かいもん4号のホームページ TRIAL20000 香椎線
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香椎線です。 福岡近郊の、通勤路線と観光路線の二つの顔を持つ路線は、列車本数はそこそこですが、未だディーゼルカーが活躍する非電化の路線です。 中間の香椎駅で鹿児島本線と接続しており、この両側で少し性格は異なります。
尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2019年12月7日
<宇美〜香椎〜西戸崎>

<INDEX>
2011年11月再訪
2012年11月再訪
2013年11月再訪
2015年11月再訪
2019年11月再訪  2019年12月7日追加

2011年11月再訪

香椎駅。

 香椎線中間駅ではありますが、鹿児島本線と接続しているため、感覚的には始発駅のようなイメージがある、香椎駅です。
 鹿児島本線が上り下りの2面2線なのに対し、香椎線は3番線から5番線まで2面3線を使用しており、こちらのほうが駅の中心的イメージがあります。
 更に車両の留置線まであるため、ローカル線の途中駅、といった雰囲気ではありません。  

香椎線列車。

 早朝の香椎線宇美行き列車は、通常とは逆に「右側通行」で3番線から発車でした。 同じホーム2番線で、朝の博多方面行き通勤通学客の乗り換えを考えてのことでしょうか。
 宇美方面から博多行きのの乗客はどうなるの?と思いますが、宇美側は途中長者原で、こちらも電化の篠栗線に接続していますから、そちらに任せているのかもしれません。
 香椎線では、JR九州塗装のキハ47系が活躍していました。
 朝の列車は結構混雑するのか、さすが福岡近郊ということか、気動車ながら4両編成です。

香椎線ホーム。

 早朝の香椎駅。 博多まではほんの10分少々の場所ですから、まだ通勤時間にはかなり早く、反対側の鹿児島本線下り乗り場も含めて余裕があります。
 列車はキハ47系の4両編成。 朝の通勤時間帯のための4両でしょうが、この時刻、香椎から宇美方面に向かって乗車する乗客はさほど多くありません。
 香椎線にとっては「中間駅」の香椎ですが、乗客もほぼここで入れ替わると見え、列車も10分ばかり停車します。
 一旦座席を確保してから少しホームを歩く程度の余裕はありました。  

終点宇美駅。

 さほど大きな変化があるわけでもないローカル線の車窓を眺めながら、終点宇美駅に到着です。
 こじんまりした、しかしきれいな駅舎はまだ比較的新しそうです。
 宇美八幡宮のイメージでしょうか。 駅舎の造りとカラーが、存在をアピールしています。
 やや広めの駅前広場と道路とショッピングマート。 宇美駅前って、こんなに広くて明るい感じだったかな?とちょっとビックリですが、何しろ前回は30数年前に一度だけ。 しかもほんの10数分で折り返しですから、かなり怪しい記憶をトレースしながらの印象ではあります。

宇美駅駅舎内。

 ローカル線の終端駅とは言え、福岡近郊区間で自動改札機も設置されている宇美駅。 早朝の軽い散歩程度の訪問にも手元のスイカが使え、本当に散歩気分です。
 もしかしたら無人化されているのでは?と思っていましたが、ちゃんと駅員さんがいて、ホーム改札手前で、列車から降りてきた乗客一人一人を出迎えてくれました。
 もうお一人。 駅舎内で「商売」していたのは、弁当の販売員の方。
 今時ですしローカル線ですから、「駅弁」ではなくコンビニ弁当風ではあります。 が、駅舎内の台の上に弁当を積み上げてお客と会話しながらの風景は、どこかほっとするものがあります。  

宇美駅・発車。

 先ほど乗ってきた列車が、折り返し発車してゆきます。 少し時間に余裕があるため、この便は見送って次の列車に乗車することにします。
 乗車するお客一人一人を改札内で出迎え挨拶を交わしていた駅員さん。 列車のドアが閉まると丁寧に頭を下げ、発車を見送ります。
 忘れかけていた心のゆとりと、古い時代の良い風景が蘇るようで、なんだか楽しくなりました。
 早朝の都会の近郊で、ちょぴり得した気分です。 

宇美駅ホーム。

 宇美駅出発方にある踏切から、駅ホーム方面を眺めます。
 今でもそこそこ長い列車が入って来るため、ホームは余裕の長さで広めの構内が残されています。
 左手には(上面が道路として使用されてはいますが)貨物ホームの跡も眺める事ができます。  

駅名標。

 駅本屋反対側、旧貨物ホーム跡へ回ってみました。
 ホームの駅名標と観光案内。
 駅舎とその周辺建築物のカラーは、近くの「宇美八幡宮」を模したものです。
 ちなみに、この写真のバックは駅舎ではなく、隣接する二輪車置き場の長い建屋です。

宇美駅風景。

 線路の終端には、旅客ホーム用の機回しポイントが残されていました。
 前回訪問時の記憶にもありませんが、かつては客車列車も入線していたのでしょうか。  

宇美駅ホーム。

 宇美駅ホームから終端側を眺めます。
 列車停車位置、一番奥は「6」の数字が。 今でも6両編成が入って来ることがあるのでしょうか。 この日は通勤のピーク時でも4両編成のようでしたが。
 気動車の普通列車6両編成、ぜひ見てみたいものです。

