かいもん4号のホームページ TRAVEL ヨーロッパ 2018夏
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2018年お盆休みです。 3年前の2015年の旅行で高齢の同行者とのヨーロッパ旅行も最後。 のつもりだったのですが、多少ヤル気が残っているようなので、少々無理して出かけました。 しかし準備開始後この1年で急激に衰え、すでに体力的にはとうに限界を越えています。 しかも記憶力も相当に怪しい所が。 ということで、だましだましといった感じの、超スローペースのホントに最後の旅でした。
尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2021年1月30日 

PART1 出発編  2018年10月13日一部追加            
PART2 ベルンとシーニゲプラッテ編  2019年3月2日一部追加
PART3 グリンデルワルトとユングフラウ編  2019年4月27日一部追加
PART4 ツェルマットとマッターホルン編  2019年7月6日一部追加
PART5 シャモニー編  2019年11月30日一部追加
PART6 エーグル駅前とレザン編  2020年6月13日一部追加
PART7 モントルー編  2020年8月22日一部追加
PART8 スイスからちょこっとドイツ編  2020年10月17日一部追加   
PART9 帰国編  2021年1月30日一部追加

<PART9 帰国編>

大聖堂朝の全景。

 ヨーロッパ最終日。
 本日はここケルンからフランクフルトまで移動後に、夕刻の帰国便に搭乗します。
 一夜明けたケルンの大聖堂。
 本日も良い天気です。
 ホテルの玄関出たところすぐなので、短距離の散歩にも至極便利です。
 もっとも早朝のため、昨夜の賑わいとは打って変わって人通りの少ない朝ではありますが。
 朝のため、光線の向きは完全に逆光ではありますが。

朝の尖塔。

 で、尖塔も完全に逆光です。
 それが見栄えがすると言えば、言えないこともありませんが。
 私が初めて訪れたのは1985年夏のこと。
 その後老同行者を最初に連れてきたのは、1996年夏のこと。
 それから更に22年が経過しました。
 その間にも連れだってケルンを訪れた事はあるのですが、同行者にとっては今回がおそらく最後のヨーロッパ旅行になるはず。
 改めて最後の宿泊地に選んだケルンです。

コインロッカー。

 ケルン中央駅でひときわ目を引くのは、このコインロッカーです。
 以前の本コーナーヨーロッパ訪問記でも書きましたが、一見コインロッカーに見えるこの装置。
 「荷物を預ける装置」には違いありませんが、いわゆるコインロッカーじゃありません。
 正解は、「矢印の向こう側」に!

イラスト。

 で、コインロッカー風ではありますが、よくよく見るとこちら側の2面はすべてイラストです。
 実に精密に描かれてはいますが、もちろん扉は開きません。
 それなのに、いかにも「開いている」風のイラストがあり、おまけに何やら中で火まで燃えている?
 騙し絵的で、何とも楽しいイラストです。

ロッカー正面。

 で、こちらが「ロッカー」の表側。
 表示通り、荷物一時預けには違いありません。
 が、個々の扉の向こう側がすぐ荷物置き場になっている普通のロインロッカーではありません。
 こちら側にあるのは単なる「入口」で、実際の荷物は自動で地下の保管ヤードに移動されます。
 以前一度利用したころがあるのですが、すぐ向こうに自分の荷物が無いというだけで、ホントに出てくるのかと何となく不安になる装置ではありました。

タリス。

 さて、少しゆっくり目の朝食から午前の時間をゆっくり過ごして、これからフランクフルトに向けて移動です。
 中央駅のホーム。
 タリスが停車中でした。
 この列車、ブリュッセル経由のパリ行きです。
 元々パリとアムステルダムを結ぶ高速列車としてスタートしたタリスですが、現在ではドイツへも入っています。

タリス。

 基本構造はTGVと同じ造り、同じアルストム社製の車両です。
 塗装はTGVと一線を画す派手ないでたちで登場しましたが、観察するとやはりTGVそのものです。
 以前はICE3がパリに乗り入れていましたが、現在ではパリとケルンをベルギーのブリュッセル経由で結ぶこの系統。 現在は逆にタリスがドイツに乗り入れる構図です。

ローカル列車。

 乗車する列車を待つうちにやって来たのは、近郊の都市を結ぶローカル電車です。
 前面のスタイル、側面の窓の形状など、ちょっと独特なスタイルの車両です。
 ただし造りとしてはやはり昨今の電車として流行りのスタイルで、両端部だけが平床構造で、それ以外の中間が低床車となっているようです。
 ドイツ国鉄DBでばなく、運行会社NATIONAL EXPRESS GERMANYの列車です。

ICE3。

 ICE3がやって来ました。
 これから乗車予定なのもICE3ですが、この列車じゃありません。
 見ていると、ケルン中央駅にやって来る列車。
 現在では同じICEでも、1と2は少なくなっているようです。
 と言うより、初代のICE1はそろそろ引退の時期でしょうか。

遅延?

