かいもん4号のホームページ TRAVEL 江差を目指して東日本の旅
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3月後半の3連休、思い立って北海道は江差まで行ってきました。 5月半ばで廃止となるJR北海道江差線(木古内~江差間)をもう一度訪れたい、というのが最終目的地。 しかし実はそれ以外にも、盛り沢山の企画を散りばめてあります。
雪の中の江差ではありましたが、数々の寄り道のおかげで、このコーナーで到着するのは夏になりそう?


尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2014年11月9日

早春の江差駅。

 江差駅です。
 雪の降らない西日本在住者にとっては、江差地方の3月後半を「早春」と呼ぶのが適切なのかはわかりません。 が、終点江差駅あたりの平地部では、すでに積雪がかなり融けた跡があり、そう遠くない春を感じさせる風景でした。


ロマンスカー。

 さて、時間は2日余り逆戻りします。 一日休暇を頂き、3連休前の金曜日は3月20日です。
 タイトルにもありますように、目指す北限は江差ですが、同時に「東日本の旅」でもあります。
 ということで、まずは東京から軽くウォーミングアップ、箱根方面を目指すことにします。 (写真はすでに箱根湯本に到着していますが。)
 確か3度目の乗車かと思いますが、新宿から朝一番の箱根湯本行き、小田急ロマンスカーは30000系「EXE」です。 強烈な特徴はありませんが、スタンダードな特急車両として、快適な乗り心地の列車です。
 フロントガラスにわずかに見えるように、ほんの少しですが小雨気味の天気になりました。


登山鉄道。

 箱根湯本からは、箱根登山鉄道の電車に乗り換えです。
 日本国内の鉄道の中では本格的な登山鉄道で、標高96メートルの箱根湯本から750メートルの強羅まで、標高差654メートルを駆け上がります。
 最近は「箱根登山電車」と標記しているようで、接続するケーブルカーを一体で経営しています。
 この箱根湯本までは近年も何度か来たことがあるのですが、ここから先、本格的な登山鉄道区間に乗車するのは20年ぶりくらいです。


登山電車車内。

 この箱根登山鉄道の電車、昔ながらのいでたちのモハ1型・2型と新しい1000型・2000型がありますが、ロングシート車とクロスシート車があるので要注意。 2両編成の電車では、大抵の場合はロングシート車になります。
 乗車してきたロマンスカー接続の便は、残念ながらロングシートの2000型2両編成でしたので、1本やり過ごして1000型電車に乗車しました。 もっともこちらも座席の半数近くはロングシートになりますので、早めの確保が必要です。


ヘッドマーク。

 表示されたヘッドマーク通りらしいです。
 箱根湯本の小田急ホーム自体は、昔ながらのアーチ型の開口部のある建築物(3枚上の写真参照)ですが、駅舎改札は2階建て部分にリニューアルされています。


ベルニナ号。

 1000型電車の車内車端に飾られた「Bernina」のプレート。 スイスと日本の国旗があしらわれているとおり、スイスはレイティシュ鉄道ベルニナ線との「姉妹鉄道」提携を記念したものです。
 どちらも歯車やケーブルを使わない純粋な鉄車輪粘着式の登山鉄道。 レーティシュ鉄道側にも、とあるところに「箱根登山鉄道」の名前が掲げられています。
 その様子はこちらの ヨーロッパ2011夏 PART4 ベルニナ急行乗車編 をご参照ください。
 尚、本写真。 スローシャッターの手ブレにてご容赦ください。


信号場。

 さて、箱根湯本を発車した登山電車。 一気に急勾配にかかり、塔ノ沢駅を出るとすぐに、早川を渡る「出川鉄橋」にかかります。
 深い谷を高い鉄橋で渡る、本鉄道のハイライトの一つですが、真横上方中腹に、「出川信号場」が眺められます。
 この写真ではあまり高低差が感じられませんが、実は結構な高さなのです。


出川信号場。

 鉄橋を渡りトンネルを抜けると、進行方向向かって右手に移ったはずの早川が再び左手に現れ、一瞬「オヤ?」と思います。
 実は何のことはない。 トンネル区間を走っている間に大きくUターンして、列車が早川の川下に向きを変えただけのことです。
 先ほど渡った出川鉄橋が、今度は写真でもかなり下の方に眺められます。
 要は、鉄橋を写真左に渡った後にトンネルに入り、そこでUターンしてここまでやって来ただけのことでした。
 それにしても、いかに急勾配かがわかります。
 列車はここでスイッチバックして、逆向きに走ります。


信号場。

 列車は出川信号場、大平台駅とスイッチバックを繰り返し、次の上大平台信号場に到着。 ここで3度目のスイッチバックです。
 列車の進行方向が変わるわけですから、スイッチバックの度に、運転手と車掌が歩いて乗務位置を後退します。
 二つの信号場では乗降用のホームはありませんから、このように乗務員移動用の歩道が設けられています。
 本日のように雨の日には、傘ですれ違いが邪魔になりそう。


急カーブ。

 箱根登山鉄道、次のハイライトは「急カーブ」。
 急峻な上り坂で知られる箱根の坂を上ってゆく訳ですから、急勾配あり、スイッチバックあり。 そして、急なカーブの連続、ということになります。
 わずか3両編成の電車ですが、このように前2両の車両が最後尾車両のまどからよく見えます。


強羅駅。

 箱根登山鉄道の終点強羅駅です。
 電車はそのまま次の便で折り返しますが、ここではすぐには引き返さないことにします。
 箱根登山鉄道の電車。 真っ赤な車体に窓上の黄色のライン。 ということで、スイスのメーターゲージ鉄道の1等車を彷彿させるいでたちです。


駅舎内。

 強羅駅の駅舎内です。
 久々に駅周辺でも歩いてみようかと思っていたのですが、本日は生憎の雨。 傘を差して歩けないほどの強さではありませんが、やはり少々面倒ではあります。 駅舎内と駅前のウォッチングに留めることにします。
 箱根登山鉄道の電車。 掲示された時刻表でも判るとおり、結構な本数で、流石は大観光地ではあります。
 駅舎の中にはモハ1型のちょっと大きめの模型が展示されていました。


工事用車。

 工事用の車両、モニ1型が横の線路にいました。 普段はここで眠っているようです。
 看板が邪魔で写真では前半分しか見えませんが、事業用車としてはスマートな前頭部の反面、中間の荷台には重量物用のクレーンが何基も搭載され、重厚な感じです。


スイスへようこそ。

 強羅駅の改札内の一角のスペース。 ここは日本語が通じるスイスのようです。
 姉妹鉄道の提携をしている、スイスはレーティシュ鉄道ベルニナ線のPR展示のスペースでした。
ベルニナ線については、こちらの レーティシュ鉄道ベルニナ線 をご参照ください。



ケーブルカー。

 箱根登山鉄道が経営するもうひとつの鉄道路線。 といっても、こちらは「粘着式」ではなく「鋼索鉄道」つまりケーブルカーです。
 早雲山から芦ノ湖方面に抜けるには、このケーブルカーに乗り継ぐことになります。
 残念ながら本日はご覧ととおりの天候で、早雲山方面の視界は全く利きません。 天候が回復すればと思っていましたが、これまで2度ばかり訪れていることでもありますし、今回はパスすることにします。


ケーブルカー。

 前回このケーブルカーに乗車したのは20年余り前だったでしょうか。 車両は新しいスマートなものに変わっていました。
 平日の雨の日ではありますが、流石は日本を代表する観光地。 まだ「朝」と言っていい時刻にもかかわらず、かなりの下山客が下車。 外国人の観光客もかなり目立ちました。


電車到着。

 次の箱根湯本からの登山電車が到着しました。 今度は古いモハ1型。 箱根登山鉄道と言えばこれ、と言う感じのスタイル&塗装の車両です。
 小柄な車体の箱根登山鉄道車両ですが、線路は標準軌ですから、車体に対して線路幅が相当広く感じられます。
 路面電車ならともかく、鉄道線の車両としてはいささか違和感あり、と言う感じです。