宇美駅・発車待ち。

 次の普通列車で、終点(香椎線としては始点)西戸崎駅を目指す事にします。
 今度もキハ47系の4両編成。 基本はクリームに紺帯のJR九州色ですが、間にアクアライナー色の車両もつながれていました。
 一番後ろの車両に乗車、と思っていましたが、後ろ2両は途中香椎駅で切り離しとのことで、急ぎ前方の車両へ移動です。  

新原(しんばる)駅。

 宇美駅を出たばかりの列車は、早くも新原(しんばる)駅で列車交換待ちです。
 現在の香椎線。
 概ね30分ヘッドと、非電化ローカル線ながら随分たくさんの列車本数が設定されています。 交換設備もフル活用でのダイヤ設定のようでした。 確か33年前はこんなに多くありませんでしたが。
 新原駅の駅員さんも、宇美駅同様、丁寧に一礼して到着列車を出迎えます。
 懐かしく嬉しい風景です。
2011年12月11日追加

車窓風景・海の中道付近。

 車窓風景は、途中区間を一気に飛ばして、「海の中道」の砂丘付近です。
 狭い砂州の上を走る列車ですが、松林と天然の海岸堤防に遮られ、北側の海は見えません。  

車窓風景・海の中道付近。

 「海の中道」駅手前の風景。
 砂が堆積してできた線路北側の自然堤防は、飛散防止の工事が施されていました。
 昔のおぼろげな記憶によると、このあたりでほんの一瞬だけ北側の海が眺められたと思うのですが、今回は確認することができませんでした。

車窓風景・西戸崎付近。

 進行方向反対側、博多湾側の風景は、「海の中道」駅を出て、列車の終点西戸崎駅に近づいた付近です。
 海面が間近にはっきりと見られるのは辺りですが、上の写真の「海の中道」の香椎側区間でも、海をちらりちらりとやや遠くに見ることができるのは、高い自然堤防のない博多湾側です。  

西戸崎駅。

 終点西戸崎駅に到着しました。
 こちらは宇美駅よりは小さい駅ですが、駅舎は小奇麗に建て替えられ、自動改札機も設置されていました。
 これまた33年前のイメージは全く残っていません。

西戸崎・発車待ち。

 西戸崎駅のホームです。
 33年前もホームはこんな感じだったかな? でももう少し博多湾が近くに見えたような記憶があるのですが。
 場所が場所だけに、街中というわけではありませんが、駅ホームのすぐ隣には、大きなマンションが建てられていました。
 高い階からの眺めは抜群。 もっとも、博多までそれほど便利が良い場所とは言えないと思うのですが。
 停車中の列車の足元。 キロポストの「0」は、こちらが香椎線の「始点」であることを示しています。  

海ノ中道駅。

 「海ノ中道」駅です。
 ほんのわずかの時間の停車ですから、こちらは車窓から撮影の風景です。
 このあたりの観光の拠点はこの駅。 まだ時刻は通勤時間帯の終わりごろで、観光の時間には早めですが、それでも観光の下車客がちらほら見受けられました。

香椎駅。

 ミニ旅行を終え、香椎線の中間駅・香椎駅に戻って来ました。
 といっても鹿児島本線接続駅のため、意識としてはこの駅が始点で、宇美と西戸崎が両方とも終点、という印象ではあります。
 ホームや留置線で休むキハ47系。
 特徴あるデザインの新型車両があふれるJR九州ですが、意外なことに全部の車両が国鉄型のキハ47系。 という今回の香椎線でした。  

2012年11月再訪

香椎駅再訪。

 2012年11月某日、約1年ぶりに再び香椎線の列車で終点宇美駅に降り立ちました。
 本日の目的は香椎線乗車ではなく、同じ宇美の町を走っていた旧国鉄ローカル線・勝田線の廃線跡をちょっぴり眺めよう、という企画です。
 出張先での始業前の早朝ミニトリップですから、ほんの短時間かつ一部のみの区間の短距離ではありますが。  

香椎線列車。

 ほんの1年ぶりの再訪です。 香椎線の列車も、宇美駅も、いんぎん丁寧な宇美駅の駅員さんの態度も、まるで前回のままでした。
 列車は前(宇美側)半分は、香椎線独特のアクアライナー塗装のキハ47系。 と言っても乗ってしまえば中身はまるで同じです。

宇美駅。

 終点宇美駅の駅舎駅名表示です。
 落ちぶれたローカル線ではなく、都会の路線として活用しようという意気込みが感じられます。
 旧国鉄にもこの意気込みがあれば、これから線路跡を散策する勝田線も、廃線になることなく現役で活躍していたでしょうに。
 少なくとも、香椎線よりは地の利があるように思えますし。  

