【廃墟マニヤ File001】
H島礦(長崎県)
(その1)
廃墟ファンであれば誰しもが一度は訪問したいと思っている長崎県の海底炭鉱の島です。正式な名称は、末期には三菱の会社組織の変更により変わっていたかもしれませんが「三菱石炭鉱業株式会社T島礦業所H島礦」(T島はお隣の島、高Sですね)だったようです。あらためて説明の必要はないかと思いますが、一応簡単にその沿革を記しておきましょう。
(説明を飛ばしたい方は、この頁末へ)
長崎は野母半島沖の岩礁に石炭が発見されたのが1810年。そして、1870年頃石炭の採掘が始まりますが、本格的に採炭が開始されたのは明治23年(1890年)、三菱に買収されてからのことでした。ちなみに、この端Sから採掘された石炭は主に八幡製鉄所で製鉄用原料炭として使用されたそうです。
その後ズリを利用して数次にわたる埋め立てを行い、明治末までに長さ約480m、幅約160m、当初の岩礁のおよそ6倍の面積となる6.3ヘクタールという、ほぼ現在のH島の姿が出来上がりました。
太平洋戦争に突入した昭和16年(1941年)には年間出炭量41万トンを記録するほどにまで発展。戦後も復興特需で成長を続け、昭和34年(1959年)には島の人口も5259人を数えるほどになりました。
しかしご存じの通り、エネルギー政策の転換により石炭産業は斜陽を迎えます。さらに昭和39年(1964年)、坑内で爆発事故があり、消火のため坑道内に注水を行い出炭が長期に渡りストップ。これをきっかけとして急激に島の人口は減少していきます。そして昭和49年(1974年)1月15日、ついに閉山。同年4月20日の商船定期便の廃止をもって、島から完全に住民の姿は消えました。
残念ながらあまり炭鉱関係の施設は現存していませんが、このH島では日本でも最古の鉄筋コンクリート高層集合住宅群を見ることができます。ここよりもっと広い廃墟はありますが、その密度からいっておそらく日本最大規模の廃墟と言えるでしょう。
満足度:★★★★★
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