かいもん4号のホームページ TRIAL20000 勝田線
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福岡近郊の旧国鉄ローカル線・勝田線です。 福岡市内の吉塚駅と近郊の筑前勝田を結ぶ路線は石炭輸送で賑わった時期もありました。 しかし100万都市に直接接続する近郊路線にもかからわず、旅客列車本数は僅少のままで、国鉄ローカル線廃止の早い時期・1985年に廃止されてしまいました。

尚、本コーナーはページサイズの関係でページを分割しています。
それぞれのページへは以下のINDEXからお入りください。
本コーナーの最新の追加は 2018年9月15日
<INDEX>
2017年9月再訪  2018年9月15日一部追加
2015年11月再訪  ← 本記事は香椎線酒殿〜志免間が主題のため、「香椎線」の項に掲載しています。
2014年11月再訪
2013年11月再訪
2012年11月再訪

<吉塚〜筑前勝田>
2017年9月再訪

(JR香椎線)長者原駅。

 2017年9月某日、JR九州香椎線は長者原(ちょうじゃばる)駅です。 宇美行きの気動車が到着です。
 本日は福岡での用件のついでに、ごくごくご近所の勝田線廃線跡を歩こうという企画です。
 これまで過去4回、部分的区間を歩いてはいるのですが、時間の読み違えで上亀山〜柚須間が残っていました。 こういう機会もどうやら残りあまりなさそうですし、今回は一気に(終点側の)勝田から柚須までを通して歩いてみようと思います。
 尚、全区間の写真を改めてアップしますので、過去4回と写真も文面も激しく重複しています。 ご容赦ください。
 というわけで、恐ろしく長い駄文になりそうな予感。

香椎線と篠栗線。

 目的は勝田線廃線跡ですが、すでに線路がない区間の終点まで行かなければならないので、何らかの交通手段に頼らなければならない。
 当然ながら、往復ともに歩き通すほどの気力も体力も、それ以前に時間もありません。 まずは香椎線で終点宇美駅を目指します。
 博多からやって来たのは篠栗線(福北ゆたか線)の電車。 ここ長者原駅で、香椎線と立体交差します。
 香椎線の列車から見下ろせる、篠栗線の線路。 博多駅直結の近郊区間ながら、単線なのが泣き所です。

(JR香椎線)志免鉱山の竪鉱櫓。

 長者原の次の酒殿駅手前。 山の向こうに志免(しめ)炭鉱の竪坑櫓が見えてきました。
 ちょうど竪坑の右あたりの山の向こう側。 これから目指す勝田線の志免駅跡があります。
 酒殿駅からは、勝田線と結ぶ連絡線が、ちょうど写真の奥手工場あたりを走っていました。

連絡線跡。

 酒殿(さかど)駅です。 駅前からは、志免駅への連絡線の廃線跡が、はっきりと判る地形で残っています。
 ここ酒殿駅前だけは、わずかの距離ですが、立派な2車線の道路に生まれ変わっていました。
 連絡線廃線跡は3年前に訪問しましたので( こちら 参照)、今回は車窓から眺めるだけです。

列車交換。

 酒殿駅で、対向列車と交換です。
 非電化単線ながら、現在は列車本数が多く設定さえている香椎線ですので、頻繁に列車交換の機会があります。
 長者原から終点宇美の間の区間だけでも、2度の列車交換がありました。
 残念ながら、貫通扉の窓ガラス。 あまり綺麗じゃありません。

新原駅。

 終点宇美の手前、新原(しんばる)駅でも列車交換です。
 やって来たのはキハ47系気動車です。
 キハ200なども投入されているJR九州ですが、現在はここ香椎線には、国鉄時代のキハ47・40が集中配置されています。

また交換列車。

 交換列車の車両。 前側(西戸崎側)は普通のキハ47で、宇美側はアクアライナー色のやつでした。
 写真を見ると、先ほど酒殿駅で交換した編成も同じいでたちの編成でした。

廃線跡、車窓から。

 終点宇美駅に到着の寸前。 宇美川の短い鉄橋を渡ります。
 すぐ横を並走する道路の更にその少し先、小綺麗なデザインの小さな橋が並んでいます。
 勝田線の廃線跡を利用して、緑道(遊歩道)の橋梁に生まれ変わっていました。

終点宇美駅。

 終点宇美駅に到着です。 乗車してきた車両は、アクアライナー色のやつでした。
 と言っても、車内はふつうのキハ47。 ロングシートが一部撤去されてはいましたが、ドア間は昔ながらのクロスシートが並んでいました。

駅名標。

 終点宇美駅です。
 キハ47の車内。 原形のタイプは壁の化粧板の色、確か近郊型用の淡緑だったはずですが、現在はキハ40の2000番台や48と同じ感じのクリーム色でした。
 しかし国鉄型そのままに変わりはありません。

宇美駅。

 久しぶりの宇美駅です。
 宇美八幡宮に合わせたイメージの駅舎。 乗客が利用する駅改札と切符売り場部分は、待合室もないほんのわずかのスペースですが、自転車置き場ほか付帯設備も統一されたデザイン。
 そしてそこそこの広さの駅前広場を有しますから、本来の駅機能と比べると、相当大きな駅に感じます。

発車待ち。

 踏切を渡ってホーム反対側から列車を眺めると。 この編成は2両ともアクアライナー色のキハ47でした。
 現在はホームと1線だけの宇美駅です。

バス停。

 さて、これからが本番です。
 宇美まではやって来ましたが、勝田線の終点はここから更に南に進んだ勝田です。
 今回は総まとめ的に勝田から柚須まで通して歩こうという企画ですから、まずは勝田まで行かなければなりません。
 往復歩けない距離ではありませんし、実際少し歩きかけたのですが、時計と相談すると少しばかり時間が足りなくなりそうな雰囲気です。
 そうなると、前回前々回同様、またまた肝心の区間を歩き通せないことになりかねません。
 宇美駅から少し先で見つけた、県道沿いのバス停。
 時刻表によると丁度良い便がありそうです。

西鉄バス。

 ほんの少しばかりの間。
 待った、と言う程でもないうちに、勝田方面行きのバスがやって来ました。
 勝田線廃止の代行バス、という位置づけではもはや無いでしょうが、博多と勝田を結ぶバスが、1時間に3本も運転されています。
 まずは時間を稼ぐために、これに乗車です。

原田橋停留所。

 乗車した便の終点、原田橋(はるだばし)バス停です。
 なんだか今回の文章最初から、地名駅名にフリガナばかり入れているような気がします。
 それはさておき。
 ここ原田橋停留所は、勝田停留所の次のバス停で、つまり勝田線の終点の線路の一番奥側の、更にほんの少し先、といった感じの場所になります。

緑道コース案内。

 原田橋停留所のすぐ横。 ここにこの緑道案内の看板が立っています。
 この場所を起点(終点?)に、宇美町と志免町を通して、約10キロの緑道が続きます。
 きちんと整備されているだけあって、看板もしっかりしています。

緑道紹介。

 上の写真では読めないと思いますので、緑道の紹介部分のみのアップです。
 文字ばかりですので、説明は省略です。

緑道紹介。

 ついでに「地図」による紹介を。
 この案内板では宇美町内の部分だけの掲載になっています。
 宇美駅からここまでは、地図によると2.5kmくらいありそうですから、まずはバスに乗って正解だったかと思います。

出発。

 県道沿いのバス停から緑道案内を眺め、細い井野川沿いに階段を下って、いよいよ出発です。
 本日は早めの時間を作っての訪問ですので、おそらくは柚須まで歩き通せると思ってはいます。
 が、あまり写真を撮ったりいろいろなものを眺めたりしていると、時間が足りなくなること必至です。
 心して掛からなければなりません。

停留所。

 原田橋から更に先。
 この路線の西鉄バスは、ここが終点の便のほかに、更に大宰府まで足を延ばす便があります。
 鉄道地図だけが頭にあると、宇美や勝田と大宰府?方向が違うんじゃないの?と言う感じがしますが、道路は「県道福岡・大宰府線」です。

バス停。

 県道からほんのわずか横道にそれた場所にある、西鉄バスの原田橋停留所、博多天神行き側です。
 道路の線形改善で残された、かつての県道本線です。
 ここから博多天神方面行きは、日中概ね1時間に3本。 うち2本がこの原田橋始発で、1本は大宰府からの直通となります。

バス停案内。

 原田橋のバス停表示(大宰府行き側)です。
 残念ながら風化が激しく、「大宰府」の文字が辛うじて読み取れる状態です。

緑道開始(柚須向き)。

 原田橋バス停から緑道に降りてきました。 といっても、ほんの10段ばかりの階段です。
 ここから先、宇美町内の区間は、所々に小さな公園を交えた遊歩道と言った感じの緑道が続きます。
 尚、進行は筑前勝田から柚須向きですが、写真の向きがその通りとは限りませんので、以降、写真のタイトルに「柚須向き(進行向き)」「勝田向き(進行後ろ向き)」の表示を含めます。

井野川(柚須向き)。

 旧筑前勝田駅の奥から、筑前勝田駅構内を眺める、と言った感じのアングルでしょうか。
 この駅跡、今ではほぼ全くと言っていいほど、駅の遺構を見ることはできません。

住居案内。

 上の写真の撮影位置(井野川に架かる小さな橋・明治橋)横にある、住居掲示板です。
 写真上が北側というわけではなく、むしろ上が南東向きくらいの方位になります。
 住居表示地図のため県道は途中で切れていますが、先ほどバスを下車したのは右上の方の「原田橋」。 この道路を斜め右上方(おおむね南東向き)に進むと大宰府方面。 下に向かうと福岡市内方面となります。
 「現在位置」から下側(つまり上の写真向き)が、旧国鉄勝田線の筑前勝田駅付近です。

 ところで、地図にあるように、このあたり一帯の地名は「勝田」ではなく古くから「原田(はるだ)」です。 「筑前勝田」の名前は勝田線(当時の筑前参宮鉄道)が開業した当時、近くの炭鉱が「勝田炭鉱」と命名されていたことに由来します。 そして「勝田炭鉱」の「勝田」も地名ではなく、当時の炭鉱の所有者「清水勝次」氏の命名によるものです。
 この宇美〜勝田地区の炭鉱。 何度か所有者が変わり、それに伴って名前も変えられたようで、開業して数年後の地図によると、筑前勝田駅付近の狭い意味での「勝田炭鉱」は「昭和炭鉱」へと名前を変えています。
 そして、いわゆる「勝田炭鉱」として知られている「三菱鉱業勝田炭鉱」は、この筑前勝田のものではなく、宇美駅近くの桜原地区にあったもの、ということです。
 (このあたりの経緯詳細をご存知の方がおられましたら、小記事の誤り訂正も含めてぜひご教授ください。)

