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地方都市である程度の距離をもつ電化路線、起点付近は複線区間、観光地を控え、かつては国鉄優等列車が乗り入れ、と富山地方鉄道あたりと共通点がありますが、運賃が高めで結構厳しい状況というのもまた共通です。 しかし施設改良、特急運転と今後も頑張って欲しい路線です。 >>>写真をクリックしてください。>>大きな写真へ <INDEX> 2013年7月 2011年5月 2008年5月 ↓ ↓ ↓ 最新の追加 ↓ ↓ ↓ ![]() 綿内駅のホーム改札付近に掲げられた案内板です。 さすがにこれはかなり錆びていますが、今更新調されることもありません。 ![]() 田んぼ、リンゴ、ブドウと農作物豊かな長野地方と屋代線沿線です。 リンゴは早いところは花をつけていますが、田植えの方はもう暫く(間もなく?)のようでした。 ![]() 終日2両編成で走る3500系。 対する長野側は3両編成の8500系が活躍していますので、屋代線が廃止後の去就が注目されます。 ![]() 屋代線の駅間の風景をを代表するような感じの眺めです。 実際にはもう少し線路際にリンゴの木が迫った場所が多かったように思います。 ここでも輸送の動脈は、後方の高速道路のようです。 ↑ ↑ ↑ 最新の追加 ↑ ↑ ↑ 2013年7月 ![]() 現在の長野電鉄の「顔」。 元JR成田エクスプレスの2100系です。 外観はあまり変わっていません。 ![]() 普通列車に就くのは、四角い車体。 こちらは元東急電鉄の8500系です。 私としてはまだまだ新しい車両という感覚でしたが、すでに30余年の車齢となりました。 ![]() 地下にある長野電鉄長野駅。 並ぶ列車はいずれも他社からの譲渡車両です。 長野電鉄オリジナルの車両がなくなってしまったのは残念です。 ![]() 長野では「スノーモンキー」の愛称となった2100系。 車体側面の広いスペースにこんなイラストが描かれました。 ![]() 湯田中行きのA特急に入る2100系。 窓に映るのは元東急と異色の組み合わせ。 ですが、最近の地方私鉄ではこんな変わった組み合わせが増えてきました。 ![]() 終点湯田中駅に到着した、特急2100系です。 新旧のホームに挟まれての停車です。 ![]() 現在の湯田中駅はここで行き止まり。 以前はホームに入るスイッチバックのため、この先踏切を越えて停車できるところまで線路が伸びていました。 ![]() 現在は使われていない旧ホーム。 よく見るとかさ上げされた跡もあります。 ![]() 信州中野〜湯田中間は、温泉観光客誘導のための路線。 終点湯田中駅は立派な駅と駅前スペースです。 A特急の到着に合わせて、幟半被の温泉宿出迎えの従業員。 駅前に停められた送迎用の車。 今ではあまり見られなくなった温泉観光駅の風景が、ここには残っていました。 ![]() 2枚上の写真の反対側。 元踏切があった道路を越えて、スイッチバック折り返し線の廃線跡が残っていました。 2011年5月 ![]() 長野電鉄の新顔、2100系特急は、元JRの成田エクスプレスの車両です。 3月から運転を開始しましたが、今年のGWはまだリンゴの花もレンゲも少し早めでした。 ![]() ローカル然とした長野盆地を走る2100系。 これまでの経歴から、温泉特急のイメージの車両ではないのですが、これからどう定着するでしょうか。 ![]() すでに長野の顔になった?元小田急ロマンスカー10000系です。 本日は、普段乗り入れない屋代線での特別運行です。 ![]() 早春に定期運用から離脱した2000系。 本日は臨時列車として、普段は縁のなかった屋代駅まで運転されました。 遠くから姿が現れました。 ![]() 3両編成のスマートな電車。 50年以上前のデザインですが、上品な感じが好きです。 後年は屋根上にクーラーが載り、ややスマート感が薄れましたが。 ![]() 湘南タイプの正面2枚窓に加え、上品に裾を丸く絞った車体が、この当時の私鉄電車の流行でもありました。 地方私鉄の意欲的な車両です。 ![]() 屋代に到着した、長野電鉄2000系。 2000系といえば丸いかもしかのマーク。 これひとつでぐっと引き締まります。 ![]() 丸いスタイルの先頭部はこの時代のひとつの流行でもありました。 