かいもん4号のホームページ TRAVEL 北海道 2014夏
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2014年お盆休み、北海道に出かけました。 最近の例にならい飛行機とレンタカーの旅で、鉄道利用は全くありません。 本HPに全くふさわしくないような行程ではありますが、ほんのちょっとだけ「鉄道がらみ」の写真も出てくる、ということでご容赦いただければ。

尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2015年6月14日

朝の岡山空港。

 2014年8月某日、朝の岡山空港です。
 本日これから飛行機に乗り、ここから北海道は新千歳空港まで一直線。 駆け足の北海道旅行に出かけるスケジュールです。
 早朝の岡山空港は出発便のラッシュで、ANAとJALの東京便はじめ、JTAの沖縄便。 更に国際線でソウル便と上海便のナイトステイもありますから、エプロンには皆異なるキャリアの機材が並んでいます。
 これから利用するAIR DOの機材もこれに加わりますが、あおりを喰ってボーディングブリッジではなく、一番端でタラップが取り付けられています。


函館上空。

 搭乗しているのはAIR DOのB737です。
 全日空との共同運航便ですが、今回はお盆休みにしては割安の運賃で利用するため、AIR DOのチケットを購入しました。
 一度は路線休止になったANAの岡山〜札幌便ですが、AIR DOとANAの共同運航の形で復活しました。 岡山でナイトステイになりますので、岡山から北海道に行くには非常に使い良いダイヤになっています。
 おかげで岡山空港朝ラッシュ時に一番脇に外されていましたので、これはタラップから搭乗かと思っていました。 が、東京行きが出発した後、横移動でボーディングブリッジに移されての搭乗となりました。
 離陸時は雲の上の飛行でしたが、次第に雲は少なくなり、能登半島から男鹿半島、そして津軽半島を眼下に望みながら津軽海峡越えです。
 到着地は新千歳空港ですが、本日は函館湯の川温泉泊まりですので、左下に見える函館山の麓までクルマでやって来る予定です。


札幌新千歳着。

 札幌新千歳空港にほぼ定刻着。
 空の上からは下が見通せましたが、下りてみるとやや曇り気味。 気温21℃ということで、出発地岡山の昼間とは15℃もの気温差です。 もっとも、寒いというほどではなくエアコンなしで気持ちいいという感じです。
 これからレンタカーを借り、函館を目指します。 かなりの長距離ではありますが、まだ朝の10時過ぎたばかりですから、非常に便利な便と言うことは出来ます。


函館駒ヶ岳。

 函館の手前、大沼公園までやって来ました。 と書くと非常に順調に思えますが、すでに時刻は17時前です。
 予想外だったのは新千歳空港。
 何せ朝10時頃は各地からの到着便のラッシュ。 お盆休みのお客はレンタカー営業所までの送迎便も長蛇の列で、ここで予定外の待ち時間が発生。 手続き自体は順調でしたが、車に乗って発進したのはすでに11時過ぎ。 室蘭市内で昼食のはずが、出発直後の苫小牧市内でということになってしまいました。
 おかげで大した寄り道はしていないのに、函館近郊到着時点ですでに夕刻です。
 まあ、本日は駒ケ岳をゆっくり眺められればいいことにしておき、この後は投宿です。


立待岬。

 さて、湯の川温泉に宿泊の翌日は、まずは至近の観光地・立待岬へ。 3度目の訪問ですが、車でやって来たのは初めてです。
 かつてはここへ来ると、青森との間を行き来する青函連絡船やカーフェリーが良く見えたものでした。
 この立ち位置で背中に位置する函館港から後方向きに出港するはずの青函連絡船が、なぜ正面を左に向かって進んでいるのか不思議に感じたのが懐かしく思えます。


函館市電。

 レンタカーでの純粋な(?)観光家族旅行(最小催行人数2名)。 ではありますが、折角の函館ですから、たまたま通りがかった地点で市電ウォッチングです。
 立待岬に至近の、函館市電の終点谷地頭付近での場シーンです。
 尚、若干ですがこの付近での写真を数枚アップしております。 GALLERY DOMESTICの 「函館市電」 をご覧ください。


函館山の頂で。

 次にやって来たのは函館山です。
 典型的な観光スポット巡りで、ご覧の通りいかに「鉄道色」の希薄な観光旅行かというのがお判りいただけるかと思います。
 函館山から見下ろす函館湾。 上の立待岬の写真とは真反対を向いていることになります。
 かつての青函連絡船は、函館湾写真の右手から出港し、一度左奥に進んだ後函館山をぐるりと迂回して、背中向きの青森を目指していたわけです。


函館市街。

 函館山から見下ろした函館市街。 函館山を繋ぐ砂嘴の上に人がる市街の様子がよくわかります。
 中央やや左寄りにはJR函館駅と青函連絡船のメモリアルシップ摩周丸。 右側には昨夜の宿・湯の川温泉郷。 中央やや奥には五稜郭と新五稜郭タワー。
 タワーは「旧」しか上ったことがありませんので立ち寄りたい気もしますが、本日もそこそこの走行距離を予定していますので、さすがにそこまでの寄り道は出来そうにありません


函館駅付近。

 函館駅とメモリアルシップ「摩周丸」です。
 かつての連絡船時代の函館駅と比べると、ホームの端がやや向こう側に寄ってしまいました。 が、現在の函館駅構内の様子のほか、連絡船当時の線形が偲ばれます。
 尚、青函連絡船については他コーナーにアップしています。 GALLERY DOMESTICの 「青函連絡船」 をご覧ください。


函館駒ヶ岳を望む。

 手前の峠が邪魔をして、函館市街からは望めない駒ケ岳。 しかし函館山の上まで登ると、天気が良ければ市街地のはるか向こうにそびえる姿を眺めることが出来ます。
 函館山山頂観光は2度目です。 前回は市電+ロープウェイでの訪問。
 実はとあるガイドブックの情報から、「夏場は交通規制のため、車で函館山には登れない」と思い込んでいたのですが、実は規制は「夕刻から夜」。 つまり夜景を楽しむ時間帯だけ。 というのが、先程の立待岬の観光案内掲示で得た最新確実な情報。
 ということで、本日の2番目の観光地に組み込んだ次第です。


北斗市(旧上磯町)方面。

 一方、少し左の北斗市、旧上磯町あたりに目をやると。
 海に突き出た特徴ある形状のコンベアは、日本セメント上磯工場の積み出し用。
 「同工場設備のとある特殊な事情」により若い頃仕事で失敗したことのある私「かいもん4号」ですが、それはさておき。
 何より新しく目立つのは、真横に伸びたコンクリート橋。 北海道新幹線の真新しい高架橋です。 開業1年半以上前のこの時点(2014年8月)ですでにほぼ完全に繋がり架線柱も設置が終わっており、いつ列車が走って来ても不思議でない眺めです。