緑道(柚須向き)。

 さて、「緑道」ということで、こんな感じの周囲から少し隔離された感のある空間からスタートです。
 廃線跡には、所々にこのようなミニ公園的空間が広がります。
 これだけのものを維持しようとすると、相当の管理費が必要なのではと、余計な心配をしたくなるほどです。

緑道公園(柚須向き)。

 とは言え、きちんと手入れがされた公園は歩いていて気持ちの良いものです。
 この写真は9月のものですが、秋になると落ち葉が、また枝が伸びるころには剪定に相当手間がかかると思われます。
 それだけに、これだけきちんと整備されているのには敬服します。

勝田橋から(柚須向き)。

 勝田線、または勝田炭田のあったであろう地名が残る唯一の(?)構造物。 上の住居案内にも出てきますが、井野川にかかる小さな橋が「勝田橋」と命名されていました。
 橋の上から、筑前勝田駅跡方面の眺めです。  

緑道標識(柚須向き)。

 井野川沿いの河岸段丘(そんな大げさなものではない)の低地からスタートした緑道ですが、筑前勝田駅跡手前で一旦県道沿いに上がります。
 緑道このあたりは必ずしも線路跡、というわけではなく、旧炭鉱に向けての引き込みを偲ぶなら、緑道よりはむしろ井野川対岸の細い道路を歩いたほうが良いかもしれません。
 要所要所にこのような標識のある、宇美町内の緑道です。

標識。

 緑道標識には、このようなプレートが埋め込まれています。
 原田橋のスタート地点から500メートルも歩いた気はしないのですが。
 残念ながら、スタート地点の「緑道コースごあんない」看板にあった「勝田線」とか「筑前勝田駅跡」の表示はここにはありません。

筑前勝田駅跡(柚須向き)。

 ちょうど「筑前勝田駅」跡にあたる部分。 駅跡だけあってやや広いスペースが開け、それっぽい公園になっています。
 しかしながら、「駅跡」を偲ばせるものはありません。
 40年近くの記憶では、駅裏(写真右手)にもう少しスペースがあった気がするのですが。 現在この部分は「総合スポーツ公園」になっており、造成されている関係で、地形自体が幾分変わっているのでは?とも思える変化ぶりです。

「勝田」バス停。(柚須向き)

 「筑前勝田」は地名ではないのですが、バス停には「勝田」の名前が残っています。
 この前後両側のバス停名はそれぞれ「原田橋」と「原田」ですから、「勝田」と言う名前は「筑前勝田駅前」であった証拠ではあります。
 この写真は県道を南西側に渡ったもので、手前側が博多方面行きのバス停。 道路向こう側が、原田橋から大宰府方面行きです。
 つまり、道路の向こう側が筑前勝田駅跡、ということになります。
 ところで、このバス停。
 名前は「かつた」ではなく「かつだ」と濁ります。 バスの車内案内でもそうでしたし、西鉄バスのHPでもそうなっています。
 一方、国鉄の呼び名は濁らず「かつたせん」であり、「ちくぜんかつた」駅でした。
 このあたりの由来、何故なんでしょうか。

筑前勝田駅跡(勝田側)。

 県道から筑前勝田駅跡あたりを見下ろした風景です。
 従ってサブタイトルの「(勝田側)」と言う表現はいささか変なのですが、要は終端側を眺めた風景、ということです。
 確かにこんな感じの、「谷底(?)にある」という感じの駅でした。 が、現在の井野川の位置。
 あそこは本来線路があった場所なんじゃないか?と言う気がしてなりません。

駅跡(柚須側)。

 筑前勝田駅構内から宇美駅方面を眺めた風景です。
 駅構内の線路跡は辿ることはできませんが、駅の入り口にあたるこのあたりから先は、緑道はほぼ線路跡と思って差し支えないようです。
 しかし、「遺構」的構造物はほぼ発見できません。

廃線跡(柚須側)。

 さて、筑前勝田駅を後に、宇美駅に向けて出発です。 前振りが恐ろしく長くなりましたが、ここからが本当の廃線跡散策ではあります。
 このあたり、駅跡にしては本当に遺構らしいきものが何一つ残っていません。 しかしながら前回やって来た時に気になったものがひとつだけありました。
 苔生していかにも年期を思わせる、この先左手にある石垣です。

石垣。

 改めて近寄って石垣を眺めると。
 写真ではちょっと判別しにくいのですが、左下にあるような、人為的に開けられたと思われる「穴」が、横方向にも縦方向にも一定の間隔で並んでいます。
 もしかしたら、これはよく昔のホームなどに見られる、保線用などの退避足掛けなのでははかろうか。 とすると、線路はこのすぐ側を通っていたということになります。
 唯一発見できた、「それらしい構造物」ではあります。

線路跡(勝田側)。

 進行後ろ向きです。 筑前勝田を出てすぐ。 宇美に向かっては、緩い下り勾配になっています。
 何となく線路跡を思わせる、大きなカーブです。

宇美に向けて(柚須側)。

 井野川と一旦離れると、進行右手は数件の住宅と生活道路となります。
 現在は境界線は低い植え込みになっていますが、明らかに道路と緑道が分かれているあたり、間違いなく「廃線跡」だと判ります。
 左側の建物は、みなこちら側が「裏側」になっていますし。

道路と線路跡(勝田側)。

 道路と線路跡が並ぶ、筑前勝田駅北方の廃線跡。
 全部道路にしてしまっても良いような感じではありますが、折角緑道として整備されているのでそれは無し、ということでしょうか。
 ま、ここだけ道路拡張してもあまり意味は無いのかもしれませんが。

県道と廃線跡(勝田側)。

 暫く進むと、進行左手に県道が寄り添ってきました。
 ここが「原田(はるだ)」バス停。 つまり「勝田(かつだ)」バス停より一区間の距離です。
 勝田線が廃線になるよりずっと前から、博多方面へのお客では賑わっていた、西鉄バスの路線です。

原田バス停。

 西鉄バス・原田バス停の標識。
 かなり錆びてはいますが、読み取れるのは「原田橋」と「大宰府市役所」の行き先2つ。
 くどいようですが、筑前勝田から終点を少し先に進むと大宰府に出るって、鉄道地図しか知らないと何か不思議な感じがします。  鉄道で行くとなると(勝田線があるという前提ではありますが)非常に大回りで実用的ではないですからね。
 しかしながら隣り合っている宇美町と太宰府市。 九州自動車道も福岡市内には入らず、宇美町から太宰府市へと直行している。 そんな位置関係ではあります。  

原田バス停付近(柚須側)。

 原田バス停付近の三叉路。 単なる交差点にしてはやや広めの歩道スペースが開けています。
 三叉路と書きましたが、県道に左から直角に交わる道路に加えて、3枚上の写真の生活道路も合流しますから、かつてはちょっとした規模の「踏切」だったはず。
 そんな感じのスペースでした。  

歩道と歩道橋(柚須側)。

 丁度この場所で、一旦離れた井野川と合流し、線路は川の右岸に渡ります。
 踏切と道路と川とが交錯する地形でしたが、現在は線路と鉄橋が無くなった代わりに、歩行者専用の橋と歩道橋が設けられていました。

鉄橋跡?(勝田側)。

 かつては井野川を渡る短い鉄橋があったのでしょうが、現在はこのような形状に改められています。
 鉄道では当然直線で結ばれていたはずですが、道路の改修工事に伴ってでしょうか。 この部分の鉄橋は完全に撤去され、跡形を偲ぶことは出来ませんでした。

宇美方面(柚須側)。

 ここから先、細い井野川を挟んで、暫くは県道と廃線跡が並行します。
 宇美町内に向けて、線路跡は真っ直ぐに伸びてゆきます。
 写真のアングルからは大半を外しましたが、歩道整備の方々が、作業の真っ最中でした。

宇美ふれあい館(柚須側)。

 単なる廃線跡の遊歩道にしてはやや広いスペース。 右には{宇美ふれあい館」と言う施設があります。
 このあたり、線路が井野川から微妙に離れつつある感じでしたので、無駄なスペースをまとめて遊歩道と公園にしたという感じでしょうか。

宇美ふれあい館付近(勝田側)。

 幅広いスペースに植え込みとちょっとした休憩ができるベンチ。 遊歩道はスペースの一番川寄りを通っています。
しかし実際の線路は、左手の1段だけ高い側を通っていたようです。

安全策(柚須側)。

 宇美ふれあい館端の交差点(?)から先は、一転「裏通り」的風景になります。 ま、こちらの方が廃線跡的風景と言えなくもありません。
それより、やたら頑丈な侵入防止策です。  自転車まで進入不可なんでしょうか。 歩行者自転車専用道のはずなのですが。 と言う感じの柵の「隙間」です。

案内プレート。

 路面に埋め込まれた案内プレート。 概ねの位置を知ることは出来ます。
 距離表示だけからすると、宇美町内だけのもので、隣接する志免町内の区間は含まれていません。
 両町共同事業のはずなのですが、このあたりはお役所の業務の限界ということでしょうか。

交差点(柚須側)。

 四王寺坂付近で、2車線の道路に突き当たります。
 鉄道があったころはもちろん鉄道が優先でしたでしょうし、道路もこれほどの規模ではなかったかもしれませんが、遊歩道の今となっては、優先されるべきは車道側です。
 不便なことに、遊歩道を結ぶ「横断歩道」は無く、「横断禁止」で横断歩道は「左へ80メートル」です。
 往復で160メートル。 結構な距離です。

県道。

 出会った道路は、福岡市内に入らず春日や大野城へ繋がる県道60号。
 従って車の数もそこそこですし、県道が相手では遊歩道の負けです。
 それにしても、正式な横断歩道まで行かず、安全柵の途切れるこのあたりで渡ってしまいたい感じです。

案内標識。

 県道60号との交差点付近にあった案内標識です。
 こまかな表示はありませんが、地図で重ね合わせると、大体の位置は把握できるかと思います。

県道交差点(勝田側) 。

 横断歩道まで迂回して(本当です!)無事に県道を渡り終えて、反対側に戻ってきました。
 無駄に歩いたかと思うと結構な距離ではあります。
 当然こちら側にも安全柵と「横断禁止」の表示が。