本日は特別ダイヤでの臨時運行のため、打ち合わせも念入りに。 ![]() 先頭部に取り付けられた青いマークは、志賀高原方面・湯田中行きの特急のしるし。 車体の色と鮮やかな空色との対比が印象的です。 ![]() 先頭部付近での記念撮影風景。 今は通常2両編成しか入らない屋代線。 3両はギリギリで、柵の手前まで行ってもアングルに引きがとれません。 ![]() 屋代駅に停車中の長野電鉄2000系です。 客窓は改造されていますが、2ドアのスタイルはスマートです。 ![]() ホームの柱ごとに取り付けられた「やしろ」の駅名票。 来年3月で消えてしまうのが残念です。 ![]() 長野電鉄屋代駅に、普通電車が到着です。 角ばった重厚な感じの3500系です。 ![]() 電車を隠してしまう大きな広告看板。 地方私鉄では、広告収入もばかにならない、という営業努力の結果? ![]() しかしながらこのご時世。 残念ながら、広告看板もスポンサーが集まらず白いままのものも見られます。 これは長野電鉄に限ったことではありません。 ![]() 旧JR信越本線の長野鉄道ホームから眺めた、長野電鉄ホーム。 国鉄からの乗換駅らしく小駅ながら立派な待合室のあるホームでした。 ![]() 到着した列車は、すぐに須坂への折り返しのための準備を開始します。 ここ屋代には長野電鉄のメンテナンス工場もあるのですが、通常は須坂から到着後はすぐに折り返すダイヤでした。 ![]() 屋代駅のホームです。 すでに廃止された木島線の「木島方面」の案内は昔のままでした。 ![]() パノラミックウィンドウながら平べったい正面と広いおでこ。 特徴的なスタイルの5000型です。 2両編成のため、屋代側が廃止になると余剰車になるのでしょうか。 ![]() 長野電鉄屋代駅のホーム待合室。 駅舎が旧国鉄JR、現しなの鉄道と共用のため、ホームにがっちりとした待合室が別にありました。 ![]() 同じくホーム待合室の発車時刻表。 かつての国鉄接続駅ですが、ちょっと寂しいダイヤではありました。 ![]() やはり広いおでこの3500系です。 窓上の赤いラインを正面まで回せば、また違った印象になっていたかも。 ![]() 前にアップした写真にもありますが、ホームの柱ごとに表示された「やしろ」の駅名でした。 ホーム案内の目立たない最近の各社の駅とは大違いです。 ![]() 先ほど到着した列車が、須坂に向けて折り返して行きます。 ホームの広告看板。 よく見ると利用されているのは1面だけでした。 ![]() 長野電鉄の屋代駅ホーム。 しなの鉄道のホームから少し全景的に眺めてみました。 しなの鉄道(旧JR)とは同じ駅舎と改札を共用しており、奇妙な独立主義(?)で利用者本位でない第三セクター各社とは異なり便利です。 ![]() 本日臨時運転の2000系。 普段は入ってこない屋代駅のホームで折り返し待ちのひと時です。 ![]() 臨時2000系が須坂方面に向け発車します。 2000系。 元々の茶色もいいですが、いわゆるリンゴ色のこの色がやはりいい感じです。 ![]() 遠ざかってゆく2000系。 近づいてくる列車もいいですが、次第に視界から消えてゆく列車を眺めるのも楽しいものです。 このデザイン。 昭和30年代の地方私鉄の意気込みを感じます。 ![]() 電車のいなくなった屋代駅ホーム。 手前のホームも、JRからしなの鉄道に移管されて、表示が少し変わりました。 ![]() しなの鉄道駅舎(長野電鉄と共用)内の発車時刻表。 ローカル私鉄の更にローカル線としては、1時間に1本というのが何とか維持できる限界でしょうか。 しかし日中には列車のない時間帯も。 ![]() 同じく屋代駅本屋内の、しなの鉄道時刻表です。 元信越本線らしく、こちらは流石に1時間2本程度の列車が確保されていました。 ![]() こちらはしなの鉄道の運賃表。 しかしこれまでの経緯から、接続するJRの運賃とともに、長野電鉄の運賃表も掲示されています。 こうしてみると、JR乗り換えで松本まで1090円に対し、軽井沢まで1270円はチョイ割高。 更に長野電鉄須坂まで880円は、やはり高い感じです。 ![]() しなの鉄道(長野電鉄共用)の屋代駅構内です。 最近の駅によくある、ちょっと洒落た感じというか、目的がよくわからない多目的ホールというか。 ![]() 駅前広場に設置の、案内表示です。 