新幹線ルート。

 2016年3月に函館まで開業する北海道新幹線。 しかし高架橋は北斗市平野部を一直線に抜けた後は、右手前の函館市街ではなく、写真左奥に向かって大きくカーブして、市街と反対側の駒ケ岳方面を目指します。
 函館開業ではありますが、新しい駅は行き止まりの函館市街ではなく、かなり外れにある「新函館北斗」駅。 最終的に札幌方面を目指すための連絡駅です。
 市の中心駅である函館駅とは、距離的には新大阪や新青森とはかなり様相が異なります。
 果たして函館市街からの利便性はどんなものか。 そして札幌方面への利用客の数はどのように推移するでしょうか。


木古内駅。

 立待岬と函館山で市内観光を切り上げて、車で函館湾沿いに西に向かいます。
 次にやって来たのは木古内駅。 別に目的にしていたわけではありませんが、途中通りかかったので折角ですからちょいと寄ってみただけです。
 木古内駅は3月にやって来た時と様子が変わり、自由通路を兼ねた駅舎の入口大改装の真っ最中でした。
 工事用カバーの掛かっている正面右側にあった階段は閉鎖され、左側の仮設のヤグラのような階段から上ってゆくわけですが、雨や雪が降ったら大変そう。 (雪が降るまでには工事完了、でしょうか。)


案内板。

 木古内駅の列車発車案内ボード。 上りも下りも特急列車ばかりです。
この3か月前(2014年5月)に江差線の木古内〜江差間が廃止され、普通列車は函館側だけになってしまい、本数も激減です。
行き先表示からも「江差方面」の文字が消えてしまいました。


駅名標。

 木古内駅の江差線ホーム駅名標です。
 3月以来5カ月ぶりの訪問ですが、江差方面の隣の駅・「おしまつるおか」の文字の上には、目隠しのシール(塗装?)が貼られていまいた。
 あと1年半たつと、JR北海道のシンボルカラー緑のラインも消され、新しい第三セクターの駅名標に付け変えられてしまうのでしょう。
 それさえなくなってしまうことがなければいいですが。


海峡線「スーパー白鳥」。

 ちょうどいいタイミングで、「スーパー白鳥」がやって来ました。 現在は木古内駅の主役ですが、いずれ1年半後には新幹線にとって替わられます。
 本日はお盆の繁忙期ですから2両増結の8両編成で走っていますが、毎時1本というほどの本数でもありません。
 この原稿作成時点で北海道新幹線のダイヤは明らかではありあませんが、新青森駅での乗車率を見ると、10両編成で毎時1本走るほどに乗客がいるとも思えません。
 どのような展開になるでしょうか。

 尚、GALLERY DOMESTICの 「電車特急」 にも「スーパー白鳥」の写真を追加していますので併せてご覧ください。


列車案内。

 函館行きの「スーパー白鳥」発車後表示されたのは、江差線の普通列車函館行き。
 少ない本数の普通列車です。
 第三セクター化後、どのようなダイヤになるか楽しみ?心配?いずれでしょうか。


松前駅跡。

 木古内経由でやって来たのは、松前駅跡です。 ここへやって来るのは、2010年夏以来4年振りです。

(詳しくは 「TRIAL20000」 「松前線」 「TRAVEL」 「東北道南2010夏」 をご覧ください。

 本日は「函館・江差」観光がメインで、その後は洞爺に移動して宿泊というスケジュールです。
 本来函館から江差に移動するには、木古内から旧江差線沿いに峠を越えるのが最短ルート。 しかしながら木古内まで来てみると、江差に抜ける道道は先の大雨の影響で土砂崩れ通行止め中とのこと。 代替ルートはなさそうです。 (とんでもない山道ならあるのかもしれませんが。)
  止む無く海岸沿いに松前経由で江差に向かうことにします。
 とは言え折角松前まで来たのなら、寄ってみたいのは旧国鉄松前駅跡。
 と言うわけで、実は一応選択肢に含んでいた行程と言えなくもありません。
 旧駅前に建つ、お馴染みの石碑です。


松前駅跡。

 駅の裏(というより構内ですが)、北側に回った眺めです。
 駅前にも線路に平行する道路がありますが、旧構内を利用して設けられた道路の方が2車線で広く真直ぐで立派です。
 ちょうど木古内側からホームに進入するあたりの眺めで、写真左手が駅表の海側。 左側歩道の少し左あたりが、駅舎に面した旧1番線ホームでした。
 さて、あまりゆっくりするわけにはゆきません。 函館山観光と松前ルートに変更のお陰で、江差到着は予定より遅くなりそうです。
 今回は松前市内はここだけの観光?見学?にして、早々に江差方面に向かうことにします。


江差線・上ノ国駅跡。

 晴天で美しい日本海の風景を眺めながら、しかしほんの少しペースを上げて江差方面に向かいます。 途中信号らしい信号もなく快調に走り、町らしい町に入ったのは江差の数キロ手前、上ノ国です。
 ここで木古内からの山越えショートカットルートと合流し、江差市街に向かいます。 つまりここから先は、わずかの距離ながら旧江差線の線路と平行している訳です。
 ということで、「丁度道路から入ったすぐの所にある」という理由で旧上ノ国駅跡にちょっとだけ立ち寄る事にします。
 ホームの木古内側の眺めです。 すでに線路は草に覆われかけていました。


上ノ国駅。

 同じ場所から反対側・江差側を眺めたところです。
 夏のことですからすでに草が生い茂っていますが、さすがにこの3か月前まで営業していた区間だけあって、廃線跡とは言いながらさほど朽ち果てているという感じでもありません。
 線路はここから右にカーブし、海岸沿いに江差市街に向かいます。


駅舎?。

 上ノ国駅は商工会館と併設されていた(というより駅が間借りしていたという感じ)ため、駅の部分以外は現在でも立派に活用されています。
 よくよく見るときっぷやストラップの販売の掲示がありました。
 現在も販売しているのでしょうか。


江差を目指す。

 上ノ国から江差までの途中、こんな風景がありました。
 道路から少し離れたところを並行して走る(走っていた)江差線です。
 ちょうど、この年3月に列車で訪問した際の車窓からの眺めと逆になります。


江差駅跡。

 旧江差駅跡にやって来ました。
 駅前広場はがらんとしており、まるで人の気はありません。
 ほんの数ヶ月前には廃止直前の賑わいで溢れていたのがウソのようです。


ありがとう江差駅。

 駅正面です。
 「ありがとう江差駅」の柱が駅跡であることを示していますが、「江差駅」の駅名看板は外され、入口も施錠されてすでにもぬけの殻状態です。
 道内では廃止後にバスターミナルに転用された例もありますが、ここは別にバスターミナルもあり、国道からは少し外れていることもあり、今後どのように活用されるでしょうか。

