ガンバの至宝、宮本ライブラリのコーナーです。
これまでのツネの活躍が一発でわかります。
そして改めてすごいやつだと再認識してください。
【順次整理中:一部工事中】
23歳(大阪)、1977年2月7日生 身長176cm・体重70kg、血液型A型 年俸3000万、車:SLK 【実績】 1999年 30試合出場、0得点、 6シュート、1アシスト、警告 3回、退場0回 通算 112試合出場、1得点、21シュート、7アシスト、警告15回、退場0回 【代表歴】 1993JY、1996Y、1997Y、1998アジア大会、2000五輪予選 【寸評】 五輪代表に続きG大阪でも主将、選手会長も兼任。 雑誌モデルやCM出演で人気も全国区。同大経済学部6年生の顔も。
22歳(大阪)、1977年2月7日生 身長176cm・体重70kg、血液型A型 年俸2600万、車:SLK 【実績】 1998年 32試合出場、0得点、10シュート、2アシスト、警告6回、退場0回 通算 82試合出場、1得点、15シュート、6アシスト、警告12回、退場0回 【代表歴】 1993JY、1996Y、1997Y、1998アジア大会 【寸評】 今季は五輪代表の主将、チームでは副将と選手会長。 クレバーな動きで中盤の底を守り抜く。静かな闘志で2002年W杯の主役。
21歳(大阪)、1977年2月7日生 身長176cm・体重70kg、血液型A型 年俸3000万、車:ベンツ 【実績】 1997年 26試合出場、1得点、5シュート、3アシスト、警告3回、退場0回 通算 50試合出場、1得点、5シュート、4アシスト、警告6回、退場0回 【代表歴】 1993JY、1996Y、1997Y 【寸評】 昨年はユース代表で世界8強入り。 的確な判断でリベロ、ボランチもこなす。 今季は選手会長に就任して若大将としてチームを優勝に導く。
20歳(大阪)、1977年2月7日生 身長176cm・体重70kg、血液型A型 年俸2000万 【実績】 1996年 13試合出場、0得点、0シュート、1アシスト、警告3回、退場0回 通算 24試合出場、0得点、0シュート、1アシスト、警告3回、退場0回 【代表歴】 1993JY、1996Y 【寸評】 同大に通いながらプロ生活も確立。 現U20代表でシドニー五輪の中心的存在。 頭脳派リベロとして世界へ
19歳(大阪)、1977年2月7日生 身長176cm・体重70kg、血液型A型 年俸1200万、車:セリカ 【実績】 1995年 11試合出場、0得点、0シュート、0アシスト、警告0回、退場0回 通算 11試合出場、0得点、0シュート、0アシスト、警告0回、退場0回 【代表歴】 1993JY 【寸評】 昨季後半はリベロとしてスタメンに、サッカーセンスは並じゃない。 同大経済学部に通う大学生Jリーガー。
18歳(大阪)、1977年2月7日生 身長176cm・体重70kg、血液型A型 年俸800万 【代表歴】 1993JY 【寸評】 93年のU17世界選手権大会では守備の要として8強入り。 鋭い読みと的確なカバリングが売り。 同大経済学部に通うチーム初の大学生Jリーガーは、甘いマスクで女性ファンの人気上昇。
1977年2月7日生 ポジションDF 身長176cm・体重70kg、血液型A型 大阪府出身 【出身中学】 富田林市立金剛中学 【高校】 生野高校 【サッカー歴】 7年 【ニックネーム】 ツネ 【目標とする選手】 井原(マリノス)、バレージ(ACミラン) 【趣味】 音楽鑑賞 【好物】 プリン、うなぎ、果物、ねぎとろ 【特徴】 身体能力に優れ、勘が鋭くゲームの流れを的確に読むことができる
