杉並「住基ネット裁判」報告(9)一審判決 2006年3月24日
1.杉並区敗訴の判決言渡し
杉並区が「横浜方式」での住基ネット接続と国賠請求を求めて国・都に対しておこした「住基ネット受信義務確認等請求訴訟」の判決言渡しが、2006年3月24日13時15分から東京地裁民事708号法廷で行われました。
判決は以下のように、杉並区にとって厳しいものとなりました。
- (1)都に対する「横浜方式」での住基ネット送信の受信義務確認請求については、不適法な訴えとして「却下」
- (2)国・都に対する国家賠償請求については「棄却」
- (3)訴訟費用は原告杉並区の負担
判決言渡しで、菅野博之裁判長は「判決文は160ページある」としつつ、簡単に判決理由を述べました。
(1)については、杉並区の主張するような自己の権利利益の保護救済を求める訴訟とは認められず、行政権限行使のためのものであり、「法律上の争訟」に当たらず、他にこのような訴えを認める法律の規定もないから、不適法。
(2)については、被告国・都は不適法な訴えとして却下を求めたが、権利財産にかかわる訴えとして訴訟自体は適法と認められる。
しかしながら、住基法には本人確認情報の選択的な送信を認める規定はなく、したがって送信を希望しない区民について送信しない取り扱いは違法であり、住基ネットの趣旨・目的からみてもそのような扱いが認められるとは判断できない。
したがって、希望者のみの送信は違法な行政事務であり許されない。都には違法な送信を受信する義務はなく、国についても、現在の横浜市の住基ネットについての取扱いは、違法なものであるから、被告国が横浜市に対してその是正を迫っていないとしても横浜市と平等な扱いをすべきとは言えないので、いずれに対する損害賠償請求も理由がない。
このように「横浜方式」そのものに対する司法判断は「却下」という門前払いとなりましたが、国家賠償請求の判決のなかで、「横浜方式」の違法性について予想以上に踏み込んだ判断を示しています。
山田区長は、3月24日、次のコメントを発表しました。
「判決の詳細については承知しておりませんが、杉並区の主張が認められず極めて遺憾に思っています。判決内容を精査して、今後の対応を検討していきたいと考えています。」(テキスト付きpdfファイル「住基ネット受信義務確認等請求事件の判決についての区長のコメント」2006-03-24)
2.判決の内容
判決は争点を、次の7点に整理しています(判決文18〜19ページ)。
- 争点1:都への受信義務確認の訴えは、「法律上の争訟」に当たり適法な訴えであるということができるか
- 争点2:国賠請求に係る訴えは、「法律上の争訟」に当たり適法な訴えであるということができるか
- 争点3:国賠請求に係る訴えは、併合提起の要件を欠くものとして、不適法な訴えとなるか
- 争点4:「横浜方式」での送信に対する被告東京都の受信義務の存否
- 争点5:通知希望者に係る本人確認情報を送信しようとしたのに、これに応じない東京都の行為は違法であるか
- 争点6:被告国が、被告東京都に対して、横浜方式による住基ネットヘの参加について、適切な指導、監督等を行わず、横浜市に対するのと異なった対応をした行為が違法であるか
- 争点7:原告の損害の有無及び損害額
判決では、争点1については、国・都側の主張を認めて「不適法」としつつ、争点2と争点3については、国・都側の主張を退け「適法」としました。
争点4の「東京都は、杉並区民のうちの通知希望者に係る本人確認情報のみを、原告が被告東京都に対して住基ネットを通じて送信する場合に、これを受信する義務を負うか」については、「杉並区が非通知希望者に係る本人確認情報については送信せず、通知希望者のみに係る本人確認情報の送信を行うこと」は、住基法の規定からも、また改正住基法の趣旨・目的に照らしても「違法」と断定し、都に受信義務はないとしました。
それどころか受信したら「住基法30条の5第1項及び2項に違反する事態を招来することになる」(判決文62ページ)と、都が違法行為になると言わんばかりの判決になっています。
