ヨハネの福音書の目次

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ヨハネの福音書

はじめに
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
第7章
第8章
第9章
第10章
第11章
第12章
第13章
第14章
第15章
第16章
第17章
第18章
第19章
第20章
第21章





ヨハネの福音書:第11章

各章は、英文:[NLT]、和文:[拙訳]、[解説]によって構成されています。

The Raising of Lazarus

ラザロをよみがえらせる


1 A man named Lazarus was sick. He lived in Bethany with his sisters, Mary and Martha.

1 ラザロという人が病気にかかっていましたた。ラザロは、二人の姉妹マリヤとマルタと共にベタニヤに住んでいました。

2 This is the Mary who later poured the expensive perfume on the Lord’s feet and wiped them with her hair. Her brother, Lazarus, was sick.

2 このマリヤは後に主(イエス)の足に高価な香油を注ぎ、自分の髪でそれをぬぐったマリヤです。マリヤの兄弟のラザロが病気だったのです。

3 So the two sisters sent a message to Jesus telling him, “Lord, your dear friend is very sick.”

3 そこで姉妹たちは、イエスのところに伝言を送って伝えました。「主よ、あなたが愛しておられる者が重い病気です。」

4 But when Jesus heard about it he said, “Lazarus’s sickness will not end in death. No, it happened for the glory of God so that the Son of God will receive glory from this.”

4 ところがイエスはこれを聞くと、言いました。「ラザロの病気は死で終わりません。そうではなく、ラザロの病気は、神の子がこのことによって栄光を受けるため、つまり神さまの栄光のために起こったのです。」

5 So although Jesus loved Martha, Mary, and Lazarus,

5 イエスはマルタ、マリヤ、ラザロとを愛していました。

6 he stayed where he was for the next two days.

6 ところがそんなわけで、イエスは、その場所にさらに二日とどまりました。

7 Finally, he said to his disciples, “Let’s go back to Judea.”

7 ついにイエスは弟子たちに言いました。「ユダヤに戻りましょう。」

8 But his disciples objected. “Rabbi,” they said, “only a few days ago the people in Judea were trying to stone you. Are you going there again?”

8 しかし弟子たちは反対して言いました。「先生、ほんの数日前、ユダヤの人たちは、あなたを石打ちにしようとしたのです。またそこにいらっしゃるのですか?」

9 Jesus replied, “There are twelve hours of daylight every day. During the day people can walk safely. They can see because they have the light of this world.

9 イエスは答えて言いました。「毎日昼間は十二時間あります。昼の間は人は安全に歩けます。この世の光があるから見通しがきくのです。

10 But at night there is danger of stumbling because they have no light.”

10 しかし夜には、つまずく危険があります。人に光がないからです。」

11 Then he said, “Our friend Lazarus has fallen asleep, but now I will go and wake him up.”

11 それからイエスは言いました。「私たちの友人ラザロが眠りにつきました。しかしいまから私が行って、ラザロを起こします。」

12 The disciples said, “Lord, if he is sleeping, he will soon get better!”

12 弟子たちは言いました。「主よ、ラザロが眠っているのなら、すぐに回復するでしょう。」

13 They thought Jesus meant Lazarus was simply sleeping, but Jesus meant Lazarus had died.

13 弟子たちはイエスがラザロが単に眠っていると言ったと思いましたが、イエスは、ラザロがすでに死んでいると言ったのです。

14 So he told them plainly, “Lazarus is dead.

14 そこでイエスは弟子たちにはっきりと言いました。「ラザロは死んだのです。

15 And for your sakes, I’m glad I wasn’t there, for now you will really believe. Come, let’s go see him.”

15 あなた方のためには、私がそこにいなくて良かったと思っています。なぜならあなた方は、いま本当に信じることになるからです。来なさい。彼のところへ行きましょう。」

16 Thomas, nicknamed the Twin, said to his fellow disciples, “Let’s go, too -- and die with Jesus.”

16 双子の通称を持つトマスが仲間の弟子たちに言いました。「私たちも行きましょう。イエスと共に死にましょう。」



[解説]

