令和4年11月 新潟旅行記
2年前に新潟に行って以来、新潟からは遠ざかっていましたが、この令和4年は群馬南部、北関東、近畿地方と立て続けに旅行に行っており、正直なところ旅行自体に新鮮味を感じられなくなっていました。
そして、前回・前々回の新潟旅行で感じた「僕がいたころの新潟はもうない」感。
更に、令和4年現在も続く新型コロナウイルスの流行。
2年に一回、大学の部活の総会に合わせて新潟に行くのが通例になっていましたが、2年前に引き続きこの年も新型コロナウイルスの影響のため総会は開催される状況ではなく、正直、10月ころまでは「今年、新潟に行くのはやめようか」とまで思っていたのです。実際、11月後半には「第8波」と呼ばれる大量感染が始まっていました。
しかし、
・ 部活の先輩方にお会いしたい
・ 新潟駅が工事中で新しい外観になっているので見ておきたい
・ 新潟を愛する者として、その変化も受け入れなくてはいけない
という事を考慮し、4泊5日の新潟旅行を計画しました。
なお、今回の新潟旅行では計画段階から「これをやってみよう」という事がありました。
それは、「敢えて、往路だけ高速道路ではなく一般道を通る」。
実は僕が大学生の頃、実家に帰省し、新潟に戻るような段階になると、時折父が「新潟の獅晃のアパートまで車で送って行ってやる」と言って、下道を使って僕を送ってくれたことがあったのです。
これまでの新潟旅行では、社会人になりたての頃は電車を使い、その後車での移動になりましたが、ほとんどは高速道路を使ってきました。柏崎や長岡など思い出の場所に立ち寄る際に近くのインターチェンジで下りたり、三条燕インターチェンジで下りてから彌彦神社に立ち寄って新潟市内に行くというルートはありましたが、基本的には高速道路を利用していたのです。
しかし、今回は往路のみ全て下道を利用し、父が送ってくれた時を思い出しながら新潟に行ってみようと思ったのです。
そうは言っても、父が送ってくれたのは20年以上前のことなので、事前に父に確認し、どの道を通ったのか聞いておきました。
また、僕が小学生か中学生の時、家族旅行で上越に行った際に、途中の妙高のあたりで休憩をした記憶があるのですが、その時に立ち寄った衣料品店が妙に記憶に残っており、「あの店があったら立ち寄ってみるか」と考えました。
令和4年の新潟旅行、出発です。
● 11月19日(土)
午前4時25分 自宅出発(※なお今回の旅行は、新潟市内の最初の目的地に到着するまでは詳細な時間を記録しましたが、その後は記録していません。)
途中、某所(自宅から10キロメートル以内)のセブンイレブンに寄って買い物をしたが、精算の際に自動レジが故障。1万円をレジに入れたのだが、何故かレジ内の機械に千円札2枚が残っていたため、店員さんに「お支払いは2千円でしたか?」と言われた。苦笑いしながら「1万円を入れました。防犯カメラで確認してもらっても結構です」と伝え、しばらく待つ。5分程度待って機械の中から無事1万円札が発見され、店員さんに平謝りされながら店を後にする。なお、店員さんは防犯カメラは見に行かなかった。
途中、勤め先の支社に寄って、提出物を出していく(11月21日締め切りだったため)。
午前5時13分 国道18号に入る
午前5時43分 夜が明け始める
午前6時21分 セブンイレブン三水普光寺店に到着し買い物
午前6時45分 新潟県入り
午前6時55分 妙高市内の衣料品店「シロキヤ関山店」到着

シロキヤ関山店
30年以上前、家族旅行の帰りに一回立ち寄った記憶がある。何を買ったのか、そもそも何か買ったのかすらも覚えていないが、なぜか印象に残った。
今回来て、初めて「シロキヤ」という衣料品店だったということも分かった。
早朝なので、当然営業時間外。
午前7時26分 上越ウイングマーケットセンター到着

