ヨハネの福音書の目次

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ヨハネの福音書

はじめに
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
第7章
第8章
第9章
第10章
第11章
第12章
第13章
第14章
第15章
第16章
第17章
第18章
第19章
第20章
第21章





ヨハネの福音書:第4章

各章は、英文:[NLT]、和文:[拙訳]、[解説]によって構成されています。

Jesus and the Samaritan Woman

イエスとサマリアの女性


1 Jesus knew the Pharisees had heard that he was baptizing and making more disciples than John

1 イエスは、自分がバプテスマを授けていること、またヨハネよりも多くの弟子を作っていることについて、ファリサイ派が聞いたと知りました。

2 (though Jesus himself didn’t baptize them -- his disciples did).

2 (イエスご自身はバプテスマを授けておらず、弟子たちがしていたのですが)

3 So he left Judea and returned to Galilee.

3 そこでイエスはユダヤ地方を後にして、ガリラヤ地方へ戻りました。

4 He had to go through Samaria on the way.

4 その途上、サマリヤを通らなければなりませんでした。

5 Eventually he came to the Samaritan village of Sychar, near the field that Jacob gave to his son Joseph.

5 こうしてイエスはサマリヤのスカルという村に来ました。そこはヤコブが息子のヨセフに与えた地所の近くです。

6 Jacob’s well was there; and Jesus, tired from the long walk, sat wearily beside the well about noontime.

6 そこにはヤコブの井戸がありました。イエスは長く歩いてきて疲れていたので、井戸の近くに疲れて座っていました。正午頃のことです。

7 Soon a Samaritan woman came to draw water, and Jesus said to her, “Please give me a drink.”

7 すぐに、一人のサマリヤ人の女性が水をくみに来ました。イエスは女性に言いました。「私に水をください。」

8 He was alone at the time because his disciples had gone into the village to buy some food.

8 このときイエスは一人でした。弟子たちは村の中へ食物を買いに行っていたのです。

9 The woman was surprised, for Jews refuse to have anything to do with Samaritans. She said to Jesus, “You are a Jew, and I am a Samaritan woman. Why are you asking me for a drink?”

9 女性は驚きました。ユダヤ人はどんなことについてもサマリヤ人との関わりを拒絶するからです。女性はイエスに言いました。「あなたはユダヤ人で、私はサマリヤの女です。どうして私に飲み水をお求めになるのですか。」

10 Jesus replied, “If you only knew the gift God has for you and who you are speaking to, you would ask me, and I would give you living water.”

10 イエスは答えて言いました。「もしあなたが神さまがあなたのために用意している贈り物のことを知っていたら。またあなたが誰に話しかけているかを知っていたら。きっとあなたは私に求め、私はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」

11 “But sir, you don’t have a rope or a bucket,” she said, “and this well is very deep. Where would you get this living water?

11 女性は言いました。「ですが先生。あなたはロープも手おけも持っていません。この井戸はとても深いのです。どこからその生ける水を手に入れるのですか。

12 And besides, do you think you’re greater than our ancestor Jacob, who gave us this well? How can you offer better water than he and his sons and his animals enjoyed?”

12 その上あなたは、私たちにこの井戸をくださった祖先のヤコブよりも偉いと言うのですか。ヤコブとその息子たちと家畜が飲んだ、この井戸の水よりも優れた水を与えられるのですか。」

13 Jesus replied, “Anyone who drinks this water will soon become thirsty again.

13 イエスは答えて言いました。「この水を飲む者は、誰でもすぐにまた渇きます。

14 But those who drink the water I give will never be thirsty again. It becomes a fresh, bubbling spring within them, giving them eternal life.”

14 しかし私が与える水を飲む者は決して再び渇くことがありません。その水はその人の中で新鮮に湧き出る泉となり、その人たちに永遠の命を与えるのです。」

15 “Please, sir,” the woman said, “give me this water! Then I’ll never be thirsty again, and I won’t have to come here to get water.”

