かいもん4号のホームページ TRIAL20000 小海線
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小海線です。 日本で一番高い駅(普通の鉄道としては)として有名な野辺山駅や、リゾートペンションで名を上げた清里はじめ、高原の雰囲気がたっぷりのローカル線です。 本格的なハイブリッド気動車も投入され、観光鉄道としても期待されますが、佐久平では北陸(長野)新幹線とも接続し、今後の沿線開発も注目されます。
<INDEX>
1985年3月
2013年7月再訪

<小淵沢〜小諸>
1985年3月

野辺山駅到着。

 初めて小海線列車に乗車したのは、大学生時代の昭和55年3月24日のことでした。
 3月終わりとは言え、何しろ高原の野辺山付近。 まだ辺りは雪景色でした。
 この日は東京からの普通夜行347Mで未明の豊橋に到着。 午前中は飯田線の普通列車に乗車後、小淵沢発14時34分の小海線普通245Dで、終点小諸まで通して乗車しました。

最高駅。

 昭和55年当時ですから、国鉄時代。
 いずれにしても日本の普通鉄道駅の最高地点には、今も当時も変わりありません。
 現在の最高駅標識も相当古い作りのものですが、こうして見ると明らかに別物でした。

小海駅。

 私「かいもん4号」は元々列車乗車派であって写真撮影派ではなかったため、当時、列車乗車に軸足を置いた行動の時は、殆ど写真らしき写真を撮っていません。
 昔のネガを探し出して、小海線の列車からの写真が3枚も出てきたのは驚きでした。
 それはともかく。
 当時の記録によると、この日乗車したのは横軽対策の急行気動車キハ57 28号。
 小淵沢を2両で発車した列車は、清里・野辺山で一旦多数の乗客下車。
 その後この小海からは後部に2両増結されて、キハ57+52+57+55というダブルエンジンばかりの強力編成(と言っても180馬力エンジンばかりですが)で終点小諸までの運行でした。
 小海駅のホームには、「循環急行廃止反対・住民の足を守ろう 動力車長野地本」という横断幕が掲げられていた、そういう時代でした。

入場券。

 旅行中は殆ど撮っていない写真に対して、入場券はそこそここまめに購入しています。
 何しろ30数年前の再生紙で、実物は茶色に変色してしまっています。
 昔はアルバムに貼ったまま本棚に並べていましたので、相当の日焼け。 色をかなり補正してこんな感じです。

入場券。

 小海では車両増結の作業時間があり、長めの停車時間だったため、やはり途中下車(というほどではなく一旦改札を出ただけ)して入場券を購入していました。
 当時は100円。 今から考えると結構割高です。

スタンプ(小諸駅)。

 終点小諸駅のスタンプです。 しかし肝心の駅名がうまく写っていません。
 ほかの部分はまずまずなのかな、といった感じなのですが。
 鉄道弘済会キオスク謹製のスタンプ帳に「一発勝負」の結果で、押し直そうなんて考えはなかったようです。

スタンプ。

 まったく同じ小諸駅のスタンプです。
 こちらはスタンプ帳ではなく、旅行メモ帳に押した「ついで」の一枚です。
 いかにもついでの押し方で出来は良くないのですが、悔しいことに駅名だけはほぼはっきり判ります。
 小海線関係でこの日のスタンプはこれだけ。 入場券を買った小淵沢や小海では、スタンプが無かったのか手抜きしたのか記憶にも記録にもありません。
 ひたすら車窓を楽しむ>入場券購入>スタンプ>写真記録、という当時の優先順位がよくわかります。

 さて、この後は115系普通で長野へ。 更に165系急行「妙高」で妙高高原へ。 その後は115系普通で直江津へ。
 そうして直江津から夜行客車急行302列車「妙高10号」オハ47の自由席でまたまた小諸を通り、そのまま上野へと向かいました。
 わざわざ直江津まで行ったのは、一晩を過ごす「妙高10号」に始発から乗車して居場所を確保する。 そのためだけのようです。
 何しろこんなことでもしないと夜行列車が活用しにくい「信州ワイド周遊券」でした。

