尚、本コーナーはページサイズの関係でページを分割しています。 それぞれのページへは以下のINDEXからお入りください。 本コーナーの最新の追加は 2018年9月15日 <INDEX> 2017年9月再訪 2018年9月15日一部追加 2015年11月再訪 ← 本記事は香椎線酒殿〜志免間が主題のため、「香椎線」の項に掲載しています。 2014年11月再訪 2013年11月再訪 2012年11月再訪 <吉塚〜筑前勝田> 2014年11月再訪 (JR香椎線)長者原駅 11月某日、九州は長者原駅。 やって来たのは早朝の香椎線列車、宇美行きです。 本日はこれからこの列車で終点宇美まで向かいます。 と言っても途中駅の長者原からだと時間にしてほんの10分少々。 その後は宇美から旧国鉄勝田線の廃線跡を散策しようという企画です。 少し心配なのはお天気。 予報では昼頃に雨になる模様ですが、すでに北西方向から、さほど黒くはないものの雨を降らせてもおかしくないような雲が頭上まで近づいています。 そしていささか肌寒い朝ではあります。 宇美駅到着。 ほんの短い乗車時間で終点宇美に到着です。 まだ早い時刻ではありますが、ホームには下車客の3倍くらいの乗客が列を作っており、そのまま乗客入替となります。 4両編成の列車が満員になるほどの乗客ではありませんが、改札付近を除いては狭いホームですから、結構混雑します。 香椎線宇美駅。 香椎線宇美駅正面です。 このところ毎年この季節の訪問で、4年連続になります。 そして、昨年一昨年と同じく、今年もこれから旧国鉄勝田線の廃線跡を歩こうという企画です。 宇美駅前の風景は過去3年間とさほど変化はありませんが、今年は快晴秋晴れとはゆきません。 香椎線列車。 先程乗車してきた香椎線の列車。 少しばかりの折り返し時間の後、西戸崎に向かい発車して行きます。 編成はキハ47ばかりの2両+2両の4両編成。 青帯のJR九州色とアクアライナー色の車両の混成編成ですが、車内に違いはありません。 改札を抜けて駅正面に出て、踏切に回り込んで眺めていると、間もなく発車時刻になりました。 勝田線宇美駅跡。 香椎線の宇美駅前広場北側(吉塚方面)から、旧勝田線宇美駅のあったあたりを眺めた風景です。 低い植え込みが現宇美駅の駅前広場で左手が宇美駅舎。 そして真正面向こう側、中学生が歩いている向きが、旧勝田線筑前勝田側になります。 勝田線跡吉塚方面。 宇美駅前広場から、勝田線跡吉塚方面を眺めたところです。 宇美町内の廃線跡は多くが緑道(遊歩道)になっていますが、この宇美駅前の区間は町中の細い路地、といった雰囲気です。 緑道案内。 宇美町内の緑道には、ご覧のような案内表示が設けられており、自分の位置を確認することができます。 昨年訪問した筑前勝田側でも、終点の勝田・原田橋付近まで所々に設けられていました。 緑道以外にも、共通のデザインの表示板があるのでしょうか? 勝田線跡宇美付近。 ちょうど一年前は、宇美から終点筑前勝田までを往復しましたが、今回は吉塚側に進むことにします。 一昨年と同じコースですが、二年前は途中で宇美に引き返し香椎線列車で博多に戻ったのに対し、今年は時間が許す限り行けるところまで行こうと思います。 時間的には約8キロ先の篠栗線・柚須駅までひたすら歩けないことはありませんが、どうせ途中で写真を撮ったり立ち止まったりするでしょうから、少し無理かなとは思っています。 途中から路線バスに乗るか、タクシーをつかまえるか、予定の出勤時刻に遅れて「ゴメンナサイ電車が遅れちゃった」と誤魔化すか(←こんなことは全く考えていない!ホントです。)、いずれにしても最後は成り行きです。 宇美駅を後に。 宇美町市街にて、吉塚方面を望みます。 これから宇美駅を後に、進路は真北からやや西寄りと言った感じで進みます。 宇美駅を出てからほんの少しは市街地住宅地を抜けるため、狭々とした路地を抜けるといった感じです。 上でも書きましたが、途中までは一昨年と同じコースを辿るため、同じような写真や説明が出てきますのでご勘弁を! 小溝ガード。 こちらの写真も2年前に出てきたのと同じものですが、やや色あせた感じがしないでもありません。 溝のガードは廃線跡らしく、蒸気機関車のイラストデザインです。 進入防止。 横断する道路はそれほど大きな通りでもありませんが、何やら物々しいような、頑丈な進入防止のガードが取り付けられています。 2年前の写真を見ると、向こう側のステンレス製の柵だけのようですから、これは比較的最近設置されたものということになります。 大形のバイクとか、入って来るのでしょうか。 いずれにしても、2年間で変わった部分もあるようです。 モニュメント。 