15 女性は言いました。「先生。私のその水をください。私が再び渇くことがなく、ここまで水をくみに来なくてもいいように。」



[解説]

伝道活動の初期にもかかわらずイエスに対する嫌悪と弾圧がすでに始まっているようです。当時のイスラエルで政治的にも宗教的にも大きな影響力を持つファリサイ派はこれからイエスと真っ向から対立していきます。洗礼者ヨハネに引き続きイエスが周囲に人々を集め、またヨハネの教えもイエスの教えもファリサイ派が日頃から教えていることと食い違う部分が多く、ファリサイ派の主張する立場は二人の教えの中で否定されていますからファリサイ派としてはなんとかつぶしてやろうと考えているわけです。

ですが周囲に集まる人々はイエスの行う数々の奇跡を自分の目で見て、教えの内容もいままでに聞いたことのないスタイルで説得力があり、聖書の根幹にふれる内容だったのでイエスのすべてが神さまの権威を感じさせたのです。人々はイエスが到来の預言されてきた救世主であるか、少なくとも預言者であることは疑わず熱狂的に支持しましたのでファリサイ派としても安易に手が出せないのでした。イエスには地上に来た理由や使命がありましたからこの時点ではファリサイ派との衝突を避けて一度ガリラヤ地方に戻ることにしたのだと思います。

エルサレムからヨルダン川の西側をまっすぐ北上すればガリラヤ地方へ戻れます。直線距離で100kmほどです。ですが4節にわざわざ「その途上、サマリヤを通らなければなりませんでした」と書かれているのは、当時のユダヤ人がエルサレムのあるユダヤ地方と北部のガリラヤ地方の間にあるサマリア地方には足を踏み入れたくなかったからです。イスラエルの歴史上、ひとつだった王国があるとき南北の二つの王朝に分かれたのですが、北朝のイスラエルの首都がサマリアでした(サマリアは地方名であると同時にサマリアという町もあります)。北朝はやがてアッシリア帝国に滅ぼされてしまいますがアッシリアはこのとき上流階級、中流階級のユダヤ人を国外へ連れ去り、代わりに外国人を植民しました。この結果サマリア地方は下流層のユダヤ人と異国人の混血種のユダヤ人の土地となりました。純血を尊ぶユダヤ人はサマリア人を忌み嫌い、サマリア人の土地を通ってサマリア人と接触すれば自分が宗教的に汚れてしまうと考えました。このため北部へ旅をするときにはわざわざヨルダン川を東側に渡って北上するなどの迂回をしていたのです。

ですがイエスはそのままズンズン北上してサマリア地方に踏み込み、スカルという村に来ました。スカルはエルサレムから40kmほど北方でゲリジム山のふもとにある町です。ゲリジム山はサマリア人がエルサレムの代わりに作った礼拝の場所です。ヤコブの井戸はユダヤ民族の始祖アブラハムの孫にあたるヤコブが持っていた土地に作った井戸で、わき水の出る井戸ではなく周囲の雨水や夜露を貯めるように作られたタイプだそうです。これらの井戸は通常は町の外側の主要な道路の近くに作られ、朝と夕の二回井戸から水をくむのが女性の仕事でした。6節によるとイエスが疲れて井戸のところへ座っていたのは正午頃とありますから、7節で現れた女性が水をくみに来るにはおかしな時間です。その理由は後にわかります。

イエスが「私に水をください」と頼むと女性は驚きます。ユダヤ人はサマリア人との接触を避けるのが常なのに、イエスはサマリア人のくんだ水が飲みたいと言ったからです。民族として嫌われている混血種のサマリア人の女性からユダヤ人が公衆の面前で水をわけてもらうというのはあり得ない話なのでした。イエスは女性に「生ける水(living water)」の話をします。聖書の中には「神に対する渇き」「神への渇望」が「のどの渇き」として描かれている部分がいくつかあります。一方で神さまは「泉」「生ける水の泉」と描かれる部分がありイエスはこれらに関連づけて話をしていたと思われます。人の心の渇きを真に癒すことができるのは救世主だけです。こうしてイエスは生ける水を与えられる自分は救世主だと主張しているのです。

15節で女性は「私のその水をください」と言いますが、その理由は「私が再び渇くことがなくここまで水をくみに来なくてもいいように」でした。女性は毎日井戸まで水をくみに来るのがいやだったのです。



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16 “Go and get your husband,” Jesus told her.