次は3両編成。

 さて、やって来たモハ1型の電車。 残念ながらロングシートの車両でした。
 折角やって来たのですから、雨の天候とは言え復路もクロスシートの車両で車窓を楽しみたい。
 ということで、この列車への乗車はパスして次の列車を待つことにします。
 確か先ほど山登りの列車乗車中、途中でクロスシートのモハ2型を連結した編成とすれ違いました。
 ホームに停車中の電車は2両編成ですが、次の列車到着に備えてすでに「こんどの列車は3両編成」である旨の表示が掲示されています。


下山中。

 幸い、と言うか予想通りと言うか、次にやって来たのは箱根湯本方にモハ2型を連結した3両編成の電車でした。
 強羅方の2両はロングシートのモハ1型ですが、やはりクロスシートのモハ2型に陣取ることにします。
 急な勾配とカーブが連続の箱根登山鉄道。 ほんのわずかしか窓が開かない電車ですが、カメラから眺めるとたった3両の編成ながら列車編成がこんな感じに映ります。 


箱根湯本駅。

 箱根湯本まで降りてきました。
 リニューアルされた箱根湯本駅。 コンコースは2階で、途中の階段から見るとこんな感じに見えます。

尚、ここに掲載した写真以外に、若干の写真をアップします。 GALLERY DOMESTIC 箱根登山鉄道 をご参照ください。



小田急車両。

 箱根湯本から小田原までは、写真の普通電車で降りてきます。
 この区間は箱根登山鉄道の路線ではありますが、現在では実際に走っているのは小田急の乗入れ車両ばかりで、本家の箱根登山の車両は全く走りません。
 と言うか、かつては箱根登山鉄道の標準軌と小田急の狭軌の3線併用区間でしたが、現在はレール撤去で狭軌専用になりましたから、本家の箱根登山鉄道の車両はここまで走ることができません。
 小田急ロマンスカー乗り入れのほか、普通列車として走っているのは、箱根登山カラーの小田急車両ばかりです。


小田原駅。

 JRの小田原駅ホームの一風景です。
 かつて特急「東海」や「ムーンライトながら」などで乗入れていたJR東海の373系。 その遺構がホームにわずかに残されていました。


小田原駅。

 雨天のため予定より早く箱根から降りてきましたので、まだ正午といったところです。
 本日は東京泊りを予定していますから、時間は十二分過ぎるほどです。 ここはどこか「オプションのオプション」へ出かけなければなりません。 とりあえず東海道本線の電車に乗ることにします。
 リニューアルされたとは言えまだまだ現役の185系。 どうにも特急車らしからぬ特急車です。 普通列車は、E231系やE233系ばかりになってしまいました。


江ノ島電鉄藤沢駅。

 さて、JRでやって来たのは藤沢駅。 ここからは江ノ島電鉄の路線が伸びています。 比較的短い路線で、半日程度遊ぶにはもってこいです。
 ちょうど(新)500型の列車が到着しました。


江ノ島電鉄。

 オプションコースとしてはもってこい、と思っていたのですが、思わぬ難題が。
 雨天のため、「乗車と車窓」に重きを置く(いわゆる乗り鉄?)ハズだったのですが・・・。
 結構多くの乗客のため、車内の湿度が非常に高い。 かつ暖房の利いた室内と寒い車外。 おかげでご覧のように客室の窓は見事に曇っています。 基本ロングシートの室内ですから、向かいの窓拭きは他人任せ。 (というか、だれもそんなことしやしません。)
 電車を1本見送り、次の電車の最前列に並んで、自分で窓拭きしながら景色を楽しめるよう車端部だけにあるクロスシートを確保しましたが、少なくとも窓から写真を撮るなんて状態ではありません。
 少々残念です。


鎌倉到着。

 という訳で、途中の車窓風景の写真は全くないままに、終点鎌倉に到着です。
 幸いクロスシートを確保したため何とか車窓は楽しめましたが、「次に天気が好い時に来たら、ここで写真を撮りたい」と思って眺めた程度です。
 まだまだ夕方までには時間がありますが、どうしましょうか。


湘南モノレール。

 仕方ありません。 江ノ島電鉄は早々に見切りをつけて、次なる「オプション」です。
 鎌倉から横須賀線の電車で数駅東京側へ。 東海道本線からの分岐点、大船駅からは、江ノ島電鉄の中間駅・江ノ島方面に「湘南モノレール江ノ島線」が伸びています。 次はこれで遊ぶことにします。
 短い路線ではありますが変化に富んでおり、天気が悪くてもそこそこ楽しめそうです。


湘南モノレール大船駅。

 外は相変わらずの雨ですので、とりあえず全線通して乗車してみることにします。
 湘南モノレール、始点の大船駅は都会の雰囲気ですが、下町の雰囲気、住宅地に山岳(と言うほどでもないが、軽い山越え)風景があり、路線長の割に変化に富んでいて楽しい路線です。


モノレール車内。

 この路線、昔「新型車両」が入ったころは(随分昔の話ですが)ロングシートになり面白みに欠けたのですが、その後の導入車両はクロスシート車で進められ、現在はすべてクロスシート車両で運行されています。
 見た目は結構大きな車両ですが、懸垂式モノレールならではの「振り子」運動があるため、車体は下部の幅が一番狭い逆台形形状になっています。
 実際に乗車してみると、やはり足元が少し狭い感じです。


湘南江ノ島到着。

 またまた途中はすっ飛ばして、終点の湘南江の島に到着です。
 相変わらず雨は止んでいませんが、天気予報通りやや回復傾向に見えますので、夕刻までこの路線で遊ぶことにしようと思います。
 乗客が全員下車し、ドアが閉じられたあとの降車ホーム。 カメラが傾いているわけではなく、車体下部が狭いためこんな感じに見えます。


大船方面。

 湘南江の島から大船方面を眺めると。
 次の目白山下までの間は山を貫くトンネルになっており、ローカルムード満点です。
 海岸近い湘南江の島からは上り勾配になりますので、結構急な勾配のままトンネルに入ってゆきます。


発車。

 先ほど乗ってきたモノレールが発車してゆきます。
 懸垂式のモノレール。 車体下に軌道も路面もないため、通常の鉄道と比べると視覚的には相当異なり、面白い感じです。
 頭上の高架路線を走っている風景は自然に感じますが、このトンネル入り口など、車体の下にすぐ地面がある場合の方が、より違和感を感じます。


ホーム。

 懸垂式の場合、駅ではホームと地面の段差が非常に低く、まるで路面電車のよう?
 それはいいのですが、構造的に列車の出入り口に「柵」が設けられませんから、高架駅では(立地構造上、大半は高架駅になりますが)誤って「転落」するお客がいないのか、気になるところではあります。


列車到着。

 トンネルを抜けた列車は、道路を飛び越えるようにして駅ホームに入ってきます。
 この写真ではよく判らないのですが、ホームの外れから下の道路や駐車場までは相当の高さなのです。


湘南江ノ島発車。

 湘南江ノ島を出た列車が、大船に向かいます。
 上の写真、駅の下に降りて見上げるとこんな感じになります。 つまり、駅のプラットホームから間の路面(?)、緑色の型鋼板の上に降りてうっかり踏み外すと、ここまで転落してしまうわけです。
 ヨッパライとか悪ふざけの学生とか、これまで事故は無かったのでしょうか。 ちょっと心配ではあります。


西鎌倉駅。

 途中の西鎌倉駅です。 ここはご覧のとおり島式の交換駅になっています。
 雨も何とか上がりましたし、手にしている切符は「鎌倉・江ノ島パス」、つまり江ノ電や湘南モノレールは乗り放題です。
 江ノ電は今回は早々に諦めましたが、しばらく湘南モノレールであちこち駅前散歩することにします。


西鎌倉駅。

 さて、西鎌倉駅も道路上の高架駅なのですが。
 ご覧のとおり、ここも「柵」らしい柵がありません。 張り出した金網自体が転落防止の役割を果たしているのですが、それにしても何とも心もとない感じです。
 特にこの西鎌倉駅は島式ホームですから尚更です。


西鎌倉駅。

 走って勢いをつければ、交差点の中央までダイビングできそう???
 そこまでではありませんが、何となく近寄るのが怖いような西鎌倉駅の江ノ島側です。
 ちょうど線路がカーブになっているため、眺めていると到着する列車がホームにぶつかるんじゃないか、といった感じの迫力ものです。
 何しろ懸垂式のモノレールですから、うっかり速度超過で入線してきたらとか強風の日とか、どうなるのでしょうか。
 さっきから余計な心配ばかりしているようですが。