 本来はこの時刻にやって来るはずの列車ではないのですが、なぜか遅れが発生しているようで、おまけにホームに停まったまましばらく発車する気配がありません。
 ホームの案内にも表示が現れず、急遽発着番線が変わったようでもあります。

こちらも遅延。

 さて、乗車予定の列車。
 11時53分発のフランクフルト・マイン行きのICEです。
 表示にあるように、高速新線経由ではなく、在来線のコブレンツ、マインツ経由の列車です。
 ヨーロッパの最後の最後はやはり車窓からラインの眺めを楽しみたい。
 乗車する列車も、古い客車の便も良いですがICEで、という企画です。
 それはともかく、本日のICE。 先程からここケルン中央駅に発着する便がどれも遅れているようです。
 私たちが乗車する列車も、予定10分遅れ。
 隣から発車するミュンヘン中央駅行きも、20分遅れのようです。

電気機関車。

 向こう側のホームには、電気機関車に牽かれた客車列車が到着です。
 こうして見ると、以前から比べると客車列車の編成が随分少なくなり、電車が多くなったように感じます。
 しかし今でもまだまだ一部には、新型の電気機関車に牽かれた客車列車が健在です。

ドラッヘンフェルス。

 ケルンから20分ばかり。
 次のボン中央駅を発車し街並みを抜けたあたりで、列車はライン川に近づきます。
 このあたりから、対岸にドラッヘンフェルスの山が眺められます。
 決して高くない、むしろお手軽な郊外のハイキングに丁度いい程度の小山ですが、「由緒ある観光地」でもあります。

ドラッヘンフェルス。

 山上にそびえるのは、ドラッヘンフェルスの古城です。
 こちらは前回、2015年に山上を訪問。
 そして私にとっては1985年に初めて訪れた懐かしい場所でもあります。
 当時は麓まで車で案内いただいたため、場所の記憶が今一つ曖昧でしたが、後日確認出来てからは、列車で通るたびに懐かしく見上げています。

ライン川。

 ケルンからマインツ方面へ向かい在来線を走る列車。
 ボンを出てドラッヘンフェルス城を見上げるあたりから、列車はライン川の左岸に沿って遡る向きに走ります。
 ボンを出て間もなくのあたりはまだ谷も深くなく、広い川幅でゆったりとした流れです。

ビールなど。

 ICEの1等車では、軽食飲み物のシート配達サービスがあります。
 「特別な列車」ではないので、有料です。
 折角ですから頼まない手はありあません。
 色々不安もあり、結局あまり利用しなかったヨーロッパの食堂車ですが、シートサービスは結構利用しています。
 そして、「無茶苦茶暴利」と言うほどでもない、まあまあかな、といった価格でもあります。
 昼前の乗車なので今回は事前にアルコールは仕入れていなかったのですが、結局こうなります。

ライン川。

 列車が進むに従い、ラインの川幅も次第に狭くなります。
 ライン沿岸の都市。
 上流側のマインツも下流のボンも平地に位置し、ラインの川幅も広く大きな貨物港があるのですが、その間にライン谷と有名なローレライの区間があります。
 見た目はゆったりとした流れながら川幅は狭くなり、曲がりくねったルートは船の難所として知られています。
 次第に近づいてゆく、というような窓の外の景色の変化です。

ボッパルト駅通過。

 ボッパルト駅を通過します。
 駅名はボッパルト「中央駅」と表示されていますが、長距離列車は通過しますし、ごくごく普通のローカル駅です。
 しかしここは、ローレライを中心とするライン遊覧を楽しむ下流側の基地の町です。
 何日もかけてのライン周遊の豪華客船は別にして、1日で気軽に船旅を楽しもうとすると、お世話になることになります。
 (もっとも、更に急ぎ旅向けの人向け、或いは団体観光客向けのローレライ前後のみの短縮コースもありますが。)
 2015年の訪問時、上流の町マインツからの船旅を終えたのもこの町でした。

