かいもん4号のホームページ TRAVEL 東日本急ぎ旅
→TOP PAGEへはここから←
2013年7月、東京での出張業務終了後に3連休という絶妙のカレンダーに恵まれました。 久々の東日本の休日、ということで折角ですからなかなか出かけられない方面への小旅行、という感じで出かけました。 あちこちつまみ食いの駆け足の鉄道の旅です。

尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2014年1月26日

東京の風景。

 社用で一週間の東京都心滞在。
 通勤電車は堪能(あまり嬉しくない)しましたが、ホームから写真を撮る程度でお仕舞いにするにはあまりに勿体ない。 うまい具合に業務遂行完了の翌日から、「海の日」の祝日がからんだ3連休。
 ということで、折角の東日本ですから、通勤電車以外の鉄道も拝んでみようということに相成りました。


(JR東日本)週末パス。

 求めた切符は、JR東日本の「週末パス」です。
 概ね山形・宮城県内以南の東日本のJR各線に加え、首都圏を除く私鉄の各線の大半(但しいずれも普通列車だけ)が2日間乗り降り自由で8500円。 特急券を別に求めれば、乗車券は有効で特急にも乗車できますから、使いようによってはかなり用途の広い切符です。
 JR各社の多くのトクトクきっぷと同じく、使用開始前日までに求めなければならないという使いにくさ(特に居住地以外のJR会社の発売のものに対して)はありますが、今回は東京滞在後の使用ですから、前日までに購入するのは容易です。 かつての周遊券や周遊きっぷが廃止され、JRの各会社をまたがった鉄道旅行がすっかりやりにくくなってしまいましたが、東日本の「週末パス」や「三連休パス」は、同社内ではかつての周遊券の自由周遊区間をはるかに超えたエリアが自由に乗り降りできる、自由度の高いきっぷです。
 三連休ですから本来なら「三連休パス」と行きたいところですが、最終日は早めの帰宅が必要なため、今回は2日間の「週末パス」です。
 とりあえず購入しましたが、さて、2日間どこへ行きましょうか。


臨時あずさ71号。

 まずは新宿から、7時発の中央本線松本行き特急「スーパーあずさ1号」に乗車することにします。
 本当は、写真の先行する6時30分発の臨時「あずさ71号」に乗車しようかと思っていたのですが、新宿駅でよくよく確認すると、全車指定席とのこと。 生憎本日の中央本線下り特急は、午前中の便はすべて満席とのこと。 189系乗車もいいかな、と思っていましたが、今回はホームから出発を眺めるだけにしました。
 という具合にいつも通り、あまり計画性のない行き当たりばったりの旅ではあります。


車窓は曇り。

 さて、定期便としては一番列車となる下り「スーパーあずさ1号」。 何しろ三連休の初日朝のこと。 予想通りの大混雑でした。
 新宿駅へはかなり早めに到着していたため、望ましい位置の座席確保には全く問題はありませんでしたが、自由席は車掌の検札も車内販売も巡回できない状態です。
 新宿発車後、立川・八王子と乗客は増えて混雑はピークに。 ようやく落ち着いたのは、甲府で大量の乗客(登山客・ハイカー)が下車してからでした。
 甲府発車後は自由席で概ね定員乗車、といった感じでした。
 それにしても車窓から眺められる中央自動車道の風景。 改めて感じますが、山岳地帯に大規模な建造物でした。
 残念ながら進むにつれて空模様が怪しくなり、端麗な八ヶ岳の姿が望めそうにありません。


小淵沢到着。

 いつもなら始発駅から特急に乗ると、とりあえず終点までそのまま乗車したい、というのが基本パターン。 しかし今回はいろいろ回ること優先で、この原則は崩すことにします。
 松本行き「スーパーあずさ1号」を途中の小淵沢で下車。 ここから小海線に乗り換え、高原の車窓を楽しむことにします。
 小淵沢でも下車客(=小海線への乗換客)が多く大混雑では?と少々心配でしたが、さほど多いというほどでもない下車客は、大半が改札の外へ出て行きました。


小淵沢駅。

 高原の駅、という感じの小淵沢。
 これまでの5日間の東京の猛暑と比べると、或いは今朝方の新宿と比べても、本当に高原の冷んやりとした風、という感じがします。
 意外?なことに、列車から降りた乗客の多くは小海線乗り換えホームには向かわず、駅正面の改札を出て、迎えの車なりタクシーなり、或いは徒歩でそれぞれの目的地に向って行きました。


駅スタンプ。

 滅多に来られない駅。 しかも観光地の駅で本日の目的も仕事ではなく純粋な旅行。 折角ですからスタンプを頂くことにします。
 小淵沢駅、何度目でしょうか。 小海線の列車に乗車するのは30数年振りでまだ2度目ですが、信州ワイド周遊券を利用した信州旅行の車中泊のために、何度かここで下車して上下の夜行列車を乗り換えた記憶があります。
 今ではそんな旅行ができる列車がなくなってしまいましたが。
 うまく押せたと思っていたスタンプ。 押した直後は絶妙の具合と思っていたのですが、帰宅して取り出してみると見事に滲んでいました。 スタンプ用紙は準備していたのですが、吸取り紙までは気が付かなかった。
 そう言えば、35年くらい前に駅のKIOSKで買い求めていたスタンプ帳には、ちゃんと吸取り紙がついていたのを思い出しました。
 学生時代のような旅行をしないようになって、段々とノウハウを失ってしまったか?


八ヶ岳高原列車。

 「スーパーあずさ1号」から接続する小海線列車は、この「八ヶ岳高原列車」。 小淵沢から清里を通り野辺山までを往復する区間列車です。
 列車本数の少ない小海線にあって、運転区間も時刻も観光客向けの便利な設定です。
 が、今回は小海線全線を通して乗車したいという企画のため、この列車は見送り次の小諸行きの列車に乗車することにします。
 予想通り、「スーパーあずさ1号」からの乗り換え客の大部分はこの「八ヶ岳高原列車」に乗り込み、40分後の小諸行きをホームで待つお客は、この時点ではごく少数でした。


観光案内。

 ホームに設置の看板は、「小海線高原列車の旅」です。 ここ小淵沢から終点小諸までの路線と簡単な観光案内イラストが描かれています。
 駅の看板よりは、PR用のパンフレットにでもしたい作品ではあります。
 残念ながら上部、八ヶ岳の山々は、本日は麓のごくごく一部しか見られそうにありません。


普通列車小諸行き。

 小海線に通して乗りたい、ということになると、乗車する列車の選択肢はさほど多くはありません。 都内を朝出発してからとなると尚更です。
 乗車するのは9時57分発の小諸行き普通225D。 先ほどの「八ヶ岳高原列車」と車両は同じキハ110系が、「高原列車」発車直前に224Dとして到着し、これが折り返しとなります。
 この列車に対しては「スーパーあずさ1号」は接続列車ではなく、向こう側に到着した後続の臨時特急「かいじ173号」小淵沢行き、更に「あずさ3号」と続き、「1号」の1時間後の「スーパーあずさ5号」までがギリギリで接続可能です。
 しかしどうせ混むに違いないし、小淵沢駅の雰囲気を楽しんで、更に車窓を満喫できる座席を確保しよう。
 ということで早めの列車で到着した次第です。


