ヨハネの福音書の目次
はじめに |
ヨハネの福音書:第18章 各章は、英文:[NLT]、和文:[拙訳]、[解説]によって構成されています。
Jesus Is Betrayed and Arrested イエスが裏切られて捕らえられる 1 After saying these things, Jesus crossed the Kidron Valley with his disciples and entered a grove of olive trees. 1 これらのことを言い終えると、イエスは弟子たちとともにケデロンの谷を越えて、オリーブの木の木立の中に入って行きました。 2 Judas, the betrayer, knew this place, because Jesus had often gone there with his disciples. 2 裏切り者のユダはこの場所を知っていました。それはイエスがしばしば弟子たちとそこへ行っていたからです。 3 The leading priests and Pharisees had given Judas a contingent of Roman soldiers and Temple guards to accompany him. Now with blazing torches, lanterns, and weapons, they arrived at the olive grove. 3 祭司長やファリサイ派の人たちは、ユダと一緒に行かせるために、ローマ兵と寺院の警備役人の一隊を与えていました。この一隊は、いま燃えるたいまつやランプ、武器を持ってオリーブの木立に到着しました。 4 Jesus fully realized all that was going to happen to him, so he stepped forward to meet them. “Who are you looking for?” he asked. 4 イエスはこれから自分の身に起こるすべてのことを知っていて、彼らを迎えるために出て来ました。イエスはたずねました。「誰を捜しているのですか。」 5 “Jesus the Nazarene,” they replied. “I Am he,” Jesus said. (Judas, who betrayed him, was standing with them.) 5 彼らは答えました。「ナザレ人のイエスだ。」 イエスは言いました。「それは私です。」(イエスを裏切ったユダは彼らと一緒に立っていました。) 6 As Jesus said “I Am he,” they all drew back and fell to the ground! 6 イエスが「それは私です」と言うと、一隊は後ずさりして地面に倒れました。 7 Once more he asked them, “Who are you looking for?” And again they replied, “Jesus the Nazarene.” 7 イエスはもう一度彼らにたずねました。「誰を捜しているのですか。」 彼らもう一度答えました。「ナザレ人のイエスだ。」 8 “I told you that I Am he,” Jesus said. “And since I am the one you want, let these others go.” 8 イエスは言いました。「それは私ですと、あなたがたに言ったでしょう。そしてあなた方が捜しているのは私なのですから、ここにいる他の人たちは去らせなさい。」 9 He did this to fulfill his own statement: “I did not lose a single one of those you have given me.” 9 イエスがこう言ったのは次の自分の言葉が実現するためです。「あなたが私に下さった者のうち、ただの一人も失いませんでした。」 10 Then Simon Peter drew a sword and slashed off the right ear of Malchus, the high priest’s slave. 10 シモン・ペテロは剣を抜き、大祭司のしもべのマルコスの右耳を切り落としました。 11 But Jesus said to Peter, “Put your sword back into its sheath. Shall I not drink from the cup of suffering the Father has given me?” 11 しかしイエスはペテロに言いました。「剣をさやに収めなさい。父が私に下さった苦難の杯から飲まないでいられると言うのですか?」 [解説] 1節、イエスと弟子たちの一行はオリーブの木の木立に入っていきます。一行は過越の祭りの食事(最後の晩餐)を済ませてエルサレムの町から出てきたのでした。