2013年7月再訪

小海線案内。

 小海線、2度目の乗車の記録です。
 2013年7月某日、小海線の列車でミニ旅行に出かけました。 今回は山梨県側・小淵沢から長野県側・小諸までの乗車です。
 特急から降り立った小淵沢駅のホームで真っ先に目に飛び込んで来たのは、小海線沿線の観光案内イラスト看板と、デコレーションされた駅名表でした。

乗換駅。

 今回は、新宿から中央本線の下り特急「スーパーあずさ1号」での到着・乗継です。
 小海線に乗車するのは、1980年3月以来、33年振り2度目です。
 しかし、この小淵沢駅ホームには、何度か降り立った記憶があります。
 学生時代や社会人になりたての頃、何度か「信州ワイド周遊券」を利用したことがありました。
 しかし、「信州ワイド」の自由周遊区間。 夜行列車で車中泊をするにはエリアが十分な広さでなく、あまり便利とは言えない。
 東京や大阪、名古屋、或いは金沢方面から夜行列車で出入りする当日分には全く差し支えありません。 が、エリア内だけで夜行列車を利用すると、真夜中に自由周遊区間から飛び出すことになり、一つの列車で丸々一晩過ごすことはできない。
 ということで、一番よく利用したのは、松本方面からの夜行列車をこの小淵沢で下車し、下り夜行列車に乗り継ぐ方法でした。
 当時の中央本線。 定期の急行「アルプス」、新宿〜松本・長野間の普通列車に加え、多客期には臨時の夜行「アルプス」や夜行の普通列車が運転されており、「信州ワイド」がらみでは、一番夜行列車の多い路線でした。
 ということで、昼間より真夜中の記憶の方が多い小淵沢駅です。

高原列車。

 小淵沢駅で「スーパーあずさ1号」からの乗り継ぎを受けるのは、小海線の臨時列車「八ヶ岳高原列車」です。
 多客期に3往復設定されている列車で、小淵沢と野辺山の4駅間を結ぶ観光客用列車です。
 といっても、使用される車両は普通の気動車で、違いはと言えば、何箇所かに「八ヶ岳高原列車」のサボ表示がされている程度です。
本日は夏の3連休初日。 新宿から始発の特急の接続を受けているだけあって、そこそこの人数でした。
 はるか昔の記憶を辿るに、新宿発長野行き441M夜行普通列車。
 登山客にはお馴染みの列車でしたが、この小淵沢で未明に下車すると、同じく多数の登山客・ハイカーが下車して小海線ホームに移動。 ホームが乗客と大きなリュックで溢れていたのを思い出しました。
 すでに電車化されていましたが、もう少し年輩の方なら、通称「山男列車」の客車時代が懐かしいかもしれません。

小淵沢駅。

 見た目はさほど大きくない小淵沢駅です。
 列車から降りると地下道を通り、改札に抜ける様子は30数年前と全く変わっておらず、記憶通りでした。
 しかしながら、この駅舎を外からゆっくり眺めた記憶はありません。 以前は急ぎ足の乗り継ぎか夜行列車の乗り換えだけですから、当たり前と言えば当たり前です。
 小海線乗り換え客もさることながら、予想以上に大勢の乗客が改札を出て、方々に散ってゆきました。

小海線ホーム。

 小海線列車が使用する1面2線のホームです。
 停車している列車は、野辺山行きの臨時「八ヶ岳高原列車」です。
 大きな荷物(リュック)の乗り換え客の移動や狭い跨線橋の混雑を考慮してか、接続列車から十分な時間を考慮しての発車となっています。

小淵沢駅名標。

   小淵沢駅の小海線ホーム駅名表です。
 ご覧のとおり、普通の駅名表の上に「わくわくエコランドKOUMI LINE」の別看板が取り付けられています。
 この後も出てきますが、小海線内のホーム駅名表共通のデコレーションでした。

到着と257あずさ。

 9時13分、小諸からの列車が到着しました。 この列車が小休憩後、折り返し9時57分発の小諸行き225Dとなります。
 本日はこの列車で、小海線全線を通して乗車する予定です。
 隣のホーム。
 本日は多客期のため、新宿から臨時の「かいじ173号」が続行で到着しました。

