少子化の一背景

テーマを見て、一瞬自分の事かと思ったが、よく考えるといくらかニュアンスが違うようである。

テーマは積極的に結婚しないような意味が強いように感じるが、私の場合は消極的理由である。

結果的にまだ結婚していないだけであり、なぜと問われれば、機会と相手となる人との巡りあわせがなかっただけである。

従って過去形ではなく、現在進行形である。

少子化の一背景となっているが、そもそも何故少子化が問題か明確になっているのだろうか。

問題が明確でないと一背景と言ったとして、結婚問題をつなげても意味をなさない。

現在世界の他の地域では人口増加に困っている。日本が少子化現象があっても、何故困るのであろうか。

単なる、日本国内のナショナリズムであろうか。または、高齢化社会の高齢者の、若年層に生活をささえてもらいたいと言うわがままが原因であろうか。

就職難や食料難問題から見れば人口が減る事は、逆に歓迎する考えかたも出来る。

生物の子孫を残す方法として、r戦略とK戦略とがある。前者はたとえば昆虫の様に非常に沢山の子供を産み、後は放任して、少数が生き残る戦略である。

後者は人間が代表と言われる少数の子供を産んで大事に育ててほとんどを成長させる戦略である。

しかし、見方を変えれば人間社会のなかでも同じことが言えると思う。発展途上国や戦後の日本ではr戦略に近い状態であった。

現在の日本はK戦略になっている。しからば、「より少なければより大事に育てられるので少数精鋭になり何も問題はない」、といえればすべて解決される。

問題は人数が少なくなり大事に育てられるほどに比例して優秀な若者が育つかどうかである。

少子化が問題とされている以上そうではないの認識であろう。

私は少子化自体は直接には、ほとんど問題視していない、それ自体が何故問題なのかが理解できていないからである。

従って子供を作り、育てるためにだけ結婚をするつもりは全く考えていない。

子をもち育てている人は苦労も多いと思うが、現在は個性の時代であり各個人が異なる生活をおくることになにも問題はない筈である。

従って、問題視する人の意見は個人主義で全体の事を考えていないというものであると思う。

私自身は、問題になることは行っていないとはっきりと否定するが、もし否定できない人がおれば非常に残念である。

繰り返し問いたいと思う、何故少子化が問題であるか、子供を作るために結婚しなければならないか、これは高齢者の単なる都合ではないのか。

高齢者の増加、高齢者が過度の希望を持ちすぎていないだろうか。高齢者でも自立は可能な時代で、単に要求が自分勝手であると思う。

若者が少ないと多くの高齢者を支えられない。時代が進歩しても若者のレベルが向上しないとすれば、この方が問題であると思う。

こちらの改善がもっと急務と思う。

時代は変化の最中である。少子化は、沢山の変化の1つの表面的な現象にすぎない。

その原因を1つに求める・または1つの切り口から見ることは、あまりにも単純化しすぎである。

もっと広い視野で見ると複雑な原因の結果のひとつでしか無いことに気づくであろう。

我々が考えるべき事・行うべきことはあらゆる面から色々な変化を見いだし、一見してマイナスに見えることも、プラスにするように変えて行くことである。人口の減少はマイナスのみでは無い。年齢層が低い人が減少することも特別に考える必要もない。子供が増えればまた別の問題が生じる。段階の世代の人間には実感として分かる。どちらが良いとも言えない。しかし、時代の変化に対応できてこそ人類といえる。特にかなり以前から分かっていた事をようやく議論し始めるのはある意味では寂しい事である。

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