さ行 さで始まるタイトルの映画

サウンド・オブ・ミュージック 

この映画、そんなにいいかぁ!?
ミュージカル映画、あんまり好きじゃない、と私が言い出した原因って、このあたりだって気がする。
曲はどれも、すごくいい。
私は『もうすぐ17歳』が好き!『ドレミの歌』や『エーデルワイス』はもとより、『私のお気に入り』も大好き!
スイスの自然も確かに素晴らしい、って言っても印象的なのはオープニングシーンだけなんだけど。
なんで楽しめないんだろう。考え込んでしまいましたわ。

1:ヒロインのマリア役のジュリー・アンドリュースが好きじゃない。
2:ジュリー・アンドリュース演じるヒロインのマリアが好きじゃない。
3:ストーリーがつまらない。
4:子供がいっぱい出て来ても私は別に楽しくない。
だめだこりゃ。

まず、1と2はかなりどちらがどうとも言えないんだけど、映画女優はもっと美人がいいなあ。
明るく親しみ易い、というよりは、ガサツで無神経に感じてしまうのは私だけ(多分そうだ)?
修道院を出てトラップ家へ向かう道すがら、ギターケースをブン回して歌い踊るマリアの姿は、「ミュージカルだから」では済まされない、と、私は引きまくったさ。
歌がうまいと言われれば、あ、そうね、って思うけど、特別好きな声でもないし。
そしてマリアというキャラクター、実は(昔の)少女マンガや青春ドラマにものすご〜く多いヒロインのタイプなんだけど、「私って素直で明るいの〜♪」と言いながら他人の心にズカズカ踏み込んで、ちょっと本当の事を言われるとメソメソ逃げ出して(明るさはどうした!?)、そして男が追って来てくれて全てメデタシ、っていうの。思い入れ、できないのよ、私、このタイプ。

さらに3については、実話と聞いて納得しないでもないけど、だからって後半の取って付けた感が許される訳じゃない、実話の映画でも、いいものはちゃんとあるんだから、これって明らかに構成の問題
4は、もう仕方ないね、好みだから。でも、子供を扱っても好きな映画は私にもあるし、やっぱり子供に対する扱い方が、いただけないんだと思う。

と、あれこれネットで調べつつ、こきおろしているうちに、このロバート・ワイズって監督、『ウエスト・サイド物語』も撮ってるんだと知った。
おお!私の嫌いな2大ミュ−ジカル映画、同じ監督だったのねん。
あれ(『ウエストサイド』)に比べれば、こちらは少なくともサウンドトラックが好きなだけマシか。
つくづく相性が悪いのね。

さくや 妖怪伝(byコーキ)

妖怪映画のようで実は等身大ヒーロー物だって事は藤岡弘が妖怪討伐士の先代として物語の最初に登場した時点でかんじました。
さすがに原口監督だけあって利根川の大河童が迫力ありましたね。
大映の妖怪映画とかだと多少可愛く怖さも無い河童が普通に出てきますからね。
ストーリーはエンターテイメントしてて面白かったです。
あんな掛け合い漫才のような忍者なんて居る訳がなさそうなんですが、この映画のノリには妙に合ってました。
実際この映画を見て知り合いのひいき目でなく楽しめました。

それから、、、。
先代妖怪討伐士→娘の討伐士
利根川の大河童→息子の可愛い河童
とイメージが変わって良い感じでした。

松坂慶子も巨大化したら妖怪っぽく怖い感じだったらなぁ。
あの顔がそのまま巨大化するなら東京電話のCMに良さそうですね。
ってな感じで見終わった時は感動していたのは事実だよん。

さくや 妖怪伝

うーん、やっぱ、語りにくいんだよね、知り合いの作品って。
なんと、この映画、監督(原口智生)脚本(光益公映)出演(忍者の猿鬼役の逆木圭一郎)と、三人も友人が関わってる、おかげ様で京都まで撮影見学にも行っちゃってるしね。

全体的に、楽しい映画に仕上がってると思うの。
凶悪なカッパ(この顔はかーなーりショッキング!)に始まり、化け猫やら土蜘蛛やら、恐ろしくもどこか郷愁を感じさせる妖怪達。
天変地異に始まり、咲夜(さくや)と太郎との交流と葛藤を交えながらの妖怪退治の旅を経て、街をブチ壊して大暴れの松坂慶子様を退治して、大団円になだれ込む構成は、スケールの大きな世界観を感じさせて頼もしい。 
途中折り込まれる、忍者の凸凹コンビの漫才みたいなやり取りや、「害の無い妖怪達」へのあったかい視線、太郎が雷に打たれるシーン(私、こういうベタなギャグが大好きだったりする)等、このユル〜イ感じもなかなか心地良かった。

