かいもん4号のホームページ HURC
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内輪ネタのコーナーです。 縁もゆかりも関心もないと言われる方には申し訳ありません。
1977年から4年+1年の学生時代+αの交遊録?です。
コーナー開設のリクエスト下さったあなた、そのうち登場して頂きます。
関係者の方のご意見・非難・抗議のメールをお待ちしております。 このコーナーは写真を追加してもLOGでのアナウンスはいたしません。勝手に見てね。
尚、本家HURC(広島大学鉄道研究会)のホームページへは、編成表LINKからどうぞ。

2011年2月13日追加

ユーロライナー金星51号
岡山大学鉄道研究会編 1985年12月
 先日岡山の某模型店にて、学生時代にHURCと親交のあった岡山大学鉄道研究会のMo氏(群馬県在住)に20数年ぶりにお会いしました。 そう言えば、岡大メンバーの写真がどこかになかったか?
 と思って探して見ると、こんなやつが出てきました。 列車は西鹿児島行き、年末の臨時特急金星51号です。
 通常は14系座席車で運転される金星51号。 ですが、1985年の年末は、通常の14系編成に加えてユーロライナーの車両(グリーン車扱い)が連結されました。
 確か同年11月の岡山大学大学祭。 久々にお会いして盛り上がるうちに、年末はこの列車で鹿児島に行こうじゃないかとの企画が持ち上がり、参加させていただいた次第です。

 参加したのは10名で、6人室と4人室を一つづつ押さえての企画でした。 しかしながらOB会みたいなものですから、広い6人室に集まって夜通し騒いでいたような気もします。
 「走る応接室(またはサロン)」的な車両なのですが、どう見ても「走る下宿」です。 一応全員社会人のはずなのですが。

 終点西鹿児島到着です。 集合記念写真などというフォーマルなものでなく、めいめいてんでバラバラの記念撮影ではありました。
 いちおうこの列車乗車が主目的ではありますが、折角の機会ですからこの後(ほぼ?)全員で矢岳訪問後、夜の宮崎でまたまた少々騒いだ記憶があります。


2010年8月1日一部追加

四国方面 1979年7月18日
 1979年のHURC夏合宿は、四国(高知宿泊)でした。
 鉄道地図ではあまり広くない四国。 その地域性もあって、私を含め全員がさほど長くない小旅行程度の旅でした。
 とは言え、当時の四国内には夜行列車が高松を起点に土讃、予讃本線に各一往復、これに加えピークには臨時うわじま51号もあります。 更に、本州内の急行鷲羽や接続の宇高連絡船、これに接続する四国内の未明始発の列車を加えると、かなりバリエーションが広がるのも確かでした。
 写真は、2泊3日の合宿(高知駅前のユースホステル利用)の最終日、窪川から高松までの普通夜行列車762Dの車内です。
 普通列車とは言え、急行「あしずり」と共用運用のこの列車にはグリーン車が連結されています。
 周遊券と安価な普通グリーン券で乗車可能のため、東海道の347M同様リーズナブルな一夜ではありますが、残念ながら当時にして乗車率が高いのを見たことはありませんでした。
 この列車乗車は、合宿としてはオプションコースのため、写真によると全員参加というわけではなかったようです。


 合宿2日目は小グループでの活動、というのが通例でした。 この日は私を含め4名で、土佐電鉄全線乗車の後、市内の知寄車庫見学、というコースでした。
 事前にお願いしていたわけではなかったのですが、知寄車庫の職員の方は快く場内見学させてくださいました。
 この頃は復活運転も無く車庫の中で寝ていた単車321号です。

 もう一両、古い1号荷物電車は、本線には出てゆきませんが、場内ではまだ現役でした。
 この日は雨の一日で、他にも撮影したフジクロームの写真は露出を間違えて飛びっぱなし。 この写真も白飛びしているのをやっとここまで修正での掲載です。
 さて、ここまでは極めて真面目な活動でしたが・・・・。  高知のユースホステルで教えていただいた土佐の皿鉢料理の店。 学生には少々不釣合いな店で遅めの昼食は、折角だから豪華にと・・・。 それは良かったのですが、少々アルコールが入ったお陰で若干1名が真っ赤な顔になり、夕刻ユースホステルに入るのに少々かなり気兼ねしてしまいました。

