【廃墟マニヤ File001】
H島礦(長崎県)
(その2)
「G艦島」の存在自体は子どもの頃から知っていたのですが、実際に行ってみたいと思ったのは、今から20数年ほど前でした。
確か、まだ写真集なども出ておらず、漁船をチャーターして行くらしいといった噂だけが伝え聞こえてくるような状態で、仲間でツアーを組んで行こうという話が盛り上がったのですが、結局どこに行ってどうすればいいのかなど全くわからなかったため(というか、ちゃんと調べようとする人間がいなかったわけです)いつの間にかその話もたち消えとなってしまいました。
しかし、ここ何年か鉱山跡を色々見て歩くうちに、どうしても海に取り残された炭鉱跡というのを見てみたいという想いが強くなり、ついに2003年、およそ20年ぶりに長崎を訪問することを決心しました。
ところが、2001年に所有が三菱から高島町に移ったことなどもあり、上陸が非常に困難になっていたのです。もう数年前に行っていれば……と思っても後の祭り。
それでも現地に行けばなんとかなるかも、ということで、とりあえずリーガルな周遊観光の船だけ予約して長崎へ飛び立ったのです。
……というわけで、こちらは合法的な周遊観光船からの姿。11月にしては異様に暖かく、波も穏やかな日でした。
島の北側から近づいた船は島の周りを左回りに回っていきます。廃墟となった高層建築が密集しており異様な雰囲気です。こちらは外洋側で住居区となっていました。
護岸の高さも4階分ぐらいあります。しかし台風時にはこの護岸を越えて波が押し寄せるというのですから、自然の力は恐ろしいものです。
船は南西側に進みます。
鉱場側が見えてきました。
おそらく中央の岩場が、元々あった岩礁部分でしょう。
鉱場の施設はあまり残っていないようですね。
(続く)
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