 尚、江差線については、 「TRIAL20000」 「江差線」 「TRAVEL」 江差を目指して東日本の旅」 を併せてご覧ください。



北の海。

 色々寄り道しましたが、本来江差にやって来た目的は「観光」です。 決して廃線跡めぐりの旅ではありません。
 同行者は初めて。 私も江差駅のごく周辺以外は初めて。 ということですので、ちょっとだけ市内を巡る事にします。
 幸い江差駅跡の洒落た観光案内板はそのまま健在でしたので、それに従うことにします。
 観光の中心地は江差駅からやや北、鴎島から旧市街地・旧檜山爾志郡役所跡付近。 ということでやって来ました、鴎島付近。
 北の日本海という言葉から受ける漠然としたイメージとは全く異なり、穏やかで明るい夏の江差の海でした。


瓶子岩。

 海から握りこぶしが突き出た感じの瓶子岩です。
 北前船の係留跡が残る海岸は、季節柄観光地と言うよりは、海水浴場とキャンプ場の様相でした。


海陽丸。

 浜辺に係留された開陽丸のモニュメント。 3本マストが勇ましい軍艦です。
 係留と書きましたが、砂浜のためこちら側から眺めると海岸に打ち上げられているという感じがしないでもありません。
 こちら側も大勢の海水浴客とバーベキューのグループのため、これだけの写真のアングルを決めるのに一苦労でした。


海陽丸碑。

 開陽丸の紹介の碑文がありました。
 場所的にはもうちょっと目立つところに目立つ感じであっていいんじゃないか、と言う気もします。
 内容は表の文面(次の写真)をご参照ください。


石碑面。

 開陽丸の概要を示すプレート、こんな感じでした。
 説明は省略です。


石碑面。

 上の碑文の文章アップです。
 同じく説明は省略します。


山車。

 江差追分会館内に、2台の山車が展示されていました。
 非常に立派な、見ごたえのあるものです。
 展示のみでなく、ビデオによる説明も充実した内容で、なかなか立ち去りがたい感じでした。


山車。

 この2台の山車。
 昔の遺物的展示品かとおもっていましたが、今でも実際に同じようなものが祭で使われています。
 小さな港の集落ごとに八幡宮があり、ちょうどお盆休みのこの時期、夏祭りの真っ最中。
 江差から北に向かう途中でたまたま出会った数台の「本物」の行列は、迫力があり見ごたえ十分でした。


瀬棚線瀬棚駅跡。

 江差を後にして海岸沿いを再び北へ。
 その後は檜山から国縫へ山越えの後、高速道に上がり洞爺で泊まりの予定です。
 しかし折角檜山を通るとなると、上記ルートからは外れますが一足伸ばしてチョイと寄り道したくなるのがここ。
 駅名標にあるように、旧瀬棚線の終点、瀬棚駅跡です。
 現在は「やすらぎ館」(温泉浴場・総合福祉施設)ということでした。


記念碑。

 駅名標の隣に建てられていたモニュメントです。
 国縫からここ瀬棚までの駅名がひとつひとつ刻み込まれています。
 瀬棚線の廃止自体はすでに25年以上前のことですが、このモニュメントはまだ新しい状態です。


荻野吟子記念館。

 瀬棚駅敷地の残り半分には、この瀬棚町医療センターが建てられています。
 荻野吟子記念館とのことです。


荻野吟子。

 荻野吟子については、この看板の通りらしいので、改めての紹介は割愛します。
 以前連続テレビドラマで取り上げられたこともあるので、ご存知の方もおられるかと思います。


顕彰の碑。

 同じ敷地内(駅の配置で言えば、真正面のやや奥の方)には、「荻野吟子女子顕彰の碑」が。
 非常に立派なモニュメントです。


北檜山駅跡。

 あんまりぐずぐずしていちゃ、夕刻までに洞爺湖に到着できなくなってしまします。 そろそろ引き返さないと本当に危ない。
 ということで、瀬棚の観光名所「三本杉岩」も車窓から眺めるだけにして、あとはとりあえず国縫まで一直線。
 と思っていたのに、走り出したばかりでまたまた寄り道です。
 と言っても、途中の国道から路地を入っただけ。
 北檜山の駅跡は、そのまま函館バスのターミナルになっていました。


現バスターミナル。

 ターミナルの建物の裏側。 ということは国鉄駅時代のホーム側です。
 駅舎から改札口を抜けるとホームに出る、という様子が良く分かります。
 現在は昔のホームの高さに合わせて、線路だった部分が埋められかさ上げされているようでした。

 尚、瀬棚線瀬棚駅跡等の様子については、 「TRIAL20000」 「瀬棚線」 にアップしました。 併せてご覧ください。



バスターミナル内部。

 ターミナルの内部はこんな感じです。 現役で使用されているバスターミナルですから、きちんと整備されています。
 もちろん建物自体の用途は似たようなものですから、全体の構造に大きな変化はありません。
 国鉄時代の駅の様子がよくわかります。


夕刻の羊蹄山。

 さて、北檜山からは花石経由の峠越えで国縫に抜け、高速道経由で洞爺に向かいます。 ということはつまり国縫までは旧瀬棚線の廃線跡をほぼ忠実に辿るわけです。
 運転の車窓には明らかに廃線跡と思われる地形が寄り添ったり離れたりですが、これ以上寄り道すると、宿の夕食に間に合わなくなってしまいます。 あとは横目で眺めるだけにして、何とか夕刻の洞爺湖畔の宿に到着です。
 洞爺湖の向こう側、夕暮れの羊蹄山は、独特の美しいシルエットでした。


夜の洞爺湖畔。

 洞爺湖畔の宿は、お盆休みの観光客で賑やかです。
 夕食を終えた時間帯。 大勢の人が湖畔を散歩し、宿泊客相手の盆踊りや出し物で賑やかです。
 湖畔では、観光遊覧船も夜の出港の準備を。


花火見物。

 洞爺湖畔の温泉街で夏場に毎日開催される花火大会。 時間はさほど長くはありませんが、宿泊観光客を楽しませてくれるには十分です。
 夕食後の散歩のさらにその後の時間帯になりますので、ホテルの部屋の窓から見物です。


朝の洞爺湖。

 一夜明けた洞爺湖畔。
 薄い雲が掛かってはいますが雨を降らせるようなものではなく、羊蹄山も綺麗に見渡せます。
 ゆっくり散歩もいいのですが、何度か宿泊している地ですし、本日は観光含めながら夕刻までに長駆躯道北まで移動の予定。 早々に出かけることにします。


