かいもん4号のホームページ TRAVEL 北欧+α 2006夏
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北欧です。 今回の旅行はフロム鉄道、フィヨルド観光が大きな眼目で、かなり観光に傾いています。 とは言え、ベルゲン急行にX2000と、一応の「ツボ」は軽く押えたつもりではいます。 更に、久々のドイツICE乗車は、ICE1から新しいICE3までの乗り比べと、移動には最大限趣味を織り込んでいます。 北欧2国+α旅行の様子です。
追加分は下の方になります。 お手数ですがスクロールお願いします。

伊丹空港。

 伊丹空港です。
 海外旅行の旅行記で「出発時の日本の空港」からスタートするのは、何となくダラダラと時系列に冗長な文章になりそうで気が引けるのですが、今回は「行きの飛行機ネタ」は外せないのでご容赦ください。
 お盆休みの一番混雑する時期の座席を確実に押えるため、チケットは航空会社の正規の格安チケットを利用しています。 更に短い休暇の中で欧州滞在時間を最大限にとるため、最近は日本の航空会社を使うことにしています。
 欧州線の往路はどこのキャリアでもほぼ同じ時間帯なのですが、機材運用の関係で、欧州のキャリアと日本の航空会社では、復路の出発時刻が最大7時間程度異なります。 この差が、最終日の観光や移動に大きく効いてきます。
 さて、伊丹から成田への早朝の便。機材は、B767-300です。  コンテナを積み込んでいるところですが、大きなコンテナを横持ち・回転させるのに、ポイントポイントでは結構「人力」に頼るところが残っていて、見ていて面白いです。 蒸し暑い屋外で作業されている方は大変でしょうが。


成田空港。

 成田空港です。
 今回は、国際線で初めて全日空を利用しました。
 航空会社にこだわりはないのですが(本当はマイレージの関係で日本航空の方が少し有難いかな、とは思うのですが)、スケジュール上こうなりました。
 フライトスケジュールをよくよく検討してみると、日本航空のヨーロッパ線、特に関西空港発着便が、数年前に比べてかなり減少して不便になっているのが目立ちます。  更に、エールフランス等のシェアコード便が増えたりして、AF機材使用便では帰路の時間帯がおもしろくありません。  色々と新聞を賑わせた「会社の問題」もありましたが、長距離の国際線でも、全日空との勢いの差が現れているようです。
 そして、何より今回は「北欧」です。
 何しろ北欧は遠い。  通常欧州内は、「ユーレールパス」の力にまかせて列車の移動を基本にしているのですが、さすがに今回は、すべて列車移動ではとても日数が足りそうにありません。  フィヨルド観光最重点に、ノルウェーの「オスロ」か「ベルゲン」にあまり遅くない時刻に到着できる、かつ帰路はドイツまたはフランスから、という条件で選んだ結果、全日空の乗り継ぎ便採用となった次第です。  


ANA。

 往路の路線は成田発ドイツのフランクフルト行き。
 機材はおなじみのB747-400国際線仕様です。  翼端のウィングレットのカラーが鮮やかです。
 伊丹、成田の写真のように、日本の天候はおおむね「曇り」でしたが、10000メートルを超える空の上に上がってしまえば、雲の上の世界で空の色も鮮やかです。
 座席は後部61AC席。番号が飛んでいますが、最後部は機体幅が狭く、通常3席並びの窓側席が、後部だけは2席となっており、「B」は欠番です。  今回は「高齢の家族」と2人連れのため、長距離便ではこの席は気兼ねがなく便利です。  インターネットから座席までリクエストできるのも助かります。


機内食。

 全日空の機内食です。
 構成の都合でここに掲示しましたが、実は「復路のパリから成田行き」の機内でのものです。
 わずか一週間ほどで、決して日本食が恋しくなったわけではありません。  2種類チョイスできる機内食だったのですが、最後部までワゴンが来るうちに、もうひとつの「チキンベースの洋風メニュー」が品切れとなってしまいました。 後ろのほうの席では、こういうことがあるのが欠点です。 それにしても、ほぼ日本の観光客で占領された「欧州線の日本行き」の便で、日本食の方が人気がなかった?のは少々意外でした。 それとも航空会社の見込みで「日本食」の割合をあらかじめ高く設定していたのでしょうか。
 ところで写真右側にありますが、今回の全日空の機内食の食器は、すべてステンレス製のナイフ、フォーク、スプーンでした。 ちょっと意外でした。
 3年前の日本航空の便では、それまでの金属製の食器が「プラスチック製」に切り替えられており、肉を切るのに苦労しました。  これはコストダウンもさることながら、その暫く前に発生した、全日空国内線での「飛行中の機長刺殺事件」への対策と思っていましたので。  当事者だった全日空で金属の食器を使用しているとは思いませんでした。
 まあ、これはこれで、「色々と便利」なのですが。(注:決して「ご自由にお持ちください」とは書いていません。)


SAS。

 フランクフルトからノルウェー・オスロまでは、スカンジナビア航空SASの便に乗り換えです。
 全日空とは同じスターアライアンスグループです。
 何しろ広いフランクフルト・マイン国際空港。  乗り継ぎ時間は1時間余り。実際はやや早着だったためもう少し余裕があるのですが、国際線乗り換えにパスポートコントロールを通ったり、方向がよくわからなくなるような長い通路を歩いたりと、結構判りにくい乗り換えでした。
 日本の航空会社で同日ノルウェー(オスロかベルゲン)に到着するには、フランクフルト、パリ、ロンドン各空港経由がありますが、今回はできるだけ早い時刻に到着希望ということで、フランクフルト経由。
 結果的にはこれが一番よかったようです。  何しろ出発の前日にはロンドン・ヒースロー空港でアメリカ行きの便での集中テロ計画が発覚し、手荷物制限やセキュリティチェックで同空港発欧州内短距離便は大混乱となっていましたから。  そういう意味では一番警戒の甘い(リスクの少ない)ドイツでした。
 SAS便はあまり優遇されていないと見え、搭乗ゲートは古いターミナルの端のほう、さらにバスで移動し、空港の随分外れといった所からのタラップによる搭乗でした。


オスロ到着・トラブル発生。

 出発が遅れた関係で、オスロ・ガーデモエン国際空港にはおおよそ20分遅れで到着です。
 機材はB737-600。 大した輸送量ではありません。 ドイツとノルウェーの間では、それほどお客は多くないのでしょうか。 ただし機内は満席ではありました。
 さて、それほど広くはありませんが、綺麗でわかりやすいオスロ・ガーデモエン空港。 第一印象は良かったのですが・・・。
 いつまで経っても預けた荷物が出てこない!
 そのまま「終了」!!
 いきなりやられてしまいました。  海外では珍しくない、と言われる「荷物の中継ミス」です。 が、わが身に降りかかってくると、これは一大事です。 なにしろ到着したばかりで、旅行はこれからスタートですから。
 これからどうしましょう。


お助けグッズ。

 実は荷物の「終了」表示とアナウンスがあった段階で、まだコンベアの周囲には10人以上のお客が自分の荷物を待っていました。
ところが彼らはアナウンス後すぐに、仕方ないといった感じで出口(税関から国際線到着出口方面)へ向かって行きます。 何が何だかわかりません。 もしかするとアナウンスに「荷物の積み残しがあった」旨の表現があったのか(アナウンスの細かいことは聞き取れませんでした。)、それとも実に日常茶飯事のことなのか、とにかくそのまま出て行ったわけです。
 しかしこちらは落ち着いてはいられません。
 他人のことはともかく、まず、すぐ横にあるSASのサービスカウンターへ。
 「荷物が出てこないのはどうなっているのか」と言うと、女性の係員は極めて事務的?に、出発地や経由地、個数に色、名札等尋ねてはそのまま端末に打込んで行きます。
 そして手渡されたのがこれ。
とりあえず今夜をしのぐための「お助けグッズ」です。


お助けグッズ(2)。

 「お助けグッズ」の中味です。
 シャンプー類やシェイバー、歯ブラシ等々・・・。
 ホテルに宿泊するなら必要ないと思われるものも含まれていますが、こちらのホテルでは使い捨てのシェイバー、歯ブラシは置いていないところが多いので、それを補完するのでしょうか。
 一番容積を取っているのは「着替えのシャツ」です。
 実際のところ、パスポートやクレジットカード、カメラのほか、1日分の身の回りの小物は機内持込で所持しているので、実際には1日くらいなら無くて済むものばかりでしたが。
 ちなみに黒色の袋が男性用、グレーが女性用らしく、シェイバー等中味の構成が若干異なるようです。
 カウンターの奥の棚には結構な数が並べてあり、他にも貰っている人がいたところを見ると、困ったことにホントに日常茶飯事なのでしょう。
 「SAS謹製」ではなく、スターアライアンスグループのものでしたので、日本で全日空でも貰うことが出来るかも。 あまり嬉しい事態ではないですが。


ラゲージタグ。

 さて、もしかして荷物がとんでもない所に誤送されていたらどうしよう、とちょっと心配だったのですが、結果的には翌日の同じ便に積まれ、1日遅れで無事オスロに到着しました。
 さすがにラゲージタグには「接続ミス」「至急」の文字が見えます。
 フランクフルトで接続が間に合わなかったわけで、1時間少々の乗り継ぎでは、結構リスクは高いそうです。
 概ね想像はついたものの、前日サービスカウンターでは、「多分明日着くだろう」と言われるばかりで、やたら「Maybe」を繰り返され、何とも心もとない感じで目にするまでは不安です。
 その日は「お助けグッズ」を手に引き下がったのですが、問題はどうやって到着を確認するかです。
 係員に「連絡先を書け」と言われましたが、到着時点で、今晩のホテルは未定。 これから市内に出て宿を探す予定です。
 「それなら決まったらここに電話しろ」と言われましたが、生憎連泊するつもりはないため、せっかく不自由な言葉を操って電話しても何の足しにもならないのは明白です。
 結局、翌日を終日オスロ市内観光に変更し(本来はフィヨルド観光の拠点、ベルゲンに列車で向かうつもりだった)、夕刻再度空港を訪れ、24時間遅れで到着する「らしい」ことを確認して、そのまま待機して受け取った次第です。


