本州〜北海道間の輸送の主力はすでに随分前に航空機に移っていましたが、それでもまだまだ観光シーズンや盆正月の多客期には、往年の賑わいを見せていました。 >>>写真をクリックしてください。>>大きな写真へ <INDEX> 廃止前の様子 メモリアルシップ「八甲田丸(青森) メモリアルシップ「摩周丸(函館) ↓ ↓ ↓ 最新の追加 ↓ ↓ ↓ ![]() 函館山山頂展望台から見下ろした、函館駅付近、現在(2014年)はこんな眺めです。 岸壁跡には青函連絡船摩周丸がメモリアルシップとして係留展示されています。 ![]() 現在の摩周丸、こんな感じです。 前回訪問時は気づきませんでしたが、よく見ると船の向こう側に「動輪」も置かれています。 いつか言って見たいと思います。 ↑ ↑ ↑ 最新の追加 ↑ ↑ ↑ 現役時代の様子 ![]() まもなく函館港桟橋に接岸する連絡線「十和田丸」です。 鮮やかな朱色が印象的でした。 ![]() 接岸直前に、右舷からタグボートが接近します。 宇高連絡船と比較すると操縦の自由度が少ない青函では、最後はタグボートに船体後部を押されながらの接岸でした。 ![]() 貨車航送用の扉が前部にある宇高と違い、後部にある青函連絡線はスマートな外観で、旅客船として優雅なスタイルを持ち合わせていました。 ![]() JNRからJRにマークが変わって、わずか一年間で青函トンネルが開通し、連絡船は終焉を迎えました。 緑色のJR北海道ロゴの「十和田丸」です。 ![]() 貨物にとっては、最後まで青函連絡船は本州と北海道を結ぶ動脈でした。 到着後すぐに、慌しく航送貨車の引出しがはじまります。 ![]() 黄色い船体の「八甲田丸」です。 函館港をぐるりと回り、一番奥にあるJR桟橋に向けてまっすぐ進入してきます。 ![]() 黄色いスマートな船体の「八甲田丸」です。 しかしさすがに最後の頃は、各船体とも相当くたびれて、あちこちに赤茶色の錆も目立つようになっていました。 ![]() まもなく接岸。 すでにほとんど速力はなくなり、後は惰性とタグボートの推進力が頼りです。 細かい操舵は行ってはいますが。 ![]() 岸壁を離れた連絡船が、青森の町を後にします。 のどかな日和のため、デッキには観光客の姿が多数。 鉄道連絡船ですが、便によっては自家用車を航送するものもありました。 ![]() 函館までは3時間50分の航海です。 青函航路中央の津軽海峡は国際航路ですが、実際は行程の半分以上は陸奥湾の中を行きます。 天気さえよければ、周りの景色は変化に富んでいます。 ![]() 最後まで貨物(専用)船として残った「空知丸」が函館に向けて航行中です。 連絡船ながら、貨物専用のため独特のスタイルでした。 ![]() 函館桟橋を離れ、青森に向けて出てゆく「大雪丸」です。 横から見ると随分と大きな船体です。 ![]() 函館港岸壁に接岸直後の「十和田丸」です。 函館山側の坂道から見下ろすと長閑な景色にみえますが、港ではこれから慌しい貨車の積み下ろしが行われます。 ![]() もう貨車の積み下ろしも一段落着いた頃でしょうか。 後方に、札幌からの特急列車が近づいてきました。 この乗客が乗り終わると、青森へ向けて出航して行きます。 ![]() 函館桟橋を離れ、青森へ向かう「大雪丸」です。 JR函館桟橋は函館港の一番奥にあり、函館山の周りをぐるりと半周以上まわって津軽海峡に出てゆきます。 ![]() 海峡部分を過ぎると、あとの半分は比較的穏やかな陸奥湾の中を、青森へ向かいます。 さすがに3時間50分の航海は、デッキで過ごすだけではやや冗長な感じもします。 ![]() 陸奥湾の中で遠くすれ違った「十和田丸」です。 写真を見て今更ですが、船の航路って、左側通行でした? ![]() 3時間50分の航海を終え、大雪丸が青森港の岸壁に接岸します。 隣の岸壁には「檜山丸」が。 元貨物船からの貨客船改造で、元々の客船と比べると独特の姿です。 