杉並「住基ネット裁判」報告(14)控訴審第3回口頭弁論 2006年12月21日
1.第3回口頭弁論の状況
杉並区の住基ネット受信義務確認等控訴審の第3回弁論が、2006年12月21日11時から東京高裁第825号法廷で行われました。裁判長が、今回は吉戒修一となっています。
準備書面として、控訴人杉並区から、2006年12月14日付けの準備書面(2)が陳述され、書証として甲第70号証と甲第71号証が提出されました。
書証は、国・都側が提出した横浜市の本人確認情報等保護審議会答申に対する、杉並区の住基ネット調査会議の報告書です。
国と東京都からは、準備書面(1)が陳述され、書証として乙第22号証〜第26号証が提出されました。
書面は、杉並区サイトの「住基ネット訴訟」>「東京高裁・第3回口頭弁論」のページにpdfファイルで掲載されています。
今回は裁判長が双方に、準備書面の要旨を簡単に口頭で説明するよう求めました。杉並の裁判では、はじめてのことです。
杉並区からは、前回の弁論で提出した中島意見書と今回提出した住基ネット調査会議の報告書に沿った主張が説明されました。
国・都からは、杉並区の「合憲的限定解釈論」に対する反論と、斜里町などの情報流出などが住基ネットのセキュリティになんらかの影響を及ぼすものではないことを念のために主張する、としました。
今後の進行について裁判長がたずねたのに対し、杉並区からは、大阪高裁判決とその前の横浜地裁判決で自己情報コントロール権を認めており、それをふまえた補充を次回提出したいと述べ、国・都側は、基本的な主張はこれまでに述べてきたが、杉並区の準備書面(2)の第2点(住基ネット調査会議報告書)については若干の反論をしたい、と述べました。
それに対し裁判長から、杉並区に対して大阪高裁判決と名古屋高裁判決(合憲の逆転判決をした金沢支部判決)にも言及するのかたずね、杉並区側は、関連するものとしてふまえたいと答え、次回の弁論が設定されました。
準備のために2か月程度必要と希望し、次回第4回口頭弁論は2007年3月1日(木)午前11時、東京高裁825号法廷で行われる予定です。
2.杉並区の陳述と書証について
杉並区の準備書面(2)は、前回提出した中島鑑定意見書を踏まえて都が横浜方式での受信を拒否するのは違憲である、という主張と、杉並区の調査委員会報告を受けて住基ネットの総合的な安全性は現時点でも確認できない、とするものです。
中島意見書の概要は前回の報告で紹介しました。今回杉並区は次の6点を指摘し、杉並区の措置は憲法上のプライバシー権(自己情報コントロール権)保障を意図したものであり、東京都が杉並区の選択的送信の受信を拒否するのは、憲法上の権利を保障しようとする自治体の活動を阻む点で違憲であると指摘しています。
- 1)安全性は相対的なものであり、具体的か抽象的かが問題ではなく、一定の危険への法的対処をどうすべきかが問題で、危険と便益をどう判断するかは影響を受ける情報主体の決断に委ねるべき。
- 2)権利の性質上、元来多義的であるプライバシー権に「一義的明確性」を要求する被告の議論には理由がない。
- 3)個人情報保護のために住基ネットの管理運営主体が果たす責任は、情報主体に対し情報収集・利用への「同意」の機会を保障すべきだが、住基法はこれを制度化していない。その「同意」は一般的制度である住基ネットでは「暗黙の同意(=拒否権の保障)」で足りる。
- 4)住基ネットの文脈では、プライバシー権、自己情報コントロール権、個人情報保護のいずれもが、概念自体は相互に異なるものの、情報主体の同意が必要という一点に帰着し、権利の内容が不明確とはいえない。
- 5)住基ネットではOECD8原則の求める「収集時点での目的明確化」や「利用制限」が有名無実化しており、原則を充足していない。