ボッパルトの街並み。

 列車から港方面、観光船の発着場は見ることはできませんが、この教会のちょうど向こう当たりが港になります。
 駅は「中央駅」の名にはふさわしいとは言えませんが、家並みはランドマークの教会を中心にした、こじんまりと感じの良い、綺麗な町でした。

ラインと城。

 さて、ボッパルトを過ぎて上流側にかかると、途端に平地が少なくなり、両岸の山がラインに迫ってきて、たくさんの古城が姿を現します。
 地勢的に、時の領地の支配者が行き交う船に通行税を科すようになった、そんな歴史がよく判ります。

ねずみ城。

 ローレライのやや下流側。
 ねずみ城(MOUSE CASTLE)の名で知られる美しい城です。
 この3年前にはラインの船から間近に眺めましたが、列車の車窓からでもこのように美しい姿を眺めることができます。

ライン谷。

 両岸はそれほど高い山ではないのですが、ローレライ付近のライン谷は、台地を川が刻み込んだという形になっています。
 平地も殆どなくなるため、山の高さ以上に「深い谷と急な流れ」という印象を受ける風景です。
 もちろんそれに連れて川幅も狭くなるため、流れは見た目よりかなり急なようではあります。

ねこ城。

 「ネズミ城」と相対する「ねこ城(CAT CASTLE)」です。
 やはりラインの右岸の稜線上に位置し、列車から綺麗に眺めることが出来ます。
 古い城ではありますが、破壊と修繕改築を繰り返し、写真のように意外と「近代的」な姿に生まれ変わっています。

ローレライ。

 川の対岸にある「ローレライ」の表示。
 列車から見える向こう側の岸にはそれ以外に特別なものは何もなく、気が付かなければ「いい景色だな」で終わってしまいそうです。
 もっとも両岸とも、近くにはそれなりの集落はあるため、「何もないひっそりとした谷間」と言う感じではありませんん。

ローレライ。

 「ローレライ」の表示のある部分正面を通り過ぎ、ほんの少しだけ上流側から眺めたところです。
 こんな感じでラインは蛇行しており、やはり大きな、と言うか長い船にとっては難所には違いありません。
 この写真のやつも相当ですが、何しろ「こんな長い船がここを通るの?」と思うようなやつが、すれ違いながら通過するのです

ローレライ。

 「深い岩の谷と急な流れ」的なイメージが強い?ライン川のローレライ部分ですが、実際はこんな感じです。
 それほど急峻な山と崖、と言う感じではありませんし、川幅もそこそこ広く、見た目にはゆったり感が溢れています。
 しなしながら、日本の川とは桁の違う輸送量に桁の違う船の大きさではあります。

貨物船。

 長い貨物船を横から眺めると、こんな感じです。
 で、これが一番長いクラスかと言うとそういう訳ではなく、船体を2つ直列に繋げたような、高さはともかく長さだけは恐ろしく長いコンテナ船も行き交っています。
 こうなると、もはや「川」というイメージではありません

オーバーヴェーゼル。

 列車はオーバーヴェーゼルの町に入って来ました。
 と言っても、この列車に限らずインターシティなどの長距離列車は通常通過してしまう駅です。
 特に気に留める必要はないのですが、窓の外に一瞬通過する石造りの塔。
 ライン川と列車との組み合わせの風景としては余りにも有名な場所ではあります。
 残念ながら一瞬のことのため、写真はこの程度でした。

観光船。

 列車はオーバーヴェーセルは通過ですが、観光船はここに立ち寄るようです。
 沢山の船室を持つ長い船は、1日のライン下りなんてケチなことを言わず、何日もかけて国境を越えてのライン周遊の観光船です。
 ラインの古城渓谷としては、オーバーヴェーセルは著名な観光地です。
 ヨーロッパに来て不思議なのは、そこそこ有名な観光地や観光鉄道への乗換駅ながら、長距離列車が通過してしまう駅が意外と多いこと。
 「役割」の違いと言えば、それまででしょうか。

