杉並「住基ネット裁判」報告(10)杉並区控訴 2006年4月6日
1.杉並区、控訴を発表
杉並区は2006年4月6日、住基ネット受信義務確認等請求事件につき国・東京都を被控訴人として控訴したことを発表しました。
控訴にあたり杉並区は、区のサイトに「健全なIT社会を築くために住基ネット訴訟を継続します」を発表しました。
また控訴についての報道資料(pdfファイル)も掲載しています。
今後は控訴理由書を作成し、5月下旬を目途に東京高裁に提出する予定とされています。
さらに4月21日には区の広報(pdfファイル)の12面で、住基ネット訴訟の継続について報じています。
報道資料によれば、杉並区は東京地裁判決に対して以下の3点を控訴の理由としています。
- (1)判決は、一面的な文理解釈にとどまり、住基法全体を目的論的に解釈しようとする姿勢に欠けている。
判決は、送信義務だけを絶対化して判断しているが、住基法は自治事務である住基事務を所管する基礎的自治体の長に、適切に管理する措置を講じることをあわせて求めるなどしており、一面的な文理解釈に陥っている。 - (2)判決は、IT社会のもたらす光と影について無理解であり、訴訟の社会的背景を認識していない。
判決は、情報漏えいや名寄せなどによる重大、かつ回復不可能なプライバシー侵害の危険性などを正面から見据えることを避けており、法適用の妥当性に疑問を生じさせている。 - (3)判決は、自治・分権の時代といわれる社会の変化を理解せず、司法の果たすべき現代的役割を放棄している。
行政主体間の争いは、司法判断の対象外、とする今回の判決は、基礎的自治体が主体的・能動的に紛争を解決しようとする手立てを奪うものであり、容認できない。
この評価は、おおむね私達も同感です。しかし、(1)で述べているような「一面的な文理解釈」すなわち条文をそれを取り巻く状況や法律から切り離して、単純にあてはめただけの判決になった原因として、この報道資料は「IT社会において住基ネットの持つ意味」を裁判官が理解していないからだ、と分析しています。
判決にこの理解が欠落しているのは事実ですが、しかし原因は理解不足というより、「横浜市との平等の扱い」を強調した杉並区の主張が「あいつの悪事は見過ごされているのだから俺のも見過ごせ」と言っているように裁判官に受けとられ、そのために「法律の条文はこうだ」という判決を招いたのではないでしょうか。控訴するのであれば、真っ向から住基ネットの問題を指摘し「自治体の責任と権限において、これでは全員参加はできない」と堂々と訴えなければ、展望は開けないでしょう。
杉並区もそう考えたのか、サイトでは「横浜市との平等な取り扱い」という主張は、あまり強調していません。裁判の目的は「住基ネットへの参加・不参加を、当面、区民の希望を尊重できる形で認めてほしい」ということであり、「幸い、国や神奈川県も認めて行われている横浜市の段階的参加方式があることでもあり、この横浜市の例にならって」、二段階での送信を都が受け取る義務があることを裁判を通して確認したい、と説明しています。
そしてこの訴訟の意義として、「残念なことに、住基法は本来的な意味でのこうした選択制を認めていません。したがって、長期的には、住基法を改正して選択制を法定するように求めていくことが必要ですが、当面は、現在の法律の枠内で、最大限の工夫をしていくほかはありません。今回の訴訟は、こうした社会に対する問題提起という意味を含むものであり、IT社会を健全なものとして育てていくためにも重要なものです。」と、区民に理解を求めています。
はたして今の時点で「横浜方式」の実施をめざすことが、住基法の改正につながるのか、疑問です。私たちは、「段階的参加方式」と位置付けられた「横浜方式」への方針転換ではなく、杉並区の求める住基法改正が実現するまでは不参加を継続することこそが法改正の力になる、と考えます。
しかし2003年6月の「横浜方式」への方針転換発表以降、「段階的参加」を国・都に認めてもらうことに汲々としてきた杉並区が、少なくとも、「長期的には、住基法を改正して選択制を法定するように求めていくことが必要」という立場から問題提起として裁判を闘うという姿勢を示したことは、一歩前進です。
ところが4月21日の広報では、「長期的には、住基法を改正して選択制を法定するように求めていくことも考えられますが」と、住基法改正について後退した表現になっています。
2.3月31日、区議会連合審査会で地裁判決を質疑
控訴について区は、弁護団、学識経験者、IT専門家等の意見と区議会への報告を踏まえて2006年4月3日に決定し、4月6日に控訴手続きをとった、と発表しています。このうち杉並区議会では3月31日、総務財政委員会と区民生活委員会の連合審査会が行われ、報告と質疑がされました。訴訟を提起した議案の中で「必要に応じて上訴または和解できる」ということがすでに議決されているため、控訴は議決事項ではなく連合審査会は報告と意見を聞く場として開催されました。
区議会を傍聴したメモから、今後の動きに関係した質疑を紹介します。
- Q:判決後の区民の反応は?
