アンティグアでは、週半分は夜遊びに出てた・・・かな?
アンティグアの夜は午前1時まで。バーは午前1時で閉めなければならないらしい。
が、朝まで飲める闇バーがこそっと(?)あったけど。
面白いことに・・・とゆーか、女性の特権?欧米人男性と行くとほとんどおごってもらえた。
「何飲む?」と聞いてきて、カウンターで買ってきてくれ、ドリンクがなくなるとすぐにまた買ってきてくれる。
「お金持ち〜」って言いたいところだけど、彼ら曰く「安いからね」って。確かに。有難い。
一番よく行ってたのが、リッキーズ・バー(Ricky's Bar)。
中央公園からすぐ、4a Av.Norte通り沿いの市庁舎の裏手あたり。
アンティグアに来た欧米人からもたらされたのか?
ハッピーアワー(Happy hour)(関連《アクティビティ〜パーティ》)
と書かれたチラシをよく目にした。
それぞれのバーとかで、決まった曜日(木曜日が多い?)の決まった時間帯(7時から10時が多い?)に
ドリンクが安かったり、何かとサービスがある。
アルバロやベアトリースたちとちょこちょこ行ってた
オニス(Onis)は、市内観光《街角散策》に写真と説明あり。
2〜3回行ったのは、パウロの行きつけの店レインボー(Reinbow)。
7a AV.Surと6a Calle Ponienteが交わる角にあり、店内には
旅行代理店、インターネット、書店、レストラン、バーと揃っている。
同様2〜3回行ったのは、バルボアが木曜日にDJしていた
カフェ・ペルー(Cafe Peru)。
5a Calle Ponienteのオニスの斜め前ぐらい。
そうそう、ガリーナとカフェ・ペルーへ一緒に飲みに行ったとき、
同じ学校の生徒で日本に空手で1年ほど滞在したことのあるイギリス人(名前忘れた)に
バッタリと出会い、3人でいろいろ話してたんだけど・・・日本にいた経験があるのもあってか、鋭い年齢ツッコミがあった。
カフェ2000(Cafe 2000)は、5a Calleと6a Av.の交わる角にある。
広い店内には大型テレビがあって、映画上映していたりする。地元人や外国人が入り乱れて人が多い。
何人かで行ったものの座るところがなくて、一杯おごってもらって飲んだだけ。
マヨ(Mayo)は、テッドが連れて行った場所ゆえ、はっきりわからない。
私がアンティグアを去る最後の飲み会で、翌日はテッドがエイドリィとともにアメリカへ一時帰国するということで、
パウロや郵便局で会ったイギリス人(名前忘れた)と、リッキーズ・バーで飲んで酔っ払ったあとに行ったお店。
トレロス(Toreros)は、地元人が集うサルサバーで、よく行ってた。
メルカドやバスターミナルのすぐ裏手のAvenida de la Recoleccionにある。ただ、
夜は特に人通りが少ないうえ、バスターミナル敷地を横切ることになるので、ひとりでウロウロと言うのはさすがに怖い雰囲気がある。
アルバロやベアトリースなど地元の人たちと一緒に行ってたし、帰りもタクシー乗合いか、送ってもらうかだった。
カシュバ(Cashba)も、サルサバー。ベアトリースが連れて行ってくれたので、場所はわからないし、
結局1度しか行かなかった。
ここは入場料Q20(1ドリンク付)を払うので、はっきり言って地元人はほとんどいなくて、人も少なくて、のびのびと踊ることができる。
市内観光《街角散策》にも書いたけど、アンティグアでは、
あちこち出かけると、学校の生徒や先生、地元の知り合いなど、必ずといっていいぐらい知ってる誰かに出くわす。
昼間だけではなく夜も。一番よく出くわした夜について・・・
《ここでの主な登場人物(飲み仲間)紹介》
・ 夜遊び〜店紹介 《主な登場人物(飲み仲間)紹介》+α