ファーストステージはウィングバックとして3試合に交代出場した18歳プレーヤー。 バネがあり、戦術面の理解・吸収早い。
1977年2月7日生 ポジションDF 身長176cm・体重68kg 【経歴】 富田林市立金剛中学サッカー部を経て、パナソニックガンバ大阪ユースに加入 1993年Uー17世界選手権大会日本代表に抜擢 1993年大阪府国体選抜
2000・1 日本代表候補トレーニング合宿 1999・10 U−22五輪最終予選 1999・9 U−22日本代表候補欧州遠征 1999・6 U−22五輪一次予選 1999・5 U−22日本代表候補トレーニング合宿 1999・1 U−22日本代表候補トレーニング合宿 1998・12 U−21アジア大会 1998・10 U−21日本代表候補トレーニング合宿 1998・4 U−21日本代表候補トレーニング合宿 1997・5 U−20ワールドユース 1997・4 U−20日本代表候補トレーニング合宿 1997・1 U−20日本代表候補豪州遠征 1996・10 U−19アジアユース選手権 1996・9 U−19日本代表候補トレーニング合宿 1996・8 U−19韓国遠征 1996・6 U−19アジアユース1次予選 1996・5 U−19マレーシア・ブルネイ遠征 1996・3 U−19イタリア遠征 1995・8 U−18EUジャパン・SBSカップ 1995・7 U−18強化合宿 1993・8 U−17世界選手権
プレミアリーグ「ウエストハム」が、9月に入って五輪後すぐの獲得をオファー、モロッコ戦観戦後の9/7、ウエストハム社長と代理人がクラブハウスを訪れたようです。
今季中の移籍はないようで、来季以降については、また話が来れば、とのことです。
「仕事が残っているのは認識している」
「海外でプレーするのは夢だし、うれしい」
宮本が、明治乳業アイスクリームのテレビCM出演が決定し、すでに撮影完了。
2/3正式発表され、全国でオンエアされる予定。
さすが全国区の顔、五輪キャプテン+ガンバ新キャプテン。
宮本が12/25までに500万増の推定年俸3100万で契約を更改、との報道あり。
しかし、実際には1/5に契約更改。
宮本が西武百貨店の年末恒例のクリスマスチャリティー絵皿のデザインを依頼されたようです。
他には西武の松坂が要請されている。
「お話は聞きました。受けさせてもらいます」
「全然だめです、(デザインは)これから考えます」
宮本がリーバイスのカジュアルライン・ドッカーズのモデルを要請された模様です。
サッカー界からはすでに岡野、井原、中山、藤田、奥が抜擢されている。
・ふれあいイベント宮本参加
9/12 に行われるガンバ恒例ふれあいイベントには、宮本・木場・斎藤が参加
・「セリエAスペシャル」9/16:「五輪代表、選手の素顔にせまる」
・「サッカーマガジン」9月末 or 10月:「五輪予選に向けて」
・「TVタロウ」9/24:「五輪代表のキーパーソンをクローズアップ」
・「TVガイド」9/29:「五輪そして将来に向けて」
・「週刊プレイボーイ」10月:「五輪最終予選開幕直前特集」
・「Football Japan」10/1:「五輪最終予選特集」
・「ザ・テレビジョン」10/1:「五輪最終予選展望」
・「NHKウィークリーステラ」10/15:「オリンピック最終予選特集」
・「月間オール関西」9月:「今、話題の人」
・「サッカーai」10/2:「身代わりインタビュー」
・「婦人公論」11月:「オリンピックに向けて期待のサッカー選手に聞く」
・香港ラウンドのパンフレット
日本代表の紹介ページには南、稲本、市川 そして宮本?微妙に違う官本?