2本の列車。

 駅間距離が長く単線の、小海線小淵沢口。
 あまり大きくない線路容量につき、小諸発の列車の到着を待って、「八ヶ岳高原列車」が発車します。
 臨時2本を含め3本の特急の接続を受けて、そこそこの混雑で発車する「八ヶ岳高原列車」でした。

甲斐小泉駅名表。

 小淵沢から最初の駅・甲斐小泉までの間は、高原路線の小海線にあってひときわ急勾配の区間です。
 小淵沢を発車した列車はすぐに上り急勾配にかかり、中央本線をはるか下に見下ろすようになると大きく右に進路を変えてゆきます。
 この区間、もう少し八ヶ岳が見えていたきがするのですが、甲斐小泉に近づくに連れ木々が生い茂り、木立の中の路線という感じになってゆきました。

甲斐大泉ホーム。

 勾配がやや緩めになった気はしますが、清里までは引き続き上り勾配が続きます。
 景色も相変わらず木立の中で、まだ広々とした高原風景ではありません。
 2駅目の甲斐大泉駅。
 木立の中にログハウス風の建物は見えますが、先ほどの甲斐小泉駅と同じく、下車客は殆どありません。

清里駅名表。

 3駅目、清里に到着です。
 このあたりから高原的風景、と思っていたのですが、駅の周辺はそれほど開けた感じではありませんでした。
 名前の知名度からして多数の下車客があるのでは?と思っていた清里ですが、さほどの人数でもありません。
 小淵沢発車時には結構混雑してきた車内。 清里を出てからも相変わらず立ち客は多数でした。

最高地点。

 JR路線最高地点を通過です。
 清里〜野辺山間。 小諸行き列車だと、清里を出てから間もなくの場所になります。
 最高地点を示す標識が1本。 後ろに「最高地点」という喫茶・土産物の店があり、こちらの方が目立ちますが、別にJRが経営しているわけではなさそう。
 峠の路線のサミット最高点という感じではなく、なだらかな高原の中の一地点ですから、上り勾配から下りに切り替わったという印象は全くありません。
 標識がなければそれとは気付かないような最高地点ではあります。

野辺山最高駅名表。

 最高地点の標識に続き、「最高地点駅」の標識です。
 ここから長野県になります。
 駅としては、先ほどの清里よりこちらの野辺山の方が高いということですが、清里を過ぎると畑の中のなだらかな高原風景となり、あまり線路の高低は感じさせません。
 思いのほか下車客の少なかった清里でしたが、ここ野辺山では、観光客とおぼしき人の大部分、乗客の9割近くが降りて行きました。
 代わりに地元の人風の乗客があり、車内は定員の6割程度の乗車となりました。

小雨の高原風景。

 清里〜野辺山間以降は、こんな感じの風景が続きます。
 八ヶ岳付近は高原野菜の一大産地。 平坦な高原風景の中に畑地が広がります。
 バックの八ヶ岳方面は、残念ながら本日は麓しか眺めることができません。
 曇りだった窓の外。 次第に雨模様になり、窓に水滴がつくようになりました。

佐久海の口駅名表。

 佐久海の口に到着です。 駅名も、「信濃」「佐久」といった文字が並びます。
 観光路線としての小海線は、山梨県側の小淵沢〜野辺山間が中心ですが、小海線全体としては、長野県内の区間が大半を占めます。
 このあたりで高原風景は一変し、またまた山間の路線的風景となります。

海尻駅名表。

 佐久海の口を出ると、次は海尻駅です。
 海のない山梨県と長野県ですが、ここで「海」の文字がつく駅が続き、更に松原湖をはさんで、この線名の由来である「小海」へと続きます。
 はるか昔、今から1000年以上前に八ヶ岳山麓の大洪水によって出来た大小の湖(海)がその名の由来、ということのようです。

渓谷?風景。

 佐久海の口から小海にかけては、やや急な流れの渓流風景が車窓に眺められます。
 八ヶ岳に流れを発した千曲川は、このあたりで山塊を抜けて広々とした佐久平に流れ出ます。
 高原列車とはまた違った趣で、これまた楽しい風景です。

松原湖駅名表。

 松原湖です。
 ここは、「海」ではなく「湖」の文字が残ります。
 上に書いたように、昔の八ヶ噴山麓大洪水の際にできた湖、とのことですが、いまでもその姿を留めており、これ以外にも残るいくつかの湖や滝が、沿線の観光地となっています。