貴船緑道公園。

 「公園」と言うほど広いスペースではありませんが、ちょっと休憩できる小空間が、ここにもありました。
 井野川がやや北寄りに向きを変えるあたり、大きくカーブする鉄道とやや小さな半径の川の間のスペースが、小さな公園になっていました。
 この区間。 ちょっとしたベンチがあちこちにあるのが嬉しい感じです。

歩道橋。

 井野川に掛かる歩行者専用の橋。
 階段状になっていないので、入り口はちょっと急な感じではありますが、滑り止めのお陰で足元は確かです。

井野川(柚須側)。

 「ねうしばし」を渡り、井野川の左岸から廃線跡宇美方面を眺めます。
 筑前勝田を出て西北西に進んできた緑道=廃線跡は、このあたりから宇美町内市街地に向かって北寄りに進路を変えてゆきます。


井野川(勝田側)。

 上と同じ場所から、先ほど進んできた勝田側を眺めます。
 「貴船緑道公園」はほんのこれだけのスペースですが、県道からも離れて、ちょっとした憩いの場には良いかもしれません。

案内標識。

 貴船緑道公園からほんの少し進み、大谷地区にある案内標識。
 このあたりから宇美駅先までは、進路はほぼ北向きです。
 この案内表示板。 上が北向きということではなく、眺める向きにあわせて自然な形の方位となっています。

案内標識。

 上の案内標識と同じ場所のものですが、「左隣」の面に取り付けられたもの。
 見る方向が違いますから、同じ場所でも向きは90度異なります。
 なかなか細かく作り分けています。

道路と合流(柚須側)。

 さて、上の標識のあるあたりから先。 ここで専用の歩道は姿を消し、自動車の通れる道路と完全に合流しました。
 「遊歩道」から「単なる歩道」になり、その先は一旦「歩道のない普通の道路」となります。
 ところでののあたり、かつて香椎線の宇美駅から線路が伸びていて、「大谷炭鉱前」駅があったところです。
 もっとも今では炭鉱前駅跡を偲ぶことはできません。

緑道の(一旦)終わり(勝田側)。

 上の写真の反対向きです。
 原田橋から伸びていた緑道。 専用の遊歩道区間は、一旦ここまでです。
 ちょうどこの先の場所に、勝田線(筑前参宮鉄道)の大谷駅が存在したようです。
 こちらも跡形を偲ぶことはできません。

道路区間(勝田側)。

 一旦遊歩道が姿を消した、勝田線廃線跡。 ちょうどこの写真の区間が、「専用遊歩道のない区間」です。
 しかしそれでもさほど広い道路ではありません。 元々それほどスペースがなかったのでしょう。

宇美駅前(柚須側)。

 上の写真の反対側。 ここから再び歩行者専用道路。
 と言うよりは、ここから先はJRの宇美駅前まで続く、駅前地区の歩道スペースです。
 現在は町営の施設がいくつか並んでいますが、このすぐ先がかつての勝田線の宇美駅でした。

宇美駅前(勝田側)。

 歩道スペースに入り、改めて勝田側を眺めます。
 このあたりから線路が分岐して、後方が駅スペース、だったはずです。
 宇美駅側に向かって歩道は微妙に上り勾配になっているのですが、当時の線路の状況はどうだったのでしょうか。

案内標識。

 大きな構えの町立武道館。 そのすぐ横にある緑道案内標識です。
 表示にも香椎線の「JR宇美駅」が現れました。
 旧勝田線宇美駅は、香椎線宇美駅とはほぼ隣り合った別の駅。 ちょうどこの表示の「宇美駅」と「現在地」の間あたりの位置になります。

(勝田線)宇美駅跡(柚須側)。

 香椎線のJR宇美駅のすぐ手前。 このあたりが勝田線宇美駅跡。
 一番右端の木の向こうにちらりと見える赤と白の構造物が、現在の香椎線宇美駅まわりの一連の設備です。

(JR香椎線)宇美駅。

 宇美駅まで戻ってきました。
 廃線跡を辿っていた眼には、非常に広い立派な駅前に見えます。
 (実際に町の規模からしても、広くて立派な駅前ではあります。)
 元の場所まで戻ってちょっと小休憩といきたいところではありますが、本日はまだここから先が長い道のりです。

香椎線列車。

 宇美駅前広場。 そのすぐ北側にある踏切。
 ちょうど駅前まで戻ったタイミングで、香椎線の列車が発車して行きました。 アクアライナー色とJR九州色の、2両編成の気動車です。
 帰路は香椎線の列車に乗車するのではなく、勝田線跡を歩いて見ようというのが本日の趣旨ですから、発車して行く列車を横目に見ながら、こちらも出発することにします。

宇美駅前から(柚須側)。

 宇美駅から北側。 香椎線と僅かの距離で沿うような格好で、勝田線の線路跡が伸びています。
 古い住宅地の家と家の間をすり抜けるような感じです。
 こんなところを蒸気機関車や大きな気動車が走っていたのかと思いますが、単線のローカル線の駅近くって、だいたいこんな感じではありました。

宇美駅前から(勝田側)。

 上の写真と同じポジションです。
 つまり、この真正面に勝田線が伸びており、横断歩道の先が勝田線宇美駅だったあたり。
 ですが、現在では香椎線の宇美駅前として駅前広場が立派に整備されており、この向きでは勝田線跡は偲ぶことはできません。

プレート。

 緑道に埋め込まれた案内プレート。 ご覧の通り、これは緑道案内ではなく宇美町施設の案内です。
 緑道のうち、宇美町内の区間ではこうした色々な案内が、かなりこまめに表示されていました。

家並みを抜けて(勝田側)。

 3枚上の写真の路地をほんの少し入ったところで振り返ってみます。 宇美駅前広場から緑道に入った途端に、こんな感じの家と家の間です。
 現在では個人の敷地からこの緑道側にも出入り口がたくさん設けられていますが、列車が走っていた当時はどうだったのでしょうか。

家並みを抜けて(柚須側)。

 上と同じポジションです。
 宇美駅を香椎線とほぼ並行して北に向かって出発する勝田線ですが、少し進むと、次第に左手西側へとゆるやかにカーブして行きます。

小さな橋(柚須側)。

 家並みの外れ、小さな川と言うか側溝的開渠に架かる、小さな橋。
 欄干には蒸気機関車のイラストが描かれています。
 が、本コーナー 2012年11月 の時の写真と比べると、かなり色褪せている感じがします。

小さな橋。

 欄干に描かれた蒸機機関車のイラスト。 意外と細かく書き込まれています。
 足元の木製の材料などと合わせ、こだわりのある遊び心豊かな緑道です。

小さな橋。

 蒸気機関車のイラスト。 よく見ると、テンダーが???
 これ以上の鮮明な写真は撮っていませんので、気になる方は実際に確かめられる方が良いかと。

小さな橋(勝田側)。

 宇美駅から直線に伸びてきた線路は、このあたりからゆっくりと西向きにカーブして行きます。
 橋の両側には逆向きに蒸気機関車のイラストが。
 つまらないことですが、「上り」と「下り」の向きが、本来と逆ですね〜。 イヤ、鉄道ではなく「遊歩道」ですから右側通行でいい? そもそもここは単線だったからどっちでもいいんじゃ?
 ホント、どうでもいいことです。

香椎線列車。

 さきほどの列車と隣の新原駅で交換した列車が、宇美駅に到着します。
 香椎線と勝田線が隣り合っているのはこのあたりまで。
 ここから先は、勝田線が離れるような形で、別々の方向に進みます。

緑道標識。

 この部分の緑道標識です。
 地図にある通り、柚須に向かってここから先、廃線跡は海側に沿ってカーブし、香椎線からは次第に離れてゆきます。
 ところがこの地図、というか略図なんですが、次のコマの緑道案内と比べると、微妙に違う気がするのです。

緑道標識。

 宇美川の傍にあった緑道案内標識です。
 上のコマでも書いたように、地図の感じ・道路の位置関係が若干異なります。 歩いた限りでは、こちらの方が実際に近いように思えます。
 微妙とは言え、なぜこんなことになっているのでしょうか。

曲がった鉄橋(柚須向き)。

 正確には曲がった「鉄橋跡」ですね。
 現在は歩道橋として、かつての鉄橋の面影はありあません。
 しかし廃線跡をずっと辿って来ると、どうしても「鉄橋」と言いたくなってしまいます。

橋梁。

 宇美川に架かる橋梁。
 ご覧の通り、橋げたは現在はコンクリート橋梁になっており、いわゆる「鉄橋」のイメージではありません。
 しかし、足元の橋脚と橋台は、当時の物を活用されているのではと思われます。

ベンチとロゴ。

 宇美川の歩道橋中央にある、石造りの小さなベンチ。
 左側は宇美町のマーク。
 なのですが、右側がよく分かりません。 UMI(宇美)Mには違いないのですが、その下側が。 たったこれだけのことで問合せするのも気が引けますし。
 どなたかご存知の方がおられましたらご教授ください。

歩道橋(勝田向き)。

 宇美側の歩道橋を、柚須側から眺めたところです。
 現在では、宇美町内の緑道の路面。
 かつてのカラー舗装や敷物から普通のアスファルトに改められたところが多いですが、ここだけはカラー舗装のままでした。

欄干。

 歩道橋の欄干です。
 ここまで「曲がった鉄橋」とか「宇美川の歩道橋」とか書いていましたが、「宮井出歩道橋」というのが正式な名称のようです。
 ここには「動輪」のマークが。
 どこまで正確性にこだわりを持っているかは???ですが、ま、イラストとしてなら。

香椎線方面。

 宮井出歩道橋から、宇美川東方面を眺めます。
 道路の向こうに、並んで香椎線の鉄橋が眺められます。
 比較的近かったのはここまでで、この先は上の写真のように、勝田線跡が曲がるような形で香椎線から離れてゆきます。

歩道橋の先(柚須向き)。

 宮井出歩道橋から柚須方面を眺めると。
 進路は、左側の宇美川沿いの細い道と、なだらかな階段を登ってやや上方の道路へと繋がる2つの進路に分かれます。
 が、いずれにしても歩道橋のカーブからは不自然な繋がりの線形です。 ちょうど両者の間あたりの場所が、廃線跡となります。
 但し、ここから先暫くは道路造成のため、線路跡は偲ぶことができません。

歩道橋を俯瞰(勝田向き)。

 階段の上から眺めるとこんな感じ。
 自然にカーブしてきた線形の先(この写真では手前側)は、大体どのあたりに続いていたかは概ね想像がつきます。
 但し現在は道路の盛り土の中、ということになります。