- 6)憲法上のプライバシー権は、私的領域に限定する考えがあるが公的領域に認めた判例もあり、また公私二分論は公的機関の情報収集能力が飛躍的に高まり、また民営化のなかで前提が変化している。また公益による制約論も、住基ネットにはそれを正当化するやむにやまれぬ国家的利益は証明されていない。
中島意見書は、選択的送信の合憲性を立証するための書証ですが、「横浜方式」は同意を法的に保障しているとはいえない「段階的参加」である以上、このように主張するのであれば、杉並区として「本来の選択制」に向けた住基法改正を求める姿勢を明確にすべきでしょう。
3.杉並区住基ネット調査会議が第四回報告書
「横浜方式」の本家である横浜市が、住基ネットの安全性が確認されたとして2006年5月に全員接続に転換したことをうけ、杉並区は条例にもとづく機関である住基ネットシステム調査会議(委員は田島泰彦上智大教授、稲垣隆一弁護士、ITジャーナリストの佐々木俊尚さん)に、現時点で住基ネットに制度面、技術面、運用面などあらゆる面で総合的な安全性を確認できるか、2006年9月15日諮問し、11月16日に報告書をうけ、書証として提出しました(甲第71号証,pdf,2063KB。「杉並区住民基本台帳ネットワークシステム調査会議第四回報告書・目次」を掲載しています)。
諮問は、2002年の住基ネット稼働時と2003年5月の横浜方式への方針転換時に次ぐものです。諮問理由には横浜市の動向のほか、一連の裁判結果、Winnyによる情報流出、住基カードの低迷などもふれていますが、そのなかで2006年9月1日時点の杉並区の非通知申出数が87,479人で、2003年10月の申出時の86,563人より増えていることが報告されています。
「報告書」は35ページにわたり、最近の動きを例に検討をくわえ、さらに横浜市の審議会答申を批判して、住基ネットの総合的な安全性は確認できない、と結論づけており、一読の価値があります。ただ「プライバシー権は人間の尊厳に由来する重要な人権であるから、行政の効率化や住民の利便性などの価値と対等に秤にかけて考量されるべきものではない」(30ページ)と、比較考量による「選択制」よりも「住基ネットの廃止・不参加」につながる指摘をしながら、「この観点から考えると、住基ネットへの参加・不参加の選択権を個人に保障する制度が欠かせない」とするなど、区の立場への配慮からか論旨が一貫していない点も感じられます。簡単に内容を紹介します。
- Ⅰ 住基ネットとプライバシー
- 個人情報保護法制定で住基法附則の形式的用件はクリアーされたが、内容的に欠陥法であり実質的要件は満たしておらず、自治体が住基ネットに参加しないことは当然であり適法である。また住基ネットのはらむ深刻なプライバシー侵害への危険を考慮すると、十全な個人情報保護法制を用意したとしても合憲な制度か疑念があり、参加不参加の選択権を保障し、自治体の判断で参加の是非を判断できる機会を保障すべき。
- Ⅱ 住基ネットとセキュリティ
- 外部に流出する可能性として4つの漏洩ルートを指摘。
- a.外部からのインターネット経由の不正アクセス
- 長野県実験を行った専門家のヌーアー氏が裁判でセキュリティ上の問題があったことを明確に認め総務省がそれを公にすることを認めなかったこと、運用上の理由から脆弱性の修復プログラムの導入が放置されその情報公開はされていないこと、などを指摘。CS端末には侵入可能である可能性が高い。
- b.外部からのソーシャルエンジニアリングや盗難による漏洩
- 斜里町での漏洩で住基ネットの操作手順が明らかになり悪用されるおそれがある。またIDやパスワード管理の形骸化が裁判で証言されている。2002年には福島県岩代町で住民票コードをふくめた住基データのバックアップテープの盗難事件があった。
- c.内部の者による恨みや金銭的理由による犯行
- 1999年に宇治市で住基データの金銭目的による漏洩が発生。
- d.内部の者による紛失やWinnyなど事故による漏洩
- 斜里町で操作マニュアルなどの漏洩が発生。
- a.外部からのインターネット経由の不正アクセス