マリヤ、マルタ、ラザロが住んでいたベタニヤの村は、エルサレムの東3kmほどの場所にあります。ベタニヤを抜けてさらに東へ行けばエリコに至ります。

前章でイエスは、エルサレムの寺院で、人々に対して「父と私は一つです」と公言し、石で打たれて殺されそうになったのでした。イエスは「ヨルダンを越えて、ヨハネが初めに洗礼を施していた場所」へ逃れた、とありましたので、イエス一行はエルサレムから東の方へ逃れ、ヨルダン川が死海へ注ぐあたり、エルサレムからは30kmほど離れたペレア地方に滞在していたと思われます。

ベタニヤはエルサレムから、たった3kmしか離れていません。東からベタニヤへ近づけば、少なからず危険があることになります。

3節、イエスを信じていたマリヤとマルタは、ラザロが病気になると、イエスに助けを求めます。イエスが人々の病気を癒す、数々の奇跡を行っていることを知っているからです。

これに対して4節でイエスは、「ラザロの病気は死で終わりません。そうではなく、ラザロの病気は、神の子がこのことによって栄光を受けるため、つまり神さまの栄光のために起こった」と言います。病気や死などに代表される苦難は、究極的には、すべて神の子(イエス)が栄光を受けるため、そしてそのイエスを地上に遣わした神さまが栄光をうけるためにあるのです。


5〜7節、イエスは愛するラザロが病気だと言うのに、速やかに対応せず、わざわざ出発を二日遅らせています。

イエスはそもそも神さまの元から地上にやってきた人間の肉体を持つ神さまです。さらに人間の肉体を持ちながら、神さまを一度もガッカリさせたことがなく、このため神さまと完全につながった状態にあります。ですのでイエスは、神さまの視点で事態を眺めることができ、そこには何の疑いもありません。

つまりイエスは、永遠の時間軸と、全知全能の創造者の視点で、事態を眺めることができるのです。

ですから「ラザロの病気」や「ラザロの死」も、イエスを恐れさせたり、慌てさせるものではなく、この機会を活かして、イエスを信じる人たちに最善の結果がもたらされるように、そしてそれによって栄光が神さまにもたらされるようにと全体を進めていくのです。

これを読んでわかるのは、私たちが「ラザロが死にそうです。助けて下さい」とお祈りをして、泣いて頼んだとしても、神さまが、その人が死なないように手を打つかどうかは、わからない、ということです。死を回避する、というのは限られた人間の視界の中で求められた答に過ぎず、神さまの計画は人間の理解をはるかに超越しているのです。

これを読んでもう一つわかるのは、神さまは「ラザロが死にそうです。助けて下さい」という私たちの必死の願いを聞いている、といことです。ラザロの死に際して、マリヤとマルタは、イエス以外の誰にすがろうとしたわけではありません。ただひとりイエスを信じ、願い、祈ったはずで、信仰から出るその告白は、神さまにはすべて聞き届けられています。

そして神さまは、神さまの計画に沿って、私たちに一番良い結果がもたらされるように、すべてを完璧に動かして下さるのです。私たちに求められているのは、それを信じることです。半信半疑ではなく、当然のこととして、ただし謙虚に感謝して信じることです。

9〜10節、イエスは「昼の間は人は安全に歩けます。この世の光があるから見通しがきく」、「しかし夜には、つまずく危険があります。人に光がないから」と言いますが、この言葉の中で「光」が象徴しているのは、神さまの存在、神さまの恵みと守り、神さまに関する知識です。一方で「夜」が象徴しているのは、神さまや福音のことを知らない、霊的に闇に閉ざされている状態のことだと思います。

15節、イエスが言った「あなた方のためには、私がそこにいなくて良かったと思っています。なぜならあなた方は、いま本当に信じることになるからです」の言葉の意味は、もしイエスが病気のラザロの元にいたとしたら、イエスは人々の前でラザロの病気を癒す、そういう奇跡を行ったかも知れません。が、イエスはこの機会を利用して、ラザロを死から復活させて弟子たちに示そうとしています。