宇美駅。

 改めて宇美駅の駅舎を眺めると、まだ新しく手入れも行き届いています。 始発駅としてはまずまずの利用も見られるのは嬉しい限りです。
 残念なことに、1年前に駅舎入り口で弁当を売っていた「お兄さん」の姿は今回は見られませんでした。 (上の方、2011年11月の写真ご参照ください。)
 朝の風景としては非常に良かったのですが、商売としてはいまひとつだった、のでしょうか。

2013年11月再訪

宇美駅再訪。

 4枚上の写真とまったく同じアングルではありますが・・・。
 2013年11月某日、香椎線に乗車し宇美駅を訪れました。
 ここへやって来るのは3年連続のことです。 毎年この時期に社用で福岡にやって来るため、早起きして始業前の早朝の散歩にはちょうど手頃、というわけです。
 宇美から勝田線の廃線跡を少し散歩したかった、というのが第一位の目的ではありますが、気動車列車に乗車するのも楽しみではあります。  

宇美駅発車。

 ワンマン仕様に改造されてはいますが、福岡近郊の朝の通勤時間帯。
 列車は4両編成で、後部には車掌も乗車しています。
 更に宇美駅は駅員配置があり、列車到着や発車時には礼儀正しく丁寧な姿で出迎え見送りをしてくれます。
 宇美線が好きな理由のひとつでもあります。
 大きく車体に「行先」と表示された案内がわかりやすい!

新原(しんばる)駅。

 新原駅でも、駅員が列車を出迎え・見送りです。
 いずれも年季の入った感じの駅員の方で、ゆっくりと慇懃丁寧な「礼」の姿勢は、見よう見真似で出来るものではありません。
 委託駅が多い香椎線。 多くに駅員が配置されていますが、いずれもベテランの方ばかりで、国鉄時代は当たり前だった「駅」の風景が懐かしく思い出されます。  

香椎線列車。

 列車は酒殿駅に到着です。
 駅前の道路の線形、気になります。
 かつて国鉄時代末期まで、隣の勝田線志免駅とこの酒殿駅を結んでいた貨物線の廃線跡です。
 駅前部分だけは2車線の道路になっていますが、その向こう側は廃線跡がそのまま残っています。

香椎駅再訪。

 駅前広場、と言うほどではありませんが、一応ロータリーの形状にはなっています。
 少し向こう側を左右に走る道路がメインルート(というほど大きくはない)のようですが、そこから先の廃線跡は、道路にするにも中途半端だったのでしょう。
 駅に停車中(窓の外が片面ホーム)の列車から撮影した写真です。 この線路の近寄り方からすると、旅客営業は全く考慮になかったような線形です。  

香椎線列車。

 列車は酒殿を香椎方面に発車。
 その直後の車窓風景がこれです。
 酒殿駅に入る手前でなく、香椎側出口で合流していた様子がわかります。
 このあたり、写真右手には大手ショッピングモール(勝田線廃線跡)も見え、香椎線と勝田線が随分接近していた様子がよくわかります。

解放作業。

 ローカル線と都会の通勤路線の役割が混在している香椎線。 非電化区間の気動車列車ではありますが、通勤時間帯とあってローカルらしからぬ4両編成で宇美から香椎までやって来ました。
 ここから先西戸崎までは、通勤と逆の流れになりますから、後ろ2両を開放して2両編成での運転になります。
 解放作業に興味深々?  

乗務員交代。

 列車の両数と性格も中間地点の香椎で変わりますが、乗務員もここで交代です。
 いまだ国鉄型が活躍中の香椎線。 香椎駅は昔の車両で賑わっています。

国鉄型。

 香椎線の車両はすべて国鉄型のキハ40・47系。 一部の車両は「アクアライナー」色に変更になり、またワンマン対応に改造されています。
 が、スタイルは国鉄末期の新型気動車そのものです。  

香椎線列車。

 留置線を含め4本の気動車編成が並ぶ香椎駅ホーム。
 鹿児島本線側は数分おきに普通列車や時には特急「ソニック」がやってくるのですが、ホームの使用状態だけ見ると、完全に香椎緯線が主役の感じです。

解放作業。

 何しろ国鉄時代の気動車ですから、運転席からの指令で連結器も電気管も空気管も一斉解放、とはとても行かない。
 解放作業には結構手間が掛かっています。
 各駅の駅員配置はじめ、結構人力に頼っているという感じの香椎線です。  

ホーム案内。

 5番線香椎線のホーム案内です。
 とは言え、中間乗換駅の香椎で、逆方向の両側「海ノ中道」と「宇美」の表示をされたのでは、乗る列車に困ってしまう。  まして香椎駅では、どの列車も結構停車時間が長いときている。  どっちから走って来たのかわかりません。
 ということで、数枚上の写真の「車体の行き先表示」が重要になります。

西戸崎行き出発。

 ようやく長い開放作業を終え、前2両西戸崎行きが発車して行きました。
 もっとも香椎を境に乗客の流れは変わりますから、少しくらい長い停車時間で不満を言う乗客はさほど居ないようです。  