エルサレムは周囲をグルリと石の城壁が取り囲む城塞都市です。南北が15kmくらい、東西が10kmくらいのやや縦長の都市を城壁が取り巻いているのです。都市への出入りには城壁に作られた門を通ります。イエスの一行は恐らく都市の南西部にある家を出て都市の南東部にある門を通り、都市の東側の城壁に沿うケデロンの谷を通って都市の城壁の外側、都市から見て北東部にあるオリーブの林に到着しました。全体で15km近く歩いたことになります。人が歩く速度は時速4〜5kmですから三時間ちょっと歩いたという感じでしょうか。城壁を隔てた内側、都市内の北東部には寺院があります。ユダが率いる一隊が寺院周辺から来たのだとするとやはり15kmほどを歩いて来たのだと思います。これはいまから2000年近く前の話ですからもちろん電気などの証明はなく、都市の外側の林の中の場面ですから周囲はそうとう暗かったはずです。 ユダが率いてきたのはイエスの殺害を企てる祭司長やファリサイ派の人たちから与えられたローマ兵と寺院の警備役人の一隊です。祭司長やファリサイ派の人たちはユダヤの最高議決機関(つまりは国会)であるサンヘドリンのメンバーに名を連ねるような権力者で、これらの指導者たちはローマ帝国から犯罪者を逮捕する権限が与えられていました。植民地に一定の自治権を与えるのが当時のローマ帝国の支配スタイルなのです。イエスの逮捕はユダヤ民族だけの問題なのでユダに与えられたローマ兵たち(通常16人でユニットを組むようです)が逮捕そのものに直接加わったかどうかはわかりませんが、ローマ帝国は当時世界最強の軍事国家で、そこから軍人が派遣されたということです。寺院の警備役人はユダヤ人のレビ人のことです。レビ族はユダヤの12部族の中から寺院周辺の仕事をすべて任せられていて、その中には寺院の警備にあたる一族もいました。ちなみに祭司や大祭司もこれらの仕事の一つでモーゼの兄のアロンが最初の大祭司となってから代々アロンの一族が祭司職を行っています。 4節、イエスはユダの一行を迎えるために木立から出てきます。他の福音書ではここでイエスをよく知るユダが一隊への合図のため(どの人がイエスかを伝えるため)にあいさつの口づけをしたことが書かれていますが、ヨハネの福音書はそれを記録していません。このときユダは他の弟子たちが見ている前で公然とイエスを裏切ったことになります。4節の最後でイエスが「誰を捜しているのですか」とたずね、5節で一隊が「ナザレ人のイエスだ」と言うとイエスは「それは私です」と言います。6節には、その「それは私です」の言葉を聞いた一隊が後ずさりして倒れたと書かれています。この「それは私です」は英語では「I Am he」と「Am」を大文字で書いています。これには特別な意味があります。聖書に描かれた神さまには名前はありません。たとえば「神さま」というのも、それは神さまの名前ではなくてなんだかよくわからない大きな存在を「神さま」と呼んでいるのです。Exodus(出エジプト記)でモーゼが神さまと会話をする場面で、神さまが自分のことを言う場面があります。Exodus 3:14(出エジプト記3章14節です。[NLT]と[新解訳]で見てみます。 14 God replied to Moses, “I Am Who I Am. Say this to the people of Israel: I Am has sent me to you. 14 神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。」 神さまはここで自分は「I Am」(『わたしはある』)である、と言っています。自分はつまり「自分であるところの者」であり名前などないのです。5節でイエスが言った「I Am he」で「Am」が大文字になっているのは、この「I Am」という二つの単語が旧約聖書から見て大きな意味を持っているからです。当時のユダヤ人は神さまに触れた人、たとえば神さまを見た人や神さまの肉声を聞いた人はそのまま生きては済まされないと思っていて、モーゼが神さまと語る際にもユダヤの民は自分たちは神さまの声を聞いたら生きていられないからモーゼが神さまの言葉を聞いて自分たちに取り次いでくれと頼みました。ここではイエスの口から出た「I Am he」の言葉で、数十人の一隊が後ろへ押し倒されてしまったのです。 9節に書かれているイエス自身の言葉とは、John 6:39(ヨハネの福音書6章39節)に書かれている 39 And this is the will of God, that I should not lose even one of all those he has given me, but that I should raise them up at the last day. 39 そしてその神さまの意志とは、神さまが私に与えてくださった者すべてを、私がただ一人として失わず、終わりの日に、その人たちをよみがえらせることです。 