宇美駅周辺の市街地の終わり、宇美川付近までやって来ました。 (というほどまだ長くは歩いていませんが。) これまた2年前と同じ風景、橋の欄干に掲げられた、レールの形のモニュメントです。 ちょうどこの右手(東側)に、少し離れて香椎線の鉄橋が架けられています。 注意看板。 宮出歩道橋のプレート。 こちらも2年前と変わっておらず、レールと動輪をあしらったものです。 歩道橋と言っても、宇美川を渡る歩行者自転車専用の橋のことで、車道を越えるやつではありません。 それはいいのですが。 「二輪自動車乗り入れ禁止」ということらしいです。 これがなかなか判りづらい。(あくまでも言葉の定義としてなんですが。) そもそも「自動二輪」でなく「二輪自動車」なんて定義があるのかな?と思いましたが、あちこちの県にはちゃんと「二輪自動車組合」なるものがあるようです。 しかしながら、「原動機付き自転車」の取り扱いは一体どうなるのか? 細かく見れば、判ったような判らないような看板、と言う気もします。 ホントにどうでもいいですが。 線路跡歩道橋。 さて、余談はともかく、線路跡沿いの宇美町の市街地はここで途切れ、吉塚に向かい宇美川を渡ります。 ここが2年前に、廃線跡の線形が分からなくて迷った地点です。 このカーブした歩道橋が線路跡、というところまでは判りますが、その後の痕跡が見る限り不明なのです。 緑道標識。 宮出歩道橋の南詰(宇美駅側)にある、緑道の案内標識です。 左側が吉塚寄りの面、右側が宇美寄りの面となります。 これを見ると、緑道は大きく左にカーブしながら宇美川を渡った後、道路より川沿いをそのまま進むようになっています。 しかしながら廃線跡も本当にその通り??? 歩道橋の先。 歩道橋の前方、吉塚側を眺めると、こんなことになります。 確かに緑道らしき歩道橋が、左方向川沿いに続いています。 しかしながら、鉄道の廃線跡としては、橋の終わりで急に曲がり過ぎています。 いくらローカル線とは言え蒸機が石炭列車を引いて走った路線ですから、鉄橋を凌ぐような急カーブはありえません。 一方、自然な線形の先にあるのは、緩い登りの坂道と、、4メートルほど上を走る道路。 つまり鉄道の線形としては行き止まりです。 2年前はここでちょっとばかり迷って足を止めてしまいました。 上り坂の先。 歩道橋正面の緩い上り坂を上ると、ご覧の道路が通っています。 実際の線路跡は、大きく左にカーブを描きながら、ちょうどこの正面あたりで道路を左手手前から右手向こう側に向けて渡っていたようです。 しかも線路高さは写真より3メートル以上低い場所のはずです。 周辺の土地と合わせて盛り土で地形が変わってしまっては、いくら何でも廃線跡を偲ぶことは全くできません。 緑道案内。 上の写真を撮った付近。 つまり歩道橋線路跡から坂道を登ったろころにある緑道案内です。 2枚上の写真にあるように、緑道は川沿いに曲がっているかに見える(実際に遊歩道はある)のですが、この標識はそこではなく、上の道路の側歩道に建っているものです。 しかしこのイラスト図をよくよく見ると、緑道つまり線路跡は、宇美川を渡るとそのまま道路を越えるように描かれています。 つまり3枚上の写真にあるイラストとは異なります。 しかし、どうやらこの「緑道」のラインが線路跡を正確にトレースしているようです。 但し逆に、こちらは「緑道」とは若干ずれている、ということにはなりますが。 緑道案内。 上の写真の標識です。 ご覧のように、宇美川とその向こう側の市街地を見下ろす高さに建っています。 これまたご覧のように、と言う話ですが、標識が建っている位置は道路の宇美川側ですから、上の写真の「現在位置」も道路に対して正確ではないということになります。 線路跡を緑道として描き、この標識が緑道案内の物であるからこんなことになったのでしょうか。 なんだか段々重箱の隅を突くような話になってしまい恐縮ですが。 廃線跡(らしい)。 写真向こう側が吉塚側となります。 道路は向こうむきに緩い下り勾配で、向かって右側歩道から植え込み辺りが線路跡になります。 廃線跡。 道路が平地に下りてきたところで、いきなり明瞭な廃線跡が出現します。 右手分かれ道の向こう側、全く有効活用されていない鬱蒼とした草むらは、どう見ても廃線跡です。 このまま延々吉塚まで続くわけではなく、草むらはほんの数10メートルだけですが、この部分だけが全く活用されておらず、2年前と同じ状況です。 廃線跡。 この草むら、この写真に見えている長さがほぼ全てになります。 なぜかこの部分だけが全く有効活用されていません。 周辺に住宅があるわけでもなく、店舗にしようにもあまりに狭すぎ、かと言ってここだけ道路を拡張しても全く意味がない、ということなのではありますが。 再び緑道。 