ホーム案内。

 屋根下に掲げられた案内もホーム番号だけで、行き先はありません。
 香椎駅では都合3線のホームを上下に混用していますから、明確な上下分離は困難ではあります。
 しかしながら、乗り換えの都合か、香椎線ホームでは列車は基本通常と逆の「右側通行」になっていますから、滅多に行かない者にとってはわかりにくいこと。

キハ40。

 キハ47の2連が基本の香椎線列車ですが、中には両運転台のキハ40型も。
 もっとも隣手前のキハ47の向きからすると、やはり2両単位で運用されているようです。  

2015年11月再訪

今年も香椎線。

 2015年11月は某日。 またまた香椎線にやってきました。
 このところ毎年恒例の業務があるための福岡訪問で、始業前のかなり早朝からの散歩もまた例年通りです。
 笹栗線の長者原(ちょうじゃばる)駅から乗り換えたのは、香椎線の気動車、宇美行きです。
 このコーナーでは昨年「2014年」が飛んでいるようですが、お隣の「勝田線」のページの冒頭で、ちゃんとこの時刻の列車に乗車していますので、5年連続の訪問ではあります。

途中下車。

 過去4年と異なるところ。
 これまでは必ず一度は終点宇美駅を訪れていたのですが、今年は宇美まで行かず、ここで途中下車します。
 人気のない無人駅ですが、非電化ながら20分ヘッドで運転される香椎線。 この駅でも列車交換がありました。

対向列車。

 反対側の列車の方が、やや遅れて発車です。
 先ほど乗ってきた列車もそうでしたが、こちらもキハ40・47系の4両編成です。
 非電化単線の路線とは言え、20分ヘッドの列車が朝の通勤通学の時間帯に4両編成で走るとは、さすがに福岡近郊だけあります。
 国鉄時代と異なり、インフラを生かした積極的な経営方針が成功した事例は注目に値します。

酒殿駅。

 さて、今回宇美まで行かずに途中下車したのは、乗車した長者原のすぐ隣の駅、酒殿です。
 かつて、ここから隣の勝田線の志免(しめ)駅とを結ぶ貨物線があり、客車特急「かもめ」の方向転換にも使用された、そうです。 (もちろん私の知らない時代のことではありますが。)
 本日はこの貨物線を少したどってみたいと思っています。
 とは言え、まずは酒殿駅ウォッチングから。

踏切

 酒殿駅は、造りからするとこちらのホームが本屋側だと思われるのですが、どうも見ていると、反対側のホーム出入り口からの乗客の方がはるかに多いように思われます。
 列車が行き過ぎるのを待つと、どこへ向かうのか、宇美行き列車から下車した乗客が大勢踏切を渡ってゆきました。

西戸崎行き発車。

 酒殿を発車した西戸崎列車が遠ざかって行きます。
 単線の交換駅ですが、線路は1線スルー形状になっており、香椎・西戸崎方面行きの線路が、進入側・出発側とも直線になっています。
 出口の脱線ポイント分岐が直線部にあるというのも、改めて見ると妙な感じではあります。

ホーム。

 対向式ホームの酒殿駅。
 線路は向こう側の香椎方面が進入・出発とも直線ですが、駅構造としては宇美行きホームのこちら側が本屋側です。
 反対側のホーム。
 石と土を積んだ部分は手前ホームと比べるとずっと短く、手前寄りの部分は後年延長されたようです。

酒殿駅正面。

 酒殿駅の正面です。
 殆ど何もない駅ではありますが、待合室とトイレ跡と正面階段で、単なる停留所ではなく「駅」だった風情が伺えます。
 しかしながら、こちら側からの乗客は見た所姿が見えませんでした。

酒殿駅構内。

 上の写真、駅舎の左手(宇美側)です。
 宇美方面から進入する形状の貨物ホーム線路跡があり、レールは敷設されたままです。
 今は駐車場に使われている若干の空き地もあり、以前は駅前倉庫でもあったのかな、という「駅」のつくりです。

正面出口。

 駅正面から駅名方面を眺めると・・・。
 「何もない!」というのが正直な感想でした。
 いわゆる駅前広場らしきものもなければ、広い道路が通っていたり駅前食堂(跡)や家並みがあるわけでもありません。
 わずかに自転車置き場だけが設けられており、もしかしたらこの辺りが若干の駅前広場だったのかな?と思える程度です。
 少し離れた所に住宅地も見えますが、比較的最近出来たような造りです。

反対側。

 さて、再び宇美行きホームに戻り、反対側を眺めます。
 香椎方面ホームの向こう側に、比較的新しく見えるロータリーと駅前道路の舗装が見えます。
 駅前の道路は途中で途切れていますが、その向こうには更に、今は使われていないような築堤がカーブを描きながら伸びています。 廃止された旧国鉄勝田線の志免駅とを結んでいた、旧貨物支線の廃線跡です。
 このカーブと築堤。 どう見ても廃線跡にしか見えず、毎年車窓から気になっていたところです。
 今年は宇美まで行かず酒殿で下車したのは、この貨物支線廃線跡を辿ってみたくなったからです。