- これらの漏洩の対策として、ISMS(杉並区も取得した情報セキュリティマネジメントシステム)はリスクをゼロにすることは求めておらず、リスク対策のコストから組織として許容できる範囲のリスクか否かの判断を経営陣に求めるもの。しかもセキュリティの弱い自治体があれば全体のセキュリティ強度は下がる。
- 外部に流出する可能性として4つの漏洩ルートを指摘。
- Ⅲ 住基ネットと監視社会
- 監視カメラ、顔認装置、生活安全条例、テロ対策や外国人対策としてAPIS(事前旅客情報システム)や外国人登録データベース、納税者番号や社会保障個人会計や各省庁の「最適化計画」など、市民を監視する技術と制度が整備され、住基ネットは国家による市民管理の基盤的制度としての役割を担う。しかし住基法にも行政機関個人情報保護法にも、過剰な国民管理を防ぐ手立ては存在しない。データマッチングを行う一元的主体がないと国等は主張するが、法で明確な禁止と歯止めがない以上、さまざまな行政機関がそれを行う主体となりうることこそが問題。
- Ⅳ 住基ネットと横浜市・審議会の答申
- 個人情報保護法制度の不備は解消しておらず、名寄せ等による情報の一元管理の懸念も解消されていないことを指摘した上で、横浜市の指摘した5点の問題点は以下にみるように解消されておらず、現時点で総合的に見て問題はないとの結論を導く論拠が希薄だ、断じています。
- ア)総務省が責任を持って監督しているとはいいがたい
- イ)自治体からの調査要求も、斜里町に報告を求めていないなど実効性に疑問
- ウ)アクセスログ開示も、操作者識別カードの使い回しがあり疑問
- エ)罰則も最小限の範囲にとどめられデータマッチングなどへの罰則はない
- オ)将来像としては、国民の個人情報が一元的管理される危険はますます強まっている
- 個人情報保護法制度の不備は解消しておらず、名寄せ等による情報の一元管理の懸念も解消されていないことを指摘した上で、横浜市の指摘した5点の問題点は以下にみるように解消されておらず、現時点で総合的に見て問題はないとの結論を導く論拠が希薄だ、断じています。
横浜市の答申に対する結論は同感ですが、これらの指摘には混乱があるように思います。
- ア)では、そもそも地方公共団体共同で自治事務を行う建前の住基ネットに、総務省の管理の不徹底を指摘するのは矛盾です。問題は自治体共同で運営するシステムの管理に責任をもつ仕組みがないことでしょう。
- イ)では、「技術的基準」改正で可能になったのは国等の機関に対する調査要求で、その意味では大規模な個人漏洩が発覚した最大の提供先である社会保険庁に調査要求をしていないことこそが問題でしょう。他の市町村に対する調査要求の規定は当初からあり、本人確認情報をそこに提供した場合の規定です。
- ウ)では、「技術的基準」で制度化されたのは本人確認情報の提供・利用の本人開示用のアクセスログで、操作者識別カードの使い回しで問題となる操作者のログとは別の問題です(それはそれで問題ですが)。ここで問題なのは、この「技術的基準」では肝心の実際の使われ方(データマッチング等)がわからないことです。
- エ)では、データマッチングは行政機関があいまいな法的規定を利用して「合法的」に進めていくことが問題で、そもそも「不正使用」に対する罰則の問題に矮小化するのはすり替えです。
4.国・都側の準備書面(1)について
従前と同様の主張ですが、杉並区側が新たに指摘した点について、次のように反論しています。
- 「住民票コードの使用禁止規定があるのは秘匿する必要性が高いから」との指摘には、禁止規定があるからといって直ちに秘匿の必要性が高度であると結論づけるのは論理の飛躍と、根拠も示さず反論(4ページ)
- 「6情報のうち変更情報の記載は婚姻・離婚などを推知させうる」との指摘には、「何故、推知されることになるのか理解できない」と、根拠も示さず反論(4ページ)