16 「行ってあなたの夫を連れて来なさい。」イエスは女性に言いました。

17 “I don’t have a husband,” the woman replied. Jesus said, “You’re right! You don’t have a husband --

17 女性は答えて言いました。「私には夫はありません。」イエスは言いました。「そのとおりです。あなたには夫がいません。

18 for you have had five husbands, and you aren’t even married to the man you’re living with now. You certainly spoke the truth!”

18 あなたには夫が五人いました。今あなたが一緒に住んでいる人とは、結婚さえしていませんね。あなたが言ったことは本当です。」

19 “Sir,” the woman said, “you must be a prophet.

19 女性は言いました。「先生。あなたはきっと預言者なのですね。

20 So tell me, why is it that you Jews insist that Jerusalem is the only place of worship, while we Samaritans claim it is here at Mount Gerizim, where our ancestors worshiped?”

20 それならば教えてください。あなた方ユダヤ人は、エルサレムが唯一の礼拝の場所だと言いますが、私たちサマリア人は、私たちの父祖たちが礼拝した、このゲリジム山だ、と言うのはなぜなのでしょう。」

21 Jesus replied, “Believe me, dear woman, the time is coming when it will no longer matter whether you worship the Father on this mountain or in Jerusalem.

21 イエスは答えました。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのが、この山でも、エルサレムでも、もはやまったく関係ない、やがてそういう時が来ます。

22 You Samaritans know very little about the one you worship, while we Jews know all about him, for salvation comes through the Jews.

22 あなた方サマリヤ人は、自分の礼拝している相手のことをほとんど知りません。私たちユダヤ人はその方についてすべてを知っています。なぜなら救いはユダヤ人から来るからです。

23 But the time is coming -- indeed it’s here now -- when true worshipers will worship the Father in spirit and in truth. The Father is looking for those who will worship him that way.

23 しかし時は来ます。実は今がその時なのです。真の礼拝者たちが霊と真実によって父を礼拝する時です。父はそうやって礼拝する人を求めておられるのです。

24 For God is Spirit, so those who worship him must worship in spirit and in truth.”

24 神は霊です。だから神さまを礼拝する者は、霊と真実によって礼拝しなければなりません。」

25 The woman said, “I know the Messiah is coming -- the one who is called Christ. When he comes, he will explain everything to us.”

25 女性は言いました。「私は、キリストと呼ばれる救世主が来ることは知っています。その方が来られるとき、すべてを私たちに教えてくださるでしょう。」

26 Then Jesus told her, “I Am the Messiah!”

26 イエスは女性に言いました。「私がその救世主です。」



[解説]

イエスはすぐに話題を変えて16節で「行ってあなたの夫を連れて来なさい」と、女性にとっていやな質問をします。核心を突かれた女性は「私には夫はありません」と答えますが、女性には夫がないばかりか5回の離婚を繰り返し、いまは結婚していない男性と同居しているのでした。これがこの女性が井戸へ来たがらなかった理由です。朝夕の水くみの時間は井戸の周辺は町の女性たちでにぎわい、さまざまなうわさ話で持ちきりだったはずで、この女性はそんな女性たちの格好のターゲットだったのでしょう。だから女性はわざわざ朝夕の時間を避けて正午頃に水をくみに井戸へ来たのでした。