「死からの復活」は、病気の癒しよりも、はるかに強力な奇跡の顕示であるばかりか、イエスを信じる人が、神さまの力は「死を克服する」、その様子を目の当たりにすることは、イエスに関する信仰では、最も重要な意味を持つ事柄のひとつだからです。

イエスは、自分がエルサレムで捕らえられるまでの間に、自分はユダヤ指導者たちに引き渡されて殺されるが、その三日後によみがえると繰り返し伝えていきます。

イエスを信じていた人たちは、イエスの十字架死に際して絶望するのですが、復活したイエスに会うと、イエスが十字架の前に繰り返し何を言っていたかを思い出していくのです。

16節、「私たちも行きましょう。イエスと共に死にましょう」と言ったトマスは、イエスの復活後、ただひとり使徒たちに現れた場所に居合わせず、復活を疑った使徒として有名ですが、ここでは師と行動を共にして、状況が状況なら死さえ厭わない、そういう覚悟を示して見せています。



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17 When Jesus arrived at Bethany, he was told that Lazarus had already been in his grave for four days.

17 イエスがベタニヤに到着すると、ラザロはもう墓に入って四日もたっていると告げられました。

18 Bethany was only a few miles down the road from Jerusalem,

18 ベタニヤはエルサレムから、ほんの数マイル下ったところにありました。

19 and many of the people had come to console Martha and Mary in their loss.

19 大ぜいの人たちが、死を悲しむマルタとマリヤを慰めに来ていました。

20 When Martha got word that Jesus was coming, she went to meet him. But Mary stayed in the house.

20 マルタがイエスが来ると聞かされると、イエスに会うために出て行きました。しかしマリヤは家にとどまりました。

21 Martha said to Jesus, “Lord, if only you had been here, my brother would not have died.

21 マルタはイエスに言いました。「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう。

22 But even now I know that God will give you whatever you ask.”

22 でも私はたった今も、あなたがお求めになることは、何でも神さまがあなたにお与えになると知っています。」

23 Jesus told her, “Your brother will rise again.”

23 イエスはマルタに言いました。「あなたの兄弟は生き返ります。」

24 “Yes,” Martha said, “he will rise when everyone else rises, at the last day.”

24 マルタは言いました。「そのとおりです。最後の日に、他のみなが生き返るとき、ラザロも生き返るのです。」

25 Jesus told her, “I am the resurrection and the life. Anyone who believes in me will live, even after dying.

25 イエスはマルタに言いました。「私がよみがえりなのであり、命なのです。私を信じる者は、たとえ死んだ後でも生きるのです。

26 Everyone who lives in me and believes in me will never ever die. Do you believe this, Martha?”

26 私の中に生きる者、私を信じる者は、決して死ぬことがありません。マルタ、このことを信じますか?」

27 “Yes, Lord,” she told him. “I have always believed you are the Messiah, the Son of God, the one who has come into the world from God.”

27 マルタはイエスに言いました。「はい。主よ。私はいつもあなたが神の子、救い主であると、神さまの元からこの世に来た方であると信じています。」

28 Then she returned to Mary. She called Mary aside from the mourners and told her, “The Teacher is here and wants to see you.”

28 それからマルタはマリヤのところへ帰りました。マルタはマリヤを弔問者たちの横へ呼び出して告げました。「先生がここにいらしています。あなたを呼んでいます。」

29 So Mary immediately went to him.

29 そこでマリヤはすぐにイエスのところへ行きました。

30 Jesus had stayed outside the village, at the place where Martha met him.

30 イエスは村の外、マルタと会った場所にとどまっていました。

31 When the people who were at the house consoling Mary saw her leave so hastily, they assumed she was going to Lazarus’s grave to weep. So they followed her there.

31 家にいてマリヤを慰めていた人々は、マリヤがあわてて出て行くのを見て、マリヤが泣くために墓に行くのだろうと思いました。そこで彼らはマリヤについて行きました。

32 When Mary arrived and saw Jesus, she fell at his feet and said, “Lord, if only you had been here, my brother would not have died.”