尚、ここに掲載した写真以外に、湘南モノレールの若干の写真をアップします。 GALLERY DOMESTIC モノレール をご参照ください。



東京駅、「はやて」「こまち」入線。

 さて、「江差を目指して」というタイトルにもかかわらず、ここまで東京近郊で遊んでばかりでした。 これからようやく「北」を目指して動き出すことにします。
 朝一番の東京駅に「はやて」「こまち」が入線です。


「はやて」と「こまち」。

 3連休初日ですから、朝6時前にもかかわらずこの連結部付近は結構な人だかりです。
これからの旅行開始に当たり、まずは記念撮影。 ということで最適の場所ではあります。


連結部。

 この3月のダイヤ改正で、「こまち」もすべて新型車両になり、「はやて」「こまち」の組み合わせはこの姿だけになりました。
 「はやて」はともかく、在来線区間も走る「こまち」としてはいささか不似合いなスタイルの車両ではあります。 


「こまち」車内。

 乗車した列車は、東京駅6時ちょうど発の「こまち61号」秋田行きです。
 このまま本タイトル通り「江差」を目指すなら、併結の「はやて61号」に乗車し新青森に向かう方が近道なのですが、もう少し「寄り道」するつもりでいます。
 「こまち」車両E6系の室内はこんな感じでした。 結構重厚な感じのシートです。
 座り心地は非常に良いですが、背もたれの高さがかなり高いため、座高が高い私かいもん4号でも、車端ドア上部の案内表示を見るのに苦労します。


富士山。

 さて、東京駅を定刻に発車した「こまち」と「はやて」。 どちらも全車指定席ですから立客もなく、上野を発車しても混雑と言う感じは全くしません。
 途中大宮までは、騒音問題の関係で本来の半分のスピードでトロトロと走ります。
 早朝のこと。 遠くに富士山がきれいに望めました。


雪景色。

 今年は珍しく、山陽地方でも2度も積雪がありましたが、何しろ見慣れない雪景色。 東北・北海道方面の旅行となると、それも楽しみではあります。
 東北新幹線「はやて」「こまち」。 仙台を過ぎ、一関に差しかかるあたりで、平地でも雪景色に変わりました。
 学生時代の旅行で初めて東北にやって来たのは、36年前の1978年3月のことでした。 上野から朝の特急「はつかり」青森行きに乗車し、やはり仙台を過ぎて一関あたりで一面雪景色に変わったのを覚えています。
 今回は35~36年前の記憶のトレースの旅でもあります。
 もっとも、同じ特急でも速度の差は歴然としていますが。


田沢湖線区間。

 さて、盛岡で併結の「はやて」と分かれ、新幹線の高架区間から在来線・田沢湖線の平地区間に降りてきました。 盛岡駅から山越えまでは若干距離がありますから、暫くは田んぼの中といった風景ですが、何より列車の窓から地面までの距離が新幹線区間とは全く違います。
 まばらな家々も、目線の高さになってきました。


雫石駅。

 雫石に到着です。 ここで、盛岡行きの普通列車と交換します。
 新幹線車両ではありますが、ローカル列車も一緒に走る田沢湖線ですから、いくら「秋田新幹線」と称しても交換待ちは必須。 「こまち」同士、あるいは普通列車との交換が何度もあります。
 さて、「小岩井農場」などで有名な雫石ですが、やはりこの名前を聞くと、1971年に起きた全日空機ボーイング727と自衛隊機の空中衝突墜落事故を思い出します。 ひと月足らず前に起きた函館・駒ケ岳での東亜国内航空YS-11「ばんだい号」墜落事故に続いての、乗員乗客全員が亡くなる痛ましい事故でした。
 別に今回はこの航空事故現場をトレースするわけではありませんが。


山越え区間。

 雫石を過ぎると山越え区間に掛かります。 途中田沢湖までが一番の山越え区間で、トンネルあり渓谷的川沿いの風景ありで、「新幹線」とは名ばかりのローカル線風景です。
 レールの幅も走る車両も変わってしまいましたが、車窓風景は昔の記憶に残る田沢湖線そのままです。


田沢湖駅。

 田沢湖に到着です。
 観光地田沢湖と田沢湖温泉への入り口ですから、ここはれっきとした停車駅です。
 何しろ本来の(時刻表に出ている)停車駅より、交換のための運転停車の方が多いのでは?という感じの「こまち」です。
 駅周辺は小さな町ではありますが、山越え区間から降りてくると、それなりに「町」と言う感じの駅ではありました。


運転停車。

 刺巻で、またも運転停車です。
 この「こまち61号」。 臨時列車ですから、定期列車と比べると運転停車で「相手待ち」の回数が多いように思われます。
 「新幹線」にあるまじく普通列車の交換待ちまでありますから。


交換列車。

 「こまち」と交換です。 上の写真の「刺巻」駅ではなく、そこから更に10数分走った後です。
 臨時とは言え、折角の東京発秋田行きの一番列車なのですから、もう少し利便性を上げれば、と思うのですが。
 ところで秋田新幹線のE6系。 正面の派手なスタイルや屋根の上の赤い塗装についつい目が行きがちですが、こうして側面だけ見ると、ものすごく「地味」ですね。 もうちょとアクセントがあっていい気がします。


秋田地方。

 列車は田沢湖線の山越え区間を過ぎ、大曲に近づきました。 ここから先、大曲から進行方向を変え秋田までは、平野の水田地帯となります。
 さすがに雪の中ではあります。


終点秋田到着。

 列車は定刻秋田駅に到着しました。 新幹線が乗入れるようになってからは、現在の11番12番線が新幹線専用ホームになり、在来線とは区別されています。
 改札口も在来線とは別々でした。


秋田駅。

 中間に線路のある大きな秋田駅です。
在来線の狭軌と新幹線規格の標準軌両方の線路がありますが、ここ秋田駅では狭軌の方が幅を利かせている感じがします。
 一番端のホームには、男鹿線の気動車が停車中でした。


男鹿線気動車。

 男鹿線の気動車です。 これから終点男鹿駅まで、往復のミニ著旅行を楽しもおうという企画です。
 東京発朝1番、6時ちょうど発の臨時「こまち61号」に乗車したのは、この列車に乗るため。 定期の始発「こまち1号」だと、ほんのわずかですが秋田で乗り換えに間に合いません。 もしかしたら3月の秋田新幹線を含むダイヤ改正で改善されるのでは?と思っていてのですが、これは変わらぬままでした。
 新幹線から男鹿線に乗り継ぐお客など殆どいない、ということなのでしょうか。
 男鹿線の気動車は、国鉄時代のキハ40型でした。


終点男鹿駅。

 男鹿線の終点は男鹿駅です。 男鹿線に乗車してここにやって来たのは、昭和53年(1978年)7月以来。 前回は36年近く前のことになります。
 終点男鹿駅の駅舎はリニューアルされ、駅前広場もいささか雰囲気は変わっていましたが、広い構内はかつての面影も多く残していました。


男鹿駅ホーム。

 島式ホームの終点・男鹿駅です。 この列車がそのまま秋田に向け折り返しとなります。
 写真にもちらりと見えますが、構内にはまだ複数の線路が残されています。
 ホーム向こう側に架かる長い長い歩道跨線橋と言い、昔の名残を残しています。


男鹿線車内。

 本日の朝の男鹿線列車は2両編成。 車両は国鉄時代の雰囲気がそのまま残る、キハ40です。
 すでに国鉄から「急行型」の気動車は姿を消してしまいましたが、このキハ40型。 通勤型車両のグループではありますが、ベースは寒冷地用として片開きの客扉が車両の両端にありますから、雰囲気はかつての急行型車両にかなり近いものがあります。

尚、ここに掲載した写真以外に、男鹿線の写真をいくつか別コーナーでアップします。 TRIAL 20000 男鹿線 をご参照ください。



秋田駅。

 男鹿線列車で折り返し秋田駅に戻ってきました。
 元々山地と比べると積雪量は少なめの八郎潟南側・男鹿線沿線でもあり、すでに3月後半ですから雪化粧、と言う程度の積雪量でした。
 とは言え、秋田駅のホームに降りるとまだまだ雪が舞っていました。


