― 在外被爆者に関するトピックスをいくつか抜粋して紹介します ―

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2004年 9-10月 11月 12月
※(かっこ)内の日付は当ホームページにおける更新日です。
※情報は上から [日付の新しいもの→古いもの] の順で並んでいます。

2005年6月

(6月21日) 「渡航リスク自己責任で」広島県が在ブラジル被爆者に同意書要求
(6月21日) 在外被爆者支援の具体策を一切表明せず 日韓首脳会談で、小泉首相
(6月20日) 健康管理手当 在外公館での申請認める方針固める 厚労、外務省
(6月16日) ブラジル在住の芦原学さん ようやく念願の手帳を取得
(6月15日) 原爆死没者名簿への記帳始まる 広島市役所 8月5日まで遺族からの申請を受付
(6月15日) 被爆者手帳の代理申請が却下 在韓・李さんが広島県を提訴へ
 代理申請をめぐる初の裁判に
(6月 9日) 在韓被爆者健康相談 ソウル市で26日から 長崎県が医師団派遣
(6月 9日) 被爆死米兵は2人以上 広島の歴史研究家が調査
(6月 9日) 韓国在住の被爆者・李さんに未払い手当を支給 長崎市
(6月 9日) 在日朝鮮人被爆者の李さん、韓国で被爆証言へ
(6月 9日) 原爆投下60年 海外メディアの取材 相次ぐ
(6月 9日) 在米被爆者訴訟 広島市が控訴 厚労省の要請受け

(2005年6月21日)
【長崎新聞】〔「渡航リスク自己責任で」広島県が在ブラジル被爆者に同意書要求

 6月21日付『長崎新聞』は、広島県が私たち在ブラジル原爆被爆者協会に対し、渡日治療を希望する被爆者に「訪日に際する事故等に県は責任を一切負わない」旨の「同意書」を提出するよう求めたことを掲載しました。
 記事では、この行政側の措置に被爆者団体などから批判が出ている、と報じています。

 渡日治療は、国の在外被爆者支援事業の一つとして、国費負担により日本政府の招きで実施されるものです。招くのはあくまで日本国であり、目的は在外被爆者支援です。
 招かれるのは病気を抱え治療が必要な被爆者です。加えて高齢化が進んでいます。
 同意書は、その、遠く慣れない日本に招かれた在外被爆者が、その過程でいかなる事故に遭遇しても「行政側は一切責任ないとする内容に同意するように」という趣旨のものです。

 第三者の過失で、相手側に賠償責任が発生するような事故の場合はともかく、それ以外の、いかなる状況下での事故に遭っても「自分で責任を取りなさい」というのは、少し冷たくはないでしょうか?

 なお『長崎』紙によれば、この事業で「同意書」の提出を求めている自治体は広島県と長崎市だけ、ということです。

 私たち在ブラジル原爆被爆者協会は、「同意書」が届いた15日、県あてに反論を主張した「要望書」を返送しました。

 → 詳報は『長崎新聞』6月21日付 をご覧ください。
 → 県からの「同意書」、および協会からの「要請書」はこちら(6月18日付「事務局だより」)

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(2005年6月21日)
在外被爆者支援の具体策を一切表明せず 日韓首脳会談で、小泉首相

※6月20日付〔健康管理手当 在外公館での申請認める方針固める 厚労、外務省〕の続報

 20日の日韓首脳会談で「韓国在住の被爆者に、現地の在外公館を通じた健康管理手当の支給申請を認める」旨の表明がされる見通しでしたが、結局、この表明はされませんでした。

 21日付主要各紙および韓国、日本両国の在韓被爆者支援の関係者によれば、会談で、小泉純一郎首相はノ・ムヒョン大統領に
「在韓被爆者に対する支援を人道的観点から可能な限り進める」
との意向を伝えたにとどまり、具体的な支援方法については一切言及しませんでした。

 韓国のマスコミもここ連日「首脳会談では小泉首相から在韓被爆者に関するなんらかの提案がなされる」と期待感を込めて報じていたそうです。しかし会談が終わってみれば、中身のないあいまいな表現にとどまる結果となってしまいました。

 ある消息筋によると、外務省サイドは「在外公館の活用」案に非常に積極的だったらしいのですが…。

 …私たちの希望は、いつまで裏切られ続けるのでしょうか…?