車内。

 小淵沢に到着し、折り返し小諸行きとなる列車です。
折り返しまでには時間があるため、到着直後は閑散とした車内です。 何より多くの観光客が目指す清里や野辺山までなら、先の「八ヶ岳高原列車」の方が早着可能ですから。
 実際「高原列車」はかなりの乗客のように見えました。
 西日本在住ではめったにお目にかかれないキハ110。 車内は、小ぶりな車体に居住性と乗客詰め込み両面を考慮した?1列+2列のクロスシートとロングシートの組み合わせです。
 しかし唯一にして最大?の残念な点は、窓が開かないこと。 密閉の窓にエアコンでは、高原の涼風を肌で感じることができません。
 そんなものは必要ない、という時代なのでしょうか。


甲斐小泉。

 小渕沢を発車した列車は、中央本線と別れると急勾配をぐんぐん上り、甲斐小泉へと進みます。 駅名からわかるように、暫くは山梨県の駅です。
 上で「窓が開かない」と書きましたが、何しろこの区間は相当の上り急勾配区間。 強力なエンジンを搭載した車両ですから、昔の気動車とは違いどんどん登っては行くのですが、エンジンの排気も相当のもの。 相応の排気ガスが車窓を覆い、幾らかは車内へも漏れてきます。
 この区間の上りに限っては、密閉された窓の方が心地良いかも。


清里。

 小淵沢から3駅で、列車は清里に到着です。
 このあたりまで来ると山登り区間はほぼ終わりの高原のなだらかな地形。 周囲にペンションも増えてきます。
 予想通り、発車間際になると結構混んで来た2両編成の車内。 清里で結構降りるかな、と思っていましたが、さほど下車客が多くなかったのは意外でした。


最高地点。

 小海線の、というよりJR路線の最高地点です。
 清里を出てから程ない西側の車窓に、最高地点標高1375メートルのシンボルを眺めることができます。 当然ながら、かつては「国鉄最高地点」ということでした。
 テープによる車内放送の案内もあったのですが、列車は減速することもなくあっさりと通り過ぎてしまいました。


八ヶ岳方面。

 天候はこんな感じで、雨粒が少し落ちてきたかな、という天気になってしまいました。
 清里〜野辺山間の見どころなのですが、残念ながら八ヶ岳方面は裾野の一部が望めるだけです。
 それでも高原の雰囲気は十分で、さほど鮮明とは言えない三十数年前の記憶の断片と大きな違いはないようです。


清里〜野辺山間。

 清里を出た列車。
 車内はこんな感じで、清里で下車客があったとは言えまだまだ立ち客が多数。 見る限り圧倒的に観光客が中心です。
 少し早めですが、夏休みあるいは夏山シーズン到来といった感じです。


野辺山駅。

 野辺山に到着です。 やはりこの駅で大半の乗客、殆どの観光客が降りてゆきました。
 代わって地元客と若干の観光客の乗車があり、車内は座席定員の6〜7割かといった感じで落ち着きました。
 小海線の最高地点は先ほどの清里〜野辺山間となりますが、駅としてはこの野辺山駅が最高の駅です。
 初めて訪れるはるか以前から、「野辺山」の名前だけは承知していた所以です。


高原の車窓。

 八ヶ岳は望めませんが、高原ののどかな風景の中を列車は進んでゆきます。
 三十数年前の記憶をどこまでトレースできるかと思っていましたが、細かい点はともかく大きなイメージの違いはありません。


信濃入り。

 野辺山を過ぎ、信濃の国長野県を暫く進むと、第三の風景。 それまでのなだらかな高原的景色から、森の中と木々の間を抜ける感じの車窓に変化します。
 このあたりには立岩湖とか松原湖とか、山中の湖や滝を中心にした観光地が続きます。
 寄り添う千曲川の源流も、のどかなというより少し険しい渓谷風の風景です。


小海到着。

 小海線の中心、と言えるのかどうかわかりませんが、路線のほぼ中間地点。 線名の由来である小海に到着です。
 小海線の各駅。 観光路線を前面に押し出す一環として、駅名表をご覧のようなイラスト入りのものに装いを改めていました。
 同じホームに2つある大きな駅では、一方だけのようでしたが。


交換列車。

 小海駅で反対向き小淵沢行きの列車と交換です。
 非電化区間にハイブリッド気動車を投入しているJR東日本。 その営業列車第1号は、この小海線のキハE200です。
 今回のスケジュールの中で何とか組み込みたいとは思っていたのですが、全線を直通する列車は小諸側からの一往復で、どうにも時間が良くない。
 残念ながら今回は、すれ違う列車を眺めるだけとなりました。


駅名表。

 駅名表でもうひとつ見られたのは、従来のものの上部分に「わくわくエコランドKOUMI LINE小海線」の冠をつけたもの。
 こちらはハイブリッド気動車とタイアップ?した路線の宣伝です。
 各駅に停まる度に見られるものですから、ハイブリッド気動車乗車断念の無念さがつのるばかりです。


中込駅。

 次に大きな駅、中込駅のホーム改札上にずらりと掲げられていたのは、いろいろな記念列車のヘッドマークの数々。
 いかにも手作り、といったものから非常に手の込んだものまで。 あるいは個人的に借り切ったと思われる列車から各種団体や企画列車まで。
 眺めていると、一度は貸し切り列車を走らせてみたいと思えてきます。


佐久平駅。

 小海を過ぎ、旧佐久鉄道の建設区間に入ると、途端に駅間距離が短くなります。 佐久平に入り、景色も高原から広い盆地の風景に変わります。
 概ね記憶通りの小海線風景ではありますが、30数年前に無かったのはこれ。
 北陸新幹線が長野まで開通し、ローカル線の小駅・佐久平は新幹線停車駅となりました。
 周囲の地形の関係で、小海線が高架駅となり、後から出来た新幹線が地上側で小海線の下をくぐる、ちょっと特異な構造の新幹線駅となっています。 すでに小諸近郊ではありますが、新幹線ができたこともあり、郊外のベッドタウン風であったり大型店が進出したり、といった感じの佐久平駅でした。


乙女駅。

 乙女駅に到着です。
 終点小諸までは東小諸を挟んであとまだ2駅ですが、すでに進行右側には、しなの鉄道(旧信越本線)の複線電化の線路が寄り添っており、小海線の駅がひときわ小さく見えます。
 ここから小諸までは両線が並走する区間となりますが、しなの鉄道側には「乙女駅」はなく、115系の電車が高速で駆け抜けて行きました。