地形のスケール通りかどうかわかりませんが、意外と近い、篠ノ井線姨捨方面です。 ![]() 案内図にある、「長野電鉄河東線」の表示。 この撮影時から2年半。 河東線廃止から1年半が経過しました。 現在はどういう表示になっているのでしょうか。 ![]() さて、屋代駅で長居しましたので、河東線に沿って少しずつ移動です。 とは言えイベントが終わればやって来る列車は3500系ばかりになります。 ![]() 踏切を通り過ぎる列車。 こうして間近で見上げるように見ると、やはり大きな車体と感じる3500系です。 ![]() こうして見ると、やはり特色あるデザインの3500系です。 地下鉄の車両が地方私鉄に流れてゆく事例は少なく、異色の風景ではありますが、それなりに似合うかも。 ![]() 片面ホームの岩野駅です。 比較的新しい(但し面白味はない)駅舎と電話ボックスも、活用されなくなります。 駅前に電話ボックスのある風景。 そのうちなくなってしまうのでしょうか。 ![]() まだ新しい駅舎の岩野駅内部。 もちろん無人駅ですが、それでも掲示物はきちんと張り替えられていました。 ![]() 屋代行き列車のワンマン乗車口表示です。 ところで後ろの運賃表。 右上の部分が隠されて(塗りつぶされて?)いるのが気になります。 「信州中野」の駅名の上あたりに分岐跡がかすかに見えるのが気になります。 この写真の9年前に廃止された木島線の跡のようです。 それ以前から、運賃は改定されていない? ![]() 岩野駅に須坂行き列車が到着です。 5月初めの長野地方。 花や若芽が美しい季節でした。 ![]() 片面ホーム1線だけの小さな駅。 この時間ホームには乗客も殆どいませんでした。 ![]() ワンマン列車ですが、乗降客は殆ど居ませんからすぐに発車です。 平日ならもう少し通学生が居るかもしれない時間帯です。 ![]() 感じのよいS字カーブ。 ですが正面過ぎて、ヘッドライトでカメラのオート機能が幻惑されてしまいます。 ピントが決まらなかったり、露出が滅茶苦茶だったり・・・。 ![]() この辺りの角度からだと、ライトで幻惑されることはありません。 アングルとしては物足りませんが・・・。 ![]() リンゴの一大産地の長野地方。 5月のこの時期は花の季節でもあります。 白やピンクの花が綺麗です。 ![]() リンゴの木。 平地にも多く植えられ、線路際に迫る所も数あります。 ところがあまり近すぎると逆に、邪魔になって撮影しにくい。 適度に開けたところは意外と少ない感じです。 ![]() 信濃川田駅です。 木造駅舎に駅前広場にロータリーの植え込み。 現代の駅ではなくなりつつある姿が残っていました。 ![]() すっかり色あせてしまった駅本屋の駅名看板。 ですが、路線廃止まで1年を切った今では塗り替えられることもありません。 少し寂しい感じです。 ![]() 駅舎の雰囲気に比べると、まだ新しい感じのホーム駅名標。 廃止を控えながら基本手入れは行き届いていると感じた屋代線(河東線)でした。 ![]() こちらはホーム駅舎寄りの柱に取り付けられた駅名標です。 昔ながらの駅名表の雰囲気を醸し出してはいますが、実際には比較的新しく作られたようでした。 ![]() 駅舎内、改札上の広告板です。 さすが温泉地信州。 ですが、この駅から予約するお客がいかほど居たか? 昔は近場の湯治客もいたのでしょうか。 ![]() 現在はワンマン列車ばかりですが、駅の造りは改札窓口があった頃の姿がそのまま残されています。 掲示物も頻繁に張り換えらえている様子。 ![]() 駅の出口正面にあるバス停標識。 ですが良く見ると2本は「乗り合いタクシー」なのが時代を反映しています。 ![]() 駅舎内に掲示された運賃表。 ですが、いくら何でも文字が詰みすぎて読みすらいぞ。 ![]() ホームの行き先表示です。 方向別対面の2面ホームなのですが、両側全部の行き先が1枚に凝縮されています。 これまた比較的新しい感じです。 すでにかなり以前廃止になった「木島」の名前もありますが。 ![]() 同じ長野電鉄のバスが、電車に接続です。 車体側面は広告をまとっていますが、正面は長電のリンゴカラーでした。 ![]() 昔は駅舎出口正面が路線バスの「指定席」でした。 現在は片隅に追いやられているところが多くなっていますが。 ![]() 貨物列車が走っていた関係で、長い交換設備の信濃川田駅です。 