ヨハネの福音書の目次

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ヨハネの福音書

はじめに
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
第7章
第8章
第9章
第10章
第11章
第12章
第13章
第14章
第15章
第16章
第17章
第18章
第19章
第20章
第21章





ヨハネの福音書:第3章

各章は、英文:[NLT]、和文:[拙訳]、[解説]によって構成されています。

1 There was a man named Nicodemus, a Jewish religious leader who was a Pharisee.

1 ニコデモという人がいましたた。ユダヤ人の指導者で、ファリサイ派に属していました。

2 After dark one evening, he came to speak with Jesus. “Rabbi,” he said, “we all know that God has sent you to teach us. Your miraculous signs are evidence that God is with you.”

2 ある夜のこと、日が暮れると、ニコデモはイエスのところへ話しに来て言いました。「先生、私たちはみな、神さまがあなたを遣わして、私たちに教えようとしているのだと知っています。あなたが行う奇跡のしるしは、神さまがあなたと共にいる証拠です。」

3 Jesus replied, “I tell you the truth, unless you are born again, you cannot see the Kingdom of God.”

3 イエスが答えて言いました。「あなたに本当のことを言いましょう。人はもう一度生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

4 “What do you mean?” exclaimed Nicodemus. “How can an old man go back into his mother’s womb and be born again?”

4 ニコデモは驚いて言いました。「どういう意味ですか。老人がどうすれば母の子宮に戻り、もう一度生まれることができるのですか。」

5 Jesus replied, “I assure you, no one can enter the Kingdom of God without being born of water and the Spirit.

5 イエスが答えて言いました。「あなたに確かに言います。人は、水と霊によって生まれなければ、誰も神の国に入ることはできません。

6 Humans can reproduce only human life, but the Holy Spirit gives birth to spiritual life.

6 人が産み増やせるのは人の命だけです。ですが聖霊は霊の命を誕生させるのです。

7 So don’t be surprised when I say, ‘You must be born again.’

7 ですから私が、"もう一度生まれなければならない"と言ったからといって、驚いてはいけません。

8 The wind blows wherever it wants. Just as you can hear the wind but can’t tell where it comes from or where it is going, so you can’t explain how people are born of the Spirit.”

8 風は思いのままに吹きます。あなたには風の音が聞こえますが、それがどこから来て、どこへ行くかはわかりません。だからあなたには、人がどのように霊によって生まれるのか、説明することはできません。」

9 “How are these things possible?” Nicodemus asked.

9 ニコデモはたずねました。「どうして、そのようなことがありうるのでしょうか。」

10 Jesus replied, “You are a respected Jewish teacher, and yet you don’t understand these things?

10 イエスは答えて言いました。「あなたは尊敬を集めるユダヤの教師です。それなのに、こういうことがわからないのですか。

11 I assure you, we tell you what we know and have seen, and yet you won’t believe our testimony.

11 あなたに確かに言います。私たちは、知っていること、見たことを話しているのに、あなた方は、私たちの証言を信じようとしません。

12 But if you don’t believe me when I tell you about earthly things, how can you possibly believe if I tell you about heavenly things?

12 わたしが地上のことを話しているのに、あなた方が信じないのなら、私が天のことを話したとして、どうして信じるでしょうか。

13 No one has ever gone to heaven and returned. But the Son of Man has come down from heaven.

13 天に上って戻ってきた者はいません。ですが人の子は天から降りて来たのです。

14 And as Moses lifted up the bronze snake on a pole in the wilderness, so the Son of Man must be lifted up,

14 モーゼが荒野で青銅の蛇を竿の上に掲げたように、人の子もまた掲げられなければなりません。

15 so that everyone who believes in him will have eternal life.

15 それは、人の子を信じる者がみな、永遠の命を持つためです。

16 “For God loved the world so much that he gave his one and only Son, so that everyone who believes in him will not perish but have eternal life.

16 神さまは、本当に世界の人間を愛されたので、ご自身のたったひとりの息子をお与えになりました。それはその子を信じる者がすべて、滅びることなく、永遠の命を持つためです。

17 God sent his Son into the world not to judge the world, but to save the world through him.

17 神さまがご自身の息子を世界に送り出したのは、世を裁くためではなく、その子を通じて世を救うためです。

18 “There is no judgment against anyone who believes in him. But anyone who does not believe in him has already been judged for not believing in God’s one and only Son.

18 その子を信じる者に対する裁きはありません。ですが信じない者は、神さまのたったひとりの息子を信じなかったことで、すでに裁かれています。

19 And the judgment is based on this fact: God’s light came into the world, but people loved the darkness more than the light, for their actions were evil.

