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公共住宅

 夜遅くまで外にいる大勢の人は、実は近くに住んでいるのだ。東京でいえば、銀座中央通りや新宿靖国通りのようなところでも、密集するビルの上層部分は住宅ばかりだ。なにしろ香港は狭い。ふらりと家を出てきたその下は繁華街なのだ。
 香港人が夜でも近所の外に出る習慣は、戦後に大量に急造された難民アパートに発する住宅事情の悪さが背景にあると思う。クーラーなど考えられない高嶺の花だった時代に、狭く劣悪なアパートにギュウギュウに詰め込まれているくらいなら、外の風に吹かれた方が気持ち良いだろう。それに呼応するように路上には屋台が多数出て、ひと通りの食事ができる。衣類や雑貨の露店もたくさんある。今でも、九龍の男人街や女人街の路上マーケットにその光景が見られる。
 難民アパートは次々建て替えられ姿を消してきた。九龍北方の石z尾(せっはっぷめい)にはまだ僅かに残っていて見ることができる。まるで巨大な棚に仕切り壁を立てただけのようなものだ。工業ビルの古いものにもこれにそっくりな形のものがある。当時、棚のようなアパートと工場を往復する暮らしが香港中に溢れていたのだろう。掘建てバラックより一歩上等だった難民アパートは、未来も過去もなく騒然としていた戦後香港の歴史標本でもある。
 風雨さえしのげればよいという難民アパートとはいえ、香港にスラムが拡大することを阻止した。その後も大量の公共住宅が供給され続けた。香港は狭く人口は増え続けていたのだ。カマボコ板を横に立てたような平たいアパートがその後の主流となった。現在あちこちで目にする、同じデザインの棒を何本も立てたような住宅ビルは比較的新しいものだ。

石峡尾のアパート バラック、油塘 レイトンヒルの新しいマンション
難民アパートの様式を今に留める石z尾 今でも僅かに残るバラック 油塘 新しい棒状のマンション 禮頓山


深夜バス

 遅くまで活気付く香港の夜は、近年行動範囲が拡大しているようだ。1990年頃に出現した深夜バスはどんどん路線を増やし、現在では粗密はあるにせよ香港中を覆っている。
 中文で通宵巴士(英文はAll Night Bus)と書く深夜バスは正に名前の通り一晩中運行される。中心部では20分程度の短い間隔で来るし、新界やランタオ島にすら設定がある。また、緑のミニバスにも通宵路線がある。日中には同じ区間の路線設定があっても、通宵巴士は別の路線とされていて、運賃も高い。路線番号はNの記号から始まり、通常のバスとの切換わりは0〜1時頃となる。
 空港と市内を結ぶ特急列車は深夜一時前に終るが、バスは24時間止まらない。深夜時間帯は路線数や本数は減るが、何時に飛行機が到着しても、少し待てば香港各地へのバス便に乗ることができる。最終便が遅延したときに、到着ロビーで慌てながら右往左往するしかない成田空港とは段違いだ。


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