32 マリヤが到着してイエスに会うと、イエスの足もとにひれ伏して言いました。「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう。」

33 When Jesus saw her weeping and saw the other people wailing with her, a deep anger welled up within him, and he was deeply troubled.

33 イエスはマリヤが泣くのを見て、また他の人たちもマリヤと共に声をあげて泣くのを見ると、自分の中に深い怒りがこみ上げて来ました。そしてイエスは深く悩みました。



[解説]

イエスを信じ慕う、マリヤとマルタの兄弟ラザロが病であると聞かされたイエスは、すぐには出発せず、滞在していたペレアのあたりに2日の間とどまり、それからマリヤたちの住むベタニヤの町へ出かけたのでした。

17節、到着したイエスは、ラザロが4日前に死んでいたことを知らされます。

18〜19節、ベタニヤはエルサレムの東3kmにある村です。三人を知る人たちが、弔問のためにエルサレムからも多数やって来て、兄弟の死を悲しむマリヤとマルタを慰めていました。

21節、到着したイエスを迎えに出たマルタは、イエスに「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう」と告げます。マルタはイエスが病人を癒す奇跡を見ているので、ラザロが死ぬ前にイエスが到着していたら、イエスがラザロの病気を癒してしまったでしょうに、と言うのです。

23節、イエスはマルタに「あなたの兄弟は生き返ります」と告げます。これを聞いたマルタは、24節で「そのとおりです。最後の日に、他のみなが生き返るとき、ラザロも生き返るのです」と答えました。

これは聖書に書かれているとおりのことで、「最後の日」には、それまでに地球上に存在したすべての人が生き返るとされているので、マルタは、もちろんラザロも(自分も)そのときには生き返る、自分はそれを知っている、信じている、という意味で言ったのです。

するとイエスは、25〜26節で、「私がよみがえりなのであり、命なのです。私を信じる者は、たとえ死んだ後でも生きるのです。私の中に生きる者、私を信じる者は、決して死ぬことがありません。マルタ、このことを信じますか?」と言います。

ここの最初の部分を英語で見ると、「I am the resurrection and the life」となっています。「私がよみがえりを司る」「私が命を管理している」などではなくて、「I am the resurrection」「I am the life」ですから、「私=よみがえり」「私=命」なのです。

これは私たち人間には理解が難しいところですが、どちらにしても、「最後の日」に、すべての人間を生き返らせるのは、「よみがえり」であり「命」である、イエス本人なのです。

少し戻りますが、22節ではマルタが、いみじくも「でも私はたった今も、あなたがお求めになることは、何でも神さまがあなたにお与えになると知っています」と言っています。「よみがえり」であり「命」であるイエスに対し、父なる神さまは、イエスが望むことは何でも与える、と言っているのです。

そういうイエスを前にして、マルタは21節で「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう」と告げていたのでした。

28節から、マルタが今度はマリヤを呼びに行くと、あわててイエスを迎えに出て行くマリヤに、弔問の人たちが多数着いていきます。

32節、イエスに会ったマリヤの言葉は、「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう」と、マルタの言った言葉の繰り返しです。

33節、マリヤの嘆き悲しんでいる様子、マリヤに着いてきた多数の弔問者がやはり嘆き悲しんでいる様子を見たイエスは、「自分の中に深い怒りがこみ上げて来」るのを感じ、「そしてイエスは深く悩」んだのでした。イエスの中には、「怒り」がこみ上げてきたのです。

ラザロの死に際して嘆き悲しむ人々を見て、イエスはどうして怒り、うめき苦しみ、悩んだのでしょうか。



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34 “Where have you put him?” he asked them. They told him, “Lord, come and see.”