19 その裁きは次のような事実に基づくのです。神さまの光が世に来たというのに、人々は光よりも闇を愛しました。その行ないが邪悪だったのです。

20 All who do evil hate the light and refuse to go near it for fear their sins will be exposed.

20 悪を行う者は光を嫌います。自分の罪が明るみに出されることを恐れて、光に近づくことを拒みます。

21 But those who do what is right come to the light so others can see that they are doing what God wants.”

21 しかし正しいことを行なう者は光の方へ来ます。それは、その人たちが神さまの求めることをしているのが、他の人にも見えるようにです。



[解説]

ヨハネの福音書3章です。私には聖書の中で一番ドキドキする章のひとつです。

1〜2節、ある夜暗くなるとニコデモがイエスのもとを訪れます。ニコデモはユダヤ人の指導者でファリサイ派に属していたと書かれています。ニコデモは聖書のほかの箇所にも登場するのですが、ユダヤ政治の最高議決機関(日本で言えば国会・内閣・裁判所を兼ねた機関)である「サンヘドリン」の70人のメンバーのひとり(つまり国会議員みたいなもの)です。前の章でイエスは過越の祭りのためにエルサレムへ登り、寺院の中で商人や両替商を蹴散らしたのでした。恐らくこのときまでにイエスはあちらこちらで「神の国」を説く伝道活動をして人を集め、いくつかの奇跡のしるしを行って見せていたはずです。その「話題の人」「問題の人」「噂の人」イエスのところへ、国会議員のニコデモが訪問するというシーンです。ニコデモは自分がイエスの元を訪問するところを同じファリサイ派の仲間に目撃されることを最も恐れたはずで、であれば危険を避けて代理の者を遣わすこともできたはずですがわざわざ自分が出向きました。どうしても自分の口と耳で確かめたいことだったのでしょう。だから夜陰に紛れたのです。

3節、イエスはいきなり確信を突きます。「あなたに本当のことを言いましょう。人はもう一度生まれなければ、神の国を見ることはできません。」 4節、ニコデモの質問はシンプルでわかりやすいです。「老人がどうすれば母の子宮に戻り、もう一度生まれることができるのですか。」

イエスの説明は続きますがニコデモにはどうしても理解できません。そこで9節、「どうして、そのようなことがありうるのでしょうか。」と同じ質問の繰り返しです。イエスはそれに対して、10節、「あなたは尊敬を集めるユダヤの教師です。それなのに、こういうことがわからないのですか」とたずねました。ニコデモが属する政治派閥のファリサイ派は聖書に書かれた律法とユダヤ慣習の先生の集団です。25年以上にわたり師から一対一でユダヤのすべてを教え込まれてきた人たちです。イエスは聖書に基づいた話をしているというのに聖書の先生であるファリサイ派のニコデモにどうして理解できないのか、とたずねているのです。

イエスの言うもう一度生まれなければ見ることも入ることもできない「神の国」とはいったい何なのでしょう。聖書に基づいてニコデモが理解していたであろう「神の国」とは神さまの支配する国で、いつか地上に再建されることになっていて、そのときには神さまが自分の民を住まわせる場所です。ニコデモは純粋なユダヤ人であり律法と慣習をことごとく守ることを信条に生きているファリサイ派の指導者として、自分は確実に「神さまの民」であり再建される神の国の住人の地位は保証されていると思っていたはずです。しかしイエスの言葉によればそこへ入るためには「もう一度生まれる」必要があり、さらに16節、神さまは「世界の人間を愛された」と言われてますから住民はユダヤ人に限定されないことになってしまいます。ニコデモの頭の中はクエスチョン・マークで一杯だったはずです。

イエスが伝える「神の国」はひとりひとりの人が神さまとの間に取り戻す個人的な関係の中に成立します。それは人の努力によって達成する「悟り」のようなものではなく、すべての人に与えられたイエスという「道」(経路・手段)を通じて人と神さまの間のコミュニケーションを取り戻すことを言います。イエスによれば「神の国」はまず信じる人の心の中に始まり(Luke 17:21/ルカの福音書17章21節)、やがてイエスが再来するときには実際に物理的に実現するのです。

5〜6節、「人が水と霊によって生まれる」とはおそらく肉体的な誕生と霊的な誕生を対比して言っているものと思われます。6節では「聖霊が霊の命を誕生させる」と言っていて、霊的な誕生には「聖霊」が関与することがわかります。聖霊は三位一体のひとつです。三位一体は父なる神、子なるイエス、そして聖霊の三つが一つの神であるという意味です。父なる神さまは「子なるイエス」を通じて最初に天地を創造し、さらに肉体を与えて救世主として地上に立たせました。「聖霊」はイエスが地上に現れる前からいろいろな働きをしていた様子が聖書に書かれていますが、イエスは十字架死を経て三日後に復活し天に戻るときに弟子たちに自分の代わりとなる「助け主」としての聖霊を送ると約束しました。その後すぐに弟子たちの元へ聖霊が訪れますが、この時以来聖霊の役割が明確に「助け主」に変わったように読めます。