さらに、宮本の写真が山口に。
資料提供:蘇子傑先生、間違ってまっせ。
「今の自分の状態が決していいとは思っていない、代表はその時点で最高のメンバーが選ばれる所ですから」
「いい休みをもらったと思い、Jで結果を出したい」
・ガンバキャプテン
「キャプテンマークを巻くのが好きですね、巻くことで責任が出てくるし、やらなければならないという気持ちになります。ずっとやらせてほしいと思ってました」
・思慮深い子供
「両親が仕事していたから、僕がカギッ子で育ちました。姉とふたりで何でも解決しなければならなかった。だから同年代の子供よりは判断を任されることが多かったし、どうしたらいいか考えることも多かった」
・チームリーダー
「人の方向づけをしたり、チームを仕切ったりするのは好きでした。お山の大将みたいにゴーマンになることはなかったですけど」
・母親が英語の先制
「子供の時から発音を直されていました、母親と2人で映画を見に行って、自然に英語の発音を覚えたりもしました。お陰で英語的な発音を口にすることがキザとか恥ずかしいちか思いませんでしたね」
・同大在籍
「サッカーだけじゃなく、ちゃんとした人間になれ、という親の考えもありましたから」
(NUMBERより抜粋)
・J監督記者会見に出席
「何かを変えなくちゃいけないと思って自分から立候補した。上を目指してがんばりたい」
「フラット3の真ん中はすごく自分自身では向いていると思う、自分のやりたいDFラインの上げ下げとか、自分にはマッチしているんで、それをつきつめていきたい気持ちはある」
(スーパーサッカーインタビュー)
「試合前、ユニフォームに着替えて、最後にキャプテンマークを付ける、その時が一番好きやね。キャプテンマークを巻いた時の方が、プレーもよくなっているような感じがする」
「うちは(ガンバ)なんとしても変わらないと、根本的にね」
「とにかくチームで結果を出したい、関東のチームにはガンバは凄く弱いイメージがあるらしいからね。それは悔しいし、ちょっと納得できん。コンチキショーって思うわ」
・チームの成熟
「今はトルシエ監督のサッカー、監督という人物も分かってきて、チーム全体が1つになっている。1年前の時はまだトルシエという人物が分かっていなくて、怒鳴られていちいち反応したり、練習の内容も分からず、選手が文句を言うこともあった」
「主将として1番気になったのはサブの選手のモチベーションが下がってしまうこと。アジア大会はそういうこともあった。今はサブはサブなりにモチベーションの持っていき方を考えてくれている」
・フラット3について
「このままではいけないと思ったのは3失点したペルー戦の時。その後、南米選手権でA代表も負けたころはフラット3が不安だと言われてつらかった。それから選手同士でもフラット3について話し合うようになった」
「選手たちの間で長い距離を走らなくて済むように(ラインの)上げ下げの幅を小さくする応用が自然にできるようになった」
・フラット3について
「居残り練習という形でやったのは、新しいことではなく確認。真ん中の僕がプレスをかけた時の他の2人の動きとか、攻め込まれた時の3mの距離等です。ボールの位置が大事なのに、マンマーク気味にいってしまってバタバタして、変なステップになっていると言われた。いろいろ思い出して、戦術理解を深めることができますね」
「ラインの上げ下げで駆け引きを楽しめ、と言われました。遊ぶ感じですね、だいぶ合ってきたけれど、まだ楽しむまでには至ってないんで。『だまってやれ』とも言われました、声を出さなくても国立競技場の大歓声の中でもできるように。指示を出さずに上げ下げできるということが、究極なのかもしれない」
・フラット3について
「カザフスタンには3バックとアウトサイドの間の、宙ぶらりんになったポジションを取られた。そこをケアするには、アウトサイドが戻れなければ近いサイドのセンターバックかボランチにつかせて、逆サイドを絞らせるようにと考えた」
持病の太腿付け根の痛みで前日の練習を30分でリタイヤした宮本が復帰
・相手の出方によって試合中にシステムを変更する場合
「そういう時はベンチの指示はない、グラウンドの中では(自分が)監督の仕事をしてもいいと言われている」
「今やってるフラット3はすっごく楽しい。自分たちでオフサイドを取りにいくなんて快感ですね、ざまあ見ろって感じです」
「最初はフラット3そのものをどうするかで精いっぱいだった、今は応用段階に入っている」
「いいところはこちらから仕掛ける守備が出来ることですね。3人でリベロがいる守り方だと、相手のFWについていく形なので、ストッパーの体力の消耗が大きい。フラット3だと自分達が相手を瞬間的にオフサイドポジションに置けるから、裏に走られてついていったりしなくてもいい」
「3人が揃わないと危険です、例えば右の選手が上がり過ぎてそのスペースへ(相手からみて)左斜めに走られると危ない」