ラゲージラグ(2)。

 本来なら12日のSK4756便でオスロ着のはずなのですが、重ねて「13日のSK4756便」のタグが貼り付けられていました。
 ドイツのハブ空港とノルウェーの首都間の路線のため、1日に複数の便があり、もう少し早く着くのではと期待していたのですが、やはり1日1便しかないのでしょうか。
 ところで、カウンターで受け取った「遺失物証」をホテルでよく見ると、遺失荷物の検索ホームページアドレスが載っているのを発見しました。 オスロ中央駅には、オープンスペースにインターネットカフェがあるのを見つけたため、「遺失物証」の情報をたよりに検索してみると・・・。
 自分の名前、荷物の経路のほか、荷物の色や形、それに日本の連絡先等、昨日言った情報がちゃんと入っています。 おそらくカウンターで端末から入力した段階ですぐに登録されたのでしょう。
 しかし残念ながら、肝心の荷物の所在については「現在アナウンスする情報は何もない」と書かれたままです。 これは朝一番と夕刻空港を再訪する前に試したのですが、同じ事でした。
 せめて「フランクフルトまで届いている」という情報があれば少しは安心出来たのですが。
 バーコードでリアルタイムに通過ポイントチェック、なんていうのは難しくないと思うのですが。 もっとも「接続ミス品の判別と入力」に手間がかかるのかもしれません。


お詫び。

 「お助けグッズ」の中に入っていた、小さな三つ折の「お詫び」です。
 参考までにご一読ください。
 といってもさすがにこれは・・・、サッパリわかりません。


お詫び(2)。

 三つ折の中身はこの通りです。
 数ヶ国語が並べてあり、控えめに最後のほうに日本語もありますので、読み比べてみるのも退屈しのぎにいいかも。
 この語訳があれば、どんな外国語でも読破できる? いえいえ、やはり上の文字はチンプンカンプンです。


以下 9月17日追加

オスロ中央駅前。

 早朝のオスロ中央駅前です。
 本日は日曜日ということで、宿泊したホテルの朝食時刻が遅く8時からスタート。(いやに遅いです。)  「荷物のトラブル」のおかげで本日のオスロ市内観光の時間はたっぷりあるため、何の問題もないのですが、目だけは早い時刻に醒めたため、早朝の散歩です。
 昨夜到着後、飛び込みで宿泊したホテルは駅から歩いてほんの5分ほど、というわけで、朝6時半頃の駅前風景です。
 駅正面出口から駅前広場方面を見た様子ですが、さすがに休日の早朝のためか、まだ人通りはほとんど見られません。


大聖堂前。

 駅前周辺の狭い範囲ををぐるぐると歩き回って、大聖堂前へ。
 7時をかなり過ぎてはいるのですが、まだまだ観光客が溢れる時刻ではなく、時おり朝の散歩がてらの観光客が歩いている程度です。
 大聖堂前の広場はがらんとしていますが、路面には昨夜の喧騒を想像させるような大量の「ごみ」が散乱しており、鳩が舞い降りてはつついています。
 交通機関等を見るに、「公共」という観念は一人ひとりに浸透していると思われるヨーロッパなのですが、どこの都市でもなぜか早朝はこのように散らかった風景が多く見られるのは不思議なことです。
 もっとも役割分担ははっきりしており、ちゃんと清掃に従事する「階層」の人がいるようで、人通りが増えるころまでには不思議ときれいに清掃されているのです。


国会議事堂。

 カール・ヨハン通りに面したところにある、国会議事堂です。
 随分とこじんまりした印象なのと、ショッピング街のすぐ隣に位置するのにちょっとビックリです。
 ここから国立劇場、さらに王宮までは通りの南側が公園になっており、ちょっとくつろげる感じです。 


国立劇場。

 細長い公園を挟んで国会議事堂と向かい合った感じの、国立劇場です。
 こちらも国会議事堂と同じく、いつもの散歩の公園の中に建っている、という感じで、少なくとも立地条件だけを見ると、変な威厳とか、目に見えない「壁」といったものを全く感じさせません。



王宮。

 オスロ中央駅正面からまっすぐ、カール・ヨハン通りを突き当たったところにそびえる「王宮」です。
 さすがに「こじんまり」といった印象ではなく、低い丘の上にそびえている、といった感じです。
 実際には丘の上、というほどの高さではなく、周りよりはちょっとだけ高い、といった印象です。
 ガイドブックによると、オスロ中央駅から王宮までは「約1.5km」とのことなのですが、途中のカール・ヨハン通りは賑やかなショッピングの店舗あり、国会議事堂に劇場にオスロ大学に公園あり、さらに日中は路上に出店やレストランのテーブルも広げられ、歩いていて遠いという感じは全くありません。
 敷地内、建物の周りはぐるりと一周できるのですが、残念ながら中を見学するのはフリーではだめで、指定の「郵便局」でチケットを購入してツアーに参加する必要があるオスロ王宮でした。


オスロ市役所 。

 オスロ市庁舎です。
 現役の市庁舎なのですが、立派に観光地のひとつになっており、中の一部を見学することができます。  但し有料です。結構高いです。
 写真の反対側、2階のテラスに上がれば、目の前にはかつてヴァイキングの船が占めていた港の風景が広がっている・・・はずでしたが、残念ながら安全のためかテラスには出ることは出来ず、手前のガラス越しに眺めただけでした。
 そろそろノーベル賞の発表の季節になりましたが、ここオスロ市庁舎は、毎年ノーベル平和賞の授与式が行われています。
 そういえば日本人にも1人、これまでに「平和賞」を受賞された方がおられましたね。  どうも「70年安保」の印象が強いので、、受賞当時は多少の「違和感」はありましたが。


路面電車 。

 長々と駄文を綴っているのですが、一向に鉄道ネタが出て来ない、こいうことで、ここらでそろそろ一度路面電車に登場していただきます。
 もっとも写真の方は、「ギャラリー」のコーナーに多数並べていますので、こちらをご参照ください。
 市役所を出た後は、すぐ前の海側の港の周囲を散策です。
 オスロフィヨルド(フィヨルドと言っても広く穏やかな入り江ですが。)の観光船にビグドイ地区へのフェリーボート、大きなショッピングセンターと賑やかな地区です。



ヴァイキング?。

 昔のヴァイキングを思わせる船?それとも大型のヨット?  観光船やフェリーボート、そして写真のような船が賑やかに並び、頻繁に発着する市役所前の港です。
 写真左手のアーケシュフース城に上がれば、こじんまりとした港の風景が眼下に見下ろせます。
 ガイドブックによると「オスロ中央駅周辺」「王宮周辺」「市庁舎周辺」なんて感じに地区が分かれて書かれていますが、ゆっくりと歩いて観光しても大した距離ではなく、通りの賑やかさもあって、ほとんど一体となったオスロ中心部の観光地繁華街です。


再びオスロ空港。

 さて、昨夕の到着に続いて再び戻ってきました、オスロ・ガーデモエン国際空港です。
 もちろん未着の荷物を引き取るためです。
 但し、ちゃんと届いて受け取れるという確証があってやって来たわけではありません。
 もしかしたら昼間にフランクフルトからの到着便があって、すでに届いているのではないかと淡い期待をしていたのですが、どうやらフランクフルト〜オスロ線はそれほどの便数ではなさそうです。
 しかしながら、どうやら夕方の便で間もなく届きそうだとのことで、一安心して到着待ちです。
 もし本日届かなければ、オスロ駅前のショッピングセンター(偵察済み)で着替えと小物を買い揃えてそのままベルゲン方面へ、という代替プランも考えてはいたのですが。



以下 10月1日追加

夜行列車。

 「荷物」の問題が無事解決してまたも戻ってきた夜のオスロ中央駅。 次なる問題は、「列車の予約売切御礼」です。
 この日の日中にチケット予約をあたったところ、候補に挙げていた「本日のベルゲン行き夜行605列車」「明朝のベルゲン急行609列車6:35発」「同61列車8:11発」「同601列車10:33発」いずれも満席。 更に「保険」と思っていた反対方向の「本日のストックホルム行き夜行3列車」「明朝のストックホルム行き625列車」まで全部満席です。
 (もっとも、この段階でストックホルムに向かうと、行程上スウェーデン国鉄高速特急X2000に乗るのが非常に困難になり、嬉しくはないのですが。)
 これ以上の代替案を持っておらず、ひとまず荷物受領に空港へ。 到着待ち時間の間に時刻表を睨んで再考した結論は、「とにかく出来るだけ早く(つまり今夜の夜行で)ベルゲンに向かう」こと。
 再度プランニングの上、オスロ空港駅の窓口で、「翌々日朝のベルゲンからオスロまでのベルゲン急行62列車」の指定席と、その後の「翌々日のオスロ発ストックホルム行き夜行3列車」の寝台の予約を何とか確保。 今夜は予約なしのまま「ベルゲン行き夜行605列車」に飛び乗ることに決定です。
 予約必要の「R」マーク付き列車ですでに予約完売ですが、最悪デッキででも一晩過ごすことにします。
 夜のオスロ中央駅に並んだベルゲン行き605列車とスタヴァンゲル行き夜行705列車。 どちらも寝台車、座席車を連結した編成です。