争点5と争点6については、都は受信義務を負っていないので、都・国の行為には何ら違法性はなく、したがって争点7は検討するまでもなく損害賠償義務は負わない、としました。
3.「横浜方式」「選択制」を全面否定
争点4については、多くのページをさいて(判決文53〜93ページ)「横浜方式」や「選択制」を真っ向から否定しています。
まず住基法30条の5などに「送信しなくていい」とする規定はなく、一律にすべて都に対して電気通信回線を通じて送信する法律上の義務を負うから選択的な送信は違法だ、と断定しています(53〜57ページ)。
さらに改正住基法の制定経緯、趣旨、目的に照らしても、改正にいたる研究会や懇談会などの論議で選択制はまったく触れられておらず、選択的送信では全国的な本人確認システムの導入により行政事務の効率化を図ろうとした改正法の趣旨・目的を没却させるから許容されないと述べています(57〜61ページ)。
そして杉並区の主張を、次のように全面的に否定しています。
その判決内容は国・都の主張そのまま、という以上に、「横浜方式を容認している国は違法行為を行っている」と言わんばかりの徹底した選択制否定論を展開しています。さらに「住基ネットの利用が乏しくても単に利用者が多数でないだけ」という住基ネット擁護論。住民票公開制限もどこ吹く風で「6情報の秘匿性は低い」「自己情報コントロールは憲法で保障されない」というプライバシー観。国等の機関の間での本人確認情報の提供を積極的に容認し、データマッチングを肯定する、コンピュータネットワークのもたらす人権侵害への無理解。「住民基本台帳制度はもともと全国的広域的な行政利用を予定」「自治体の裁量の余地はない」とする自治意識の低さ、など、国も顔負けのひどい内容です。
- 住基法の「(区は通知)するものとする」「(都は保存)しなければならない」の使い分けは、意図的なものではなく、市町村の裁量権を認めたと解釈はできない(62〜63ページ)
- 選択的送信という違法な通知に対しては、都の受信拒否は「当然に許容されるというよりも、むしろそのようにしなけばならないものというべき」(65ページ)
- 選択的送信に対して都がとるべき措置は住基法に定めがないから、都は必要な措置をとればよく、地方自治法に基づく是正措置をとる義務はないし、是正の勧告はしている(66〜68ページ)
- 地方自治法やOECD8原則などとの「体系的解釈」の名の下に、抽象的一般的な文言や原則から個別具体的な問題について解釈するのは、「法解釈の手法として到底採り得るところではない」(68〜69ページ)
- 住基法36条の2(住民票記載事項の安全確保)は、必要な措置を抽象的に定めているにとどまり、明示的に送信を規定している30条の5を読み替える解釈は許容されない(70〜71ページ)
- 選択的送信では「行政サービスの向上と行政事務の効率化」という改正法の趣旨を没却することになる(72〜73ページ)
- 地方自治法の分権保障原理から自治事務では地域特性に応じた裁量が要請されるというが、住基法は地方自治法の特別法であり、特別法の明文の規定が優先する。「全国的な統一性は地方公共団体の判断により多少害されてもやむをえない」ということは到底できない(73〜75ページ)
- セキュリティ基準の「緊急時の切断」は、住基ネット全部又は一部の停止の定めであり、送信する本人確認情報の内容を規定しているものではない(75〜76ページ)
- OECD8原則には法的拘束力はなく、利用事務は明示され限定されているから、その目的明確化原則には反しない(76〜77ページ)
- 住民基本台帳制度は、もともと記載事項の全国的・広域的な行政利用を予定しており、「国の機関等が....住基法に規定された国の機関等に対して、住基法の規定に従って、本人確認情報を提供することは、いずれも、法律に基づく場合ということもできる」(77〜79ページ)
- 自己情報コントロール権は、内容が不明確で、憲法13条によって保障されているか疑問(80ページ)