14節、「モーゼが荒野で青銅の蛇を竿の上に掲げたように、人の子もまた掲げられなければならない」とは旧約聖書のNumbers 21:8-9(民数記21章8〜9節)に書かれているエピソードに基づきます。その頃ユダヤの民は神さまの怒りを買い砂漠をさまよい歩く羽目に陥っていたのですが、神さまを信じずに不満を言い続けるユダヤの民への懲らしめとしてこのとき神さまは「燃える蛇」(たぶん赤い毒蛇のこと)を送り、噛まれた人は次々と死んでいきます。しかし神さまの指示を受けたモーゼが竿の先に青銅の蛇を掲げ、説明を聞いて素直にその蛇を見た人だけは助かりました。掲げられた青銅の蛇そのものに特別な魔法の力があったわけではなく、神さまは「神さまの言葉を信じる者は生きる」ということを示そうとしたのです。ここではやがてモーゼの蛇のように十字架に掲げられるイエスについて、イエスの十字架死の意味、つまり神さまであるイエスがすべての人の罪を背負って死ぬという説明を聞いて自分の罪を認め、イエスを救世主として仰ぎ見る人だけが生きるということを言っています。

16節は聖書の中で最も有名な聖句として知られています。この句が聖書に書かれたメッセージ、神さまが人間を死から救い出すため自分の子であるイエスを代償として差し出したことを要約していると言えるからです。



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John the Baptist Exalts Jesus

洗礼者ヨハネがイエスを褒め称える


22 Then Jesus and his disciples left Jerusalem and went into the Judean countryside. Jesus spent some time with them there, baptizing people.

22 それからイエスと弟子たちは、エルサレムを離れ、ユダヤの郊外へ行きました。イエスは彼らとともにそこにしばらく滞在して、人々に洗礼を授けていました。

23 At this time John the Baptist was baptizing at Aenon, near Salim, because there was plenty of water there; and people kept coming to him for baptism.

23 この頃、洗礼者ヨハネも、サリムに近いアイノンで洗礼を授けていました。そこには水が多かったからです。人々は引き続き、洗礼を求めてヨハネの元へやって来ました。

24 (This was before John was thrown into prison.)

24 (これはヨハネがまだ投獄される前の話です。)

25 A debate broke out between John’s disciples and a certain Jew over ceremonial cleansing.

25 ヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めの儀式について論議になりました。

26 So John’s disciples came to him and said, “Rabbi, the man you met on the other side of the Jordan River, the one you identified as the Messiah, is also baptizing people. And everybody is going to him instead of coming to us.”

26 ヨハネの弟子たちはヨハネのところに来て言いました。「先生、ヨルダン川の向こう岸であなたが会った人、あなたが救世主だと言った方が、やはり洗礼を授けています。人々は我々のところへ来ないで、あの方のほうへ行きます。」

27 John replied, “No one can receive anything unless God gives it from heaven.

27 ヨハネは答えて言いました。「人は、神さまが天から与えるのでなければ、何も受けとることはできません。

28 You yourselves know how plainly I told you, ‘I am not the Messiah. I am only here to prepare the way for him.’

28 あなたたちは私がどれだけはっきりと言ったか知っています。"私は救世主ではありません。私はここでその方のために道を整えているのです。"

29 It is the bridegroom who marries the bride, and the best man is simply glad to stand with him and hear his vows. Therefore, I am filled with joy at his success.

29 花嫁と結婚するのは花婿です。付き添いの友人は、花婿と共に喜んでそこに立ち、花婿の誓いの言葉を聞くのです。ですから、あの方の成功によって、私も喜びで満たされています。

30 He must become greater and greater, and I must become less and less.

30 あの方はいよいよ偉大となり、私は衰えて行かなければなりません。

31 “He has come from above and is greater than anyone else. We are of the earth, and we speak of earthly things, but he has come from heaven and is greater than anyone else.