34 イエスは人々にたずねました。「ラザロをどこに置きましたか。」人々はイエスに言いました。「主よ、来てご覧ください。」

35 Then Jesus wept.

35 それからイエスは涙を流されました。

36 The people who were standing nearby said, “See how much he loved him!”

36 近くに立っていた人々は言いました。「ご覧なさい。彼がどれほどラザロを愛していたことか。」

37 But some said, “This man healed a blind man. Couldn’t he have kept Lazarus from dying?”

37 しかし中には次のように言う人もいました。「この人は目が不自由な人の目を開いたのです。彼にはラザロを死なせないでおくことはできなかったのでしょうか。」

38 Jesus was still angry as he arrived at the tomb, a cave with a stone rolled across its entrance.

38 墓へ来たときにも、イエスはまだ怒っていました。墓はほら穴で、入り口には岩を転がして塞いでありました。

39 “Roll the stone aside,” Jesus told them. But Martha, the dead man’s sister, protested, “Lord, he has been dead for four days. The smell will be terrible.”

39 イエスは人々に言いました。「岩を横へ転がしなさい。」しかし死んだラザロの姉妹のマルタが反対しました。「主よ。ラザロは死んで四日になります。臭いが酷いはずです。」

40 Jesus responded, “Didn’t I tell you that you would see God’s glory if you believe?”

40 イエスが答えました。「もしあなたが信じるなら、あなたは神さまの栄光を目撃する、と私はあなたに言いませんでしたか。」

41 So they rolled the stone aside. Then Jesus looked up to heaven and said, “Father, thank you for hearing me.

41 そこで人々は岩を横へ転がしました。それからイエスは天を見上げて言いました。「父よ、私の声を聞いてくださってありがとうございます。

42 You always hear me, but I said it out loud for the sake of all these people standing here, so that they will believe you sent me.”

42 あなたはいつも私の声を聞いてくださっています。ですが私は声を大きくして言いました。それはここに立っているこれらの人々皆のため、彼らが、あなたが私をお遣わしになったと信じるように、です。」

43 Then Jesus shouted, “Lazarus, come out!”

43 それからイエスは大声で叫びました。「ラザロよ、出て来なさい。」

44 And the dead man came out, his hands and feet bound in graveclothes, his face wrapped in a headcloth. Jesus told them, “Unwrap him and let him go!”

44 すると死んでいた人が出てきました。両手と両足は長い布で巻かれたままでした。顔は布で包まれていた。イエスは人々に言いました。「布をほどいて、自由にしてあげなさい。」



[解説]

前回まで、イエスを信じ慕う、マリヤとマルタの兄弟ラザロが病であると聞かされたイエスは、すぐには出発せず、滞在していたペレアのあたりに2日の間とどまり、それからマリヤたちの住むベタニヤの町へ出かけました。

イエスが到着したときにはラザロの死から4日が経過していて、マリヤとマルタは、イエスに「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう」と告げます。

イエスは、マリヤとマルタが涙を流して嘆き悲しみ、弔問に訪れた他の人たちも声をあげて泣くのを見ると、自分の中に深い怒りがこみ上げて来るのを感じ、深く悩んだのでした。

34節、イエスはラザロの死体の所在をたずね、続く35節で涙を流します。

ここまでの展開から、イエスの涙は、「怒り」と「悩み」によるものと推測できます。マリヤやマルタや弔問者と同等の「悲しみ」ではなく、この人たちが嘆き悲しみ泣くのを見ているうちに、こみ上げてきた「怒り」と「悩み」で涙を流したのです。

36節、周囲の人々はイエスの涙を見て「彼がどれほどラザロを愛していたことか」と言いますが、これは誤解です。イエスもやはり自分たちと同じように嘆き悲しんでいる、と思っているのです。

イエスはこの後、「ラザロよ、出てきなさい」の言葉ひとつで、ラザロを死から呼び戻してしまいます。それだけの力を持っているイエスが、ラザロの死を嘆き悲しむ理由はありません。

ではイエスは、何に怒り、何に悩んで、涙を流したのでしょうか。

前回、イエスはマルタに「私がよみがえりなのであり、命なのです。私を信じる者は、たとえ死んだ後でも生きるのです」と言い、「私の中に生きる者、私を信じる者は、決して死ぬことがありません。マルタ、このことを信じますか?」とたずねました。マルタは「はい。主よ。私はいつもあなたが神の子、救い主であると、神さまの元からこの世に来た方であると信じています」と答えました。