さて、草むらが途切れて、この部分から再び整備された緑道が現れます。 写真は道路の歩道部分から緑道入口を眺めたところ。 ちょうど道路から直角に分岐した緑道は、上の草むらのところまで奥に進んで、ほぼ直角に左に曲がり、線路跡を吉松方面に続きます。 上の写真で、鬱蒼とした草むらを奥に進めば、この写真の奥で右手から緑道に合流するわけです。 廃線跡。 上の写真の車止め奥辺りで、先の宇美側の草むらを振返ってみました。 草むらの向こう側に道路が見えます。 宇美側から吉塚側に向かい、次第に道路から離れる形になっています。 ところで、この草むらだけが遊歩道として活用されなかったのは、遊歩道が宮出川歩道橋北詰からこの地点まで、宇美川沿い、つまり廃線跡と異なるところを迂回している関係かもしれません。 新装遊歩道。 ここから先は、立派に整備された遊歩道、と言う感じの緑道になります。 青いラインが目新しいですが、最近塗装されたものでしょうか。 ここまで廃線跡と緑道の位置関係について、少し時間をかけて観察し過ぎました。 二度目の散策区間ですし余りぐずぐずすると本当に途中で「時間切れ」になってしまいますので、少し先を急ぐことにしましょう。 アスファルト道。 緑道に入って間もなく、前方に黄色く派手派手しい建物が見えてきました。 見るからにガソリンスタンドとわかる形状の建物と、タクシー会社の駐車場。 その向こう側には、元下宇美駅の跡が、部分的に残されているはずです。 ところで、ここまで来て気が付きました。 2年前に来た時は、確かこの歩道はカラーの石畳調のマットが敷かれていました。 さらにマットの下には、カラー煉瓦が敷き詰められていたはずです。 (詳しくは、下の方にある2年前2012年の写真をご参照ください。) 今回は普通のアスファルト舗装に一部カラー塗装、という装いです。 下宇美駅跡。 旧下宇美駅跡に到着です。 と言っても宇美駅からは1キロも離れていませんし、二度目ですからあっという間に到着した、と言う感じではあります。 遊歩道と一体の公園ですからきちんと管理はされているようで、きれいな姿を保っているのは2年前と同じです。 それにしても列車でやって来ると当たり前の風景ですが、廃線跡を歩いて辿ってやって来ると、裏口から入って来た、と言う感じがして仕方ありません。 下宇美駅跡。 線路跡から道路側(駅表側)に回り込んで見ると。 やはり2年前と同じで、大した変化はないようです。 写真はアップしますが、説明はこの程度でさらりと済ませます。 ホーム跡。 わずかに残るホーム跡です。 おそらく幅ももう少し広かったはずですが、公園ですから最小限の遺構で良いのでしょう。 下宇美駅を後に。 さて、2度目の下宇美駅は程々にして、先を急ぐことにします。 何しろまだ予定している全体の行程の1/8弱程しか進んでいません。 というか、このペースで本当に柚須まで到達できるのか? この後業務が控えているというのに、早くも暗雲が立ち込めております。 高速道。 下宇美駅跡を出て少し吉塚方面に進むと、間もなく九州自動車道の高架下をくぐります。 大きな鉄の橋桁が掛かった立体交差ですが、下を走る鉄道跡が相当貧弱に見えます。 遊歩道。 下宇美を過ぎると、西側は田んぼで、少し間隔をあけて道路が並走。 東側は丘陵地の一番端、と言う感じの平地を進みます。 西側を見ればかなり開けた雰囲気ですし、このように休憩所が整備されていれば、結構広めの遊歩道ではあります。 住宅の間。 西側は田んぼ、と書きましたが、そこは福岡通勤圏のこと。 結構新しい住宅や小ぶりなマンションが建っています。 いずれも道路に面して建ちますから、線路跡が裏通りであることに変わりはありません。 が、宇美市街地ほどごちゃごちゃと建て込んでいるいるわけではないので、明るく広々とした感じです。 お天気が心配でしたが、少し晴れてきました。 自転車ゾーン。 さて、改めて路面を眺めてみると。 青いゾーンは一体何? よく見ると、所々にこのように矢印とマークが表示されています。 青い部分が自転車ゾーン、ということのようです。 もっともイラストのように青いゾーン内ですれ違うのは無理があるようですが。 先に書いたように2年前はカラーマット敷きで、自転車ゾーンの表示がありませんでしたが、色々と事故の多い昨今。 歩行者自転車専用であっても「車歩分離」ということでしょう。< カラーマットが撤去されたのは、自転車の安全を考えてのことでしょうか。 それともメンテナンスに手間が掛かっていたのでしょうか。 歩行者としても、歩く感じがいささか不自然なシロモノではありました。 交差点。 「交差点」というほど大げさなものではないのですが。 車道と交差する個所では、いずれの場所でもこんな車止めが物々しく設置されています。 