や、John 17:12(ヨハネの福音書17章12節)に書かれている 12 During my time here, I protected them by the power of the name you gave me. I guarded them so that not one was lost, except the one headed for destruction, as the Scriptures foretold. 12 この場所での私の時間の間は、あなたが私に下さった名前の力で、私が彼らを守りました。誰も失われないようにと、私が彼らを守りました。聖書があらかじめ預言したとおり、破滅へと向かった一人を例外にして。 のことだと思います。どちらも[NLT]と[拙訳]です。 10節、ペテロが険を抜き大祭司のしもべのマルコスの右耳を切り落とします。ペテロは持っていた険を抜いて相手の頭に向かって切りつけたのです。相手がよけたのかペテロがしくじったのか、険は頭を逸れてマルコスの右耳を切り落としました。11節でイエスはペテロを止めます。他の福音書にはイエスが右耳を切り落とされたマルコスの傷を瞬時に癒してしまった様子が書かれています。おそらくイエスが切り落とされた右耳の部分に触れるか何かするともう耳は切り落とされる前の状態にすっかり戻っていたのです。11節でイエスは「父が私に下さった苦難の杯から飲まないでいられると言うのですか?」と言います。父なる神さまがイエスに与えた「(cup)杯」とはこれからイエスが通らなければならない苦難、孤立、そして死のことです。イエスがこれを通らなければ神さまがイエスを通じて成し遂げようとしている人間の救済計画が完成しないのです。イエスは神さまの意志を尊重し、神さまの意志が実現されるようにこの杯を飲み干そうと決意しているのです このページの先頭に戻るJesus at the High Priest’s House 大祭司の館でのイエス 12 So the soldiers, their commanding officer, and the Temple guards arrested Jesus and tied him up. 12 そこで兵士たち、隊長、寺院の警備役人たちはイエスを捕らえて縛りあげました。 13 First they took him to Annas, the father-in-law of Caiaphas, the high priest at that time. 13 彼らは最初にイエスをそのときの大祭司カヤパの義父であるアンナスのところへ連れて行きました。 14 Caiaphas was the one who had told the other Jewish leaders, “It’s better that one man should die for the people.” 14 カヤパは、ひとりの人が民のために死ぬ方が好ましい、とユダヤ人指導者に告げた人です。 Peter’s First Denial ペテロの最初の否定 15 Simon Peter followed Jesus, as did another of the disciples. That other disciple was acquainted with the high priest, so he was allowed to enter the high priest’s courtyard with Jesus. 15 シモン・ペテロと弟子の一人はイエスについて行きました。その弟子は大祭司の知り合いで、イエスと共に大祭司邸の中庭に入ることを許されました。 16 Peter had to stay outside the gate. Then the disciple who knew the high priest spoke to the woman watching at the gate, and she let Peter in. 16 ペテロは門の外にとどまらなければなりませんでした。大祭司の知り合いの弟子が門を見張っていた女性に話をすると、女性はペテロを入れてくれました。 17 The woman asked Peter, “You’re not one of that man’s disciples, are you?” “No,” he said, “I am not.” 17 その女性がペテロにたずねました。「あなたはあの男の弟子の一人ではないでしょうね。」 ペテロは言いました。「いいえ。私は違います。」 18 Because it was cold, the household servants and the guards had made a charcoal fire. They stood around it, warming themselves, and Peter stood with them, warming himself. 18 寒かったので、邸のしもべたちや警備役人たちは炭火をおこしました。彼らはそのまわりに立って暖を取っていました。