ヨハネの福音書の目次

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ヨハネの福音書

はじめに
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
第7章
第8章
第9章
第10章
第11章
第12章
第13章
第14章
第15章
第16章
第17章
第18章
第19章
第20章
第21章





ヨハネの福音書:第7章

各章は、英文:[NLT]、和文:[拙訳]、[解説]によって構成されています。

Jesus and His Brothers

イエスと兄弟たち


1 After this, Jesus traveled around Galilee. He wanted to stay out of Judea, where the Jewish leaders were plotting his death.

1 その後、イエスはガリラヤ地方を巡りました。ユダヤ地方ではユダヤの指導者たちがイエスの殺害を企てていたので、イエスはユダヤ地方の外にとどまろうとしていました。

2 But soon it was time for the Jewish Festival of Shelters,

2 ですが、すぐにユダヤの仮庵の祭りの時期となりました。

3 and Jesus’ brothers said to him, “Leave here and go to Judea, where your followers can see your miracles!

3 イエスの兄弟たちはイエスに言いました。「あたなの弟子たちが、あなたの奇跡のわざが見られるように、ここを出てユダヤ地方に行きなさい。

4 You can’t become famous if you hide like this! If you can do such wonderful things, show yourself to the world!”

4 このように隠れていたのでは、有名にはなれません。もしあなたがそれほど素晴らしいことを行なえるのなら、自分を世に現わしなさい。」

5 For even his brothers didn’t believe in him.

5 イエスの兄弟たちもイエスを信じていませんでした。

6 Jesus replied, “Now is not the right time for me to go, but you can go anytime.

6 イエスは答えて言いました。「いまは私が行くのに良いときではありません。ですが、あなた方はいつでも行けます。

7 The world can’t hate you, but it does hate me because I accuse it of doing evil.

7 世はあなた方を嫌うことはできません。しかし世は私を嫌います。それは私が、世の行う悪を責め立てるからです。

8 You go on. I’m not going to this festival, because my time has not yet come.”

8 あなた方は行きなさい。私はこの祭りには行きません。私の時はまだ来ていないからです。」

9 After saying these things, Jesus remained in Galilee.

9 これらのことを言って、イエスはガリラヤ地方にとどまりました。



[解説]

このときイエスと十二使徒を含む弟子たちはガリラヤ地方で伝道活動を行っていました。パレスチナは南北に長い土地で、死海を含む南部をユダヤ地方、そこから北へ100kmほど上がったガリラヤ湖を含む北部がガリラヤ地方です。二つの湖を結ぶ川がヨルダン川、二つの地方に挟まれて真ん中にサマリア地方があります。イエスは安息日に癒しの活動を行ったことで、これがモーゼの律法に反すると解釈するユダヤ指導者層の怒りを買い、後に自分を神と同格に語ったことから殺害まで企てられるようになりました。これらの指導者はイスラエルの政治上及び宗教上の中心地であるエルサレムにいて、エルサレムは南部のユダヤ地方にあります。イエスはこの人たちを避けて100km北のガリラヤ地方に滞在していたのです。イエスには逃げ隠れする理由はありませんが、イエスが指導者層との対決を避ける理由は8節にもあるとおり「私の時はまだ来ていないから」です。イエスが裏切られ、逮捕され、裁かれ、処刑される時期は神さまの計画の中にあり、その時はまだ来ていないのです。ガリラヤ地方にはイエスの育ったナザレがありますが活動の中心はガリラヤ湖北岸にあるカペナウムの町でした。ちなみにイエスが誕生したベツレヘムは南部のユダヤ地方、エルサレムのすぐ南に位置しています。