やはり2年前にはありませんでしたので、舗装と合わせ整備されたようです。 バイクの進入禁止、というよりは自転車の飛び出し防止が目的、でしょうか。 古墳。 勝田線ルートでは宇美町のほぼ北の外れ。 七夕池古墳までやって来ました。 線路跡沿いのモニュメントは、写真ではちょっと判りにくいかもしれませんが、前方後円墳を模しています。 案内プレート。 七夕池古墳の休憩所(広場?)に埋め込まれているプレート。 宇美町内の緑道案内図が横に長く描かれています。 2年前の訪問時は、ちょうどこの地点が折り返し点でした。 ガイダンス広場。 長いプレートの一番左端の一枚のみアップで。 現在位置は、七夕池古墳のガイダンス広場。 ということで、もう少し歩くと宇美町から志免町に入ります。 初めての区間。 七夕池古墳のガイダンス広場を過ぎ、(廃線跡散策としては)初めての区間に入ります。(br> 暫くのんびりした風景が続きます。 宇美町標識。 七夕池古墳から少し進んだ所にあるモニュメント。 何やら門構えのようですが、一番上に宇美町のマーク(カタカナの「ウミ」をデザインしたもの)が埋め込まれています。 延々歩いてきた宇美町はここでおしまい、のようです。 志免町標識。 上の写真の反対側。 つまり北側から南の筑前勝田に向かって眺めると。 こちらにはカタカナの「シメ」をあしらった志免(しめ)町のマークが埋め込まれていました。 ここから志免町に入ります。 紅葉?黄葉?。 遊歩道の所々。 色づいた木々があるのですが、どうも「色鮮やかな」とはゆきません。 気温のせいでしょうか。 それともパッとしない空模様のせいでしょうか。 標識。 志免町に入ると、これまでの写真(昨年一昨年訪問分を含め)に出てきた「緑道」の標識が見当たらなくなりました。 これらは宇美町のオリジナルだったのでしょうか。 代わりにひっそりと「歩行者自転車専用道路」の文字が。 路面。 標識だけでなく、路面もこれまでの舗装道路に青い自転車ゾーン表示から、普通の土を固めた感じに変わりました。 ここまであまり気にしていませんでしたが、3枚上の写真を見ると、宇美町と志免町の境界線で路面のいでたちが変わっているのに改めて気付きました。 共用道路。 志免東中学校付近です。 この先、線路跡は歩行者専用ではなく、車も通行できる一般道になっているようです。 志免東中学校。 何てことはない写真。 ですが、所々で「目印」になる写真を撮っておけば、どこをどう通って来たかが跡で調べられるので便利、というだけの記録写真です。 とは言えデジタルカメラでは、撮影日時が別に記録できるので結構便利。 車道と歩道。 志免東中学校を後にすると。 ここから先は、「一般の道路と歩道」になります。 歩行者専用道路なら間違えることはありませんが、車も走れる一般道になると、果たして廃線跡なのかどうか、またはどこが線路跡部分なのか、サッパリわからなくことがあります。 この場所も、真正面以外に分岐している道があるため要注意。 ですが、一番自然な線形はここになりますので、間違いはないでしょう。 振返ると。 ここで後ろ(筑前勝田方面)を振り返ると。 ちょうど志免東中学校を境に、こんな感じで雰囲気が変わります。 舗装道路にも車止めは見えますが、実際にはここから後ろ側(吉塚側)は自動車が進入出来るようになっています。 登り勾配。 ここから先、団地の間を抜けて若干登り勾配となります。 道路としては自然ですが、鉄道線路跡としては、「本当にこんな登り勾配があったの?)と思わせるような地形ではあります。 但し線形としては自然なので、間違いはないのでしょう。 後方の風景。 上り坂で後方(筑前勝田・宇美側)を振返ると。 歩いていると結構急だなという感じではありましたが、こうやって眺めると、確かに線形としては非常に自然な感じです。 道路ならともかく、鉄道なら開削して切り通しにしてしまうんじゃないかな?と言う感じの短いサミットではありましたが、それほどでもなかったのでしょう。 再び遊歩道。 さて、勾配を下りきると、真正面には自然な線形で再び歩道が現れましたので、廃線跡をトレースできていたのは間違いないようです。 何となくごちゃごちゃした住宅地の裏通り、と言う感じで、町なかに入って来ました。 路面のレンガ。 先程志免町に入ってからは、宇美町とは路面の様子が変わっていましたが。 ここから先、「土色」のレンガ(ブロック?)が敷き詰められた路面に様変わりです。 反対側。 上の写真、レンガの区間に入ったあたりから後ろ側(筑前勝田方面)を振返ります。 こうして見ると、ここまで歩いてきた区間、大した勾配というわけでもありません。 町中の風景。 