小諸到着。

 終点・小諸に到着です。
 山岳・高原風景の中を走ってきた小海線から見ると非常に大きな駅見見えます。 かつての信越本線の市の中心駅ですから、当然と言えば当然でしょうか。
 ホームには小海線の気動車のほか、しなの鉄道の赤い電車が見えます。 さらに本日は、「しなのサンライズ」用のJR東日本189系が停車中で、賑やかな小諸駅ホームでした。


しなの鉄道115系。

 2時間少々の小海線の旅を終え、ここからはしなの鉄道の電車に乗り継ぎです。
 現在はJRから切り離されましたが、今回使用の「週末パス」は全線にわたり有効ですから助かります。
 装いはしなの鉄道独特の赤いカラーですが、車両自体は何の変哲もない115系ですから、国鉄・JR時代と何も変わるところはありません。


上田電鉄上田駅。

 しなの鉄道にも第三セクター化後は初乗車。 全線通してじっくり乗車したいところではありますが、本日は小諸から上田までの「チョイ乗り」でお仕舞い。
 上田駅で、上田電鉄の電車に乗り換えです。
 ここ上田駅も北陸新幹線の停車駅。 開業に伴い、駅の姿は大きく様変わりです。
 在来線(しなの鉄道)は地上ホームのままですが、隣接する上田電鉄は橋上駅からそのまま接続して、高架駅になりました。


丸窓電車。

 上田電鉄の前身・上田交通と言えば丸窓電車。
 元々は昇圧前の旧型電車の特徴でしたが、ステンレス車両7200形の現在も、後付けのデコレーションながら雰囲気だけ踏襲されています。
 本日は、こちらも概ね30年振りに終点別所温泉まで往復乗車することにします。
 私鉄路線ではありますが、これまたJR東日本の「週末パス」が有効です。 折角小海線で信州までやってきたなら、折角だからこれを有効活用しようという企画です。


高架線。

 橋上駅のしなの鉄道上田駅の一角から発車する上田鉄道の電車。
 千曲川の鉄橋を渡る必要があるため、駅を出るとすぐに左に曲がり、高架から平地へ急な勾配を下ります。
 まだまだコンクリートの造りも古びていない、上田電鉄の高架です。


千曲川鉄橋。

 上田駅を出るとすぐに渡るのは千曲川。 お馴染みの赤い鉄橋です。
 乗車するのは確かに概ね30年振りの上田電鉄。 ですが、ここにはその後何度か(何度も)車で訪れたことがあります。 一番最近は5年くらい前だったかな?
 ということで、「お馴染みの鉄橋」ということになるわけです。
 もちろんほぼ全線に渡り車で並走していますから、懐かしい風景という感じではなく、「何度も見た風景を今回は車窓から眺める」という感じになります。


下之郷。

 上田電鉄別所線のほぼ中間に位置する下之郷駅です。
 ここで反対側の電車と交換です。
 相手の電車はこちらより新しい1000形ですが、別所線のラッピングが施された姿でした。


下之郷。

 下之郷の駅前後で電車は大きく向きを変え、後はほぼ真直ぐ終点・別所温泉を目指します。 車両基地のある下之郷駅が田んぼの中を遠ざかります。
 5年くらい前にも、7〜8年くらい前にも、このあたりで写真撮ったことがあったかな〜という感じで、「また来たよ」的風景です。


中野付近。

 塩田付近で一度住宅地に入る上田電鉄の路線ですが、中野を過ぎると再び、今度は終点別所温泉付近まで田んぼの中の風景となります。
 この池の堤防の角にも2度ほど車を止めた覚えがあるぞ、ということで、ここまで来て電車に乗らずに写真だけ撮って帰るとは何としたことか。
 もっとも、最近の行動パターンではありますが。


手荷物。

 上田電鉄電車最後尾の車掌室です。
 正面の窓から沿線の写真を撮るには少々邪魔だな、という感じの荷物の山ですが、別所温泉へのお客の手荷物配送サービス。
 全体に占める割合が高いというほどではありませんが、温泉へ向かう鉄道としては観光客も重要な乗客ですから、いろいろとサービスに手を尽くしています。


車内案内。

 ドアの上に掲示された2種類の路線案内。
 下の方はごくごくありきたりのもの。 これに対して上のものは、「別所温泉旅館組合」の掲示のある、素朴ながら「レールマップ」と題したものです。
 名前から判るように、観光ホテルではなく「旅館組合」です。 上田温泉らしいところです。


本物丸窓電車。

 終点近くの急勾配を登り、別所温泉に到着です。
 ホーム手前では、かつて使用されていた「本物」の丸窓電車5250形が出迎えてくれます。 平地に置かれた電車の軌道との勾配差はこれほどで、かつての電車は本当にあえぎながらという感じで別所温泉に到着していました。
 今でも減速することに変わりはありませんが、昔と比べると余裕での到着です。


別所温泉駅。

 1面だけの狭いホームに寄り添った駅舎。
 何しろ坂の途中の手狭なスペースなので、余裕がないのは仕方ありません。
 それでも終着駅の雰囲気だけは立派に醸し出していました。


別所温泉。

 別所温泉は古い温泉場。 狭いとはいえ、それだけの風格を保った駅の造りです。
 大きなホテルが立ち並ぶ場所ではありませんが、駅前の坂の上には、昔ながらの温泉旅館が並んでします。
 駅もそうですが、少々手狭な駅前の道路。 しかし列車で訪れる昔ながらの温泉地という感じに溢れていました。


丸窓電車。

 上田交通と言えば、丸窓電車でお馴染みの5250形。
 架線の昇圧による車両置き換えで廃止されてしまいましたが、今でも同線のシンボルとして、別所温泉のホーム外れのスペースに保存されています。
 急勾配の終端の駅のため、以前よりスイッチバックになる形で留置線がありました。


終点駅。

 別所温泉駅は坂の途中にあるため、行き止まりのホームのすぐ向こう側はこんな感じです。
 ステンレスにコルゲート車体の7200型ですが、昔ながらの上田交通伝統の、クリームと深い紺色のいでたちで、古い駅舎とそれなりにマッチしています。


田んぼの中。

 八木沢付近から終点の別所温泉方面を望みます。
 別所温泉の手前までは、列車は2駅間ほど田圃の中を進み、山にかかる狭い場所にある温泉街に到着します。
 この写真では田んぼの中の平地に見えますが、すでにこのあたりは緩い上り勾配にかかっています。 さらに別所温泉手前では、最後の急勾配が待っています。
 写真を撮りやすい田んぼの中、というかんじではありますが、勾配のため電車の足元が稲に隠れて、サイドからは意外と取りにくい場所でした。


交換設備。

 少しごちゃごちゃとした集落の中にある、中塩田の駅です。
 本来は交換設備なのですが、すでに随分前から保線車両の留置場として活用されているようです。
 隣の下之郷が車庫のある交換駅ですから、今の列車本数からすると、あえて交換駅の必要はありません。


5200形。

 下之郷の車庫の一番外れの場所。 ステンレスの車両が留置されています。
 かつて1500V昇圧時に導入された5200は上田交通では初めてのステンレスコルゲート車体の車両でした。
 車体の強度上、屋上に冷房を搭載できないため、すでに引退してしまいましたが、今でも車庫の片隅のアクセントとなっています。