- 住基法が公開制限に改正されたことについては、民間営業活動利用は住基法1条の目的に照らして広すぎるからで、「公開情報とされていたこと自体が不適切であったことを理由として行われたものではない」(5ページ)
- 将来データマッチングに使われる危険については、「本件において問題とされているのは、あくまで現行の住基法」であり、根拠なく将来を強調するのは失当、と反論(6ページ)
- 住基カード利用の低調などで住基ネットの効果の達成は困難になっているとの指摘には、「住基ネットは、行政サービスの向上と行政事務の効率化を目的とするシステムであるだけでなく、我が国の国家戦略である電子政府・電子自治体の実現のために不可欠な基盤を成すもの」と反論(6ページ。最近、国は「国策だから」という主張を強めているようです。)
- 「技術的基準」で住基法にない「不正アクセス時の切断」を定めているのは住基法30条の5の解釈として切断を認めているから、との主張に対しては、「応急的な措置として定めたものにすぎない」という、反論になっていない反論(8〜9ページ)
- 杉並区側が書証として提出した斜里町(ウィニーによる流出)、帯広市(既存住基の職務外利用)、塙町(住民票コード記載の名簿を配布)については、「各市町のセキュリティ対策は適切にされていることが明らかになったというべき」(15ページ)と強弁
- 杉並区側が提出したさいたま地裁の調査属託結果にもとづき「CS端末等が至る所に設置されているリスク」「リスクアセスメントの欠如」「第三者監査の欠如」「担当職員のセキュリティ対応能力の欠如」「操作者カード、パスワード管理」「パッチ当ての不十分」などを指摘したことについては、「住基ネットへの侵入及び個人情報の流用・漏洩の具体的危険があるなどとは到底いえない」と結論(18〜25ページ)
5.山田区長の「住基ネット批判」の論理
2007年4月に区長選を控える山田区長が『前人木を植え、後人涼を楽しむ』(ぎょうせい)という本を出しました。区広報紙に掲載された「区長からのいいメール」の再編集が中心ですが、住基ネット訴訟と扶桑社歴史教科書採択については、それぞれ独立した章をあてています。それは「この二つの杉並区の挑戦が、これからの日本の将来にとって、とりわけ日本人の健全な精神を取り戻すために、極めて重要なテーマであると考えているから」と序文で述べています。
それによれば「健全なIT社会」のために選択制が必要なのは、「選択制であってこそ、より多くの国民の理解と納得を得るために、サービス向上に務め、効率性の確保に全力を挙げるようになるのであって、『最初から強制参加ありき』では、今回の住基ネットがそうであったように、その利便性や費用対効果などを深く突き詰め、国民の理解を得なくてはならないという動機付けが働きにくくなる」(155ページ)からだ、としています。
そしてなぜ住基ネットに危惧をいだくのか、については、「国家がその国民情報を全て把握できる社会は、国家が国民の私有財産を全て取り上げてしまう社会と同じように、人間を国家の奴隷にしてしまう可能性が大きい」「『国民総背番号制』は国民の無形の私有財産である人生情報を収集して、知らぬ間に国民を奴隷化する危険性がある」「私が真に危惧しているのは、国家が個人情報を集中的に管理する社会が生まれ、『俺は俺だ』という意識を持った『さむらい(士)』が社会にいなくなってしまうことだ。国民の中に独立自尊の精神が薄れていくことだ。」(160〜161ページ)と述べています。
共感するところもありますが、住基ネット訴訟と歴史教科書採択はいずれも日本人の健全な精神を取り戻すために行っていて、選択制は効率性のために必要と言われると、ちょっと首を傾げてしまいます。
Copyright(C) 2007 やぶれっ!住基ネット市民行動
初版:2007年03月10日
http://www5f.biglobe.ne.jp/~yabure/suginami01/court14.html