「いなほ」と701系。

 秋田駅での風景。 701系ローカル電車とE653系「いなほ」です。
 特急はともかく、この地区のローカル電車がロングシートの通勤タイプ・701系と言うのはいかがなものかと思うのですが。
 何しろ秋田~青森200キロ近くを走る列車もあるのですから。


「いなほ」。

 こちらの「いなほ」ですが、2013年から一部の列車が従来の485系からE653系に置き換えられました。
 更にちょうどこのテキストアップの前日(昨日)2013年7月12日からは、定期全列車が置き換えられることになっています。
 常磐線を走っていた「フレッシュひたち」のリニューアル車両なのですが、結構動きが早いJR東日本首都圏地区の特急列車置き換えのお陰で、玉突き状態の置き換えです。


秋田駅改札口。

 自動改札機がずらりと並んだ秋田駅改札口です。
 秋田新幹線はミニ新幹線のため線路は在来線普通電車と共用ですが、この秋田駅では新幹線列車は専用ホームの11・12番線に発着し、在来線とは区別されており、「本物」の新幹線と同様の仕組みです。
 もっとも、途中駅では在来線と新幹線の区別はありませんから、米沢以北の在来線区間短距離乗換利用者にとっては、あまり便利なシステムとは言えません。


秋田駅コンコース。

 以前は大きな駅舎の秋田駅でしたが、駅の改造に伴い橋上化されました。 東西自由通路を兼ね、よくある橋上駅の造りです。
 さすがに東北地方県都の駅だけあり、観光PRを全面に打ち出しています。
 外来者からは楽しいデコレーションです。


標準軌と狭軌。

 秋田新幹線の標準軌線路とそれ以外の狭軌線路が入り混じった秋田駅。
 両側の狭軌に挟まれるかたちで新幹線ホームがありますから、いささか複雑な線路配線になっています。
 標準軌の線路と在来線規格の車体に合せたホームの組合せでは、線路幅が異常に広く見えます。
 隣に狭軌の在来線線路が並んでいれば尚更です。


乗換改札。

 新幹線と同じホームに設けられた7・8番線への乗換改札は、ここから先特急「いなほ」等に乗り換えの乗客用。
 橋上駅に上らなくても、同じホームで新幹線11・12番線と在来線7・8番線の乗り換えができる仕組みです。
 残念ながら、本日乗車した「こまち61号」と接続の「いなほ」は別のホームでの乗り換えのため、折角の構造も活かされていませんでした。


行き止まり線路。

 かつては長い1本のホーム(発着線)だった7・8番線ですが、大曲寄りが新幹線専用の11・12番線となりました。
 線路の幅が異なりますから、かつて1本だった線路はホーム途中の境界で分断されてしまいました。


貨物列車。

 新幹線始発駅として利便性の上る秋田駅ですが、在来線としても日本海縦貫線の主要駅。 長い編成の貨物列車が発着します。
 西日本と北東北・北海道を結ぶ重要な路線であることに変わりはありません。


「こまち」到着。

 11番線に「こまち」が到着です。
 今年(2014年)3月のダイヤ改正で、この秋田新幹線「こまち」は全列車がこのE6系での運用になりました。
 E5系「はやぶさ」と併桔で走る姿はスマートですが、地方の在来線的風景の中で眺めると、いささか違和感がないわけではありません。
 それより、向こうのホームには「こまち」到着とほぼ同時に気になる列車が入線してきました。


リゾートしらかみ。

 「リゾートしらかみ」です。
 五能線を走る観光列車ですが、観光客の利便性のため奥羽本線にも乗り入れ、この秋田駅と青森駅を結びます。
 「こまち」乗車と男鹿線訪問の次は、この「リゾートしらかみ」に乗車し、久々に五能線の風景を堪能しようという企画です。
 今回の企画の本来の、かつ最終の目的地はタイトル通りの[江差」ですが、まだまだ寄り道です。


「リゾート」車両。

 大きな側面窓のリゾートしらかみからは、五能線の日本海風景を堪能することができます。
 もちろ海側は片側だけですが、車両は両側とも同じ作りになっています。
 五能線にしても津軽線・大湊線・八戸線にしても、北東北のJR東日本区間では海が望めるのはすべてこちらのA席側ですが、海向きに特化した造りにはなっていません。
 五能線の途中には、世界遺産の白神山地などもありますから。


「橅(ぶな)」編成。

 本日の「リゾートしらかみ1号」は「橅(ぶな)」編成です。
 座席の確認だけはしていましたが、車両の運用まではあまり気にしていませんでした。
 もしかしたら「ハイブリッド」が来るかと若干期待はしていたのですが。
 ところで、「ぶな」と言う漢字。WEBページで化けずに表示されているのでしょうか。


先頭部。

 観光列車用に大幅に改造されているため、どうもキハ48という気がしない「リゾートしらかみ」です。
 が、この編成中ほどの正面連結部は、間違いなくキハ40シリーズのデザインです。
 編成の半ばで先頭同士が顔を合わせるというのも、どこか楽しい眺めです。


車内。

 「リゾートしらかみ」の車内。
 ハイデッカーというほどではありあませんが、座席は中央の通路より(=元の高さより)若干か上げされており、大きな窓から風景を楽しむにはもってこいです。
 号車によりこのようなタイプとボックス席タイプがありますが、今回は一人旅ですから、この席です。
 前面先頭部には正面が見える「止まり木」的シートや展望席もありますが、それほど眺めが良いというわけではありませんでした。


今回のきっぷ。

 さて、朝から色々とあちこち寄り道しております。 そして最終目的地は、このタイトルにあるように江差線の終点・江差です。
 色々なプランを盛り込みながら江差に行くにあたり一番便利でリーズナブルな旅程と切符は?
 検討の結果、JR東日本の「3連休乗車券」が一番便利、という結論に落ち着きました。 JR東日本のフリーきっぷながら、海峡線を越えてJR北海道の函館及び江差まで有効という、まさに今回の旅行のためのような切符です。
 それにしても、JR各社の境界を越えてフリープランの旅行をするのって、この20年間で実に不便になりました。 直通する列車もさることながら、便利な切符がない。
 各社の利害や運賃配分の煩わしさから、周遊券をはじめとする切符がどんどん切り捨てられたのは、民営化はともかく会社分割の悪しき弊害です。
 幸い東日本はエリアが広くかつ便利な切符がいくつかあります。 唯一の欠点は、利用当日に購入できない点です。


「リゾートしらかみ」指定席。

 今回利用の指定席はすべてJR東日本の列車(一部北海道直通)。 このため指定席はすべてネット購入の「えきねっと」で確保しました。
 基本、パソコンから座席表を見ながら予約できるのですが、本日乗車の「リゾートしらかみ」は、臨時列車のためこれが出来ず、A列からD列の列名でしか指定できません。
 この列車は車窓の楽しい海側がA列というのは分かっていますので、車両の前後位置はコンピュータにお任せ、ということでA列を予約済です。
 このため直前までホームをうろうろ。
 ギリギリに乗り込んでみたことろ、隣席のB列に相席のお客がいます。 これは半分予想していたのですが、全く観光客風でない普通の田舎の女子高生です。 いかにも学校の部活帰り、と言う雰囲気は、この列車にはあまりにふさわしくありません。
 しかし、ちょっと困った。
 別に隣席の女子高生にときめく歳でもありませんが、秋田駅で仕込んだビールを取り出すにはいささか、かなり気が引けます。
 一体どこまで行くのかな、と思っていると、五能線に入った最初の駅・能代で下りて行きました。 昼間の列車本数が少ない五能線を象徴しているようです。


海岸風景。

 秋田を定刻に発車した列車ですが、奥羽本線内の踏切トラブルの影響で、東能代には10分余り遅れて到着しました。
 東能代からは向きを変えて五能線に入り、最初の停車駅・能代を出ると、車窓は途端にローカル然としてきます。
 東八森から先は海岸に出て、五能線の車窓風景の目玉である日本海に沿って延々と走ります。 そして隣席の予想外の相客も居なくなったので、心おきなく「飲み物」と「軽食」を取り出すことにします。
 雪は止みましたが、日本海には黒っぽい灰色の雲が低く垂れこめていました。