古城と街並み。

 この区間、列車は町の中以外は本当にラインの水辺すれすれを走りますから、対岸の景色も楽しく眺められます。
 ライン川の向こうには古い街並みに綺麗なブドウ畑に山上の古城。
 車窓から眺めるには、あまりにも出来過ぎた風景ではあります。

税関城。

 「税関城」として有名なプファルツグラーフェンシュタイン城です。
 ライン川の中州にある古城として余りにも有名です。
 立地上、「城」としての機能は如何なものだったかとは思われます。
 が、往来の船舶から通行税を徴収する「関所」としては、最適のロケーションではあります。

長い貨物船。

 またまた長〜い貨物船です。
 先程のと同じやつかと思いましたが、いくら在来線をのんびり走行中のICE3とは言え、船が列車に勝てるわけがない。
 全く別のやつです。
 先程の船より船室が長く、その分船倉部分も更に長い感じがします。
 真横からカメラファインダーに全部収めるのを、早々にあきらめてしまいました。

フランクフルト・マイン駅。

 ライン谷の古城の風景は、以前の旅行記で載せているためこれ位にして。
 列車は終点フランクフルト・マイン駅に到着です。
 と書きましたが、この写真は乗ってきた列車ではなく、下車後に見かけたやつです。
 機関車方式のICE1が入線してきました。

駅構内。

 巨大なフランクフルト・マイン駅。
 発着する列車も乗降客も極めて多く、いつやって来ても「大混雑」の様を呈しています。
 本当は暫くウロウロしたいのですが、老同行者を長時間ここで放ったらかしにするわけにもゆかず、ちょっとだけ駅の内外を眺めることにします。

客車列車。

 2階建ての客車が到着です。
 本ページのケルン駅の部分でも書きましたが、やはり以前と比べると、客車列車の割合がぐっと少なくなった気がします。
 こんな風に、電気機関車に牽かれた客車編成がたまに入って来ると、何だかホッとします。

極彩色。

 派手な色の電車編成が入って来ました。
 国鉄DBの車両ではなく、運行会社のHLBahnの編成です。
 ドイツに限らず、最近は国鉄路線上を運行会社の列車が多数走るようになり、彩鮮やかです。

2階建て。

 国鉄DBの2階建て電車編成です。
 もともと客車が恐ろしく背が高いのがヨーロッパの特長でしたが、2階建てのやつは更に輪をかけて背が高く、いささか異様な感じもします。
 ドイツの2階建て車両も以前は機関車牽引の客車編成が主流でしたが、最近ではこんな電車編成が増えてきました。

標準タイプ?

 賑やかなフランクフルト・マイン駅に次々やって来る列車。
 こちらも国鉄DBのローカル列車ですが、平屋構造で上の階建て車両とは趣が異なります。
 よく見ると、30枚ほど上の写真の、ケルン中央駅での電車と色違いの同じスタイルです。
 やはり両先頭が平床で勇敢が低床車。 これを2本連ねた編成です。
 運行会社も異なりますが、このように最近の車両はある程度共通化されています。

これも標準?

 向こうのホームに入って来たローカル列車。
 これも独特のスタイルですが、ドイツ国内では結構見慣れた感じもします。
 少々以前の標準タイプ?

駅舎。

 折角ですので、ちょっとだけ駅前へ。
 発着する列車は随分変わりましたが、フランクフルト・マイン駅のこの造りは初めて見た時から変わっていません。
 堂々とした造りが好きな景色です。

自転車!

 駅前の一角。
 こんな感じで「自転車」が多数並んでいました。
 皆同じスタイルですが、レンタサイクルでしょうか。
 この写真で見るよりも、実際には「もっともっと沢山」といった感じなのです。

都市風景。

 駅前の広場と市電乗り場。
 古い街並みと近代的な新しいビルが混在する、どこか不思議な感覚のフランクフルトの町。
 どこか不思議でかつ楽しい風景です。

市電。

 現在のフランクフルト市電の標準的なスタイルはこの電車。(のようです)。
 色違いですが同じスタイルです。
 そして、以前と異なるのは、前後両端共に「運転席」がある点です。
 以前は都面電車は終点でループ線で折り返していたのですが、最近は行きどまりの終端もあるのでしょうか。