上越ウイングマーケットセンター
平成6年(1994年)にオープンした、当時国内最大級の施設及び日本最初の本格的パワーセンター。「上越パワーセンター」とも呼ばれていた。
ここも過去1回か2回寄っていると思うが、印象に残っているのは、おそらく大学合格直後に新潟でアパートを探すため、父の車で新潟に行く途中で立ち寄ったこと。
本当は「アパートを探しに行く途中で立ち寄った」という事実すらも忘れていたのだが、僕はここで、山崎まさよしの名曲「One more time, One more chance」を、カーラジオで聞いたか、センター内店舗のBGMで聞いたか、センター内CDショップでCDシングルを購入したか、いずれかの不確定状態の思い出がある。「One more time, One more chance」は平成9年(1997年)1月に発売されているので、時期的に考察して「立ち寄ったのはアパート探しの途中だったか」と、この文章を書き込んでいる令和4年11月27日にやっとその事実を思い出した。
このあたりから国道8号に入る。
午前8時30分ころ JR信越本線 青海川駅到着

JR信越本線 青海川駅
大学生の頃は、長野の実家まで電車で帰省する際には「通過する駅」として何度も電車の中で見てきた。日本一海に近い駅として有名。
大学2年の終わりに部活のメンバーと小旅行で仙台に行こうということになり、車で仙台を目指したが、途中で大雪になり仙台行きを断念。「じゃあどうしようか」と困っていたところ、一人の先輩が「ドラマ『高校教師』の最後のシーンで使われた駅に行ってみたい」と言い出したことで、急遽この駅に来たのを覚えている。
その後、平成18年5月7日に新潟旅行の帰りに一人で来ていることも記録に残してあった。
今回、16年6か月ぶりに青海川駅に来たら、駅舎が建て替えられていて驚いた。以前の駅舎には「来訪者用の落書きノート」的なものが置かれていたが、今回確認したらそのようなものは置かれていなかった。
このあたりから国道116号に入る。
午前10時51分 スーパーいちまん内野店到着

スーパーいちまん内野店
大学生の頃、最も利用したスーパーマーケット。
今回、買い物はしなかったが、懐かしくて店内を歩いていたら店内BGMで小田和正「ラブストーリーは突然に」がかかり、ちょっと驚く。
併設のファストフードショップ「みかづき内野店」店内で新潟グルメ「イタリアン」を食す。

スーパーいちまん内野店脇の道
画像内右の建物は、クリーニング店か何かだった記憶がある。利用したことは無かったが。
内野駅周辺を散策。

JR越後線 内野駅
もう何度もウェブサイト内で触れているが、僕が大学時代の時の内野駅駅舎ではない。

内野駅前

みやん化粧品店
内野駅前にある化粧品店。大学1年の時、一度だけ入って資生堂「アウスレーゼ」の整髪料を買った記憶がある。

スポーツショップ丸幸
内野駅前のスポーツ店。大学時代、水着を買った記憶がある。

内野四ツ角交差点

やしち酒店
内野四ツ角にある酒屋。大学時代、「峰乃白梅」や「久保田 千壽」を買った記憶がある。
今回は「鶴の友 上々の諸白」を2本購入。

樋木酒造
新潟の地酒「鶴の友」の醸造元。平成26年7月18日、ここを訪れた際、社長さんにとてもよくしていただいた。

松風堂
書店。当然本を買った覚えもあるし、僕が大学生の頃は店内にゲーム機が置かれていた。「サムライスピリッツ天草降臨」をやった記憶がある。
第四銀行は経営統合して「第四北越銀行」と名称が変わったらしい。前回来た2年前は、ちょうどその過渡期で看板が隠されていた。

JR越後線 内野駅西側 浜街道踏切

学校山橋 東詰

学校山橋 西詰付近

新川元橋(西詰(五十嵐三の町方向)から新潟大学方向を見た状況)

新川元橋西詰付近

往来橋 北詰 五十嵐二交差点
車内から撮影。

岩田たばこ店
定休日は火曜日だし(この日は土曜日)、訪ねたのは午後0時20分頃だったが、シャッターが閉まっていた。
昔は店頭に設置されていたタバコの自動販売機もなくなっている。
新川漁港周辺にも行ったが、「工事中」とか「立ち入り禁止」の看板が多かったため、写真撮影はしなかった。
時折食事に来た大学近くの食堂「うめこまち」は営業しているようだった。
今回の目的地の一つ「JR越後線 新潟大学前駅」に到着(車は少し離れている「清水フードセンター大学前店」駐車場に駐車)。