小休憩。

 今回も例によってレンタカー利用で、鉄道乗車はありません。
 新千歳空港至近の営業所から出発し函館へ。 松前から江差、岩内と日本海沿いを回り、再び札幌近郊まで戻って来ました。
 何百キロ走ったか、そろそ給油しないとマズイぞ。 ということで立ち寄った恵庭のスタンドにて。
 出発からの平均燃費リッター19.3キロ。 良く伸びます。
 車はレガシーのツーリストワゴン。 馬鹿でかい図体で最初は取り回しに気を使うほど。 ガソリンもどんどん消費するのでは?と思っていましたが。 流石は信号の少ない北海道の道路です。
 それにしても次回給油までの走行可能距離が1160キロって? 何リッターのタンクを積んでいるんでしょう。


増毛駅。

 一気に場所を移動して、やって来たのはここ、増毛駅です。
 何だか廃線跡ばかり辿っているようですが(と言うより行く先行く先廃線跡ばかりあるのですが)ここはれっきとした「現役」のJR駅です。
 駅舎はこんな感じですが、これまでの廃線跡の駅舎と比べても、あまり「駅」という雰囲気ではありません。


増毛駅ホーム。

 ホーム側、というか駅舎の裏側に回ってみると。
 建物こちら側は確かに「駅」という感じです。 向こうにホームもありあますし、レールもちゃんと敷かれています。(当たり前だが。)
 残念ながら次に列車がやって来るのは1時間以上先です。 なにせ列車がやって来るのは1日7回だけのローカル線ですから。 一応留萌「本線」の終点駅なのですが。


増毛駅前。

 駅舎はあまり「駅」らしくありませんが、駅前広場付近の眺めは立派な「駅前風景」です。 旧市街地の方を向くと、「こんな風景だったな」と言う感じです。
 ここにやって来たのは1979年10月以来2度目です。 この時はやって来た列車でそのまま引き返しましたので、増毛の町は駅前風景を眺めただけで終わりでした。
 駅前の印象は概ね記憶通りですが、駅の裏側(北側)は、もっと海が迫っていたんじゃないかな?という感じです。
 岩内かどこかと記憶がごちゃごちゃになっているのでしょうか。


駅前通り。

 鉄道はかなり貧相ですが、瀬棚の町はかつて鰊漁で賑わった当時の街並が残されており、最近は観光客の呼び込みにも力を入れているようです。
 ちなみに増毛町内(特に駅前)は、昨年(2014年)亡くなられた高倉健さん主演の映画「駅 STATION」の舞台にもなった町で、ロケに使われた建物を偲ぶこともできます。

 尚、留萌本線増毛駅の様子については、 「TRIAL20000」 「留萌本線」 にアップしました。 併せてご覧ください。



旧商家。

 立派な建物は、旧商家丸一本間屋です。
 駅前広場から続く通りの広くないエリアに見どころは集まっています。
 観光客はほとんど車ですが、駐車エリアは駅から少し離れていますので、そこから町並みを眺めながらの散策で、終点がJRの増毛駅、ということになります。


バス。

 丸一本間屋の前を走る沿岸バスは、留萌から大別苅行き。
 鉄道よりはバスの方が中心でしょうか。
 この沿岸バス、留萌をはじめ旧羽幌線沿線の広い(長い)エリアをカバーしています。


旧増毛小学校。

 こちらは、海岸沿いの増毛市街から少し離れた、旧増毛小学校跡です。
 海岸から少し坂を登った所にあり、徒歩での散策では山手側はこのあたりが終点となるようです。


木造校舎。

 古い木造の小学校。 ですが、ほんの2年ほど前までは実際に使用されていたようです。
 私「かいもん4号」は小学校も中学校も高校もこんな木造校舎(大学にも一部残っていた!)でしたので、当時の様子が懐かしく思えます。 年齢からゆくと「鉄筋の校舎」で勉強した方がはるかに多い世代なのですが、なぜか運の悪いことに・・・。


旧校舎。

 「現役です」と言われても不思議ではない雰囲気の木造校舎。 まだかなり良い状態です。
 しかし中庭の草の茂り具合から、すでに使われていないというのが判ります。
 今後どうなるのでしょうか。


花田家番屋。

 増毛から留萌市内の海岸のビューポイント、黄金岬を経由して、そのまま北へ向かいます。 写真はありませんが、真夏の黄金美岬は観光地というより地元の海水浴客で溢れかえっていました。 片側1車線の道路の両側が駐車場状態で、通りにくいこと。
 それはさておき、次の「観光地」は日本海沿岸、ニシン漁の「花田家番屋」です。
 北に向かう海岸の道路沿いですから、観光というよりは「休憩を兼ねた寄り道」と言う程度です。
 詳細は案内看板の文字をご参照ください。


番屋。

 番屋の建物本体はこんな感じで、大きな木造の建物です。
 相当の人数を収容できていたことが想像されます。
 立地条件は「こんな所に!」と思うような周囲に本当に何もない場所ですが、当時の賑わいが想像できます。


木造建屋。

 もう一枚、角度を変えての写真です。
 昔の大きな学校のようでもありますが、海に向かって大きな見張り場所があるのが、鰊番屋を特徴づけています。


番屋と廃線跡。

 古い木造の重要文化財ですから、通常の消火設備だけでなく屋外の放水銃で守られています。
 それはともかく、先程から気になるのは後方の2つの建物の間。 高台への階段を少し上った先にある「地形の段差」です。


羽幌線廃線跡。

 地形の「段差」部分まで上るとこんな風景になります。 旧国鉄羽幌線の廃線線路跡です。
 留萌〜幌延間の大部分が延々海岸線を走っていた羽幌線。 乗車したのは1回きりですが、こんな感じで海を眺めながら走る眺めが、同線の代表的な車窓風景として記憶に強く残っています。


沿岸バス羽幌ターミナル。

 次の寄り道は「羽幌バスターミナル」です。 ターミナル敷地の入口、こんな「石碑」が建っていました。
 文面から判る用に、ここが旧羽幌線羽幌駅跡です。
 駅正面入り口向かって右側、というロケーションにひっそりと建っていました。


石碑。

 石碑に刻まれた文章(短歌)については、本写真をご参照ください。
 昭和の終わりとともに失くしたものも多いように思います。


観光マップ。

 バスターミナルに向かって建っている観光ガイドマップです。
 鉄道駅時代は駅前広場のど真ん中ですから、廃止後かなり後に建てられたものと思われます。
 天売島も焼尻島も魅力はあるのですが、さすがにこれはスケジュール的に無理。


公園。

 駅敷地のうち、バスターミナルと車庫に使用されているのは南半分。 駅前通りを境に北半分は、広い広い「公園」になっていました。
 ちょうど旧天北線(興浜北線)浜頓別駅跡と同じような感じです。
 随分贅沢でもったいない?利用方法ではあります。


