や行 やゆよで始まるタイトルの映画
遊星からの物体X

ゲロゲロ映画の大傑作。
(これでも誉めてるつもりなのよ。)

かなり古い映画なので、主演のカート・ラッセルも若くてピチピチ(笑)。
監督はB級の星(なのか!?)ジョン・カーペンターだ。
ストーリーは良くあるエイリアン物だが、その死闘ぶりはハンパじゃない。
歯切れのいい乾いた展開と、脅かすタイミングの良さが小気味良い。

CGに慣れた目には、当時のダイナメーションは稚拙に映るとは思うけど、いや当時にしても、いささかぎこちない感はぬぐえなかったSFXなんだけど、それでも、ね。
犬のシーン、生首から脚が生えるシーン等、今思い出してもショッキングで秀逸だ。特撮の命は、まずイメージセンスだと実感させられる。
しかも、しつこい。
これでもか、これでもかのゲロゲロ攻撃に、しまいには上映館に笑いが起きていた程。でも恐い。

名画座で 初めてこの映画を観た時、珍しく友人と一緒だった(だいたい一人で観に行く)。
「映画の後で食事して…」との計画だった。
映画館を出た後の私達は、食事メニューのセレクトに、大変悩まされた。
スパゲティは避けたい。焼肉も、ちょっと。カニなんて、まさかね。
結局ラーメン屋でキムチラーメンを頼んでしまったのは、やはり物体Xから頭が切り離せなかったからに違い無い。

ゆりかごを揺らす手

とっても恐くて、センスのいい、でもちょっとイヤ〜な気分になる映画。

話せるダチ公(なんて言葉でしょ)が、突如として見知らぬオバサンになってしまう。「妊娠」とか「出産」とかって、私にとってはそれ自体がすでにホラーだ。「母性本能」なんて言われたひには、殆ど強迫観念に足がすくんでしまう。
元々そんななので、このシチュエーションは、もの凄く恐い。
たださえ妊娠すると、いろんなホルモンとかが盛大に出て、身体も心も大変化を遂げるもの(らしい)なのに、肝心の胎児がプッツリと流れてしまったら。それも、子供が自然に弱った結果ならまだしも、母親の精神的ショックで無理矢理、というこんなケースでは、行き場を無くしたホルモンやら母性本能は、そりゃあ暴れたくもなるでしょう、きっと。
犯行動機が単なる「逆恨み」と思い切れないところが、恐いけど悲しい。

ブロンドで青い青い瞳のヒロイン(兼殺人鬼)レベッカ・デモーネイは、スレンダーな身体に可愛らしい顔で、ちょっと小ジワが目立つのもチャーミング。こういう美しくて恐くなさそうなものが恐いのって、すごくイイ。子供も懐くし、ダンナはデレデレ。
でも正直言って、ドラマとしては、デモーネイ(と、その変態亭主)以外の人物が、みんな立派でいい人すぎるのがつまんないんだけど、ホラーとしてはその方がいいのかな。
殺し方とかも色々工夫があって、手を換え品を換え、丁寧で念入り、こうでなくっちゃ。
殺人鬼が死んで終わるのも、この種のパターンとしてお約束だから仕方無いのでしょう。私個人的には、ダンナが誘惑に負けて家庭は崩壊、みたいな話でもぜんぜんOKなんだけど。
「手負いと子連れに近付くな」って言葉もある事ですし、ましてや訴訟社会のアメリカでは、他人事ではないと感じた人も多かったのでは?

ところで、私が一番恐かったシーンはデモーネイがリンゴを食べるところ。
外人って、ああなの!?
私だったら絶対に舌を切ってるわ。おおこわ。

許されざる者

古くはオードリー・ヘプバーンがインディアン娘に扮した同名のウェスタン(!)があったらしいが、そっちじゃないの。
クリント・好々爺・イーストウッドの監督主演のシルバーウェスタン(そんなジャンルは無い)の方。
確かなんか賞とか取ってたよね。
無理もないんだわ、これが。

なにしろこのイーストウッドの爺さんぶりはスゴイ。
若い頃は泣く子も黙るガン・マンだったが、年老いて引退して今は静かに豚を育てている、という所から始まるんだから。
かつて実際に西部劇映画やダーティハリーシリーズで、強くてかっこいいイーストウッドをさんざん観て来た我々にとって、その姿は感無量だ。颯爽とした長身はヨレヨレ、ハンサムな顔もシワシワ。
身体も頭もすっかりニブくなってしまって、後はただ、畳の上で死にたい、みたいな状態で、役柄と分かっちゃいても切ないものが込み上げる。いや、どこまでが狙いか、この時点では半信半疑な訳だし。