 1枚目の続き、高松行き夜行列車普通762Dの車内でのひとコマです。
 彼はご覧の通り、酒は飲むわ、タバコは吸うわ、下宿の部屋の壁中にキャンディーズのポスターを貼ってあるわと、不良の限りを尽くした青年です・・・。
 嘘です。 実に真面目な青年なのですが、頼むと騙されて気軽にポーズを取ってくれる人柄の良さから、こんな写真が残ってしまっています。 どう見てもタバコを吸いなれた手つきではありません。 (念のため、未成年ではありません。)
 こんな彼も今では立派に更生して?某国立大学大学院教授です。
 無茶苦茶個人情報です。ご批判をお待ちします。

 彼は何と言うか、そのままです。 いくら探しても直立不動の姿や普通に座っている様子の写真が見つかりません。


2008年7月27日一部追加(モノクロ7枚)

鹿児島方面 1978年7月
真夏の鹿児島方面です。 夏合宿の宿泊地・桜島ユースに勢ぞろいの図です。 バッグパッカーには伝説の「九州3大?ユース」のひとつです。 今と違って、当時のユースホステルは規律が厳格で、当然ながらすべて「禁酒!」のはずだったのですが、さすがは「伝説」の地でした・・・。 えらく大人数ですが、実際には更にあと何人か居たような記憶があります。
この年の夏はとにかく暑く、記憶の中には「暑い真夏の九州」というイメージがこびりついています。
来月には鹿児島新幹線が開業しますが、この当時は鹿児島へは博多から特急「有明」と急行「かいもん」が主要な足でした。 当ページのタイトル名「かいもん4号」は、写真の翌日・7月16日の当時の102列車・上り夜行急行「かいもん4号」に由来しています。 懐かしくも愚かな記憶ですが・・・。

上の写真で二人忘れていました。一緒に宿泊したはずなのにどこ行ってたんでしょう。
7月15日、伊集院駅から南薩こと鹿児島交通の列車で枕崎方面に向かうところですね。 廃止されて久しい鹿児島交通ですが、この時は乗客で随分と賑わっていた記憶があります。 冷房のない列車ですから窓は全開! それでもとにかく暑い鹿児島でした。

 懐かしい真夏の鹿児島ですが、上の写真で更にまだ抜けているメンバーがいたのではないか?ということで、古い写真を引っ張り出してみました。
 さすがに30年以上前のこととなると、記憶もあやふやな上に、なかなか顔と名前が一致してない物も出て来る始末です。

 順番が前後しますが、鹿児島に集う前夜は、有志による宮崎集結。 翌7月14日(1978年)は、宮崎から日南線・大隈線経由の気動車で、集合地鹿児島に向かいます。
 当時はローカル気動車に冷房などはついていません。 運よくキハ58あたりが連結されていていて、やった!と思っても、1両だけで肝心の冷房用エンジンがない、なんてこともよくありました。 日南線のようにキハ10系と20系だけの編成なら、そんな邪念(?)が入ることもありません。

 乗車したのは宮崎から日南・大隈線経由で隼人まで長距離を通して走る列車です。
 今なら立派な我慢大会、といったところでしょうか。
 乗車した車両のサボは宮崎からとなっていますが、実際には列車はその前、早朝の佐土原始発です。
 夜行列車(座席)とユースホステル利用の貧乏旅行にあって、唯一豪華?な宿泊のビジネスホテルをあえて早朝に出発して後戻りしての全区間乗車です。

 日南線列車の車内風景です。
 変な場所に荷物(カメラバッグ?)が置いてありますが、ちょうど排気管が通っている位置、座席の背ずりも厚かったキハ17でした。

 同じく日南線列車内です。
 前日宮崎に泊まったメンバーに比べると写真に納まっているメンバーが少なすぎるのですが、朝列車に遅れて、日豊線まわりの「錦江」で追いかけてきた(先回りした)メンバーもいました。