ペテロも彼らといっしょに立ち、暖を取りました。 The High Priest Questions Jesus 大祭司がイエスを尋問する 19 Inside, the high priest began asking Jesus about his followers and what he had been teaching them. 19 中では大祭司がイエスに、弟子たちのことやイエスが教えていたことについての尋問を始めました。 20 Jesus replied, “Everyone knows what I teach. I have preached regularly in the synagogues and the Temple, where the people gather. I have not spoken in secret. 20 イエスは答えました。「私が何を教えているかはみなが知っています。私は人が集まる会堂や寺院でいつも教えていたのです。隠れて話したことはありません。 21 Why are you asking me this question? Ask those who heard me. They know what I said.” 21 なぜあなたは私にこの質問をするのですか。私の話を聞いた人たちにきいてください。彼らは私が話した事を知っています。」 22 Then one of the Temple guards standing nearby slapped Jesus across the face. “Is that the way to answer the high priest?” he demanded. 22 そばに立っていた警備役人のひとりが平手でイエスを打ちました。彼はたずねました。「それが大祭司に対する答え方か。」 23 Jesus replied, “If I said anything wrong, you must prove it. But if I’m speaking the truth, why are you beating me?” 23 イエスは答えました。「もし私が何か間違ったことを言ったのなら、あなたはそれを証明しなければなりません。ですがもし私が正しいことを話しているとしたら、なぜ私を打つのですか。」 24 Then Annas bound Jesus and sent him to Caiaphas, the high priest. 24 アンナスはイエスを縛りあげ、大祭司カヤパのところへ送りました。 Peter’s Second and Third Denials ペテロの二度目と三度目の否定 25 Meanwhile, as Simon Peter was standing by the fire warming himself, they asked him again, “You’re not one of his disciples, are you?” He denied it, saying, “No, I am not.” 25 その頃シモン・ペテロが火のそばに立って暖を取っていると、人々は再び彼にたずねました。「あなたもあの男の弟子の一人ではないでしょうね。」 ペテロはそれを否定して言いました。「いいえ私は違います。」 26 But one of the household slaves of the high priest, a relative of the man whose ear Peter had cut off, asked, “Didn’t I see you out there in the olive grove with Jesus?” 26 しかし大祭司のしもべのひとりで、ペテロが耳を切り落とし人の親類の人がききました。「オリーブの木立であなたがイエスと一緒にいるのを私が見なかったとでもいうのですか。」 27 Again Peter denied it. And immediately a rooster crowed. 27 ペテロはもう一度否定しました。するとその直後におんどりが鳴きました。 [解説] エルサレムの城壁の外、オリーブの森で捕らえられたイエスはすぐに大祭司邸へと連れて行かれます。イエスの一行は最後の晩餐として知られる食事を済ませた後で約三時間の道のりを歩いてオリーブの森へ至りそこでイエスが捕らえられました。それからさらに三時間近くを歩いてエルサレムの都市内部へと戻り、都市の南西部にある大祭司邸へと至ります。つまりこれは最後の晩餐から6時間以上が経ったほぼ真夜中頃の出来事です。最後の晩餐は木曜日の夜だったはずでその翌々日の土曜日には大切な過越の祭りの安息日が控えていました。イエスを捕らえた祭司長やファリサイ派の指導者層は何としても事を金曜日中に完結させ、厄介なもめ事がすべて片付いた状態で土曜日を迎えたかったのではないでしょうか。だから真夜中にも関わらず大急ぎでイエスを大祭司邸へと連れて行ったのです。 