すっかり気も弱くなっているこのブタ飼い老人、昔馴染みに誘われ、いた仕方無い事情もあって、銃でもう一花咲かせよう、という事になるが、かつてならした老人と、若いだけのド素人からなるチーム、どうも調子が出ないままに、どんどんやられちゃう。
そして、仲間が残酷に殺されて行くのを目の当たりにして、ブタ飼い爺の眠っていた魂が目を覚ます…。
ココ、本当に凄いの、観ているこちらも目が覚める思い。(って別に前半が眠い訳じゃないのよ、あしからず)
思わず「うわー、ホンモノだ!!」と心で叫んでしまう、見事なガン・マンぶり。

…と、ここでふと立ち止まる。ホンモノのガン・マンなんて、多分だーれも見た事無いよね、少なくとも日本では。
私の中には幼い頃観た西部劇のイメージがインプットされている訳で、そしてそもそもその元々のイメージ構築にはイーストウッドが多大な貢献をしている訳さ。
おかげで観客は「知らない物のリアリティをヒシヒシと感じる」などというヘンテコリンな状況に追い込まれる。

だからと言って、この映画はかつてTVで観た西部劇とは全く違う、むしろアンチテーゼと言っても良さそうな、かっこよくない、スカッとしない、重苦しい。
実際に年老いたイーストウッドが、若い頃さんざん出演した娯楽作品 の軽薄さを懺悔しているようにも見えた。

欲望という名の電車

うわぁん、恐い。
いろんな意味で、ものすご〜く、恐い映画だった。

有名な戯曲の映画化だけあって、会話で進む脚本のち密さはサスガ。
それと同時に、映画的な絵や効果音、動き。そして、むしろ舞台的かもしれない、迫力の演技、みんな演技、すごい。
そしてヴィヴィアン・リーの、ちっとも似合わない金髪の、元々美し過ぎる顔のクローズアップの、恐さ。
子供心にも「この人こわい」と思った記憶があるが、自分が歳を取ってみると、いやはや、恐さもひとしおだが哀しさもハンパじゃない。

このイミシンなタイトルの通り、劇中には色んな「欲望」が乱れ飛んでいる。
主人公ブランチの、いつまでも美しい淑女として扱われたいという欲望。
絶え間無いお喋り(全部自慢話だ)、気取った仕種に、最悪のタイミングで垂れ流される媚び。
ヴィヴィアン・リーは、痛ましいまでに神経質な演技で正気と狂気の境い目を演じ切る。見ているこちらは引き込まれ、引きずられて、自分の立ち位置まで危うい気分にさせられてしまう。
孤独なオールドミスのプライドと不安。積み重ねる嘘を、どこまで自覚できていたのか?
それから、ブランチの妹の夫、スタンレー。お手軽な欲望に忠実。目に付いた物には考え無しに手を延ばす。ブランチの屈折率は、さぞや彼には目障りだったろう。
妹のステラ。プッツンの姉に優しく付き合う、彼女は多分、姉の惨めな末路が嬉しいのだ。美しい跡取り娘の姉の影で居場所が無かったから、裕福な暮らしを捨ててDV(家庭内暴力)男に走り、殴られて謝られると生きてる実感に歓喜してしまう、その場は自分が主役になれるのだから。
ブランチに求婚するミッチ。ブランチの嘘に傷付くわりに、すぐ座り込んでシレッとカードなんかやっている。急にスタンレーに「おまえのせいだー」と殴り掛かったりして、違うよ、おまえだろ!って。彼がのぼせて求婚なぞした上に捨てたりしなければ、いやせめて未練たらしくキスしに戻って来なければ、ブランチはまだ「こちら側」に居座ってたはず。
最後に、一番モノが分かっていそうな二階のおばさん。なんかこの人の言う事は正論のような印象になっちゃっているけど、実はひたすら結婚生活に耐え忍んでいる、けして「正しい」訳じゃない。
T・ウィリアムズって、本当に意地悪だ。

