☆ 4/17
アンティグアのセマナ・サンタ
《アンティグアでの一日編》
☆ 4/20
《ホテル編》
《セマナ・サンタ最終日&カテドラル編》
☆ 4/21
《スペイン語学校探し&インターネットカフェ編》
☆ 4/22 〜 5/19
・スペイン語学校(
イクシェル・スパニッシュ・スクール(IXCHEL SPANISH SCHOOL)
英語です )
・市内観光
グアテマラは地震が多く、南西部に位置するここ、アンティグア・グアテマラ(以下アンティグア)一帯はさらに地盤が不安定で、
本来ならば都市建設に適さない。
地震に悩まされながらも都市は発展しつづけたが、1773年の大地震で深刻な被害を受けると、グアテマラの中心都市は
現在の首都グアテマラ・シティへと移された。
1979年に街全体が世界遺産登録され、
石畳の道や街並みは当時のまま残されているため、タイムスリップしたかのような感覚を
おぼえる。
☆ アンティグア・グアテマラについて
この日は霞がかかって見えないけど、この街の向こう正面にはアグア火山(グアテマラ富士)がそびえて絶景となる。
しかし、4,000m近いアグア火山やフエゴ火山などシエラ・マドレ山脈に囲まれた景観の美しさや、
標高1,520mに位置するアンティグアの温暖な気候に魅せられたスペイン人はこの地に都市を築いた。
そして、現地の自然条件に合わせた先住民族マヤ人の、地震に耐えうる建築様式で建てようとはせず、
スペイン人は自分達の神と文明を信じ、スペイン本国と同様のレンガや石づくりの建物を築いた。
そのため、たび重なる地震で建物は壊れ、その度、建て直しを繰り返していき、次第に
柱は太く短く、アーチは狭く、塔は低く・・・となっていった。
そして、アンティグアの建物は小さいながらも、バロック様式の装飾が過剰に施されているものになってしまった。
このときの大地震により倒壊し、廃墟となった聖堂や修道院は、そのまま残され、また、今なお修復を行っているところもある。
繁栄期に建った大聖堂や大司教館、修道院、コロニアル様式(植民地で行われた建築や工芸の様式)の邸宅など、
バロック的色彩の強い都市だったことが今現在もうかがい知れる。
建物は1階〜2階建、それより高い建物は教会や修道院など。
舗装道路はなく、石畳の上をボンネットバスが走り、ウイピル(民族衣装)を身にまとったインディヘナ(先住民)が
のんびり歩く。(左写真)
時間がゆっくり流れているような錯覚を起こしてしまうそんな街である。