モニュメント?。

 もうひとつ。 駅前通りからそのまま駅跡を貫く道路の終端には、こんなモニュメントが建てられていました。
 バスのお客向が中心でしょうが、残念ながら圧倒的に多いレンタカーの観光客が、国道をそれてわざわざバスターミナルに入って来るとは思えません。 (除く、羽幌線の廃線跡を探訪したいレンタカー客)
 本日もまたまた予定外の?「廃線跡探訪」で時間を取ってしまいましたので、この後は真直ぐ道北・豊富温泉の宿を目指すことにします。  尚、羽幌線の他の写真を、 「TRIAL20000」 「羽幌線」 にアップしました。 併せてご覧ください。



利尻富士。

 北海道4日目です。
 昨夕車窓からちらっと眺めた利尻島利尻富士。
 幸い良いお天気に恵まれましたので、改めてベストのビューポイントから眺めてみようと思います。


利尻富士。

 浜湧知園の湿原から眺める利尻富士です。
 天塩から稚内への道路、道道106号線。 真直ぐな線形の平らな道が延々と続き、さすが北海道という典型的な路線です。
 海側には、延々利尻富士が眺められます。
 この区間は「廃線跡」と並行していませんので、安心して?車窓から自然の風景を堪能することが出来ます。


湿原と利尻富士。

 海越えに眺める利尻富士も良いですが、北海道に多く見られる湿原越しもまた楽しい眺めです。
 そしてクルマばかりでなく、ゆっくりと遊歩道を歩いて見るのもまた良しです。


0.3km鬼志別駅⇒。

 早朝の利尻富士方面(北海道本土から)観光の後は、一気にオホーツクに向かいます。
 ここまで北に来ると稚内は至近なのですが、ノサップ岬も宗谷岬も以前に訪問したことがあるため、今回は少しだけショートカットで浜湧知から鬼志別経由でオホーツク沿岸へ。 そして本日は更にオホーツクを眺めながら更に南下し、温根湯温泉まで。
 結構長距離の行程です。
 日本海側からオホーツクに抜ける途中、沼川付近からは、旧国鉄天北線の廃線跡と並走。 クルマの車窓からそれらしい跡を眺めるも、何せかようなスケジュールですから、後ろ髪を引かれる思いで無駄な「寄り道」なし。
 のはずだったのですが、鬼志別市街の道路案内で、こんな文字を見つけてしまいました。
 本来の進路は「直進」ですが、これでは「右折」しないわけには行きません。


鬼志別駅。

 上の標識に「0.3km」とあるとおり、国道からそれてほんの少し進んだ所にそれはありました。 旧天北線鬼志別駅跡です。
 標識では「鬼志別駅」でしたが、現在はバスターミナルに使用されています。
 ま、機能的には「駅」と同様と言えます。


バスターミナル。

 ここ鬼志別の宗谷バスターミナルは、立派な、といういより立派すぎる?大きな建物です。
 ちょうど浜頓別方面への路線バスが発車を待っているところでした。
 バスターミナルとともに「観光案内所」を兼ねており、どちらかというと案内所スペースの方が広くなっています。
 実際のところ、観光で訪問するお客はどの程度いるのでしょうか。


鬼志別駅浜頓別方面。

 バスターミナル建物を背にして、オホーツク側浜頓別方面を眺めたところです。
 かなり幅の広い敷地が、草が生い茂ったままで活用されずにそのままでした。
 北海道の廃線跡駅敷地。 「バスターミナル」「広い公園」「道の駅」などに活用されていますが、どちらかというと広さをもて余していると言うか、実際には活用されていないスペースもかなり残っています。


自転車道と交差。

 浜鬼志別でオホーツク沿いに出て、ここから進路は東から南向きに。 そのまま進めば浜頓別市街ですが、国道238号線から少し進路を外れます。
 と言っても廃線跡探訪ではなく純粋な「観光」です。 クッチャロ湖からオホーツク方面を一望できる「クローバーの丘」に登ろうという企画です。
 が途中道道は、ちょっと気になる「自転車道」を横断します。


「熊出没注意」の自転車道。

 自転車道です。 しかし見たところ、このタイミングで「利用」している人は全くいません。
 真直ぐな立派すぎる?自転車専用道、先程の鬼志別駅から続いている、旧天北線の廃線跡を活用したものです。
 オホーツク沿いは、天北線や湧網線の廃線跡が長い長いサイクリングロードとして整備されていますが、真夏のこの時期でも走っている姿を殆ど見かけません。
 あまり活用されないまま整備もされず、そのうち草ぼうぼう。 何てことにならなければいいのですが。
 それにしても、自転車道で「熊出没」って、ちょっと怖いです。


クローバーの丘から、神威岬方面。

 「クローバーの丘」に登ってみました。 もちろんクルマでです。
 地元で頂いた観光ガイドマップのみに地味に載っている場所ですが、道道を外れて細い農道を登ってゆくと、わずかの駐車場とさほど広くない広場(変な表現?)と「鐘」以外にあるのは畑だけ、と言う感じの、ガイドマップ以上に地味な観光地。
 少なくとも観光バスで押しかけるような所ではありませんし、大した標識がないため農道への入り口を一度通過してしまいました。
 が、意外なことに20分ばかりの滞在の間に、クルマやバイクの観光客が数組訪れました。


クローバーの丘から、クッチャロ湖。

 さほど高くないなだらかな丘の上。 しかしクッチャロ湖が意外と広く眺められます。
 沼の周辺にあまり高い山はないようなので、やはり俯瞰するならここ、ということになるでしょう。
 オホーツクを眺める、というよりはクッチャロ湖と湿原を眺めるための展望台、と言う感じの眺めでした。


クッチャロ湖。

 浜頓別市街です。
 クッチャロ湖を眺めるならここ、という定番の観光地は、市街地中心部にほど近く、売店やレストランなど結構な賑わいを見せる観光地です。
 ここも二度目ですが、折角傍を通るのならちょっとだけでも立ち寄ってみれば、という気にさせる観光地です。


現在地。

 浜頓別町中心部付近です。
 国道275号線。 左(南)に行けば音威子府方面。 右に行けば北の稚内方面で、市街地を少し進んだ先で南のオホーツク沿い・北見枝幸方面に分岐します。
 そして真直ぐ西に進めば、昨夜から今朝までの宿泊地豊富温泉方面。
 本日は昼までかけて少し遠回りで浜頓別までやって来たことになります。


浜頓別。

 浜頓別、やってきたのはここです。
 この標識を眺めるのは2007年以来2度目です。
 旧国鉄天北線・興浜北線の浜頓別駅跡。
 ちょうど上の写真の道路標識を見上げるあたりに、この「興浜北線跡」の標識が建っていました。