午後6時半からだいたい7時半までみんなとお話ししながらの夕食。その後、宿題あれば勉強、またはシャワーを浴びる。
で、だいたい9時に待ち合わせして飲みに出る。たまに8時から・・・このときは宿題またはシャワーは夕食前までに済ませておく。
夜遊びと言っても、これもスペイン語会話実践の場。地元の人はもちろん、
他国の人たちともスペイン語だけで話すようにしていた(英語話せないとみんなに言っていたので・・・)。
部屋でひとり勉強しているよりは頭に入る。
いろんな人たちと一緒にお酒飲んで楽しんで、スペイン語会話の練習も出来て、一石二鳥(?)・・・ものは考えよう。
バーでのだいたいの相場は、ビンビール350mlがQ10〜12(約150〜180円)、
みんなで飲む大ビンビール1リットル(もっとあった?)がQ20〜25(約300〜380円)、
中南米でポピュラーなキューバのカクテル、クーバリブレ(キューバリバー/ラム+コーラ+ライム)がQ15(約230円)とこの程度。
で、地元人と行くと、それぞれ出すか私がおごるか。地元人からしたら、私の方がお金持ってるからね・・・。
でも、ある程度収入のある地元男性陣たちからは、1度はおごってもらったりしてたけど・・・。
とにかく、私の夜遊び代は0円から3軒ハシゴしても1000円超したことはなかった。皆さん、有難う!
入口入って行くとテーブルが並んであるスペースがあり、レストラン風。そこを通り過ぎた奥にバーカウンターがあり、
バースペースとなっている。スタッフが欧米人というのもあるのか、
どちらかと言えば、地元の人より欧米人が多く集まる。欧米人の交流の場って感じ。
イクシェル・スパニッシュ・スクールの先生、生徒面々がよく行くとゆーのもあってか、
リッキーズ・バーに行くと、地元の友達か、知り合いの外国人か、誰かが必ずいた。
リッキーズ・バーもハッピーアワーがあったけど、何曜日だったか?
クーバリブレが10時まで半額というときがあり、テッドと
ジェームスがバリバリおごってくれた・・・。
主に午後から夕方にかけて行って、ビール飲んでた・・・夜は、ガリーナと
一緒に一度行っただけかな?
お店の雰囲気は落ち着いていて、静かに飲める感じ。テーブルとカウンターがあり、スタッフは地元のおじさん(?)とお姉さん(?)がいた。
中に入るとテーブルが並ぶ広いレストランがあり、道路沿いの一角に仕切られたパブ&ダンスホール(小さい)があった。
バーカウンターは欧米人がいるせいか、やはり地元人より欧米人が多い。
私自身、実年齢を言ったことないし、まわりから28歳ぐらいと言われ、肯定も否定もしてなかったんだけど、
彼曰く「30歳は過ぎているはずだ。日本人は実年齢より若く見られるからね」・・・す・するどい!
ガリーナも「そーなのぉ?」と驚きまくり。別にいいんだけどさ・・・。
モノ・ロコ(Mono Loco)は、テッドとジェームスに連れられて行ったので、場所はわからない。
レストラン・バーって感じでソファーテーブルがあり、大型テレビでサッカーとかを放映していた。
インターネットや本屋も兼ねてた。
ここで、3人でピザを頼んで食べたんだけど、翌朝、テッドが「お腹は大丈夫か?」と聞いてきたんで、「どうもないけど?」
と言ったら「信じられない」と首を振った。どうやらテッドはこのピザにあたったらしく、その日一日寝込んでいた。
だいたい、屋台のもの食べてもあたったためしがない私ゆえ、
別に火が通ったピザ食べて、あたるわけないんじゃん!と思いつつ、同じピザを食べたジェームスは、
早朝にホンジュラスへと旅立ったので、どうだったのかは知る由もなし。
午前1時過ぎてもやっている闇バー?
この日は、ちょうどダンスパーティらしき催しものがあってた?
