【廃墟マニヤ File001】
H島礦(長崎県)
(その12)
大正5年建築という日本最古の鉄筋コンクリート製集合住宅である30号棟までたどりつくと、ようやく鉱場側を眺めることができます。この30号棟は台風の被害を一番受けやすく、下請業者の住居となっていたそうです。
確か30号棟裏手だったような…。本当は30号棟の中庭の写真を撮りたかったのですが、これまた地図がなかったため忘れてしまいました!
鉱場の南西端です。地図と照らし合わせてもどれがどの施設なのかイマイチよくわかりません。実はこの先にプールがあって、見ようと思っていたのですけれど、やっぱり忘れていました。う〜ん……。
会社事務所だと思うのですが……。
左から竪坑入坑桟橋入り口、総合事務所、会社事務所……ですかね。
上のほうは風の通り道となるのでしょうか。赤く錆びた鉄骨しか残っていません。
捲揚櫓の脚部のようです。位置的に第二竪坑櫓のものでしょう。キレイに錆びていますね。
こちらの建物にちょっと立ち寄ってみることにしました。
(続く)
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