車輪オブジェ。

 上の写真位置から少し南東に歩いたあたり。 つまり浜頓別駅跡から興浜北線沿いに、やや北見枝幸寄りに進んだあたり。
 こんな車輪がオブジェとして置かれていました。
 前回2007年訪問時ここまで歩き回りませんでしたので、気づきませんでした。
 上の写真の標識をよく見ると、「車輪オブジェ」という文字も見えます。 よくよく見ていれば気づいていたのでしょうが。


水路。

 2枚上の標識にもありますが、興浜北線の線路跡を利用した水路と遊歩道です。
 鉄道線路跡が開削されて「水路」になるって、あまり聞いたことがありません。
 そのままの地形(盛り土)を利用して活用される例はいくらでもあるのですが。


浜頓別バスターミナル。

 浜頓別のバスターミナルです。
 旧浜頓別駅は、天北線の中間にあるオホーツク側中心駅だったのに加え、興浜北線も分岐していましたから、かなり広い敷地でした。
 跡地の一部はこのバスターミナルに転用されていますが、ここもまた恐ろしく広い敷地のターミナルです。
 残念ながら広さに見合ったバス発着本数があるとは言えないのが実情です。


観光案内板。

 バスターミナル向かいの浜頓別町案内の看板。
 ちょうどバスターミナルの上(北)側、「現在地」が駅正面で、右手(東)に伸びる「大通り」がかつての駅前通りです。
 よく見ると、天北線の跡。 「サイクリングロード」の表示も見られます。
 ちなみに先ほど上った「クローバーの丘」。 この地図では道道のすぐ横のように描かれていますが、全くそんなことはありません。


神威岬方面。

 浜頓別から先、オホーツク沿いを南に向かいます。 つまりかつての国鉄興浜北線沿いを北見枝幸方面、さらにその先を目指します。
 いわゆる観光地ではありませんが、オホーツクに突き出した神威岬。 ここだけはちょっとクルマをとめて立ち寄りたいと思います。


神威岬へ。

 現在の国道278号線は、神威岬先端を回ることなくトンネルで岬の付け根を一気に抜けてしまいます。
 しかし折角ですから、ここは旧道を進み神威岬を経由することにします。
 かつての興浜北線も同様で、険しい岬の先端を大回りで南に向かっていました。
 山側やや高いあたりに、線路跡の段差がよくわかります。


灯台。

 神威岬先端に建つ、北見神威岬灯台です。
 山頂の標高の高い場所と言うわけではありませんが、オホーツクに突き出した岬の先端から、海を守っていました。


北見神威岬灯台。

 クルマを下り、草の茂った山道を少し登って、灯台に近づいてみます。
 近寄って見るとそこそこ大きな建造物でした。
 しかし少なくとも観光客がやって来るような場所でもありませんし、それに対応できそうな設備も一切ありません。
 もちろんここまで上るのも、生い茂る草をかき分けて進むような細い道でした。


灯台紹介。

 北見神威岬灯台の案内です。 岬の先端で風雪にさらされ、かなり傷んでいます。
 詳細は写真をご覧ください。


神威岬と廃線跡。

 神威岬灯台の足元から、オホーツク沿いを眺めたところです。 岬を回る旧道からは少々登った場所になります。
 少し下に見える、草むらが途切れた僅かの平地。 旧興浜北線の廃線線路跡です。
 本日は真夏のよい天気で青い海。  ですが、前回やって来た時は早春3月、というより真冬の雪の中でした。


神威岬と廃線跡。

 浜頓別方面から正面神威岬先端をぐるりとまわって来た興浜北線は、左手に進み、岬の根元に戻ります。
 岬の海岸沿いに、忠実に地形に沿って走る線路は、冬の間は難所でもありました。


バスターミナル。

 神威岬からに南に進むこと20キロばかり。 枝幸の町にやって来ました。
 ここでは観光の予定はありませんが、折角ですからちょっとだけ国道から外れて寄り道です。
 町中にある、枝幸バスターミナルです。


北見枝幸駅跡?。

 バスターミナルは、国鉄興浜北線の終点・北見枝幸駅跡に建っていました。
 本来の興浜北線は、ここから南側・興浜南線の終点雄武とつながり、興部〜浜頓別の興浜線が完成するはずでしたが、結局全通することなく両線とも廃止されてしまいました。
 バスターミナルと道路を挟んで向かいに公園と「北見枝幸駅跡」の石碑がありました。
 が、実際の駅中心部は石碑部分ではなく、後ろのターミナルのあたりのようです。


バスターミナル。

 旧駅正面ほぼ中心部、現在の枝幸バスターミナルです。
 市街地はかなり手狭な町中の密集地、という感じです。
 駅跡も、本日の鬼志別や浜頓別のように広々とした感じではありあません。


駅前食堂。

 旧駅敷地と面して建っている古い大きな木造の建物。  「一級食堂」と表示がありますが、昔からある駅前食堂と言う造りです。
 現在も「営業中」の幟が上っており、何やら積み上げられたケースから、現役の建物であることが伺えます。


元駅前風景。

 昔の駅前通り。
 ほんの僅かに下りながら真直ぐ伸びる先には、オホーツクが広がります。
 バスターミナルの一角に立って眺めた風景で、ちょうどこのあたりが駅正面口でした。


市街マップ。

 ターミナル前にある、枝幸町市街マップ。
 縦横に交差した通りと線路は斜めの関係になっていましたので、現在の市街マップからは線路跡を推測することはできません。


2015年4月20日追加

雄武駅跡道の駅。

 北見枝幸から雄武までは「線路」が無かったところですから、寄り道もよそ見もする必要はありあません。
 (未成線跡はあるのですが。)
 その代りこれたる観光地もありませんから、オホーツクを眺めながらもほぼ素通りです。
 ということでやって来たのは雄武の町。
 町なかにある「道の駅」でちょっと休憩です。


雄武駅跡。

 いかに国道沿いと言えども、市街地のど真ん中に「道の駅」とは変わった立地です。
 ここは旧興浜南線の終点・雄武駅の跡。 ちょうど国道沿いにあるなら寄ってみようか、という感じで、この「道の駅」に来るのは2度目です。


展望台。

 「廃線跡めぐり」ではありません。 ここはれっきとした「観光地」です。
 駅跡に建てられた道の駅の設備。 地上30メートルの展望台を備えており、オウムの街並みと港、その向こうの左右に広がるオホーツクを一望できるスポットです。
 すこし柱が邪魔気味ではありますが、非常に(異常に?)立派な展望台です。


オホーツク。

 展望台から真正面、オホーツクを望みます。
 実際市街地中央でこのように街並みや海を眺められる場所なんて、そうそうありません。 なかなか贅沢な気分になります。
 残念ながら、これだけ立派な設備があるのに、展望台の上は大盛況とは行かず、むしろ閑散としていました。