下之郷。

 再び上田へ折り返す列車の中から、下之郷の駅風景です。
 比較的新しい元東急電鉄の1000形までもが入線し、車両だけ見るとこんなものまでローカル私鉄に回って来るのかという感じです。
 折り返しの列車では、下之郷での交換はありませんでした。 日中完全に等間隔のパターンダイヤというわけでもなさそうです。


上田原。

 帰路の列車は、上田原で反対側の列車と交換しました。
 以前はこの右側の狭い場所に、古い車庫がごちゃごちゃとありました。
 交換する1000形。 東急カラーの正面の赤い帯がなくなりラッピングされると、随分と違った印象になります。


千曲川。

 「お馴染みの鉄橋」を渡ります。
 渡る川は千曲川。 長野盆地を経由して、新潟・日本海へ注ぎます。
 どうも感覚的には、長野あたりを境に分水嶺があり、このあたりの川は関東方面に注ぐ気がして仕方ないのですが、東京〜長野間の特急「あさま」の印象に引きずられ過ぎた錯覚でしょうか。
 実は先ほど乗車した小海線の野辺山付近で、すでに分水界をとうに越えていたのでした。


千曲川。

 千曲川の鉄橋を渡り終えると、高架に駆け上がって再び上田駅です。
 30年振り2度目の乗車ではありましたが、その後車で訪れ写真を撮ること数回。 しかも一番最近はほんの5年ほど前。
 とうわけで、さして懐かしいという感じもなければ、記憶と違った部分も殆どない。 そんな上田交通のミニトリップでした。


車内。

 7200形の車内です。
 ごくごく当たり前の都会の通勤電車、の造りのはずなのですが、窓にたったひとつ丸窓のシールを張るだけでこんなに印象が違うのか、という感じで、ローカル色溢れています。


上田電鉄と新幹線。

 上田は北陸(長野)新幹線の停車駅。
 現在は他線から改札が独立した上田電鉄と新幹線が高架の駅。 そして間の旧信越本線のしなの鉄道が橋上平地駅と、ちょっと変わった造りをしています。
 再開発でしなの鉄道高架化の計画はないのでしょうか。
 ちょうど長野に向けて、「あさま」が通過してゆきました。

尚、別コーナー「GALLERY DOMESTIC」に 「上田交通・上田電鉄」 を新設しました。 あわせてご覧ください。



キャラクター。

 最近はどこへ行ってもこんなのばっかり?
 別にキャラクターブームが悪いなんて言う気は毛頭ありません。 が、概ね(仮想)等身大の看板が1体だけ立っている、というパターンが多いように思います。
 どうせやるなら、「くまモン」顔負けに改札の中外や電車1編成を丸々をキャラクターだらけにするくらいの派手さがあってもいいのでは?
 と当日は思っていましたが、実は発見できなかっただけで、結構派手なイベントやキャンペーンを行っているようです。
 たちまち明日(2013年9月23日)にイベントがあるようです。
 どんな感じか、行ってみたいぞ。上田駅。
 尚、キャラクターやイベントの詳しい紹介はここではしませんので、 「こちらの上田市ホームページ」 をご参照ください。


↓ ↓ ↓ こんなイメージらしいです。壁紙サイズにリンク。



新幹線上田駅。

 上田電鉄の列車が発着するのとは反対側。 新しい新幹線口です。
 東海道や山陽とは違い、2階がホームの新幹線駅ですから、さほど大きくそびえている、という感じではありません。<
  上田のイメージは「白色?」


「あさま」乗車。

 「スーパーあずさ」乗車に「小海線」「上田電鉄」乗車と、3つのスケジュールを無事消化し終えました。
 本日はあと一つ。
  せっかく信州までやって来たのだから、長野まで行こうと思います。
 第三セクター化後初乗車の「しなの鉄道」にゆっくり乗車したい気もしますが、本日は後のスケジュールの関係で、上田から長野まで一駅間だけ、新幹線「あさま」で直行することにします。
 北陸(長野)新幹線にはすでに乗車したことがありますから、今回は深入りせず一駅間だけのチョイ乗りです。


「あさま」車内。

 下り「あさま」長野行きの車内です。
 3連休の初日の下り列車ではありますが、すでに東京昼頃になって発車の列車ですから、終点手前の上田から乗車ならさほど混んでいないだろう、との見立てです。
 案の定です。 ガラガラというわけではありませんが、無理をしないで窓際の席が確保できる、といった程度の乗車率でした。
 川中島に千曲川・篠ノ井付近の、これまた(主に車からですが)見慣れた風景を眺めながら長野に向かいます。


長野駅到着。

 「あさま」で5年半ぶりの長野駅新幹線ホームに到着しました。 3本のE2系の先頭部が並んだ姿は見ごたえがあります。
 この駅もほとんど地上駅と言っていい高さのホームです。 新幹線を降りて、ホームの階段を上に上がって改札を出る、というのは慣れないと何か不思議な感じがします。


長野電鉄時刻表。

 新幹線を降り、JRの駅を出てから駅前の地下道へ。 やって来たのは長野電鉄長野駅です。
 上田から長野まで新幹線で駆け足でやって来たのは、長野発14時57分、湯田中行きの特急をつかまえたいからです。 この列車を逃すと、次の湯田中行き特急は17時14分発のB特急になってしまいます。
 一応本日の大きな目的の最後ではあります。


スノーモンキー。

 長野駅の地下ホームで待っていたのは、「スノーモンキー」2100系特急です。 2年ほど前に、JR東日本から購入した元成田エクスプレス253系が、装いも新たに長野で活躍を始めました。
 成田エクスプレス時代は乗る機会がなかった253系ですが、今回はこれで湯田中まで往復して来ようと思います。
 長野電鉄に乗車するのも、先ほどの上田電鉄と同じく、おおよそ30年振りです。


長野電鉄ホーム。

 2面3線の長野電鉄長野駅地下ホーム。 中央に特急が陣取り、両側に普通列車が発着します。
 元JRの特急電車に並ぶのは、元東急電鉄の主力通勤電車、8500形です。
 8500形、学生時代に東京に出かけた頃は東急の最新の車両でしたが、今では地方私鉄に流れてくるようになってしまいました。


湯田中行き特急車内。

 ここ長野電鉄も、「週末パス」が有効です。 運賃が結構高い地方私鉄や、なかなか行きにくい地域への小旅行には、かように「週末パス」は便利です。
 列車で長野にやって来たのは、北陸(長野)新幹線に初乗車した2007年末以来です。
 6年前当時使用した同等の切符は「土日きっぷ」。 JRの有効範囲は「週末パス」と同じですが、JR特急に自由に乗車できた点と、私鉄には乗車できなかった点が大きな違いです。 今回は単価の高い私鉄にも乗車できるメリットを極力生かそうという企画です。
 スノーモンキー2100形。 装いも新たにと書きましたが、車内も外観も、成田エクスプレスから大きな変化はないようです。 実は、JRから長野電鉄に移籍してきた2年ばかり前に見たことがあるということもあり、外観の目新しさはありません。
 (この時は車での訪問でした。 こんなのばっかり。)
 写真ではガラガラのように見えますが、発車間際には満員となり盛況の長野電鉄特急でした。