JR越後線 新潟大学前駅
時折「〇〇前駅という名前だが全然『前』じゃない」という名前詐欺駅(笑)で取り上げられる悪名高い駅。
僕自身、確実な記憶では、この駅を利用したことは大学の入学式後に下りた1回しかない。もしかしたら他に1〜2回利用した可能性も否定できないが。
ほとんど利用したことがないため旧駅舎の思い出も何も無いのだが、調べてみたところ今の駅舎は平成18年〜平成22年の間のどこかの時点で建てられた(増築された?)ものらしい。
中華料理「天心坊 大堀店」へ。

天心坊 大堀店
ここの主力は味噌ラーメンだが、僕は五目ラーメンが大好き。新潟に来るたびに寄っているが、「イカの切り方が変わった」など、年月とともに変化も分かってきた。
なお、「大学時代の思い出グルメ探訪」は、ここで終了となる。今回は大学近辺に長居しなかった。
午後2時30分頃 道の駅「新潟ふるさと村」に到着。
早々に土産を確保。酒は「萬寿鏡 甕覗」と「王紋 純米大吟醸 吟の慶(小瓶)」を購入。
ブランドショップ「サントノーレ新潟店」へ。

サントノーレ新潟店 跡地
最初、以前までサントノーレ新潟店があったはずの場所に店が無く更地になっていたので「なんてことだ。撤退したのか。」と愕然となったが、すぐ近くに新しい店舗で移転しており安心した。

サントノーレ新潟店 新店舗
Tumiのショルダーバッグを買おうか迷ったが、結局何も買わず。
本日の宿「Aホテル新潟古町」へ。
とある知人がホテルの近くで彼女さんと飲んでいて、そこに呼ばれたので3人で居酒屋で飲んだ。
● 11月20日(日)
ホテルを徒歩で出発し、万代・駅南方面へ。

流作場五差路
昔はここに「清酒 吉乃川」の大きな看板があったが、看板も建物も撤去され、アパホテルが出来ていた。

JR新潟駅 万代口
現在もなお工事中。

JR新潟駅 南口
こちらの駅舎はあまり変わっていない(南口広場自体は、僕が大学生の時は「ギリシャ広場」と呼ばれており、古代ギリシャ風のモニュメントがあったが、卒業後撤去された。)。

JR新潟駅 南口脇の階段・エレベーター施設
駅南地区へ
けやき通りのタバコ専門店「テイスト駅南」に行こうとしたら、店舗は跡形もなくなっており駐車場となっていた。

テイスト駅南 跡地
調べると、令和元年(2019年)7月20日19:00をもって閉店したらしい。
僕は大学時代からタバコを吸い始めたが、タバコは「ダビドフ・ライト」(現ダビドフ・ゴールド)を愛用しており、当時の生活圏内でダビドフ・ライトを扱っていたのは五十嵐2の町の「岩田たばこ店」と、この「テイスト駅南」だったので、大学時代は駅南に来るとこのテイスト駅南に寄っていたし、社会人になってからも時折寄って葉巻を買ったりもしていた。
過去の記録を遡ると、僕が最後にテイスト駅南に来たのは平成30年(2018年)11月16日。
前回新潟に来た令和2年(2020年)11月は駅南地区は歩かなかったので分からなかったが、もうこの時には閉店していたということを知り、悲しくなった。

白鳳学院
駅南地区にある着付け教室。僕には縁もゆかりもないが、その名前の格好良さが記憶に残っていた。車田正美のマンガ「風魔の小次郎」に出てくる学校が「白凰学院」であるため、印象深かったのだと思う。
武道具店「前山武道具」へ。ここも跡形もなくなっていた。

前山武道具 跡地
ここもビルそのものが無くなり、駐車場になっていた。
調べたところ、新潟市内(西区内野西)に移転したらしい。
この店は社会人になってから買い物をしたことは無いと思うが(買い物をした可能性もあり)、大学時代はウエイトトレーニングのセットを注文したりもした。
駅南地区の思い出の店が2店舗もなくなってしまっていたことに、ショックを隠せなかった。