主人公の美少女剣士、咲夜は、どこまでも強く正しく凛々しく、迷う事を知らない。
一方弟として育てられたカッパの子、太郎は、その生い立ちからしたら当然だけれど、惑いの真只中。
個人的好みとしては、迷わない主人公って、イマイチだなあ。かと言って苦悩ばかりしているエドガーやアムロもウザくて付き合い切れないし、そこらへんのサジ加減が評価の分かれ道かも。
ネットの映画評で、 口の悪いのが「カッパの太郎奮戦記」と言っていたけど、ある意味それは正しくて、太郎の成長物語として見ると、感動的だったりするのよ。
でもやっぱり、カッパが主役ってのも、いかがなものか…ってのは、分るんだけど。

で、ドラマとしてではなくて、ホラーもしくはファンタジーとしては、けっこうイカシている。
後半の土蜘蛛の配下の鎧姿のゾンビ(怨霊武者というらしい)とか、妖刀村正の扱いとかは、かなり私好みで、ドキドキさせられた。咲夜役の安藤希も、飛んだり跳ねたり転がったりの大活躍、撮影現場で実物を見ているだけに、あの小さい子が(ホントーに小柄で華奢なのよ!)頑張ったなあ、と、感慨ひとしお。
松坂慶子さんも、これも好みだけど、ヘタに顔いじったりしなくて、私は良かったと思うなあ。キレイなものがコワイのって、好き。

最後に、咲夜の父親役で冒頭登場する藤岡弘様の胸板の圧さには、本当に呆れ返ってしまいました。

サクリファイス

それまでの私にとって、映画は主に「ストーリーを楽しむもの」であり、「かっこいい男や美しい女を鑑賞するツール」だった。
友人に連れられて、すでにタルコフスキーの遺作となっていた『サクリファイス』を劇場で観て、初めて「映像美」という言葉が実感を伴って感じられた。
それ以前、例えばヴィスコンティとか、「綺麗な物を撮っている」のは分かっても、映像自体に感銘を受けたとは言えなかった、と思う。
一つには、いわゆるストーリーが難解で要約しにくい、という事情もあって、なおの事映像に心が動いたのかもしれない。
もちろん、ストーリーも、テーマ性も、優れたものに間違い無いのだけれど。
正直に打ち明けてしまえば、私自身どこまで把握できているのか、皆目分からない、それくらいの不親切さが、この映画にはある。

で、映像。
黒が、素晴らしく美しい。
枯れた野原も、ぽつんと建つ家も、室内風景も、柔らかな湿り気をおびて心地よく懐かしい。
そして炎。こんな美しいものが、この世にあるかと思う。
すっかり炎に興奮した私は、ストーリーマンガを1本描き上げ、後にその事をまたエッセイマンガで描いた。
こんなにダイレクトに刺激された映画は珍しい、それも脳味噌の表層でなく、奥の方、は虫類のあたりに来ちゃった感じなんである。

映像に感嘆しながらも、絶え間無く襲って来る眠気には閉口した。眠い。
映画館は、結構大入りだったように記憶しているが、途中で席を立つ人の姿がかなり目についた。
後に友人(連れて来てくれた人とは別の)が「スリリングな眠さ」と表現した、あの奇妙な感覚。
私は普段あきらめの良いタチで、眠くなった映画は寝てしまう。始まって10分経ってつまらなかったら(通常、眠い映画はつまらない)、もうその映画は最後までつまらないだろうと思う。
でも、『サクリファイス』は、必死で耐えた。眠ったら大損だ、と、分かったから。
そして最後まで観終わって、その思いに間違いはなかったと大満足だった。
こんなに影響力のある、それも深い所に食い込んでくる体験は、めったに無い。
今思うと、あの眠さは、私の貧弱な脳味噌が容量オーバーでエンスト状態だったのかも、と思う。

容量不足で気絶寸前だったくらいだから、内容について語るのは身の程知らずと言うべきだろう。
よく「観客一人一人にそれぞれの解釈があります」なんて言うけれど、だけど、タルコフスキーの意図は一つ。それもかなりまっすぐに、寄り道も無く、おそらくはテーマを語り切っているに違い無い。

猿の惑星(byココアちゃん)

中学生のころテレビで見て大好きだったなあ。
冒頭で、チャールトン・ヘストンが裸で泳ぐシーンがあってさ。後姿で飛び込む太ももと太ももの間から 見えたんだな、ソレが。
しかし別にうれしくもなんともなかったな。
「あ、修正してないんだ、女の裸にはうるさいくせに」
とは思ったな。
アクションひとすじのヘストンも今や全米ライフル協会の 会長になんかなって、すじがね入りの「アメリカばか」に なっちまった。映画のまんまだな。
ちなみにオスカーも撮った『ボーリング・なんやら・コロンバイン』というドキュメント映画でもヘストンはバカ代表として 出演している、とのこと。(ビデオで見たい)
あ、でも映画自体はおもしろかったよね。
ちなみに原題は
『THE PLANET OF APES』という。
モンキーじゃなくてエイプっていうんだってさ、猿のこと。
当時は経済発展する日本を揶揄した、と噂された。
おらたちはエテ公だった・・・それを聞いて「なるほど」と
感心したのは私。ウキー。