車窓風景。

 長野発車時は満員盛況の特急でしたが、須坂はともかく小布施・信州中野と停車に従い、だんだん空席が目立つようになりました。
 特に小布施では大量の下車客。 ちょっとした観光地ではありますが、観光客のようでもなく。 さほど多くない列車本数のため、特急料金100円の有料ではありますが、利用客は多いようです。
 信州中野を出て湯田中に向け、最後の上り勾配にかかった列車。 夜間瀬の鉄橋を渡ります。
 乗車するのは30年ぶりくらいですが、車ではここへもまた何度も訪れたことがあります。 一番最近は4年くらい前。
 ということで、これまたそこそこ見慣れた風景ではあります。


湯田中駅。

 信州中野からの急な勾配を登り終えると、終点湯田中です。
 地方私鉄の終点、1面だけのホームですが、温泉地らしいそこそこの構えの駅です。
 改札の外には旅館の幟を掲げ半被を着た出迎えの案内人が。 今では滅多にみられなくなった風景が、ここ湯田中の温泉郷にはに残っていました。


スイッチバック跡。

 湯田中温泉。 列車でやって来ると写真左手手前の駅に到着しますし、車なら右手の坂を上がってきて温泉宿の中心地に到着します。
 先の上田電鉄別所温泉駅同様、それ以上に長い急勾配を駆け上がって到着する湯田中駅。
 駅の入り口まで急勾配だったため、かつては到着列車は一度ホーム前を通り過ぎてこの踏切跡の先まで進み、それからスイッチバックで平らなホームに到着していました。
 今ではスイッチバックと踏切は廃止されましたが、この通り遺構は残っています。


湯田中特急。

 湯田中駅に停車中の2100形です。
 ゆっくりして次の列車で帰りたいのはやまやまですが、後のスケジュールの関係で、本日は温泉の外湯にも駅前の共同浴場にも足湯にも浸からず、このままこの列車で折り返そうと思います。
 慌ただしい限りですが、とりあえず30年振りに長野電鉄に乗車するという目的は達成され、ひとまず満足です。


高原風景。

 湯田中を発車した列車は、今度は信州中野に向け、急な勾配をゆっくりと下ってゆきます。
 リンゴ畑やブドウ畑、そして遠くに山々が望める(本日は天気が今一つですが)高原らしい風景は、列車から見ても車から見てもいい感じです。


2000形。

 往路では気付かなかったのですが、長野電鉄の名車・2000形が小布施に保存されていました。 引退したのは東日本の震災直後の2011年春のことでしたから、もう2年少々前になります。
 ということで、夜間瀬の鉄橋は4年ぶりでしたが、長野電鉄(須坂以南)へは2年ほど前に訪れたことがあったな。
 という、最近の活動パターンではあります。


ロマンスカー。

 復路の須坂での交換列車は、信州中野行きのB特急です。 元小田急の特急ロマンスカー、HiSEこと10000系です。
 こちらには小田急時代に数回乗車したことがあります。
 本当なら今回も往路と復路で乗り分けたかったのですが、ダイヤの都合上そこまでは無理でした。
 いつになるか分かりませんが、次の機会に、ということにします。


須坂。

 須坂駅の車庫で休む3本の列車。
 元東急の8500形、元JRの成田エクスプレス、元小田急のロマンスカーと、バライティに富んだラインナップです。
 長野電鉄の自前の特急車両2000系が引退してしまい、このラインナップに含まれていないのが残念です。


北陸新幹線。

 長野駅まであと一息。 のところで上をまたぐのは北陸(長野)新幹線。
 現在の終点長野駅から車両基地への引き込み線です。
 とは言え金沢方面への線路を兼ねていますから、予定では2年後にはこの上を営業列車が通過しているはずです。
 ということで、おそらくは2年後あたりに再び列車で長野にやって来るのでは?という気がします。
 長野電鉄の10000系に乗車するのは、その時の楽しみに取っておこうかと思います。

尚、別コーナー「GALLERY DOMESTIC」の 「長野電鉄」 も、あわせてご覧ください。



JR長野駅。

 急ぎ足の往復で長野電鉄に別れを告げ、再びJRの長野駅に戻って来ました。
いろいろ便利な「週末パス」ですが、このあたりで再び本来のJR乗車に戻ろうと思います。 行き先の選択肢が多く迷ってしまう「週末パス」ですが、今夜は一旦東京都内まで戻ろうと思います。


383系「しなの」。

 長野から東京まで。
 本来なら長野新幹線で一直線。 ですが、それではあまりに味気ない。
 ということで、松本回り中央本線経由で帰ろうと思います。
 乗車するのは「しなの22号」長野行き。 まずはこの列車で松本に向かうことにします。
 ところでこのルートと行動パターン。 5年半前の「土日きっぷの旅」と酷似しています。
 ま、新幹線よりは在来線特急の方が楽しいかな、ということで。


「しなの」車内。

 5年半前と同じく三連休のことではありますが、5年半前と同じく初日の午後の上り列車。 ということで、どうせ同じように混雑はしないだろう。
 そんな目論見で、直前の自由席乗車です。
 予想通り、かなり空いてはいましたが、5年半前の記憶と比べると、乗客は多い感じです。
 やはり12月後半と7月中旬の違い、ということでしょうか。


姨捨の車窓。

 眺めの良いワイドビューしなの383系の車窓。 長野〜松本間の車窓のハイライトは、何といっても姨捨付近の風景です。
 5年半前には、久々の篠ノ井線乗車のため期待しすぎていましたが、木の枝が伸びていて思ったほどの眺めと思えなかった。
 しかし今回は逆にその時の印象があったためか、また夏場で草も伸びているだろうと悪い方の予想をしていたためか、「まだまだ捨てたもんじゃない、意外といいんじゃないか」という感じでした。
 気持ちの持ち方次第で、同じ景色の見え方も違うものです。


信号場跡。

 姨捨から更に上ったところにある、旧羽尾信号場跡です。 かつてのスイッチバック引き上げ線跡は草ぼうぼうでした。
 姨捨の車窓風景が見えるのはここまで。 この先はサミットのトンネルに入り、冠着側へ抜けてゆきます。
 そう言えば、この写真奥の池の堤防の上で、5年ほど前にカメラを構えたことがあるような。 生憎列車ではなく車での訪問ではありましたが。

 ということで、その時の様子はこちらの 「GALLERY DOMESTIC」 「篠ノ井線スイッチバック」 をご参照ください。



松本到着。

 1時間足らずの乗車で松本に到着です。
 「しなの22号」はこの先塩尻からJR東海のエリアに入り名古屋に向かうため、週末パスで乗車を続けるわけにはゆきません。
 今回もここで下車することにします。


115系。

 次の列車の待ち時間、ホームで出入りする列車の観察です。 (というよりはボケっと眺める、という感じです。)
 西日本でもお馴染みの115系、ですが塗装は東日本(長野)色。
 淡い感じのメリハリに欠けるカラーは、地味な感じがして仕方ありません。


211系。

 留置線に並んだ211系です。 すでに東海道東京口からは引退し、こちらに流れてきています。
 これまた長野色に改められていますが、車体のベースがステンレスの地金のため、淡い水色との取り合わせが115系以上に地味に見えます。
 派手派手のいやらしさはありませんが、いくら何でもちょっと地味すぎないか?