車補?。

 飛び乗ったベルゲン行き夜行列車。
 車内は程々に込み合っていますが、デッキに立つ客はそう多くありません。 それでも何人か見られるのは、やはり予約なしで飛び込みの客も多少はいるようです。
 オスロ発車後、とりあえず空いた席に仮に着席。  ノルウェーでは座席に予約の表示がないため、どの席がどこまで予約が入っているのかは全くわかりません。  しかし前後がまとまって空いているのを見ると、いずれ何処からか団体で乗ってくるに違いありません。
 案の定、おおよそ1時間半後に停車したHonefossで、小学生か中学生位の一団が大量に乗車、一両の半分ほどの空席は全部埋まってしまいました。
 こうなると、予約のない乗客による残った空席の争奪戦? とりあえずでも、例え予約を持った乗客が現れるまでの間だけでも、先に座った者の勝ちです。
 深夜2時を過ぎた頃、ようやく車掌の検札。 ユーレールパスを示すと、ベルゲンまで?と聞いた後、補充券を渡されました。
 券面を見ると、いま自分が座っている席の番号が入っています。 行き先は終点のベルゲン。 しかも、料金表示は「0」で、請求もされません。
 どういうことか判りませんが、とにかく満席のはずの車内で、明朝終点までの座席を無事確保できました。 ペナルティーの加算料金を取られるのでは、と思っていた予約料金も不要とのことで、これは意外でしたが、助かります。
 それにしても、この車内補充券?、ユーレールパスを示した後に発券したのではなく、あらかじめ車掌が持っていたようなのです。 予備席を準備していて、それがたまたまこの席だったのでしょうか。 それともキャンセル席を持っていて、席のない乗客を誘導するシステムだったのでしょうか。
 いずれにしても助かりましたが、真相はわかりません。  券面の文字にその「秘密」があるのかは、私には判読できません。 どなたかご存知でしたらぜひご教授ください。


ベルゲン着。フィヨルドへ。

 何とか到着した早朝のベルゲン。 駅から歩いて20分程のベルゲン港へ直行し、本日はこれからフィヨルド観光です。
 観光ガイドブックを見ると、フィヨルド観光の中心は4大フィヨルドなる説明がありますが、今回はそのうち一番大きく有名らしい?ゾグネフィヨルドへ向かいます。
 ゾグネフィヨルドの旅は、パンフレットやガイドブックのモデルコースによると、フロムとグドヴァンゲンの間、つまりゾグネフィヨルドの一番奥の部分を約2時間、フェリーボートで楽しむ(高速船の便では1時間20分ほど)のが一般的なようです。
 しかしクックの時刻表によると、ベルゲンから外洋を通り、ゾグネフィヨルドを入り口から一番奥のフロムまでの船の便が一日一往復あります。  しかもベルゲンが朝8時発で、フロム着が13時20分と、ベルゲン夜行から乗り継ぐにはおあつらえ向きのダイヤです。
 というわけで、ちょっと贅沢に全行程5時間20分の、ゾグネフィヨルド高速船走破の旅です。


ベルゲン港。

 ベルゲン港を定刻に出発した高速船は、湾内を出るまでは暫く速度を抑えてゆっくりと進みます。
 さすがにフィヨルド観光のベースの町だけあります。 フィヨルド状の入り江の出口、大型船のブースには、こんな感じの大型客船が4隻。 さすがに見ごたえがあります。
 中でも大きかったのがこの1隻。 何なんでしょう。この巨大さは?
 たった半日のフィヨルド観光、なんてケチなことは言わずに、世界一周の船旅の途中なのでしょうか。
 


フィヨルド。

 観光船かと思われたこの高速船ですが、(もちろん半分以上は見るからに観光客なのですが)、フィヨルドに入ってからは結構こまめに両側の港に停まっては、乗客が乗り降りします。
 長さ100キロ以上入りこんだフィヨルドに橋が架かっているわけではなく、船便が重要な交通手段となっているのがよくわかりました。 しかも、停泊する港ことに、別の高速船やフェリーボートとうまく接続しています。
 写真のように見るからに観光地のような港ばかりではありません。 いかにも地元客のための、こじんまりとした集落の港といった感じのところにも順に停泊してゆきます。


フェリー接続。

 他の船便との接続の圧巻は、フィヨルド内での「直接接続」でした。
「グドヴァンゲン方面乗換え」の案内の後、船は減速して停船。 しかしそこは港ではなく、フィヨルドの中央です。
何事かと思ってデッキに出ると、海の上で隣にフェリーボートが接舷しており、渡されたブリッジで乗客が船から船へ直接乗り移ってゆきます。
 そして短時間で乗換えが終わると、またそれぞれの目的地に向かって別々に別れてゆきます。
 さすがにこのあたりの交通は海上が中心となる幹で、そこから枝のように陸上交通が分かれている様子がわかります。


フィヨルド。

 ここまではフィヨルドと言っても幅が1、2キロ以上あるような広い入り江(但し山は切り立って高い)でしたが、終点のフロム到着1時間を切って、ようやく観光ガイドにあるフィヨルドらしく、幅が狭まって両側の山の高さもより険しくなってきました。
 先ほどまでと比べると少し曇ってきたのがちょっと残念ではありますが。
 双胴の高速船ではありますが結構大型で、2階の後部と両側面はオープンデッキとなっており、外に出ると眺めは抜群です。 さすがに風は少々きついですが。
 この写真では両岸の山の険しさはいまひとつ実感できませんが、一番迫力のある風景は残念ながら、カメラのファインダーには収まりきりません。 これだけは瞼の奥によく焼き付けることにします。


フロム港・フロム駅。

 終点フロム港に到着です。
 実に満足できる、5時間20分の船旅でした。
 フロム港は、フロム鉄道フロム駅とすぐ向かい合った位置関係です。 写真右手がフロム駅、中央奥が乗車ホームとなっています。
 フランクフルト空港到着以来ほぼ2日近く、ほとんど聞かなかった日本語の会話(除く私と同行者)ですが、船から降りたとたんに出会ったのは、お馴染み「JTB魅惑のフィヨルド何とかツアー」の実に賑やかな一団でした。  


以下 10月22日追加

フロム鉄道。

 まるで模型のレイアウトのようなシーンです。
 フロム鉄道・フロム駅の一角の車庫前に停められていた、赤と緑の電気機関車です。
 建物の雰囲気や後方の山の木々など、そのままカタログの写真にでも使えそうな感じで、このまま再現したくなります。
 私鉄ながら、海岸から標高800メートルを超える高地までの急勾配を上る山岳路線のため、大型の電気機関車が活躍しています。


フロム鉄道博物館。

 フロム駅のすぐ横にある、フロム鉄道博物館です。
 入り口がわからず建物の周りをぐるりと一周したのですが、いわゆる「土産物店」の奥が入り口でした。
 入場料が必要、と手元の資料にはあったのですが、それらしい窓口はなく、そのまま無料で入場できました。 写真のように、木材を多用した建物はまだ真新しく、出来たばかりのようです。 新築か改築されたばかりなのでしょうか。
 展示物の目玉?は写真の電気機関車で、実物の「車両」と言えるものは、保線用の「人力車?」を含めて3両だけ。 その他、写真やプレート類の展示品が多数ありました。
 


列車到着。

 ミュルダールからの列車が到着しました。
 さすがに「世界の観光地」です。たくさんの観光客が降りてきます。  団体の観光バスのツアーも、この区間は「フロム鉄道乗車」と「フィヨルド遊覧」が組み入れられているものが多く、観光客が集中します。
 この列車が折り返し、次のミュルダール行きとなるため、手前では乗車待ちの長い列が出来ており、降りる客と乗る客であたりは大混雑です。
 もっとも列車は客車の長い編成ですから、定員は十分余裕があります。


フロム峡谷。

 フロム駅を発車した列車は、すぐに急勾配をぐんぐん上ってゆきます。
 谷底は海から川に変わりましたが、海のなくなったフィヨルドがそのまま陸地になって続いているような渓谷の風景です。
 さすがに急な上り坂とカーブの連続ですから、列車はゆっくりしたスピードであえぐように上ってゆきます。  


ヒョース滝。

 フロム鉄道の目玉、途中にある「ヒョース滝」です。  この滝を見学するために、急勾配の途中に木製のホームと展望台が設けられており、列車は10分ばかり停車、乗客は全員ぞろぞろと降りてきます。
 鉛直落下ではなく岩肌を急に流れ落ちるような滝のため、写真ではさほど高い感じがしませんが、目で見ると結構な落差がありました。
 


ヒョース滝・停車中。

 駅、とはいっても乗降客がいるわけではありません。(そもそも「駅」扱いなのでしょうか?)
 ここはあくまで観光のための一時降車で、周囲には小さな発電所以外はなにもありません。
 そもそもこの区間は、急勾配+大きなオメガループの中間地点で、よくこんな場所に客車列車を停車させられると思うような場所です。相当に高出力の機関車なのでしょう。  長い編成の列車も、前後はトンネルの中に入ったままです。
 この駅を出てトンネルを抜けると、先ほど走ってきた線路が、とてもハンパでないはるか眼下に見下ろせます。  さらに、先ほど見上げたヒョース滝の上の湖が見下ろせる場所まで一気に上ってしまいます。
 やはり急勾配は「下りる」よりは「上る」ほうが面白い、と感じさせられたフロム鉄道の1時間でした。  


ふたたびベルゲン。

 ミュルダールからは、国鉄NSBでふたたびベルゲンへ。本日はベルゲン泊まりです。
 人気の高いベルゲン急行、ミュルダールから乗車する接続の列車は、満席のため昨日オスロで予約が取れなかった601列車です。
 しかしながら、始発のオスロでは一杯でも、相当の乗客がフィヨルド観光のため、乗車駅ミュルダールで下車することが想像されます。  更に加えて、昨夜の夜行ベルゲン急行で、予約なしで飛び乗った実績で大体のイメージがつかめたため、特に心配なく、そのまま乗車することにします。
 予想通り、車内は多少空席がある状態で、さほど苦労なく着席することが出来ました。
 このベルゲン急行は、ノルウェー国鉄NSBの上級クラス「コンフォートクラス」の車両で運転されています。  列車は列車番号2桁の「高速電車」タイプと列車番号3桁の電気機関車牽引「客車」タイプがありますが、客車タイプの車両も他の一般客車とは異なり、リクライニングシートの特別な車両が使用されていました。
 ちなみにベルゲン夜行の座席車も同じ車両を連結しているのですが、こちらは寝台車等を連結しているためか、クックの時刻表には「NSBコンフォート」とは表示されていません。