今回登場するイエスの兄弟」とは誰のことでしょうか。聖書を読むとイエスの父母にあたるマリアとヨセフの夫婦はイエスの処女懐胎の後で四人の男子と複数の女子を持ったことがわかります。四人の男子の名は、ヤコブ(James)、ヨセフ(Joses)、ユダ(Judas)、シモン(Simon)でいずれもユダヤではポピュラーな名前なので他のヤコブやユダと混同されて間違われることも多いようです。5節には「イエスの兄弟たちもイエスを信じていませんでした」と書かれています。十二使徒や弟子たちとのパレスチナを巡る伝道の旅ではマリアがこれらの兄弟を連れて会いに来る場面の他には兄弟たちが登場する場面はありません。彼らはイエスと行動を共にしておらずもしかすると奇跡を目にする機会も少なかったのでしょうか。兄弟のうちヤコブとユダが後にイエスを信じたことは新約聖書に「ヤコブの手紙」「ユダの手紙」の記述者として登場することからわかります。十字架死から復活したイエスはヤコブの元に現れます。ヤコブは後にエルサレムの教会の牧師となり迫害を受けるエルサレムの信者の間でリーダーシップを発揮しました。

仮庵(かりいお)の祭りはユダヤ民族の秋の祭りで旧約聖書のLeviticus 23:33(レビ記第23章33節)以降にどのように行うかが記述されています。時期は春に行う過ぎ越しの祭りの約半年後の10月頃です。「仮庵」は英語では「Shelters」と書かれています。Leviticus 23(レビ記第23章)の記述によると42〜43節のあたりに祭の期間中、「あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな、仮庵に住まなければならない。これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。わたしはあなたがたの神、主である」([新解訳])と書かれています。イエスの時代から1500年ほど前に神さまはエジプトで奴隷状態に苦しむユダヤの民を脱出させ、その後ユダヤ民族は砂漠を旅するのですが、そのときに住んだ「仮庵」、つまりテントのような移動住居のことを思い出すために人々は祭りの期間中エルサレムの周辺でテント暮らしをするのです。



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Jesus Teaches Openly at the Temple

イエスが寺院で公然と教える


10 But after his brothers left for the festival, Jesus also went, though secretly, staying out of public view.

10 しかし兄弟たちが祭りに出発した後で、イエスも行ったのでした。ただし人目を避けて、内密に行きました。

11 The Jewish leaders tried to find him at the festival and kept asking if anyone had seen him.

11 ユダヤの指導者たちは、祭りのときにイエスを捜し出そうとして、誰かイエスを目撃した人はいないかとたずね続けました。

12 There was a lot of grumbling about him among the crowds. Some argued, “He’s a good man,” but others said, “He’s nothing but a fraud who deceives the people.”

12 群衆の間では、イエスについて、ぶつぶつとたくさんの不満が聞かれました。「良い人だ」と言う者があれば、「群衆を惑わす詐欺師に他ならない」と言う者もいました。

13 But no one had the courage to speak favorably about him in public, for they were afraid of getting in trouble with the Jewish leaders.

13 しかし誰も公然とイエスについて好感を持って語ろうとする人はいませんでした。人々はユダヤ指導者たちとの問題に巻き込まれることを恐れたからです。

14 Then, midway through the festival, Jesus went up to the Temple and began to teach.

14 祭りが中頃になると、イエスは寺院へと出向き、教え始めました。

15 The people were surprised when they heard him. “How does he know so much when he hasn’t been trained?” they asked.

15 人々はイエスの話を聞いて驚きました。「この人は教育を受けたことがないのに、どうしてこれほど知っているのだろうか。」とたずねました。

16 So Jesus told them, “My message is not my own; it comes from God who sent me.

16 そこでイエスは人々に言いました。「私の伝える話は、私自身のものではないのです。私を送り出した神さまから来るのです。

17 Anyone who wants to do the will of God will know whether my teaching is from God or is merely my own.

17 誰でも神さまの意志を行いたいと欲する者なら、私の教えが神さまから来るものなのか、あるいは単に私自身のものなのかがわかります。

18 Those who speak for themselves want glory only for themselves, but a person who seeks to honor the one who sent him speaks truth, not lies.