渓谷と鉄橋。

 まだまだ大きな流れとは言えない千曲川。
 このあたりは渓谷的風景で、この先佐久平の盆地に入ると、ようやく大きな川の風格を備えるようになります。
 小海線、しばらくこんな風景が続きますが、小海に近づくとやや開けた感じになってきます。

小海駅名表。

 小海線の中間地点であり線名の由来でもある小海に到着です。
 時間的にも、2時間余りの小海線の旅のちょうど半ばです。
 八ヶ岳山麓が描かれた駅名表。 ですが、残念ながら本日は車窓から楽しむことはできませんでした。

歓迎横断幕。

 小海駅の改札前に掲示された、「歓迎」の横断幕です。
快速「さわやか八ヶ岳高原号」。 JR東日本のハイブリッド気動車による臨時快速列車です。
 快速に限らずぜひ一度乗ってみたい列車車両ではあるのですが、残念ながら運転時刻が良くない。
 今回は乗車は断念です。

青沼駅名表。

 青沼駅です。
 「海」「湖」ときて、今度は「沼」です。
 次は何がでてくるか、と思いますが、山合いを走るのはそろそろこのあたりまでです。

中込駅名表。

 山合いから盆地、という感じになってきました。
 中込駅に到着です。
 沿線の駅の中では大きな構えの駅舎でした。

中込ヘッドマーク。

 古いレールを利用した、駅屋根を支えるお馴染みの造りの柱です。 今では段々と見られなくなってきましたが、ここ中込駅では昔の姿が残っていました。
 それより目を引いたのは、駅屋上に掲げられたヘッドマークの数々。 いずれも実際に小海線の臨時列車として使用されたもののようです。
 いかにも手作り、といった感じのものが多く、時間があればゆっくりと眺めてみたい品々でした。

北中込駅名表。

 中込駅から一駅置いて、北中込駅です。
 小淵沢側はやたら駅間距離が長かった小海線ですが、小海を境に小諸側は一転して短距離で駅が連続するようになります。
 小諸側から順に建設された歴史的経緯からもわかりますが、山梨県側の観光路線、長野県側の生活路線と、小海線の性格は大きく分かれるようです。

佐久平新幹線。

 盆地、と言ってしまうには広い広い佐久平です。
 ここで北陸(長野)新幹線と接続します。
 あとから出来た新幹線ですが、この佐久平駅では新幹線が下。 小海線の方が高架となり、新幹線の上を越える形になっています。
 防音壁があるとは言え、フル規格の新幹線が周囲の駐車場と殆ど変らない高さを通っているのは、目新しいと言うか、違和感と言うか。 といった感じでした。

三岡駅名表。

 三岡駅です。
 民家のすぐ横にホームがあり、どこか下町の地方私鉄のような感じでもあります。
 小海線のローカル然とした駅風景は、この光岡駅までです。

乙女駅名表。

 乙女駅です。
 この駅も民家の軒先に接するよな感じで設けられており、旧佐久鉄道としてスタートした小海線の歴史が偲ばれます。
 しなしながら、この写真の反対側・小海線の右手には、ちょうどこのあたりから旧信越本線である「しなの鉄道」の複線電化の線路が通っており、いかにもローカル線、という雰囲気ではありません。

小諸しなの鉄道。

 終点・小諸駅に到着です。
 小海線に乗車するのが2度目、ということは過去に1度、ホームに降り立ったことがあるわけです。 が、強烈な印象が残る小淵沢駅と違い、この駅に関する記憶は殆ど残っていません。
 30数年前の1度以外は、すべて列車で通り過ぎたことがあるだけの駅ですし。
 駅には小海線の列車のほか、しなの鉄道の115系。 更にはJRから乗り入れた189系が停車していました。

終点に到着。

 終点小諸に到着、お疲れ様でした。 という感じです。
 2度目の乗車の小海線。 全線、というわけではありませんが、30数年前の記憶を辿ることができました。
 次回はぜひ、八ヶ岳の見える晴れた日に、ハイブリッド気動車の旅、といきたいところです。

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