― 在外被爆者に関するトピックスをいくつか抜粋して紹介します ―
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※(かっこ)内の日付はメディア等に報道・情報が公開された日です。 ※情報は上から [日付の新しいもの→古いもの] の順で並んでいます。 |
2005年8月
(8月26日) | 広島県職員が“圧力”メール 「在ブラジル被爆者裁判」原告に |
(8月26日) | 在外被爆者対策は9億1,000万円 当初予算額と同じ 来年度の厚労省概算要求 |
(8月10日) | 「在外被爆者への支援」小泉首相 長崎・平和祈念式典であいさつ |
(8月10日) | 長崎・被爆60年平和祈念式典営まれる |
(8月 7日) | 在外公館での各種手当申請に前向き姿勢 ただし被爆者手帳交付は否定 尾辻厚労相 |
(8月 6日) | 「在外被爆者への支援を」小泉首相 広島・平和記念式典後に述べる |
(8月 6日) | 広島・被爆60年平和記念式典営まれる |
(8月 3日) | ブラジル、アメリカ在住の被爆者が広島市で講演 |
(8月 1日) | 長崎で被爆死のオランダ兵 国立長崎追悼祈念館に遺影を登録 |
(2005年8月26日)
【中国新聞】〔広島県職員が“圧力”メール 「在ブラジル被爆者裁判」原告に〕
6月27日。ブラジル広島県人会(サンパウロ)に、県庁の国際交流室から1本のEメールが入りました。
「原告になっておられたようですね。
県人会副会長という立場上、まずいのではないかと私個人としては思います。
多分、まだ知事はご存じないのでぜひ知られる前に取り下げられたほうがいいでしょう」。
メールの差出人は広島県国際交流室の男性職員。
宛て先の県人会副会長は、私たち協会の会員(すなわち被爆者)であり、「在ブラジル被爆者裁判」原告メンバーの1人です。
県人会は母県との交流などを通じていろいろと県庁にお世話になっています。
つまり、このメールは裁判取り下げを要求する“圧力”メールだったのです。
25日広島高裁での在ブラジル被爆者裁判控訴審の口頭弁論で、私たち協会の森田隆会長が証人として証言した際、メールの存在を明らかにしました。
この県からの“圧力”を、26日付『中国新聞』が問題視して報じてくださいました。
以下、同紙によれば、男性職員がメールを送る際、上司も内容を確認しながら止めなかったそうです。国際交流室長は「事前に確認したが個人の思いとして書いていたので止めなかった。圧力ととられたとすれば申し訳なく、認識が足りなかったかもしれない」と弁明したということです。
一方、裁判で原告代理人を務めてくださる広島弁護士会の足立修一弁護士は「弱い立場の原告に、県の職員が圧力をかけるようなメールを送るのは大きな問題だ」と憤っておられたようでした。
→ 詳細は『中国新聞』8月26日付 をご覧ください。
(2005年8月26日)
【中国新聞】〔在外被爆者対策は9億1,000万円 当初予算額と同じ 来年度の厚労省概算要求〕
26日付『中国新聞』によると、25日厚生労働省がまとめた来2006年度予算の概算要求に、被爆者対策費として1,594億9,700万円が盛り込まれ(05年度当初予算費1.8%増)、うち在外被爆者対策には当初予算額と同じ9億1,000万円が組み入れられました。
在外被爆者対策の主な内容は
・在外被爆者渡日支援(被爆者健康手帳取得や帰国治療で訪日するための渡航・滞在費支給)
・在外被爆者保健医療助成事業(居住国でかかった治療費の自己負担分の支給、金額上限あり)
など、これまでの施策の継続となっています。
→ 詳細は『中国新聞』8月26日付 をご覧ください。
(2005年8月10日)
【長崎新聞】〔「在外被爆者への支援」小泉首相 長崎・平和祈念式典であいさつ〕
10日付『長崎新聞』は、長崎平和祈念式典に参列した小泉純一郎首相のあいさつ文を掲載しました。
あいさつで小泉首相は「高齢化の進展など被爆者の実情に配慮しながら、在外被爆者への支援も含め、援護施策の推進に誠心誠意努力してまいります」と述べました。
→ 詳細は『長崎新聞』8月10日付 をご覧ください。
(2005年8月10日)
【長崎新聞】〔長崎・被爆60年平和祈念式典営まれる〕
10日付『長崎新聞』は、9日長崎市松山町の平和公園で営まれた「被爆60周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」の模様を紹介しました。
遺族、被爆者の代表が、7月末までの1年間に死亡が確認された2,748人の氏名を記した原爆死没者名簿3冊を新たに奉安しました。
奉安者名はこれで137,339人となりました。
6日の広島での式典に続き、被爆60年の節目になる長崎市の式典には、長崎で被爆された在外被爆者の代表も招待され、私たち協会からは山下広行さんと小斎平ユリ子さんが参列いたしました。また、その他の訪日団メンバーも出席させていただきました。
被爆者の訴えに強く胸を打たれました。