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(2005年6月20日)
【長崎新聞】〔健康管理手当 在外公館での申請認める方針固める 厚労、外務省

※4月20日付〔健康管理手当の支給申請に在外公館の活用を 外務省が検討へ
  5月12日付〔
外務省の検討を「好ましい方向」 尾辻厚労相が認識示す〕  - の続報

 6月18日付『長崎新聞』によると、厚生労働省と外務省は17日までに、韓国在住の被爆者が現地の在外公館で健康管理手当の支給申請をできるよう、現行の制度を見直す方針を固めました。
 20日の日韓首脳会談で表明される見通し、ということです。

 厚労省側は、韓国だけでなく、私たちブラジルなど被爆者が住む世界30数カ国でも同様に実施する必要性があるとしており、具体的な事務手続きについては今後、両省で詰めの作業に入るとみられる、と同紙は報じています。

 私たち在外被爆者は、それぞれの居住国の在外公館窓口で手当の支給申請が可能になるよう、これまで日本政府に対し繰り返し要請してきました。このたび、この長年の希望がようやく実現していただけるとても嬉しいニュースとなりました。

 なお同紙によれば、私たちのさらなる願いである、被爆者健康手帳の在外公館での申請交付は、今回は見送られる模様とされています。
→※5月17日付〔被爆者手帳の申請も在外公館の活用を 厚労省が検討へ
 渡日が困難な在外被爆者のために、厚労、外務両省には、重ねての英断を強くお願いします。

 → 詳細は『長崎新聞』6月18日付 をご覧ください。

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(2005年6月16日)
【長崎新聞】〔ブラジル在住の芦原学さん ようやく念願の手帳を取得

 私たち在ブラジル原爆被爆者協会会員の芦原学さん(76)が3日、長崎県庁で念願の被爆者健康手帳を取得しました。
 6月16日付『長崎新聞』が報じてくださいました。

 芦原さんは1929(昭和4)年、長崎県(現在の東彼杵郡)川棚町生まれ。
 終戦直前は特殊潜航隊(いわゆる「人間魚雷」の部隊)に所属し、1945(昭和20)年8月21日に出撃予定でした。しかし長崎市に原爆が投下された2日後の11日、軍から召集を受け長崎市に入市、2日間にわたり遺体の引き揚げ作業を行いました。
 終戦後、多くの職を経験し、1967(昭和42)年ブラジルに農業移住。
 現在はサンパウロ州都サンパウロ市の東に隣接するエンブー市に住み、近隣の青少年の健全育成のためにフットサル大会を開くなど地域社会のために尽くしています。

 手帳交付申請書を出して3年、本人はもう諦めていましたが、今年4月に長崎県庁から通知が届き、喜びの表情を見せられました。

 → 詳細は『長崎新聞』6月16日付 をご覧ください。
 → 4月27日付「事務局だより」もあわせてご覧ください。

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(2005年6月15日)
【中国新聞】〔原爆死没者名簿への記帳始まる 広島市役所 8月5日まで遺族からの申請を受付

 6月14日付『中国新聞』によると、この1年間で亡くなられたり、新たに死去が確認されたりした被爆者を、原爆死没者名簿に記帳する作業が14日、広島市役所で始まりました。名簿は8月6日の平和祈念式典で、同市平和記念公園内の原爆慰霊碑に納められます。

 市では8月5日まで、ご遺族からの申請を受け付けています。問い合わせは同市原爆被害対策部調査課(рO82−504−2191)まで。
 なお現在までに、今年の名簿記載分として4,560人のお名前がすでに確認されている、ということです。

 → 詳細は『中国新聞』6月14日付 をご覧ください。

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(2005年6月15日)
【中国新聞】〔被爆者手帳の代理申請が却下 在韓・李さんが広島県を提訴へ 代理申請をめぐる初の裁判に

 6月11日付『中国新聞』によると、韓国在住の被爆者・李相Yさん(82)が広島県を相手取り「代理申請」をめぐる全国で初めての裁判を起こすことになりました。

 李さんは昨年、韓国で被爆確認証を取得。その後、ご自分の意志で「被爆者健康手帳」の申請書類を代筆で作成しました。昨年11月、これを李さんの代理人である広島弁護士会の足立修一弁護士が広島県に申請しましたが、今年1月13日付で却下されてしまったのです。