ベルゲン・ブリッゲン地区。

 世界遺産に登録されている、ベルゲンはブリッゲン地区です。
 三角屋根の古い家並み、ですが実は何度か建てかえられているそうです。 よくよく見ると、綺麗にそろった家並みではなく、何だか相当に傾いています。  地盤の関係でこうなるのでしょうか。それとも復元の度に、以前と同じように傾けて建てたのでしょうか。
 夕刻の町並みは、観光と食事の人で賑わっています。
 実はここまで来るのにまたまた一苦労。 ベルゲン急行の混み具合から嫌な予感はしていたのですが、到着後あてにしていた駅近くのホテルは「満室」。(もちろん予約はしていません。)  その後片っ端から飛び込んだホテルも、どこも返ってくる返事は「FULL」の言葉だけ。 港近くのツーリスト・インフォメーションに入ってみればこれまたとんでもない大混雑、ということで、1時間ばかり探し回った挙句に、結局飛び込みでノルウェーキャリアフラグの航空会社が経営する、予定より「相当高い」高級なホテルに泊まることになってしまいました。 ブリッゲン地区のすぐ隣のため、観光や食事には実に便利でしたが。  


以下 2007年1月7日追加

ベルゲン駅・翌朝

 本当なら一日ゆっくりしたいようなベルゲンの町でしたが、後々のスケジュールのために市内中心部の散歩程度で我慢です。
 さて、はじめの3日間は予想外の色々なトラブルのためスケジュールの組み換え等でバタバタしましたが、これからは概ねイメージ通りの旅が出来そうです。 といっても、宿泊地やホテル、長距離列車の座席等をまだ予約していなかったりと、不確定要素はたくさんあるため懐には複数のプランを抱えての旅には違いありませんが。
 翌朝のベルゲン駅です。  左側の機関車牽引の客車列車は、昨日乗車してきたのと同じ、オスロからの夜行列車です。 荷物車や寝台車を連結していますが、このうち座席車だけを切り離して編成替えを行い、昼間のベルゲン急行としてオスロに向かいます。
 そして右側の電車の編成が、これから乗車する朝一番のベルゲン急行オスロ行き、62列車です。


ベルゲン急行(電車編成)。

 オスロ〜ベルゲン間を結ぶ通称「ベルゲン急行」には列車番号が2桁の電車編成と、3桁の客車編成があります。 いずれもトーマスクックの時刻表には「コンフォートクラス」として表示され、通常のインターシティより上級の車両とサービスがあります。
 車両は外観を見たところ、オスロ中央駅とオスロ・ガーデモエン国際空港を結ぶ空港特急「Fly Toget」と同じスタイルの色違いですが、「Fly Toget」が短距離向けの車内設備なのに対して、長距離長時間向けにゆったりとした造りになっています。
 快適なソファタイプの座席のほか、セルフサービスのコーヒー、新聞のサービス(生憎読みこなすだけの語学力はありませんが。」等々。
 ただ、私としては、車内の雰囲気は客車のほうがどちらかというと好きです。


フィンセ・最高地点駅。

 ベルゲン急行オスロ〜ベルゲン間の最高地点、フィンセ駅に停車中です。
 この車両は車内のLEDインフォメーションで駅に到着するたびに「高度(標高)」が表示されており、それによると標高は1222mです。 始発のベルゲンも終点のオスロもどちらも海岸近くで港に至近の駅ですから、丸々これだけの高さを上って下りることになります。
 夏でも涼しい地方ですからすでに森林限界をとうに越えたところまで登っており、周囲に木らしい木は見られず、低い潅木や草ばかりです。
 列車はここで10分ばかり停車。  交換列車があるわけではなく、写真の通り大きな駅、というわけではありません。 高原の駅でちょっと一服、といった感じの列車と乗務員と乗客でした。


ベルゲン急行・車窓風景。

 最高地点・フィンセを出た列車は、これからはひたすら下り勾配を下りてゆきます。
 オスロ〜ベルゲン間500キロ足らず、東京〜大阪間よりも少し短い距離を走るベルゲン急行、電車編成で約6時間半、客車編成の列車では7時間以上と、他の路線の長距離列車と比べると相当のスローペースです。 山岳路線でなおかつカーブの連続のため、速度がだせないのも無理はありませんが。
客車列車はともかく、この電車編成の列車としては残念ながら高速性能の実力は出し切れていません。
 しかし車窓風景は終始すばらしく、なおかつどれだけ高いところまで登っても、写真のような結構広い池、というより湖が続きます。
 さすがにヨーロッパの鉄道車窓風景ベストの上位を占めるだけのことはありました。


ベルゲン急行チケット。

 乗車の2日前、8月13日にオスロ・ガーデモエン空港駅の窓口で入手した、ベルゲン急行62列車のチケットです。
 上の方のベルゲン夜行のところでも書きましたが、ユーレールパス利用の場合、座席予約料金は不要でした。


ベルゲン急行車内風景。

 さて、満席なのでは、と思われたオスロ行きのベルゲン急行62列車ですが、指定された1号車の車内はこんな感じ、つまりガラガラでした。 写真はベルゲン発車前で、発車までには更に数名が乗ってきましたが、空いていることに大差はありません。 朝早い列車(といっても8時前ですが)なので、途中で込んでくるかと思われましたが、途中の停車駅、観光地ヴォスでもフロム鉄道の乗換駅ミュルダールでも大した乗車はなく、結局終点オスロ中央駅までガラガラのままでした。 他の号車の車内をうかがっても、大差なかったようです。
 昨日のベルゲン行きはどの列車も満席で予約が出来なかったのに、この落差はどういうことでしょうか。 休日や観光シーズンの関係でたまたま下りが込む日だったのか、結構な距離と時間のために上りは飛行機を利用する観光客が多いのか、そのあたりの事情は判りませんでした。
 車内のつくりは写真のとおりです。 快適なのですが、厚い壁を強調するFRPの窓枠は、いまひとつ視界が広くありません。また、ラクダ色のレザー調のシートもモケット張りのシートと比べると好きになれず、私としては客車の方に軍配を上げたい感じでした。


寝台列車(国際特急)。

 オスロからストックホルムまでの夜行寝台列車です。 ノルウェーとスウェーデンを結ぶ国際列車です。  この列車も前々日に無事予約することができていましたので、乗車に当たって案ずることはありません。
 夜遅くオスロを発車して(といっても北欧の夜ですから、空は結構明るい感じです。)早朝ストックホルムに到着する、至極便利な時間帯の夜行列車です。
 列車は見るからに時代物の感じの機関車と客車の編成です。(と言うほどは実際には古くはないようでしたが。)
 車両はスウェーデン国鉄SJの車両で、「赤色系統」の車両が多いノルウェー国鉄・オスロ駅では異色のいでたちです。



寝台列車(国際特急)。

 手動で外側に開閉する扉、手差し式の行き先表示によじ登るような高いステップと、いかにも昔ながらのヨーロッパの客車といった感じの、ストックホルム行きの寝台列車です。
 しかし車内設備は外見とちがって快適でした。 写真の車体側面ピクトグラムにあるように、共用のシャワー室も設けられており、これまた快適です。
 強いて快適でない点を挙げるとすれば、やたら速度が速いため、結構揺れること。 平地を走る区間が長いせいもあるのでしょうが、そのスピードは昼間乗車した「ベルゲン急行」とは雲泥の差です。 翌朝窓から見た感じでは、この手の客車の最高速度の160キロは出ていたように思えました。


以下 2007年1月28日追加

寝台列車(国際特急)。

 寝台列車最後尾は、先頭と違い切妻のタイプです。 こちらも何とも古めかしい感じです。  さて、5両編成の寝台列車、このうちストックホルム行きは前の3両で、(オスロ発車時点で)前から寝台車、簡易寝台クシェット、座席車の順になっています。
 後ろの2両は途中ヨーテボリで切り離されて、スウェーデンの南端の都市マルメへと向かいます。 こちらは座席車はなく、寝台とクシェットの編成です。
 スウェーデン国鉄の車両で運行されるこの寝台列車。 ノルウェーのオスロとスウェーデンのストックホルム、マルメを結んでおり、それぞれの駅を他の2都市行きの弊結で出発した列車は、途中深夜のヨーテボリで分割され、弊結相手を取り替えて終点に向かいます。
 今回乗車した3列車ストックホルム行きは、マルメ行きと弊結で発車した後、ヨーテボリでマルメ行きを分離、更にマルメからやって来た列車のうちストックホルム行き編成と連結の上、終点ストックホルムに向かいます。
 切り離したマルメ行き編成は、ストックホルムからのマルメ行き編成と弊結されてマルメへ。
更に、マルメからのオスロ行き編成とストックホルムからのオスロ行き編成が弊結されて、オスロに向かいます。
 慌しい編成替えが深夜2時台のヨーテボリ駅で繰り広げられ、少ない編成と列車本数で合理的な運転ですが、このために第3列車はオスロからストックホルムまでを、最短距離のカールシュタッド経由ではなく、ヨーテボリを経由して直角三角形の2辺を走るようなルートを辿ります。
 もっとも発車・到着時刻は「ちょうどいいくらい」ではあります。


寝台チケット 。

 こちらもオスロ・ガーデモエン空港駅窓口で事前に入手していた、寝台のチケットです。
 寝台列車は割高との情報でしたが、ユーレールパス所有、個室の2人使用で536クローネ(9500円位)と、思ったほど高くはありませんでした。
 寝台番号が7/9と飛んでいるのは、1等扱い(3人部屋の2人使用)で3段のうち中段(8番)を使用しないためです。
 ところでオスロ中央駅は「OSLO S」、ストックホルム中央駅は「STOCKHOLM C」。どちらも「中央駅=セントラル」なのですが、微妙な言語表記の違いが現れています。


個室寝台。

 タイトルに「個室寝台」と書きましたが、ヨーロッパの寝台は基本的には「個室」。オープンの簡易寝台「クシェット」とは明確に区別されています。 もっとも個室とは言え、1人室〜3人室があり、「見知らぬ同性」と相部屋になることもあります。
 今回は2人使用指定のため相席となることはなく、中段は畳まれたままです。
 この状態だと中段が邪魔にならず窓を開けることができました。 窓が開く寝台列車、というのもいいものです。
 ほとんど目線の高さで撮影しているのですが、上段は相当の高さのようです。