「3人が阿吽の呼吸で動かないと成功しない、オフサイドが取れないとやられちゃいますからね」
・ビジネス席の感想
「快適でしたよ、体も大丈夫。ちょっと寒かった。ほとんど寝ていませんけど」
・この一ヶ月間、鎮痛剤でそけい部の痛みを抑えている宮本
「監督からは“お前はチームのコンセプトを理解しているから、練習で負担をかける必要はない”と言われました」
「実戦のトレーニングが少ないので、チームの決め事、コンビを突き詰めたいという気持ちはある。この1ヶ月でメンバー同士にぎこちないところがなくなってきた」
「これと決めたら、とことん打ち込む子で」
「私にできるのは、手の届かない世界にいる彼のため、頑張ってと祈ることだけです」
・もの静かなあの子がある日ふと漏らした強い言葉が忘れられないとのこと
「大勢の観客の応援に、やったるぞと思うねん」
「相手が強くなくても、細かい特徴をさらに詰めることはできる。3バックの上げ下げ等、僕がボールにアタックに行く、そうでなければ3mをキープしながら、とことん下がる」
「自分が弱気にならずにラインを上げていきたい、ペルー戦では子供っぽいサッカーをしたから、早く大人になれるようにしたい」
・攻撃的リベロへ
「守備だけでなく、状況に応じて前線に上がってシュートまで打てるのが、リベロの理想型だと思うんですよ。スルーパスなどの攻撃面はガンバでボランチをやった経験が生きてますね。トルシエのサッカーなら、自分の求めるプレーを体現できるはずです」
「数的同数でも3人で対応できる。カウンターの時には下がらずに当たりにいってもいいと言われた」
・練習後、居残り30分のシュート練習
「こういう場面も多くなってきますからね」
「やっぱりゴールは気持ちいいですから、狙いたいです」
「それぞれ選手の技術・戦術の質を高めようとした。しかし、時期が時期だけにそんな難しいことはしていない。アジア大会の時に3バックが5人ぐらいの相手に攻められたことがあった、サイドからえぐられてのセンタリングもよくあった。だから、最後の7対3の練習なんかは、もっとしっかり対応しろということだと思う」
「5人に攻められても3人で守るように言われた。サイドに振られた時、ボールと同じラインにいてニアをブロックして抑えろ、と」
・ガンバユースからガンバへ
「僕は高校の時からガンバユースでプレーしていたから、ガンバというチームには凄く愛着があるんです。それにガンバユースでの3年間には、僕がやってきたサッカー自体にかなり大きな影響を与えてもらいました」
・肌で感じたプロの凄さ
「ユースでやっていたこともあってプロの世界を間近で見る事が出来ていたはずなんだけど、競り合いの強さ、体の筋肉、瞬間的なスピード、実際にプロの選手とプレーしてみると、まだまだ僕には足りないなと感じることが多かった」
・今のポジションを自分のものにしたい
「僕の本来のポジションはリベロなんですけど、たまに試合に出してもらっても違うポジションをやっていたし、U18の合宿でもディフェンシブハーフだったんで、たまにリベロやらしてもらっても、いい感じでカバーリングが出来なくて、本来の自分のプレーのリズムが狂い始めていたんです。ヴェルディ戦でたまたまツベイバが退場になってチャンスが回ってきた。いや、チャンスというより『きたかー』って感じかな」
現役Jリーガと大学生、二足のスパイクをはき別けています。
名門同志社大学の1年生、いまどきの大学生にはマイカーが必需品ですが、今年の夏まで免許を持っていなかった。イレブンの中でただ一人、50ccのスクーターで練習場に「通勤」、午前の練習が終ると「通学」、そして午後の練習に戻ってきていた。午後の練習の調子がいいときは、決まって
「授業にいったけど寝てた」
ガンバユースから7選手がサテライト登録
・サテライトについて一言
「う〜ん、そうですね・・・、ガンバります」
・何が感じるところは?
「技術的・レベル的な面はもちろん、外国の選手は精神的な面でも大人だった、
こちらが点を取るとすぐ取り返す、ゲームの駆け引きが僕たちと全然違う」
・サッカーを始めたのはいつ?
「小学校5年生の時に、担任の先生がサッカー部を作ったのがきっかけで、サッカーを始めました」
・中学ではどこのポジション?
「ミッドフィルダーです、中学に入ってゲームを組み立てる面白さを知りました」
・現在のスイーパーについて?
「スイーパーとは最後の砦、そういう意味で本当に面白いです」
・地味なポジションだと思いますが?
「人が何と言おうと今はここが最高だと思っています、
最後の壁、スイーパーって大人の魅力っていうのかな」
・目標はプロ?
「なれるといいです、やっぱり大阪で生まれて育ったから大阪が大好き、
どうせやりならガンバ大阪でやりたいです」
・目標の選手は?
「横浜マリノスの井原選手です。アタリの強さと判断力には感心します、憧れの選手です
今はとんでもないですけど、プロになれたら一度は対決してみたい選手です」