さらにマルタはこの会話の前に、イエスに「私はたった今も、あなたがお求めになることは、何でも神さまがあなたにお与えになると知っています」とさえ告げています。

マルタは、よみがえりと命のすべてを司るイエスを前にし、イエスが神さまの元から来たと信じる、と告げています。それならばマルタは、どうして嘆き悲しむ必要があったのでしょうか。

イエスはマリヤやマルタの、自分に対する信仰の言葉とは裏腹の行動を見て、怒りを覚えました。また自分が愛する人間が、救世主としての自分を信じようとしながら、信じる気持ちと自分の感情を100%一致させることのできない状況を見て、深く悩んだのでしょう。

そして、そういう人間に対する「怒り」と「哀れみ」と「悲しみ」の感情から、涙を流されたのではないでしょうか。

38節、イエスは墓へ向かいますが、まだ怒っています。

当時の墓は、石灰岩の露出した崖の岩肌を掘って作った洞窟で、中を人が歩き回れるくらいのサイズにくり抜きました。一つの洞窟の中に、複数の死体を並べることもあったようです。通常洞窟の入り口は、緩い坂の下に来るように作られていて、葬儀が終わると、数人で大きな丸い岩を転がしてきて入り口を塞ぎます。

39節で、イエスはこの岩をどかすようにと告げます。マルタは臭いが酷いだろうから、と反対しますが、イエスは譲りません。

41〜42節、岩がどかされると、イエスが神さまにお祈りします。「父よ、私の声を聞いてくださってありがとうございます。あなたはいつも私の声を聞いてくださっています」と言った後で、「ですが私は声を大きくして言いました。それはここに立っているこれらの人々皆のため、彼らが、あなたが私をお遣わしになったと信じるように、です」と言います。

これによるとどうやらイエスは、いつも心で(あるいは人に聞こえないような小さな声で)神さまと会話されているようで、しかもその会話は「always(いつも)」行われているようです。ただし今回だけは、わざわざその会話を大きく声を出して言いました。その理由は、周囲に立っている人たちが神さまがイエスを遣わした、と信じられるように、とのことです。

そして43節、イエスは大きな声でラザロを呼び出します。「ラザロよ、出て来なさい」。

44節、墓から出てくるラザロは埋葬されたときのままの状態です。つまり当時のユダヤ民族の習慣にならい、ミイラのように全身を細い布でぐるぐると巻かれ、頭部にはもう一本、別の布がぐるぐると巻かれたままです。両足は二本まとめて巻かれていたのでしょうから、ラザロは両足を揃えて、ピョンピョンと跳びながら出てきたのではないでしょうか。

4日前に死んで埋葬された男が、「出て来なさい」の言葉で、 細い布でぐるぐる巻きにされたまま、墓の穴からピョンピョンと跳ねて出てきたのです。これを目撃したら、イエスを信じざるを得ないのではないでしょうか。

当時の人たちは、「死者の魂は死後3日目に肉体を離れる」と信じていたそうです。これは聖書に書かれていることではなく、一般的にそう信じられていたということなのですが、そういう意味でもラザロが4日間放置されていた、というのは意味が大きいのです。

イエスはベタニヤへ来るのを2日間遅らせて、わざわざラザロの放置の期間を4日にしたのではないでしょうか。聖書ではこういう場面がたくさん見られるのです。あるとき目の前の状況が悪化して来て、人が神さまに助けを求めると、神さまの答はすぐにはやって来ません。人はいつも待たされるのです。状況はどんどん悪化していき、もうどう考えても取り返しのつかないところへ追い込まれます。その間人は落胆し、疑問を持ち、思いつく手段を何もかも試し、絶望の淵から泣き叫ぶように神さまを求めます。そしてついに神さまの答がもたらされますが、その答えは人が期待していたレベルを完全に超越した形でやって来るのです。

ちなみに死者の身体に巻かれた細い布は、馬小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされたイエスが包まれていた布と同じものです。つまりイエスは、生まれたときから死者を埋葬する布で包まれていたということになります。



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The Plot to Kill Jesus

イエス殺害の企て


45 Many of the people who were with Mary believed in Jesus when they saw this happen.

45 マリヤと共にいたたくさんの人たちは、このことが起こるのを目撃して、イエスを信じました。

46 But some went to the Pharisees and told them what Jesus had done.

46 しかし中には、ファリサイ派の人たちのところへ行って、イエスのしたことを告げた人もいました。

47 Then the leading priests and Pharisees called the high council together. “What are we going to do?” they asked each other. “This man certainly performs many miraculous signs.