個室寝台。

 上段(の荷物スペース)から見下ろすと・・・・・こんな感じでした。
 はしごの段数からもわかるように、相当の高さで、ここから転落したらただでは済みそうにありません。
 おまけにこの「はしご」、パイプでちゃんと「支持」されており、決して外れることはないのですが、「固定」ではなく左右にはスライドできるため、上り下りは慣れないと何とも不安定な感じです。
 寝台の「幅」は意外と狭く、日本のB寝台とあまり違わないのでは?という感じ。  日本人の標準体格には、それでも十分すぎる広さではありましたが。


個室寝台。

 部屋の一角にある洗面コーナーです。
 個室寝台は基本的に室内に洗面コーナーがあるため便利です。
 テーブル兼用の洗面台に石鹸、鏡、コンセント類にゴミ袋と、どこのものも造りにそれほど大差はありません。 鏡のコップマークは、裏側の棚に「飲料水(ペットボトル)」が入っている、という印です。
 右側のカード挿しにある2種類のカード、ひとつはこの部屋のキーで、オートロックのドアはこれがないと外側からは開けることができません。
 もうひとつは、車端にある共用のシャワー室のキー。 共用であっても、夏場の夜行列車ではシャワーは有難いサービスです。 早速利用を、と思っていたのですが、隣の隣の2部屋を占領した中国人風の家族6人連れが、乗車もそこそこに発車前から「占領」してしまいました。 うーん、やはり「パワー」が違います。 海外ではいらん遠慮は禁物、と再認識です。


ストックホルム中央駅。

 ストックホルム中央駅に定刻到着。
オスロ発車時は機関車の次位だった寝台車ですが、途中で方向転換があり、ストックホルム到着時は一番後ろでした。
 ヨーテボリで編成替えがあり、マルメ行きを切り離してマルメからの車両を連結。 発車時より長い編成になっていました。
やはり国際列車よりは国内の夜行列車の方が人気があり、利用が多いのでしょうか。


以下 2007年2月18日追加

ストックホルム。

 ストックホルム到着後、早速観光です。
 と言いたいのですが、その前にやっておくことがあります。
 まず駅構内にある、銀行のキャッシュディスペンサーで多少の現金をキャッシング。 カードは通常MASTERとVISAの2枚を持ち歩いておけば、まず困ることはありません。 今回のように日替わりで国が変わるような場合、キャッシングの手数料を考えても、現金を両替したりトラベラーズチェックを持ち歩くより手間がかからず時間も自由になり、おまけにまず割安です。
 大抵のものはカードで済みますが、ちょっとした買い物のために、常時数千円程度は現金を持ち歩くことにしています。
 次に大きな荷物をコインロッカーに預けます。ここでまず現金が必要。
 もうひとつ、駅の窓口で特急X2000の予約を。 今回の目的のひとつでもあり、ここまで来てこれを外すわけにはゆきません。
 7時半の窓口オープンに並び希望を述べたものの、残念ながら16時台のマルメ行きは満席。 14時20分なら空席がある、とのことで早速こちらを入手しました。 ついでにマルメからドイツ・ベルリンまでの国際夜行列車ユーロナイト「ベルリン・ナイト・エクスプレス」の空席を尋ねると、「国際列車は10時から」とのこと。 今後の時間の関係でこちらは断念し、今夜は「デンマークのコペンハーゲン泊まり」案を選択することに決定します。
 さて、ようやく「市内観光」です。 ストックホルム出発が14時20分と、予定より2時間少々早くなったため、少々急ぎ足です。 当初スケジュール案では丸1日観光だったのですが、「オスロでのトラブル」のため、オスロ観光の時間が十分すぎるほどできたのがこちらに影響しています。
 駆け足の観光、ということで、観光の中心地・リッダーホルメン島ガムラ・スタン地区へ。 ストックホルム中央駅からは、鉄道併用橋を眺めながら徒歩でごくわずかの距離です。 併用橋(と言うより正確には道路と鉄道の並走ですね)はストックホルム中央駅に発着する通勤列車がひっきりなしに走っていました。


リッダーホルム教会。

 上の写真の左後方に尖塔が見える、リッダーホルム教会です。  それほど大きな教会ではありませんが、細長い尖塔の先は意外と高いようで、街の結構離れたところからもはっきりと見ることが出来ます。
 時計が示すように、まだ8時過ぎのことで、残念ながら内部を見学することはできませんでした。


王宮。

 ガムラ・スタン地区のうち広い面積を占める、王宮です。
 大きなつくりの宮殿ですが、あまり引きがとれず、正面からは建物全体を写真に写しこむことができませんでした。 こちらもまだ「開館前」なのですが、ここはぜひ内部を見学してみたいため、このまわりの観光地を適当にぶらぶら散策しながら時間を潰します。


王宮横。

 上の写真の右側面にある広場(通り?)の眺めです。 狭い入り江(水道)のすぐ向こう側には国立美術館が見渡せます。
 写真のように、宮殿は全くの平地ではなく、ほんのわずかですが標高があります。
 ちょうどこの場所に観光バスがしきりに発着しては乗客を降ろし、すぐにどこか(駐車場?)へ回送されます。 ひと通り短時間の散策を楽しんだ「団体さん」は、また迎えに来たバスに乗って次の観光地へ。
 昔一頃、日本人の団体観光客が悪く揶揄されたことがありましたが、世界の観光地へ行けば、どこの国の観光客もだいたい似たようなものです。
 観光バスで乗り付けて団体でカメラをぶら下げた列を作り、見学に時間のかかる施設は中に入らず「外観見物」だけで済ませて次の観光地へ。  もちろん日本の「某社ツアー」の団体とも遭遇しましたが。
 それにしても上2枚の写真を見比べていただくと判るように、朝から天候が安定しません。 青空が広がったかと思うと低い雲がさっと覆って短時間の驟雨の繰り返し。 物陰でちょっと待っていればおさまる程度ですので、大きな影響はありませんが。


地下鉄。

 時間がない、といいながら、ガムラ・スタンと並んで行ってみたいのはドロットニングホルム宮殿。 但しこちらは中央駅周辺ではなく少し郊外にあり、地下鉄とバスを乗り継ぐ必要があります。
幸い地下鉄は、ガムラ・スタンにある駅から乗換えなしで20分ばかりと、それほど便利が悪いわけではありません。
 地下鉄の電車は新しく乗り心地もよく、何より驚いたのは地下トンネル内の走行音が非常に静かなこと。 写真の通り、ごく普通の電車なのですが。


接続バス。

 地下鉄で途中からは地下から高架に上がり、郊外の風景を眺めながら到着したブロンマブラン駅。
 駅前にバス乗り場があり、ここからドロットニングホルム宮殿まではバスで10分ばかり(のはず。)  地下鉄と同じくSL社の運行で、共通の真っ青な車体、写真では判りませんが長い連接バスです。
 駅からは実に大勢の観光客風の乗客で、殆ど皆が宮殿観光に行くのか、と思っていたら、宮殿前のバス停案内でだれもボタンを押しません。 人任せにしていると、あやうく乗り過ごすところでした。 乗車の際に、運転手に「ドロットニングホルムへ行く」と告げていたため、ちゃんと停車してくれましたが。
満員の乗客はどこまで行ったのでしょう?


ドロットニングホルム宮殿。

 ドロットニングホルム宮殿です。 実に広い敷地です。
 宮殿正面は大きな池、というより湖が広がり遊覧船が運航されるほどです。 反対の後ろ側は写真のように、これまた広い庭園が。
 ヴェルサイユに例えられるそうですが(ヴェルサイユには行ったことはありません。)、これまで訪れたところでは、ウィーンのシェーンブルン宮殿やヴェルヴェレーデ宮殿同様の造りに見えます。  先ほど訪れたガムラ・スタンの王宮が、広くない島にあるため建物は立派でも周囲の敷地が広くなかったのとは全く対照的です。
 これまた怪しげな天候ですが、幸いなことに広い敷地内を散策する間、雨にはなりませんでした。  というか、少し日が照ると、およそ「北欧」のイメージとかけ離れた暑さです。


回数券。

 市内と近郊交通SL社の回数券です。 これで地下鉄・バス・路面電車(今回は利用しませんでしたが)・近郊電車に乗車できます。 今回は二人で地下鉄・バス往復計8乗車となるため、手間を省くため回数券を使用します。 しかし購入しようとしたものの、ガムラ・スタンの地下鉄駅には「自動券売機」が見当たらない。 それなのに改札は自動改札機。 一体切符はどこで売っているんでしょう?
 有人の改札窓口で「回数券」を尋ねると、向かいの売店(キオスク風)で買え、とのこと。 無事入手はできましたが、「自動改札用の乗車券はどこで売っているの?」という疑問は今だ晴れていません。 まさか昔のバスのように「売店のおばちゃん(おねえさん?)」が店の引き出しから出してくれるんじゃないでしょうね。
 さて、所持したガイドブック(05〜06年版)には「20枚で145クローネ」と書かれていた回数券ですが、買ってみると10枚で180クローネ!
 無茶苦茶値上げしてるじゃないか、と思いましたが、「最低区間でも2枚必要」のはずが1枚でよく、やはりリーズナブルではありました。
 ちなみに電車でもバスでも乗車時に裏面にスタンプを刻印(右側)されますが、降車時回収はされませんでした。


以下 2007年4月8日追加

X2000入線。

 X2000です。北欧では初の高速列車です。 といっても速度は200キロ程度(新線区間のみ210キロ)と、いわゆる新幹線タイプとしては、今ではそれほど速い方ではありません。
 しかし「北欧の高速列車」ということでよく紹介され、ぜひ乗車したいと思っていました。
 実物は4年前にデンマークを訪問した際、コペンハーゲン中央駅でちらりと眺めただけだったため、本格的に北欧に入る今回こそは、と思っており、スケジュール調整で何とかチケットを入手することができました。
 ストックホルム中央駅ですが、ヨーロッパの長距離列車には珍しく、始発駅ながら発車時刻直前のホーム入線でした。
 残念ながら、入線後にホームからゆっくり外観を眺めて歩くだけの時間の余裕はありませんでした。
 ごらんのとおり、ステンレスで特に彩りなしの、無機質な車体です。