駅南地区
新潟駅に戻り、駅ビルCoCoLo内「ぽんしゅ館クラフトマンシップ」、「ぽんしゅ館利き酒ミュージアム」、「ビックカメラ新潟店」、「ゼビオスポーツエクスプレス新潟駅店」へ。
何も買わず。

JR新潟駅 万代口
万代広場も整備中。

新潟駅万代口バスターミナル
ここも整備計画が進んでいるらしい。見納めかもしれない。
新潟駅を出て、「ヨドバシカメラ マルチメディア新潟駅前店」へ。
何も買わず。
正午ころ、万代シテイバスセンター内「万代そば」へ行き、新潟グルメ「バスセンターのカレー」を食べようと思ったが、大行列が出来ていたため無理と判断し、時間をずらすため新潟伊勢丹に行くことにする。
新潟交通万代シティバスセンタービルの2階広場では何かイベント(音楽イベント?コスプレイベント?)が行われていて、大勢の客がいた。

新潟交通 万代シテイ バスセンター

新潟伊勢丹
最初、Tumiのショルダーバッグを見に行ったが、食指が動かずスルー。
バカラの売り場でプレートを購入。
隣にあるウェッジウッド売り場で、廃番になったはずの「ユーランダーパウダー・ブルー」のカップ&ソーサー(リーシェイプ)が売られていたので、つい店員さんに「復刻したんですか?」と訊いてしまった。廃番品が辛うじて売れ残っているというだけだった。さすがに昨年同じものを長野県内で購入しているので、2つ同じものはいらないため購入しなかったが。
隣のビルボードプレイスへ。

ビルボードプレイス
ビルボードプレイス3階には「COLLECTORS新潟店」というメンズファッション・小物専門店があり、僕は大学時代からシルバーアクセサリーを買ったりしていたのだが、今回行ったところ、何と店が無くなっていた。後で調べたら、2021年2月14日をもって閉店したらしい。
また、新潟の思い出の場所が一つ無くなっていたことにショックを受ける。
ついでに調べてみてわかったが、ビルボードプレイスは1996年に開業。僕が新潟に来る僅か前に出来たばかりだったことを知った。
更に隣のビルボードプレイス2へ。
1階に「新潟市マンガ・アニメ情報館」があるので、前回に続き行ってみたが、今回はサッと見て終わり。
午後1時半ころ、再度新潟バスセンター内「万代そば」へ。
まだ混んでいたが、今度は少し並んだだけで食べられた(立ち食いの席を確保するのに手間取ったが)。ミニカレー(400円)を食す。
この「バスセンターのカレー」は、大学時代はその存在さえ知らず、最初に存在を知ったのは平成26年ころ。最初に食べたのは平成28年の新潟旅行時。
僕にとっては辛さが強いが、まあ、名物なので食べようという感じである。

ラブラ万代
元はダイエー新潟店だったが、平成17年11月30日をもって閉業。その後、複合商業施設「ラブラ万代」となった。
ロフトなどが入っているが、今回は寄らなかった。

COZMIX(コズミックス)ビル
1997年に竣工したオフィスビル。
新潟日報メディアシップへ。

新潟日報メディアシップ
新潟日報社の本社や一般向けテナントが入っている。平成25年(2013年)竣工。風を受けて進む帆船(北前船)をモチーフにしている。
平成26年7月17日に初めて来て以来、内部に入るのは2回目(だと思う)。
20階の展望フロアへ行ったところ、展望フロアの半分は新型コロナウイルスワクチンの接種会場として使われていた。
なお、昔この地には総合レジャービル「ミナミプラザ」が存在しており、パソコン店「ソフマップ」がテナントで入っていたことを覚えている。
大学・学部の卒業記念式典はここでやった(もう詳細は覚えていないが)。
ミナミプラザ自体は平成19年(2007年)に閉鎖、平成20年(2008年)に撤去工事が始まったらしい。