18 自分たちのために語る者たちは、自分たちだけのの名誉を求めますが、自分を送り出した人の名誉を追い求める者は、嘘ではなく、真実を語ります。

19 Moses gave you the law, but none of you obeys it! In fact, you are trying to kill me.”

19 モーゼはあなた方に律法を与えたのに、あなた方の誰一人としてそれに従いません。実際のところ、あなた方は私を殺そうとしています。」

20 The crowd replied, “You’re demon possessed! Who’s trying to kill you?”

20 群衆は答えました。「あなたには悪魔が取り憑いています。誰があなたを殺そうとしているのですか。」

21 Jesus replied, “I did one miracle on the Sabbath, and you were amazed.

21 イエスは答えて言いました。「私は安息日に一つの奇跡を行いました。そしてあなた方は驚きました。

22 But you work on the Sabbath, too, when you obey Moses’ law of circumcision. (Actually, this tradition of circumcision began with the patriarchs, long before the law of Moses.)

22 しかしあなた方もモーゼの律法の割礼の儀式では、安息日に働きます。(実際のところ、割礼の伝統は、モーゼの律法のずっと前に、族長たちによって始められたのですが。)

23 For if the correct time for circumcising your son falls on the Sabbath, you go ahead and do it so as not to break the law of Moses. So why should you be angry with me for healing a man on the Sabbath?

23 あなたの息子に割礼を施すべき正しい日取りが安息日にあたったとしても、モーゼの律法を破らないように割礼を決行します。それなら私が安息日に人を癒すことで、なぜ私に腹を立てるのですか。

24 Look beneath the surface so you can judge correctly.”

24 正しい裁きを行うためには、うわべだけでなく、その裏側を見ることです。」



[解説]

イエスは兄弟たちに「あなた方は行きなさい。私はこの祭には行きません。私の時はまだ来ていないからです」と言って北部のガリラヤ地方に残りましたが、実はこっそりとエルサレムに向かっています。イエスが人々の前で公然と教え数々の奇跡を行うとイエスに関する噂がイスラエル全土に広がり、一方でユダヤの指導者たちの反感を買うようになりました。イエスにはこれらの指導者たちと早期から対立するという道もありましたが、イエスが「私の時はまだ来ていない」と言っているように神さまによって定められた計画が実行に移される日まではイスラエル中が過度にヒートアップしないよう、イエスはできるだけ静かに事を進める必要があったのだと思います。

12節によるとこの時点で人々はみなイエスのことを噂していたのです。イエスはすでに人々の話題の中心だったのです。ところが13節によるとイエスに好感を抱いている人でもそれを周囲に知られることを恐れていたと書かれています。つまりユダヤの指導者たちが敵視する人を公然と支持することはタブーだったのです。ユダヤ民族は共同体の結束が大変強い民族です。共同体は各地にある会堂(シナゴーグ)に象徴され、ここを支配するのは聖書の教えであり、その中でもモーゼの律法五書の占める位置が大変大きくてユダヤ指導者はこの律法の教師あるいは実践者として大きな影響力を持ち尊敬を集めていました。これらの指導者層と対立するということは会堂から追い出され共同体からも追放され普通の社会生活が営めなくなることを意味しました。生きているのに死んだ者として取り扱われ、葬儀まで出されたなどと言います。ですから当時のイスラエルでイエスへの支持を表明すると言うことは、ユダヤ社会と完全に離別する覚悟を要したのです。

14節、祭りの中盤でイエスは寺院の中で説教を始めます。寺院は祭の中心ですからたくさんの人々が集まります。イエスはその中に立って神の国についての教えを伝え始めたのです。人々はイエスの教えを聞いて驚きました。「この人は教育を受けたことがないのに、どうしてこれほど知っているのだろうか」と。聖書の他の部分にはイエスほどの権威を持って教えた人はいなかったとも書かれています。当時のユダヤ指導者たちの聖書の解釈はどれだけモーゼの律法を忠実に守れるかが議論の中心で、モーゼの律法そのものだけでなく慣習として「こうすることがモーゼの律法を守ったことになる」と言うような解釈や慣例もモーゼの律法と同じくらい重視していました。それが神聖であることの証だったのです。