X2000チケット。

 今朝早く入手した、X2000の予約チケットです。 X2000と券面にも明示されています。
 予約料金の143クローネは、スペインAVEと並んでちょっと高い感じです。 AVE同様、車内での軽食座席サービス込みの料金です。
 軽食は頂きましたが、座席でインターネット接続も出来たんですね。 そこまでは確認しませんでした。


X2000車内。

 車内(1等)はゆったりとしていて快適です。
 TGVタイプの一等車と同様の標準的なつくりですが、大きなモケットの座席と、大きさの割には割合眺めの良い窓と、居心地もまずまずです。
 車端にはセルフサービスのコーヒーのほか、珍しく色々な果物の盛り籠が。 乗り慣れた乗客が多いのか、果物の方は取り合いで、あっという間になくなってしまいました。


軽食メニュー。

 X2000の1等では、車内で軽食のサービスがあります。 これは雑誌等で、以前から承知しており、試しに乗車してみたいと思う一因でもありました。
 食事のメニューです。メニューと言っても、名刺ほどの大きさの単なるカードですが。
 固有名詞の単語にウムラウトがついてはいますが、下半分が英語のようです。というほどの文章でもありません。
 車掌兼係員がワゴンで運んでくるのですが、駅に停車して乗車客がある度に見極めて運んでくるため、結構面倒で大変な作業のようです。


車内軽食サービス。

 食事の内容はこの程度です。
 予断があったため、少し期待しすぎていたか、と言う程度の内容でした。始発駅が14時20分のため、「間食」程度の内容だったのかもしれません。 他国の列車の例でも、乗車時刻によりメニューというかボリュームに相当の差がある場合もありました。
 缶の飲料は一見ビールですが、ノンアルコール(2%未満)です。 残念なことに、北欧では市中のあちこちではアルコール類は販売していません。セブンイレブンなどのコンビニはあるのですが。 北欧到着後ここまでも、飲酒は一昨夜のベルゲンでの夕食のレストランだけでした。
 さすがにここでは食事を配るワゴンの上には「アルコール」も載っているのですが、「別料金」とのこと。スウェーデンクローネはもう使うことはないだろうと思い、現金は全部乗車前に雑貨飲物で使い果たした後です。 まあ、今夜のコペンハーゲンの夕食まで6時間ばかり我慢することにして、セルフサービスのコーヒーで済ませます。
 ところでこのX2000、振り子式の客車なのですが、振り子の効果が小さいのかそれとも在来線走行のためそもそも時速200キロではカントが不足しているのか、高速のままカーブにかかるとやたら外側に振られます。 体はいいのですが、テーブルの上の食事のトレイがすっと滑ってしまいます。 おまけにテーブルに滑りとめの「縁」がついておらず、そのままでは滑り落ちてしまいそうで、何度も気をつかい、トレーを支えながらの食事でした。


マルメ到着。

 ストックホルムから4時間少々、夕刻のマルメに到着です。
 16時の列車が満席で予約が入手できませんでしたが、この列車も1等はほぼ満員の状態でした。 (停車駅で乗降が激しく、全部の席が埋まっているというタイミングはありませんでしたが。)
 古い大きな造りの行き止まり式のマルメ駅でした。


コペンハーゲン行き。

 今夜の宿(まだ決まっていませんが)はコペンハーゲン。
マルメは初めてなので泊まってみたいなという気もありましたが、明朝の列車のスケジュールのため、列車を乗り換えて30分ばかり。国境を越えてコペンハーゲンに向かいます。
 クックの時刻表によると、ストックホルム〜マルメ間のX2000の中にはコペンハーゲンに直通するものもあるのですが、今回乗った列車は「マルメで乗り換え」と表示されています。 「乗り換え」の接続列車も予約の必要なX2000車両かと思っていましたが、普通の都市間連絡の電車でした。
 車両はここから先はデンマーク国鉄のもの。正面の真っ黒な外幌が特徴の電車です。
 マルメを北に発車した出た電車は、町の東から南をぐるりと270°回って西に向きを変え、高速道路との併用橋でエーレスンド海峡を半分越え、残りを海底トンネルで抜けてデンマークに入ります。 瀬戸大橋よりやや短いエーレスンド橋ですが、山がなく海に突き出した砂嘴のような低い土地から伸びる橋のため車窓からはなかなか対岸が見られず、実に長い長い感じがしたエーレスンド橋でした。


以下 2007年5月6日追加

コペンハーゲン中央駅。

 コペンハーゲン中央駅です。
 チボリ公園も市内も以前ゆっくり観光したため、今回は移動の中継(というよりX2000とIC3が目的で、これの中継)の宿泊のみです。 幸い今回は、閉店直前の中央駅前インフォメーションでホテルを紹介してもらったため、宿泊に苦労はありませんでした。そのかわり中央駅からは予想外に距離がありましたが。
 翌朝は早々に駅へ。 朝の通勤時間帯、コペンハーゲン中央駅は色々な列車が次々発着して賑やかです。 電化路線が多いため、殆どが電車列車ですが、中にはこんなやつも見られます。


IC3ユーロシティ。

 本日はこれから、IC3型気動車による国際特急ユーロシティEC38列車で、ドイツ・ハンブルクへ。 さらに乗り換えてベルリンを目指します。
 デンマーク国鉄独特の黒い外幌スタイルのIC3型気動車、島が多く航送区間の多かったデンマークでは以前は国内特急にも多用されていましたが、あちこちが電化の鉄道橋で結ばれたため、本来の活躍の場が狭まってしまいました。
 しかしこのユーロシティEC38列車では気動車の本領発揮。 デンマークとドイツ国境約19キロを、乗客を乗せたままフェリーボートに積み込まれ、そのままハンブルクへ直通します。
 この列車は本来「要予約Rマーク付き」ですが、勝手が判っているので今回は予約なしでの飛び込み乗車です。
 昔の方式を踏襲しており、座席窓部の液晶表示に「予約の有無と区間」が表示されているため、予約が入っていない席を見つけてそのまま着席でOKです。
 もっとも予約しようにも、昨夜到着時も本日この列車の発車時(7時50分)も、窓口は「営業時間外」で閉じています。 全く、「お役所仕事か(その通りなのでしょうが。)」と言いたくなるようなデンマーク国鉄・コペンハーゲン中央駅の出札窓口でした。


IC3軽食。

 さて、朝食はホテルで十分に採ってきたのですが、発車後検札が終わったと思うと、こんなものが出てきました。
 パンにバターとジャムにチーズが一枚。 ごく簡単ではありますが、一応朝食です。 コーヒー紅茶とミネラルウォーターのボトルは車端のサービスコーナーにセルフで準備されています。
 4年前に同じ列車に乗ったときには、コーヒーだけで軽食のサービスはなかったように記憶しています。
 意外だっただけに、昨日のX2000の食事よりも嬉しく思えました。(明らかにこちらのほうが簡素ですが。)


IC3車内。

 IC3の車内です。 軽快な気動車で、車内もそれほど重厚と言った感じはありません。
気動車列車ではありますが、この列車では最高速度は160キロに達します。 しかし加速時・高速時ともに気動車の割には静かです。 さすがに防音対策はしっかりされているようで、日本国内の最近の高速気動車とは雲泥の差です。


国境駅ローディビー。

 さて、列車は国境の連絡船乗換駅・ローディビーに到着です。
 連絡船の接続のためにあるような駅で、大きな街というわけではありません。
 昔は往来の列車や乗り換え客、荷物で賑わっていたのでしょうが、今では駅構内は草が生え放題で、相当荒れた感じになってしまっています。
 乗換駅と書きましたが、この列車は乗客を乗せたまま、船内にはいってしまいますので、乗客は座席に座ったままです。


フェリー船内へ。

 ローディビーのホームで短時間停車した後、列車はゆっくりとフェリーボートに向かって進んでゆきます。
 一等客室内前方の運転台に入らせていただきました。



フェリー船内へ(2)。

 大きな船内へゆっくりと入って行くのは、見ていて何だか異様な感じです。
 列車ごとの乗船ではありますが、「鉄道連絡船」ではなく「フェリーボート」といった感じで、船倉では自動車のスペースが圧倒的です。


フェリー船内へ(3)。

 コンテナを積んだ大型トラックが並ぶ隣を、ゆっくりと船内最前部まで進みます。
 船内の鉄道車両用の線路は1本だけで、「貨物列車の航送」は考慮されいないようです。
 ドイツ〜デンマーク間の貨物はトラック中心?  それとも面倒な航送を避けてオーデンセ経由でしょうか。 


フェリー船内へ(4)。

 船倉の反対側、もうこれ以上行けない、と言うところまでゆっくりと進んで列車は停止。
 内部は6両編成の列車がそのまますっぽりと納まる長さです。
 小一時間の航海ですから、乗客は船倉からエレベーターで船室か上部デッキに思い思いに上がります。
 もっとも、気動車のエンジンは止められましたが、ケーブル接続で船からの電源が供給されています。 エアコンも照明も生きていますから、そのまま車内で居眠り、というのも可能です。


フェリー船内へ(5)。

 行き止まりギリギリまで運んで停止したIC3。 手で測った隙間は約40センチ!  よくここまで寄せたという感じがします。
 ドイツ側のプットガルテン到着後は、こちら側のハッチが開いてそのまま同じ向きに出てゆきます。


フェリーボートデッキ。

 列車からフェリーボートのデッキに上がり一休み。
 まずまずのお天気で、本日は比較的視界が良く、船上からは両側の港が眺められます。
 列車の乗客ばかりでなく、自動車航送の乗客、その他一般客(がいるのかどうか判りませんが)で船内は賑わっています。
 レストランにビストロはもちろんですが、国際航路ですから銀行、免税店等々の設備が整っており、特に広い免税店は人気が高く賑わっていました。
 ところでこの区間、随分距離はあるのですが、10年以内に橋を架ける計画があるようです。 そうなるとこの姿もいずれ見られなくなるのでしょうか。