駅前道路。

 酒殿駅と旧貨物線。
 通常は駅を完全に出たあたりで、つまりこの場合なら写真もっと左手でホームを外れた後に分岐して行くのが普通です。
 が、写真のように、香椎行きホームの途中からすでに分岐のカーブを描いているようです。
 まあ旅客列車が走っていた訳ではないし、志免方面からの貨物列車を香椎線に合流させるだけなら、香椎側出発側のポイント部分に合流させればいいや、と言う感じです。
 地形上、この先大きく右にカーブさせる必要がありましたから、出来るだけ早く分岐させたかった、という事情もあるようです。

ポイント。

 宇美行きホームから、宇美方面を眺めます。
 何しろ始業かなり前の早朝の事。 まだ太陽は山から上ったばかりではあります。
 出発側の脱線ポイントに加えて、旧貨物ホームへのポイントも残ったままでした。

香椎方面。

 現在は、上り下りの両ホームの間は、香椎側でホームから下りて渡りを渡って行くことになります。
 ホームの端の更に少し先まで直線部分がある、長い交換設備です。
 さすがは元炭鉱地帯の路線ではあります。

香椎方面。

 同じ渡り部分から、宇美側を眺めるとこんな感じでした。
 右側の香椎方面ホームは、向こう側半分は石造りのホームですが、手前側は型鋼組にコンクリートボードを載せた造りになっており、手前側が後から造られたらしい構造が判ります。
 左側ホーム。
 元々駅本屋があった側には、中ほどに大きな切り欠きがあり、通常の避難所にしては大き過ぎるように思えます。
 この部分が昔の香椎方面ホームへの渡り跡だったのかも。 香椎方面ホームの石造りの部分の橋とも一致しますし。

昔の分岐跡。

 ホーム渡り部分から香椎側を眺めると。
 現在のポイントあたりから手前側に、自然な感じで手前側に土盛りが伸びています。
 この部分を見ると、貨物線が自然な感じで合流していたのがわかります。

志免方面。

 同じ部分から香椎方面行きホーム裏側。
 ちょうど1本分の線路がぴったり入りそうな盛り土が、少しづつ右手に広がって行きます。
 右手には自転車置き場があり、一度ホームに上った中ほどに出口があります。
 乗客を見ていると、こちらからの乗下車が圧倒的に多いように思われました。

駅裏側。

 同じ部分から貨物線の反対側、志免方面を眺めると、こんな感じで駅前ロータリーと道路、その先の築堤へ、自然な線形でカーブが伸びて行きます。
 何だか見ているだけでこの先楽しくなるような線形です。

酒殿と志免。

 さて、ちょっと遠景になりますが。
 向こう側の山裾あたりに、コンクリートの建造物の上部がちょっとだけ頭を覗かせています。
 旧勝田線の東側にある、竪坑櫓跡。 つまり、志免駅付近です。
 そのつもりで見ると、酒殿駅と旧志免駅は比較的近いようです。
 香椎線と旧勝田線の宇美駅が隣り合っていたのはまだかなり先ですから、両線は比較的近い距離で隣り合って走っていたことになります。

大型商業施設。

 香椎方面行きホームから真横を眺めると。
 廃線跡が見える訳ではありませんが、比較的近くに大型のショッピングモールが広がっています。
 ちょうど1年前、旧勝田線廃線跡の宇美から上亀山まで歩いた際に、このショッピングモールの向こう側を迂回しながら進んだ記憶があります。
 やはり香椎線と勝田線って、かなり接近した路線でした。

駅名標。

 さて、本日は旧貨物線跡を辿る予定ながら、酒殿駅で少しばかり時間を使いすぎたきらいがあります。
 そろそろホームを離れ、廃線跡に向かって進むことにしたいと思います。
 香椎方面ホーム中ほどの、この駅名標の更に先が出入り口になっていました。

貨物線跡。

 ようやく貨物線跡に降り立ちました。
 香椎方面行きホームには何もなく、僅かの雨風除けとベンチがあるだけです。
 しかし本来の「駅前側」に全くなかった飲料の自動販売機が、こちら側ホームにはありました。
 やはりこちら側の利用客が多いのでしょうか。

道路。

 駅前(駅裏)へ乗り入れているのは、この道路と細い農道だけです。
 明らかに廃線跡を利用して造られた道路とロータリー(というほど大きくもない)ですから、やはりこちらが「裏側」で、以前は何もなかった様子が伺えます。

道路とその先。

 さて、「駅裏」に乗り入れている道路。
 ですがその長さは100メートルに足りないほどで、その先で斜め気味に突き当る2車線の市道まで。
 そこから更に先は、全く活用されていない土盛りの築堤が続くばかりでした。

4両編成。

 酒殿駅前やホームで少々グズグズしていたお陰?で、うまい具合に次の列車がやって来ました。
 先程と乗って来たのと同じく4両編成。 JR九州色とアクアライナー色が入り混じった、キハ47ばかりの編成です。
 車種自体は綺麗な編成なのですが、何せ異なるカラーの車両が交互に繋がれていますので、ちょっとちぐはぐな感じもします。