 厚生労働省では、被爆者援護法に基づき、日本国外からの被爆者手帳の「代理申請」(=代理人による申請)を認めていません。

 しかし李さんは脳内出血により体が不自由となられているそうです。

 同紙の報道を見ると、ご本人が訪日して申請することが不可能なため代理人を通じて申請したのに、これを却下された、ということが容易に読み取れます。

 足立弁護士は今回の行政行為を「日本国憲法14条の“平等権”に反する」としている、ということです。

 → 詳細は『中国新聞』6月11日付 をご覧ください。

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(2005年6月9日)
【長崎新聞】〔在韓被爆者健康相談 ソウル市で26日から 長崎県が医師団派遣

 6月7日付『長崎新聞』によると、長崎県は26日から7月2日まで韓国ソウル市に医師団を派遣し、在韓被爆者の健康相談事業を実施します。

 同県から韓国への医師団派遣は、国の「在外被爆者支援事業」の一環として昨年から始められ、今回で3回目となります。

 派遣される団員は、被爆者医療に詳しい医師7人と理学療法士2人、保健婦2人、県と市の職員3人の計14人。会場はソウル赤十字病院で、約320人が相談を受ける予定となっています。
 今回は韓国側の医師も初めて同席し、派遣医師との情報交換をする予定、ということです。

 → 詳細は『長崎新聞』6月7日付 をご覧ください。 

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(2005年6月9日)
【中国新聞】〔被爆死米兵は2人以上 広島の歴史研究家が調査

 5月27日付『中国新聞』によると、広島で被爆死した米国兵について調べてきた同市在住の歴史研究家・森重昭さん(68)による聞き取り調査がこのほど終了。それによると、相生橋周辺で亡くなった米兵は2人以上と推測できることがわかりました。

 森さんは「戦勝国にも原爆犠牲者がいたことを広く知って欲しい。今後も調査を続けたい」と語ったそうです。

 また、森さんとともに目撃者からの聞き取りを行った同市在住の加藤譲さん(71)は、当時の状況を鉛筆画として制作し、6月中にも完成させる、ということです。

 → 詳細は『中国新聞』5月27日付 をご覧ください。

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(2005年6月9日)
【長崎新聞】〔韓国在住の被爆者・李さんに未払い手当を支給 長崎市

※5月12日付〔韓国在住の被爆者・李さんに未払い手当の支給を決定 長崎市 訴訟は継続〕の続報

 5月25日付『長崎新聞』によると、長崎市は24日、韓国在住の被爆者・李康寧さん(77)に対し、未払い手当と支払遅延損害金の計約143万円を支払いました。

 李さんは1999年5月、韓国へ帰国したことにより健康管理手当を打ち切られました。李さんはこの処分を違法として、国と長崎市を提訴。しかし李さん側が勝訴した一審、二審とも国が控訴、上告したため、現在は最高裁で争われています。

 しかし長崎市は李さんの健康状態を考慮し、厚生労働省などと協議した結果、李さんに2年6か月分の未払い手当と遅延損害金を支払うことを4月に決めました。その支払いが24日に無事行われた、ということです。

 なお訴訟は今後も継続される、ということです。

 → 詳細は『長崎新聞』5月25日付 をご覧ください。

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(2005年6月9日)
【中国新聞】〔在日朝鮮人被爆者の李さん、韓国で被爆証言へ

 5月26日付『中国新聞』によると、在日本朝鮮人被爆者連絡協議会の李実根会長(75)が、6月1日にソウル市内で意見を述べることになりました。
 李さんによれば、韓国の超党派の国会議員から招かれたものだそうです。当日は韓国政府関係者や国会議員らを前に、在日被爆者として、被爆者援護について約20分間発言する、ということです。

 → 詳細は『中国新聞』5月26日付 をご覧ください。

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(2005年6月9日)
【中国新聞】【長崎新聞】〔原爆投下60年 海外メディアの取材 相次ぐ