沿線風景。

 五能線の日本海沿いでは大きな町、深浦に近づきました。 風が強く海はかなり荒れています。
 「リゾートしらかみ」は快速列車ではありますが、車窓重視の観光列車ですから足はさほど速いほうではありません。 とは言え、東能代から深浦までは随分早く到着したように感じます。
 前回の乗車の35年前は逆コースだったため単純な比較はできませんが、ディーゼル機関車の引く客車の混合列車でしたし、何しろ駅での停車時間がやたら長かったように記憶しています。


海岸風景。

 奇岩の多い五能線沿線の海岸。
 深浦を過ぎて鰺ヶ沢前後でも、いくつもの見どころポイントがあります。
 観光列車ですから、一番の見どころでは案内放送を交えながら速度を落としてゆっくりゆっくり進みます。
 北国の観光にはやや早い3月後半のことではありますが、本日は最大乗車区間(東能代発車後)でほぼ満員の状況でした。


海岸風景。

 北陸上越から北の日本海~オホーツク沿いの路線に共通的(と思っている)な風景。
 海まで迫った高台(それでいて上の方は比較的なだらか)の裾を回るように引かれた線路と、すぐ足元まで迫る日本海の荒波。
 五能線が最たる風景ですが、以前は羽幌線など、他にも同じような路線がありました。 が、多くはローカル線で廃止されてしまいました。
 この五能線も、かつては気象障害により列車が海に転落した難所でもありました。


津軽五所川原。

 日本海と分かれた列車は、内陸部に入り五所川原までやって来ました。
 隣には古い気動車と貨物車両が。
 この五所川原から津軽半島の中ほど、津軽中里まで伸びているローカル私鉄・津軽鉄道でかつて使われていた車両が留置されていました。
 現在では軽快なオレンジの気動車が活躍している(但し列車本数は多くない)路線です。


五所川原到着。

 この五能線は、両端の東能代付近と川辺付近を除くと、列車本数が稀少の路線です。
 能代を出て以降、途中交換列車の賑わいは殆どありませんでしたが、五所川原までやって来て、ようやく交換列車とホームに多数の乗客、という姿を目にした気がします。
 交換列車はローカル色ではなく、朱色の国鉄色の気動車でした。


弘前到着。

 さて、本日乗車の快速「リゾートしらかみ」。 秋田から五能線回りで青森まで行く列車です。
 五能線から終点の青森に向かうには、接続駅の川部から奥羽本線を北上するのがルートですが、乗客の利便性のため一度逆の南に進路を取り、弘前に立ち寄ります。
 このため、川部から弘前までの区間は同じ路線を往復することになりますが、他の五能線列車も川部から弘前まで直通しますから、これでいいのでしょう。
 実際多くの乗客が、すでに夜になった弘前で下車しました。


新青森ホーム。

 終点青森を前に、新青森駅に到着です。 東北新幹線新青森開業後は、この駅も「リゾートしらかみ」の停車駅になりました。
 本日この後のスケジュールは、ここ新青森始発の特急「スーパー白鳥」に乗車です。 選択肢としてはここで乗換と、次のこの列車の終点青森駅で乗り換えの二つがあるわけです。
 が、折角の観光列車ですからそのまま終点青森まで乗車することにします。


終点青森に到着。

終点青森に到着。 乗客下車後の車内です。
 東能代発車時点ではほぼ満員の車内でしたが、五能線内各駅では乗車より下車客の方が多かったようです。 3連休初日の列車ですから無理もありませんが。
 更に弘前で大量の乗客が下車し、そこから青森までは乗客もまばら状態の車内でした。


青森駅。

 久々に青森までやって来ました。
 といっても列車で来るのは3年ちょっと振り、車では2年弱振りですから、結構やって来ている方ではあります。
 3月とは言え日が落ちて寒いホームです。 すでに乗客は皆下車して改札出口に向かった後の静けさですから尚更です。


車内スタンプ。

 さて、すでにタイミングは下車後になってしまいましたが、車内で見かけたもの。
 一番前(後ろ)に備え付けのスタンプとカードです。
 サイズは葉書大ですが、葉書になっているわけではありません。
 頑張って挑戦したのですが、どうしてもきれいに押すことができませんでした。


車内スタンプ。

 上のスタンプとペアがこれ。
 小さい分だけややまともに見えますが、やはり全体がきれいに押せていないのには変わりありません。


スタンプ用紙。

 上のスタンプ用紙の裏側(こちらが表側?)です。
 五能線を走る3本の「しらかみ」車両ですが、少しずつ仕様が異なります。
 ハイブリッドの「青池」が来ないかと思っていましたが、今回の列車は「橅」編成でした。
 パンフレットによれば、編成運用は数日ごとにローテーションとなっているようです。


乗車証明書。

 もうひとつ、車内に備え付けてあったのはこの「乗車証明書」。  立派なスタンプ用紙と比べると、横93mmのいささか貧弱な?ものです。
 内容を見ると、乗車記念の証明書というよりは、割引特典のチケットの性格の方が強いようです。
 残念ながら今回は、秋田から青森まで通しての乗車ですから有効活用することはできませんでした。



青森駅風景。

 青森駅に並ぶ「リゾートしらかみ」車両と、ローカル電車(といっても電化の本線を走る列車ではありますが)の701系。
 以前は夜の青森駅と言えば「日本海」に「あけぼの」などの夜行寝台。 さらに遡ると、上野行きの583系寝台電車が並んでいましたが、すっかりローカル然としてしまいました。
 尚、この日の五能線車窓については、 TRIAL 20000 五能線 を併せてご覧ください。


青い森鉄道。

 青森駅の新顔、といってもすでに3年以上経ちましたが、「青い森鉄道」の電車です。
 かつてはここは盛岡・上野方面への長距離列車用ホームでしたが、現在は「青い森鉄道」専用ホームです。
 この日は天候の影響か遅れ(運転見合わせ)が発生していたようで、ちょうど運転を再開したところでした。 そのせいか、立ち客を含め車内には結構大勢の乗客がみられます。


青森駅。

 3年ちょっと振りの青森駅正面です。 雪の残る駅前です。
 歩けない、と言うほどではありませんが、日頃雪とは無縁の地方の住人にとっては、駅前のガードのない部分をちょっと歩くのに注意を払う必要がある歩道上の残雪でした。


函館行き「スーパー白鳥」。

 駅前散歩(夕食とアルコールの調達兼用、いや主目的)の後、再び青森駅ホームです。
 本日最後の列車は、函館行きの特急「スーパー白鳥27号」です。
 この列車、本来は隣の新青森始発なのですが、「リゾートしらかみ」で終点青森までやって来た関係上、本日はここから乗車します。 残念ながら再び新青森に引き返すだけの時間と適当な列車はありませんでした。
 まあ夜のことでもありますし、「スーパー白鳥」もこの青森駅で方向転換し半分始発駅のようなものですから、全区間乗車にはあまりこだわらないことにします。


行先標。

 「スーパー白鳥」の車両はJR北海道の789系。 JRの会社境界を越えて、新青森から函館まで走ります。
 JR分社化の後の連携の悪い分断化で、在来線では会社を越えて直通する列車が激減し、何とも不便になってしまいました。
 「白鳥」は現在のところメインルートの列車ではありますが、2年後には新幹線新函館延長で消えてしまいます。
 「白鳥」の列車名はどこへいくのでしょうか。


青函トンネル通過案内。

 今回「白鳥」に乗車して気付きました。
 座席背もたれのテーブルの表面に、青函トンネルの断面図と通過列車の時刻表が貼り付けられています。
 以前もあったでしょうか?
 「白鳥」には数年ごとに何度か乗車したことがありますが、これまでの記憶にはありませんでした。


函館到着。

 東京駅から始まった長い一日と寄り道だらけの今日の旅も終りです。 終点函館に到着しました。
 この後は駅前のビジネスホテルに投宿し、早々に(と言ってもすでに22時近くですが)休むことにします。
 「スーパー白鳥」。 駅名標とヘッドマークの組合せの写真でも撮れないかと思っていましたが、到着早々に「回送」表示に変えられた後でした。


朝の函館駅。

 一夜明けた函館は快晴でした。
 本日は、今回の一番の目的である江差線に乗車するスケジュールです。
 廃止が間近のため3連休中日は混雑するかと、少し早めにホテルを出て函館駅にやって来ましたが、まだホームには誰もおらずいささか拍子抜けです。