列車交換。

 非電化区間としては列車本数の多い現在の香椎線。
 この時間も、酒殿駅で列車交換がありました。 やはり4両編成同士の交換です。
 これで横に貨物列車が並んでいれば、さぞかし賑やかで楽しい光景であることと思います。

駅風景。

 少し離れて、廃線跡の築堤から駅方面を眺めるとこんな感じになります。
 開けた場所での4両同士の気動車の交換風景って、意外と見ごたえがあります。
 交換駅であり、貨物線の分岐駅でもあった酒殿なのですが、なぜか駅周辺にはこちら側にも反対側の「表側」にも本当に何もありませんでした。

廃線跡。

 市道を渡ったところから伸びる築堤。
 全く活用されておらず、まさに「廃線跡」そのままの風景です。
 多くの区間、両側は大部分が田んぼなので、拡張して道路にする余地は十分にあるのですが、何分中途半端な経由路線、ということでしょうか。

有効活用?。

 こうして見ると、道路に転用されて有効活用された部分はほんの僅か。 そこから先は、あての無い放置状態です。
 この市道があったからこそ有効活用されたのでしょうが、市道自体は駅から少し離れて走っています。
 およそ乗客で賑わっていたという感じの駅風景ではありません。
 炭鉱全盛時はどんな感じだったのでしょうか。

遠ざかる。

 先発の宇美行き列車はすでに発車し、後発の西戸崎行きも発車して行きました。
 ということで、後ろ側を眺めるのはこれを最後にして、こちらも本格的に志免に向けて歩き出すことにします。
 いくら近いとは言え、そこそこの時間はかかるでしょうし。

線路跡と工場。

 酒殿を出た線路跡は、ボタ山の山裾を避けるようにして大きく右にカーブした後、今度は山裾に沿って左にカーブします。
 線形だけを見ると、大きなS字カーブを描くだけの、路線で、酒殿から志免までは僅か1.6キロの距離です。
 もっとも貨物線自体はそこから先更に伸びていました。

築堤。

 酒殿から志免間のうち、酒殿寄り半分以上は、こんな感じで田んぼの中を走ります。
 貨物線跡ですから、廃線の記憶を残す遊歩道や自転車道に転用されることもありません。
 両側の用地を見ると、2車線の道路に拡幅できる余地は十分あると思いますが、それさえありません。
 少しばかり勿体ない感じもします。

築堤とショッピングモール。

 さて、先ほど酒殿駅から眺めたショッピングモールですが、これが意外と近い。
 これまで何度も香椎線の列車から「あの辺りが勝田線の廃線跡」と思いながら眺めていたわけですが、やはり実際に歩いてみるとどんどん近づいてゆきます。

敷石?。

 この貨物線廃線跡。
 さほど草が生い茂っているという感じではありませんので、可能な範囲で築堤上を歩いているのですが。
 廃線跡だけあって、靴の下側は土ではなく敷石を踏みしめる感触が伝わってきます。 実際に、このような敷石が一面に敷き詰められたままです。
 しかし、よくよく見ると、線路の敷石にしては余りにきれいすぎる。
 普通、車輪から落ちる鉄粉の錆で赤茶色に変色するものなのですが、この写真ではただの「普通の砕石の色」をしています。
 長年列車が走っていない訳ですし、敷石を交換してからすぐに廃止になったのでしょうか。

橋梁跡。

 暫くすると、細い農道との交差点が現れました。
 さすがに鉄橋の梁だけは撤去されています。
 が、さほど高くない普通の築堤です。 鉄橋があったとしても、大した高さじゃありません。
 というか、このままでは人が普通に立ったまま歩くことは出来そうにありません。
 かといって農道は線路横の側溝を越えていますから、昔こちらが掘り下げられていた様子でもない。
 どうなっていたのでしょうか。

橋台。

 橋台跡です。
 石炭を運ぶ貨物線でしたから、小さな鉄橋とは言えがっちりとした造りの橋台です。
 色々な角度から眺めてみましたが、やはりこの下を車が通れたかどうかは微妙な高さでした。

離れて歩く。

 進むにつれて少し線路跡上の草が増えてきましたし、近くにちょうど良い農道がありましたので、築堤と並行してここを歩くことにします。
 必ずしも廃線の線路跡上を歩くことを必須としているわけではなく、要は眺めながら辿れれば良いわけです。
 すぐ隣ですし、間に田んぼ以外の何がある訳ではないので、雰囲気把握は十分です。

行きどまり!。

 さて、順調に廃線跡を辿っていたのですが、ここで問題発生です。
 川に突き当ってしまいました。
 安全のために橋桁はとっくに撤去されています。 おまけに左右両側も見ても、平行して掛けられている橋がありません。
 こうなると、川に沿ってどちらかに移動、つまり一旦廃線跡から遠ざかって川を渡ってから、再びやってこなければなりません。