女性はイエスが自分の過去や私生活をすべて知っていることに驚きイエスが預言者だと思います。自分のすべてがお見通しなのならと言うことで、20節「それならば教えてください」と自分の都合の悪い話はやめて別の話題へ移ろうとします。女性は自分の過去や私生活について罪悪感を感じ、後ろめたい気持ちがあったのでそのままイエスと話を続けることができなかったのです。女性は人々がいつも口にする差し障りのない宗教上の話を始めます。「礼拝の場所はエルサレムであるべきか、ゲリジム山であるべきか」と。イエスは女性が張り巡らす煙幕に気づいたでしょうが、こちらの質問に体する答もまた女性には衝撃的な内容なのでした。「礼拝するのがこの山でも、エルサレムでも、もはやまったく関係ない、やがてそういう時が来ます」。サマリア人を蔑み忌み嫌うユダヤ人なら強硬にエルサレムを主張しそうなものをイエスはそれは関係ないと言うのです。その理由は24節にあります。「神は霊です。だから神さまを礼拝する者は、霊と真実によって礼拝しなければなりません」。神は肉体や骨を持つ存在ではなく霊体なので空間の拘束は受けません。この神の遍在の属性は英語で「ominipresence」と言い「どこにでも存在する」という意味です。だから問題なのはどこで礼拝するかではなくて、どのように礼拝するかです。イエスは「霊と真実によって礼拝せよ」と言っています。

22節、イエスは「救いはユダヤ人から来るからです」と言っています。聖書によるとユダヤ人は神さまに選ばれた民で神さまはユダヤ人を通じて世界を祝福すると約束しました。ユダヤ人は神さまの祝福を世に運ぶために選ばれた器なのです。しかしユダヤ人は神さまの恵みを心にとめず、感謝の気持ちを忘れて神さまの目に正しく映る道から外れていきます。歴史上現れた数々の預言者は「そんなことをしていると神さまの祝福は異民族へ言ってしまうぞ」と警告しましたが、結局そうなっているというのがいまの世の中です。しかし聖書によればユダヤ人は最後にもう一度呼び戻されることになっています。

イエスの言葉に何かを感じた女性は25節、「私は、キリストと呼ばれる救世主が来ることは知っています」と話題を再度変えます。これに対してイエスの答は「私がその救世主です」でした。



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27 Just then his disciples came back. They were shocked to find him talking to a woman, but none of them had the nerve to ask, “What do you want with her?” or “Why are you talking to her?”

27 ちょうどそのとき弟子たちが戻ってきました。弟子たちはイエスが女性と話しているのを見て大変驚きましたが、だれもイエスに「この女性に何を求めているのか」であるとか、「なぜこの女性と話しているのか」と、たずねる勇気はありませんでした。

28 The woman left her water jar beside the well and ran back to the village, telling everyone,

28 女性は自分の水がめを井戸の脇に置き、走って村へ戻り、人々に言いました。

29 “Come and see a man who told me everything I ever did! Could he possibly be the Messiah?”

29 「来て、見てください。私のしてきたことを全部私に言った人がいます。この方が救世主なのでしょうか。」

30 So the people came streaming from the village to see him.

30 すると人々は、イエスを見に、村からとぎれることなく出て来ました。

31 Meanwhile, the disciples were urging Jesus, “Rabbi, eat something.”

31 そのころ弟子たちはイエスにお願いをしていました。「先生、何か食べてください。」

32 But Jesus replied, “I have a kind of food you know nothing about.”

32 しかしイエスは答えました。「私には、あなたがたのまったく知らない食物があるのです。」

33 “Did someone bring him food while we were gone?” the disciples asked each other.

33 「我々がいない間に、誰かが食べ物を持って来たのだろうか。」 弟子たちは互いに言いました。

34 Then Jesus explained: “My nourishment comes from doing the will of God, who sent me, and from finishing his work.

34 するとイエスが説明して言いました。「わたしの栄養は、私を遣わした神さまの意志を行なうことと、その神さまの仕事を成し遂げることで、得られるのです。

35 You know the saying, ‘Four months between planting and harvest.’ But I say, wake up and look around. The fields are already ripe for harvest.