特急列車。

 隣のホーム(正確には隣のその隣のホーム)では、朝一番の札幌行き「スーパー北斗」がすでに待機中です。
 青函連絡船の時代は夜行便からの接続を受けて、早朝朝4時台に発車の「北斗」「北海」がありましたが、今では6時22分発のこの「スーパー北斗1号」が札幌行きの始発列車です。


雪の駅。

 函館駅風景です。
 改札内からホームまでで見られる中では、一番雪が深く感じられるアングルかな、と思います。
 もっともこれだけの雪がそのままここに降ったわけではなく、線路の除雪がここに溜められて、余計に雪深くなっただけではありますが。


函館山。

 発車待ちの「スーパー北斗」です。
 後方はランドマーク函館山ですが、昔は駅舎と連絡船待合室や連絡桟橋があり、ホームがもう少し後方に伸びていたため、駅ホームからは今ほど目立たなかったように思います。
 久々に乗車して大沼や駒ケ岳を車窓から眺めたいとも思いますが、本日は「江差線」最優先です。


函館駅構内。

 朝日に輝く「スーパー北斗」。
 銀色の車体が光るのも綺麗ですが、やや紫っぽい青い部分も、光が当たると鮮やかです。 太陽の光と水銀灯でも感じが全く違いますし、同じ太陽でも日中と朝日では趣が異なります。
 ホームのずっと向こうでは、留置された車両群も朝日を浴びていました。


江差行き列車入線。

 函館駅ホームに随分早く到着したため結構長い待ち時間でしたが、ようやく江差行きの気動車がホームに入って来ました。
 といっても6時53分の発車までにはまだ20分近くありますから、結構早い入線ではあります。
 お陰で適当な席を確保した後に、再びホームに出てゆっくりする時間がありそうです。


江差行きサボ。

 江差行き列車のサボは、間に「木古内」が入った往復兼用のものでした。
 このうち函館~木古内間は当面(なのかな?)鉄道として存続されますが、木古内~江差間が今回2014年5月に廃止となる区間です。
 (この文章アップの段階では、すでに廃止されています。)
 この編成はこれから終点江差まで向かい、少々休憩した後に、折り返し木古内行きになることになっています。


キハ40車内。

 江差行きの気動車、キハ40車内です。
 連休中日なので超満員なのでは?と思っていましたが、少なくとも函館を出る時点では7割程度の乗車率でした。
 列車本数の少ない江差線ではありますが、さすがに早朝の始発列車となるとそれほど乗客も押しかけないのでしょうか。
 車内はクリーム色の壁に青い座席のモケット。 昔北海道の各線でお馴染みの内装そのままで、懐かしく嬉しくもなりました。


函館湾と函館山。

 江差線の列車。
 函館を発車すると一度北に進んだ後、函館本線と分岐する五稜郭からは西に向きを変えて、函館湾をぐるりと巡るように進みます。
 現在の北斗市・上磯付近からは海岸に出て、ある時は西に、ある時は南寄りに進路を変えながら、随分長い間いつまでも函館山を眺めることができます。
 この区間、木古内までは現在は青森行きの特急も走る区間ですから、かなり何度も見なれた風景となりました。


木古内到着。

 木古内到着です。 ここで上り列車と交換です。
 連絡船時代は、ローカル線だった江差線と松前線が分岐するだけの駅でしたが、青函トンネル開業後は本州からの列車が乗り入れる駅になり、ホームも立派になりました。
 江差線のホームは片隅に追いやられた感じです。
 しかしすでに右隣りには新幹線の駅が姿を現しており、いずれ在来線は昔以下のローカル線終端駅になってしまいます。


海峡線アプローチ。

 木古内を出ると海峡線と一体になっている区間は終わり、ここからが本来の?ローカル江差線です。
 (戸籍上は海峡線が江差線から分岐していくわけではありますが。)
 新幹線の新しいコンクリート高架をくぐり進路を右寄り(北寄り)に変えたところで、海峡線のアプローチが望まれます。


山越え区間。

 木古内を出ると線路は渡島半島の先端?を横断する山越え区間に入ります。
 3月とは言えさすがに北海道の山越え区間はかなりの積雪です。
 (道南ですから、これでも北海道の中では少ない方なのでしょうが。)
 前回江差線(木古内以北)の乗車は1979年以来35年ぶりですが、そう言えば前回も3月中旬のこと。 春の嵐の中で、風と雪がかなり激しい日でした。


日本海。

 江差の一つ手前・上の国からの最後の区間は、日本海の海岸沿いの区間です。
 若干の平地またはなだらかな傾斜ですから、昨日の五能線のような険しい海岸風景ではありません。
 もっとも穏やかに見えるのは、地形だけでなく本日の天候も多分に影響しているものと思われます。


終点江差駅前。

 終点江差駅です。
 立地条件も駅の雰囲気も、駅に入る手前の風景も、かすかに残っている35年前の記憶とたいして違わないようです。
 但し、駅の中はストーブがカンガン燃えていて、もっと地元の人で賑わっていた、という印象ではありました。


再び木古内。

 さて、江差での折り返し時間は結構あり、駅前付近も多少うろうろしたのですが、そのあたりは別に紹介するとして、ここでは割愛とします。
 折り返し列車で木古内まで戻って来ました。
 折り返しが函館行きならそのまま乗車していたと思いますが、この時刻の列車は木古内止まりです。 折角ですから、少し木古内駅内外を歩き回ることにします。
 海峡線側のホームには「スーパー白鳥」「白鳥」の乗車表示。 さらに「新幹線開業」の表示も見られます。
 いずれにしても、2年後の主役は後ろの新幹線駅です。
 尚、江差線乗車の様子は別に、 TRIAL20000 江差線 をご参照ください。



「スーパー白鳥」到着。

 本来接続の新青森行き「白鳥」を1本見送った後暫く木古内でウロウロし、1時間後の「スーパー白鳥」に乗車することにします。
 今回主目的の江差線乗車も無事終えましたし、あとは「オプション」的ではありますが、次の目的地(目的列車)に向かうことにします。
 この写真撮影後、速攻で階段を駆け上り駆け降りて乗車、と頭に描いています。
 雪で滑って転んで乗り遅れ、なんて無様なことになりませんように。


新幹線と合流。

 はい。 木古内駅階段で急ぎつつも細心の注意を払ったおかげで、無事上の写真の「スーパー白鳥」に乗車することが出来ました。
 今回は3連休なのと途中駅からの乗車が多いため、そして「全車指定席」の列車を多用するため、基本的に各列車はあらかじめ指定席を押さえており、掛け込みでも座席の心配は必要ありません。
 木古内を出た「スーパー白鳥」。 海峡線に入るとすぐに新幹線併用区間へのアプローチを登ります。
 新幹線の真新しいコンクリート高架橋が寄り添って来ました。


合流地点。

  新幹線と在来線の北海道内木古内側合流地点(分岐地点)です。
 すでに新幹線高架橋にも電柱が立ち、ケーブル類も一部では張られています。
 新幹線軌道内の様子は、仮設フェンスと雪に遮られて、残念ながらよくわかりませんでした。


知内駅跡。

 江差線が廃止になるより少し前、この旅行のほんの直前に廃止された、知内駅跡を通過します。
 木古内はともかく、なんでこんな所に駅があって特急が停車するの?というような立地の知内駅でした。
 近接した松前線が1988年に廃止されたための措置でしたが、何しろ普通列車が走らない(昔は「快速」が何本かありましたが)のでは、利用する人も僅少だったのでは?
 「白鳥」でこの駅に停車したこともありますが、乗降客を全く見なかった記憶も。


本州側接続地点。

 座席テーブル裏側に貼られた「予定表」どおり青函トンネルを通過。
 在来線の線路の間隔が開き、間に新幹線線路のスペースが入って来て、間もなく本州青森・中小国側の分岐点に差し掛かります。
 こちらも深い雪の中で、新幹線側の軌道の工事進捗状況はよくわかりません。


工事中。

 新在分岐点です。 ここからは新幹線の軌道と分かれ、高い高架から地上に降りて行きます。
 深い雪では本格的な工事は出来ないのでは?とも思いますが、決して無人ではなく、工事(監視?)の係員が列車の通過を待っていました。