一方イエスの話はまず律法は神さまがモーゼに託したものであり、そもそも神さまがユダヤの民に律法を与える際にはその裏にどのような意図があったのだろうかという視点から語りました。そこには律法制定者としてのデザイナーの意図が感じられ、人々はどうしてイエスがこれほどの権威を持って語れるのか、どこで学んだのかと不思議がりました。当時の聖書学者は14才程度の年齢からマン・ツー・マンの専門教育課程に入り、40才程度でようやく律法の先生としてデビューができたほどでしたから、30才そこそこのイエスの話が持つ説得力に大変驚いたのです。イエスに言わせれば自分は神さまに遣わされた存在であり、さらに聖書を最初から読んでいくとイエスの時代から1500年も前に律法をモーゼに与えた神さまが実はイエス本人のはずですから律法に通じているのも当然です。その当然のことがどうしてわからないのか、あなた方は聖書を読んでいるのではないのかとイエスは嘆きます。

17節に「誰でも神さまの意志を行いたいと欲する者なら、私の教えが神さまから来るものなのか、あるいは単に私自身のものなのかがわかります」とあります。これはまったくそのとおりだと思います。私自身、一番最初に新訳聖書を読んだとき(これを書いている時点から5年ほど前です)イエスという人物がどのように見えたかと言うと、プライドが高く人を見下して偉そうに知ったかぶりで話す、なんだかいけすかない人物にしか見えませんでした。ですが聖書全体を旧約聖書から読んで学んでいくとイエスがどれほど忠実に旧約聖書の預言を実現した存在かがわかります。私自身は今「神さまの意志を行いたいと欲する者」なのでイエスの言葉がどれほど正しいかがわかるのです。また以前の自分を振り返れば、そうでない人にはイエスの正しさは到底わからないだろうなというのもよくわかるのです。

20節で群衆は「誰があなたを殺そうとしているのですか」とイエスが妄想に取り憑かれているように言いますが、ということはユダヤ指導者によるイエス殺害に関する計画は広く一般の人々には知られていなかったようです。

22節でイエスが言っている「モーゼの律法の割礼の儀式」とは男の子の誕生から八日目に施す男性器の包皮を切除する儀式のことで、律法の中ではGenesis 17:9-14(創世記第17章9〜14節)、Leviticus 12:3(レビ記第12章3節)に定められています。ユダヤ民族の男子は全員がこの儀式を行うことで自分が神さまに選ばれた民族の一員であることを示していました。逆に割礼を施さない男子はユダヤ人とは認められませんでした。イエスの言葉によれば仮に誕生から数えた八日目がちょうど安息日に当たったとしても割礼の儀式だけは特例として行われていたのです。儀式も仕事として解釈されますから律法の解釈では安息日にはしてはいけないことに含まれるはずなのにということです。ユダヤの指導者は自分たちで勝手に律法遵守に関する基準や特例を定めていたのに、イエスの行う病人を癒すなどの活動は安息日違反として厳しく追及したのでした。

24節、イエスは表面だけを見て判断するのではなくその裏にある神さまの意図、意志を読み取りなさいと言います。

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Is Jesus the Messiah?

イエスは救世主か


25 Some of the people who lived in Jerusalem started to ask each other, “Isn’t this the man they are trying to kill?

25 エルサレムに住んでいた人たちの間で、互いに話し始めた人たちがいました。「この人は、彼らが殺そうとしている人ではないだろうか。

26 But here he is, speaking in public, and they say nothing to him. Could our leaders possibly believe that he is the Messiah?

26 ですがこの人はここにいて、公然と語っています。彼らはこの人には何も言いません。指導者たちは、この人が救世主だと信じているということでしょうか。

27 But how could he be? For we know where this man comes from. When the Messiah comes, he will simply appear; no one will know where he comes from.”