中庭で飲んで踊って・・・安静にしなくちゃいけないテッドも一緒に踊ってたけど?
午前3時ぐらいに帰ったよーな?やっぱり帰りはイギリス人の彼がちゃんと送り届けてくれた。いい人だ・・・。
入口では必ずバックの中身をチェックされ、それから中へ入る。
1階にカウンターバーとテーブルとダンスフロアがあり、ダンスフロアーの奥から階段上って2階へ行くとテーブルがあり、
階下を望める。
地元人はサルサ踊れる人がわりと少なく、ノリがいいメレンゲが得意。
メレンゲになるとフロアーがギュウギュウになるぐらい皆踊りだす。
メレンゲはいろんな人と踊ったけど、サルサはサルサを教えている J か、彼の友達の A か、
サルサの上手なメキシコ人と踊るくらい?
日本人らしき人たちも見受けられたけど、踊ることも話すこともなかったかな?
メキシコから仕事で来ていたインディヘナ風(長い黒髪を後ろで束ねてた)の男性(名前忘れた)がいて、
誘われて踊ったら、めちゃめちゃ上手。踊りやすい。彼とは結構踊りまくった。トレロスで会ったときも踊ってた。
と、彼と一緒に来ていたドイツ人の若い青年は、彼からサルサを習っているらしく、いつの間にか、私を練習台にして
レッスンが始まった。メキシコ人がワザを教え、それをドイツ人青年が真似をするのだけど、
うーむ・・・律儀だと言われる日本人とドイツ人。ワザに一生懸命で、リズムが全然合ってない。
(関連スペイン語学校/アクティビティ〜ダンスレッスン)
ちなみに、一緒に行ったジェームスは見るのが楽しいと言って踊ることはなかった。
昼間に道端で会ったバルボアから「今晩、カフェ・ペルーでDJやるから来て」と誘われ、簡単にお店の場所の説明を受けた。
夜、ガリーナとデニスが担当の先生たちに飲みに誘われたからと、途中まで一緒に行き、彼女たちもあとでカフェ・ペルーへ
行きたいと話していたので、場所説明をして別れた。
で、一人カフェ・ペルーへ向かっていたものの、勘違いして覚えてたようで(まぁ方向音痴とも言う・・・)、途中、道を曲がった。
カフェ・ペルーないな・・・と思いつつ歩いていると、見たことのある店・・・と思ったら、レインボー。
あれれ?と角を曲がってバーカウンターのある出入口を通ると、中から聞き覚えのある声・・・パウロとカナダ人のカレンがいた。
パウロも「どうしたの?一緒に飲もうよ」と言われたけど、「カフェ・ペルーへ行きたいのだけど・・・」
パウロに説明を受け、その通りに行ったらあった。けど、ガリーナたちに間違った道を教えてしまったゆえ、
ガリーナたちのいるお店へ再び向かうことにした。
てくてく歩いていたら、道端に停まった車の陰から「わぁぁぁ!!」と私の名前を叫びつつ二人の女性が出てきた。
「ひゃぁ〜!」ってびっくりしたら、学校の先生のヘレンとシンティア(《授業内容&先生たち》)。
彼女たちは、私が歩いて来ているのに気づき、驚かすために車の陰に隠れていたらしい。
彼女たちは大笑いしながら「何しているの?どこ行っているの?」としばし話しをして別れ、ガリーナたちのいる店へ。
店の名前を忘れたけど、広くてけっこうお洒落なバー。総督府の裏手あたりの5a Av.Sur沿いにあったと思う。
中へ入ると、ガリーナたちの影かたちもない。と、カウンターに座っていたのは、1週間だけイクシェルにいた生徒なのに、
何かとご縁があった女性2人(名前忘れた・・・関連パナハッチェル(アティトラン湖))。
「イクシェルの人たちが来てたと思うんだけど?」と聞くと、来てすぐにリッキーズ・バーへ移動したとのこと。
な〜んだと、再びカフェ・ペルーへ行き、バルボアと飲んでいると、なんとアルバロとベアトリースがお店に入ってきた。