緑道標識。

 宮井出歩道橋を柚須側に渡り、階段を上がって道路に出た少し先。
 ここにも緑道案内がありました。
 路肩の歩道の一番端といったポジションで、川と川岸の道路から見ると、数メートルの高さです。
 この略図は概ね正確なようで、緑の丸の列は、「緑道(現在帆とが歩けるルート)」と言うよりはまさしく「廃線跡」を示しているようです。

市道(柚須向き)。

 上の写真の緑道案内標識が、本写真左側のもの。
 このあたりで、勝田線廃線跡は現在の道路を斜めに横切り、反対側(「向こう側)を道路に沿って先に進む線形のようでした。

市道(柚須向き)。

 上の写真の少し先。 上部に架かる歩道橋のすぐ先に、バス停がありました。
 道路反対側の右手高台が宇美公園。 ここには宇美八幡宮の奥宮があります。
 ちょうど敷地をかすめるように、勝田線が進んでいました。

市道(勝田向き)。

 道路を反対側に渡りました。
 勝田・宇美からやって来た勝田線は、この歩道橋の先でこちらに向かって右から左へ道路を渡り、丁度この位置を後方に進んでいたようです。

市道(柚須向き)。

 道路を渡った勝田線は(当時はこの道路はなかった訳ですが)、この先をまっすぐ進み、写真中央奥にある木立の中へと向かいます。
 このあたりからが、再び線路跡が確認できるようになります。

緑道プレート。

 立て標識だけでなく、緑道表示のために歩道路面に金属プレートも埋め込まれています。
 宇美町内区間4.6キロのうち、ここまで3.5キロを歩きました。 あと1キロで宇美町を出て志免町に入ります。
 足し算が0.1キロ合わないのはご愛敬。 小数点以下2桁目を四捨五入の結果、でしょうか。

緑道標識。

 現在地の照査を行うために、何度も緑道標識に登場していただきます。
 宇美公園の敷地の一番外れ、と言ったところです。
 上の写真と次の写真等々合わせ、ご覧いただければ。

木立(柚須向き)。

 宇美公園外れの横断歩道を渡ると、すぐ目の前。 道路道横になにやら鬱蒼とした木立がありあます。
 この部分が明瞭に分かる廃線跡で、なぜかここだけは緑道にも他の用途にも転用されず、荒れ放題といった状態のまま残されています。

宇美公園(勝田向き)。

 同じポジションから、進行後方勝田側を振返ります。
 左手が宇美公園。
 単なる公園ではなく、「神苑」の石塔があるように、この奥には宇美八幡宮の奥宮があります。
 敷地をかすめるように走る勝田線でした。

住居地図。

 さて、これまで緑道案内標識ばかり眺めてきましたが、ちょうどこの場所に住居表示案内板がありましたので、これも合わせて眺めてみようと思います。
 先程から何枚も出てきている、宇美川に架かる宮井出歩道橋から、宇美公園を渡って、現在地まで至るルートが良く分かります。
但し。
 この地図によると、宮井出歩道橋を渡ったあとそのまますぐに道路を斜めに横切り、「現在地」付近までやって来る道が自然な線形の廃線跡のように見えます。
 が、実際の線路は、宮井出歩道橋を渡った後、「自然な線形の道」よりやや下側を通っていたようです。
 尚、「現在地」からGの間が途切れているように見えますが、これが上の写真、そして次の写真に出てくる雑木林の部分です。

雑木林(柚須向き)。

 「雑木林」と書きましたが、木立のすぐ右側の空いた場所が、どうやら線路跡のようです。
 さほど長い区間ではないですが、なぜかこの部分だけは何にも転用されていません。

雑木林(勝田向き)。

 雑木林から勝田側、そして木立の向こう側の道路を眺めると、こんな感じになります。
 本当に歩道のすぐ横のスペースではあるのですが。

緑道標識。

 雑木林横。
 この場所から、緑道=廃線跡は宇美川から別れ、一旦西に向かいかけた進路は再びやや北向きに変わってゆきます。

緑道入口(柚須向き)。

 ここから先柚須側は、緑道は再び専用の遊歩道として整備された区間となります。
 この入口部分は道路からの接続部分で、写真正面の左に曲がる所からが、本来の勝田線の線路跡。
 反対側の右手は、先ほどの、そして次の写真の雑木林です。

廃線跡(勝田向き)。

 上の写真奥から右手を眺めました。
 木立の間を相当に草が生い茂っており、本当に「荒れ放題」といった感じです。

接続部分。

 道路から緑道への接続部分はこんな感じ。
 宇美八幡宮や県道方面からのアクセスを考えて、あえて雑木林部分に緑道を設けずこの接続道を設けたのでしょうか。
 ちらりと赤い欄干が見えますが、宇美川を渡ったこの先に、宇美八幡宮の本宮があります。

下宇美方面(柚須向き)。

 ここから先は、ごく自然な線形で遊歩道が伸びています。
 道路からは一歩奥に入った感じで、少々「裏側」といった印象ではあります。

ホーム跡(柚須向き)。

 先に進んだ、というほどでもないうち。
 少々派手なガソリンスタンドの先に、ホームらしき形状の構造物が見えてきます。
 かつての下宇美駅跡が、一部にその形を留めたまま残されていました。

下宇美駅跡(柚須向き)。

 下宇美駅跡です。
 ここまで歩いたルートの中では、始点の筑前勝田駅跡と並んで、きちんと公園として整備されている広いスペースです。
 ホームだけの停留所ではなく、「駅」の形態を有していた様子がわかります。

下宇美バス停(勝田向き)。

 県道側から見た、下宇美駅跡。
 バス停も余裕の広さで、「元駅前」的風景です。
 駅本屋が建っていたならあまり広い感じではなかったかもしれませんが、現在は県道が拡幅されており、それ以前はそこそこの広さだったのかも。

駅跡ほぼ全景。

 県道側、つまり駅表側から見た、下宇美駅跡のほぼ全景です。
 向こう側のガソリンスタンドの敷地を含めると、かなり広い敷地ではあります。

緑道公園。

 旧ホーム上に建てられた、「下宇美緑道公園」の案内標識。
 足元の草の刈込みや植木の手入れと言い、きちんと整備されている様子がわかります。

緑道紹介。

 以前の訪問の写真でも掲載したかと思いますが、公園中央にある説明板です。
 内容については、くどくど説明するより「お読みください」ということで。

モニュメント紹介。

 もうひつとは、緑道自体ではなく、宇美町町制80周年のモニュメントの紹介です。
 こちらも詳細は「お読みください。」です。

80周年モニュメント。

 そして、こちらが「モニュメント」そのものです。 現時点ですでに18年が経過しています。
 そして、2年後の2020年には、町制100周年を迎えます。
 新しいモニュメント、できるでしょうか。

住居表示。

 少し上の写真同様の、明神坂地区の住居表示街区案内図です。
全体を写していなかったので、ここで改めて再掲します。
緑道の宇美町内区間は、九州自動車道をくぐって更に若干続きますが、住居地図は自動車道までで切れていました。

下宇美駅風景(勝田向き)。

 下宇美駅の、柚須側出口から駅方面つまり勝田方面を眺めます。
 タクシーの待機場があるため、県道側にも客待ち風のタクシーが停車しています。
 駅があれば自然な風景ではありますが、ここからタクシーに乗車するお客は、それほどいない?

ふたたび緑道(柚須側)。

 下宇美駅構内を離れ、再び柚須に向かって歩き始めることにします。
 用地は再び、線路があっただけの、さほど広くないスペースになりました。
 単線のローカル線の廃線跡なんで、こんなものですね。

九州自動車道(柚須向き)。

 宇美駅跡から少し進むと、九州自動車道の下をくぐります。
 歩行者と自転車専用の細い道路を、特に歩いて進むと、自動車道の下が、狭くて暗くて長いトンネルのように感じます。

真っすぐな緑道(柚須向き)。

 高速道路の下をくぐると、緑道は再び日差しの中をまっすぐに伸びてゆきます。
 季節的に時間的に、なのかどうかわかりませんが、実際に緑道を利用している人とすれ違うことはまばらでした。

道路と交差(柚須向き)。

 線形から、いかにも以前はここに踏切があったという感じの交差点です。
もちろん現在は進入防止策が設けられ、車道の方が優先で歩道の方が「一旦停止」、的形状になってはいます。
 道交法上どっちが優先か、というのは別にして。

勝田向き。

 上の写真と同じポジションで、勝田向きです。
 九州自動車道のガードをくぐった後、こちら側(北向き)にまっすぐ伸びている、そんな風景です。

緑道案内。

 緑道案内です。
 埋め込まれている地図プレートはいずれも400メートル角ほどの範囲ですので、線形は分かってもそれがどこなのか、あまりわかりません。
 広域情報を示す小さな地図もあるのですが、この部分だけのアップの写真を撮っていませんでした。

古墳と広場(柚須向き)。

 宇美町の外れ、光正寺古墳をはじめとする古墳群。
 そのすぐ前の緑道沿いにある、案内用のガイダンス広場です。
 これまでの緑道公園とは一風変わった雰囲気です。

ガイドマップ。

 ガイダンス広場にあるガイドマップは、宇美町内の緑道4.6キロを中心に描かれた、これまでとは違う雰囲気の案内地図です。
 もちろんスケールではありません。
 面白いのですが、前回やって来た時より随分と傷んでいる気がします。
 こういうのは最初はいいのですが、簡単に取替えと行かないところが難しいところです。

ガイドマップ。

 埋め込まれているのは全部で6ピースですが、傷みも激しいので、ここでは1枚だけご紹介です。
 光正寺古墳とガイダンス広場。 ちょうど今この場所付近です。
 ここからもう少し進むと、緑道は宇美町から志免町に入ります。

ガイダンス広場(勝田向き)。

 ガイダンス広場のあるこの場所。
 特に駅があったとか、そういう場所ではないようなのです。
 が、後ろに古墳公園が控えているせいか、単なるベンチのある休憩スペースという感じではなく、公園の入り口としてきちんと整備されていました。

緑道案内。

 ということで、現在地です。
 今回は勝田線の終点筑前勝田から、起点(分岐点)の柚須に向かって進んでおり、ここに出てくる写真は概ね左が柚須側、右が筑前勝田側のものが多くなっています。
 しかし案内板は歩道の一方のみにあるわけではなく、本日の進行向きで左手に立ってあるものは、このように右手が柚須側になっています。
 つまりかなり細かく配慮して作り分けた案内ではあります。