大祭司はアンナスとカヤパの二人が登場します。アンナスは西暦6〜15年に大祭司を務めその時点でローマ帝国から退位させられました。カヤパはアンナスの義理の息子で西暦18〜36(あるいは37)年までの大祭司に任命されています。ユダヤの律法では大祭司職は生涯職なので在位の大祭司が死ぬときに次の大祭司が決まるのが通例なのですが、このときはローマ帝国が介在して無理矢理アンナスを退位させたのです。このことからユダヤ人の中にはカヤパを大祭司と認めず相変わらずアンナスが正式の大祭司だと考える人がたくさんいて、アンナスのことを引き続き「大祭司」と呼んでいたのです。とは言っても支配国であるローマ帝国の手前、最終的な大祭司の権限は正式な大祭司であるカヤパが持ちましたからイエスは二人の大祭司から尋問を受けることになりました。こうしてイエスはあわただしくアンナスとカヤパの二人の大祭司の尋問を受けますが、これらの尋問を夜中のうちに秘密裏に行うことは当時の慣習法に反します。イエスを捕らえた側に属するファリサイ派は律法や慣習法を誰よりも重視/遵守することで知られていて、だからこそ安息日に癒しの奇跡を行うイエスを咎めてきたのにいざイエスの裁判となると法律を無視して何でもあり、という感じです。 大祭司の家は高い壁に囲まれた屋敷で中庭では火を焚いて暖が取れるようになっていました。15節、ペテロともう一人の弟子が捕らえられたイエスの後についていきます。イエスを助けようとするでもなく、かと言って逃げ去るでもなく、引き立てられていくイエスの後ろの方からコソコソとついていきました。ここで「もう一人の弟子」と書かれているのはおそらくヨハネの福音書を書いたヨハネ本人です。ヨハネは大祭司と知り合いだったらしく自分が誰かを示すことで大祭司邸へ入ることを許されました。さらにそのコネを利用して外にいたペテロをも大祭司邸の中に入れることに成功します。ヨハネにとってのペテロはガリラヤ湖で漁師をやっていたときからの兄貴分ですのでうまく立ち回って二人で屋敷へ入り込めるようにしたのです。ところがあろうことかペテロは門番をしていた女性から「あなたはイエスの弟子ではないですか?」とたずねられます。ドキリとしたペテロは17節で「いいえ、違います」と自分とイエスとの関係を否定します。 24節でアンナスはイエスをカヤパのところへ送ったとありますが、これは恐らく同じ屋敷内か隣接する屋敷の話です。25節から書かれているのはペテロによる二度目と三度目の否定です。ペテロは都合三回にわたってイエスとの関係をたずねられすべてについてそれを否定しました。イエスを三回否定したときペテロはおんどりの声を聞きます。これはJohn 13:38(ヨハネの福音書13章38節)でイエスから言われていたことです。ペテロがイエスに対して自分はイエスのために死ぬことさえ厭わないと言ったとき、イエスは次のように言いました。「38 Jesus answered, “Die for me? I tell you the truth, Peter -- before the rooster crows tomorrow morning, you will deny three times that you even know me.(イエスが答えました。「私のために死ぬのですか? ペテロよ、本当のことを言います。明日の朝、鶏が鳴くまでに、あなたは私を知っていたことを、三度否定するのです。」) ペテロにとってイエスは自分の師であり旧約聖書が約束する救世主だと信じた人です。ペテロはそのイエスが捕らえられ尋問を受ける間、その近くにいて暖を取り三度に渡って自分とイエスの関係を否定しました。そのときにおんどりの声を聞きペテロの脳裏にイエスから言われたことがよみがえります。恐らくペテロは大変な自己嫌悪と卑下の念におそわれたことでしょう。他の福音書ではここでペテロが激しく泣いて走り去る様子が書かれています。 たとえばイエスはMatthew 10:32-33(マタイの福音書10章32〜33節)で「32 ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。33 しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。」と言っています。イエスが旧約聖書に約束された救世主であり神さまの元から来た存在であるとたとえ私たちがひっそりと心の中で信じていたとしても、他の人の前でそれを恥じてイエスを知らないと否定するようならそんな人は自分も父なる神さまに対して取りなしをするようなことをしない、と言っているのです。ペテロはここで公然と他の人の前で三回もイエスを否定してしまいましたからイエスが語った基準に満たないことになりました。父なる神さまの前で拒絶されても当然の状態です。聖書によれば人間が肉体の死を迎えるとき肉体を離れた魂が行く先は二つ、神さまのいる天国かサタンの投げ込まれる火の池へ道連れとして投げ込まれるかのどちらかです。