本コーナーは旧「ホームグラウンド」を3つに分離しました。 また、金光臨専用列車だけでなく、一緒に撮った通常の定期列車や金光駅界隈の様子も一部含みます。 尚、 「ホームグラウンド〜新幹線」 「ホームグラウンド〜山陽本線一般」 もあわせてご覧ください。 >>>写真をクリックしてください。>>大きな写真へ ↓ ↓ ↓ 最新の追加 ↓ ↓ ↓ 2020年12月19日 2020年11月 に 一部追加 2020年1月11日 2020年1月 を 新規追加 2020年1月4日 2019年11月 に 一部追加 2020年1月2日 2019年10月 に 一部追加 2019年11月23日 2019年8月 に 一部追加 2019年8月10日 2019年7月 に一部追加。 2019年7月6日 2019年4月 に一部追加。 ↑ ↑ ↑ 最新の追加 ↑ ↑ ↑ <INDEX> 新しい順 年代別にページを分離しました。(2019年5月25日) 2018年 〜 最新 へは⇒ ここから 2020年11月 2020年1月 2019年11月 2019年10月 2019年8月 2019年7月 2019年4月 2018年12月 2018年11月 2018年10月 2018年4月 2011年 〜 2017年へは⇒ ここから 2017年10月 2017年4月 2013年10月 2012年10月 2012年4月 2011年3月 2008年 〜 2010年へは⇒ ここから 2010年10月 2010年6月 2010年4月 2010年3月 2010年2月 2009年11月 2009年10月 2009年6月 2009年4月 2008年12月 2008年6月 2008年4月 2008年1月 2001年 〜 2007年へは⇒ ここから 2007年10月 2007年6月 2007年4月 2007年1月 2006年12月 2006年10月 2006年4月 2005年10月 2005年4月 2004年10月 2004年6月 2003年10月 1983年 〜 2000年へは⇒ ここから 1984年4月 1983年10月 1980年10月 本コーナーの掲載順写真サムネイルのみ表示は ⇒ こちらから 本コーナーの車両別サムネイルのみ表示は ⇒ こちらから ⇒ 現在工事中です。 ********** <1983年 〜 2000年> のページ********** 1984年4月 ![]() 長い12系の臨時列車が停車中の金光駅ホームです。 当時は4番線は現役で、すでに使用は中止されていましたが5番線にもレールは残されていました。 ![]() 2番線列車の機関車は、EF58126号機。 58時代の末期、当地では荷物列車か金光臨の運用でお目にかかることができました。 ![]() 4番線列車の牽引気はEF58 127号機。 隣の2番線の機関車と連番です。 正面から望遠で眺めると、車端を随分と絞った形の機関車でした。 ![]() 以前の金光臨の定番、EF58と12系です。 EF58引退間近の頃の姿です。 ![]() 金光駅ホームに並んだ金光臨12系です。 この頃はまだ山陽自動車道開通前で、大祭時には臨時列車多数でした。 ![]() 午後、大阪方面帰路につく金光臨12系です。 絵になる場所でしたが、この暫く後に、線路手前に下水処理場が出来てしまいました。 ![]() 同じく大阪方面への帰りの列車です。 この場所、広角気味だと高圧電線や鉄塔がかわせないのが欠点です。 ![]() 重量的には旧型客車と軽量客車の中間どころの12系客車。 金光駅からはそこそこの距離なのですが、このあたりではまだ「加速中」という感じでした。 ![]() この当時の金光臨は、殆どが12系の8両から12両編成。 機関車はEF58やEF65がやって来ましたが、すでにブルトレ牽引機から離脱後で余裕のある状態でしたので、多くはEF58の牽引でした。 ![]() 少し昔の金光臨です。 本コーナー下のほうにある写真の連れです。 行き止まりの5番線の少し前方から眺めたところです。 ![]() 2本揃った金光臨はEF58の引く客車編成です。 以前はEF65牽引が多かったように記憶していますが、機関車不足のためか廃車直前の頃はEF58が中心でした。 ![]() 金光駅2番線に停車中のEF58+12系編成。 この頃までは、金光臨ではほぼ12系しかやって来ない、というあまり面白みの無い状態でした。 ![]() 同じく5番線の末端付近です。 今では少なくなった115系湘南色。 しかし当時普通列車はこればかりでした。 1983年10月 ![]() 「金光臨」といえば、EF65PF+12系、というのが私のイメージで、長い間定番でした。 今は特に大阪方面からいろいろな車両がやって来るようになりましたが、12系は姿を消してしまいました。 この頃の12系はまだドア部分にも白帯がある本来の塗装です。 ![]() 金光教の春秋の大祭・創立祭のため、4、6月と10月に、主に関西、熊本方面から臨時列車がやって来ます。 新幹線が開通する頃までは参拝客は金光町内に1泊のスケジュールが多く、近くの駅でも車両の停泊が見られましたが、現在は日帰りが殆どです。 ![]() 1983年10月の金光臨。EF65と並んでEF58も定番でした。 今では撤去された金光駅5番線に、台車を軋ませながら推進運転で12系を押し込んでいた姿が思い出されます。 1980年10月 ![]() 金光駅2番線に停車中の上り急行「阿蘇」です。 本来は「くにさき」との弊結列車なのですが、1980年廃止前の最終日上りは「阿蘇」単独運転で、しかも新大阪ではなく岡山止め。 EF58の客車列車牽引運用離脱で、機関車はすでにこの以前からEF65PF新に切り替わっています。 ![]() 最終日の急行「阿蘇」変則運転の正体は、熊本からの「金光臨」でした。 本来は14系客車の「阿蘇」ですが、この日は12系に「格下げ」。 しかも12両中9両が金光臨団体向けで、一般用「阿蘇」は3両のみです。 ![]() 「阿蘇」弊結のため、一応岡山までは行きましょうね、といった感じのついでの急行です。 座席が余っているので一般客も乗せようといった感じでしょうか。 ちなみにこの日のもう1本の上り急行「雲仙・西海」は全区間運休でした。 ![]() いちおう「阿蘇」のサボも入っています。 上の写真と合わせると、9号車は団体用?それとも一般自由席? 記憶では9号車より後ろ9両が団体だったと思うのですが。 ちなみにこの日は、未明の広島から終点岡山まで乗車しました。 ![]() 本日は一般列車との混合編成のためか、客室ドアには「団体」「指定席」と大書きされています。 この当時は、金光臨といえば12系でしたね。 ![]() 早朝の金光駅で団体を下ろして小休憩の後、終点岡山まで向かいます。 途中倉敷駅のホーム案内では、これまでの慣れか「阿蘇・くにさき号」と放送していました。(「くにさき」は併結していません) もっとも金光から岡山までのダイヤは、後続の定期(本日は運休)「雲仙・西海」のスジなのですが。 このページのトップへ
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