日暮れには早いですが、雨が降り出し暗くなってしまいました。 ![]() 屋代行きの電車が到着です。 少しくらいですが、ステンレスの車体なら雨に光ってそれもいいかも。 ![]() ここで対向列車と交換です。 しかし昔の国鉄ローカル線ダイヤとは違い、私鉄では一般的に非常に効率的にダイヤが組まれていますので、さほど長い停車時間ではありません。 ![]() 対向の須坂行き列車が到着しました。 先ほどから待機していた屋代行きは、対向列車到着後すぐに発車です。 ![]() 須坂行きの方も、乗客の乗降が終わるとすぐに発車して行きました。 駅の造りは昔のままですが、運行の方はあっさりしたものです。 ![]() 日暮れの雨になってしまったので、このまま次の列車もここで「駅撮り」することにします。 ライトの明かりもかなり目立つようになりました。 ![]() 駅員のいないワンマン列車ですから、出口は前の1か所だけ。 2両編成ですから車内の移動はいといませんが、雨が降るとホームを余計に歩くのはイヤかも。 ![]() さほど待つ間もなく、対向列車が到着です。 ヘッドライトばかりでなく、車内の明かりも次第に勝って来ました。 ![]() 信濃川田駅で頭を揃えた3500系。 このデザインの先頭部が並ぶと、さすがにかなり「濃い」感じがします。 ![]() 朝の須坂駅構内。 かなり以前に廃車になった「新OSカー」こと10系が留置されていました。 長らく列車として使用されていない割には、外観は綺麗です。 ![]() 同じく須坂駅に留置されていた、2000系の茶色編成。 こちらは比較的最近(2011年現在)の廃車ですが、すでに一部の部品は取り外されています。 ![]() 2000系先頭部とホームに展示された「遺品」。 いずれもすぐ傍まで近寄れないのが残念です。 ![]() 留置車両2100系のずっと向こう側には、転入してきたばかりの2100系特急車。 このときはまだ試運転中でした。 ![]() 廃車となった新OSカーと2000系。 どちらも長野電鉄自社発注の名車です。 今では地方私鉄が独自に新車を導入するのは難しい環境になってしまいました。 ![]() 同じく須坂駅の構内に停車中。 こちらは東京からの転入者コンビ。 元JR特急車と元東急通勤電車の組み合わせです。 ![]() 新しく転入したばかりのの元JR成田エクスプレス2100系。 側面には愛称の「スノーモンキー」をイメージさせる山ノ内町の宣伝イラスト(写真ラッピング)が施されています。 ![]() 長野電鉄の特急車同士。 といってもどちらも転入車。 元小田急ロマンスカーと元JR成田エクスプレスです。 これで本線から自社製車両が姿を消してしまいます。 ![]() 元小田急ロマンスカー10000系は、長野電鉄1000系です。 観光用ハイデッカーでバリアフリーに対応していないため、本家小田急では意外と早く引退してしまいました。 ![]() 須坂駅のホーム長野寄りの風景です。 元小田急と元東急の車両群。 長野電鉄の風景とは思えません。 ![]() ステンレスの電車に挟まれて停車していたのは、自社製の古い電気機関車です。 昔は貨物用に活躍していましたが、今では本線に出る事はありません。 他との位置関係から、構内を「移動」することはあるようですが。 ![]() リンゴカラーの組合せ。 引退間近の2000系が、とうに引退した新OSカーの横を走ってゆきます。 車齢の若い新OSの方が製造20年ほどで引退したのに対し、2000系は50数年活躍しています。 ![]() 引退直前の2000系。 ことし(2011年)のゴールデンウィークは最後のイベントに活躍ですが、本日は朝の普通定期列車の運用にも入っていました。 ![]() こちらの5000系のドア横広告。 「広告電車」というほどではありませんが、これだけでも結構派手です。 そういえば屋代駅ホームの広告にも同じものがあったような。 (このページのどこかにあるはず。) ![]() 特徴あった長野電鉄自社製の車両も次々と廃車になり、間もなく他社大手私鉄からの転入車ばかりとなります。 残念ではあります。 ![]() 屋代方面からの列車(左側)と長野方面からの列車(右側)が、ほぼ同時に須坂駅に到着です。 きっちり接続が取れたダイヤとなっていました。 ![]() 屋代からは元営団地下鉄の3500系、長野からは元東急電鉄の8500系、ともにステンレス車両です。 