狭い路地上の風景を抜けると、またも「一般道の歩道」的雰囲気に様変わり。 色々と雰囲気が異なる、ある意味「部分的には有効に活用されている」線路跡です。 このあたりはゆったりとした住宅街、と言う感じで、狭々とした裏通りと言う感じではありません。 駅構内?。 行く手、北向き吉塚方面は、こんな雰囲気になりました。 車が通れるエリアも、主要道と言う雰囲気では全くありません。 歩道のエリアに線路があれば、丁度駅の周辺、と言う感じ。 ということで、旧志免駅跡に近づいてきたようです。 公園。 進むにつれて次第に道幅(植え込み幅)が広がり、もはや「道路」という雰囲気ではありません。 「公園」風の風景になってきました。 志免駅跡。 このあたりから先が、旧志免駅跡になります。 勝田線の廃線跡としては、当時の遺構が一番たくさん残されている場所、のはずです。 さすがに見どころは一杯ありそうです。 本日は出来れば篠栗線・柚須駅まで歩き通す(歩き通さなければ列車に乗り博多に戻る事ができない!)のが目標で、そのためには途中でぐずぐずする時間は全くないのですが。 日通。 昔、駅前に必ずあった風景といえば? はい、「日通営業所」です。 ということは、駅のほぼ中心かその付近ということになります。 駅は廃止になりましたが、こちらの事務所は現役です。 志免駅跡。 昔の写真を見ると、貨物の積み出し等かなり幅の広かった志免駅でした。 現在は「鉄道公園」として整備されていますが、印象は「広い植え込みのある公園」というイメージです。 日通と竪坑跡。 志免駅の東方面にそびえる、昔の炭鉱の竪坑跡です。 巨大のコンクリート造りの遺構が、今でもランドマークとしてそびえていました。 竪坑跡。 重要文化財、志免鉱業所の竪坑櫓跡です。 高層建築溢れる現代ならともかく、戦時下で50メートル近い巨大なコンクリート建造物が造られたのは驚きです。 日通、倉庫?。 先程の事務所(線路東側)とは、本線を挟んで反対側(西側)という感じの位置にある倉庫です。 トラック便の時代になり、混載貨物列車の廃止で駅前から消えてしまった日通ですが、廃止になった駅の横で営業を続けているのは意外でした。 公園。 何やらモニュメント的建造物を配置した、公園中心部です。 まだ早朝のためか、この時間帯に利用している人は殆ど見られません。 ホーム跡。 そしてその先。 志免駅のホームが、ここではかなり本格的に残されていました。 こちらも下宇美駅跡同様、かなり削り取られた(らしい)跡はありますが、さすがに鉄道公園らしく、「駅ホームの跡でした」という雰囲気をそのまま残してはいます。 ホーム跡。 ホームも線路もおそらく当時のままを使用。 ではありますが、ホームのど真ん中を突っ切って、道路が横断しています。 「かつての駅前道路が、廃止後は駅を横断する連絡道路に生まれ変わった」というよくある図式でしょうか。 色々な遺構。 踏切も備えらえれていますが、さすがにこちらは公園化に合わせて移設されたもののようです。 気になるのは後ろのトイレ。 ホームから下りた高さにあり、こちらは公園化で新設されたもののようにおもえるのですが、それ以前からあったのでしょうか。 腕木式信号機。 空にそびえる?腕木式信号機。 と書きたいのですが、かなりひどく破損しており、管理状態はよくありませんでした。 一番のモニュメントになりそうなのに、ちょっと残念です。 転換てこ。 駅跡西側の道路沿いには、ポイント転換のてこが並べられていました。 もちろんこちらも「移設」されたものに違いありません。 鉄道記念公園。 西側の、現在の道路沿いから眺めると。 「鉄道記念公園」の標識があり、このあたりが現在の公園中央口、という位置付けのようです。 鉄道記念公園。 公園中央口?こんな感じです。 よく見ると、何やら写真プレートが埋め込まれています。 写真プレート。 公園中央口の陶板プレートです。 何枚かありますが、一番代表的なのは横にずらりと並んだ志免町の航空写真。 その一部ですが、志免駅の配置のほか香椎線酒殿駅方面に伸びる旧貨物線跡や竪坑櫓の配置がよくわかります。 写真プレート。 全体はこんな感じです。 左手に志免駅や志免町の風景の写真。 右手には何枚か連続で、志免駅中心に志免町の航空写真です。 志免駅と立て坑。 写真の代表として、「志免駅と立て坑」の写真です。 昭和59年とありますから、勝田線が廃止直前の様子を写したものです。 おおよその位置関係がわかります。 筑前勝田方面。 志免駅跡・ホーム西側から南方、筑前勝田・宇美方面の眺めです。 折角の公園ですから、腕木信号機は復元してもらえないものでしょうか。 吉塚方面。 上の写真と同じ場所から、北側、吉塚方面を眺めたところです。 ホームはほぼ中央で分断され、立派な道路が通っていました。 