27 でもそんなことがあるでしょうか。私たちはこの人がどこから来たのか知っているのです。救世主が来るときには、ただ単純に現れるのであって、救世主がどこから来るのか、知っている者はだれもいないはずです。」

28 While Jesus was teaching in the Temple, he called out, “Yes, you know me, and you know where I come from. But I’m not here on my own. The one who sent me is true, and you don’t know him.

28 イエスが寺院で教えていたとき、大声で言いました。「そうです。あなた方は私を知っておいます。私がどこから来たかも知っています。ですが、私は自分自身でここに来たのではありません。私を遣わした方は真実です。そしてあなた方は、その方を知らないのです。

29 But I know him because I come from him, and he sent me to you.”

29 でも私はその方を知っています。なぜなら、私はその方から来たからです。その方は私をあなた方の元へと遣わしたのです。」

30 Then the leaders tried to arrest him; but no one laid a hand on him, because his time had not yet come.

30 それから指導者たちがイエスを逮捕しようとしましたが、誰もイエスに手をかけた者はいませんでした。それはイエスの時が、まだ来ていなかったからです。

31 Many among the crowds at the Temple believed in him. “After all,” they said, “would you expect the Messiah to do more miraculous signs than this man has done?”

31 寺院にいた群衆の多くはイエスを信じて、いいました。「結局のところ、救世主は、この人がしてきたことよりも、さらに多くの奇跡のしるしを行うだろうか。」

32 When the Pharisees heard that the crowds were whispering such things, they and the leading priests sent Temple guards to arrest Jesus.

32 ファリサイ派の人たちは、群衆がこのようなことをひそひそと話しているのを耳にすると、ファリサイ派と祭司長たちは、寺院の警備役を送ってイエスを逮捕させようとしました。

33 But Jesus told them, “I will be with you only a little longer. Then I will return to the one who sent me.

33 しかしイエスは彼らに言いました。「私はほんのしばらくの間だけ、あなた方と共にいます。それから、私は私を遣わした方の元に戻ります。

34 You will search for me but not find me. And you cannot go where I am going.”

34 あなた方は私を捜すでしょうが、見つかりません。またあなた方は私が行く場所へは来ることができません。」

35 The Jewish leaders were puzzled by this statement. “Where is he planning to go?” they asked. “Is he thinking of leaving the country and going to the Jews in other lands? Maybe he will even teach the Greeks!

35 ユダヤの指導者たちはこの言葉を不思議がり、言いました。「彼はどこへ行こうとしているのだろうか。国を出て、他の土地のユダヤ人のところへ行こうというのだろうか。おそらくギリシヤ人までもを教えるつもりではないだろうか。

36 What does he mean when he says, ‘You will search for me but not find me,’ and ‘You cannot go where I am going’?”

36 『あなた方は私を捜すでしょうが、見つかりません』や、『あなた方は私が行く場所へは来ることができません』とは、どういう意味なのだろうか。」



[解説]

この章を読むと当時イエスがどのように噂されていたかがわかります。イエスは実に様々な呼ばれ方をしています。12節では「a good man(良い人)」「a fraud(詐欺師) 」、20節では「demon possessed(悪魔が取り憑いている)」、26節では「Messiah(救世主)」、40節では「the Prophet(あの預言者)」です。

人々の心は揺れ動いています。使徒や弟子たちのように信仰を固める人もあれば、信じたいのだけれどなかなか信じられない人もいます。そして真っ向から否定する人たち。これは今日私たちが聖書を読んだときに持つ反応とまったく同じです。当時イエスを実際に目の前で見ていた人たちでさえ信じることができなかったのです。中にはイエスの奇跡を目撃している人だっていたのにその人たちも信じることができなかったのです。