で、そこでアルバロとベアトリースと盛り上がり、バルボアを置いてトレロスへ。
トレロスでは酔っ払いAに会い、私にやたら絡んできてたAをベアトリースが追っ払ってた・・・。
とにかく、バルボアと飲む約束で出てきただけなのに、結局、行く先々で、それもほんの2〜3時間そこらでよく出会うもんだと
感心した夜だった。
テッドはアメリカ人。シカゴのIT関係で働いていたらしいけど、辞めてグアテマラに来ていた。
アンティグアに来てすぐにアグア火山登ったら、そこで暴漢に襲われ、あばら骨にヒビが入って、3ヶ月は安静だと言われて、
結局アンティグアに居座ることになったらしい。
真向かいの部屋に住んでいたものの、私が入って2週間後に学校辞めてからは一人暮らしをし始めた。
勉強嫌いなのか?スペイン語はイマイチで自国語英語を話したがる。
やっぱアメリカ人やね〜(私の偏見ですが)と思うこと多々。
私がアンティグアを去る前の日に、祖母が亡くなったためアメリカへ一時帰国した。
このときのエピソード・・・一時帰国前日にテッド曰く「祖母がmatar」
「へ?matar?って、殺されたってことぉ?」驚いたけど銃社会のアメリカだからと素直に受け止めつつも、こういうときって
なんて声かけるべき?しかし、よく話しを聞けば病気で亡くなったみたい。
亡くなったときは「morir」を普通使うだろ?とツッコミたくなったけど・・・。
ジェームスはイギリス人。カメラマン(イギリス人はカメラマン職が多い?)だけど、
旅行中カメラ一式盗られたため、アンティグアではカメラなしの生活。スペイン語を勉強して、スペインで仕事をすると言っていた。
スペイン語はかなり上手。「おぉ!これが本場のジェントルマンってやつ?」と感じること多々。
庶民の私からすると、端々で気品あるしぐさも見受けられ、なんか、イギリスではいい暮らしをしてそう・・・?
最初は別の場所でプライベートレッスン受けてたけど、いつの間にか先生とともに私たちのいるイクシェルに来て勉強していたが、
正味1週間ぐらいしか一緒にいなかったかな?
とゆーのは、1週間ほどお隣のホンジュラスへ行ってコパン遺跡を巡ったあと、カリブ海に潜って帰ってくると出て行ったものの、
結局、私がアンティグア去る日まで帰って来ることはなかった。カリブ海が居心地よかったらしい・・・。
テッドとジェームスも仲良しで、なぜか3人でよく飲みに行ってたけど、私から見た二人は対照的で、
一般的に言われるアメリカ人とイギリス人の国民性が垣間見れて面白かった。
ある日、ベアトリースたちと飲みに行こうと、夜9時に学校そばで待ち合わせをしていた。待ち合わせ場所まで、一人で夜道を
歩かないといけない?と思っていたら、テッドもその日は飲みに出るということだったので、
「じゃぁ一緒に行こう」と話ししていた。
が、8時半ごろにテッドが「やっぱり先に行くよ」と言うんで、
「えっ?なんで?もうちょっと待ってよ!」と言うと、「ここは安全だから、夜一人で歩いても大丈夫だよ」と無情に出て行った。
あと20〜30分ぐらい待ってくれてもいいじゃん!そーゆーヤツだぁ!
相反して、ジェームスは女一人で夜道を歩かせない。
ジェームスと飲みに行くときは、当然のようにちゃんとアパートメントまで迎えにきて、ちゃんと送ってくれる。
テッドと同じ屋根の下にいたときに、夜、テッドと一緒に出て行って、一緒に帰ってくることはほとんどなかった。
その辺のとこはジェームスも呆れてたみたい。
ついでに言うなら、ジェームスと道を歩いているとき、私が車道側歩こうものなら「だめでしょ」ってな感じで言って、
すぐに歩道側に連れていかれる。本場ジェントルマンだぁ。
そうそう、3人で飲んでても、テッドはいつも女性を目で追っている感じ?