電車乗り場。

 次々と電車がやって来る、駅前の市電乗り場です。
 系統も多数ですので、次にやって来る電車の系統と予想時刻(あと何分か)が細かく表示されているのですが、よくよく眺めていると、途中でキャンセルされて順番が変更になるケースが何度も見られます。
 どういう感知方法なのでしょうか。

駅前通り。

 市電の反対側はカイザー通り。
 ここ自体も人通りの多い観光地ですが、そのから更にレーマー広場や市庁舎など、有名な観光地に続く通りです。
 フランクフルトの市街地。
 このマイン駅から徒歩の散策でも十分な範囲に有名な観光地が連なっており、短時間の駆け足でも十分見て回ることができます。
 もっとも今回は、老同行者を待たせたままですし、これまで何度か歩いたこともあるので、駅前だけで我慢です。

電停付近。

 フランクフルト・マイン駅の電停付近。
 電車に乗るお客ももちろん多数ですが、それ以外にも反対側のカイザー通り方面に向かう人も多く、いつでもこんな感じの賑わいです。
 この電車。
 よく見ると正面のパーツが別の色のやつを組み合わせているような感じがします。

市電。

 11番系統の電車。
 DB駅前を出るとすぐに、T字の交差点を左折します。
 この系統。
 左折した少し先、2つ目の電停は有名なレーマー広場で観光に便利な路線なのですが、なぜか他の路線と比べると、列車本数がやや少なめです。

駅と市電。

 市電でもバスでもそうですが、眺めていて何か違和感を感じるの尾は、やはりこちら側の先頭部に乗降扉がないせいでしょうか。
 日本とは進行が逆の右側通行ですから、当たり前と言えば当たり前。
 ところが市電に限って言えば、反対側にも先頭部に乗降扉はないのです。
 このあたりが、運転士に寄る運賃授受制とは異なる、ヨーロッパの市電の造りです。

近代都市。

 次の電車がやって来ました。
 こちらもフランクフルトでよく見るスタイルですが、上に数枚上げた写真とはデザインが異なります。
 流行の流れからいくと、こっちの方がちょっとだけ古い、のかな?

駅正面。

 フランクフルトの駅前です。
 とにかく人が多いのは当然として、写真のようにおびただしい台数の自転車が並んでいます。
 多くは上の方の写真にあるレンタサイクルのやつですが、そうでないのもあるようだし。
 とにかく結構多くの台数が走っている、そして自転車専用のレーンがちゃんと設けられている、ドイツ初めヨーロッパの国々です。

市電。

 2枚上の写真にある、少し角型の編成。
 全容はこんな感じで、これまたヨーロッパの各都市で走っているのと同様のスタイルです。
 こちらは運転席近くに乗降扉があり違和感ありませんが、右側通行ですから、こちら側のドアが開いて運転席横から乗客が下車することはもちろんありません。

駅と市電。

 角型の電車。
 真横から見ると、正面近くから眺めたのと比べると意外と運転台が低いのが判ります。
 運転士の高さもこんな感じで、外見の背の高さとは全く印象が異なりました。

ICE。

 再びDB駅の中へ。
 並んでいるのは、ICE3とICE-Tです。
 何種類かあるICEシリーズ。
 比較的にているICE-3とICE-Tですが、-3の方がややスマートで-Tの方が少しばかりずんぐり形と言う感じがします。

ICE-T。

 正面から見ると、かなり丸っこい感じのICE-Tです。
 ICE-Tと電気式気動車のICE-TD。
 スタイルは殆ど変わらずぱっと見区別つきにくいのですが、先頭車後方にパンタグラフがありますから、これは-Tの方。
 いずれにしても、ICEの振り子にはまだ乗ったことがありません。
 こちらも、次回機会があれば乗ってみたい車両ではあります。

ICE3。

 さて、フランクフルト・マイン駅から空港駅までは列車で15分ほど。
 ローカル列車も多数運転されており至極便利なのですが、折角ユーレールパスを所有しているのですから、一駅だけですがICEに乗車しようと思います。
 編成はICE3。
 遠路ドルトムントまで向かう列車ですが、乗車するのは次の駅まで、ほんの15分ほどです。

ICE3車内。

 ICE3の車内です。
 登場時はもっとソフトな全体がレザーっぽかったシートですが、現在はややボックス状の角ばったものに変更されています。
 かつては豪華な印象だったICE車内ですが、段々とシステマティックな印象に変化しています。
 そして、座席の予約システム。
 予約有無の表示は、以前は壁の上部でしたが、この車両では座席の頭部サイドに組み込まれていました。