ドイツ国内へ。

 小一時間の船旅が終わり、列車は今度はドイツ国内をハンブルクまで向かいます。 真っ直ぐな線路を高速で快走です。
 引き続き運転台の後ろ扉をしばらく開放して頂けたため、前面の展望もあわせて楽しめました。


以下 2007年7月15日追加

ハンブルク中央駅。

 ハンブルク中央駅です。 この駅はこれまでに何度か来たことがあり、すっかりお馴染みです。
 ここから先は通貨ユーロ圏のため、例によって小額のユーロをキャッシングで入手しておきます。 ディスペンサーの表示は「50ユーロ以上のこと」となっていましたが、ボタンを押して指定すると、ちゃんと「20ユーロ」だけでも出てきました。どうなっているんでしょう。 訳はわかりませんが、「万円」でしか指定できない日本のATMよりはずっと便利です。
 この後はすぐに列車を乗り継いで「ベルリン観光」となります。
 列車待ちの間にホームで写真を少々。


ICE3運転席。

 ハンブルクからベルリンまでは、ドイツの高速列車ICE3に乗車。
 運転台後部席からの眺めです。
  電車方式になり最前部の車両に客室があり、おまけに客扉の前、運転台のすぐ後ろ6席からは、運転台の様子が望めます。
 客室との仕切りガラスは自動でスモークがかかるようになっており、ハンブルク駅停車中は「擦りガラス」状態でした。


ICE3運転席(2)。

 広い運転台からは前方の視界はいいのでしょうが、正面窓が意外と小さいようで、残念ながら後ろの客室からは、前方視界はそれほど良くありません。
 重ねて側面の柱のために、運転台すぐ後ろの席では側面の視界も全くよくありません。
 もの珍しさで当初暫くは座っていましたが、その後は後部客室の座席に移動しました。


ICE3客室内。

 ICE3の車内(1等)です。
 重厚感と、アクセントに妙な派手さがあったICE1、その反動か妙に安っぽい?感じがして仕方ないICE2。 そしてやや垢抜けた感じになった、落ち着いたICE3といった感じです。
 1、2と比べるとモノトーンの印象が強く、少し暗い感じはしますが。


ICE3ベルリン到着。

 さて、以前は日中の列車でも客車インターシティが多かったドイツ国内ですが、訪問のたびに高速列車ICEの運行が増えています。
 4年前に乗った同じ時刻のミュンヘン行き列車は昔の客車ICでしたが、この列車も今回はICEによる運行に変わっています。
 初期のICE1、ICE2は機関車方式だったICEシリーズも、準幹線やローカル線への乗り入れが増え、電車方式のICE3になりました。
 ICE3乗車は今回が始めて、ということで、昨日のX2000あたりから、次第に「観光主体」から「鉄道」へとシフトです。


ベルリン中央駅。

 ベルリン中央駅です。
 2006年5月終わり(つまりこの旅行の二ヶ月半前)に開業したばかりの新しい駅です。
 観光ガイドブックには「予定地」として載っているだけで、詳しいことは全く書かれていません。 その地図によると「観光」の第一目的地、国会議事堂(旧帝国議会)とブランデンブルク門までは、そう距離は遠くなさそうですが、川があるためちょっと回り道が必要かもしれません。
 しかし案ずることはなく、真新しく馬鹿でかい駅の正面に出ると、正面左手に一目で国会議事堂と判る国旗がはためいているのが見渡せました。


国会議事堂。

 国会議事堂です。 旧帝国の議事堂だけあって、巨大です。
 やはりベルリン中央駅から見えたのがこれでした。 更に、足の便は全く案ずることはありませんでした。
 駅の正面には(地図にない)新しい橋が架けられ、大通りまで真っ直ぐな通りができており、どうやっても迷いようがありません。 おまけに思ったより近い距離です。
 付近一帯の一部は更地で、これからまだまだ工事中、と言った様子のベルリン中央駅正面付近でした。


ブリンデンブルク門。

 こちらも観光の中心、ブリンデンブルク門です。
 かつての東西ドイツ分断の象徴であり、国会議事堂のすぐ隣、とやはり駅から便利な立地です。
 実はこのブリンデンブルク門付近の観光は2度目。 前回4年前訪問時はひどい悪条件でした。 当時は「中央駅」はもちろんなく、旧東側の「フリードリッヒ駅」から西側の中心駅「ツォー駅」まで観光しながら歩いたのですが、時折かなり激しい雨の天気。 おまけに目玉の「門」まで来てみれば何としたことか!「改装工事中」。 ブリンデンブルク門全体に足場が組まれてその上全面に目隠しシートが張られており、シートにはでかでかと「2006年サッカーワールドカップドイツ大会」の広告イラストが! これでは何を見にきたのかサッパリわかりません。
 というわけで今回のリベンジです。
 天候にも恵まれ、観光日和の賑やかな午後でした。


以下 2007年7月22日追加

ベルリン中央駅。

 この10年ばかりで激しく様変わりのベルリン市内です。
 今では中心ターミナルになりましたが、最初に訪れた1995年にはまだ東西を直通する国鉄長距離線は復旧されておらず、この場所はSバーンが結ぶのみ。
 旧東側のベルリン中央駅(当時。現東駅)から発車する夜行列車に乗るために、ツォー駅からSバーンを利用しましたが、何となくうす暗く危なげな車内。 おまけに、(旧)中央駅に着いてみると、西側とは比べ物にならない薄暗さと静けさで、東西の落差を実感するとともに、少々不安になったものでした。
 しかし今では「新しい東側の建物」の方がむしろきらびやかな感じと人通りで賑わっています。


ICE2。

 懸案だった?ブリンデンブルク門等々のベルリン観光も無事終了し、再び列車で移動です。
 ベルリン中央駅からICEでドルトムントまで向かいます。
 クックの時刻表では、ICEである旨の表示はありますが、その車両がICE1なのか2なのか3なのかまでは判りません。 今回の列車はICE2。途中、Hammまでは、ケルン行きのICE542列車とベルン行きのICE552列車の併結運転ですので、少なくともICE1ではないことだけは判っていましたが。
 途中高速新線区間を走りますが、片側機関車方式のため、高速新線を走るICE2は両端機関車配置の背中合わせ併結運転が基本になります。



ICE2車内パンフレット。

 ドイツDB一等車内では現在でも、国内ICまで座席毎の「運転案内」が準備されています。
 ICE542列車用は、折りたたみ合計12ページで写真はそのうちの表紙だけなのですが、全停車駅案内と、各駅の接続列車が記載されています。
 毎日新しく配るのは大変でしょうが、記念の土産には手頃です。


夜行ICE。

 さて、ドルトムントは若い頃1985年に仕事で初めて訪れた懐かしい土地ですが、今回は「乗り換え」だけの素通りです。
 今回は一日おきにホテルと車中泊を繰り返すスケジュール。 今夜はドルトムントから、スイス・バーゼル行きの夜行列車に乗車します。
 列車の高速化と伴に、国際夜行列車は多くがユーロナイトなど、「ユーレールパス」だけでは乗車できない特別な列車に生まれ変わっています。
 以前愛用した、1等座席車を連結した夜行客車列車は殆ど姿を消してしまいましたが、意外な形で残っているのが、「高速列車による国内夜行列車」。 2003年のスペイン訪問の際に「夜行TGV」の存在に気がついて利用しました(スペイン・ポルトガル方面参照)が、今回も「もしかして」と思って探してみると、ドイツにもICEの夜行列車が何本か運転されているのがありました。
 うまい具合に、スイス方面に最適な夜行列車がキール〜バーゼル間に運転されています。 この列車を途中、ドルトムントでつかまえて乗車、というプランです。
 「国内夜行列車」と書きましたが、運転区間最後のバーゼルBad駅からバーセルSBB駅の間5kmで国境を越え、ほんのわずかだけスイスに乗り入れる「国際列車」です。  ということで、ドルトムントからバーゼルまで夜行ICEに乗車です。
 車両は初期型ICE1。あまり人気がないのかがら空きです。
 ICE1にはコンパートメントがあるため、ここに陣取ることにします。
 重厚感が嫌いではないICE1ですが、夜行で利用するには意外に「不便」な点が。 オープン席の肘掛が上がらない、コンパートメントの座席が独立している、など「完全に横になる」ことが出来ないのです。


ETR470チザルピーノ。

 ICEで早朝のスイス・バーゼルに到着後、待ち受けているのはイタリアの看板列車、ETR470型「チザルピーノ」です。 スイスを縦断した後イタリアのミラノまで向かう、国際特急ユーロシティです。
 もっとも今回はイタリアまでは行かず、途中ブリークまで、スイス国内だけの乗車、北の端から南まで縦断(と言っても2時間半ほどですが)の旅です。
 ETR470には一度乗車したことがあるのですが、せっかくこの区間を通るのならもう一度乗車したいと思っていました。
 この列車も早朝始発のこと、車内はがらがらです。


ETR470チザルピーノ。

 ブリークに到着です。 列車はここから長い長いシンプロントンネルを抜けて、イタリア国内に入りますが、今回の乗車はここまで。
 これからスイス国内IRに乗り換え、さらに列車を乗り継いで、今回の最後の目的地・シャモニーに向かいます。
 ところで、ブリークの手前、レッチュベルクでは、峠を貫く新トンネルと接続線の工事がかなり進んでいるのが見えました。 次回訪問する機会があるとすれば、トンネル開通後で、レッチュベルクの急峻な山々をヘアピン路線で上ってゆく景色と、ブリーク側にトンネルを抜けてローヌ川を眼下に見下ろすBLS路線の風景は、これが見納めかもしれません。