迂回路。

 左右とちらに迂回するか、ですが。
 見渡すと、右側200メートルくらい先に、車が渡っている橋が見えます。
 仕方ありません。 車も通らない草の生えた堤防上を、一度ここまで迂回することにしました。
 橋から廃線跡方面を眺めると、こんな感じのそこそこの距離です。

ショッピングモール。

 さて、この橋ですが。
 先程から何度か出てきた、ショッピングモールのすぐ横を走る2車線の立派な道路です。
 大体頭の中に入っている地図と照合すると、この道路を真直ぐ進めば、とりあえずの目的地である志免駅跡にほぼ真直ぐ辿りつくはずです。 但し、貨物線跡を辿ると言う趣旨に反してしまいます。
 更に言うと、志免駅跡にも向かわず、この位置からショッピングモール手前を右に進めば、志免からこの先進もうとしている勝田線跡に、ショートカットで到達できます。
 しかしそれでは、志免駅跡にさえ行かないことになってしまいます。
 ここは橋を渡ったら、再びこの道路を左に外れ、川沿いに貨物線跡に向かうことにします。

反対側。

 川沿いの細い道路を進み、昔の鉄橋の反対側までやって来ました。
 この川を渡るために、数百メートルを迂回したことになります。
 しかし周囲を見渡してみるに、仮にここに橋があったとして、さほど利用者がいるとも思えません。
 つまり、橋などなくてもさほど不便を感じない、ということです。
 不便に思うのは、線路跡に沿って歩こうなどという変わり者だけかもしれません。

鉄橋跡。

 ちょうど鉄橋が架かっていた部分です。
 橋台の跡らしきものも見えますが、肝心の上部が草で覆われており、それ以上は明瞭にわかりません。
 築堤が続いているために、ここが鉄橋だったかと分かる程度の構造物でした。

線路跡。

 川を渡ったあたりの線路跡です。
 概ね原形を留めていた築堤ですが、この部分だけ取り崩された跡があります。
 川のこちら側は細いながら車道になっていますから、道路の拡張かと思いましたが、前後にそれらしい工事の様子はありませんし、この部分も最近の工事でもないようです。
 車道に邪魔な橋台を撤去する際に、盛り土も合せて取り除いたのでしょうか。

道路。

川のこちら側には、細いながら車の通ることができる道路が通っています。 先ほど川の少し手前でも農道と交差する鉄橋跡がありましたが、こちらは以前からちゃんと車が通れる道路です。 築堤はさほど高くありませんから、ここでは道路側を下げていました。

橋のたもと。

 さて、川を渡ってこちら側に来ると、築堤横に道がありません。
 再び線路跡を少し離れ、若干ですが農道を迂回することにします。 ここに至って、少々効率が悪くなってきました。
 道路との交差跡。
 狭い道路ですから、やはり橋台のあったこの場所を車の離合場所にしたように見えます。

志免方面。

 さて、川を境に、線路はそれまでの右へのカーブから左へのカーブに大きく向きを変えます。
 それとともに、田んぼの中から工場採石場など事業所の間へと、風景も様変わりです。
 だんだん線路跡に沿って歩くのが困難な状況になってきました。

築堤。

 結局一度先程の広い県道に出て、目星をつけて細い路地に入って来ました。
 間違いなく廃線跡です。
 しかし両側は完全に民有地で現在使用されていますので、あまり近づくことが出来ません。

歩くのは無理?。

 この事業所(工場)の向こう側、草が茂っているように見える辺りが線路跡です。
 しかし無闇に入って行くことができません。
 結局この先は(もう僅かの距離ではありますが)、先程の県道を志免まで歩くことになりました。

志免駅横のホームセンター。

 旧志免駅のすぐ北東側。 広いホームセンターがあります。
 貨物線の跡はこのホームセンターの建物すぐ向こう側あたり。 そして写真右手は、志免駅跡です。
 田んぼの中と違いかなり様変わりした、志免駅周辺でした。

貨物駅跡付近。

 上の写真のホームセンター横を裏側へ回って見ました。
 ちょうどこの付近。
 貨物線が向こう側酒殿方面からやって来て、この辺りで構内へ線路が何本も伸びていたあたりです。
 ところで、香椎線(貨物支線)と勝田線は元々別会社として生まれた経緯から、ここ志免でも、駅はちょっと複雑な構造、というか線形をしていました。
 つまり両駅が並んではいるものの、線路配置は一体とはなっていません。
 宇美駅と違い両者の線路は繋がっていましたので、後年「かもめ」の回送も可能となりましたが、酒殿側からやって来ると、志免駅の旅客ホーム線路へは直接進入できず、横を通り過ぎる形となります。
 このあたり、比較的鮮明な航空写真が公開されていますので、こちらをご参照ください。 (著作権の関係でここでの転載は行いません。)

貨物駅後付近。

 勝田線の廃線跡に並びながら若干離れて行く感じで宇美方面に伸びる道路。
 この辺り、貨物駅が広がっていたところです。
 おかげで町中には珍しい、歩道にもゆったり余裕のある道路です。