スーパーあずさ。

 松本から乗車の列車は、18時35分発、新宿行きの「スーパーあずさ32号」です。
 もう夕刻ですから寄り道せず、これで終点新宿まで向かうことにします。
 朝の列車に続き、本日2度目のE351系でした。


「スーパーあずさ」車内。

 「しなの」同様、3連休ながら初日の夕方の上りだから空いているだろう、と思っていた「スーパーあずさ32号」。 確かに混んではいませんでしたが、かといってガラ空きというほどでもなく、少なくとも予想を上回る乗車率ではあったかな、という感じでした。
 本日はこのまま終点まで乗車し、新宿のネオン(の怪しくないところ)を眺めつつ明朝に備え投宿です。
 これまた5年半前と同じパターンでした。


山形新幹線。

 一夜明けて、週末パスの旅第2日目です。
 早朝の東京駅ホームで迎えたのは、山形新幹線E3系。 本日はこれからこの列車に乗り込み、山形方面に向かおうと思います。
 列車は東京発の山形新幹線1番列車、「つばさ121号」です。 「やまびこ」などの併結のない、「つばさ」だけ単独の列車です。
 2日目も、5年半前の「土日きっぷの旅」と同じようなパターンではあります。
 6時12分発の列車。
 6時過ぎに入線してきました。


「つばさ」E3系。

 「つばさ」に使用の車両。
 5年半前は初代山形新幹線の400系でしたが、現在は秋田新幹線用車両がベースのE3系に変更になっています。
 緑のラインがあざやかな車体と「TSUBASA」のロゴは同様ですが、客室の窓は1席づつの小窓になりました。


「つばさ」車内。

 車内はこんな感じで、小窓にはなりましたが、それ以外は少しすっきりしたかなという感じです。 小窓もJR東海や西日本のN700系と比べると、ぐっと眺めが良いサイズです。
 連休2日目の朝一番、ということで、並んだ乗客の列はそれほど長くありませんでしたが、発車までにはそこそこの入り具合になりました。


山形到着。

 途中はすっ飛ばして、山形駅に到着です。
 この列車は新庄行きですが、昨日朝の「スーパーあずさ1号」同様、途中で下車することにします。 旅行ルートはよく似ていますが、このあたりが5年半前とは異なるところです。
 新在直通のミニ新幹線方式の山形新幹線。 普通列車も「つばさ」も同じ線路を走りますが、ここ山形駅では発着ホームが分かれており、途中に「つばさ」専用ホームの改札もありました。


在来線ホーム。

 「つばさ」を山形で下車し、やって来たのは在来線ホーム。 列車は左沢(あてらざわ)線の気動車です。
 この2日間。 「週末パス」を有効に活用し、行ってみたいと思いながらなかなか行けない東日本のローカル線に乗ろうという企画。 有効に移動するために、たまたま5年半前と同じような特急列車に乗車することになった、というプランです。
 左沢線に乗車するのは、学生時代以来およそ35年振り、2度目のことです。


山形駅。

 山形駅の北側出口。
 複雑に絡み合ったような線路ですが、よく見ると右側の線路だけが、新幹線の規格に合わせて標準軌に改軌されています。
 奥羽本線の普通電車も標準軌車両ですが、左沢線と仙山線列車がある関係で、山形駅構内は狭軌の線路の方が幅を利かせているようです。


山形城付近。

 山形城の堀を眺めながら、列車は北に向かいます。
 隣の北山形までは複線区間。 と言いたいですが、奥羽本線が狭軌から標準機に改軌されたため、幅の違う2つの線路が並ぶ単線並列方式となっています。
 歴史的な経緯から、及び仙山線の電車が走れる必要がありますから、こちらの狭軌も電化されています。


北山形駅。

 山形から北へまっすぐ一駅。
 北山形で、左沢線は奥羽本線と別れ、進路をやや西寄りに向けます。
 左右に分かれる形でホームが設けられた駅。 長い跨線橋でつながってはいますが、ホームは離れ何となく別の駅のようでした。


田園風景。

 北山形を出たあたりは多少ごちゃごちゃしている感がありますが、山形盆地の中を北西に走るイメージは、昔の記憶と大きく違っていませんでした。
 もっとも季節は雪多い3月のことでしたが。


寒河江駅。

 左沢線の中心駅、寒河江(さがえ)です。 交換設備に橋上駅、車庫の上屋と、ローカル線にしては大きな造りです。
 先ほどの山形駅にも2編成の列車が別にいましたが、左沢線。 国鉄の廃止対象にならなかった程ですから、意外と乗客は多いのでしょうか。
 しかしながら、日中山形から終点の左沢まで行く列車は僅少なのですが。


羽前高松。

 西寒河江を過ぎ、寒河江市街の北側を取り巻くように走ると羽前高松。 列車はここで西南に向きを変えます。
 同時に平地の田んぼの中だった景色が一変し、山の中に入った(実際には山端に沿って平地の端を走る)雰囲気になります。
 これまた35年ばかり前の印象と同じでした。


柴橋駅。

 終点左沢のひとつ手前の駅・柴橋です。
 このあたりは山の端にへばりつくように平地から若干高い所を走ります。
 地形に沿って走るため、田んぼの中の直線から、山なりの左右にカーブした線形になりました。


トンネル。

 西寒河江までは平地ばかりだった左沢線。
 最後の二駅で向きが変わり風景が一変する、という印象は、漠然とながら35年前の印象どおりです。
 今回山形へやって来た目的の一つは、左沢線にもう一度乗車して、はるか昔の学生時代の記憶を辿ってみたい、というものでした。


終点左沢。

 終点左沢に到着です。
 最後は平地に到着する、という印象もそのままですが、駅だけは現代風の新しいものに様変わりしていました。


左沢駅。

 左沢駅ホームに降り立ちました。
 ローカル線にしては長編成の列車に対応した長い長いホームです。
 以前は木材運搬の貨車がいましたが、すでに国鉄時代に貨物輸送は廃止されています。


左沢駅舎。

 最近のローカル駅は、本来の駅舎部分より観光案内所や観光センターが主役です。
 特に北国に来ると、風雪対策万全に設計することもあり、独特の頑丈そうなデザインの駅が多く楽しみです。 左沢も例外ではありませんでした。
 駅舎すらなくなった終点のうらぶれた駅、でなく安心です。