スタンレー役は、マーロン・ブランド。
二枚目の代名詞みたいに聞かされるこの名だが、なるほど、この映画のブランドは、ヤバい。
下品でアホで、いや〜な奴なんだわ。でも、その彼が雨に打たれて絶叫すれば、ヨリを戻してしまうステラの高揚感も分かる気がする。
甘いマスクに拗ねたような表情。白いTシャツの胸元は、どことなくエロティックで、セックス・シンボルの名にふさわしい。
そしてやっぱり、ヴィヴィアン・リー。
もう一本の代表作『風と共に去りぬ』では若く、あまりの美しさに目を奪われていたが、こうして見るとつくづく「女優」という生き物なんだな、この人は、と思う。
脚本の出来もさる事ながら、彼女の迫力が命の映画であろう。
この緊張感は、尋常じゃない。


 

歓びを歌にのせて 8/10

何の予備知識も無く、レンタル屋の棚の中からフラリと手に取ってしまった一本。
何だか予感めいた物が働いたのか、ろくすっぽ解説も見ずに借りてしまった。大正解!

フィンランドの映画という事で、キャストも見覚えの無い顔ばかりだし、言葉も耳新しくて雰囲気がある。景色も、建物も、家具や内装も、おじさんのセーターなんかも、ちょいと目新しく可愛らしく、素朴で、素敵。
田舎の小さな村の閉鎖的な息苦しさも、馴れ合い的だけど底抜けの優しさも、シッカリ伝わって来る。
この村に世界的な指揮者(=有名人の芸術家)が移り住んで来て、聖歌隊の指導を始めた事から、波紋は広がる。
指揮者も聖歌隊のメンバーも、牧師も、皆善も悪も併せ持ち、極めて人間臭い。ちょっとちょっと…と、言いたくなる所が、一人一人にみんなあり、でもそれなりに、狭い中で折り合いを付けながら生きている、その様子がリアルで優しくて、可笑しくも心地良かった。

冒頭の派手な流血シーンから、主人公の指揮者・ダニエルは「余命半年」と明言。これが、あまりにサラリとモノローグで語られてしまって、ちょっと印象が薄いのが、欠点と言えばそうかも。
途中、乗れない自転車に乗ろうとしたり、冷たい川に入ったり、若い子とベッドに入ったりと、とても「心臓がボロボロ」な人とは思えない大活躍をするんだけど、この「半年」は、実は確定であって、どうにかなるとかいう類のモノではない、という所をまず押さえておかないと、終盤ややこしい思いをする。
途中で日数を数えるシーンもあり、「半年」を忘れずに見ていると、感動もひとしおだ。

私はキリスト教については良く分からないが、牧師は哀れで笑ってしまう。妻の気持ちも良く分かる。今の風潮としては牧師に味方する向きは殆ど無いだろうけれど、固定された価値観から逃れられない苦しみは、真面目な人にとっては深刻で、"偽善"の一言で片付けられないと思う。愛し合っているんだから、上手い事乗り超えて欲しいものだ。
若くて奔放なレナは、実は誰よりも優しくてピュアな女の子。初登場シーンがクリスマスのコスプレなのも象徴的だ。演じる女優さん、ハリウッド的なシェイプアップ命でない、ナチュラルな容姿が好印象。限りなくプラチナに近いブロンドと、透けるような肌。ちょっと野暮ったい所も役柄にピッタリだった。
聖歌隊の無邪気なお婆さんや、雑貨屋の"ジャイアン"おじさん、素晴らしいソロを披露して自立を表明するDV奥さん、30年耐えて来た侮辱に爆発して直後に笑って見せるデブ(DV奥さんの勇気を後押しした!)と、それぞれが人生を抱えて生きる模様が、程良い濃さで描かれていく。そうそう、生きる事は簡単じゃないけど、素敵。

個人的に、歳を食った女の立場としては、娘のような若い(金髪グラマー)女性と結ばれる、というのは鼻白む部分がある。もちろんレナは充分に魅力的だし、なるべくしてなった、とは分かるけれど。
なんだか告発する独身女性だけが、ユダ扱いで終わってしまって、そこは後味が悪かった。頑なだが、彼女の言い分も全く分からないではないし、見つめる視線に思いやりが無さ過ぎないか?牧師にも、暴力亭主にすら救いの手は差し伸べられるというのに。不満。

不満と言えばもう一つ、聖歌隊がちゃんと合唱を披露する場面が意外にも無くて、ラストの盛り上がりもイマイチ、乗り切れなかったのが残念だ。
それでも、ダニエルの最後の半年、という意味では、説得力のある答えがちゃんと用意されていて、納得して感動できた。
宗教色の強い内容で、実は理解できてない所もありそうな気もするけれど、広い意味で人生を感じる、とてもいい映画だった。
…しかしレナちゃんは、男運が無いねぇ………。