35 あなた方は『蒔いてから刈り入れまで四か月かかる』と言う、言い習わしを知っていますね。ですが、私に言わせれば、目を覚ましてまわりを見なさい。畑は実り、刈り入れの準備は整っています。

36 The harvesters are paid good wages, and the fruit they harvest is people brought to eternal life. What joy awaits both the planter and the harvester alike!

36 刈り入れる者は良い報酬を受けます。彼らが刈り入れる果実は、永遠の命へと導かれる人々です。蒔く者と刈り取る者、どちらにも大きな喜びが待っています。

37 You know the saying, ‘One plants and another harvests.’ And it’s true.

37 あなた方は『ある者が蒔き、他のもう一人が刈り入れる』と言う、言い習わしを知っています。それは本当です。

38 I sent you to harvest where you didn’t plant; others had already done the work, and now you will get to gather the harvest.”

38 私はあなた方を、あなた方が自分で蒔かなかった場所へ、刈り取りに遣わしました。他の人たちがすでに仕事をしたので、あなた方はいま収穫を集めることができるのです。」



Many Samaritans Believe

多くのサマリヤ人が信じる


39 Many Samaritans from the village believed in Jesus because the woman had said, “He told me everything I ever did!”

39 その村のサマリヤ人の多くがイエスを信じました。それは女性が「あの方が、私のしてきたことを全部私に言った」と言ったからです。

40 When they came out to see him, they begged him to stay in their village. So he stayed for two days,

40 人々はイエスに会いに出てくると、村に滞在するように願いました。そこでイエスは二日間そこに滞在しました。

41 long enough for many more to hear his message and believe.

41 この間に、さらに多くの人々がイエスの話を聞いて信じました。

42 Then they said to the woman, “Now we believe, not just because of what you told us, but because we have heard him ourselves. Now we know that he is indeed the Savior of the world.”

42 そして彼らは女性に言いました。「私たちは、あなたが話したことによってではなく、今は自分たちで聞いたことで信じます。私たちは、この方が真にこの世の救世主だと知っています。」



[解説]

イエスがサマリヤの女性に「私が救世主です」と告げたところへ弟子たちが戻ってきました。弟子たちは師のイエスが不浄なサマリヤ人の女性と話をしているのを見てショックを受けますが問いただすことができません。女性は村へ走っていき村の人々にイエスのことを伝えます。詮索されたくない過去を持ち人目を避けて真昼に井戸へ水をくみに行っていた女性であったのに、自分の耳にしたことを人に告げずにはいられなかったのでしょう。村人たちも「あの噂の女性」が言うことだからこそ必要以上の興味をかき立てられたに違いありません。こうして村人たちは女性を介在して効果的にイエスに引き合わされることになりました。これがこの女性のために神さまが用意した計画だったのかも知れません。

その頃弟子たちはイエスに何かを食べるようにとすすめますがイエスはすぐに食べようとしません。これは恐らく食べ物ばかりに執着する弟子たちに対して食べ物を追い求めることよりも大切なことがあると教えようとしているのだと思います。Matthew 4(マタイの福音書4章)でイエスが悪魔の誘惑を受けたときに、旧約聖書のDeuteronomy 8:3(申命記8章3節)から引用した「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」の言葉は、40年間砂漠を放浪させられた後のユダヤの民にモーゼが神さまの言葉として伝えたものです。荒野を歩き続けたユダヤ人が空腹や渇きを訴えると神さまはマナと呼ばれるパンと岩からほとばしる水を与えましたが、ユダヤ人たちはそのときこそ感謝したもののやがて来る日も来る日も同じマナを食べることに飽き飽きしてすぐに不満を言い始めます。Matthew 6:31-33(マタイの福音書6章31〜33)のあたりに書かれていますが、何を食べるか、何を飲むか、何を着るかなどと心配するのはやめなさい、それを必要としていることは神さまが最初から知っている、だから神の国とその義を第一に求めなさい、そうすればそれに加えてこれらのものはすべて与えられる・・・。つまり神さまとの関係を良好に保つことをいつも心がけ神さまとの関係を第一に求めるようにすれば、食べ物や着るものは心配しなくてもこの世を支配する神さまが与えてくれるのですよという意味です。それなのにあなた方は神さまを忘れ与えられているものに感謝もせず常に不満や不安を口にして生きているのではないですかと言うのです。