47 すると祭司長たちとファリサイ派は最高議会を召集しました。人々は互いに質問し合いました。「我々はどうしたら良いだろうか。この男は確かに多くの奇跡のしるしを行なっている。

48 If we allow him to go on like this, soon everyone will believe in him. Then the Roman army will come and destroy both our Temple and our nation.”

48 我々がこの男をこのまま放っておけば、すぐにすべての人がこの男を信じるようになる。そうなればローマ軍がやって来て、われわれの寺院も国家も破壊するだろう。」

49 Caiaphas, who was high priest at that time, said, “You don’t know what you’re talking about!

49 このとき大祭司を務めていたカヤパが言いました。「あなた方は自分たちが何を言っているか何もわかっていません。

50 You don’t realize that it’s better for you that one man should die for the people than for the whole nation to be destroyed.”

50 あなた方は、国家のすべてが破壊されるより、ひとりの人が民のために死ぬ方が、あなた方に好ましいということが、わかっていません。」

51 He did not say this on his own; as high priest at that time he was led to prophesy that Jesus would die for the entire nation.

51 カヤパはこれを自分の言葉として言ったのではありません。このときの大祭司として、イエスが国民全体のために死のうとしていることを預言するように導かれたのです。

52 And not only for that nation, but to bring together and unite all the children of God scattered around the world.

52 そしてそれはこの国民のためだけでなく、世界に散らされている神の子たちを集めて一つにするためなのです。

53 So from that time on, the Jewish leaders began to plot Jesus’ death.

53 そこでこのときから、ユダヤの指導者たちはイエスを殺すための計画を立て始めました。

54 As a result, Jesus stopped his public ministry among the people and left Jerusalem. He went to a place near the wilderness, to the village of Ephraim, and stayed there with his disciples.

54 結果としてイエスは人々の間での公の活動を中止してエルサレムを離れました。イエスは荒野に近い地方へ行き、エフライムの村へ行き、そこに弟子たちとともにとどまりました。

55 It was now almost time for the Jewish Passover celebration, and many people from all over the country arrived in Jerusalem several days early so they could go through the purification ceremony before Passover began.

55 ユダヤの過越の祭りが間近になりました。過越の祭りが始まる前に、清めの儀式を済ませることができるようにと、何日か前から、国中からたくさんの人々がエルサレムに到着しました。

56 They kept looking for Jesus, but as they stood around in the Temple, they said to each other, “What do you think? He won’t come for Passover, will he?”

56 人々はイエスを捜し続けましたが、寺院の中に立つと互いに言いました。「どう思いますか。あの方は過越の祭りには来ないつもりでしょうか。」

57 Meanwhile, the leading priests and Pharisees had publicly ordered that anyone seeing Jesus must report it immediately so they could arrest him.

57 一方、祭司長とファリサイ派の人たちは、イエスを逮捕できるように、イエスを目撃したら速やかに報告するよう、公に命令を出していました。



[解説]

前回イエスは、四日前に死んでいたラザロを「ラザロよ、出て来なさい」の言葉ひとつでよみがえらせました。

45節では、弔問のためにその現場に居合わせて、一部始終を目撃したたくさんの人々がイエスを信じたとあります。

10章の38節で、イエスは「たとえ私を信じられないとしても、私の行った奇跡のわざの証拠を信じなさい。そうすればあなた方は、父が私の中におられ、私が父の中にいることを知り、理解します」と言いました。

