オリンピック 中華一体 香港の地位 |
オリンピック オリンピックは中文では奥林匹克運動會、略して奥運會と書く。香港の初参加は1952年のヘルシンキ大会。新中国成立から3年目、香港への難民流入などが続く時代だった。初参加から12年目の東京大会のときは、初めて聖火が香港を通った。啓徳空港跡地そばの世運道(Olympic Avenue)は、この時の聖火を記念して命名されたという。 ついに1996年アトランタ大会で香港初の金メダルを獲得。滑浪風帆(ウインドサーフィン)女子の李麗珊の快挙だ。同年のパラリンピックでも元消防士の張偉良が劔撃(フェンシング)で金メダルを取った。香港はよほど金メダルが嬉しかったのか、98年開通の地下鉄東涌線の駅のひとつを「奥運(Olympic)」と名付けた。もともとは地名から大角咀となるはずのところだったのだ。このときの金メダルは植民地香港の最初で最後のものとなった。 2004年アテネ。「中国香港(Hong Kong, China)」として二度目のオリンピックで銀メダル獲得。ただ、この銀メダル選手は大陸中国からわざわざ香港に来て出場したらしく、喜びもいまひとつすっきりしなかった |
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香港初の金メダルをもたらした李麗珊の出身地、長洲島 |
中華一体 2004年アテネオリンピックは政治を越えて香港と中国の一体感を高揚させ、結果として政治的な効果もあったようだ。 意図的なのか自然な気分なのか、オリンピックには中国とは別の区分で参加しているのにも関わらず、香港での報道は中国選手を追いかけて賞賛していた。香港の選手数は少なく、メダル可能性も低くはあったが、それにしてもテレビではアナウンサーの「中国!中国!」との声ばかりが響いていた。ある新聞など、1ページを丸々使って、大陸中国と香港、台湾の選手をまとめて特集していた。何十年か後の中華統一が成ったある日の新聞の姿のようだった。 香港には北京政府に対する政治的に複雑な思いとは別に、中華民族発揚の気分がある。古くは中国が水爆実験に成功したとき、最近では中国初の有人宇宙飛行成功のとき、もろ手を挙げて喜んだものだ。香港「返還」のとき、中国=悪玉、英国=善玉といった図式の報道が日本では多かった。でも、コトはそれほど単純ではない。植民地時代に大陸中国からの救援を求めていた人もいた。そして、オリンピックの終った9月。中国の金メダル選手が大挙して香港に来てイベントを行い、大いに対中親近感が高揚した。その効果があったか否か、直後に行われた香港立法会選挙では親中派会派が健闘し過半数を維持した。 香港の地位 香港は1841年以前には清朝中国の広東省新安県にある名も無い小さな漁村だった。その後は156年間の英国植民地。1997年7月1日から中華人民共和国の特別行政区となった。 特別行政区とは中国憲法に定められた行政区分で、どの省にも属さずに中央政府直轄。社会主義を国是とする中国(21世紀の今、その実態はともかく)にあって、「一国家両制度」の下で香港は資本主義を行っている。香港住民は香港政府発行のパスポートで旅行し、相手国・地域は中国とは別に入国条件を定めている。経済や文化方面では香港独自に他の国家や地域との関係を定めたり、国際組織に加盟したりできる。その際の名義は「中国香港(Hong Kong, China)」となる(香港基本法149条)。したがって、IOCこと国際オリンピック委員会にも中国香港として加盟しているし、中国とは別枠で参加するのだ。香港選手がメダルを取ると、赤地に白のバウヒニア花柄の香港特別行政区旗が揚がる。 |
. | 香港の旗 左の青:香港植民地旗 右の赤:中韓人民共和国香港特別行政區區旗 当然、この二つが同時に見られることはない。 |
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