(田んぼの中(柚須向き)。

 ガイダンス広場を過ぎると、進行左手(西側)に田んぼが開けます。
 先ほどの下宇美駅から先、左手に博多方面に向かう県道がほぼ平行しており、つかず離れずという感じではありますが、このあたりでは少し距離があるようです。

境界点(柚須向き)。

 左手に田んぼを見ながら、前方にはこんな景色が現れました。
 これまで歩いてきた宇美町はここで終わり。 ここから先は志免町に入り、このモニュメントがちょうど境界点です。
 緑道はまだまだこの先6キロばかり続きますが、この地点を境に路面の色も変わります。

宇美町(柚須向き)。

 宇美町と志免町の境界のモニュメント。
 上部中央に掲げられているプレートは、宇美町のマークです。
 カタカナの「ウミ」の文字をあしらったもの。
 シンプルながら、よく出来ていると思います。

友好のモニュメント。

 境界点にあるモニュメントの説明板です。
 これ以上の説明はありませんので、内容ご覧ください。

志免町緑道マップ。

 志免町全体の緑道マップが掲示されていました。 ほぼスケール通りの地図のようです。
 但し、緑道中心に描かれていますので、方位は左斜め45度上が北向きです。
 ところがこの地図からいくと、途中で微妙に志免町を飛び出して粕屋町に入る箇所がいくらかあるんですね。
 改めて再認識です。

緑道プレート。

 境界部の路面に埋め込まれているプレートです。
 これまで宇美町内で見られたものと同じタイプでした。

志免町プレート。

 タイトルにする必要もコメントをるける必要もないような、境界プレートです。
 こちらは極めてシンプルです。

宇美町プレート。

 同じく、宇美町の路面プレートです。
 デザインは志免町のものと全く同じですが、路面の色が違うのは、それぞれの町側で分かれているためです。

路面プレート。

 で、上の3枚のプレートは、こんな配置と向きで、緑道の路面に埋め込まれています。
 これからすると、向こう側の距離を示したもの(写真3枚上)は、右側の宇美町のもの?

境界部分。

 更に境界部分を眺めると、全体の配置はこんな感じで、黒っぽい柱がモニュメントです。
 緑の舗装の部分は「緩衝地帯」のようでもありますが、志免町側のようでもありますし、それぞれの所有や管理がどうなっているのか、気になるところです。

志免町マーク。

 こちらはモニュメントの志免町側マーク。
 宇美町と同じく、カタカナの「シメ」をアレンジした、シンプルながら出来の良いマークです。
 ちなみに、宇美町を出る時に見えるのが宇美町のマーク、志免町を出る時に見えるのが志免町のマークで、「この先、志免町」というわけではありません。

モニュメント部全景(勝田向き)。

 そして、境界部全景はこんな感じ。
 連続した緑道ではありますが、ここを境に路面の色は変わります。
 宇美町側には、進入を制限する柵もありました。

志免町へ(柚須向き)。

 宇美町を離れ、境界のモニュメントを背に志免町に入りました。
 境界部だけは緑色でしたが、個々から先はオレンジっぽい舗装の路面が伸びています。

地名標識。

 志免町に入ると、標識もこれまでとは変わります。
 こんな石造りの地名表示が随所に現れます。
 ちょうど人一人が腰掛けるのに手ごろな大きさではありますが、そこまで兼ねているのでしょうか。

地名標識(勝田側)。

 上の写真では良く分かりませんが、地名の標識はこんな感じです。
 石造りですが、上面だけは平らに磨かれています。

交差点(柚須側)。

 志免町内の、緑道と一般道との交差点。
 やはり進入を制限する柵はありますが、宇美町のものとは色やデザインが異なります。

専用道路。

 緑道の傍らにある、歩行者自転車専用道路の表示。
 この先はこんなやつが出てくるようです。

田富駅跡付近(柚須向き)。

 かつて田富駅があったあたりです。
 敷地も、前後の部分と比べると、若干幅が広い気がします。
 と言っても、駅自体が廃止れたのは、国鉄に統合された1944年のことです。

田富駅跡付近(勝田向き)。

 田富駅跡付近の反対向き。
 あまり記録が残っていないようですが、駅と言っても元々ホームが1面と若干の設備があった程度のようです。

田富駅跡付近交差点。

 田富駅跡付近の、一般道との交差点です。
 ところが。
 通常は、緑道側に車両進入を制限する柵があるのですが、なぜかここでは一般道側に柵があり、車両が緑道を横断できないような構造になっています。
 まさか、今でも「鉄道優先」の、あるいは「駅」が存在した名残?
 どうやら、住宅地域内の生活道路を車が抜け道に利用しない対策というのが実際のようです。

安全柵。

 車両の進入を防止する柵。
 通常はこんな配置ですよね。
 短いスパンで、防止柵が続きます。

専用道路(勝田向き)。

 上の写真の反対側です。
 やはり、同じデザインの「専用道路」の表示が。
 少し前から、路面は普通の土色に変わっていました。

登り勾配(柚須向き)。

 さて、志免東中学校横を通過して、ここから先は、丘越えの軽い登り勾配にかかります。
 そして、向こうに見える侵入防止柵の向こう側。
 専用の緑道は一旦途切れ、自動車も通過できる一般道合流します。
 町の境界にあった、志免町緑道マップでも、ルートはあるものの、この部分は「緑道表示」ではありませんでした。

団地と給水塔(柚須向き)。

 丘の上のいささか古めの団地と、高い給水塔。 最近ではこんな光景の団地も次第に少なくなってきました。
 ちょうどこのあたりが勾配のサミット。
 廃線跡ではありますが、車道と歩道の十分な確保のためか、独立した「緑道」にはなっていませんでした。

下り勾配(柚須向き)。

 団地付近のサミット部分を過ぎると、今度は志免町中心部に向けて下り勾配になります。
 住宅地の向こう側。
 志免町のシンボル、竪坑が見えてきました。

住宅地(柚須向き)。

 道路は更に、住宅地の中をだらだらと緩い下り勾配で降りてゆきます。
 元々道路と線路が平行していたのでしょうか。
 歩道にも十分余裕があり、単独の緑道部分と比べると、かなりの幅を持っています。

勾配後方(勝田向き)。

 坂を下りながら後方を眺めるとこんな感じ。 そこそこ急な勾配ではあります。
 こんなところを鉄道が越えていたの?迂回していたのでは?とも思えますが、地図や写真から照合すると、やはりここが廃線跡のようです。

再び緑道(柚須向き)。

 ちょうど勾配を下りきったところ。 やや広めの道路が交差する向こう側。
 柵で仕切られた向こう側に、再び専用の緑道が伸びていました。
 この部分の路面、今度はレンガが埋め込まれ、またまた趣が少し異なります。

反対側(勝田向き。 )

 上の写真の反対側。
 これまで歩いてきた一般道が、こんな感じで伸びていました。
 すでに住宅地の中で、所々に商店も見られます。

志免駅方面(柚須向き)。

 平地に降りて、右手に竪坑が近づいてきます。
 すぐ右隣りには一般の道路(車道)が平行しています。
 が、この部分は、植え込みのお陰で、一般道と緑道は明確に分離されていました。

竪坑。

 無機質なコンクリートの建造物。
 ながら、その形状から異彩を放っている、志免の竪坑です。
 この少し、志免駅跡の手前が、緑道が一番近づく場所となります。

伐採跡?(柚須向き)。

 ここから先、わずかの距離続いたレンガ歩道の緑道は、再び土の地肌に戻ります。
 それはともかく、この部分。
 緑道になった当初は木が植えられていたのでしょうが、見事に何もなくなっていました。
 緑道側はともかく、車道側は枝が伸びて、「小枝の伐採」どころでは済まなくなったのでしょう。

反対側(勝田向き)。

 同じポジションの反対側風景、つまりこれまで辿ってきた道。 ここまでが「煉瓦敷き」の部分です。
 この部分は幼稚園がせり出してきているため、車道が途切れます。
 場所を記録するために、色々設備を写し込むのですが、最近ではこのような幼稚園や小学校の写真撮影には周囲の目を気にしなければなりません。

志免駅手前(柚須向き)。

 間もなく志免駅に到着します。的な風景。
 線路は廃止され住宅は新しくなっていますが、雰囲気は駅近くそのものです。

公園入口(柚須向き。

 今は公園に整備されている、勝田線志免駅跡。
 住宅地の中に、ちょっと雰囲気の異なる木立のスペースが広がっています。
 木の枝が茂り、いささか鬱蒼とした雰囲気の場所もありますが、当初はもっと明るい感じだったのでしょうね。

公園入口後方(勝田向き)。

 公園入口、つまり志免駅跡の手前あの風景はこんな感じ。
 車道との間の気が全て伐採されてしまったため、この区間。
 「単なる歩道」のようにも見えますが、一応は「独立した緑道」という位置づけのようです。
 ご覧の通り、車両侵入防止の柵も設けられていますが、今となっては、あまり意味がない?