 さらにその前日、宮崎集合前の大淀川築堤でのひとコマです。
 列車がやって来る合間に・・・・・。
 こんなヤツでした。

 大淀川鉄橋です。
 架線はあり電車も走りますが、当時ここを走る特急で電車は南宮崎に出入りする回送編成だけ。 営業列車は、DF50の牽引するブルートレイン「彗星」「富士」と、気動車の「おおよど」、そしてこの「にちりん」でした。


2007年8月5日追加

広島電鉄宇品停留所(ドルトムント電車陸揚げ) 1981年9月
 1981年9月、はるばる西ドイツはドルトムントから広島電鉄にやって来た電車2編成が、宇品で陸揚げされました。
 陸揚げの様子は、GALLERYのページをご参照ください。
 ギャラリー多数。  もちろんHURCの会員も含まれていたことは言うまでもありません。

 当時日頃からお世話になった、広島電鉄の方々です。
 真夜中ではありますが会社にとっても一大イベント、ということで、皆さんお揃いでした。
 無事本線上への搬入が終了し、あとは陸送を残すだけで、ほっと一息祝杯、の様子です。

 わたくし「かいもん4号」です。
 もちろんこんなイベントを放っておくはずがありません。 何せ当時は「昼夜・時間の観念」の希薄な大学生でしたから。
 大変失礼いたしました。


2007年3月11日追加

近鉄内部線内部駅 1979年3月
近鉄内部駅です。1979年3月です。
この春のHURC合宿地は名古屋。 当時の「前会長」(愛知県出身)の強い意向が働いていたように思います。
2泊3日の合宿旅行の2日目のグループ別企画で、名古屋周辺愛知・岐阜・三重3県のの鉄道(私鉄)を、一日かけてツマミ食い的に駆け回ろうという、「乗ってばかり」が大好きなチームです。 この日のルートの「最南端」は四日市、そして内部へやってきました。

終点内部駅です。
写真右側の一見イカレたお兄さん風が私かいもん4号です。 一応断っておきますが、本当は真面目な大学生です。
内部駅の構内、30年近く経った今でも意外と変わっていませんでした。 もっとも、写真だけ見ても、周辺の民家は新しく建て変わったり新築されたりして、周辺は激しい様変わりです。
「鉄道」が時代について行っていないようで、少々寂しい気がします。


2006年3月12日追加

富山港線岩瀬浜駅 1980年7月
岩瀬浜駅です。
当時はこんな感じの、割合古い住宅地という感じで、現在では大きく様変わりです。 大学4年の時の、HURC夏合宿旅行(方陸方面)の際のひとコマです。
この時の合宿地は福井。 プレ合宿と称して、4年生一同+1名が富山に集結し痛飲した翌日に訪れました。

集団で富山港線にやって来たのは、メンバーの中に「旧型国電」に傾倒した者がいたのと、私の「富山港線に乗車する」という思惑が一致したためです。 富山から乗車後、途中城川原駅で下車し電車庫を見学。 当時はまだ国鉄の現場は大らかで、当日急に訪問してお願いしても、車庫内をゆっくりと見学させて頂けたものでした。
富山にはもう数名宿泊者がいたのですが、一部のメンバーは神岡線方面へ分散しています。 その後は北陸本線の475系快速で合宿集合地の福井へ。
えらく暑い日で、岩瀬浜で買ったアイスクリームと富山駅で食べたかき氷と、475系快速の冷房が心地よかったのを覚えています。
今では北陸本線の中長距離は特急ばかりになてしまい、快速はおろか中距離を通して走る普通列車もほぼなくなってしまいました。


2005年11月20日追加(2007年1月7日一部訂正)

広島駅 1982年11月6日 1980年11月???
広島駅 1982年11月6日 1980年11月???
***** 2007年1月7日追記(訂正) *****

本記事の一部訂正です。
当初タイトルの日付部分に???とあったように、実はこの記事の日付(1980年)は怪しいなと掲載当初から思っていました。
大抵はネガの前後関係から判別できるのですが、たまたまこのコマの入ったネガを現像か何かの関係でごちゃごちゃに入れ替えていたもので、よく判らなくなっていました。
写真のメンバーが大学祭で現役の大学生として全員揃ったのは1980年だけだったはず、と思って記載した日付でしたが、よくよく考えると中央の女性は1980年にはいなかったはず。 男性の中で一番若いM君(1980年入学)の風貌が全然新入生っぽくない、更に一番右の人物が中身はともかく一見まともな社会人の格好をしている(もっとも彼は1980年秋には就職関係でこんな格好してたはず)等々。