31 あの方は上から来られた方で、誰よりも偉大なのです。私たちは地上の者で、地上のことを話します。ですがあの方は天から来られた方で、誰よりも偉大です。

32 He testifies about what he has seen and heard, but how few believe what he tells them!

32 あの方は、ご自身で見たこと、聞いたことを証言されますが、あの方が人々に告げることを信じる者はほとんどいません。

33 Anyone who accepts his testimony can affirm that God is true.

33 あの方の証言を受け入れる者は、神が真実であると断言できるのです。

34 For he is sent by God. He speaks God’s words, for God gives him the Spirit without limit.

34 なぜならあの方は神さまがお遣わしになったからです。あの方は神さまの言葉を話されます。それは神さまがあの方に無限の霊を与えるからです。

35 The Father loves his Son and has put everything into his hands.

35 父はご自身の息子を愛しておられ、すべてのものをその子の手に渡されました。

36 And anyone who believes in God’s Son has eternal life. Anyone who doesn’t obey the Son will never experience eternal life but remains under God’s angry judgment.”

36 その神さまの息子を信じる者は永遠の命を持ちます。その子に聞き従わない者は、永遠の命を得ることはなく、神さまの怒りの裁きの下にとどまるのです。



[解説]

イエスを救世主と指し示した洗礼者ヨハネは引き続きヨルダン川で人々に洗礼を授けていました。23節にある「サリムに近いアイノン」は以前に登場した死海北岸のあたりからはかなり北へ上っています。ガリラヤ湖と死海は直線距離で南北に約100kmほど離れていますが「サリムに近いアイノン」は北のガリラヤ湖から40kmほど下ったあたりです。

24節に「これはヨハネがまだ投獄される前」とありますが、洗礼者ヨハネはやがてヘロデ大王によって投獄され(ヘロデ大王が兄嫁と結婚したことを批判したことで)、斬首されてしまいます(その兄嫁の策略で)。

26節、洗礼者ヨハネの弟子たちが不満の言葉をもらします。自分たちが最初に始めた洗礼であるのにイエス側も同じこと始め、さらに人を多く集めていると言うのです。ヨハネ教団とイエス教団のどちらが信者を多く集めるか、どちらが正当派かのような議論です。ヨハネは再度、自分は救世主ではない、自分救世主への道を指し示すように神さまから命じられたと伝えます。つまりヨハネは引き続きヨルダン川で洗礼を続けながら集まってくる人たちに「悔い改めよ、そのしるしとして洗礼を受けよ、自分の後に来る救世主を迎えよ」と説き続けていたのです。

30節にあるヨハネの言葉、「あの方はいよいよ偉大となり、私は衰えて行かなければなりません」を自分の聖句とされている方がたくさんいます。ヨハネは謙虚に自分のあるべき姿を言ったのです。自分が人を集めるのは最後まで救世主イエスの栄光のためであり、どれほどの人を集めても自分は低く低く見られなければならないのだ、と。

31節からヨハネがイエスについて述べますが、ヨハネはイエスが神さまだと言っています。「あの方は上から来られた方で、誰よりも偉大なのです」「あの方は天から来られた方で、誰よりも偉大です」。そしてイエスを受け入れる人は「神が真実であると断言できる」人だと言います。

34〜35節、さらに神さまはイエスに「無限の霊」を与え、「すべてのものをその子の手に渡されました」とあります。イエスを通じて神さまの霊的な(たとえば肉体を超越した超自然的な)部分が無限に開示されさらにイエスには神さまから「すべて」が託されているのです。

「あなたはイエスが神さまだと信じますか?」を問われたときの答とその答に応じた結末が36節にあります。つまり「その神さまの息子を信じる者は永遠の命を持ちます」、一方「その子に聞き従わない者は、永遠の命を得ることはなく、神さまの怒りの裁きの下にとどまるのです」。つまり信じないものは、永遠の命が得られないばかりか神さまの怒りの裁きを受けるとされていて、これは18節でもイエス本人が次のように言っていました。

18 “There is no judgment against anyone who believes in him. But anyone who does not believe in him has already been judged for not believing in God’s one and only Son.

18 その子を信じる者に対する裁きはありません。ですが信じない者は、神さまのたったひとりの息子を信じなかったことで、すでに裁かれています。

「すでに裁かれています」は英語では「has already been judged」と現在完了形で書かれていて、すでに判決が下っていることを示しています。逆にイエスを信じるものが「永遠の命を持つ」の部分は「has eternal life」と常に現在形です。「will have」「should have」などの未来形ではなく、信じる人がすでに永遠の命を受け取っていることは英語の時制から読み取れます。新約聖書の原語であるギリシア語は時制をきっちりと記述する言語だそうで、これらを英語に置き換えるときには翻訳者は時制を可能な限り一致させるように配慮しています。日本語は時制を曖昧に表記する言葉なのでこのあたりは日本語を読んだだけでは、今のことを言っているのか将来のことを言っているのかはっきりしません。



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