オホーツクと廃線跡。

 展望台から海に向かって右手横、つまり南側を眺めた風景です。
 南に延びるオホーツクと、海岸に沿って走る国道。 そして、ちょうどこの足元から国道よりやや右側を真直ぐ向こうに伸びる草の茂った築堤。
 旧興浜南線の廃線跡です。
 ここでは特に跡地が活用されている様子は見られません。


道の駅。

 道の駅内部、一階の様子です。
 軽いスナックもある売店は、こじんまりとはしていますが、展望台と違ってそこそこのお客も出入りしています。
 折角の設備ですから、もう少し展望台に誘導する工夫があっても良いと思うのですが。


ギャラリー。

 道の駅、売店以外の半分強はギャラリーです。 立地柄、昔の興浜南線の写真が大半を占めていました。
 ひとつひとつじっくり眺めたい気もしますが、この後は興部から湧別。遠軽を経由して温根湯温泉までゆかなければなりません。 まだまだ長距離ですし、この先のオホーツク沿いは5年前に一度、クルマでも訪れた事があるところです。
 ここから先は観光地も廃線跡も素通りして、道内最後の温泉宿でゆっくり過ごすことにします。


石北峠。

 道内最終日です。
 本日は朝温根湯を出発し、夕刻札幌新千歳空港から帰路に着くスケジュールです。
 札幌までの主要ルートとしては、旭川経由の「石北本線(に近いイメージの)ルート」と、帯広か十勝清水へ抜けて日勝峠を越える「根室本線・石勝線(に近い)ルート」があります。
 今回は「日勝峠ルート」を通る予定です。 同行者は「団体旅行で通った」らしいですが、私は初めてですので。
 ちなみに上記ルート名は、「鉄道路線で言えばこんな感じになる」というイメージで、実際の鉄道と国道の場所はかなり離れてはいます。
 いずれのルートにしても、まずは西に進路を取り、この「石北峠」を越えることになります。


三国峠。

 石北峠を越えた後は、旭川ルートなら層雲峡方面へ。 石勝ルートなら、この三国峠を越えて十勝平野方面へ降りて行くことになります。
 トンネルで三国峠を十勝側へぬけたところにある展望台。 真夏だと言うのに少し肌寒く、大雪山山麓の日影にはわずかに雪も残っていました。


三国峠を過ぎると。

 三国峠を越えてこれから先は下り坂。
 帯広まではまだまだ相当に距離がありますが、ちょうどこの下り坂を下りたあたりが「十勝三股」になります。


十勝三股。

 かなり急な坂道を、十勝三股まで下りてきました。
 次の目印はこのバス停。 かつての国鉄士別線の終点、十勝三股駅前です。
 やってきたのは三度目。 レンタカーで来たのは2007年に続き二度目ですから、今回は迷うことなくここで「一旦停止」です。


終端側。

 どうせ国道沿いなのだから、運転休憩も兼ねて駅跡をちょっと訪問、と言う企画です。
 駅跡の草むらはありますが、道の駅はおろか他には全く何もありませんから、同行者はクルマの中で待たせたままです。
 十勝三股駅跡、終端側(三国峠側)の様子は、前回と同じような感じの草むらでした。


糠平方面。

 十勝三股駅の終端側から駅の敷地、そして帯広方面を眺めたところです。
 7年前に訪れた時よりも草が伸び放題で、一層荒れ地になった感じがします。
 中ほどにある「休憩所」のような小さな建物も、今回は相当に荒れ果てていました。


廃墟?

 確かこのあたりにターンテーブルがあったと記憶しているのですが。 昔駅関係の構造物があったところは、全て草で覆われており、どこに何があったかは全くわかりません。
 足元の判別がつかないので「立入禁止」の看板が立てられていました。 ゆっくり探索するなら、夏よりは草が生える前の5月頃がよさそうです。


2015年5月17日追加

第五音更川橋梁。

 十勝三股から糠平までは、国道と士幌線線路跡がほぼ並行して伸びています。
 ということで、「特別な寄り道」はしませんが、「ちょっとクルマを停めての休憩」程度ならいいかな?
 次の小休憩は「第五音更川橋梁」と「幌加駅」です。 互いに至近にあり、国道沿いの休憩所にクルマを停めて徒歩でまとめて訪問可能です。
 まずは、国道からも眺めることのできる「第五音更川橋梁」から。


観光案内。

 国道沿いの休憩所(北海道開発局の除雪ステーション)の駐車場横。 第五音更川橋梁への遊歩道案内です。
 国道を歩いても全く問題ありませんが、とりあえずこの案内に従って、遊歩道を進んでみることにします。


橋梁。

 国道から少し奥まった所にある「第五音更川橋梁」。 士幌線では大きなアーチ橋のひとつです。
 駐車場からここまでは、国道に沿った遊歩道を300メートル程遡り、更に川沿いに50メートルばかり進みます。
 残念ながら、橋の上は「立入禁止」でした。


遊歩道。

 第五音更川橋梁から幌加駅跡までは、線路跡が遊歩道になっています。
 雑木が生い茂った日影の遊歩道ですが、訪問客はいくらかあると見え、足元の草は踏まれてさほど歩きにくい感じでもありません。


幌加駅跡。

 幌加駅跡です。
 第五音更川橋梁から遊歩道を進み、十勝三股側から帯広側に向かって眺めたところです。
 ここは7年前とほとんど変わっていないように思います。


案内板。

 幌加駅跡の、昔の写真入り案内板。 昔の幌加駅の構造線形がよく判ります。
 駅舎があった付近は今は何の跡形もなく、雑木が生い茂るばかりで、とても駅があったとは思えません。


幌加駅ホーム。

 前回7年前に訪れた時は、上の案内板の写真とそこからの眺めに満足して、これだけで引き返したのですが。 折角橋梁側から遊歩道を歩いてきたので、今回はあと少しだけ進んでみたくなりました。
 レールやホームの遺構が残っていました。 おまけにホームには、あとから再建されたであろう駅名標まであります。
 草が生い茂ってはいますが、ゆっくりじっくり歩きまわれば、実は色々「発見」できるかもしれない幌加駅跡でした。


タウシュベツ橋梁。

 次です。
 士幌線と言えば、一番有名(?)なのは、このタウシュベツ川橋梁。 大抵の観光ガイドブックには載っている観光スポットです。
 と言っても橋梁自体は1955年の糠平ダム完成により使われなくなり、士幌線は湖のこちら側(今この写真を撮っている背中側)に付け変えられました。
 実際の観光は、糠平湖のほぼ対岸にあるこの展望台から眺めることになります。


観光案内。

 展望台にある案内板です。
 詳細はご覧の通り、ということで説明は省略です。


展望台。

 展望台、と言うほど広くもなければ、左右の見通しも利きません。 ただ真正面に見えるタウシュベツ川橋梁を眺めるためだけにある、小さな展望台です。
 橋梁は広い糠平湖のはるか向こう側。 糠平と幌加の間の線路が全く違う場所に付け変えられたのがわかります。