猿の惑星

ティム・バートンのリメイク版(寝ちゃった)じゃなくて、60年代作の本家本元の『猿の惑星』ね。
公開当時、殆ど社会現象みたいになってた気がする。
今でこそ見慣れてしまったけれど、猿のメイク、本当にビックリした、ちゃんと猿で、しかも表情がある!と、こんなレベルで衝撃を受けた、のどかな時代だったのよね。
でも、後で知ったけど、猿役にもちゃんと有名所の俳優を使っていたりして、そこらへんとても好感が持てるんだよね。

どういう経路だったか、もう大昔で思い出せないんだけど、私は実は、原作小説を先に読んでしまっていたの。(原作が先か、映画が先か、これって永遠のテーマ!?)
この映画に関して言えば、うーん、映画が先が良かったかも。
チョー有名なラストシーンのオチも、まあビックリしなくもなかったけど、原作を読んでいたので「あ、端折ったな」って思っちゃった。セットも少なくて済むし、ね。
ちなみに原作では、なんか頑張って惑星脱出して、地球に帰って来るのよ、そしたら出迎えが猿だった、ってオチなの。
でも後から思うに、映画としては、(手抜きとか省略ではなくて)あれがベストだったかな、と。
なにしろ絵的にスゴイし、小説と違って、猿の惑星を脱出してどうこう、っていう過程は説明が多くなってタルイかも知れないし。うん、あの絵はスゴかった。
自由の女神ってのがイカシてるよね、これが邦画だったら、と、東京タワー?ぷぷぷ。

なにかと「衝撃のラストシーン」が取り沙汰されるこの映画だけど、けっこう丁寧な作りで、途中経過もかなり楽しめたように思う。
猿との確執、猿達の人物(笑)描写、そして猿との心の触れ合い。それに動物に成り下がった人間達とのかかわり方、動物でも美女なら恋しちゃう、ヘストンお前が一番ケダモノじゃー!なんて色々。
わりと淡々としてるんだけど、なにしろ状況がヘンテコだし、面白かった。

猿ってイヤな生き物だよね。って、思いません?
なんか神様が、「人としての理性や誇りを忘れると、こうなっちゃうんだよ」っていう戒めのために創ったみたい、なんて考えるのは不遜なんだけど、ね。
原作者のピエール・ブールという人は、第二時大戦中日本軍の捕虜になったとかで、その体験から?なんて話題にもなった。イエローモンキーとは失礼千万だが、これが書かれた60年代末以降の日本の高度成長と、それに対するアメリカのびびりっぷり(&横槍ぶり)を思い起こすと、なかなか興味深い気もする。

でもさあ。チャールトン・ヘストンって、ある意味サルの一種だよね、こちらから言わせてもらえば。

ザ・ワイルド 

タイトルがあまりにベタなので、全然マークしてなかったんだけど、TV放映でたまたま観たら、けっこう面白かった(あくまでTV鑑賞では)。
なにしろクマちゃんが、すごい!エライ!大活躍。
アンソニー・ホプキンス爺さん、またまた大活躍。絶対最初の10分で死んでるって。
そして甘〜いマスクのアレック・ボールドウィンが、全くもってホプ爺の引き立て役に回されてて、哀れ。
なんでしょう、この世代の男優(アル・パチーノとか…)って、若手に譲らないっつーか、いいとこ持ってく役ばかりやってるような。
もう少し枯れてくれた方が、映画は絶対面白くなるのにな。
もっとオトナになってください。

元気で凶暴なヒグマを相手にしたら、あんなに長々と追いかけっ子なんてできやしない。あの気温でずぶ濡れになって、じじいが肺炎にならないのも奇跡。
とかなんとか、ツッコミどころは数々あれど、それなりにハラハラしたし、自然に対してまさしく「ワイルド」に立ち向かう姿は見応えがあった。
でも、繰り返すがホプキンスの富豪があまりにも完璧過ぎて、映画を薄っぺらくしてしまっている。せっかく理屈っぽくて頭でっかちな性格設定にしておきながら、どんどん行動力も体力も度胸もあるスーパーマンになってしまう。対するボールドウィンは、若くてどう見ても敏捷なのに、導かれ助けられる一方で、全然いいとこ無し。
おまけに、最後に来て意外な展開?いらん事情を付け足して、あれだけ生きる事に執着したホプ爺が、殺されそうになっても全くうろたえないし、アレック自爆だし。哀れ…。半端な泣かせまで入って、もう本当に、哀れ。
ああいう展開にするのならますます、どこかでホプ爺をアレックが決定的に救うシーンが欲しかった。

そんなこんな、クマちゃんの奮闘虚しく、B級臭プンプンのお安い印象の映画になってしまった。
撮影は大変だっただろうに、残念。


「し」へ