予約。

 ドイツ国鉄DBの予約システム。
 さすがに昔のように2時間前までしか予約できないとか、係員が手差しで予約表を座席近くに差し込むといった作業はなくなりました。
 が、ICEは高速列車ながら基本的には今でも予約なしでも乗車できる従来のシステムを採用。
 予約が入っている座席に区間が表示されるのは以前と同じです。
 現在のICE3ではこの部分に表示が。

フランクフルト駅構内。

 広大なフランクフルト・マイン駅の構内。
 発着番線の多い駅を出発すると、今度は広い留置線の間を抜け、なかなか敷地が途切れません。
 先程ホームで眺めたのと同じような電車ほか多くの編成が休んでいました。

車内風景。

 フランクフルト空港駅まで一区間だけ乗車のICE3の車内です。
 長距離列車ですからビジネス客ばかりと言う訳ではありませんが、ビジネスライクな雰囲気ではあります。
 今回は私たちもほんの15分ほどの乗車ですから、ゆっくりと景色を眺めるほどの時間はありません。

空港駅。

 フランクフルト空港駅に到着です。
 以前から空港に長距離列車が直接乗り入れる便利な駅でしたが、かつては地下の少しばかり暗いホームでした。
 現在は長距離列車は地上の新しい駅に様変わりです。
 短距離列車で来るよりは良いかと思ってICEに乗車したのですが・・・。
 新しい長距離ホームは下車してから空港ビルエリアまでが意外と遠く、フランクフルト・マイン駅からやって来るなら、近距離駅の方がはるかに利便性がいいなと思った次第です。

帰国便。

 さて、フランクフルトからの帰国便は、羽田行きのANA便。
 機材は往路と同じB777-300です。
 往路はこの空港での荷物中継がうまくゆかず、前半荷物と「生き別れ」になってしまいました。
 復路はそんなことはないでしょう。
 しかしながら手続すると日本国内セキュリティの関係で、中継後の岡山までの荷物預けができず、一度羽田で受け取らなきゃならない。
 確認の上でも間違いはないでしょうが、それはそれで不便な扱いではありました。

機体。

 DBの駅もそうですが、ここフランクフルト・マイン国際空港も恐ろしく広い空港です。
 おかげで往路は荷物の中継ミスがあったわけですが(実は2006年往路にもこの空港での荷物中継ミスを体験しました。詳しくは こちら から。)、同じく往路はトランジットの乗り換え移動が大変でした。
 幸い帰路は、出発ゲートが受付カウンターから比較的近くで、それだけは助かりました。

搭乗。

 搭乗したANA機。
 往路のような遅れもなく、出発予定時刻より早めにドアが閉まり、タキシング開始です。
 時刻は20時半頃なのですが、そこは発時間の西ヨーロッパのこと。
 まだまだ明るい窓の外です。
 帰国便の出発がこの時刻なので、最終日が有効に利用できる、日本キャリアのヨーロッパ便です。

いつものやつ。

 離陸して暫くは座席に貼付け状態ですが、安定する高度まで上昇するとシートベルトサインも消え、ちょっくつろげます。
 頂くのはいつもの「ビール」。
 以前はワインを所望していたのですが、「ミニボトル」から「フルボトルからのカップ給仕」になって「量」が激減?
 ま、そんなセコイこと言わなくても飲みたいなら通関後の売店で買えばいいんですけどね。
 イエ、実は登場待ちの間にすでに、売店で買ったやつを搭乗ゲート近くの待合エリアで少し頂いておりました。

スカイマップ。

 特に機内で映画やドラマを見たいと言う訳でもないので、目の前のモニターでは例によってスカイマップを流しっぱなしです。
 フランクフルトを出発し約1時間半。
 すでにポーランド上空に差し掛かっています。
 夜行便なので復路の半分以上は寝るだけなのですが、そろそろお腹が空いてきました。

機内食。

 夕食の機内食です。 魚ベースの和食です。
 久しぶりの白いご飯ですが、こちらは同行者の分。
 私は比較のために(と言う訳でもありませんが)別メニューをリクエストです。
 そろそろ日本食が恋しくなる頃かなとは思います。