日通と竪坑。

 志免駅跡の勝田側一番端。
 かつての国鉄駅前には付き物だった「日通」ですが、鉄道がなくなった現在でもちゃんと営業しています。
 但し、2014年に訪問撮影した写真とは、看板が変わっていました。

鉄道記念公園。

 入口部分には、「鉄道記念公園」の標識が。
 緑道に設置されている多くは住所表示だけのものですが、ここでは写真の通りの表示でした。

鉄道記念公園内部(柚須向き)。

 元駅跡ですから、入口から進むに従い、幅が広がってゆきます。
 木立が途切れる奥の方には、小さなイベント広場が。

竪坑。

 志免駅跡中央部。
 ここまで来ると、竪坑はやや後方になります。
 巨大な建造物は無骨なコンクリート造りですが、現在は国の重要文化財に指定されています。

公園正面。

 旧志免駅の正面付近。
 ここが志免鉄道記念公園の正面でもあります。
 ということで、エントランス的な造りと、立派なプレートです。
 しかし、休日ならともかく、平日では訪れている人は僅少でした。

プレート。

 ことろで、この正面の壁面には、鉄道現役時代の写真を印刷したタイルが何枚も埋め込まれています。
 興味深いものが多いのと、いささか傷みが激しい物もありますので、写真に収めました。
 ということで、一通り紹介したいと思います。
 まずは、志免駅付近の航空写真です。
 炭鉱やボタ山、勝田線に加え、香椎線酒殿駅方面への貨物線の様子などが良く分かります。

宇美町側。

 航空写真のプレートで掲示されていたうち、一番南東側。
 この写真はほぼ宇美町内のもので、一番左端の点線から左が、志免町となります。
 「北」の文字枠の四角辺、左下の辺最下部よりやや上(下の角のやや左上)から、やや左上向きに伸びて、そのまま九州自動車道をくぐるのが国鉄勝田線。
 その先は道路と斜めに交差した後、今度は左下に向きを変えます。
 そして、町境界線がややくびれたあたりで、線路は宇美町から志免町に入ります。

志免町東部。

 写真右手、町境界線のくびれのあたりで(筑前勝田から柚須方面に向かって)志免町に入った勝田線。
 境界付近でやや北よりに向きを変え、「志免水道浄水場」の下(写真上で)を直線で進みます。
 ちょうどこのあたりが、はるか昔に田富駅があったあたり。
 そこから先は、志免東中学校の南西側(写真下側)を迂回するように進みます。

団地(造成前?)。

 志免東中学校の写真下側を迂回した勝田線。 今度は小さな丘越えにかかります。
 この丘の部分。
 航空写真では勝田線が途切れているように見え、部分的に線路が確認できません。
 当時はトンネルだったのでしょうか。
 40年近く前に一度乗車したことはあるのですが、さすがに記憶に残っていません。
 写真当時はまだ団地も出来る前のようです。

志免駅付近。

 そして、現在地である志免駅を中心としたあたりです。
 真上からの写真なので少々判別しにくいですが、「現在地」のやや右上に、竪坑が見えます。
 そして、志免駅の裏手(上側)からは、ボタ山を取り巻くように、香椎線酒殿駅への貨物線が左上に伸びてゆきます。
 こうしてみると、勝田線旅客駅と貨物線の配線位置関係、微妙です。

志免駅北西。

 志免駅を出た勝田線は、暫く田んぼの中をまっすぐ進みます。
 そして一旦志免町を離れ、粕屋町にはいるのですが、この辺りが微妙。
 境界線が直線でなくでこぼこの両町境界を進むため、粕屋町に入ったり、また志免町に入ったり、といったことを繰り返します。
 そして、志免駅を左手に進んだすぐ先の、粕屋町が下に四角く張り出した部分。
 ここには現在はイオンモールの巨大な設備が出来ており、敷地内で廃線跡を確認することはできません。

亀山に向けて。

 本写真右端、上から三分の一あたりを左に進んできた線路は、写真タイルの境界を左に越えるあたりで左下方(西向き)に進路を変えます。
 そして、粕谷農協別府支所と志免西小学校の間を通り、左下角から、旧上亀山駅へと進みます。

上亀山駅付近。

 亀山派出所の文字のすぐ左上。
 線路用地がちょっと広くなったあたりが、上亀山駅。
 そして、亀山郵便局の文字付近を過ぎると、線路は再び写真左真横に向きを変えます。

柚須付近。

 本写真上2枚のタイル。 その中央やや下寄りを、タイル目に沿って伸びる直線。
 これが勝田線です。
 そして、左上のタイルを、右上から左下に結ぶ直線。
 篠栗線です。
 ここまでやってきた勝田線は、寄り添うような形で篠栗線に合流します。
 この地点が、現在の篠栗線柚須駅。
 長い長い駄文のこの文章。
 写真のサブタイトルにも本文にも今回の目的地にも「柚須向き」等の表現をしています。
 が、当時の勝田線の起点は柚須ではなく、吉塚駅。
 吉塚から柚須の合流点(分岐点)までの間は、篠栗線と勝田線が平行した路線でした。
 そして、この地点に柚須駅ができたのは、勝田線が廃止になった後のことです。

ボタ山と竪坑と志免の町。

 ここまでは航空写真を並べましたが、これからは風景写真です。
 いかにも炭鉱の町らしい眺めは、ボタ山と竪坑、そして広がる志免の街並みです。

志免市街。

 写真タイルの注釈にもあるように、航空写真ではなくボタ山から臨んだ志免市街地の風景、昭和30年です。
 炭鉱の町に限った話ではありませんが、当時は長屋形式の集合住宅が多く、住宅地では人口の密集状態は現在とは比べ物になりませんでした。

ボタ山。

 ボタ山を、更に高いボタ山から眺める、といった視点の風景です。
 石炭採掘の廃土を積み重ねただけとは言え、低い丘などはるかに凌ぐ高さでした。

志免駅と竪坑。

 タイルのタイトル通りです。
 元々広い構内の志免駅ですが、旅客用には1面2線の旅客ホームがあるだけでした。
 この当時はすでに香椎線への貨物線も廃止されており、元は駅裏手(写真左手)にあった貨物線がらみの施設も、写真では確認できません。

上亀山駅。

 志免駅の鉄道記念公園ですが、本写真は上亀山駅のホームです。
 昭和60年3月と言えば勝田線が廃止された月。
 最終日の写真かどうかわかりませんが、乗客と言うよりは見物人で一杯です。

ディーゼル列車。

 田んぼの中を進む気動車列車。
 筑豊地区でよく見られた色々な車種の混成編成です。
 残念なことに、タイルが割れてかなり荒れていました

志免駅ホーム。

 志免駅ホームを勝田側から眺めたところです。
 これも廃止前の最終日でしょうか。
 1面だけのホームは、乗客か見物客で一杯です。

志免駅舎・ホームをのぞむ。

 こちらもタイルが割れて荒れてしまっていますが、勝田側から志免駅構内を見た写真です。
 上数枚の写真と比べると古い、昭和35年のもの。
 ということで、駅手前(勝田側)から右に分かれてゆく香椎線接続貨物線のレールも眺めることができます。

ディーゼル列車。

 再び、廃止直前の昭和60年3月の写真です。
 注釈にはありませんが、どこの駅の写真でしょうか。
 雰囲気的には終点の筑前勝田駅のような気もするのですが。

石炭運搬列車。

 こちらも古い写真です。
 「ボタ山より臨む」とありますが、ボタ山から見下ろした、貨物線を行く石炭列車。手前が志免で、カーブの向こうに見えるのが香椎線酒殿駅のようです。
 この酒殿駅と言い、志免駅と言い、貨物線は駅ホームの手前で分岐してしまい、旅客営業など全く考えていない、という線形でした。

機関車・志免駅にて。

 タイルのタイトル通りです。
 機関車全体の写真という訳でもなく、古いのが値打ち的写真ではあります。
 「志免駅にて」とありますが、さすがに駅構内の位置までは特定できません。

案内マップ。

 タイルの写真は終わり、こちらは志免駅跡にあった、志免町内の緑道案内マップです。
 宇美町との境界点にあったものと同一で、「現在地」の表示位置が異なるのみです。
 上のタイルの写真と重ね合わせてご覧いただくと、多少は分かりやすいかと。

志免駅から(勝田向き)。

 志免駅(元駅舎付近)から眺めた、構内木立越しの竪坑です。
 構内の腕木式信号機。
 破損したままで、特に復元もなされないままでした。

志免駅ホーム(勝田向き)。

 公園の中央部。
 ここには島式のホームと線路がそのまま残されています。
 当時はローカルに行くと、このような低いホームがたくさんありました。

横断道路。

 旧ホーム。
 当時の状態で残されてはいるのですが、ど真ん中を分断するように、立派な道路が通っていました。
 駅の前には多くの場合は「駅前通り」が直角に入って来ますので、鉄道が廃止されたとなると、この部分で横断道路を作り、それまで分断されていた駅表裏を結ぶのが一番です。

北半分のホーム。

 分断した道路北側のホーム。
 分かれてはいますが、こちらにもレールは残されており、ホーム上には駅名標も設置されていました。
 それにしても、廃止されたのちに木がこれほど大きくなったということで、年数の経過を感じます。

駅名標。

 北側ホームに設置されていた駅名表です。
 さすがにこれは、きちんと手入れがされています。
 と言うか、通常昔の駅名標は木製なのですが、よく見るとこれは形状は同じながら、文字部分は鉄板製のようです。
 後から作ったものでしょうか。

標識。

 駅跡の公園出口(柚須側)にあった石の標識。
 反対側の勝田側にあったものと同じ、「鉄道記念公園」の表示ですが、よく見ると住所の小字部分がことなります。
 同じ駅とは言え、両端では地名が異なるようです。

作業中(柚須向き)。

 さて、志免駅であまり長居をすると、時間内に今回の終点柚須まで歩き通せなくなってしまいます。
 ここらでそろそろ志免駅を後にして、先に進むことにします。
 車が入れないはずの緑道に、車が2台。
 よく見ると、樹木選定の作業中でした。

木立の間(柚須向き)。

 選定作業が行われているすぐ先。 植込みと木立の間を進みます。
 緑道の両側には低い植え込みとやや高い木立が続き、きれいに整備されています。
 先ほどの志免駅の航空写真によると、このあたり。
 当時は建造物のない田んぼの中で、列車の窓からはさぞかし見通しがよかったことと思います。

伐採作業中(勝田向き)。

 きちんと手入れされた緑道も、このような伐採や清掃作業の賜物です。
 緑道としての整備が完了してからすでに15年以上経過していますが、放置されずきちんと管理さえているのは嬉しいことです。

イオンモール(柚須向き)。

 志免を出て暫くすると、とつぜん木立の向こうにイオンモールが姿を現します。
 かつては一面田んぼだった場所は、広いショッピングモールに姿を変えていました。

(緑道中断(柚須向き)。

 ここで突然緑道は途切れてしまいます。
 ここまでは志免町でしたが、これから先、一旦粕屋町に入ります。
 先ほどの志免駅の航空写真でいくと、粕屋町が四角く下方に大きく張り出している部分。
 この部分が、イオンモールの駐車場に生まれ変わっていました。

志免町(勝田向き)。

 ということで、後方を振り返るとここまでが志免町です。
 もっとも、この先西方は志免町と粕屋町が入りくんだ場所を通りますから、柚須方面に向けてまだまだ緑道の志免町区間は続きます。

廃線跡(勝田向き)。

 イオンモール駐車場外周を周回する広い道路。
 つまり一歩粕屋町に入り込んだ場所から、後方の勝田線廃線跡を眺めます。
 志免の家並みを抜けると田んぼの中、といった感じでした。