ペテロはイエスから拒絶されてしまうのですから天国への道が閉ざされるのではないかと思われます。しかし実際はどうでしょうか。イエスは死後復活すると再度ペテロの前に現れて罪を悔い改めて自分のために働くようにと話します。その後イエスが天に戻り、聖霊を受けたペテロが福音を伝える様はまるで別人のようです。イエスは神聖なる神さまなので「正しさ」について妥協はありません。「正しいこと」と「悪いこと」は明確に区別します。しかし「悪いこと」をした人間の側に自分の罪を認めて悔い改めようという気持ちがある限りイエスに許せない罪はないのです。 このページの先頭に戻るJesus’ Trial before Pilate ピラトによるイエスの裁判 28 Jesus’ trial before Caiaphas ended in the early hours of the morning. Then he was taken to the headquarters of the Roman governor. His accusers didn’t go inside because it would defile them, and they wouldn’t be allowed to celebrate the Passover. 28 朝の早い時間にカヤパの前での尋問は終了しました。イエスはローマ総督の官邸へ連れて行かれました。告発人側は中へは入りませんでした。そうすると汚れてしまうからで、そうなると過越の祭を祝うことが許されなくなるのです。 29 So Pilate, the governor, went out to them and asked, “What is your charge against this man?” 29 そこで総督ピラトは表へ出て来てたずねました。「この人に対して何を告発するのですか。」 30 “We wouldn’t have handed him over to you if he weren’t a criminal!” they retorted. 30 彼らは答えました。「もしこの人が犯罪者でなかったら、私たちはこの人をあなたに引き渡したりしません。」 31 “Then take him away and judge him by your own law,” Pilate told them. “Only the Romans are permitted to execute someone,” the Jewish leaders replied. 31 ピラトは彼らに言いました。「ならばこの人を連れて行って、あなた方自身の律法に従って裁きなさい。」 ユダヤ人指導者たちが答えました。「誰かを死刑にできるのはローマ人だけです。」 32 (This fulfilled Jesus’ prediction about the way he would die.) 32 (このことでイエスが自分の死に方を話した予告のことばが成就しました。) 33 Then Pilate went back into his headquarters and called for Jesus to be brought to him. “Are you the king of the Jews?” he asked him. 33 そこでピラトは官邸に入って行き、イエスを自分のところへ連れてくるようにさせました。「あなたはユダヤ人の王なのですか。」ピラトがイエスにたずねました。 34 Jesus replied, “Is this your own question, or did others tell you about me?” 34 イエスは答えました。「これはあなた自身の質問ですか。あるいは他の人があなたに私のことを話したのですか。」 35 “Am I a Jew?” Pilate retorted. “Your own people and their leading priests brought you to me for trial. Why? What have you done?” 35 ピラトが言い返しました。「私はユダヤ人なのか。あなたの国の人たちとその祭司長たちが、裁判にかけよとあなたを私のところへ連れて来たのです。あなたは何をしたのですか。」 36 Jesus answered, “My Kingdom is not an earthly kingdom. If it were, my followers would fight to keep me from being handed over to the Jewish leaders. But my Kingdom is not of this world.” 36 イエスが答えました。「私の王国はこの世の王国ではありません。もしそうなら私の弟子たちが、私をユダヤ人指導者に渡さないように戦ったことでしょう。しかし私の王国はこの世のものではありません。」 