メディアシップ20階展望フロアから東側を見た風景
画像中央に見える建物は、ANAクラウンプラザホテル新潟。

メディアシップ20階展望フロアから北側を見た風景
高いビルは万代島ビル。
新潟港、信濃川の終点が見える。

メディアシップ20階展望フロアから西側を見た風景
萬代橋を上から見下ろしたところ。
萬代橋近くの「やすらぎ堤」へ。

やすらぎ堤から見る萬代橋
古町方面へ。

古町の商店街「ぷらっと本町」 柾谷小路口
宿泊先のホテルに戻り、しばらく休憩。
夕食を取ろうと古町をしばらくうろつくが、適当な所を見つけられず、結局ホテル併設のレストランで「越後御膳」という、すきやき定食的なものを食べた。
近くのコンビニエンスストアでビール(新潟限定ビール「風味爽快ニシテ」)、つまみ、飲み物を買って部屋で過ごす。
● 11月21日(月・休暇取得)
本来、ホテルで朝食は頼んでいなかったが、食事先を探すのも面倒になり、急遽ホテルの朝食バイキングを頼む(前日の夕食を食べたホテル併設レストラン)。
このホテルは事情があり2泊しかできないので、駐車場で精算をしてホテルを引き払う。
目的地の一つ「JR越後線 白山駅」へ。

JR越後線 白山駅
この白山駅は、過去3回程度しか利用したことがない。1回目は大学入学式の帰りであり、これは確実に利用した。2回目は事情があり新潟市陸上競技場へ新潟アルビレックス対ベルマーレ平塚(湘南ベルマーレ?)のサッカーの試合を観に行った時で、これは記憶があいまい。もしかしたら白山駅は使っていないかも知れない。で、当初「1〜2回しか使ってない」と思っていたが、記録を見返していたら平成20年8月3日に白山駅から越後線を使って新潟駅に行っていることが判明した。記録は残しておくものだとしみじみ思った。
昔はもっと見通しがいいというか、何もない所だった記憶があるが、今回行ったら駅前広場がバスの待合所としてかなり整備されていた。後で調べたら、平成20年ころまでは旧駅舎だったが、その後整備が始まり、平成25年頃に新駅舎と南北自由通路が使われ始め、駅前広場も平成27年に完成したらしい。

新潟市陸上競技場
大学時代、事情があって一度だけ「アルビレックス新潟vsベルマーレ平塚(もしかしたら「湘南ベルマーレ」に名称変更していたかもしれない)」のサッカー試合を見に行ったことがある。
新潟市体育館へ。

新潟市体育館
ここは、大学の入学式をやった場所。
今回、中に入った時は、何人かでバドミントンの練習をしていた。
新潟大学旭町キャンパスへ。
新潟大学のキャンパスは、僕が在学当時、本部や大多数の学部がある「五十嵐キャンパス」と、医学部・歯学部がある「旭町キャンパス」の2か所があったが、実は僕は旭町キャンパスを見たことが無かったので、今回初めて見に行くことにした。
新潟大学病院(これを見るのも初めて)の駐車場に車を駐車し、歩いて旭町キャンパスへ。

新潟大学病院

新潟大学医学部 赤門
赤門は国の登録有形文化財になっているらしい。
「みなとのマルシェ ピアBandai」へ。
飲食店、魚介類・肉類・農産物販売店、酒類販売店などが集まった複合商業施設。
酒類販売店「ナチュレ片山 ピアBandai店」で酒や蛇の目盃を購入(なお、この時購入した酒「北雪 NOBU TK40(小瓶)」は訳あって同僚に譲ってしまった)。なお、このナチュレ片山は、僕が大学時代よく買い物に行っていた「セルフ片山」の後継店舗らしい。
「佐渡 廻転寿司 弁慶 新潟ピア万代店」で早めの昼食をしようと思い、整理券を貰ったが、待ち時間40分と言われキャンセルする。
すぐ向かいに「別館 立ち食い 弁慶」という店があったので、そこで昼食。真鯛、本マグロ赤身、佐渡産ヒラメ、佐渡産キジハタ、佐渡産のどぐろ、佐渡産アラ、佐渡産アワビを食す。安くて美味。
朱鷺メッセへ。車で移動したが、途中道を間違え、大幅に遠回りして立体駐車場に入る。