これに続いてイエスが弟子たちに伝えているのは神の国を追い求める人のすること、「神さまの意志を行なうことと、その神さまの仕事を成し遂げること」の具体例です。それは「人を刈り入れなさい」と言い換えられています。世の中には神さまを必要としている人がたくさんいる、だからその人たちに福音を伝えて人々を神さまに導くことをしなさいというのです。刈り入れがすぐにできるようにすでに人々の心は十分に整えられている、人々の心を整える人にも最終的に神さまに導く人にも同じように報酬が用意されると言います。

39節、この村の人々は悪い評判の立てられていた女性の話を聞いてイエスを信じたのでした。この女性は5回の離婚を繰り返していまは男性と同居していると書いてありましたが、その過去については村の人たちはみんな知っていたのです。だからこそ女性が「私のしてきたことを全部私に言った」と言ったときイエスが超自然的なことを行ったと誰にもわかったのでしょう。女性は自分の過去さえ他の人々に神さまのことを伝え人々を神さまに導くことに役立つ、そのことに感謝して喜びさえ覚えたかも知れません。



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Jesus Heals an Official’s Son

イエスが役人の息子を癒す


43 At the end of the two days, Jesus went on to Galilee.

43 二日の後、イエスガリラヤへ行きました。

44 He himself had said that a prophet is not honored in his own hometown.

44 かつてイエス自身が、預言者は自分の故郷では尊ばれない、と言っていました。

45 Yet the Galileans welcomed him, for they had been in Jerusalem at the Passover celebration and had seen everything he did there.

45 しかしガリラヤの人たちはイエスを歓迎しました。それは彼らも過越の祭りのときにエルサレムにいて、イエスがそこで行ったことをすべて目撃していたからです。

46 As he traveled through Galilee, he came to Cana, where he had turned the water into wine. There was a government official in nearby Capernaum whose son was very sick.

46 イエスがガリラヤを旅していく途中、カナの町に来ました。そこはイエスが以前、水をぶどう酒に変えた場所です。近くのカペナウムの町に、病気の息子がいる政府の役人がいました。

47 When he heard that Jesus had come from Judea to Galilee, he went and begged Jesus to come to Capernaum to heal his son, who was about to die.

47 この人がイエスがユダヤからガリラヤに来たと聞くと、イエスのところへ行き、カペナウムに来て自分の息子を癒してくれるようにと頼みました。息子は死にかけていたのです。

48 Jesus asked, “Will you never believe in me unless you see miraculous signs and wonders?”

48 イエスはたずねました。「あなたは奇跡のしるしと不思議を見なければ、決して私を信じないのだろうか。」

49 The official pleaded, “Lord, please come now before my little boy dies.”

49 役人は嘆願しました。「主よ。どうか私の子どもが死ぬ前に、いま来てください。」

50 Then Jesus told him, “Go back home. Your son will live!” And the man believed what Jesus said and started home.

50 イエスは役人に言いました。「家に戻りなさい。あなたの息子は生きますから。」その役人はイエスが言ったことを信じて、家に向かいました。

51 While the man was on his way, some of his servants met him with the news that his son was alive and well.

51 役人が帰って行く途中で、召し使いの何人かが、彼の息子が生きていて元気であるとの知らせを持って来ました。

52 He asked them when the boy had begun to get better, and they replied, “Yesterday afternoon at one o’clock his fever suddenly disappeared!”