- A:問い合わせ、苦情、要望はないが、判決文を掲載したホームページには毎日100〜200、現在までに約880のアクセスがあり、冷静に判決を受けとめていると評価している。
- Q:判決は区に拘束力を持つか?
- A:判決理由の中での判断であり、拘束力を持つものではない。
- Q:訴訟前の委員会では、敗訴しても即刻全面接続するものではない、との答弁されたが、それは変わっていないか?
- A:裁判結果をみて判決内容を十分精査したうえでその後の対応を判断したい、との考えは変わっていない。
- Q:最近の情報漏洩事件を憂慮しているが、住基ネット稼働3年半で安全確保の問題は?
- A:指定情報処理機関のシステムについて新聞沙汰になるような事件事故は報告されていないが、市町村レベルではサーバーの不具合や住基カードの偽造事件、今週は北海道で使用パソコンから住基ネット機密情報の漏洩があり、まだ課題はある。
- Q:一審の訴訟費用は?
- A:16年度が1566万円、17年度が1025万円、計2591万円を支出している。
- Q:控訴するかどうかの判断基準は?
- A:結果だけでなく、判決理由の内容がまったく納得できないか、ある程度理由があるからやむなしとできるか、で判断する。
- Q:弁護団の体制は?
- A:以前から教授をうけている大学教授から紹介を受け、行政法の専門家とIT関係の訴訟に造形の深い弁護士3名を選任した。控訴審も現体制を基本とするが、さらにIT社会の持つ危険性を裁判所に理解してもらうようIT専門家の援助を得ていく必要がある。
- Q:控訴審判決までの期間の予想は?
- A:事案により異なるが、通常は口頭弁論は1〜2回なので、早ければ今年の秋、長くても1年はかからないのが通例。なるべく早期決着をはかりたい。
- Q:控訴中に横浜市が全員接続になったらどうなるのか?
- A:仮に横浜市が全面接続になったとしても、横浜方式が存在していたという事実は変わらない。
3.区長の控訴方針の表明と区議会会派の対応
これらの質疑をうけて山田区長は、医療でのセカンド・オピニオンにたとえて、次のように控訴する姿勢を示しました。
今回の判決は区の主張が一顧だにされず、承服できない。法律の範囲内でのとりくみとして段階的参加を求めてきたが、一条文の解釈にすぎない今回の判決では、今後の健全なIT社会を築いていくためには、また杉並区民の個人情報を守っていくためにも、今回の判決のまま確定させることは問題あると考える。
医者にかかる場合もセカンド・オピニオンが普通になってきている。三審制という裁判制度はそういうこともあり、複数の判断を仰ぐことも一つの道であろうと考える。
敗訴であっても、一応納得できる判決であればともかくとして、新しい地方自治の時代にふさわしい判決になっていないということと、住基ネットにかかわる条文解釈が一面的で浅いこと、そしてIT社会への洞察が欠けている判断など、われわれの主張とは極めてかけ離れた判決と受けとめており、上訴を前提に準備を進めたい。
区議会各会派は、控訴に対して、苦渋の選択を迫られたと思います。
公明党だけは、住基ネットに早期に全員接続させることを求めて2004年6月の訴訟提起の議案採決で欠席し、今回も控訴せずにすぐ全員接続せよ、とすっきりとした主張です。公明党は住基ネットを新設した住基法改正の際の国会審議では、住基ネットの問題点を鋭く具体的に指摘していた会派です。最終的には、住基法に附則1条2項を追加して住基ネット新設の住基法改正に賛成しましたが、指摘した問題点が稼働後にクリアされているか、もっとも監視する責任を負っている会派ではないでしょうか。住基ネットの問題点にあまりに無理解な意見表明は、無責任な印象を受けます。