バス停。 昔なら「志免駅」か「志免駅前」だったのでしょうが。 バス停の名前は、ズバリ「志免鉄道公園」でした。 丁度上の写真の場所、旧ホーム中央部に建てられていました。 ホーム跡とバス停。 分断された個所から志免駅跡南半分(筑前勝田方面)を眺めます。 レールが残されているのはホーム部分のみ。 しかもそれさえ、歩行者用に「登り勾配」が設けられて分断されていました。 ホーム跡と駅名標。 こちらは分断個所から北半分、吉塚方面を眺めたところです。 ホームには駅名標が設置されていましたが、こちらは非常にきれい(むしろきれい過ぎて不自然)で、後年、というよりは比較的最近手入れがされたもののようです。 駅名標。 ホーム北半分に設置された駅名標です。 あまりにきれい過ぎます。 それに、自体や太さが当時使われていたものとは異なり、不自然に思えます。 吉塚方面。 志免駅ホーム横から吉塚方面への構内出口を眺めます。 こちら側もレールがあるのはホームの端まで。 南側と同じく遊歩道的スロープが設けられています。 志免駅全景?。 ホーム吉塚側端から、南向きに志免駅を眺めます。 「全景」と言いたいのですが、公園化で木が覆い茂っており、さほど視界は広くありません。 腕木式信号機。 こちら側の物は「羽根」の部分は健在でしたが、行燈部分はやはり欠損していました。 志免駅北側。 今回は時間がギリギリのはずなのに、やはり志免駅跡(志免鉄道公園)で「寄り道」し過ぎました。 そろそろ出発しないと、本当にまずいことになりそうです。 というより、もう完全に手遅れ? ま、あと少し行けるところまで行くことにします。 ホーム北の外れから、再び北に向かって歩き始めます。 公園石標。 公園遊歩道の出口に設置されてあった石標は、「志免鉄道公園」でした。 たったこれだけでもあると嬉しくなります。 ということで、歩きだした早々にまたまた時間を喰っています。 踏切跡(のはず)。 志免駅跡北側の端、ちょうど上の石標の場所から北を眺めます。 駅跡はここまでで、ここから先は再び細い遊歩道となります。 2車線の道路。 ここが昔の踏切跡のようです。 遊歩道。 再び吉塚方面、柚須に向けて歩きだします。 と書きましたが、柚須まで行くのは少々無理かなと思います。 距離的には半分近く歩いたことになりますが、すでに時刻は計画の半分をいくらか過ぎています。 田園風景。 志免駅を抜けると、ほどなく家並みは途切れて再び田園風景になります。 遊歩道両側に木が植えられているため、いささか鬱蒼とした雰囲気ではありますが、実際には田んぼの中を進みます。 といっても決して何もない田舎ではなく、西(写真左手)に少し離れた県道沿いには、郊外型の商店が散在しています。 勝田線廃線跡だけが時間が止まったような感じの風景です。 イオンモール。 さて、次に沿線に現れたのは、この巨大なショッピングモールです。 田んぼの中に突如現れた、という雰囲気の典型的な郊外型のショッピングモールですが、広大な駐車場敷地により、ここで勝田線線路跡は完全に分断されてしまいます。 駐車場。 遊歩道の端から北側、イオンモール駐車場を眺めます。 ここから中央真正面を吉塚に向かい線路は伸びていたはずですが、さすがにこれでは「廃線跡を辿る」という雰囲気ではありません。 止むをえませんので、こちらも周回道路に沿って迂回することにします。 周回道路。 イオンモールをとりまく周回道路です。 ここは「廃線跡」ではありません。 現在北向きに(やや西寄りに振っている?)歩いているところですが、この右手の駐車場内を、少し離れてこの道路とほぼ平行に(というより若干近づいてくる形で)線路が通っていたはずです。 駐車場北端。 イオンモール北端、敷地の端までやって来ました。 振返って南向きに眺めると、現在の駐車場を通っていた線路は、ほぼこの場所に辿りついていたものと思われます。 遊歩道。 イオンモールの敷地を抜けると、再び遊歩道が姿を現しました。 ここから先再び遊歩道に戻り、廃線跡を辿ることにします。 またまた田園風景です。 県道は左に見えるヤマダ電機の左側を、遊歩道(=廃線跡)とほぼ並行に進んでおり、決して「何もない田舎」ではないのですが。 それどころか、100万都市福岡市の近郊なのですが。 遊歩道。 遊歩道は県道沿いの賑わいとは無縁のように、ひたすら真直ぐ北に続きます。 右側の佐川の物流倉庫も左側のヤマダ電機も、どちらも勝田線跡の遊歩道には目もくれず、反対側を出入り次にして建っています。 そして姿は見えませんが、すぐ近くには福岡空港。 エンジンの回転を上げ、次々に離陸して行くジェット機の音が非常に近くで動きが手にとるようにわかります。 