機内食。

 私の分は、肉ベースの洋食。
 と言うほどの肉料理ではなく、「肉」の部分は少量のソース煮(ストロガノフ風?)でした。
 それより、「洋食」リクエストですが、メインと「ご飯・パン」以外の部分は、和食と共通メニューです。
 一品としてどちらにもある「握りずし」が嬉しい感じです。

2021年1月30日追加

デザート。

 デザートに配られるアイスクリーム。
 いつも一通り写真を撮っておこうと思いながら、デザートとコーヒーや飲み物は忘れてしまします。
 で、今回は忘れずに。
 今回は、ANAで定番だったハーゲンダーツではありませんでした。

アイスクリーム。

 ついでに中身も。
 カップアイスではありますが、まあ普段はあまり食べない高級品には違いありません。
 これで心おきなく眠れそうです。

次の軽食。

 夜の短い、ヨーロッパからの帰国便。
 太陽に向かって飛んでいるのですから当たり前ですが、空が薄明るくなったと思うと、あっという間に真昼間の明るさです。
 もっとも窓はシェードをかけていますから(B787なので、窓はロールカーテンではなく偏光ガラスで遮光するやつ)空けてみるともう真昼間、という感じです。
 着陸前3時間を切ったあたりからそろそろ軽食が供されます。
 ヨーロッパ時間的には朝食ですが、着地・日本時間では完全に昼食です。
 気分的には・・・?
 目が覚めて暫く経つので朝食とも昼食とも思えます。
 が、そもそも直後の睡眠で全く動いていないため、それほど食欲が旺盛な訳でもありません。

最後の機内食。

 「軽食」というにはやや重い、昼食として十分な食事。
 やはり「和食」と「洋食」を別々にリクエストです。
 「夕食」と比べるとやや簡素ですが、量としては、まあ十分です。

岡山行き案内。

 羽田空港内。
 日本キャリアの国際線が多数成田から戻って来ています。
 国内線乗り継ぎを考えると至極便利なのですが、先にも書いたように、国内線の目的地空港まで通しで荷物を預けられませんので、一度羽田で受け取って横持ち、再度預ける手続きが必要となります。
 ところが羽田の荷物預けカウンターが「セルフ化」しており、慣れない以上に画面が国際線からの乗り継ぎ預けにうまく対応してくれない。
 係員の方がでてきてくれたもののうまくゆかず、結局手作業で手続き。
 海外からの乗り継ぎ客って毎日普通に多数いるでしょうに、どうやっているのでしょうか。
 ま、預けてしまえばそれまでです。

岡山行き。

 夕刻の羽田空港。
 乗り込んだのは岡山行き。 機材はやはりB787です。
 大型のジェット機が2社で1日10往復と、旧岡山空港のフレンドシップやYS時代とは隔世の感の、岡山-羽田便。
 お盆休み最終日ではありますが、下りの遅い便とあって、若干空席のある状況でした。

旅の終わり。

 さて、前半羽田離陸後の上空の天候はあまり芳しくなく、下が見えたのは周囲が暗くなってからです。
 若干離陸の遅れはありましたが、それを取り戻しての岡山到着でした。
 老同行者連れの何度目かのヨーロッパ旅行も、これで本当におしまい。 あまり無理が出来ない状況もよく判りました。
 暫くは写真でも見ながら懐かしく思い出に浸ることにしましょう。
 とは言え、個人的には残された、或いは新たに発見した「宿題」も。
 いずれしかるべき時期を見て、改めて出かけてみたいとは思います。

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 さて、毎回小出しに更新していたため、この旅を終えてすでに2年半です。
 90歳を過ぎてもなお脚力だけは自信があった老同行者。 この後暫くして体調を崩し、この旅行記を書いている半ばに他界しました。
 最後の旅が楽しかったのかしんどかったのかは判りませんが、写真だけは毎回きちんと整理していたようです。
 1996年の夏に初めて連れて行って合計11回の同行の旅も、これで本当にお仕舞いです。 もう一緒に行くことは出来ませんが、生前色々希望を聞いていたもので、それを叶えるためにもう1回だけは一人で出かけなくちゃならない。
 コロナ禍真っ最中の2021年1月現在ですので、それがいつになるかは判りません。 が、いつか落ち着いたらもう一度、11回分をまとめてトレースするような旅をしてみたいと思っています。
(2021年1月30日 記)

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