37 Pilate said, “So you are a king?” Jesus responded, “You say I am a king. Actually, I was born and came into the world to testify to the truth. All who love the truth recognize that what I say is true.” 37 ピラトは言いました。「では、あなたは王なのですか。」イエスは答えました。「私が王だとあなたが言っています。実際のところ、真理の証言をするために、私は生まれ、この世に来たのです。真理を愛する者はみな、私が話すことが真理だとわかります。」 38 “What is truth?” Pilate asked. Then he went out again to the people and told them, “He is not guilty of any crime. 38 ピラトはたずねました。「真理とは何ですか。」 それからピラトは再び表の人々のところに出てきて、彼らに言いました。「あの人にはどんな罪もありません。 39 But you have a custom of asking me to release one prisoner each year at Passover. Would you like me to release this ‘King of the Jews’?” 39 ですが過越の祭りには、あなた方が私に囚人のひとりを釈放するように頼む習慣があります。あなた方は私にこのユダヤ人の王を釈放して欲しいですか。」 40 But they shouted back, “No! Not this man. We want Barabbas!” (Barabbas was a revolutionary.) 40 しかし彼らは叫び返しました。「違う。この人ではありません。バラバを釈放して欲しい。」(バラバは革命論者でした)。 [解説] イエスはここまでで二人の大祭司から尋問を受けました。28節でイエスは大祭司邸から今度はローマ帝国の総督ピラトの官邸へと連れて行かれます。「朝の早い時間に」と書かれていますから大祭司邸での取り調べの間に夜が白んできて金曜日の朝になったのではないかと思われます。他の福音書を読むと大祭司邸から総督ピラトの元へ送られる間にイエスはユダヤの最高議決機関であるサンヘドリンの取り調べも受けています。Matthew 27:1-2(マタイの福音書1〜2節)には「1 さて、夜が明けると、祭司長、民の長老たち全員は、イエスを死刑にするために協議した。2 それから、イエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。」とあり、ここに言う「祭司長、民の長老たち全員による協議」とはすなわちサンヘドリンによる協議です。サンヘドリンは70人のメンバーで構成されるユダヤの最高議会で、つまりは国会であり最高裁判所のようなところです。恐らくイエスの処刑に法的な根拠を与えるためにサンヘドリンが急遽招集されてそこで正式にイエスの有罪を判決したものと思われます。 28節、告発者側はイエスをローマ総ピラト督の屋敷へ連れて行きます。総督の屋敷はエルサレム都市部の北東部、寺院の北にあったとされ、このためには市内を南西部から8kmほど斜めに横切った移動となります。早足で歩いても1時間半の距離です。告発者側はピラト邸には入りません。ユダヤの律法によるとユダヤ人が異邦人(外国人)の家に入るとその人は儀礼上「汚れた」存在となるからです。この「汚れ」は時間が経過すれば清い状態に戻るとされているのですが、それでは翌日に迫っている一年間で一番大切な過越の祭の安息日に寺院に入って神さまを礼拝することができなくなってしまいます。ユダヤ人にとってそれは屈辱的で大変残念なことですから告発者たちはローマ人であるピラトの屋敷の外にとどまらなければなりませんでした。告発者たちは一方では律法や慣習法を無視してやりたい放題でイエスを裁きなんとかイエスを殺害しようと企て、もう一方では自分たちを表面的に汚れさせる部分だけは律法や慣習法を守ってきっちりと回避したいわけです。 29節、告発者たちが屋敷の外にいるのでローマ総督のピラトはわざわざ外へ出てきました。ピラトはローマ帝国の属領となっていたユダヤの当時の総督です。任期は西暦26〜36年でした。ピラトは在職中にエルサレムの寺院に踏み込んで財宝を運び出して売り払いそのお金を財源に市内に高架式の水道橋を築いたりするなどし、結果としてユダヤ人との関係はうまく行っていませんでした。 31節で告発者側が言った「誰かを死刑にできるのはローマ人だけです」の言葉で、32節に書かれているように「イエスが自分の死に方を話した予告のことばが成就」したことになります。ローマ人による死刑とはすなわち十字架刑のことでローマ帝国は占領した属国の犯罪者に対して十字架刑を行いました。