52 役人は召使いたちに子供の体調が良くなり始めた時刻をたずねました。彼らは「昨日の午後、一時に突然熱が引きました」と答えました。

53 Then the father realized that that was the very time Jesus had told him, “Your son will live.” And he and his entire household believed in Jesus.

53 父親は、それがイエスが「あなたの息子は生きます」と言った、まさにその時刻だと知りました。そして彼自身と彼の家の者がみなイエスを信じました。

54 This was the second miraculous sign Jesus did in Galilee after coming from Judea.

54 これはイエスがユダヤ地方から来て、ガリラヤ地方で行った第二の奇跡のしるしです。



[解説]

エルサレムからサマリヤを抜けて旅をしてきたイエスが目的地のガリラヤに着きます。到着したのは以前イエスが結婚式で水をぶどう酒に変えたカナの村です。ガリラヤ地方ではイエスの行う奇跡のしるしの噂が広まっていたらしく、近くのカペナウムの町(30km以上の距離)から役人がやって来ました。この役人はおそらくヘロデ大王の王室の役人です。この人はわざわざ30km以上の道のりを歩いてカナまで来たのです。それには理由がありました。自分の息子が死にかけていたのでわらにもすがる思いでイエスに助けを乞いに来たのです。死にかけている自分の息子が助かるのならばどんなものにもすがりたい気持ちだったのでしょう。

イエスは役人にいきなり「あなたは奇跡のしるしと不思議を見なければ、決して私を信じないのだろうか」と問いかけます。これはこの役人へ挑戦です。「信じる」のが先か「奇跡を見る」のが先か、あなたはどちらかと言う問いかけです。これに対して役人の回答は「主よ」から始まります。自分はヘロデ王室の役人の立場であり、権威を振りかざすこともできるのに誰ともわからぬ一介のユダヤ人を「主」と呼んでいます。しかし役人は、何が何でもイエスに息子を看て欲しいのでイエスの問いかけの意味も解せず「どうか私の子どもが死ぬ前に、いま来てください」と必死の懇願です。

これに対してイエスは「家に戻りなさい。あなたの息子は生きますから。」と言います。30kmの道のりを歩いて来たと言うのに自分は一緒に行かない、自分の「あなたの息子は生きる」という言葉を信じてすぐに家へ帰れと言うのです。これは死にかけた息子を持つ父親にはショックだったでしょう。しかし役人はイエスの言葉を信じて家路につきました。どんな心境だったでしょうか。強い信仰に支えられていたのでしょうか。あるいは「信じたい。信じなければ」と思い次の瞬間には「なぜ引きずってもいいからイエスを連れてこなかったのか」と後悔したり、グラグラの葛藤を持って歩いていたのでしょうか。しかし家に向かうその途上で息子が回復したとの報告を持ってカペナウムから追いかけてきた使用人たちに会うのです。しかも息子が回復を始めた時間はイエスが「あなたの息子は生きる」と言った時間と一致します。役人はここで証拠の奇跡を自分の目で見ることよりも、言葉を信じて言われたとおりに家に帰るという行動に移した、その行動が自分の息子を救ったと知ります。

「信仰」は「当たり前のように信じる」ということです。地球が自転を続け明日の朝も東から太陽が昇ることを疑う人はひとりもいません。だれもがそれを当たり前の前提にして明日の計画を立てています。それと同じレベルで神さまを信じること、行動に移すこと、それが信仰です。たとえば少し前に書きましたが「神の国とその義を第一に求めれば、それに加えて必要なものはすべて与えられる」。これは聖書のメッセージそのものです。これを明日の朝東から太陽が昇るのと同じレベルで信じられるか、これがイエスから人間への挑戦です。そして信じるものは命を得て信じないものはすべてを失う、それが聖書に書かれたメッセージなのです。



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