【廃墟マニヤ File001】
H島礦(長崎県)
(その10)
57号棟の屋上に突き出ているのはカマド用の煙突ですね。H島神社の社も見えます。
最上階が激しく崩壊しているのは鉱員社宅だった59号棟と60号棟。
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踊り場に誰かが持ってきたのでしょう、パチンコが放置されていました。地下パチンコ屋にあったものでしょうか?
いつか観た戦争映画のなかの街並みを思い出させるような眺め。
無事外に出ました。この辺りはいつ上からコンクリート片が落ちてきても不思議ではない「カテゴリー超級」(ツール・ド・フランス風に表現)の危険度です! 写真の65号棟横はマーケットになっていたとのことですが、およそそんなふうには見えません。
「潮降り町」と呼ばれた辺り。右側が海になります。正面にちょっと見えるのは「地獄段」ですね。
建物は水平通路で繋がれているものが多く見られました。左は「日給社宅」(16〜19号棟)、右は木造の体育館が台風で倒壊したあと防潮壁の役割を兼ねて建てられた51号棟。
有名な「地獄段」。地図を忘れたため、ここからH島神社に行けるということがわからず、通過してしまったのが悔やまれます。
外洋側は本当に荒れており、歩くのに苦労しました。写真はおそらく51号棟の裏手あたりでしょう。右の壁は護岸で、この裏はもう海です。島のこちら側は携帯が圏外になってしまい、なんとなく落ち着かない気分……。
(続く)
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