朱鷺メッセ 万代島ビル
地上31階、高さ140.5メートル。

朱鷺メッセ内 エスプラナード
全長340メートルの公共歩廊。
僕が大学生の時は建設途中で存在さえ知らなかったが、このころ「万代島再開発」というワードをよく聞いていたので、今にして思えばこの朱鷺メッセがそれだったのかもしれない。
新潟県の施設となる「新潟コンベンションセンター」は平成14年(2002年)竣工、民間ビルの「万代島ビル」は平成15年(2003年)竣工。
前回来たのは平成24年7月26日。10年以上ぶりに来たことになる。
なんと、万代島ビル5階の新潟県立万代島美術館で「庵野秀明展」をやっていたが、ちょうどこの日は休館日。
31階の「Befcoばかうけ展望室」へ。

万代島ビル31階「Befcoばかうけ展望室」から新潟港や信濃川河口を見た風景
カフェスペースで庵野秀明展コラボメニューを出していたので、「綾波レイのブルーカルピス」を注文。
カフェスペースの窓ガラスにはエヴァンゲリオン初号機や他の庵野作品のキャラのフィルムが貼られていた。

庵野秀明展コラボメニュー「綾波レイのブルーカルピス」
青い部分はゼリー。

窓ガラスに貼られたエヴァンゲリオン初号機のフィルム
撮影位置を工夫して「萬代橋を駆けるエヴァンゲリオン初号機の図」にしてみた。
売店で「ばかうけ」とエヴァンゲリオンのコラボ商品「あんたバカぁ?うけ」を販売していたので、4つパックのものを3個購入。
本日の宿泊先「ホテルCラウンHルズ新潟」へ。
最初、ホテルの契約駐車場が分からず、別の駐車場に入ってしまい、駐車場代300円を無駄に支払うことになった。
ホテルに荷物を置いて、徒歩で某嗜好品専門店へ。
この店は、平成26年10月31日に初めて行って以来、新潟に行く際は必ず訪ねている。行くと必ず2時間ほど店主と話す。
今回も6万円近く買い物をしてしまった。
店主に寿司屋を紹介してもらったが、店主が予約の電話をしたところ定休日だった。
一度ホテルに戻り、午後6時台に新潟古町でも有名な寿司屋「丸伊」へ行き夕食。

鮨・割烹 丸伊(この写真は11月22日に撮影したもの)
ここは平成26年10月31日に、前述の店主に紹介されて行ったところ(今回予約を取ろうとして定休日だった寿司屋は別)。
8年ぶり2回目の来店。
おまかせで握ってもらい、ヒラメ、鯛、アオリイカ、ホタテ、南蛮エビ、アジ、ブリ、マグロ中トロ、イクラ軍艦、ウニ軍艦、玉子。追加でキジハタ、のどぐろ、アナゴ、トロ鉄火巻を食す。
ホテルに帰り、道の駅新潟ふるさと村で買った「王紋 純米大吟醸 吟の慶」を飲む。大変においしい。
就寝。
● 11月22日(火・休暇取得)
この日も、急遽朝食をホテル内のレストランでバイキングで取る。一度レストランに直で行ったが、フロントで朝食券を購入する必要があると説明を受け、フロントに行ってから再度レストランへ。
午前10時前 古町の散策開始

古町7番町商店街 柾谷小路口

新潟眼鏡院
僕が新潟にいたころから変わっていない外観でホッとする。入ったことは無い・・・と思ったが、もしかしたら社会人になってから興味本位で入ったかもしれない。

古町6番町商店街 柾谷小路口

天佑堂
古町6番町商店街 新津屋小路口にあるタバコと万年筆の店。大学時代や社会人になってから1〜2回入っているかも知れない。
今回、久しぶりに入ってみた。特に何も買っていないが。

