一連の国鉄JRローカル線廃止では比較的遅く、1988年1月末で廃止されました。 乗車したのは1979年と廃止直前の1988年元旦の二度。 そして、その後の廃線跡訪問の様子です。 尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2015年1月18日 <木古内〜松前> <INDEX> 2014年8月再訪 2015年1月18日追加 2010年8月再訪 2014年8月再訪 松前駅跡。 丸4年振りに松前の町にやって来ました。 今回の当初計画にはなかった(腹案程度)のですが、道路通行止めの影響で、木古内から江差へのレンタカー移動は大回りの松前経由。 ということで、松前駅跡です。 松前駅のホームほぼ中央を横断する形で設けられた道路の標識は、「駅跡」ではなく、更に少し山手にある「松前反屋敷」「松前公園」のものでした。 ちなみに両方とも前回訪れていますので、今回松前はここだけの寄り道です。 駅跡。 旧駅舎付近から駅の終端方面を眺めたところです。 「まつまえこどもえん」の標識が建っているあたりがホーム跡で、向こう側が終端部になります。 前回訪問時には駅表側のみで、こちら側をあまり歩き回らなかったせいか、気づいていなかったホーム跡などの遺構が多少残っているようです。 新しい道路(線路跡)。 この写真中央付近にある「駐車場」表示と上の写真を併せてご覧いただければ位置関係がお判りかと思いますが。 線路が敷かれていた場所は、道路に[生まれ変わっています。 写真奥手が木古内側。 右手桜の木のすぐ向こうあたりが旧1番線で、その更に右手がホーム・駅舎跡です。 ホーム跡。 ホーム跡に近寄ってみました。 前回は駅舎より東側ばかり歩き回ったので気付きませんでしたが、西側にはこのようにホーム跡が、わずかな長さながらはっきりと残っていました。 ホーム跡。 これはホームの一部を崩した跡? それとも行き止まりの側線跡? それにしては向きが「逆」じゃないだろうか。 眺めただけで、その後あまり真面目に考証していまでんので詳しいことは判りませんが、いずれにしても「遺構」には違いありません。 2015年1月18日追加 駅舎跡分断。 一番最初の写真の道路の「反対側」です。 駅正面の昔からの道路と、線路跡を活用して新しく造られた道路を結ぶ「連絡通路}? 旧ホームのど真ん中を突っ切って設けられていました。 ま、よくある光景ではあります。 駅舎跡。 少し東に移動して。 駅舎東側のホーム跡から駅正面向きはこんな感じです。 ちょうど車が停められているあたりが、駅舎跡です。 盛り土はありますが、ホームの石積みやコンクリートがよく見えないため、「明らかにホーム」というのが判別しづらくなっています。 駅前の遺構。 こちらは非常に判りやすい、駅前広場の一角(東側)に設けられた観光案内所と観光案内版です。 立派な造りだったためか、取り壊されることもなくこのような姿が残っています。 駅碑。 お馴染み、と言っても良い、駅正面の石碑です。 ポイントは「松前駅跡」ではなく「松前駅」である点。 新しく見えますが、これは松前線現役時代から建てられていました。 「記念写真撮ります」とありますが、どこにどうお願いすればいいのかは判りませんでした。 海岸方面。 松前駅と海との関係はこんな感じになります。 全体に波打ち際ではなく10数メートル高いあたりを走る区間が多かった松前線。 終点松前付近では、江戸時代からの市街地を避ける形で山側を迂回し、松前城の敷地内をトンネルで抜けた後、再びやや海沿いに戻って、松前市街をほぼ通り過ぎたあたりに駅が設けられていました。 狭い平地に昔からの街並みが密集していたが故の、いささか不便な立地だったようです。 駅前。 町並みからはわずかに高台にある松前駅。 駅正面へはこんな感じの坂道で上って来ました。 (同じような写真が4年前のものにもありますが。) 向こう側から坂を登りきるとすぐ右手が松前駅正面、というレイアウトです。 2010年8月再訪 松前駅跡碑。 