左沢線車内。

 何せ日中は2〜3時間も列車間隔が空いてしまう左沢駅。
 少し散策したいのはやまやまですが、スケジュール上そこまでのんびりする訳にはゆきません。 やって来た列車で折り返すことにします。
 車両はロングシートばかりのキハ101です。


「つばさ」赤湯到着。

 左沢線の旅を終え、山形から上りの「つばさ」に乗ること20分少々。
 同じ山形県内の赤湯で下車です。
 ローカル風情豊かな路線の田んぼの風景を、新幹線型車両の窓からごく間近に眺めるのは奇妙なものですが、何しろ特急の方が普通より多いくらいの路線。 ここは「つばさ」にチョイ乗りです。


山形鉄道。

 本日第2番目の目的。 山形鉄道です。
 と書きましたが、優先順位からすると、こちらが一番かもしれません。
 先ほどの左沢線と同じく、乗車はおよそ35年振り2度目。 前回は国鉄長井線の時代でしたから、第三セクター山形鉄道に移管してからはもちろん初めてです。
 2日間利用の「週末パス」。 この山形鉄道でも有効ですので、今回はこうして有効活用しようという目論見です。


山形鉄道駅舎。

 山形鉄道側の駅舎です。
 かつての赤湯駅西口がどんな感じだったのか、全く記憶にありませんが、ログハウス風の駅舎は、この休日の昼間は全くの無人でした。


赤湯駅西口。

 駅舎には全く賑わいはありませんが、やたら広くきちんと整備がなされた赤湯駅西口です。
 しかし残念ながら、駅前広場にも賑わいは見られませんでした。


在来線電車。

 ちょうどやって来たのは、山形行きの普通電車719系です。
 在来線の各駅停車ではありますが、新幹線用の標準軌に合わせた奥羽本線用の車両です。
 1時間に1本程度の運転本数のせいか、結構な下車客でした。


赤湯駅駅舎。

 新幹線が直通するようになり新装なったJR赤湯駅(東口)です。 色々な賞を受賞した、斬新なデザインの駅舎です。
 半分は観光協会が運営しているようですが、最近の駅が失ってしまった駅としての機能が、新しいデザインの中に詰まっていました。


在来線「つばさ」。

 下り「つばさ」が赤湯駅に到着です。
 先ほど普通列車が停車した同じホームに停車します。
 赤湯駅は「つばさ」と普通列車ホームは共用で、山形鉄道を含めて中間改札はありませんでした。


山形鉄道車内。

 山形鉄道の気動車車内です。
 先ほどの左沢線気動車とは違い、こちらはクロスシートとロングシートの組み合わせにトイレ付。
 新潟鉄工の標準的な造りの気動車でした。


今泉駅。

 赤湯を出て西に向かうこと30分。 今泉に到着です。
 ここで奥羽本線米沢と羽越本線坂町を結ぶJR米坂線と接続します。
 一方、元国鉄長井線である山形鉄道は、奥羽本線赤湯から今泉を経て、行きどまりの荒砥までを結びます。
 縦横の路線が交差するのでなく、一度今泉で両側から寄り添った線が、再び同じ側に離れて行く、ちょっと変わった路線配置ではあります。
 写真は荒砥行きの列車後方を眺めており、左が山形鉄道赤湯方、右手が米坂線米沢方となります。


今泉駅ホーム。

 「赤湯方面のりば」と「荒砥方面乗り場」のホーム案内板。
 今では鉄道会社は違いますが、同じタイプのものです。
 国鉄時代からずっと使用されているのでしょうか。


米坂線列車。

 今泉駅でちょうど接続していた、米坂線の列車です。
 できればこちらにも乗ってみたい気持ちはありましたが、今回はスケジュールの都合で断念です。


今泉駅発車。

 2路線の合流駅のため、2面4線のホーム。
 更に今は使われていない線路の跡など、広い敷地の今泉駅です。
 ここを出ると、山形鉄道は暫くJR米坂線と同じレールの上を走ります。


白川信号場。

 今泉からまっすぐ走ること2キロ弱。
 ここで線路は再び左右に分かれます。
 列車後方の視点で、写真左手が山形鉄道、右手が米坂線で、それぞれの方向に向かいます。
 旧白川信号場。 現在は今泉駅の一部の扱いです。


長井駅。

 山形鉄道の中心・長井駅で、反対の列車と交換です。
 列車の色は変わりましたが、駅ホームの雰囲気は旧国鉄時代そのままのようです。


長井駅。

 長井駅を後にして、赤湯行き列車より一足先に荒砥に向け発車です。
 中心駅ではありますが、車両基地の機能は終点の荒砥にあるため、さほど大きい駅という感じでもありませんでした


あやめ公園。

 「山形鉄道フラワー長井線」の名前の通り? あやめ公園駅です。
 気軽に歩いて行けそうな距離のようでしたが、下車したのは観光客ではなく、近くの高校の生徒たちばかりでした。


終点荒砥駅。

 終点荒砥駅に到着です。
 およそ35年振りの長井線の印象は?というと。
 実は前回訪れたこの線の風景の記憶が殆どなかった!のです。 年月を重ねたとは言え、全部とは行かずとも大抵いくつかのポイントの記憶はあるものですが。
 今回乗車の小海線も左沢線も、いずれも頭に残るイメージをトレースする旅でしたが、ここ山形鉄道だけは、本当に記憶に残っているものがないのか改めて確認の旅です。


荒砥駅車庫。

 現在、山形鉄道の車庫は、一部の保線車両を除き、ここ荒砥にあります。
 国鉄時代はもちろんこんな設備はなかったはず。
 残念ながら、どうにも思い出すものがありません。。


荒砥駅駅舎。

 ここも列車本数がさほど多くないローカル線ですから、残念ですが、極々短時間の駅舎観察程度。
 先ほど到着した列車で再び赤湯に折り返すことにします。
 旅客スペースはさほどありませんが、造りだけはしゃれた感じの駅でした


荒砥駅構内。

 夏のことで、草が生い茂った荒砥駅の構内。
 終点まで平坦であまり大きな風景の変化がなく、確かに記憶に残りにくい路線、という感じではありました。


荒砥駅発車。

 広い荒砥駅を後に、再び列車で赤湯に向かいます。 大きな特徴がないのが特徴、というところでしょうか。
 昔の計画にあったように、ここから前方、左沢に向けてもし線路が伸びていれば、この先は記憶に残るような違った風景になっていたことでしょうが


最上川鉄橋。

 復路は今一度記憶を引きずりだすために、後方の車窓から眺めてみることにします。 (もっとも前回乗車したときは、前面ではなく座席に座り横の車窓を眺めていたはずですが。)
 荒砥を出て間もなく、最上川の鉄橋を渡ります。
 ここでちょっとだけ思い出した気がします。 堤防上の川の名前を見て「こんなところに最上川?」と思った記憶がかすかに。
 最上川と言えば、はるか北の新庄から余目までの陸羽西線とセットでのイメージが非常に強いものですから。
 今でも、山形南部の福島県境から流れ出している、という地形を不思議に感じます。