メモリアルシップ「八甲田丸」(青森) ![]() 縁あって、今年3度目の青森です。 JR青森駅前、まだ工事は完了していませんでしたが、新幹線開業に合わせ、ギリギリ仕上げ段階です。 いつの間にか左手の観光ショッピングモールが出来ていました。 ![]() 青森港、旧連絡船桟橋に展示されている八甲田丸です。 5月の時点では工事中で、かなりの部分に覆いがされていましたが、きれいに化粧直しが完了して美しい姿を見せてくれました。 朝日とやや曇りがちの天候のせいで、船体の色が赤っぽく見えますが、実際は鮮やかな黄色です。 ![]() 函館港の摩周丸同様、この八甲田丸も国鉄マークとシンボルのイルカマークという、国鉄時代末期の姿に戻されています。 このあたりからアップで見た画角が絵になり大好きです。 ![]() 美しいスタイルの青函連絡船。 やはり外洋を航行する船は、内海航路のものと比べると堂々とした船らしい威厳があります。 ![]() ほぼ整備の終わった、青函連絡船八甲田丸と連絡橋です。 今更ながらですが、今回の訪問ではこの連絡橋がどうなっているのか確認するのを忘れていました。 前回訪問時は工事中で通れなかったのですが。 ![]() ほぼ船の中心と同じ目線の高さは、ベイブリッジの上に登る階段の途中からです。 この高さでぐっと船に近づければ、現役時の風景が更に鮮明に蘇るのですが。 ![]() 現在眺められる角度としては、このあたりからの眺めが一番スマート感があって好きです。 暫くじっと眺めていたい、と思いましたが何しろ北国の12月。 さすがに寒いベイブリッジの上でした。 ![]() 航送貨車搬入の可動橋の付近の様子がよく判ります。 できればハッチを開いて欲しいと思いますが、展示用の外観としてはこの方が良いでしょうか。 ![]() このまま晴天の海に出航しそうな雰囲気です。 すぐ隣の県営桟橋から、下北半島佐井方面行きの高速艇ポーラスターが出航します。 陸の孤島?下北半島西岸へは鉄道より車よりこの高速艇が最速の足です。 しかし利用者の程は? ![]() 残念ながら閉じられたままの航送ハッチ。 可動橋も接続されてはいませんが、わずかの隙間から接続レールも見ることができました。 ![]() 青森港の防潮堤を出るとすぐに加速して行くポーラスター。 青函連絡船だと函館に向けて陸奥湾を出るまでに2時間以上かかっていましたから、さすがに足の速さは違います。 しかし便数が僅少ということは、やはりその程度の利用客、ということで、こちらも存続が取り沙汰される結構厳しい経営状況のようです。 ![]() 青森港岸壁に展示されている青函連絡船八甲田丸です。 かつての乗船通路跡には新しい通路が建設されていますが、この時は工事中で使われていませんでした。 ![]() 連絡線乗船口から青森駅方面を眺めたところです。 ホーム海側端の跨線橋を進んだ先にある広い連絡船待合室横から更に連絡通路が延びて、この場所から乗船するレイアウトでした。 ![]() 船内に展示された案内プレートです。 現役当時は何気なく眺めていただけですが、一堂に並べてみると壮観で懐かしい感じがします。 但しグリーンマス席と寝台は利用したことはありません。 ![]() 普段は目にすることができなかった、車両航送の船倉も見学コースのルートのひとつです。 荷物車をはじめ、色々な車両が留置展示されています。 残念ながら車両の中には入れませんが。 ![]() 船内に展示されたキハ82です。 展示品としては楽しい車両ですが、もちろん常時旅客車両が航送されていたわけではなく、一般客の出入りできるスペースではありませんでした。 ![]() 船体後尾にある、車両出入り口のハッチ付近です。 床面は見学客が歩きやすいように、レールを残して板を貼りフラットに改造されていますが、この部分はそのままです。 ![]() 同じく船内に展示された車両群です。 