その他の会派は、裁判に賛成した自民党、自由党無所属は、特に地方自治のために訴訟で国と争うことの意義から、控訴にも賛成しました。民主党は控訴について検討したいという姿勢で、生活者ネットも積極的ではないにしても控訴を認めています。
訴訟に反対した共産党は、そもそも訴訟が全員参加を前提としており住基ネットの危険性を問うものとなっていない以上、上訴には反対であると表明しました。社民党・緑の人々は、このような判決となった裁判を敢えて起こしたことを批判しつつ、この判決を確定させてしまうことも認めがたい、という姿勢です。
4.控訴に向けて
この裁判は、二重の意味で「筋の悪い」訴訟です。
第一に、杉並区側から敢えて参加を求めて訴訟をしている、という点です。そのために、まずそのような訴訟をすることの適法性というハードルを越え、さらに杉並区側から国・都の対応が違法であることを立証しなければなりません。
もし杉並区の未接続に対して国・都が地方自治法に基づいて法的拘束力のある「是正の要求」をし、杉並区がその不当性を争う裁判であれば、そもそも「争訟の適法性」を争う必要はなく、国・都側が杉並区の対応の違法性を立証しなければならず、自治体の裁量にもうすこし配慮した判決が出る可能性があります。だからこそ、国も「不参加自治体」に対する法的な措置をとることは避けていると思われます。
「選択制」を認めていない住基法の中で、杉並区は敢えて勝つことの難しい形で裁判をしています。
第二に区民にとっても、極めてわかりにくい裁判です。杉並区は区議会で、今回の判決文についてアクセスは多いが、意見は寄せられていない、と報告しています。
しかしいったいこの判決に対して、どんな意見を言えるのでしょうか。杉並区の住基ネット不参加を支持してきた大多数の区民の意思とズレた裁判を、区が一人芝居しているのですから見守るしかない、というのが区民の気持ちです。
この裁判は、もともと区民世論が区をバックアップするという構図になっていません。
敢えて「筋の悪い」裁判をして、ヒドイ判決を出されてしまった杉並区の責任は重大です。この判決は、私たち住基ネットに反対する運動をしている者にとって、困った判決であるだけでなく、地方自治の点でも「三位一体改革」をはじめ国と地方の関係が政治焦点になっている今、今後予想される地方自治体と国との法的な争いに対しても悪いリーディングケースになりかねません。
杉並区は「個人情報保護法が成立して、住基ネット参加の義務が生じた」としていますが、不参加状態が違法なら、なぜ国は地方自治法による措置をとらないのか。「国が措置しないから」と、杉並区が一人焦って訴訟までして参加しようとしているのはなぜなのか、さっぱりわかりません。
もし杉並区自身にとって、早急に住基ネットに参加しなければならない理由があるのなら、それを区民に説明すべきです。しかし裁判の中では、住基ネットが住民サービスにほとんどなっておらずプライバシー侵害の危険を拡大する、と主張しているのですから、これも理解できません。
杉並区が「『横浜方式』の採用と今回の訴訟提起は、長期的には住基法改正を展望した問題提起である」とするのならば、せめて、住基ネットに反対してきた市民運動、住基ネットを分析してきたコンピュータの専門家、そして不合理な住基ネットに悩んでいる自治体現場の英知を結集して、住基ネットの見直し・中止につながるような裁判にするべきです。
Copyright(C) 2006 やぶれっ!住基ネット市民行動
初版:2006年04月25日
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