イエスが自分の十字架刑を予告したのはMatthew 20:19(マタイの福音書20章19節)で「そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します」の部分です。この他にも「自分は高くかかげられる」と十字架を暗示した発言した部分があります。 33節のピラトの質問の「あなたはユダヤ人の王なのですか」は告発者がピラトに伝えた罪状から来ていると思われます。告発者たちはイエスが安息日の律法を犯したから、あるいは自分を神さまと等しく並べて神さまを冒涜したからという理由でイエスを殺したかったはずなのに、ピラトには「イエスは自分を王と自称している」と告げたのでしょう。イスラエルはローマ帝国に征服された属領でしたからその中で自分を王と自称とする人は反逆者として処刑されるべきというのが告発者側の理論だと思います。このあたりはイエスさえ殺害できれば理由は何でもよいのかと思わされます。ですが36〜37節のイエスの答を聞いてピラトはこれは完全に話が違うと知ります。イエスが自称する王とはこの世の中とは別のところにある王国での話だったのです。ピラトはユダヤ人が嫌いだったはずですが属領の総督として不要なトラブルは避けなければならず、誰でもかまわずユダヤ人を殺害したかったわけではありません。今回ピラトはイエスの話を聞くとイエスが告発されている理由がユダヤの宗教に基づいていて、どうやらイエスがユダヤの指導者層から反感を買ってしまったらしいことを知りました。ピラトはユダヤ人指導者たちの感情的で勝手な思惑に基づいて自分がイエスに死刑執行の判決を下す理由が見つけられません。ピラトは正義の味方ではありません(と言うよりも他の箇所を読むと悪人です)から利害さえ一致すれば死刑の判決を下したでしょうが、最初はその理由を見つけられなかったのです。ピラトは最初は31節で「あなた方自身の律法に従って裁きなさい」とユダヤ人側に責任を持たせようとし、39節では「あなた方は私にこのユダヤ人の王を釈放して欲しいですか」とイエスを釈放する道を探します。 38節でピラトが言った「What is truth?(真理とは何ですか)」は真理が知りたくて探究するような質問ではなく、おそらくイエスの発言を皮肉ったものと思われます。37節でイエスの話した「真理」についての話を聞いて、何が正しくて何が正しくないかは相対的な問題なので個々人の主観による判断やそのときの状況によって異なるのだから、イエスの言う「私が話すことが真理だ」などというのは戯れ言に過ぎないと言っているのだと思います。 世の中で「クリスチャンは独善的」との批判を受けることがあります。なぜクリスチャンは頑なに聖書にとどまり他の考え方を受け入れようとしないのか、なぜ自分たちだけが正しいと言い切れるのかと。ここには誤解があると思います。クリスチャンは宗教ではありません。クリスチャンが信じているのは万物の創造主である神さまです。私が「宗教」と言っているのは心の平安を得たいとか、悩みを解決したいとか、そういう理由で「入門」「入信」する営みのことです。宗教が提供する儀式やメディアに触れたり、同じ宗教に属する人と話をすることで心の平安や悩みの解決が得られることもあるでしょう。またそもそも心の平安や悩みの解決を目的に始めるものなのですから、目的の答が得られるのであれば異なる複数の宗教と接することも可能かも知れません。一方クリスチャンが信じているのは万物の創造主である神さまです。この神さまは初めに無から天と地を創り出した存在です。その神さまは人間を特別に愛しひとりひとりの人間と個人的な関係を結びたいと思っています。その神さまの存在と神さまが提供する計画を信じて神さまとの個人的な関係を持つ人がクリスチャンです。だとしたらそこに他の何かが入り込む余地はありません。神さまは唯一の神聖な存在なのですから自身の正しさ以外を正しいとする考え方を「正しい」として受け入れる寛容さはありません。世の中に絶対的な正しさが存在するとしたらそれは神さま以外にはありません。それを知っているのがご自身で最初に天と地を創造した神さまなのですからそこには何も入り込めません。寛容であるとかないとか、独善であるとかないとか、そういう問題ではないのです。これは私が勝手に言っていることではなくて「聖書」に書いてあることです。聖書は日本ではどこの書店でも買うことができますから、ご自身で読んで確認するのが一番良いと思います。 39〜40節にあるようにローマ総督は過越の祭の際に囚人を一人釈放する習慣があったようで、ピラトはこの慣習を利用してイエスを釈放しようとします。これに対して告発者側が釈放するように求めたバラバはローマ帝国への反逆罪と殺人罪で捕まっていた犯罪者です。ユダヤ人にとってのバラバは支配国として重税を課すローマ帝国に対して立ち上がり、恐らく反逆の過程でローマ人を殺害したヒーローだったはずです。 このページの先頭に戻る前の章へ戻る | 次の章へ進むPresented by Koji Tanaka. 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