駐車場(柚須向き)。

 ここで一旦途切れた緑道、つまり勝田線廃線跡。
 元々の線路は、この道路を直角に横断し、その先の駐車場部分をまっすぐ向こう側に伸びていました。
 ショッピングモールの舗装された駐車場として整備されていますから、この部分では廃線跡は確認することはできません。

ショッピングモール(勝田向き)。

 道路は、駐車場を周回し、両町の境界線を忠実に辿るように敷設されています。
 この部分は、志免駅の写真で行くと、境界線の「下辺」部分。
 つまり、勝田線はこの道路とほぼ平行に、やや駐車場内に入った場所を走っていました。

標識。

 再び緑道が始まった部分にある標識。 表示は「志免町大字南里」です。
 つまり、粕屋町から再び志免町に入ってきました。
 ということで、まだまだ緑道は続きます。

緑道再開(勝田向き)。

 イオンモールの駐車場スペースを過ぎ、再び緑道が姿を現します。
 勝田側を振り返るとこんな感じで、廃線跡的風景の再開です。

田んぼの中(柚須向き)。

 ここから先、志免町かと思うとまた柚須町、という具合に両町境界を進みます。
 本来なら志免駅から先このあたりまでが「他に何もない田んぼの中」だったはずですが、現在では様変わりです。

田んぼの中(柚須向き)。

 とは言え、こうやって見るとまだまだ田んぼの中的風景も残されています。
 が、大都福岡の中心部や福岡空港に近い地域ですから、現在では郊外型の大型店や物流倉庫も立ち並んでいます。
 低い丘の向こう側ではありますが、福岡空港から離陸するジェット機のエンジン音もひっきりなしに聞こえてきます。

標識。

 「田んぼの中」の終わり的風景の場所にあった、石の標識。
 ここは「志免町」です。

標識(勝田向き)。

 イオンモールからここまで、田んぼの中の一本道です。 (もっとも進行右手、この写真では左手)は大きな物流センターでしたが。)
 そして、上の写真にあるように、この区間は志免町です。
 ここから先(写真後方)、再び粕屋町です。
 右手は田んぼの中的風景ですが、少し離れて県道が通っているため、その沿線は店舗が立ち並んでいました。

家並みと緑道(柚須向き)。

 このあたり、志免町、柚須町とめまぐるしく入れ替わるわけですが、緑道自体は(イオンモール駐車場部分を除いて)連続しているわけで、とくに町境界を意識することもありません。
 そして粕屋町区間は、距離にすればわずかのせいいか、特にそれらしい表示も見られません。
 ひたすら続く、緑道です。
 上亀山駅跡に向けて、進路はやや西寄りに向きを変えます。

家並みと緑道(勝田向き)。

 住宅地、と言うよりは、小さな工場か事業所の間を抜ける、と言った感じの場所を通ります。
 が、いずれにしても表通りではなく、いかにも裏側、といったイメージの風景が続きます。

南里。

 小字は色々変わりますが、このあたりは広く大字南里。
 かつて、勝田線南里駅があった付近です。
 お馴染みの石造りの標識が、ある程度の距離を置いて点在して続きます。

南里駅付近(勝田向き)。

 やや広めのスペースは、南里駅跡周辺です。
 南里駅自体は1944年に廃止され、つまり1985年に勝田線が廃止された時には、すでにとうに廃止されていたわけです。
 駅を偲ぶ構造物は見当たりませんが、駅があったと言われれば、何となく「そうかな」という感じはします。

南里駅付近(柚須向き)。

 上の写真から、道路を渡った反対側。
 この部分は上の写真と合わせ、レンガやタイル敷きとなっており、前後の土の歩道とは少し趣が異なります。
 全く広いスペースではありませんが、ちょっとだけ「公園」的施設を意識されたのでしょうか。

広い道路(柚須向き)。

 南里駅のすぐ先。
 片側2車線プラス更に追加用地のある、広い道路に突き当たります。
 緑道はここを斜めに横断するわけですが、後からできたこの道路。
 緑道をお構いなしに分断しておりガードレールに切れ目はなく、交差点になっていないため、歩行者がここを横断することはできません。
 きちんと横断しようとすれば、少し離れた大きな交差点を迂回する必要があります。
 このあたりで、ほんの一瞬ですが、再び粕屋町をかすめます。

道路手前(勝田向き)。

 広い道路の手前から、後方、南里駅があった方面を振返ります。
 後付けの道路は若干ですが盛り土でかさ上げされており、緑道からは緩く短い勾配で、歩道へと続きます。
 昔駅があったから、というわけではないでしょうが、住宅地的雰囲気です。

粕屋町。

 さて、広い道路を渡ると、ちょうど緑道が交差する先に、大きな「粕屋町」の表示が。
 緑道側にはありませんでしたが、道路には立派な標識がありました。
 このあたり、まだまだ田んぼは残っていますが、福岡市の周辺地区として利便性の高い場所ではあります。
 決して「鉄道が便利」というわけではありませんが。

上亀山方面へ(柚須向き)。

 広い道路を渡ると、再び緑道は元の姿に。
 そして小さな川に沿って、木立の間を進んでゆきます。
 左手は家並み、右手は田んぼ(道路沿いの店舗の裏側的ではありますが)という風景です。

南里駅前(勝田向き)。

 同じポジションから、今一度勝田方面を振り返ります。
 横断できない道路。
 その横には、自動車販売店の看板。
 以前の訪問時にも書きましたが、「南里駅前交差点」の名称が残っています。
 南里駅自体は1944年に廃止されているのですが。
 このように、地名や交差点名。
 周辺施設がなくなるからと言って、馴染んだものは簡単には変えらえれないようで、このような例は結構たくさん見られます。
 そう言えば、「スペースワールド駅」。
 将来はどうなるのでしょうか。

木立の間(柚須向き)。

 更に前進です。
 線路がギリギリ通っていた敷地の両側に木立。 しかも年月を経て相当に茂ている。
 ということで、視覚的にもかなり狭い感じがしてしまいます。
 これなら、志免駅南側の木立が伐採されていたのもやむを得ないことかなと、大いに頷けます。

ベンチ(勝田向き)。

 きわめて狭い敷地ではありますが、基本「遊歩道」ですから、こんな休憩スペースも。
 狭いながらも川沿いを走っているのが幸いしています。
 もっとも、川の向こうは道路と建築物、ではあるのですが。

橋(柚須向き)。

 小さな川に架かる、短い橋。
 ですが、木製の欄干やカラー舗装(滑り止め?)の路面など、意匠には気を遣っています。
 前後の「緑道」の部分より幅が狭い橋ですが、鉄道の鉄橋って、こんなものでした。
 残念ですが、歩道の下側。
 つまり鉄橋をそのまま転用したものか、改めて架け直したものかまでは、目視で確認も写真に撮影も行いませんでした。

(元)田んぼの中(勝田向き)。

 北東側は元々田んぼの側。
 ですが、道路が通り、大きな施設や住宅が立ち並んでいました。
 昔からの田んぼと農道、それに新しい道路と施設が入り混じる、そんな風景です。

田んぼの中。

 サブタイトルに記載が無いように、この写真。
 柚須向きとか勝田向きとかではなく、ほぼ横向きの風景です。
 強いて言うなら、「筑前勝田から吉塚行きの列車に乗っていると、右手やや前方に広がる景色」と言ったところでしょうか。
 車窓から眺めると大好きな風景です。

休憩所?(柚須向き)。

 住宅地に入って来ました。 この先は左右とも住宅、と言った感じです。
 少し先に見えるのは、藤棚風の休憩所。
 前後に木立がないわけではありませんが、ちょっとした日陰での休憩には手頃そうな設備です。

休憩所?(勝田向き)。

 日陰のスペース。
 特段ベンチとかそれ以外の設備とか設けられている訳ではありません。
 しかし右側のタイルの上に腰掛けるくらいのことは出来そうです。
 ここも前後と異なり、タイル敷きで異質の空間でした。

伐採後(柚須向き)。

 緑道と生活道路がぴったり並行するこの区間。
 志免駅南側同様、かつてはあったであろう木が、すべて根元から伐採されていました。
 今ではレンガの囲いと、掘り起こされていない木の根っこ部分が残されているだけです。
 ここまで見てきた通り、緑道が整備されてからこれまでの木の成長って、とてもハンパじゃありません。
 やはりここでも、車道側では邪魔になったのでしょうね。

マンホール。

 緑道中央に設けられていた、下水(汚水)用のマンホール。 6つの町名とそれぞれの町名の花が描かれています。
 この地区では、多々良川流域下水道の広域での管轄ですので、マンホールも1枚に6町が相乗りしたデザインのものでした。
 ちなみに、マンホールのデザインについては、非常に奥が深そうです。
 色々なHPがあるようですので、そちらをご参照ください。

標識。

 引き続き志免町です。
 標識も同じデザインのものです。
 こうして見ると、宇美町内のものの方が、歩いていて楽しい感じではあります。
 好みの問題でしょうか。

住宅地(勝田向き)。

 上亀山駅跡の少し勝田寄り。 後ろを振り返ったところです。
 すでにこんな感じで住宅地の中。
 緑道と生活道路が平行し、木が伐採されている様子がよくわかります。

(上亀山駅跡公園(柚須向き)。

 前方、木立の向こうに広がるのは、上亀山駅跡公園。
 名前の通りで、それ以上の説明は不要です。
 駅舎と駅中央部分は、丸いロータリー状の公園になっていました。

駅中央部分(柚須向き)。

 線路は手前から、向こう側の木立の中へと続いていました。
 そして、この場所が駅の中央部分です。
 何がある、というわけでもなさそうな、フリースペースの公園です。
 平日ですので殆ど人がいませんが、小学生の遊び場には手頃。
 そんな感じの空間でした。

駅前。

 駅正面(駅舎出口)から道路方を眺めたところです。
 この部分。
 駅前すぐのところを並行して県道が通っています。
 駅前通りなどという立派なものはなく、商店などは全て県道沿い。
 なにせこちらはローカル線ですから、道路の方が賑やか。
 そんな感じの駅前でした。

駅前通り?。

 県道から駅正面を眺めます。
 ほんの短い接続道路だけですぐに駅の構内。
 そんな感じのレイアウトです。

駅跡公園(勝田向き)。

 公園の北西側出口から、勝田向きに公園を望む。 そんな視点の風景です。
 中央の平らな部分は意外と広そうです。
 ちょっとしたミニイベントには使えそうな、そんな施設ですが、どのくらい活用されているのでしょうか。
 ま、公園ですから、単なる遊び場所の広場でも良いわけですが。

柚須方面へ(柚須向き)。

 上亀山駅跡公園を抜けると、再び線路跡だけの狭い緑道が続きます。
この辺りまで来ると、かなり福岡市外に近づきましたので、田んぼは見られず住宅地や商業地が続きます。
 緑道は、そんな建物の「裏側」をすり抜けるように通ります。

標識。

 お馴染みの石造りの標識。
 これは上亀山駅跡公園を柚須方に出た先にあるのですが、公園の勝田側にあったものと、小字まで同じ地名でした。
 よく見ると、路面のコンクリートの跡と微妙にずれています。
 路面に固定ではなく、置いているだけ?