青函連絡船では一般客は入れないスペースでしたが、海外では乗客を乗せたままの列車航送で こんな例 があります。 なかなかダイナミックでした。 ![]() 船内に客車積込み用の控車も展示されています。 連絡船とのマッチングはごく自然な車両ですが、連なったディーゼル機関車まで船内に入っているというのは、本来の趣旨に反しています。 ![]() 船底のエンジン近く、操作盤や監視盤が並ぶコントロールルームです。 操舵室とは違い日の当たらない一角に、計器類が並んだ重要な部屋がありました。 ![]() 現在の八甲田丸プロムナードへの出入り口は地上から。 残念ながら桟橋高架橋から入れるようにはなっていませんでした。 メインの煙突は、国鉄時代のJNRマークに戻されています。 ![]() 八甲田丸から更に突堤側、現在の青森駅線路の行き止まり近くに、車掌車と控車が一両づつ留められていました。 控車はやはり一両だけではもの足りません。 メモリアルシップ「摩周丸」(函館) ![]() 青森の「八甲田丸」とともに、対岸の函館では「摩周丸」が展示公開されています。 外から遠目に眺めたことはあったのですが、今回2010年夏にようやく訪問しました。 ![]() 船尾付近は、車両航送の出入り口がある関係で、かなり無骨な造りになっているのが青函連絡船の特徴です。 船首に出入り口があった宇高連絡船とは対照的なスタイルでした。 ![]() 何だか建物の裏の方の物陰にある感じの、摩周丸入口です。 現在の函館駅から少し距離があるのが難点です。 もう少し観光客を誘導する仕掛けがあれば、もっ賑わうと思うのですが、どうもお役所仕事っぽい感じがしてなりません。 ![]() かつての連絡船桟橋にそのまま係留されている摩周丸。 ですが、車両積込用のレールも乗船連絡通路も撤去され、さらに函館駅ホーム自体が短縮されて、後方の駅から随分遠くなってしまった感じがします。 せめて観光用通路でも残っていれば、と思います。 ![]() 青函連絡船のシンボルマーク、イルカのマークと国鉄マークです。 最後はJRでしたが、再び国鉄マークに戻されています。 イルカのほうはこれまた末期の登場ですが、こちらはそのままの展示です。 ![]() 連絡船入口からの眺めです。 これから青森に向けて出航するのではないか?という感じさえします。 青森へは、離岸後直ちに大きく90度以上右に舵を切り、函館山を大きく迂回する必要があります。 ![]() 船内は展示用に大改造されていますので、あまり当時の雰囲気は残っていません。 わずかに復元?されたグリーン席です。 青函連絡船を利用したのは貧乏旅行の大学時代と社会人なりたての頃でしたから、グリーン席を利用したのは一度だけでした。 ![]() 摩周丸では、操舵室部分が広く開放されています。 元々はこんなに広いスペースではなかったはずですが。 ![]() 操舵室正面窓から見た函館山方面です。 電車に限らず運転席から正面を見るのは気持ちのいいものです。 しかし大型船の場合、船首までの距離感がまるで違います。 よく正確に操船できるものだと改めて感じます。 ![]() 夜行便を利用することのほうが圧倒的に多かった青函連絡船。 ということで、乗船の際の船内設備はこのマス席がお馴染みでした。 ![]() 鉄道連絡船ではありますが、一応自動車航送も行っていました。 とは言え空き甲板のスペースを利用程度のサービス。 運搬できる台数はさほど多くありませんでした。 ![]() 尖った船首で優雅なスタイルの青函連絡船。 船首に貨車航送入口のある宇高連絡船とは全く異なる趣のスタイルでした。 現在は観光用に埠頭が整備されて、ここまで入ることができます。 ![]() 巨大な船体で手が回らないのか、細かいところに目を向けると相当くたびれている摩周丸です。 が、現役時代もこんなものだったとも言えなくはありません。 長く公開されることを望んでいます。
|
![]() ![]() バナーにご利用ください |