客車ユーロシティ。

 ブリーク駅に停車中の客車編成は、この駅始発でベルギー・ブリュッセルに向かう国際特急ユーロシティEC90列車「VAUBAN」です。 少なくなった昼間の客車ユーロシティは、スイス国鉄SBBの編成です。
 始発駅を発車すると、加速する間もなく目の前に待っているのはレッチュベルクの急峻な峠越えの急勾配、というわけで、SBBの機関車が赤緑重連で牽引に当たります。
 列車はこれからスイス国内をバーゼルへ、そこからフランスに入り、ストラスブール、ルクセンブルクを通り、ブリュッセルまで向かいます。
 フランス国内のストラスブール高速線開業、スイスBLSのレッチュベルクバイパストンネル開通等を控えており、この列車も早晩TGVに置き換えられるかもしれません。


以下 2007年8月27日追加

スイスIR客車列車。

 ブリークからマルティニまで小一時間の乗車は、スイスの都市間連絡列車IRです。 昔ながらの客車でほっとします。
 もっとも、スイスの国内でも200キロで走行できる高速電車が進出しており、そのうち一気に新旧交代の時期がやってくるかもしれません。 この列車は、電気機関車を最後尾に連結した推進運転でした。


マルティニ駅。

 ブリークから西に小一時間、マルティニです。 ここでスイス国鉄と別れてマルティニ・シャトラール鉄道に乗り換え、モンブランへの登山基地・シャモニーへと向かいます。 もっとも、途中でもう一回、フランス国境で乗換えが必要ですが。
 ちょうどやってきたのは何やら古そうな記念電車です。 運よく次の列車で乗車できるかと思ったのですが、到着後早々に、車庫に引っ込んでしまいました。


マルティニ駅。

 こちらがこれから乗車する、マルティニ・シャトラール鉄道の定期列車です。 ヴァロルシーヌから到着後、そのまま再び折り返します。
 中身はスイスによくある標準的なローカル私鉄の電車です。


フランス国境駅。

 さて、マルティニからシャモニーモンブランまでは一本の鉄道ではなく、途中フランス国境から先はフランス国鉄・コル・デ・モンテ線となります。 もっとも「国鉄」とは言っても、TGVが走る標準機路線ではなく、マルティニ・シャトラール鉄道と同じくメーターゲージの山岳路線で、ひとつの路線といってもいいくらいです。
 一部には直通する列車もあるのですが、電圧が異なる上にコル・デ・モンテ線は架線でなく第三軌条の終電方式で、多くの列車はここヴァロルシーヌでの乗換えとなります。


シャモニー・モンブラン駅。

 フランス国鉄コル・デ・モンテ線、シャモニー・モンブラン駅です。 この駅は3年振り、2度目の訪問です。
 駅の雰囲気は3年前と同じですが、電車は新しいパノラマタイプの車両が入っていました。
 中間パノラマ車は、一見相当ハイデッカーのような感じですが、前後の電動車両が低床車のせいで、ことさら強調されている感じです。


エギーユ・デュ・ミディ。

 シャモニーからモンブランの展望台、エギーユ・デュ・ミディ(3842m)に上るケーブルカーです。
 途中一度、中継により上下のケーブルを乗り継ぎ頂上付近まで。更に展望台最高地点までは有料のエレベーターで上がります。
 上段ケーブルは途中支柱がなく、上の終点付近では、斜めに上昇というよりはほとんど真上につるべ状に引き上げられているような錯覚を受け、結構スリルがあります。


モンブラン。

 最上位置の展望台より望んだモンブランです。
 展望台から見ると「少し高い程度」に見えますが、実はまだ1000メートル近い標高差がありあます。
 後ろを振り返ればはるか眼下にはシャモニーの町、そして目の前に広がるのはイタリアです。
 ここを再訪したのも、前回は天候がいま一つで「霧の中」だったためのリベンジ。 今回は程よい天気でしたが、残念ながらモンブランの山頂付近にかかった雲だけはなくなることはありませんでした。


コル・デ・モンテ線。

 さて、ヨーロッパ最終日。前半いろいろありましたが、後半はほぼイメージ通りで終われそうです。
 本日はこれからリヨンまで出てTGVでパリへ。夕刻の飛行機で帰国、という段取りになっています。
 一番最初に書いたように、全日空の日本行きパリ発は夕刻遅くですから、シャモニーを朝立っても余裕で間に合います。
 シャモニーからパリへ行くには、リヨンまでの途中駅でスイス乗り入れのTGVパリ行きをつかまえる方法もあるのですが、便数も少なく万一のリスクを避けるため、ここは順当にリヨンに出てから30分おきの南東線メインルートのTGVに乗車することにします。
 もっとも、シャモニーからサンジュルヴェまでは30分ばかり、メーターゲージのコル・デ・モンテ線に乗る必要があります。
 「ハイデッカー」の車内はこんな感じでした。


フランス国鉄。

 サンジュルヴェからは、フランス国鉄標準軌の大きな2階建て電車で、リヨン・パート・デュー駅に向かいます。
 サンジュルヴェからリヨンまでは2時間少々。  ローカル電車ですが、結構長距離で田園風景や渓流を眺めながら快走します。
 二階席からの眺めははなかなか快適でした。


TGV。

 リヨン・パート・デュー駅のホームにて。
 当初はオレンジだった南東線のTGVですが、銀色に化粧直しされ、すでに開業後25年を経過しました。
 車体には、フランス国鉄の新しいSNCFマークと記念ロゴがデコレーションされています。
 新旧TGVのこのような組み合わせの弊結列車もときどき見かけることができます。


TGVチケット。

 今回もリヨン・パート・デュー駅からパリ・リヨン駅までのTGVは、二階建てのデュプレです。
 座席は一応リヨン駅で予約。 但し、あまりいい座席配置ではなかったため、発車後に席を移動します。 1等はかなり空いた状態ですし、どうせ途中停車駅はラ・クルゾーだけです。
 ところでチケットの用紙ですが、よく見ると、前に出てきたようにノルウェー、スウェーデンの駅で求めたのと同じ図柄をしています。 各国共通になっているのでしょうか。


パリ・リヨン駅。

 後半は順調な旅だったのですが、最後の最後にパリ・リヨン駅でまたちょっとした「事件」が。
 到着後、ホームでこんな写真を撮っていると、3人組の警官に呼び止められ、「撮影禁止だ」と言われてしまいました。 更にデジタル一眼を見て「今まで撮った写真を消去しろ」なんて言われます。
 言葉がよく判らないふりをして(実際あまりわからないんですが)「わかったよ、じゃあね。」というノリで笑ってごまかして立ち去ろうとしたのですが、肩をつかまれて「ダメ。ちゃんと消せ。」 理由は「テロリズム対策」ということ。そういえば数日前にロンドン・ヒースロー空港で物騒な集団テロ未遂事件が発覚したばかり。
よく見ると、何組もの警官や軍隊が、3人単位で巡回している姿が見られます。ここまで一週間、駅での撮影でとがめられたことがなかったので油断していました。 相手は3人。三十六計を決め込むわけにも行きません。 第一別の3人組までやってきたら物騒ですし、「軍隊」のやつらは自動小銃までぶら下げています。もちろんいざとなったらちゃんと「弾」は出るでしょうし。


パリ・リヨン駅。

 適当にカメラをいじってジェスチャーで誤魔化そうかとも思ったのですが、3人の内一人がカメラの「ゴミ箱」ボタンを指差して、結構詳しそうです。
 ここで逆らってこれまでの写真を「一括消去」されたりカメラを「没収」されてはたまりません。 仕方なく1枚消去して「Finished」と言うと、相手はカメラを指差して「Next」。 指先の液晶には、どう見てもこの駅と判る次の画像が映し出されています。
 あきらめて、先ほど撮った7〜8枚を続けて消去。
 今度はアングルが全然違うTGVの写真が出てきました。 「これはこの駅でなくリヨン・パート・デュー駅だ。」と誤魔化したのがこの写真。 ホーム先端で撮った全く違うアングルのため、一目では判りませんが、ホントはこの駅です。
 かようなやりとりで、何とか死守したパリ・リヨン駅での一枚(実際には同じようなアングル2枚)でした。
 ばれたらどうしようかと少々冷や汗ものでしたが。


パリ・リヨン駅。

 更に更に、「他の写真も全部見せろ」。出てきたのは日本の出発時の写真。
 「全部見る?」と液晶の枚数表示を指差すと、覗き込んでいた一人が「1000枚以上あるよ!」と大笑い。これにて無罪放免となりました。 ちなみにメディアに6GBのマイクロドライブを仕込んでいたため、すでに1400枚位撮影していました。
 しかし、考えてみればやはり悔しいパリ・リヨン駅の写真。 帰国後暫くして、ふと思い出したのは、カメラを購入した時にオマケでもらったデータ復活ソフト。「消去したデータが蘇る」といううたい文句です。但し、説明書には「保証はいたしません」と書かれています。
 更に、駅での「消去」ののち、シャルル・ド・ゴール空港で数枚写していますので、ディレクトリだけでなく本体データに上書きしている可能性もあります。
 ダメもとで試して見たところ、消去したうち3枚だけは復活することができました。やってみるものです。
 というわけで、ちゃんとパリ・リヨン駅らしい写真もここで紹介できるわけです。
 ところで、「解放」された後眺めていると、コンパクトカメラで記念撮影をしている客はけっこうあちこちいますが、特にとがめられてはいません。 やはり一眼レフむき出しでうろうろ歩き回っていたのがやり過ぎだったようです。


シャルル・ド・ゴール空港。

 これでおしまい、パリはシャルル・ド・ゴール国際空港です。
 さすがにもう、大したトピックはありません。
 よく確かめずにいつもの調子で、日本航空が発着する「第二ターミナル」の方に行ってしまいましたが、全日空は「第一ターミナル」からだった、というのが強いて言えば最後のエピソード?
 連絡バスでのターミナル間移動は結構な距離がありましたが、途中窓から、引退後に「モニュメント」として飾られている超音速機「コンコルド」を拝むことができました。 (すみませんが、写真はありません。) 更に搭乗後、滑走路に向けてタキシング中にもう一度、「前を横切る」形で進行左手に眺めることができました。
 もう一度機会があれば、今度はタキシング中の撮影が許される「銀塩カメラ」でも持って行きましょうか。



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