イエスが神さまの子であるかどうか、半信半疑だった人たちも、死者を復活させる奇跡を自分の目で目撃して、結果としてたくさんの人が信じたのだと思います。

しかし46節によると、中にはイエスを信じなかったばかりか、わざわざこの出来事をユダヤの指導者層へ告げ口した人もいたのでした。

47節、「すると祭司長たちとファリサイ派は最高議会を召集しました」とありますが、「祭司長たち」は特権階級を中心に構成されるサドカイ派に所属し、「ファリサイ派」は民衆の支持を集める宗教学者たちで、ともに「サンヘドリン」と呼ばれる70名程度の最高議会の構成員たちでした。

サンヘドリンは、ローマ帝国支配下のイスラエルでの最高議決機関にあたり、現在の日本で言えば、それは国会であり、内閣であり、最高裁判所なのでした。つまり臨時に国会議員が招集され、みなでイエスの問題をどうするべきか、話し合ったのです。

48節によると、最高議会を構成する指導者たちが恐れたのはローマ帝国なのでした。ローマ帝国は征服した属領の支配を行うにあたって、各属領に限定的な自治権を認める政策を採っていました。もしイエスを信じる人がこのまま増え続け、国家規模の騒動に発展すれば、ローマ帝国は属領イスラエルの管理不行き届きとして、軍隊を差し向けて暴力的な制裁を加えてくるかも知れません。指導者層はこれを恐れたのです。

逆に言えば指導者層は、ローマ帝国から与えられた限定的な自由の中での特権を得て、なんとなくうまくやっていたので、それを壊されたくなかったのでしょうし、ローマ帝国が下す判断によっては、イスラエルは放置が危険な国家と判断されて、自治権を剥奪されて、自分たちも含めて国民全体を過酷な状況へ追い込んでしまうかも知れません。

49節、大祭司のカヤパが口を開きます。大祭司はイスラエルにただひとり存在する最高の権力者です。この時点ではイスラエルはローマ帝国の支配を受けていますから、ローマ帝国に次ぐ権力者ということになります。

ちなみにこの時点で、カヤパの前に西暦18年まで大祭司を務めたアンナス(Annas)も生きていて、サンヘドリンに対する大きな発言力を保持していました。アンナスはカヤパの義理の父親です。当時の大祭司の任命は、ローマ政府や属領間の政治的な駆け引きで行われていたようです。イエスの逮捕から十字架刑周辺では、この二人の大祭司と元大祭司が登場します。

大祭司カヤパは50節で、「国家のすべてが破壊されるより、ひとりの人が民のために死ぬ方が、あなた方に好ましい」と言いますが、51節では、このカヤパの言葉が、これからイエスがすべての人間のために犠牲となって十字架に掛かることについての預言になってる、と言います。つまりカヤパは自分が預言をしていることを知らずに、神さまに用いられて話している、と言うのです。

私個人も「預言」と言うのは多かれ少なかれこういうものだと信じています。つまり、自分が話していること、書き留めていることが、実は神さまから預かった言葉で、それが将来起こることについての「予言」となっていることを、話している本人はその時点では知らないのではないか、と思うのです。

「言葉」を操るのは人間だけですが、たとえば母国語を話すときの自分は、これから何を話すかを頭の中で予行練習することはありません。想念が生まれると、自然と言葉となって口から出てきます。ときにはその言葉を自分でコントロールできず、言ってはいけないこと、言うつもりのなかったことまで、言ってしまうことがあります。

「言葉」が「言葉」としての形をとって、どうやって作られて、自分の口やペン先から形になって行くのか、とても不思議です。科学では説明しきれない気がします。

「預言」は、そういう言葉を生み出す不思議なプロセスに、霊的な何かが介在していることを私に考えさせるのです。

聖書では「Word(言葉)」には特別な意味が与えられます。イエスも聖書も「Word(言葉)」と呼ばれ、天地創造や奇跡のわざの手段は神さまの「言葉」なのです。

さて53節、恐ろしいことに、なんと国会でイエスの暗殺計画が立てられ始めます。ですがこれは、たとえばCIAやKGBなどの諜報機関が、国家の利害に悪影響を及ぼす人物を、秘密裏に葬り去ろうと計画する、映画や小説に出てくるそういう場面なのだと思います。



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