亡くなられたすべての犠牲者の方々のご冥福と、平和への願いを祈りつつ…
→ 詳細は『長崎新聞』8月10日付 をご覧ください。
(2005年8月7日)
【中国新聞】〔在外公館での各種手当申請に前向き姿勢
ただし被爆者手帳交付は否定 尾辻厚労相〕
6日付『中国新聞』によると、尾辻秀久厚生労働相は6日、広島市の平和記念式典に参列した後、広島市内で会見。被爆者援護法に基づく健康管理手当や葬祭料の申請を在外公館で受け付けることについて「検討しなければならない点があるが、鋭意詰めている」と語りました。
また7日付『中国新聞』によると、尾辻厚労相は同じく6日、被爆者7団体の代表と面会し要望を聞きました。
被爆者代表として出席した韓国原爆被害者対策特別委員会の姜文熙委員長は、各種手当や葬祭料の申請について「年老いた被爆者に来日を求めるのはむちゃであり、在外公館で申請できるようにしてほしい」と訴えました。
これに尾辻厚労相は「実情は理解しており、外務省といい方法がないか協議している」と前向きな姿勢で応じたそうです。
ただ被爆者健康手帳を日本国外で交付することについては、法改正を伴うとして否定的な見方を示したようです。
また他の被爆者代表からは、被爆者援護法を改正し「国家補償」の文言を明記する可能性について質問がありましたが、尾辻厚労相は「考えていない」と否定的な回答をした、ということです。
→ 詳細は『中国新聞』8月6日付、7日付 をご覧ください。
(2005年8月6日)
【中国新聞】〔「在外被爆者への支援を」小泉首相 広島・平和記念式典後に述べる〕
6日付『中国新聞』によると、小泉純一郎首相は6日、広島市の平和記念式典に参列した後、記者団に対し「被爆者の高齢化が進んでいる。国内だけでなく在外被爆者への支援も着実に実施していきたい」と述べたそうです。
→ 詳細は『中国新聞』8月6日付 をご覧ください。
(2005年8月6日)
【中国新聞】〔広島・被爆60年平和記念式典営まれる〕
6日付『中国新聞』は、6日広島市中区の平和公園で営まれた原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)の模様を紹介しました。
秋葉忠利市長と遺族代表2人が、この1年間で亡くなられたり、新たに死亡が確認された5,375人の名前を記した2冊の原爆死没者名簿を原爆慰霊碑に納めました。
名簿はこれで85冊となり、242,437人の犠牲者が刻まれました。
被爆60年にあたる今年の式典には在外被爆者とその遺族の代表も招待され、私たち協会からも森田綾子さんと中内淳子さんが参列いたしました。また、その他の訪日団メンバーも出席させていただきました。
亡くなられたすべての犠牲者の方々に哀悼を捧げつつ、平和への誓いを込めて…
→ 詳細は『中国新聞』8月6日付 をご覧ください。
(2005年8月3日)
【中国新聞】〔ブラジル、アメリカ在住の被爆者が広島市で講演〕
私たち在ブラジル原爆被爆者協会の盆子原国彦理事(65、サンパウロ在住)と、「在米被爆者の会」の岡崎昌彦さん(67、ロサンゼルス在住)が2日、広島市内で開かれた「在外被爆者を支援する集い」(主催・在ブラジル・アメリカ被爆者裁判を支援する会)で講演を行いました。
3日付『中国新聞』が報じてくださいました。
同紙によれば、当日は支援者、被爆者ら約30人が出席しました。
盆子原理事は、「来日要件」が壁となり健康管理手当などを申請できないまま亡くなった在ブラジル被爆者の立場や境遇などを紹介し、被爆60年の今年はすべての被爆者を平等に援護する出発の年にして欲しいと訴えました。
また岡崎さんも同じく「手当を受け取れる私は幸せ者。日本に帰りたくても帰れない人にこそ受けられるようにして欲しい」と、援護を受けられない方々への心痛と配慮を訴えておられました。
→ 詳細は『中国新聞』8月3日付 をご覧ください。
(2005年8月1日)
【中国新聞】〔長崎で被爆死のオランダ兵 国立長崎追悼祈念館に遺影を登録〕
1日付『中国新聞』によると、第二次大戦中、長崎市で捕虜として収容中に被爆死したオランダ兵の遺影が4日にも、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に登録されることになりました。
被爆死したオランダ兵はクリスチャン・オールダース大尉(当時30)。記録などによれば、1945年8月9日、旧日本軍収容所第14分所(長崎市幸町、爆心地から1.65`)で被爆、頭骨を折り5日後に亡くなったとされています。
遺影は広島市在住の歴史研究家・森重昭さん(68)の元に届けられたもの。森さんは昨年秋に実施した調査で被爆死したオランダ兵7人の名前を発見。同国の遺族に遺影の登録を呼びかけ、このほどオールダース大尉の妻から遺影が寄せられたそうです。
なお長崎市によれば、原爆死没者名簿には9人のオランダ人捕虜が登録されていますが、個人名は公表していない、ということです。
→ 詳細は『中国新聞』8月1日付 をご覧ください。