気に入った子がいたら、私たちを置いて声をさりげなくかけにいく。
おぃおぃ、帰ってしまったけどドイツ人彼女がいるでしょうが!って、よく「今すぐドイツに行きたいんだ」とか
哀愁たっぷりで言ってたのに・・・ただ単に女好き?って、私は女として見なされてなかったけど・・・。
ジェームスは、その点、女性を目で追う感じはなかったように見えた・・・まぁ、真実はわからないけど?
私も写真をやっているということで、マクドナルドの店内に飾られている写真が気に入っているからと、
一緒に見に連れていかれたり、ダイビングの話しをしたりと、女性より興味あるものがあるって感じ?
パウロは、イクシェルの先生。インディヘナ(先住民)。
将来はキャンドルのお店を作りたいとのこと。先生かたわら、キャンドル制作に勤しんでいた。
テッドの担当だったこともあり、テッドと仲良し。
で、最初のうちはラテン的なノリで、私にかなりの色目(?)を使ってきてたけど
(関連《アクティビティ〜パーティ》、
《アクティビティ〜市内観光〜セロ・デ・ラ・クルス》)、
もっぱらテッドたち同様仲良い友達って感覚で付き合ってたら、脈ナシと思ったのか?ハッキリと扱い方が変わった・・・
と言っても、女性扱いから、友達扱いへ変わったようなもの。
例えば、最初は夜に一人で帰るようなときは、アパートメントまで送ってくれてたのに、
あとでは「まだ11時だから一人で帰っても大丈夫だよ」と言って、自分の家はこっちだからと途中から一人で帰らされたりとか。
バルボアは、私と同時期にイクシェルへ来た変なアメリカ人ミュージシャン。
だけど、なぜか行動を共にすることが多く、特にモンテリコでは大変お世話になった。
こちらに紹介あり。(関連《アクティビティ〜プランテーション見学》
《アクティビティ〜市内観光〜セロ・デ・ラ・クルス》)
アルバロは、スペイン語学校の校長として紹介あり。
有難いことによくかわいがってくれ、飲みに連れて行ってくれたり、踊りに連れて行ってくれたりした。
ベアトリースは、アンティグアで最初の地元のお友達。
とても明るくて、感情豊かで、茶目っ気のあるキレイな女性。アルバロの恋人(日本では愛人とも言う?)でもある。
いつも気にかけてくれ、良き相談相手で良き遊び相手だった。
(関連《スペイン語学校探し&インターネットカフェ編》)
Jは、《アクティビティ〜ダンスレッスン》に紹介と写真あり。
なぜ、イニシャルかって?かなりの女ったらしとして書いているから、実名控えようかと・・・。
ある夜、ベアトリースと待ち合わせしてたのになかなか来ないから、彼女の携帯に電話かけようと中央公園の
公衆電話に向かった。しかし、専用のテレフォンカードを持ってないので使えない。
カード買いたいけど、今時間夜9時過ぎててどこで買えばいいのだろうか・・・?