本年(2007年)の年賀状にて、この列車に乗った本人(右から二人目)から連絡を頂きました。
正確には、1982年11月6日(土曜日)夜とのことでした。 大学祭の夜、彼が上り「金星」のグリーン車に乗車して、それを見送りに行った、というシチュエーションだけは記憶に間違いなかったようです。
それにしても1982年というと、右の二名に加えて私もすでになりたての社会人でした。 学生時代の写真、とばかり思っていたのですが。

************************************

広島駅です。
?マークが沢山ついているのは、日にちの記録が残っておらず、記憶が今ひとつ曖昧なためです。
(このページ見てたら教えてください。)
メンバー構成からすると、1980年度ですね。 少々怪しい記憶に間違いがなければ、1980年の11月、大学祭の終了の夜(?)にこのうちの一名が後ろの特急「金星」のグリーン車に広島駅から乗車、他のメンバーは見送り、といったシチュエーションだった気がします。
当時は大学キャンパスが広島市内だったため、誰かが夜行列車に乗る、というとよく見送りに出かけました。 こうやって写真に残しているのはほとんどありませんが。
一番右の某氏は、一番まともそうな格好しているのですが、彼の写真でまともなポーズのものは一枚もありません。
ところでよくよく見ると、この日の「金星」は3号車と5号車が並んでおり、4号車がありません。 所定は12両ですが、閑散期でサハネ581が1両減車されていたのでしょうか。



2004年11月28日追加

江ノ電極楽寺車庫 1980年3月
江ノ電極楽寺車庫です。 春合宿(東京・横浜方面)での全員統一行動コースの江ノ電訪問・車庫見学の時の様子です。
後ろの1000形は、その前年の後半に登場したばかりの、まだピカピカの新車です。
見学の要望を快く受けていただき、おまけに1000形一編成を運用から外して、車庫に準備して頂けました。


江ノ電極楽寺車庫 1980年3月
準備して頂いた1000形の車内を開放して、江ノ電(当時の社名は江ノ島鎌倉観光株式会社)の会社や車両、グループ会社や沿線の案内の紹介です。
いろいろとお手間をかけさせ申し訳ありませんでした。 何しろはるばる広島から出てきた田舎者ばかりですから・・・。
そこのカノジョ!ちゃんと真面目に聞いてる?

江ノ電極楽寺車庫 1980年3月
ひととおりの説明等のセレモニーが終わった後は、めいめいが車庫の中でやりたい放題?です。 ちなみに一番「罰当たり」な場所に立っているのが私「かいもん4号」です。 寛大な江ノ電の社員の方は、大抵のことには笑って対応してくれました。
ちょうどこの時期、この1000形のブルーリボン賞受賞を目指して、全社挙げてファン獲得に努力されていたようです。 見学終了間際の、「(投票権のある)鉄道友の会の会員の方、どのくらいおられますか」という質問と、意外に少ない?という結果を知ったときの苦笑が印象的でした。



三段峡(国鉄可部線) 1977年11月
可部線の非電化区間・可部〜三段峡間が廃止になり1ヶ月余りが過ぎました。
1977年秋の国鉄三段峡駅前です。 もちろんこの時にはすでにC11189号機は駅前に鎮座していました。 蒸機の末期時代に各地の自治体や国鉄構内で多くの機関車が静態保存されましたが、ここのものは立地条件や関係者の努力により、いつも良い保存状態です。
この日の臨時快速三段峡号は、キハ58+キハ28の急行用2両編成でした。

三段峡(国鉄可部線) 1977年11月
国鉄三段峡駅から三段峡までは歩くとかなりの距離です。 おまけにこの日は曇り時々小雨といったあいにくの天気でした。 このあたりまではほぼ参加者全員揃っていますが、この後は途中で引き返す離脱者が相次ぎました。 帰りの列車はキハ23、可部で旧型73系電車に乗り換えました。 そういえば誰だったか、遅刻して結局三段峡ですぐ折り返して帰った者も。


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