同じようなことは旧約聖書にも何度も繰り返し登場します。たとえば「Exodus(出エジプト記)」では200万人規模のユダヤ民族がエジプトでの奴隷状態から脱出します。神さまは「10の厄災」と呼ばれる災いを次々と引き起こして頑固なエジプトの王を疲弊させ、最後にはエジプト人の家の長男をすべて殺してしまいます。エジプトを出たユダヤ人の前では紅海が二つに割れて両側にそそり立つ海水の壁を見上げながら乾いた地面を歩いて渡り、同じようにして追ってきたエジプト軍の上に海水の壁が崩れてエジプト軍は海に飲み込まれて壊滅します。砂漠の荒れ野を歩く民の上に神さまは昼間は雲の柱を作って人々を日差しから守り、夜には火の柱を立てて闇と冷え込みから守ります。さらには渇きを癒すための水を岩からほとばしらせたり、空腹を癒すためのパンを天から降らしたりします。まだまだたくさんあります。

これほどの奇跡の連続を目の当たりにしながら人々は神さまを心の底から信じることができませんでした。自分だったらどうなのだろうと思います。果たして信じただろうかと。当時の人たちはエジプトから脱出したユダヤの民もイエスと同じ時代を生きた人たちも、いつでも自由に読めるような形では聖書を持っていませんでした。果たして聖書抜きで神さまを信じることはできただろうかと思います。ですが逆に言えば私たちの手元にはいま聖書があるのです。聖書を読めば神さまが実在することがわかります。

27節には「救世主が来るときには、ただ単純に現れる」「救世主がどこから来るのか、知っている者はだれもいないはず」と書いてありますがどうやらこれは世間一般で信じられていた事柄のようです。旧約聖書には明確に救世主の出生の地を預言した箇所があります。Micah 5:2(ミカ書第5章2節)です。[NLT]と[新解訳]で引用します。

2 But you, O Bethlehem Ephrathah, are only a small village among all the people of Judah. Yet a ruler of Israel will come from you, one whose origins are from the distant past.

2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。

ミカ書は紀元前700年頃の書とされ、ここにはベツレヘムの町から救世主が出ることが記されています。イエスの母マリアは処女懐胎でイエスを授かりナザレの町で出産を待っていましたが、そのときにローマ帝国から属領に対して住民登録の命令が下り、夫のヨセフとともにヨセフの出身地のベツレヘムまでわざわざ100kmにも及ぶ旅をしています。ヘロデ王はこの預言にしたがってベツレヘム周辺の乳幼児の皆殺しを命じています。ですがミカ書のこの部分を知っていた人もイエスはナザレの出身だから救世主ではないと思っていました。

33節からイエスが話している「私が行く場所」とは神さまのいる天国のことです。イエスは十字架刑の三日後によみがえり、それから40日ほど地上にとどまり、天へ戻ります。そしてその後すぐイエスが約束していたとおりまた旧約聖書でも預言されていたとおり、イエスの代わりの助け主として聖霊(Holy Spirit)がやって来ました。そのときの様子は「Acts 2(使徒の働き第2章)」に書かれています。

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Jesus Promises Living Water

イエスが生きた水を約束する


37 On the last day, the climax of the festival, Jesus stood and shouted to the crowds, “Anyone who is thirsty may come to me!

37 最後の日、祭りが最高潮に達するとき、イエスは立ちあがり、人々に向けて叫びました。「渇いているのなら、誰でも私のもとに来なさい。

38 Anyone who believes in me may come and drink! For the Scriptures declare, ‘Rivers of living water will flow from his heart.’”

38 私を信じる者は、来て飲みなさい。聖書には、"その人の心から生きた水が川となって流れ出る"と書かれています。」

39 (When he said “living water,” he was speaking of the Spirit, who would be given to everyone believing in him. But the Spirit had not yet been given, because Jesus had not yet entered into his glory.)

39 (イエスが"生きた水"と言ったとき、イエスは、イエスを信じる人ひとりひとりに与えられる霊のことを言っていたのでした。ですが霊はまだ与えられませんでした。なぜならイエスがまだ栄光へ入られていなかったからです。)



[解説]

37節、「最後の日、祭りが最高潮に達するとき」とは寺院の広場に何万というたくさんの民衆が集まり、祭りの儀式の流れに沿って静かに座っている局面だと思います。ここでイエスがひとり立ち上がり群衆の注目を浴びる中で叫んだのです。「渇いているのなら、誰でも私のもとに来なさい!」 「渇いている者を生きた水で潤す命を水を与える」の比喩は聖書の中のいくつかの場所で救世主に関連づけて登場します。たとえばIsaiah 44:2-3(イザヤ書第44章2〜3節)です。版は[NLT]と[新解訳]です。

2 The Lord who made you and helps you says: Do not be afraid, O Jacob, my servant, O dear Israel, my chosen one.

2 あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。

3 For I will pour out water to quench your thirst and to irrigate your parched fields. And I will pour out my Spirit on your descendants, and my blessing on your children.