で、とりあえずリッキーズ・バーへ行ってみると
Jがいて、彼に「電話したいけど、どこでテレフォンカード買えばいい?」と聞くと、中央公園沿いの
小さなお店に連れて行ってくれた。唯一開いていたお店で、ドリンクとかお菓子とかがちょこっと売っていた。
そこで、テレフォンカード(Q20分)と缶ビールを2つ買い(Jへのお礼も兼ねて)、Jとビールを飲みつつ、
私は近くの公衆電話でベアトリースに電話した。まだ家にいたので、リッキーズ・バーへ先に行ってるからと告げる。
結局、Jもここで友達を待つからと、中央公園のベンチに二人座ってビール飲んでた。
と、Jが「ハァー」ってタメ息ついて、ちょっと元気がない。「どうしたの?」と聞くと、「ちょっと疲れてる」
「忙しいの?」「忙しいよ。毎晩Sexで疲れるよ」「・・・」おーい!思いっきりズッコケそうだった。
まったくぅ〜コイツはぁ〜と思いつつも「そう、大変だねぇ」ってな感じで相づちを打ってあげたけどさ。
で、話している間も私の肩に手を乗せ、そのうち、素肌が出ている肩から首にかけて撫でる。
そして「Suave〜(スアベ〜/柔らかい、すべすべの意)」ほんっとコイツはぁ、どこまでもスケベだぁ!
そのあとすぐJの地元友達ヤローどもがやってきて、
結局、彼の友達5〜6人とリッキーズ・バーへ行って、ベアトリースを待つことになったけど。
Aは、Jの地元友達のひとりで無職。20歳ぐらい?イケメンってやつ?
学校の3週目のサルサレッスンにやって来て、Jからサルサを習っていた。
(《アクティビティ〜ダンスレッスン》に写真あり)
私をいくつと思ってたのか知らないけど、猛アタックされてた。昼間の中央公園や、リッキーズ・バー、トレロスでちょこちょこ
会ってたし、2〜3回は夜に送ってもらったりしてたし・・・彼の地元の友達は、私をゲットできるようエールを送っていたようで
・・・「日本に恋人いる」とどんなに言っても、彼らには通用しない。「アンティグアに恋人いる」と言わない限りは・・・。
ガリーナは、《アクティビティ〜ボランティア》に紹介あり。
学校のサルサレッスンにガリーナたちを誘って連れて行ったら、その日からJが猛アタック。
(《アクティビティ〜ダンスレッスン》)
2日後ぐらいにJたちとトレロスへ行く約束してて、当日Jから「ガリーナを絶対一緒に連れてきて!」としつこく言われた。
渋るガリーナと「どうする?」と言いつつ、二人でカフェ・ペルーで飲み、オニスで飲み、ちょっとだけとトレロスへ行ったら、
Jは一度私と踊ったあと、得意の英語でガリーナを口説きまくってた。ガリーナもまんざらじゃない感じだった。
結局付き合い始めたものの二人が手をつないで歩く後ろ姿は、母と息子?ガリーナは170cm以上、Jは155cmぐらい。
それでも、Jへの不信感がどことなくあったようで、ガリーナは悩んでいた。
グアダルーペ(《アパートメント(学生寮?)について》)は、ガリーナに何も言わなかったけど、
私に「ガリーナと彼は付き合っているの?彼はちょっと・・・」と首を振る。
いつも女の人を変えているし、以前私の隣にいた女性にもちょっかいだしにアパートメントまで押しかけていたのを知っているしで、
グアダルーペは苦笑い。
私がアンティグアを去る前の夜、1泊2日でティカルへ気晴らしに行ってたガリーナは、帰ってきてJと会う約束をしていた。
彼とのことで悩む彼女に「彼は日替わりで彼女がいると言っていたよ。ここでは普通なのかも?」といろいろ話してたら、
彼女はキッパリ「彼との付き合い断るわ」と颯爽と出て行ったものの、夜遅くにJとともに帰宅・・・
私に聞こえないようにか、コソコソ話しているものの、ドア越しにJの声だとわかった。
うーむ・・・結局、ガリーナはJにまた押し切られてしまったようで・・・その後どうなったことやら知る由なし。
エイドリィは、メキシコ人両親を持つアメリカ人。スペイン語はペラペラまではいかない。
エイドリィの兄とテッドが幼なじみで、エイドリィの兄がアンティグアに遊びに来て帰ると入れ替わりに、エイドリィがアンティグアに
遊びに来た。陽気なエイドリィとはすぐに意気投合して、一緒に飲みに出てた。