要するに、この廃線跡だけが時代から取り残された裏通りのように感じられて仕方ありません。 石標(地名標)。 さて、志免町内の遊歩道は、この石標が標準スタイルのようです。 所々にありますが、志免鉄道公園入り口のものを除くと、見たところ地名を表示しているだけで、それ以上でもそれ以下でもありません。 田んぼの中。 志免から先吉塚寄りは、広い田んぼの中と言う感じの風景です。 もちろん今では道路に向かい色々な商業施設に生まれ変わっていますが、取り残された場所はこんな感じの、のどかな田園風景です。 先程から少し雨がぱらつき加減でしたが、それもおさまり、お天気は何とか心配なさそうです。 住宅地。 このあたり、元は田んぼの中と言う感じではありますが、次第に住宅地に変わっていった様子がうかがえます。 元は線路際に道路があったのでしょうが、今では線路跡は道路のオマケの歩道と言う感じです。 公園風。 宇美町内と比べると、志免町内に入ってからの遊歩道の方が簡素な造りかなと感じられます(除く、志免駅跡)。 が、所々このように、「憩いの場」も整備されています。 まだ朝早くといっていい時間帯ですので、ゆっくり過ごしている人の姿は殆ど見辺りませんが。 交差点。 南里駅前公園までやって来ました。 施設の状態はいいのですが、如何せんこんな感じの「交差点」のすぐ角にありますので、少しばかり落ち着きにくい感じです。 いずれにしても、今回歩いた志免町内廃線跡では、廃止時の駅跡を除いては一番整備されている場所ではありました。 2015年4月5日追加 道路横断。 植込みの間の細い道を進むと、前方何やら路面がかさ上げされて緩い登り勾配になっています。 どうやらこの先を横切る道路が地上げされているようです。 昔なら道路より線路の方が高かったのでしょうが。 道路横断。 かさ上げされた道路はこんな感じで、片側2車線の(かつ更に車線が増やせそうな)広い道路でした。 昔の踏切なら一部の有人を除き片側2車線に限定されるのですが、廃止になった鉄道跡などには何も遠慮の必要はない、といったところです。 ところで、新しい安全策は立派ですが、横断者(遊歩道通行者)は一体どこを横断すればいいのでしょうか。 横断中。 とりあえず「線路跡を横断する」というのが本日の正しいスタンスかと思われますので、信号はありませんがこの場所を横断します。 片側2車線の上下線の間には更にこんな敷地があり、将来は高架道路にでもなるのでしょうか。 粕屋町。 道路の方には、ちょうど勝田線跡を北東向きに横断したところに「粕屋町」の標識が建っています。 イオンモールのあたりから粕屋町をかすめつつ進んだ廃線跡ですが、再び志免町を進むことになります。 再び志免町。 広い道路を斜めに横切った廃線跡(と言う表現はおかしいかもしれませんが)は、引き続き北西方面に進みます。 川向きにおかれたベンチですが、あまりに小さな川とその先の道路がわびしい感じです。 横断道路と廃線跡。 広い道路を渡った後で、後を振返り宇美・勝田方面を眺めるとこんな感じでした。 ところで、新しい大きな道路に建てられた自動車販売会社の看板の文字。 今でも「南里駅前交差点」という名前が残っているようです。 勝田線廃止からでもおおよそ30年ですが、南里駅自体は戦争中の1944年に廃止されたとこのとですが。 意外と変えられないのが「交差点の名前」。 旅行などしていると、時々昔を偲ばせる名前が信号機や歩道橋に表示されており、オヤ?と言う感じがします。 遊歩道。 先程の道路横断前とは逆に、短い坂を軽く下り、再び本来の高さに戻ります。 両側の木は高く茂りトンネル状になっていますが、廃止から30年ともなれば、こんなになるのも無理はありません。 道路沿い。 道路沿いの廃線跡です。 昔なら「線路沿いの道路」と言う方が正しかったかもしれませんが、博多に至近ながら列車本数が僅少だった勝田線ですから、そこまで主役ではなかったかもしれません。 (石炭産業全盛の戦前なら話は別ですが。) 珍しくこちら向きに建っているマンションも、線路ではなく道路があるせい? 田園風景。 始発の吉塚付近は別にして、勝田線は結構田んぼの中だった、という印象が残っています。 が、今でも廃線跡には結構広い田んぼが残っているのはちょっと意外でした。 線路跡はこのあたりから西へ向きを変えます。 住宅地。 この付近からは、やや住宅地と言う感じの風景です。 といってもさほど狭々とはしておらず、郊外の住宅地と言った感じではあります。 アパートと廃線跡。 吉塚に向かう線路跡。 ほぼ西向きになったあたりは、公営(風)のアパートが立ち並ぶ家並みの中です。 リニューアルされているようですが、アパート自体は昭和40年頃の造りのもの。 