3 わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。

イエスは群衆に向かって「渇いているのなら、私のもとに来なさい」と言うことで「私は聖書に預言された救世主です」と言っているに等しいのです。なぜなら「渇く人に命の水を与える」ことができるのは救世主だけだからです。

39節では、イエスの言う「生きた水」は実は「霊」なのだと解説しています。イエスを信じる人ひとりひとりに与えられる「Holy Spirit(聖霊)」については、この後14章〜16章でさらに詳しくイエスが語ります。



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Division and Unbelief

分裂と不信


40 When the crowds heard him say this, some of them declared, “Surely this man is the Prophet we’ve been expecting.”

40 人々がイエスのこの言葉を聞くと、人々の中には「この方こそが、確かに我々が待ち望んできたあの預言者なのだ」と言う者や、

41 Others said, “He is the Messiah.” Still others said, “But he can’t be! Will the Messiah come from Galilee?

41 一方では「この方は救世主だ」と言う人たちがいました。中には相変わらず「まさかそんなはずはない。救世主がガリラヤから来るだろうか。

42 For the Scriptures clearly state that the Messiah will be born of the royal line of David, in Bethlehem, the village where King David was born.”

42 なぜなら聖書には明確に、救世主はダビデの王家の血統から生まれ、ダビデ王が生まれた村であるベツレヘムの村から出る、と書かれています。」

43 So the crowd was divided about him.

43 そこで群衆はイエスのことについて分裂したのでした。

44 Some even wanted him arrested, but no one laid a hand on him.

44 中にはイエスを逮捕したいと思った者もいたのですが、誰もイエスには手をかけませんでした。

45 When the Temple guards returned without having arrested Jesus, the leading priests and Pharisees demanded, “Why didn’t you bring him in?”

45 寺院の警護役たちがイエスを捕らえずに戻ってくると、祭司長たちとファリサイ派の人たちが言いました。た。「なぜあの人を連れて来なかったのか。」

46 “We have never heard anyone speak like this!” the guards responded.

46 「あのように話す人の話はこれまで聞いたことがありません。」警護役たちが答えました。

47 “Have you been led astray, too?” the Pharisees mocked.

47 「おまえたちも惑わされてしまったのか。」ファリサイ派の人たちがばかにして言いました。

48 “Is there a single one of us rulers or Pharisees who believes in him?

48 「我々指導者やファリサイ派の中で、あの人を信じる者がいるか。

49 This foolish crowd follows him, but they are ignorant of the law. God’s curse is on them!”

49 このばかな群衆があの人に着いていくのだ。群衆は律法を知らない。神の呪いが彼らに降りかかっている。」

50 Then Nicodemus, the leader who had met with Jesus earlier, spoke up.

50 すると以前イエスに会ったことのある指導者のニコデモが言いました。

51 “Is it legal to convict a man before he is given a hearing?” he asked.

51 「審問の機会を与える前に、人について判決を下すのは合法なのか。」とたずねました。

52 They replied, “Are you from Galilee, too? Search the Scriptures and see for yourself -- no prophet ever comes from Galilee!”