古町5番町商店街 新津屋小路口
徒歩で、上古町商店街へ。

上古町商店街
ここを歩いて通るのは平成20年8月以来かも知れない(他にも少し歩いたことはあるかも)。
社会人になってから間もない時期、おそらく平成15年7月に、西区のハードオフ新潟新通店(?)で中古の時計を買ったのだが、そのメタルバンドの調整をこの商店街の時計店でお願いしたことがある。
今回、その時計店を探してみたが、この商店街には時計店が2店あり、僕の記憶も曖昧なので特定できなかった。
白山神社方面へ。

白山神社
今回の旅行は珍しく、神社仏閣への参拝がゼロである。この白山神社も鳥居を撮影しただけ。

新潟県政記念館(旧 新潟県議会議事堂)
平成20年8月3日、初めてここに来ている。初めて来た時は内部も見学したが、今回は外観写真を撮っただけ。
昔、白山神社の近くに「近藤武道具」という武道具店があったが、それももう見当たらなかった。
古町中心部に戻る。

居酒屋 越乃赤たぬき 古町店
大学時代、部活の飲み会で一度だけ来た記憶がある。

古町ルフル
昔、百貨店「大和新潟店」だった場所。令和4年現在はテナントビルになっている。

ホテル イタリア軒
記録を見返すと、平成24年7月にここに宿泊した。

旧 新潟三越
令和2年(2020年)3月22日、閉業。

NEXT21
平成5年(1993年)5月にグランドオープンしたテナントビル。平成15年(2003年)に朱鷺メッセ(万代島ビル)が出来るまでは新潟市で最も高いビルだった。今もなお、その特徴的な形から新潟市のランドマークの一つとなっている。平成29年(2017年)には新潟市中央区役所が入るなど、行政拠点としての機能を持つようになっている。
19階の展望フロアへ。

NEXT21 19階展望フロア 大展望ラウンジ
19階は大展望ラウンジ(東側)と小展望ラウンジ(西側)があったが、小展望ラウンジは2013年にオープンした結婚式場に組み込まれているため一般開放されていない。大展望ラウンジも結婚式の会場として利用することがあるため、一般の出入りが禁止になることもあるらしい。