- プライバシー侵害の危険性の主張は、住基法30条の5の文言から離れた解釈を志向するもので採用することはできず、仮に問題点があってもそれで選択的な送信が許容されることにはならない(80〜81ページ)
- 氏名・生年月日・性別・住所は公開情報で、住民票コードは私生活上重要なものではなく、いずれも秘匿される必要性は高くない(81〜82ページ)
- 住基ネットの利便性の低さについて、住民票写しの広域交付や転入転出特例が「仮に多数の住民にとっては利便性が乏しいものであったとしても、それは単にこのような制度を利用した者が多数ではなかったというだけであり、住基ネットを導入した立法目的の正当性とは、原則として関係しない」(83ページ)
- 杉並区の指摘する個人情報保護の規定がないからといって、個人情報保護措置が不十分で漏洩等の具体的危険があるとはいえない(84ページ)
- セキュリティ上の問題点も、漏洩等に関する抽象的危険を述べるにすぎない(85〜86ページ)
- 法の定める範囲内でデータマッチングは許容され、また住基ネット導入前でも住民票写し等で照合していたので、取り扱い自体は同じ(88〜89ページ)
- 国の機関等の保有する情報を一元的に収集・管理する主体は存在せず、目的の範囲内の利用を越えて行政機関がもっている個人情報が住民票コードをマスターキーのように使ってデータマッチングされる具体的危険性があるとは認め難い(89〜90ページ)
- 横浜市が現在送信している取り扱いは違法であり、現に一部の地方公共団体で違法な取り扱いがされているからといって、あるいはそれを国が事実上容認したからといって、そのような違法な取り扱いが杉並区に許容されることにはならない(90〜91ページ)
- 横浜方式で住基ネット全体の運営に多大な支障を及ぼさないからといって、違法な取り扱いが許容されるわけではなく、また通知希望者をふくめた市民の利便性や国の機関等の利便性が損なわれており、このような事態は改正法の目的・趣旨を没却している(91〜92ページ)
- 杉並区民の自治意識が高いことなどの主張は、選択的送信の裁量権を前提としており失当(92〜93ページ)
4.不当判決を受けて
この判決は、いったいなぜ住基ネットがこれほど問題になったのか、ということを考慮せず、住民情報を管理する自治体の苦悩も理解しようとせず、住基ネット稼働の実態も見ようとせずに、法律の字面だけをなぞった、まったく不当な判決です。
受信義務請求の却下、国賠請求の棄却という判決は、この間の弁論の内容から予想はしていたものの、国賠請求について単に国・都に重大な過失がないから、というような理由ではなく、「横浜方式」そのものが違法だから請求理由がない、と明確に述べていることは、今後の杉並区や横浜市の対応にも影響を与えそうです。
私達は杉並区の住基ネット不参加から「横浜方式」への方針転換には反対してきましたが、しかしここまで「横浜方式」「選択制」をまったく否定した判決をだされて、それを受けて「横浜方式」をやめてしまうようでは、自治体としては情けなく、裁判をしたこと自体の責任が問われます。杉並区の対応を注目したいと思います。
私達としては、この判決によって、逆に改正住基法の問題点が浮き彫りになったと見ることもできます。判決が肯定した住基ネットの姿は、住民サービスにならなくても行政事務の効率化のために全国民に背番号を付番し一律に送信し行政間での相互利用を行い、それに対する住民の自己情報コントロールや自治体の判断を認めない、というもので、まさに「国民総背番号制」です。
「確固とした個人情報保護の法制度の整備が実現するまでは住基ネット不参加を続けよ」と要求し続け、現実に「不参加自治体」が存在し続けることが、このような住基法を改正させ住基ネットを止めさせていく確かな足がかりだ、と、この判決をみて、再確認させられました。
Copyright(C) 2006 やぶれっ!住基ネット市民行動
初版:2006年03月25日
http://www5f.biglobe.ne.jp/~yabure/suginami01/judge01.html