旧国鉄松前駅跡に、石碑が建てられていました。 国鉄、と書きましたが、松前線が廃止されたのは1988年初春ですから、ほんの1年足らずの間ですが、JRの時代もあったわけです。 廃止直前に、こちらも廃止間近だった青函連絡船から乗り継いで訪れたのが懐かしく感じられます。 観光案内所。 駅舎本体は取り壊されており、当時の姿を偲ぶ術はありませんが、若干の遺構建築物は残ったままでした。 小さな観光案内所跡。 現在は地元自警団の器具置き場の看板が掲げられています。 この看板自体相当古そうに見えるところ、廃止直後に転用されたのでしょうか。 駅前バス停。 昔なら「松前駅」か「駅前」だったであろう、現在のバス停留所です。 駅の位置がやや高台にあり、町のど真ん中というわけではありませんから、現在は停留所のみでバスターミナルの機能は持っていません。 写真、正面奥が駅の行き止まり方向。 駅前広場(というほど広くなかったはず?)や駅舎跡は写真右手やや後方に広がっています。 松前駅跡。 上と同じ位置で反対向きの写真です。 明瞭な遺構は観光案内所と大きな観光看板跡。 それに倉庫跡くらいです。 駅舎はきれいになくなり、線路跡は新しい道路に生まれ変わっていました。 海沿いの狭い町から見るとほんの少し高台に位置し、このなだらかな坂道を向こうから上ってくるのが元々の駅への進入路です。 松前城址付近。 松前駅から少し函館方に戻ったあたりです。 狭い市街地を避けるように山側に敷かれていた松前線。 松前駅到着直前に松前城址を抜けますが、場所が場所ですから掘割でなく、トンネルで地下を通過していました。 今から見るとたったこれだけの高低差でトンネルを?と思ってしまう地形ではありますが。 松前駅方面。 微妙に曲がった道路橋。 ちょうどこの曲がり端から向こう側に一直線。 学校の横を抜けて数百メートルが、旧松前線の廃線跡。 学校の向こう側が松前駅跡地となります。 駅に進入する雰囲気や地形の記憶。 海からやや離れた高台だったのは覚えていますが、改めて再訪してみると、ここまで離れていたかな、といった印象の廃線跡でした。 松前市街側。 道路橋から海のほうを眺めたところです。 松前線の鉄橋のほうがやや低い位置にあり、実際には列車からの視界はこれより1〜2メートル低めだったはずです。 町の中心はずっと海寄りで、今では更にその海側に国道の新道が作られていました。 松前城から。 松前の手前では車窓から廃線跡を確認できていたのですが、松前市街に入ると見失ってしまいました。 というより、線路は市街地中心や道路からはかなり山側に離れていたはずです。 上の松前駅跡やトンネル跡とは実際には訪問順序が逆になりましたが、まずは観光優先で松前城へ。 天守閣から函館木古内方面を望むと、左手の山にかかる方で道路工事が進んでいる様子がわかります。 どうやらこのあたりが、松前線の廃線跡のようでした。 松前城から。 こちらは天守閣ではなく、石垣の南端から函館木古内方面をそのまま望んだところです。 このあたりから右手後方にかけてが、松前市街中心地。 ということで、先ほどの松前線はかなり山側を通っていたのがよくわかります。 天守閣から。 2枚上同様、松前城の廃線跡付近です。 何となく廃線跡っぽい雰囲気で、高さも曖昧な記憶に残っているものと一致しているようです。 廃線跡。 松前の町に入る少し手前、海岸の道路沿いに大きな「遺構」が残っていました。 さすがにこれなら運転中の車からもすぐに発見できます。 おそらく鉄橋はすぐに撤去されたのでしょうが、これだけの大きさになると、橋脚の撤去とまでは行かなかったようです。 登ってみたい衝動にかられましたが、さすがにこれは・・・。 どう考えても無理でした。 廃線跡。 ロケーションとしてはこんな感じです。 松前線がここまで海岸に迫っていた場所は、じつはそれほど多くなかったと記憶しています。
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