NEXT21 19階展望フロア 大展望ラウンジから北東方面を見た風景
高いビルが朱鷺メッセの万代島ビル。
西堀ROSA(にしぼりローサ)へ。

西堀ROSA 出逢いの広場
西堀通の地下にある地下街。昭和51年(1976年)竣工。本州日本海側随一の規模の地下街。
大学時代は来た覚えがない。

古町9番町商店街
昼食は、昨日、馴染みの店の店主から紹介された寿司屋「港すし 古町本店」へ。

港すし 古町本店
おまかせで握ってもらい、ヤリイカ、南蛮エビ、ヒラメ、アジ、マグロ赤身、ホウボウ、イクラ軍艦、マグロ中トロ、小鯛、ウニ軍艦、アナゴ。追加で鉄火巻を食す。
食事後、紹介してくれた店主にお礼の電話をかける。
ホテルに戻り休憩。
午後6時前、ホテルを出発し、ホテル直近の居酒屋へ。
午後6時半ころ、部活の先輩2人と合流。
二次会はバー。初めて「チャイナブルー」というカクテルを飲んだが、とても美味しく、カクテルの材料であるライチリキュールを買って自分でも作ることを決める。
二次会終了で解散。
ホテルに戻り就寝。
● 11月23日(水・勤労感謝の日)
※ この日はまともな写真撮影はしていないため、掲載する写真がありません。
午前9時前にホテルをチェックアウト。
初日に行った「道の駅 新潟ふるさと村」に再度行き、追加で土産を購入。
ふるさと村バザール館内でアンティークショックの出店があり、ロイヤルアルバートのティーカップが気に入って買ってしまった。税込みで5000円程度。
朝食はバザール館内の出店で売っていた肉まん。
燕市へ。大学時代の友人T・Y君が昨年新潟市から三条市に引っ越したため、燕市のコンビニで落ち合うことになった。
正午過ぎ、T・Y君と合流。
T・Y君の案内で、僕の車で「いちぶん」という蕎麦屋に行き昼食。店内は混んでおり、少し車内待機。鴨南蛮そばを食す。
その後少しドライブをして、T・Y君のアパートに行き、40分程度世間話。
午後3時30分ころ、T・Y君のアパート出発。
途中、ナビを使っていたにもかかわらず三条燕インターチェンジまでの道が分からなくなり迷う。
やっとのことで三条燕インターチェンジに入ったが、今度は車の燃料が足りないことに気づき、ガソリンスタンドがある次のパーキングエリア・サービスエリアまで走行するのは厳しいと判断。栄パーキングエリアのスマートインターチェンジを利用して高速道路を下りる。
給油したあと、中之島見附インターチェンジから再度高速道路に流入。
米山サービスエリアで休憩。
松代パーキングエリアで夕食(タレカツ丼)。
松代パーキングエリアで食事中、遠くで花火が打ちあがる音がしたため、食事後に駐車場から見たところ、長野市内で花火が打ちあげられていた。
上田菅平インターチェンジで高速道路を下りる。
午後8時過ぎ、勤め先の統括拠点に行き、必要な物を受け取ろうとしたが、統括拠点の人間が急用のためしばらく戻れないという事態となり、明日の朝に受け取ることにする。
午後8時25分頃、自宅到着。
今回の旅行の総移動距離 584.8キロメートル。
給油回数 1回。
今回の旅行はこんな感じでした。
今回の新潟旅行は、いつもとはちょっと違い、
大学時代の思い出のグルメ探訪をほとんどしない(イタリアン、バスセンターのカレーは大学時代知らなかった)
大学周辺をほとんど探索しない(大学の敷地には、旭町キャンパスも含め一切足を踏み入れなかった)
という特異なものでした。
また、これまでは無視していたというか、思い出にも残っていないような、新潟大学前駅や白山駅にふと行ってみたくなったのも、心境の変化かも知れません。
新潟は言うまでもなく海沿いなので海鮮が美味しいのですが、今回は寿司を堪能し過ぎました。正直、しばらく寿司は食べる必要ありません。
本当は美味しい村上牛をガッツリ食べたかったのですが、まあ、これは次の楽しみとしておきましょう。
大学時代の思い出の味(担々麺屋、万人家、吉相、はりま屋、うめこまち)は今回堪能しなかったですし、新潟名物のへぎそばも今回は食べていません。
大学周辺も一部行っただけで、大学構内や寺尾、小針、青山、大堀幹線沿いには行きませんでした。
大学時代のアパートは、前を通りかかりましたが、寄ることはせず、大家さん(の息子さん)にも会いませんでした。
「次の新潟旅行ではあれをしたい、これをしたい」と、次に来る時の楽しみも既に頭の中には描かれている状態です。
反面、今回も時の流れをまざまざと感じてしまう旅行でした。
青海川駅は駅舎が建て替えられていました。
第四銀行は「第四北越銀行」に名称変更していました。
岩田たばこ店は、定休日ではない日に行ったけど開いていませんでした。これは臨時休業であったと思いたいです。
サントノーレ新潟店は直近にではありますが移転していました。
新潟駅は駅舎が建て替えられ、万代口の駅前広場は現在も工事中です。
テイスト駅南は無くなっていました。
前山武道具も無くなっていました。
ビルボードプレイス内のCOLLECTORS新潟店も閉店していました。
白山駅は大分様子が変わってしまいました。
近藤武道具も見当たりませんでした。
新潟大和跡地は別のテナント施設になっていました。
友人T・Y氏は新潟市から引っ越していました(これは今年の正月に本人から聞いていましたが)。
以前も書きましたが、「新潟は大好きな思い出の場所である」「しかし僕が過ごした頃の新潟とは様子が違ってきていて、失われてしまった物も多く、見るのが辛い」という想いが複雑に絡み合っているのです。
もちろん、新潟には今後も行きます。2年後かもしれないし、もしかしたら来年行くかもしれません。
ただ、新潟に行って感じるのが「懐かしいなぁ」よりも「変わってしまったなぁ」が多くなるのに切なさを感じているのは否めません。
新潟に行くと会って下さる先輩方、友人T・Y君。いつもありがとうございます。
またお会いできるのを楽しみにしています。
(このページは、令和4年12月29日にアップしました)