最上川。

 長い鉄橋の最上川です。 すでにゆったりと流れる大河の風格を備えています。
 しかしこの盆地を過ぎると山間を抜ける谷間の川となり、山形盆地で再び平地のゆったりした流れとなります。
 そう言えば、ここへ来る前に乗車の左沢線から眺めた川も、最上川でした。


全体的風景。

 山形鉄道車窓風景(但し列車後方から)です。 やはりこういう眺めが、この路線の代表的な風景でしょうか。
 ゆったりと楽しく飽きないローカル線風景ですが、強力なインパクト、というほどではありません。
 おそらく35年前もそうだったのでしょう。。


羽前成田駅。

 古い駅舎が残る、羽前成田駅です。
 山形鉄道の駅。 しゃれた駅舎に改築よりは、国鉄時代の古い駅舎を大切に使っている、という感じのところが多く見られました。


羽前成田駅。

 改札出口に普通に掲げられていた駅名も古そうなものでしたが、横の木製のベンチの上にももう一枚置かれていました。
 細かい点は別にして、同じように見えます。 ベンチ状のものは何だったのでしょうか。
 ところで駅名表に書かれた隣の駅名。 いずれも現在とは異なり、新しい駅が設けられているのがわかります


羽前成田駅風景。

 駅発車後です。
 駅舎全体はこんな感じでした。
 一見1面1線だけに見えますが、よく見ると昔の姿を偲ぶことができるようです。


駅線形。

 もうひとつ、山形鉄道の駅でよく見られたのは、こんな線形。
 今では片面1線だけのホームなのですが、広い敷地の様子といい、昔のレイアウトや線形がわかるようです。
 ポイントは撤去されていますが、残された線形はそのまま。 必要最小限の改造工事だけ、という様子がわかります


白川信号場。

 旧白川信号場です。
 これも後方の風景で、列車が走っているのが山形鉄道の線路。 左側が、坂町からの米坂線の線路です。
 相互に接続する両線の列車の今泉発着には時間差が必要。
 ということで、運転上のネック・・・というほどの列車本数ではありません。


白川信号場。

 ポイントの線形からすると、長井線(山形鉄道)の方が先?と思わせるような白川信号場です。
 今は貨物もなく、両線合わせてもさほどの列車本数ではありません。


今泉駅。

 米坂線との長い共用区間を終えて、今泉駅構内に入ります。
 (正確には、現在は上の白川信号場から駅構内ということになりますが。)
 広い敷地、といった風景です。。


今泉駅交換。

 今泉駅での交換列車です。
 何やらゆるキャラ的イラストが描かれていましたが、よく分かりませんでした。


今泉発車。

 今泉を発車です。
 少ない列車本数同士の両線ですが、この列車は往復とも米坂線の列車と接続していました。
 JRの車両は、汎用的なキハ112でした


今泉発車。

 広い駅の構内外れに架かった高架橋。
 よくある(よくあった、という方が正しいか?)風景です。
 下をくぐると同時に、米坂線とは再び離れてゆきます。


宮内駅。

 今泉と赤湯の間、宮内駅です。
 ここも旧国鉄時代のもので、駅舎の造りやホームへのアプローチなど、非常にわかりやすい駅です。


宮内駅。

 「今年で100歳」ということらしいです。 もちろん、出迎えてくれた駅員さんのことじゃありません。(大変失礼!!)
 交換駅でもあり、駅員の方も列車を出迎えてくれました。


2014年1月26日追加

宮内駅。

 少し遠目に全体風景を見ると、こんな感じになります。  これまた分かりやすいレイアウトです。
 この列車の終点・赤湯に至近の駅ではありますが、対向列車との交換がありました。
 そう言えば赤湯の山形鉄道ホームは、1線だけでした。


赤湯間近。

 赤湯に近づき、奥羽本線に寄り添うようにカーブします。
 (部分的にですが)複線電化の奥羽本線。 対する山形鉄道は旧国鉄ローカル線ですから、単線非電化です。
 しかし奥羽本線改軌により線路幅が違いますから、それ以上の落差を感じる景色ではあります。


上り「つばさ」乗車。

 左沢線と山形鉄道乗車、という本日の目的は終了です。
 ここまで来ると、陸羽西線や米坂線、仙山線、また板谷峠越えの普通列車にも後ろ髪を引かれるものがありますが、本日はこれで終了ということにします。 後は東京に向かいつつ、「つばさ」の車窓から板谷峠の風景を楽しもうと思います。
 三連休2日目の午後。 そろそろ上り列車が込みだす頃で、赤湯からの途中乗車。
 予定していた「つばさ」の自由席は生憎混雑(通路側に空席がある程度)していましたが、車内の様子を見て咄嗟に飛び降り、1本やり過ごして後続の臨時「つばさ」に変更で、ゆったりと窓側に陣取ることができました。


板谷峠。

 新幹線(車両)の「つばさ」ではありますが、奥羽本線部分は線路幅の改軌だけで線路は従来と同じ。
 ということで、山形・福島県境の板谷峠越えも昔の風景のままです。
 「つばさ」は停車することなく峠の4駅を通過します。
 4駅連続のスイッチバックは廃止されましたが、かつての引き上げ線の跡は今でも残されています。


東京到着。

 夕刻の東京駅に到着し、2日間の「週末パス」の旅は終了です。
 今回はJR・私鉄のローカル線を軸に、ついでに特急の旅も楽しもうという企画でした。 無理をすればもうちょっと回れた感じではありますが、ゆっくりと楽しむにはこんなところでしょう。
 ところで、同じエリアで自由に特急に乗車できた5年半前の「土日きっぷ」。しかし当時は私鉄には乗れなかった。
 対して、今回の週末パスは、特急券を別に求めなければならないかわりに、地方の私鉄が自由に乗車できます。
 ちょっとだけ損得勘定をしてみましたが、今回は私鉄に乗車して切符の有効活用を図るというプランでしたので、旧「土日きっぷ」で同じ旅をしてもほぼ同じ金額、という結果でした。
 特急に乗れなくなり割高に感じていた今回の「週末パス」でしたが、やはり強力なスグレモノには違いありません。


関連ページ
「TRIAL20000 小海線」
「TRIAL20000 左沢線」
「GALLERY DOMESTIC 上田交通・上田電鉄」
「GALLERY DOMESTIC 長野電鉄」
「GALLERY DOMESTIC 篠ノ井線スイッチバック」
「GALLERY DOMESTIC 新幹線・高速鉄道」
「GALLERY DOMESTIC 板谷峠」
へは、こちらからどうぞ。           

本編 終わり  このページのトップへ 
→TOP PAGEへはここから←

編成表

TOP
CONTENTS
DIARY
GALLERY DOMESTIC
GALLERY INTERNATIONAL
COLLECTION
TRAVEL
TRIAL 20000
MODELS
NEW YEARS MAIL
LINK
PROFILE
MAIL to KAIMON4
HURC
    




バナーにご利用ください