長野電鉄オリジナルのOSカーはすでに廃車になっています。 ![]() 元JR東日本の成田エクスプレスは、長野では「スノーモンキー」2100系。 この写真の撮影少し前に長野にやって来て、走りだしたばかりです。 ![]() 須坂駅に留置された2編成の電車。 どちらも長野電鉄オリジナルの名車でした。 ホームの展示物を含め、ここだけ見ると博物館のようです。 ![]() 引退した車両と新しくやって来た車両の組合せ。 すべてが活躍していれば面白いのでしょうが、そうは行かないのが難しいところです。 ![]() 須坂駅ホームの端にも、色々と面白そうなものが展示陳列されています。 但しホームの一番端のこの場所は、一般は入る事ができません。 横から眺めるか、こうして上から眺めるか。 いずれにしてもちょっと距離があるのが難点です。 ![]() 引退して久しい新OSカーの横を、屋代行きの3500系が発車してゆきます。 ローカル線ではありますが、効率のよいダイヤにはなっています。 ![]() 田んぼの中を走る河東線(屋代線)の電車。 後方には高速道路が。 どこにいっても、細いローカル線の横を立派な高速道路が突っ切っている、という風景が当たり前になってしまいました。 ![]() 河東線(屋代線)の綿内駅風景です。 赤い幟は「乗って残そう屋代線」。 しかし活動空しく、すでに1年以内の廃止が決まっていました。 ![]() 古い造りの綿内駅です。 良い感じの木造の駅舎は、かつてよく見られた駅の基本形をよく残しています。 ![]() 綿内駅の駅舎内、時計の文字盤はこんな感じでした。 地元の人に愛された駅、という雰囲気はよく伝わって来ました。 鉄道って、元々そういうものなんでしょうね。 ![]() 綿内駅のホームにある名所案内。 こういうものは、良く言えば古く時代を感じさせる、悪く言えばいつまでも更新されないものが多く見られますが、ここ屋代線では全体に手入れが行き届いていました。 ![]() 駅本屋側から眺めたホームと駅舎の風景です。 ローカル電車のみならず、気動車でも急行列車でも似合う気がします。 懐かしい感じの風景です。 ![]() ホームの駅名標。 こちらはさすがにちょっと古めで、今更の修繕補修はされていませんでした。 ![]() 反対のホーム側から眺めると、駅舎はこんな感じです。 国鉄私鉄に関わらず、よく見られた造りの、感じの良い駅舎です。 ![]() 綿内駅改札付近の様子です。 柱の年輪の浮き出し具合が、長年の歴史を感じさせます。 ![]() 廃止は決まってはいますが、それまでは当り前に列車は毎日やって来ます。 但し休日の日中ながら、乗客はさほど多くありません。 ![]() 綿内駅にはほんのわずかの時間停車しただけで、すぐに須坂に向けて発車して行きました。 今でも立派な交換設備のある駅ですが、この時間は列車交換はありません。 2008年5月 ![]() 夜の湯田中駅に停車中、折り返し発車待ちの2000系です。 微妙なスイッチバック構造の駅でしたが、10000系特急導入にあわせて改良、スイッチバックは解消されました。 ![]() 湯田中に向け登る2000系列車です。 いわゆるリンゴ色に戻された2色車ですが、頭の上にクーラーが並び窓のサッシが改造され、本来のスマートさがやや失われました。 ![]() 湯田中温泉から急勾配を駆け下りてくる2000系です。 3両編成ながら「ワンマン」表示。ギリギリの経営がうかがわれます。 ![]() ローカル用の3500系は、東京は営団地下鉄からやって来た車両です。 新旧OSカーが引退したあとは普通列車用に大活躍です。 ![]() 旧塗装に戻された2000系です。 しかし元々見馴れていないので、懐かしい、と言う感じはしません。 ![]() リンゴ畑の中を、湯田中から中野に向かい下ってゆきます。 大手私鉄のマルーンと違い、相当濃い茶色のため、写真で見ると相当真っ黒い感じがします。 ![]() 休日日中の湯田中特急は、元小田急ロマンスカー10000系の独壇場です。 派手な新ロマンスカー色が、リンゴ畑に結構に合います。 ![]() 小田急時代と比べると短縮され、いかにも短い4両編成です。 もっとも長野電鉄の風景の中で見ると、程ほどといったところでしょうか。
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