竪坑櫓跡。

志免の町のランドマーク、竪坑櫓跡です。
 旧貨物駅の真横です。 石炭で賑わっていた昔の様子が偲ばれます。
 ここまでの道のり。 前半はともかく、川に突き当ってからの後半は迂回と引き返しの連続で、線路の距離1.6kmよりは相当長く歩いたように思えます。

バス停付近。

 このバス停(東公園台一丁目)の先あたりまでが、貨物駅の構内だったようです。
 大きなカーブを描いた、幅のある道路はしかし、この少し先で一気に細くなっていました。

志免鉄道公園。

 上の写真の隣のバス停、「志免鉄道公園」です。
 こちらが勝田線の志免駅旅客駅。
 ちょうど旅客ホームを貫いて造られた道路上、つまり志免駅の中心あたりにバス停が立っていました。
 一年前に宇美から歩いて訪れた時と、それほど様子は変わっていません。

ホームとバス停。

 志免駅ホームを分断する道路。
 昔の駅前通りがそのまま駅を貫いた格好で、廃線跡のちょっとした駅ではよく見られる光景でもあります。
 しかしホームや線路が残されたままですから、ちょっと変わった光景ではあります。

志免駅跡付近。

 志免のシンボル?
 竪坑櫓と志免駅跡、現在は「志免鉄道公園」です。
 旅客駅にやって来ましたので、ここから先は「貨物線探訪」ではなく昨年同様「勝田線廃線跡探訪」に切り替えです。
 といってもこれはオマケ。
 昨年と全くダブるルートですので、ごく簡単に引き続きこの「香椎線」のページで紹介する事にします。

勝田線跡。

 志免駅跡を後ろに、篠栗線柚須側に進むと、程なく現れるのはこのショッピングモール。
 今朝から何度となく遠目に近くに眺めたやつです。
 考えてみれば、こいつの回りを無駄に歩き回っているようにも思えます。

ショッピングモールを後に。

 ショッピングモールを過ぎて、更に勝田線廃線跡を進みます。
 昨年と違いまずまずのお天気で、今回は雨の心配はなさそうです。
 しかしながら、最初に酒殿駅でグズグズし過ぎた、貨物支線の途中からやらた迂回遠回り引き返しが増えた、志免でも少しグズグズし過ぎた・・・。
 ということで、余裕と思っていた時間が思っていた以上に押してしまいました。
 これは少しばかり急がねば!

南里駅跡。

 志免の次はここ。
 旧南里駅跡です。
 志免鉄道公園のホームにある駅名標では、しかし隣の駅は「南里」ではなく「上亀山」です。
 ここ南里駅は、すでに戦時中の1944年には廃止されました。

駅前だった、らしい。

 30年前に勝田線自体が廃止されるより更に40年以上前、とっくの昔に廃止された駅。 というよりは、戦時中の国有化時に廃止されたため、「国鉄勝田線」としての駅ではありません。
 しかしながら、「駅があったらしい」表示は意外にもあちこちに残されています。
 この駐車場の看板もそうです。
 まだ新しい看板なのに、名前は「駅前駐車場」でした。

駅跡?。

 広い通りとは直行せず中途半端な道路と、中途半端な空き地(駐車場)。
 どうやらこのあたりが、南里駅を偲ばせる「遺構」のようです。
 構造物は何も残っていませんが、そういう目で見れば、「駅だったのかな」と思わせる地形にはなっています。

南里駅前交差点。

 駅前通りの交差点。
 こちらはそのものズバリで、「南里駅前」交差点の標識が掲げられています。
 旧駅前通り(らしい道路)と広い片側2車線の道路の交差点。
 「駅前」が完全に定着しまっているようです。

更に前進。

 宇美町にしろ志免町にしろ、多少方式は違いますがきちんと整備されている廃線跡の遊歩道。
 こうした地道な清掃活動が続けられていました。
 さて、このまま進むと、左にカーブして進路を西寄りに変えて、上亀山駅跡の公園に到達。
 なのですが、いささか残り時間が少なくなってしまいました。
 そろそろ方向転換しなければなりません。

時間切れ!!

 旧勝田線跡から少し離れた所を並走する道路です。
 ここまで予想以上に時間を費やしてしまいました。
 早朝日の出からの散歩だったのですが、酒殿駅と貨物支線と志免駅跡付近でグズグズし過ぎたようです。
 出来る事ならついでにこのまま、昨年途中断念した上亀山〜柚須間も歩こうかとも思っていましたが、その時間はありません。
 所定の時刻に間に合うよう、今回はここ「南里」からバスに乗車です。
 このバス停。
 名前は「南里」ですが、先程の写真の「南里駅前」からは少しばかり離れたところにありました。
 南里の町の中心って、どのあたりなのでしょうか。 それも来年に持ち越し?です。

2019年12月7日追加
2019年11月再訪

香椎線に変化有り。

 2019年11月某日の早朝。 香椎駅にやって来ました。
 このコーナーでも取り上げているように何度も訪れている香椎線ですが、今回はちょっと、というか大きな変化。 国鉄型の気動車一色だった香椎線ですが、「電車」が走るようになりました。 それも「非電化」のままで。

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