52 彼らは答えて言いました。「あなたもガリラヤの出身なのか。聖書を探して、自分で調べてみなさい。ガリラヤから預言者は現れません。」

53 Then the meeting broke up, and everybody went home.

53 集会は解散となり、人々は家へ帰って行きました。



[解説]

40節からはイエスがベツレヘムで生まれたことを知らない人たちが、イエスがガリラヤのナザレに住んでいたヨセフとマリヤの子であったことから「救世主がガリラヤから来るだろうか」と疑問をはさみます。ここで発言している人などは救世主が「ベツレヘムから来る」ということさえ知っていたのでした。

45節、寺院の警護役は寺院周辺の仕事のひとつで旧約聖書に定められてレビ人が務めていました。当時のイスラエルはローマ帝国の支配下にありましたが、ローマ帝国の政策で支配国の治安を良好に維持するために被支配国は一定のレベルの自治権が認められていたのです。当時のイスラエルではサンヘドリンと呼ばれる議会が機能していて70人あまりの議員が国の最高議決機関として宗教上及び政治上の権力を持っていました。ファリサイ派は議会に議員を送り出している政治結社のひとつで、聖書とユダヤ慣習の学者の集団です。一方祭司長たちはサドカイ派という政治結社に所属する人たちで、こちらは祭司、大商人、貴族など富裕層の特権階級です。

この人たちはサンヘドリンの管理下にある寺院警護役を使ってイエスを捕らえてくるようにと命じたのですが、警護役たちはイエスを捕らえずに戻ってきて「あのように話す人の話はこれまで聞いたことがありません」と言い訳をします。当時は法律ばかりか細部にまで及ぶユダヤ慣習も重視されていましたから何かしらの言いがかりでイエスを捕らえることは可能だったはずですが、何万人という群衆の前でイエスを逮捕すれば暴動が発生することが容易に予想できました。だから警護役たちは逮捕をためらったのではないでしょうか。

48節、「我々指導者やファリサイ派の中で、あの人を信じる者がいるか」の質問は、自分たちは絶対に正しい、自分たちこそがユダヤ民族のお手本なのだという自信の表れで、実際にユダヤの律法と慣習をことごとく守っているとされたファリサイ派の人たちは民衆から畏敬の念を持って見られていました。

51節、ここで「審問の機会を与える前に、人について判決を下すのは合法なのか」と声を上げたのが3章で夜陰に紛れてイエスに教えを乞いに来たニコデモです。これは大変勇気ある発言です。指導者層が全会一致でイエスの逮捕と殺害へと動いていこうとする中でひとり異を唱えたのです。「あの人こそが正しい。あの人は神である。救世主である」と言うような自分が殺されてもおかしくない直接的な表現を避け、人に有罪判決を与える前には聴聞の機会を持つべきだとの発言になったのはニコデモ自身が半信半疑だったのか、あるいは計算の上の発言だったのか、それでもこの一言でニコデモには周囲からは疑惑のレッテルが貼られてしまったはずです。ニコデモはイエスの信者としての道を歩み始めるのです。人々の尊敬を集めた国を代表する議員としての権威の座からユダヤ社会から放り出されて絶縁される正反対の立場への道です。あるいはこの章のやりとりからユダヤ社会の崩壊の兆しが読み取れるかも知れません。最高議決機関として君臨してきたサンヘドリンの命令に逆らって手ぶらで帰ってくる寺院の警備兵や、議会の中で異議を唱える発言ができたニコデモの存在。これらは訪れようとしているイスラエルの崩壊の予兆なのかも知れません。

ニコデモに対して他の議員は「聖書を探して、自分で調べてみなさい。ガリラヤから預言者は現れません」と言いますが、聖書にはガリラヤから預言者が出ることを書いた部分があります。Isaiah 9:1-2(イザヤ書第9章1〜2節)です(版は[NLT]と[新解訳])。

1 Nevertheless, that time of darkness and despair will not go on forever. The land of Zebulun and Naphtali will be humbled, but there will be a time in the future when Galilee of the Gentiles, which lies along the road that runs between the Jordan and the sea, will be filled with glory.

1 苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。

2 The people who walk in darkness will see a great light. For those who live in a land of deep darkness, a light will shine.

2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。

これはイザヤ書の著名な一説ですから聖書学者たちが知らなかったというのは考えづらいですが。



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