 被爆60年の節目となる今年、被爆地広島、長崎では海外メディアの取材が相次いでいるようです。
 『中国』『長崎』両紙が紹介しています。

3月27日付『中国新聞』: フランスで100万部近い発行部数の週刊誌「パリ・マッチ」。
広島市を訪問、同20日から10日間、被爆者約70人を取材。
7月末か8月初めに6ページ以上の原爆特集を掲載予定。
5月19日付『長崎新聞』: 米国の日系3世でアカデミー賞受賞のスティーブン・オカザキ監督(53)。
米大手ケーブルテレビの依頼で、長崎、広島の原爆をテーマにした作品を制作する。
撮影は6月から開始。30〜50人の被爆者の証言と、原爆投下直後に両市入りした
米兵らにインタビューする。
完成作品は来年8月、全米のケーブルテレビで放映予定。
5月21日付『長崎新聞』: ブラジル最大の全国ネットTV「オ・グローボ」。
同11日から約2週間、広島、長崎ほかを訪問。
敗戦後の日本の社会変化や現状などがテーマ。
7月頃「原爆投下後の日本」と題する特集番組を放映予定。
5月31日付『長崎新聞』: フランスのラジオ「フランス文化放送」。
原爆被害の実相をテーマに、被爆者や写真家、歴史研究家らを取材。
同30日には長崎市の伊藤一長市長にインタビュー。
8月初めの約1週間、インタビュー番組として放送予定。
6月5日付『長崎新聞』: 米国外向けに60の言語によるラジオ、テレビ番組を制作、放映する米国の国営放送
「ボイス・オブ・アメリカ(VOA)」。
取材記者は、主に中国向け番組の担当記者。
同局が第二次世界大戦60年を機に、世界各地で取材する番組のうち
「戦後世代が見る日本の未来」と題する30分のドキュメンタリーを担当する。
放送予定は8月。

 → 詳細は上記載の各紙をご覧ください。

 なお「オ・グローボ」局の広島取材では、訪日中だった在ブラジル原爆被爆者協会の森田隆会長も取材のコーディネートや通訳などで協力させていただきました。

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(2005年6月9日)
【中国新聞】【長崎新聞】【厚生労働省ホームページ】
在米被爆者訴訟 広島市が控訴 厚労省の要請受け

※5月12日付〔在米被爆者訴訟、日本国外からの申請認める判決 広島地裁
  5月17日付〔在米被爆者訴訟 国と広島市が協議 市の全面敗訴を受け〕  ― の続報

 5月19〜21日付『中国新聞』、同21日付『長崎新聞』によると、いわゆる「来日要件」を違法として米国在住の被爆者と遺族ら4人が起こした訴訟で、同10日の広島地裁判決で全面敗訴した広島市は20日、広島高裁に控訴しました。

 広島市は、高齢化する在外被爆者への配慮から、厚生労働省に対し控訴断念の意向を訴えてきました。
 これに厚労省はかたくなに反対し、広島市に控訴するよう強く求めていました。同じく「来日要件」をめぐる2件の訴訟では、長崎市が国の意向により控訴したこともあったため、「被爆地の気持ちは分かるが、法解釈の根幹にかかわる」(戸苅利和事務次官=『中国新聞』5月19日付より)として、上級審の判断を仰ぐよう秋葉忠利市長に要請していたのです。

 なぜ、広島市は在外被爆者への配慮を示しながら、最終的には厚労省の意向を受けて控訴に踏み切る結果になったのか? その理由は、被爆者への健康管理手当などの支給が「法定受託事務」であるからです(先の、長崎市の控訴も同じです)。

 法定受託事務とは、

という決まりです。
 ですから、もし、「控訴して欲しい」とする国の意向に反して、市が控訴を断念した場合、

という事態になってしまうかもしれない…。広島市では、そういう懸念も抱いたといいます(『中国新聞』5月19日付より)。

 20日更新の『厚生労働省ホームページ』によると、戸苅事務次官は19日の記者会見で
「国会で、被爆者援護法の適用を在外被爆者にも拡大する趣旨の修正案が否決された当時の経緯、(また)法全体の趣旨に照らすと国外からの申請は認めていないのが法律の解釈である」と秋葉市長に伝え、控訴するよう申し入れた、と語りました。

 一方、秋葉市長は控訴に踏み切った20日「手当などの支給事務は国が示した事務執行を行う法定受託事務。判決への対応は国の指導を受けざるを得ない」との談話を発表しています(『長崎新聞』5月21日付より)。

 → 詳細は『中国新聞』5月19、20、21日付、『長崎新聞』同21日付 をご覧ください。
 → 戸苅厚労事務次官の記者会見(概要・抜粋)の内容はこちら(クリック!)
 → 尾辻厚労相の閣議後記者会見(概要・抜粋)の内容はこちら(クリック!)

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