住宅街(柚須向き)。

 そして線路のスペースは狭くなり、住宅の中を抜けるように伸びています。
 路面は比較的新しく整備されているようです。

トンネル?(柚須向き)。

 木製の柱を丸めたようなトンネル?
 これまた視覚的には不思議な空間ですが、これは両側の住宅への「目隠し」と「日よけ」を兼ねた建造物とのこと。
 パッと見た目には、何か涼しげな気もします。

トンネル?(勝田向き)。

 「トンネルの反対出口から振返ります。
 「目隠し」と書きましたが、こちら半分には、横に住宅の窓があるわけではありません。
 「日よけ」と書きましたが、柱の間隔は結構広いため、さほどの日陰ができるわけでもありません。
 如何ほどの効果があるのかわかりませんが、この角度で見ると、ある程度の「目隠し」は期待できそうでした。

路面(柚須向き)。

 そして、「トンネル」出口の床面。
 ここだけは木製の各X材が埋め込まれていました。
 形からすると「枕木か?」とも思いましたが、その割には長さが短いようです。
 上の覆いの木と合わせたのかもしれません。
 いずれにしても、緑道で路面に木材を使用しているのは、この区間数メートルだけでした。

標識。

 そして、「トンネル」の先にも、石造りのお馴染み標識が。
 ここもやはり、「志免町大字別府字出了」です。
 同じ地名の物がいくつも設置してあるな、と言う感じです。

全景(勝田向き)。

 「トンネル」部分を振り返ってもう一度眺めてみます。
 タイル敷きの路面は、左右が高さの違う段になって続いています。
 何か意図があってでしょうか。
 先程から沢山出てきた石造りの地名標識。
 よくよく見ると、車両の進入を防止する柵の代わりでもあるようでした。
 今更ながらの気づきですが。

狭い路地(柚須向き)。

 引き続き、緑道を柚須方面に進みます。
 このあたり、完全に住宅地で建物の裏側ですので、「遊歩道」のイメージからはいささか外れた感じです。
 スペースに若干なりとも余裕がるためか、それでも低い植え込みと木立が続いていました。

亀山バス停。

 上亀山駅前から少し柚須側によった場所に、バス停がありました。
 さほど距離は離れていないのですが、停留所名は「上」の付かない「亀山」です。
 勝田線と異なり、こちらは実用になるだけの本数のバスが走っています。

亀山バス停(勝田向き)。

 県道から緑道・勝田線跡を眺めると。
 両者の間隔は、大きくない建物が1軒入るだけのスペースです。
 この写真ではあまり車は走っていませんが、結構通行量の多い県道ではありました。

新区間(柚須向き)。

 実は、この緑道を歩いたことがあるのは、上の亀山バス停まで。
 ここから先は初めての区間で、つまり今回訪問の目的は、これからです。
 さほど広くないスペースの両側に植木。
 ということで、歩行スペースは決して広くはありません。
 このあたりから、進路は柚須に向けて西寄りから次第に北寄りに向きを変えます。

反対側(勝田向き)。

 振返って見るとこんな感じの日陰の区間です。
 もっとも、右側のマンションは勝田線が廃止後に建てられたものかもしれません。
 かなり無理やりと言う感じはしますが、かなりたくさんの木が植えらえています。
 なおかつ、この辺りでは伐採される様子もありませんでした。
 「近隣住宅の苦情」って、ないのでしょうか。

道路標識。

 この勝田線廃線跡を歩こうとやって来たのは、これが5回目です。
 そのうち北向きに柚須を目指したのが2回。 しかしいずれも業務開始時刻のため「時間切れ」。
 うち1回は、何とか亀山バス停までは到着しました。
 しかし時間の都合で泣く泣く?断念して、この標識左手にある福岡空港Fに向けて進路変更。 徒歩で空港まで向かいました。
 今回はリベンジで直進です。

交差点(柚須側)。

 進路は更にやや北向きに変わり、ここまで来ると後は柚須まで一直線、という地点です。
 目の前には大きな道路が横断。 (実際にはこちらが「横断」?)
 入口には、お馴染みの石造りの標識が、中央にでんと置かれていました。

歩行者専用(柚須側)。

 広い道路を渡ったその先。
 ここから路面はカラー舗装になります。
 背の高い木も姿を消し、ちょっと「町中」に近づいた感じです。
 この部分、侵入防止の柵も、石造りから金属製に変わりました。
 こちらもちょっぴり都会風です。

カラー歩道(勝田側)。

 明るい土色のカラー歩道。
 高い木がなくなり、広々とした感じです。
 先程のように、住宅が密集して極端に迫っていないのも、視覚的には拍車をかけています。
 もっとも、写真右側の建物のそのまた右には道路が並行していますから、やはり「裏通り」であることには変わりありません。

ひたすら直進(柚須側)。

 緑道は北西向きに、直進します。
 この辺りからまた背の高い木が現れ、裏通り的雰囲気が強くなりました。
 歩行者も、この緑道よりは写真左側の道路の歩道部分を歩く人の方が圧倒的に多いように見受けられます。

広いスペース(柚須側)。

 暫く進むと、こんな広いスペースが現れました。
 御手洗駅跡です。
 そして、志免町はこの場所までとなります。

緑道案内マップ。

 一角に設けられていた、志免町緑道案内マップ。
 宇美町との境界と志免鉄道記念公園にあったものと同じ。 但し現在地は表示の部分です。
 これで、勝田(原田橋)から続いてきた、宇美町と志免町の緑道はおしまい。
 もっとも、柚須まではあと少し。
 つまり勝田線の廃線跡はもう少し続きます。

現在地。

 ということで、案内マップの「現在地」付近アップです。
 マップの掲示位置が、場所と方向を忠実に示されています。
 さて、ここから先ですが、宇美・志免両町の緑道表示に「粕屋町」の区間を示す文字は現れてきませんでした。
 緑道として整備されているのはここまでです。
2018年9月15日追加

粕屋町(柚須向き)。

 ここから先は、粕屋町です。
 上の「案内マップ」によると、この先廃線跡が続いているようにも見えます。
 が、実際に町境界の道路の向こうを眺めると、それらしきものは見えません。
 終点の公園に隣接する道路がそのまま伸びているだけです。
 どうやら、勝田線の廃線跡は、この駐車場の中のようでした。

終点(勝田向き)。

 ここまでが、緑道。
 振り返って見ると、終点はかなり幅のある用地でした。
 さすがに駅跡だけのことはあります。

交差点(柚須向き)。

 緑道とか廃線跡とか、完全になくなってしまいましたので、やや広めの道路の歩道を柚須方面に進みます。
 しばらく先。 次の県道との交差点。
 この先でも、それらしい跡は見ることが出来ません。
 廃線跡は、向こうへ向かう道路のやや右、駐車場の中あたりのようです。 小さな川を渡りますが、橋脚や橋台跡らしい形跡も見つけられませんでした。

柚須駅標識。

 県道を渡り短い橋を渡ると、JR柚須駅まで500メートルの標識が現れました。
 あと一息です。
 最後の区間で廃線跡上を歩けないのが、ちょっと残念です。

歩道。

 と思っていたのですが、更に進むと、突然歩行者自転車専用道が現れました。
 「緑道」などの表示は全くありませんが、位置関係や形状からして、勝田線の廃線跡に違いありません。
 狭いながら、自転車と歩行者のスペースに分けられています。
 そして、低い植え込みがあるのも、緑道同様でした。

歩行者と自転車。

 狭いスペースを更に2つに分けていますから、結構手狭です。
 歩行者のスペースの方が優先されています。 自転車で対向車が来たら、狭そうです。
 と思いましたが、見たところ自転車の多くはこの専用道には入らず、皆左隣の道路を走っていました。

案内板。

 路面の塗分けに合わせた文字の色で、このような案内板も。
 人は右、車は左、の原則からすると自然です。
 しかし考えてみると、反対向きに進む場合は逆になります。 歩いている時は、そこまで考えませんでした。
 反対向きの案内板、探して撮っておけばよかったかな。

専用道(勝田向き)。

 粕屋町内に伸びる、勝田線廃線跡の歩行者自転車専用道。
 ですが、ご覧の通り、この時刻。 だれも通っている者がいません。
 歩行者も自転車も皆、平行する道路を通っているのです。
 無理もない気もします。
 何しろこちらは、写真のような「裏通り」ですから。

自転車置き場と柚須駅(柚須向き)。

 専用道路の終点です。
 ここで歩道は、斜めに道路に合流するように消えてゆきます。
 そして、その先には篠栗線の踏切が。
 かつての国鉄勝田線。
 この部分で大きく左にカーブして、篠栗線に合流。
 正確には、篠栗線と並走して、次の駅の吉塚まで伸びていました。

柚須駅到着。

 柚須駅に到着です。
 駅前広場も何もありません。 三角形の狭い場所に、自転車置き場を併設して、何だか取ってつけたような構造です。
 この柚須駅。
 勝田線の廃止後に、勝田線跡地を流用して設けられた、JR時代になってからの新設駅なのです。
 つまり、ここまで「柚須駅を目指す」と書いていましたが、本当に勝田線の廃線跡全区間を歩くならば、更に西進して、篠栗線と平行に吉塚まで歩かなければならないことになります。

篠栗線電車。

 とは言え、今回の訪問はここで終了し、柚須から博多までは篠栗線の電車で戻ることにします。
 旧勝田線の線路は篠栗線の線路と、複線のようにぴったり寄り添っていたわけですし、実際歩こうと思っても、ここから先は多くが鉄道用地の中になるため、勝手に立ち入るわけにはゆきません。
 線路の敷地だけはほぼ残されていますので、篠栗線の車内から眺めて十分、と言うことにしておきます。

 それにしても、当初はこんなに何度も訪れるつもりではありませんでした。
 そもそもこのコーナーページも、もともとは「廃線跡探訪のページ」じゃないんですけれどね。
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