立体交差。

 新幹線の両側に分かれた上下在来線は、下り線が新幹線の下をくぐる形で合流します。
 (乗車している上り基準で話を進めていますので、本来は下り基準で「在来線の上下が分かれて新幹線に合流」と表現すべきかもしれません。)
 在来線の海峡線自体は幹線ではなく地方交通線ですが、設計の基本は新幹線ベースであり、特急や貨物列車が通過する幹線級の路線ですから(少なくとも現時点では)、実に大掛かりな構造体です。


新幹線と在来線。

合流分岐区間が終わると、在来線は東の陸奥湾方向に向きを変え、この先津軽線と合流します。
 新幹線はそのまま真直ぐに山手に進み、奥津軽いまべつを経由して新青森を目指します。
 ところで「奥津軽いまべつ」って、地元の方には大変失礼ながら、「物凄い田舎」を連想させる新幹線らしからぬ駅名ネーミングに思えて仕方ありません。 どのくらいの新幹線利用客が見込まれているのでしょうか。
 新幹線開業で津軽半島奥の観光起爆、というぐあいにゆくでしょうか。


白鳥ヘッドマーク。

 本日は8両編成で運転されている「スーパー白鳥」。 編成途中に貫通式の先頭部が組み込まれています。
 583系や485系ではなかなか活用されなかった高運転台の貫通扉ですが、JR東日本と北海道の新しい車両では、フル活用されています。
 789系の「スーパー白鳥」の表示も、あと1年半程です。


連結部。

 真上に運転台があるにしては、意外と広い先頭貫通扉付近の風景です。
 昔と違い、特急と言えども運転士は一人乗務が基本ですから、それだけ運転室が狭くなったということでしょうか。
 ところでこの貫通扉。
 デザイン上閉まっている時に外からは判りにくいですが、ヘッドマークの上部、目の高さは正面が眺められる窓になっています。
 どうせなら新幹線合流地点の写真はここから撮れば良かったかな、というのは後になって思いついた話しでした。


正面。

 列車は青森に到着です。
 現在は隣の新青森駅が東京方面への接続駅ですから、この「スーパー白鳥」も向きを変えて、一駅だけ進んで終点となります。
 青森までやって来たのでちょっと一休み、といった感じの折り返し時間です。


列車表示。

 「スーパー白鳥」の側面列車案内表示。
 3年余り前までは「青森」でしたが、現在は「新青森」です。 しかしそれもあと1年半ほどになってしまいました。 青森駅から「白鳥」が姿を消すことになるのでしょうか。
 それにしても「側面案内表示」と言う表現は長ったらしいですね。 昔の構造なら「サボ」とか「方向幕」とか言えば良かったのですが。
 どう呼べばいいのでしょうか。


ドア付近のデザイン。

 乗客ドア付近のデザイン。
 先頭部以外は味気ないステンレス車体の銀色ですが、この部分だけは識別を兼ねて津軽海峡の地形図がデザインにあしらわれています。
 これまたあと1年半で見おさめになるのでしょう。
 何しろJR北海道の車両ですから、海峡線から撤退後に運行できるのは札幌を中心に室蘭・小樽・旭川間に限られてしまいます。


青森駅。

 江差線も(廃止までは)今回が最後の訪問ですが、次に青森函館にやって来た時にはこの「白鳥」も廃止になっているかもしれない。
 ということで、「白鳥」をからめた写真もいくらか撮っておくことにします。
 青森駅の駅名標と「白鳥」。
 運転区間は変わりましたが、青森では50年間親しまれた愛称ではあります。


連結部。

 789系の運転台連結部です。
 今まで気にしていませんでしたが、よく見るとこの先頭車両、乗務員扉が無いんですね。 代わりに確認用の窓があるだけです。 (もちろん内部にはドア操作スイッチはあるのでしょうが。)
 平床の乗務員室があるわけではないので、当たり前と言えば当たり前の構造ですが、今更ながらの「発見」でした。


新青森駅。

 折り返し時間の間、こちらもホームを歩きまわって小休憩(休憩にはなっていない?)。
 この後のスケジュールを考えて、再び列車に乗り込み、終点新青森にやって来ました。
 789系の上に覆いかぶさるのは、巨大な新青森駅の駅舎構造体です。


駅名標。

 だんだん「記念撮影」的写真になってきました。
 終点新青森の駅名標と「スーパー白鳥」の組合せ、の図です。
 それ以上に説明することは特にありません。


駅名標。

 同じく、新青森にて、駅名標と列車と駅舎(のほんの一部)。
 ということです。


2本の「白鳥」。

 ここで隣のホームに、函館行きの「白鳥」が入って来ました。 こちらは古い485系を使用した、「スーパー」ではないやつです。
 JR化後も各社が大事に?投資を抑えて?使用してきた485系ですが、この3年ほどで急速に置き換えが進み、定期列車で走るのは現時点ではJR東日本の車だけになりました。
 わずかに残る列車のうち「北越」系統は来春の北陸新幹線開業で廃止されるでしょうし、この「白鳥」系統もあと1年半程。
 それまで、車両置き換え、ないでしょうね。


普通列車到着。

 青森から弘前方面行きの普通電車が到着しました。
 2階コンコースから眺められるとおり、奥羽「本線」と言いながら、更に県都青森駅と新幹線の終点新青森を結ぶ区間ながら、この区間は単線です。
 用地上は複線化できないことはなさそうですが、当面工事は行われていません。
 それで間に合う程度の列車本数、ということなのでしょうか。


「白鳥」発車。

 「白鳥」が発車です。
 単線区間ですから、普通列車が到着しないことには「白鳥」も発車できません。
 新青森駅在来線は1面2線だけのホームですが、「白鳥」のほか、リゾート系の快速列車の始発駅にもなっていますから、少しダイヤが乱れるとかなり苦しくなるのでは、と思うのですが。
 近い将来の「白鳥」の廃止を見越して投資を最小限にしているのでしょうか。


「はやぶさ」。

 江差線乗車も終えて無事本州に戻って来ましたし、あとは東京に帰るだけ。
 といいたいところですが、本日の最後は「はやぶさ」乗車。 これも今回の課題のひとつです。
 東北新幹線新青森については、開業翌日に乗車する機会があったため、「初乗車区間」ではありません。
 が、このE5系「はやぶさ」が運転開始してからは初めて。 そして何より国内で時速320キロ運転の列車に乗車するのは初めてです。
 (リニアの試乗会を除く。)
 特徴のあるノーズの長い先頭部ですが、両側ともホーム一杯に停車しているため、なかなか写真の引きが取れません。


新幹線新青森駅。

 新青森駅の新幹線ホームです。
駅名表は現在は下り方面が空白になっていますが、いずれ「奥津軽いまべつ」になるはず。
 すでに北海道新幹線用の車両は発表されていますが、基本はこのE5系「はやぶさ」と同一のため、この風景は大きく変わりそうにありません。
 それより前回3年前に訪れた時は、E2系「はやて」だったのですが、すでにすべてE5系に置き換えられ、青森からは姿を消してしまいました。


「はやぶさ」車内。

 落ち着いたブラウン系のシートが並ぶ、E5系「はやぶさ」の車内です。
予想通り、青森発車時点での乗客は僅少です。
 「えきねっと」で予約の少ない車両を選んだせいもあるかもしれませんが、いくら3連休の中日でも、夜刻良い時刻に東京に着く列車なのですから、もう少し乗っても良い気もします。


「はやぶさ」指定券。

 「はやぶさ」の指定券は、これも「えきねっと」で一昨日東京で自動券売機から受け取ったものです。
 これは下車時に回収されてしまうので、写真で残しておくことにします。
 列車は15時17分発の「はやぶさ76号」。
 日中景色が見える時間帯の「はやぶさ」を選んだ結果、江差線のスケジュールがやや駆け足になってしまいましたが、ま、妥協の結果ということで。


ほんの軽い食事。

 はい。食事です。 長時間の乗車になりますから、当然?「飲み物」付です。
 今回は新青森駅の構内で求めたコンビニ弁当と第3のビールで少し安めに上げることにします。
 もっとも酔っぱらって眠ってしまうわけにはゆきません。 何しろ320キロ運転を行うのは途中盛岡から先ですから。
 ということで、早めにアルコールが抜けるよう???すでに片方のプルタブは起き上がっています。