案内標識。

 駐車場から上の展望台まで、雑木林の中の歩道を歩く途中、この標識がありました。
 これによると、駐車場から展望台までは180メートル。 実際に歩いても、大した距離ではありません。
 ちなみに標識の立っているこの場所が、廃止前(=ダム完成による路線付け替え後)の士幌線跡になります。


三の沢橋梁。

 次の寄り道は、「三の沢橋梁」です。
 何か一杯寄り道している感じですが、国道を走っていると駐車場の表示と案内表示が目に入るものだから仕方ない。
 クルマのドライバー向けにちゃんとした案内表示が出ているということは、これは決して「趣味に走った廃線跡巡り」の旅ではなく、あくまで「観光家族旅行である」との位置付けです。


橋梁跡。

 三の沢橋梁です。
 国道沿いの駐車場から階段を数段下りて進んだすぐの場所にあります。
 道案内の標識もしっかりしていますので、迷うことはありません。
 ちょっと寄り道には手頃な距離、ということで、以外にも一般の観光客の立ち寄りが結構多かった三の沢橋梁でした。


橋梁跡遊歩道。

 ここ三の沢橋梁は前後が遊歩道として整備されており、橋梁自体も渡る事が出来ます。
 もっとも元がアーチ橋ですから、鉄橋のように下が透けて見える、という訳にはゆきません。
 が、退避所の跡がそのまま残されていたり、雰囲気はつかめます。


橋梁跡。

 三の沢橋梁、並行する国道から見下ろすとこんな感じでした。
 十勝三俣を出て道路とほぼ完全に並走していた線路ですが、糠平に向かって下りが急な区間に入るため、線路の方が一足先に下り始めます。


鉄道資料館。

 士幌線跡最後の寄り道は、ここ糠平駅跡です。
 ここも7年前に訪れているのですが、ここだけはついでの寄り道ではなく、目的があります。
 この「上士幌町鉄道資料館」。 前回訪問時は曜日の関係で、残念ながら休館日でした。
 今回は廃線跡はともかく、この資料館を見学しようと言う企画です。


資料館内部。

 さほど広くない資料館ではありますが、展示物は見ごたえ十分でした。
 有料の資料館ですが、全く高い訳ではありませんし。
 


糠平駅跡。

 糠平駅、十勝三俣側です。
 残念ながらここから先は、実際には列車には乗車したことがありません。
 学生時代に列車でやって来た時、すでに糠平と十勝三俣の間は乗客僅少のため、列車から「代行バス」に置き換えられた後でした。
 代行「バス」と言っても、タクシー会社が委託で運行する小型のマイクロバスでした。


現駅名標。

 踏切と駅名標はありますが。
 駅名は国鉄「糠平」ではなく、ひがし大雪高原鉄道の「糠平」だそうです。  この横からトロッコ列車が発車しているようです。
 ちなみに隣の駅は、国鉄時代のままの「ほろか」と「くろいしだいら」でした。


2015年6月14日追加

リッター20キロ超。

 糠平で士幌線跡と分かれ、山越えで十勝清水に出てきました。
 糠平からのルートとしては、士幌線沿いに走り帯広に出るルートがあり、こちらはおそらく平地で道路状態もそこそこ。但し距離が長い。
 もう一つは山越えで然別湖畔を通り、直接十勝清水に出る(おそらく)ショートカットルート。
 今回は然別湖畔を車窓から観光、と思っていたのですが、なかなか難所の山越え区間と湖畔のつづら道でした。
 しかしながら、これまで道内の非常に状態の良い信号のない道路中心に走ったお陰で、燃費は20キロ超。 デカい図体の割に意外とよく走るレガシィでした。


日勝峠。

 この先は「鉄道」色はなし、です。
 というか、士幌線沿線で意外と時間を取ったのと、糠平から十勝清水までの山道が予想以上に時間を要した。
 ということで、新千歳空港までの残り距離を考えると、変な所で引っかからずにそろそろ真面目に真直ぐ進まなきゃなりません。
 とは言え、寄ってみたいのは日勝峠。 先にもどこかで書いた通り、私はここは初めてです。
 少々霞み気味ではありましたが、十勝平野の展望が広がる日勝峠でした。


日高町。

 日高町の道の駅樹海ロード日高です。
 ここで、今回の旅行では(準備も含め)一番大きな失敗?をしました。
 日高町と言えば、太平洋岸は日高本線の鵡川からかつて伸びていた富内線の終点駅。 当然どこかに駅跡があるはずなのですが、今回は全く事前リサーチしていませんでした。
 と言うより、十勝方面から国道で札幌に向かうのに途中富内線の終点を通る、という道路地図が頭の中で全く繋がっていなかったのです。
 鉄道なら十勝から札幌ヘは狩勝峠から富良野回りか石勝線経由でトマム回り。 富内線の終点はずっと南のはず、という認識が根強かったわけです。
 おまけにクルマで通った日高町は意外にも賑やかで、かつて訪れた富内線日高町の印象と大きく違っていた、ということです。
 道の駅で休憩し、クルマで札幌に向け暫く走った後に、ふと、というかやっと気付いたが後の祭り、と言う次第です。
 仕方ありません。 機会があれは、今度はしっかり調べておくことにしましょう。


新千歳空港。

 夕刻の札幌新千歳空港です。
 恐れていたのですが、お盆休み最終の日曜日の夕刻。 出発ロビーは恐ろしい人の行列で、搭乗手続きと手荷物預けがギリギリになるのでは?と言う雰囲気。
 これでは手土産を買う時間も無いのでは?
 仕方ありません。 こういう時はちょっとだけ「裏技」を使わせていただきます。
 2階の一般チェックインを避けて、1階の団体チェックイン窓口へ。 団体客で混雑さえしていなければ、混雑時は一般客も行き先に関係なく受け付けて頂けます。
 幸い「ガラ空き」状態。 すぐに手続きして頂け、無事お土産を買う時間も捻出できました。
 それにしても、もし「日高町の駅跡」あたりでつかまっていたら、本当に時間がギリギリだった、かも。


岡山空港。

 ということで帰路の飛行も順調。
 岡山空港着は20時過ぎですので、往復とも道内の滞在時間を最大限活用できる便利な便と言えます。
 ところでこのコーナーの一枚目の写真にあった通り、到着時の岡山空港はボーディングブリッジではなくタラップ使用でした。 岡山空港で利用したのは初めてです。
 もっとも狭いエプロンですから、広い空港のようにバスに乗ることもなく、タラップからすぐに空港ビルに入れますので、さほど不便さを感じることはありません。


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