出来ず、特に小説を読んでいる客は犯人の動きに敏感になるので、もっとも難しい演劇に属する。

第1幕で登場人物が孤島に集まり、人形が登場し謎の声がレコードから流れ、事件がはじまる。

人物の紹介を会話で行うために、第1の殺人がおきるのが1幕の最後である。

これは「ナイル殺人事件」にも共通するが、1場ものでは殺人がおきてから捜査の順は向いていないように感じる。

捜査が長くしにくいのだろう。

2幕にはいると、続けて殺人がおきる。

小説では登場人物の考えている事が描かれるが(問題の叙述トリックの部分、訳し難い部分)、劇では無理をせず会話で行っている。

ただし注意深く聞けば、犯人を推定できる1つの伏線になっている。

小説を読んでいる人なら分かる、問題の事件は3幕前半におきる。

知らず知らずのうちに少なくなった舞台の人物が、全員白と一部黒の衣装に揃っている。

そして、半暗転の舞台で事件がおきる、舞台で動く人が全員白衣装のため分からなくなっている。

そして、一気に最後まですすむ。

終わり方が、小説・映画・演劇で異なるが、演劇は映画に近い、しかし異なる。

原作者自身の戯曲とあえていうのは最後が異なるためであろう。

ただ、演劇のなかでも登場人物が言うように(クリステイが書いているように)マザーグースの詩自体に2つの終わり方があり、演劇は小説とは異なる方を使っているだけで、詩と全く同じに事件がすすむことには差がないと強調する。

これはこの作品自体の作者のこだわりであろう。

最後に何人が残るかは、秘密であるが観客が見えない所での殺人は3人だけであり、いかにも上手く作られている事が分かる。

ほとんどの場面で複数の人物が舞台におり、しかも舞台全体に散らばっているので、たえず全員を観ていると犯人が分かっていても目をはなしがちになる。これも本格ミステリ演劇の手法であろう。

舞台から2mぐらいの所にいると、思わず秘書役の藤谷美紀に見とれてしまう。

私にはこれが最大のミスデイレクションになってしまった。

このページの先頭へ