「セロ弾きのゴーシュ」を観る、そして「セロ弾きのゴーシュの音楽論」を読む
大阪には50年の歴史のある人形劇団「クラルテ」があります。
歴史が古いだけでなく次々と新しい試みを行っています。
2000年の秋の大阪新劇フェステイバル参加で、作品賞を受賞した「セロ弾きのゴーシュ」もそのひとつです。
脚本としては、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」と「夜鷹の夢」を合わせて一つの作品にしています。
何が新しいかと言うと、ミュージカルスタイルのミニオーケストラの生演奏で人形劇を行った事です。
なかなかミュージカルでも生演奏しかもオーケストラスタイルは多くありません。
始まるまえからどのようになるのか期待で一杯でした。
人形劇の特徴と生演奏のオーケストラの組み合わせを考えると、この作品は非常にマッチングしている事がわかります。
人形劇が得意なのは人間以外の登場物でしょう。やや苦手なのが人間の表情でしょう。
ゴーシュや金星音楽隊メンバーは登場しますが、何といっても毎夜に現れる動物たちでしょう。
人形劇の最も得意とする分野です。
演劇に音楽伴奏(特に生演奏)は合った方が良いのは普通ですが、特に必要とする分野や作品は当然あります。
ミュージカルはその一例です。
「セロ弾きのゴーシュ」は演奏会を1週間後に控えた金星音楽隊が第6交響曲(たぶん田園)を練習する場面から始まります。
そこでしばしばゴーシュが失敗してしまうのです。
ゴーシュは森の小屋に帰宅後、毎夜自宅で練習しますがそこに色々な動物がたずねてきます。
けんかをしたり、仲良く会話したりしながらゴーシュは次第にしらずしらず上達してゆきます。
はじめは迷惑気味のゴーシュもしだいに、動物たちの反応に耳を傾けるようになってゆきます。
演奏会の当日は大成功で、ゴーシュはアンコールの演奏を求められます。
笑い者にされたと思ったゴーシュは「印度の虎狩り」というたぶんここでは普通はふさわしくない曲を演奏します。
しかし観客も、怒ってばかりいた指揮者も演奏については満足します。
そして森の小屋に戻ったゴーシュは毎晩たずねてきた動物たちに感謝します。
2度のオーケストラ演奏、毎夜ゴーシュが練習している時の色々なセロの演奏と、生演奏が人形劇と調和する部分が極めて多くあります。
勿論、それ以外の場面でも音楽が有効に使われていた事は言うまでもありません。
2003年になって『「セロ弾きのゴーシュ」の音楽論』という本が出版されました。
これは作品にこめられた宮沢賢治の音楽論を明らかにして行く物です。
音楽は苦手な私でも、その内容は分からない所も多くありますが、新しい発見の連続でした。
著者の梅津時比古氏は専門家ですのでその掘り下げは徹底しています。
楽器の問題・テクニックの問題・音程の問題について考察がされています。
テクニックとメカニズムの問題は非常に興味深い問題でした。
指揮者の考え方とゴーシュの到達点の違いは考えも及びませんでした。
宮沢賢治が実はこの作品で彼自身の音楽論を展開していたとは当然ながら気がついていませんでした。
「夜鷹の夢」も登場するのは偶然でしょうか。
また、後日談に想像を働かすことも音楽の知識あっての事です。
音楽は苦手な私でもこの本を読んで得る事は少なくありません。
もし先にこの本に出会っていたら等の想像も面白いかも知れませんが、人形劇もこの本も読んで楽しいですので、劇の場面を思い出しながら再度楽しむ事にします。
『セロ弾きのゴーシュ』の音楽論 梅津時比古 東京書籍 2003年