当時は公共交通が足だったはずですが、活用されたのは勝田線でしょうか。 それともアパートを挟んで反対側の道路を走るバスだったでしょうか。 上亀山駅跡。 線路跡の敷地がやや広くなり、正面に公園が現れました。 かつての上亀山駅跡は、その名の通り「上亀山駅跡公園」になっています。 上亀山駅跡公園。 かつての駅跡の公園です。 一応名前は「駅跡公園」らしいですが、それを示す遺構はほぼありません。 しかし敷地の形状と、南側の道路から入って来る短い通りに、その姿を偲ぶことはできます。 上亀山駅跡公園。 中央に広場、その両側に木立とベンチ、といった造りの公園です。 広場は子供が走りまわるにはいいですが、ソフトボールやサッカーをするにはいくら何でも狭いかも、と言った感じです。 写真奥が東側、宇美〜勝田方面。 右手が南側の道路側で、ちょうどこの辺りが駅前通り(というほど長くはない)になります。 上亀山駅跡公園。 上の写真と同じ場所から、反対側・吉塚方面を眺めたところです。 幅の広い敷地はさほど長くなく、この先は再び狭い線路1本分だけの用地になります。 駅正面。 線路跡と並行する道路から、駅(跡公園)入り口を眺めると、こんな感じになります。 駅前通り、というほど長い通りでもありませんが、それでも以前は商店の1軒や2軒はあったのでは、と言う感じの造りです。 一方道路の方は、片側1車線ながら通行量が多い通りでした。 住宅を抜けて。 上亀山駅を過ぎると、再び住宅の間の狭い敷地になります。 吉塚側、両側のアパートと民家も相当の年代の物で、勝田線が現役だった頃からあったものに違いありません。 この辺りの風景は、古い気動車が通り抜けても全く違和感ない感じです。 強いて挙げれば、線路跡に被る覆い?があとから設けられたものではありますが。 現在地。 さて、上亀山を過ぎて福岡市にかなり近いのですが、まだまだここは志免町。 ということで、お馴染みのシンプルな住所表示の石標が建っています。 「亀山」かと思っていましたが、この辺りの住居表示には「別府」の文字が多く見られます。 線路跡と道路。 上亀山駅跡を出てから吉塚方面に少しばかり歩いたあたり。 上亀山駅付近では、この辺りが道路と線路が一番接していた付近です。 駅正面からはやや距離がありますが、バス停はこの位置にあります。 バス停。 元線路際のバス停の名前は、「上亀山」でも「駅前」でもなく、ただの「亀山」でした。 駅前で乗客を拾っていた、というより競合路線(というほど国鉄を相手にしていなかったかも)ですから、そんなものなのかもしれません。 それはともかく、このまま篠栗線の柚須駅まで歩いていたのでは、とても時間が足りない、という事態になりました。 (予想されたことではありますが。) ところがバス停の時刻表を見ると、JR博多駅に向かう便は意外と便利が悪く、とても間に合いそうにありません。 まだ多少余裕があるとは言え、どうしましょうか。 現在地。 さて、流しか回送のタクシーでも拾おうかと思っていたのですが。 やって来ないかと後方を確認しながらも、前進を続けているうち、上亀山駅跡からほどなく現れたのは、この道路案内。 このまま真直ぐ進めば勝田線沿いに柚須方面ですが、このルートでは博多へ行くには柚須からJRで吉塚を回るので、地図の上ではかなり遠回り。 タクシーなら当然この先の交差点を左(西向き)に向かうでしょう。 このまま博多駅まで歩くには余りに無理がありますが、福岡空港は意外と近いんじゃないか。 空港には地下鉄が乗り入れていますので、これが一番確実で手っ取り早いかもしれない。 ということで、長い「早朝散歩」の行き先は福岡空港に変更です。 福岡空港。 上の交差点を左折し上亀山駅から歩くことほんの15分ばかり。 次の大きな交差点まで来ると、すぐ先に福岡空港のターミナルが姿を現しました。 地図上で近いなと思ってはいましたが、こんなにあっさり到着するとは思いませんでした。 うまい具合に国内線ロビーは一番手前で、地下鉄空港駅はそのすぐ下です。 本日の業務訪問地は地下鉄東比恵駅が最寄り駅。 つまり福岡空港駅からはほんの一駅ですから好都合です。 ということで、約束の時刻に遅れることもなく(というより予想外に早く)到着し、無事業務を遂行することができました。 残念ながら上亀山〜柚須間の区間を歩き残してしまいました。 来年にまた同じ機会があるかはわかりませんが、上亀山駅のロケーションやアクセスも概ね把握できたため、安心して次回にまわしたいと思います。 本来この「TRIAL20000」のコーナーの趣旨は「廃線跡訪問記」のコーナーじゃないんですけれどね。 このページのトップへ
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