電車百周年 賑やかな電車沿線 ホッとするひととき |
電車百周年
1904年に電車は開通した。その頃、陸上の動力付公共交通は、西洋人しか住めなかった山上の方へ行くピークトラムしか無かった。ということは、普通の人が乗ることのできる唯一の動力付乗り物だった。
百年の間で最大の変化は二階建て化だ。開通時はすべて「平屋」だった電車は、屋根上にベンチを載せた簡単なものから徐々に発展し、1930年頃には二階建てへの変更が完了する。70年代のミニスカート全盛時は、二階への急な階段が問題となって覆いを追加する改修が行われたという。
もうひとつの大きな変化は一等と三等の二段階だった等級が1972年に一本化されたこと。開通の頃は、一等の電車と三等の電車が別々に走っていたので、せっかく待っても来たのが一等車だと次を待たなければならなかった。と、いうのも一等は事実上ヨーロッパ人用で、華人は乗ることができなかったのだ。植民地とはそういうものなのだろう。
賑やかな電車沿線
東西に長い電車の沿線は、色々な相貌をもった賑やかな街が連なる。昔ながらの香港華人の暮らしが香る西營盤や北角。高層オフィスとスーツ姿の似合う中環。デパートが並ぶ繁華街銅鑼湾。漁港と路上マーケットの街、[肖*]箕湾。大きな谷間を一周する[足包]馬地。
今では電車に並行してたくさんの乗り物が走る。地下鉄、バス、ミニバス、タクシーなど、幅の狭い香港島北岸を多種多様なスピードと運賃で競い合っている。電車はゆっくりで安いポジション。したがって、近距離移動に気軽に乗るのに良い。全線均一で2香港ドル(30円弱)だが、遠くに行くには時間がかかり過ぎる。事実、線路の東西端を直接結ぶ電車運行はない。
運行パターンの基本は次の六路線。 |
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1、堅尼地城〜上環 2、堅尼地城〜[足包]馬地 3、堅尼地城〜銅鑼湾 4、北角〜屈地街 5、[肖*]箕湾〜上環 6、[肖*]箕湾〜[足包]馬地 [肖*]:たけかんむりに肖 |
ホッとするひととき
ガラガラと音をたてながらゆっくり走る電車。よくもこんなオールドファッションな乗り物が21世紀まで生き残ったなァと思う。しかし、それにはそれなりの理由がある。まず、安い運賃。2香港ドルは香港でも最安値の部類だ。それに長いエスカレーターで地下のホームまで降りるような面倒も時間も要らない。近くへ行くときは、走りはゆっくりでも地下鉄より結果的に早く着く。電気で走るから排気ガスが出ず、環境にも良い。利点も結構あるのだ。
電車に乗っていると、車窓には特徴ある沿線の風景が入れ替わり流れてゆく。古い商店もピカピカの高層ビルも道行く人々の息吹も伝わってくる。乗車中はこれといってすることがないから、ボンヤリとそれらを眺めるしかない。この忙しい都市で、僅かな時間でも何もせずに静かに過ごせる場となっている。これが、電車が愛され続けている隠れた理由かもしれない。
. | 香港電車 左から 1両残る戦後型120号車 最も標準的な改良型 2000年以降のミレミアム型 |
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