車内から。

 ということですでに食事タイム、いえアルコールタイムに入りましたが、まだ青森駅ホームに停車中でした。
 横着して、車内所定の座席からの撮影です。
 2面4線ある新青森駅の新幹線ホームですが、何しろ今のところ列車本数が1時間に1本程度のため、発車間際でも閑散としています。


ただ今食事中。

 列車は定刻に新青森駅を発車。
 三内丸山遺跡そばを通り過ぎると間もなくトンネルに入りますので、これから先は本格的にやや遅めの昼食タイムです。
 もちろんこのまま寝てしまいはしません。
 おそらく・・・。


盛岡到着。

 盛岡到着です。 アルコールに負けることなく、ちゃんと起きています。
 ここで「はやぶさ」の後部に秋田からの「こまち」を併桔します。
 前になる「はやぶさ」が先に到着し、連結器カバーを御開いて「こまち」の到着を待ちます。


「こまち」接近。

 待つ程もなく、後方から「こまち」が近づいてきました。
 あらかじめ車内案内がありましたので、「はやぶさ」のお客も休憩がてらホームに降りてきて、連結場所付近は結構な人だかりです。


「こまち」接近。

 ゆっくりゆっくりと「こまち」E6系が近づいてきます。
 微調整は自動制御でなく運転士が行うわけですが、先頭部ノーズが長い両方の車両。
 運転席から連結器先端までは結構な距離がありますから、連結作業も大変なのでは、と思います。


一旦停止。

 あと1メートルちょっと?という位置で、一度停車。 そこから更にじわじわと前に進めて、連結完了です。
 ホームに降りて眺めていたため、連結時の車内での衝撃が如何ほどか、については今回は確認できませんでした。


連結。

 すべて自動連結ですから、在来線の旧式の車両のように人間が線路に降りてジャンパ線やエアホースを連結する作業もありません。
 連結が終わると間もなく発車のため、早々に車内に戻ることにします。
 東北新幹線の「はやぶさ」と「こまち」の組合せ。
 今年3月のダイヤ改正からは、すべてこのE5系とE6系の組合せに置き換えられました。


車窓風景。

 列車は仙台平野までやって来ました。 ここまで来るともう平地に雪は見られません。
 時速320キロでも快適な乗り心地のE5系ですが、ひとつだけ快適でないことが。 ご覧の通り、窓の周辺部の風景が相当歪んでいます。
 透明プラスチックの成形に歪があるようですが、一度気にしだすと結構気になる。
 JR東海と西日本のN700系では、ガラスでなく初めてプラスチック窓を採用に当たり「富士山が歪んで見えないこと」というかなり厳しい条件を付けたようですが、この「はやぶさ」E5系。 N700よりはかなり気になります。
 余談ですが、N700系のプラスチック窓。
 歪みはさほど気にならないのですが、こちらは変に青っぽく、または紫っぽく、煙草の煙がかかったような色に濁って見えるのが気になります。


定刻東京着。

 定刻東京着です。
 3月後半の18時半頃ですからすでに真っ暗ですが、ま、首都圏での明るい車窓にこだわる必要もないかな、と言う感じでの乗車列車選択です。


MAX。

 一度都内の徘徊?に出た後、再び東京駅です。
 在来線ホームから見上げた新幹線。 一番手前には、2階建てMAX、E4系が停車中です。
 東日本独自の全車2階建て新幹線ですが、初代のE1系はすでに引退。 このE4系も、東北新幹線からは撤退し、活躍の場が狭められてきました。


「ながら」列車表示。

 東京駅在来線ホーム。
 ここに居るのは、これからこの「ムーンライトながら」に乗車するためです。
 定期列車時代はよく利用した「ムーンライトながら」ですが、臨時化で運転日激減のためにあまり実用的でなくなり、最近は東京方面への夜行はもっぱらバス利用です。
 これは周遊きっぷが廃止されたのも幾分影響しているかもしれません。
 前回「ムーンライトながら」に乗車したのは、もしかして373系時代だった、かな?


ムーンライトながら。

 現在の「ムーンライトながら」車両は185系です。
 登場時の特急らしからぬ内装(座席)が気になった世代としては、新快速並みの185系で夜行?という印象がありますが、現在は座席もリクライニングタイプに交換され、まずまず快適です。
 いずれにしても185系で夜行列車、というのは今回が始めての体験です。


夜の東京駅。

 東京駅10番ホームに停車中の「ムーンライトながら」。
 夜行列車や長距離列車の重なる廃止で、このホームから発車するのは定期の「サンライズ瀬戸・出雲」とこのムーンライトながらだけになってしまいました。
 いつまで存続するか、次に乗車する機会があるのか、全くわかりません。


関西本線。

 3連休最終日の朝です。
 3日間有効のJR東日本3連休乗車券でしたが、結局2日間だけの使用でした。 しかしながらこれまで書いたような道程でしたので、すでに十二分に「元」は取っています。
 昨夜の途中(正確には日付が変わって本日に入って)からは、3連休乗車券から青春18きっぷに切替です。
 折角の切符&休日なら、ムーンライトの終点大垣からそのまま東海道を乗り継ぐのも味気ない。 ということで、名古屋で夜行を下車して、関西本線の電車に乗り換えです。


2014年11月9日追加

亀山駅。

 関西本線に乗車するのは久しぶりです。
 学生時代以来、と言いたいですが、ずっと後にやはり「ムーンライト」かその前の345Mから乗り換えて乗車したような気もします。
 細かいことはおいおい調べるとして。
 同じ関西本線ですが、亀山からはJR西日本エリアになります。
 車両はローカル向け簡易構造の気動車、キハ120です。


加太越え。

 関西本線と言えば「加太越え」。
 加太から柘植への勾配線の途中に設けられたスイッチバック式の信号場です。 といっても蒸気機関車時代の遺構であり、現在使われているわけではありません。
 加太駅を出て上り勾配を進むこと暫く。 今でもスイッチバック式信号場の後は残っていました。


加茂駅で乗り換え。

 亀山からの列車の終点・加茂駅です。
 現在は大阪方からここまでが電化され、大和路快速が乗り入れてきます。
 同じ関西本線ながら、山間のローカル線から一気に京阪神地区の通勤路線に様変わりです。


終点JR難波。

 関西本線の終点、JR難波です。 折角名古屋からの関西本線乗車ですから、敬意を表して?やって来ました。
 元々旧湊町(≒現JR難波)をターミナルとした関西本線。
 JRの路線網からすると大阪環状線を内側に飛び出し、行き止まりの「盲腸線」的線形になっているJR難波駅です。
 王寺奈良方面からの列車のみが乗り入れるので利便性は今ひとつですが、大阪ミナミの中心に直接乗り入れる唯一のJR路線ではあります。
 加茂から乗車した大和路快速221系は大阪環状線を大阪方面へ直通してしまいますから、途中新今宮で乗り換えです。


交通科学博物館。

 さてさて、本日、というか今回の旅行の最後の目的地です。
 大阪は弁天橋にある交通科学博物館。 52年間の歴史に幕を閉じ、間もなく(2014年4月)閉館です。 (この文章アップ時にはとっくに閉館した後ではありますが。)
 交通科学館時代から何度かやって来たことがありますが、本日で見おさめ。 この次展示物と会うのは、京都に新設される鉄道博物館ということになります。
 開館直後の時刻にやって来たのですが、3連休とあってかなりの人出でした。


80系運転台。

 色々アップしたい展示物はあるのですが、ここではひとつだけ。
 かつて地元山陽本線を走っていた80系。 先頭クハ86と中間モハ80のいずれもトップナンバーが展示されています。
 ほぼ原形に近いスタイルに復元されていますので、化粧板を張ったり色々改造された山陽時代末期とは、多少イメージが異なります。


大阪環状線。

 最後ですが、ついでのついでです。
 大阪環状線が環状運転を初めて50周年、ということです。
 列車には(全部ではありませんが)こんな記念ヘッドマークが取り付けられていました。
 東京と違いまだ古い103系まで走っている大阪環状線ですが、大幅な改善計画が予定されているようで、数年後には走っている車両も様変わりしているかもしれません。


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