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2003年12月30日(火)

梅木のりひで府会議員と一緒に、広河原、花背、別所の地域を宣伝と訪問でまわってきました。さまざまな要望をお聞きすることができ、年明けからそうした要望の解決に向け、忙しくなりそうです。




2003年12月20日(土)

 京都でも一日中、雪が降ったりやんだりの一日で、最高気温が3度という寒い一日でした。

 井上さとし参議院議員と新井進府会議員の3人での宣伝。マイクを持つ手も凍りそうなほど冷たかったのですが、イラクへの自衛隊派兵をなんとしてもやめさせようとの訴えをしていると、ついつい、頭はオーバーヒート気味に。

 井上さんの「政府は現在の法律上、イラクで自衛隊は武器を運ぶことは出来ないと言うが、武器を持ったアメリカ兵は運ぶ、アメリカの軍の荷物の梱包の中身が何であるかいちいち確かめずに運ぶ、と言う詭弁を使っている。憲法や法律すら守らない派兵絶対に許すな」との訴えに、大いに納得でした。



京都駅前にて



2003年12月17日(水)

 H14年度普通決算市議を行っていた11月市会が終わりました。

 今の市政のひどさを改めて感じた市会でしたが、一番許せないのが、イラクへの自衛隊派遣に対する市長の認識です。共産党の議員から認識を問われて、はじめは副市長に答弁をさせ、自分の口からは答えようとしませんでしたが、再度の追求の中で、「安保理決議に基づく人道復興支援」と言い切りました。

 憲法違反、イラク特措法にすら違反している自衛隊の派兵、これに反対しないどころか、政府の答弁そのままに賛同を表明する。これでは、市民の命を守る立場に立つ市長とはいえないのではないでしょうか。

 来年2月に行われる市長選挙には、広原もりあきさんが出馬を表明していますが、広原さんはこの問題でも明快です。「京都市民の命を危険にさらすような自衛隊の派遣に反対します。京都市民はもとより、日本国民のだれ一人がもうこれ以上犠牲にならないよう、全国に向かって戦争反対のメッセージをさけび続けたい思います。」と述べています。今の市長との差は歴然です。

 このほかにも、一部の大企業だけがもうかる大型の公共事業、市内への高速道路の乗り入れには、多額の税金を使い続けること、あるいは、昨年8,000万円もの補助金を、一部同和特定団体に不正支出していたことが明らかになったのに、こうした団体との関係をこれからも同じように続けること、同和事業を20年以上にわたって続けることも表明しています。

 大企業・財界や、一部の同和団体とのしがらみだらけの今の市長と、それをかつぐ自民・公明・民主のオール与党が、市民の暮らしとは相容れないことがよりはっきりしてきています。来年2月が市政を転換する大きなチャンスです。

 なお、11月市会を終えての声明は、党議員団のホームページにのっています。そちらもぜひご覧ください。
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/cpgkyoto/



2003年12月11日(木)

 左京の三者予対(園長会・保育士会・保護者会連合会による保育予算対策委員会)と左京選出市会議員との保育懇談会が開かれました。昨年までは、保護者会の代表として参加していた会議に、今年は要望聞く側(と言っても保護者会役員でもあるので両方の立場)での参加でした。

 「保育所に看護婦を」「主任のフリー化を」「自園給食守って欲しい」「延長保育への補助を充実させて欲しい」「LD、ADHD、高機能自閉症などの対応をきちんとして欲しい、そのためにも国に対しての要望もして欲しいし、自治体の責任も果たして欲しい」など、さまざまな要望が出されました。

 閉会の挨拶で「こうした要求は、決してぜいたくな要求をしているわけではなく、せっぱつまった願いです」と言われていたこと。本当にそのとおりだと思います。

 京都市の予算は大変厳しいということはありますが、切り詰めていい予算と、切り詰めてはいけない予算があります。一部財界だけが喜ぶような、あるいは、一部同和特定団体だけが恩恵を受けるような、そんな予算配分がいくらでもある京都市。切り詰めていい予算とはこのことです。福祉、教育は何にもまして充実させなければなりません。





2003年12月6日(土)

 今日、ピースウォークに参加しました。

 11月29日、イラクで日本人外交官2人が犠牲になりました。やりきれない気持ちで一杯です。何でこんな事態が引き起こされたのか。原因は何なのか。考えれば考えるほど、怒りがこみ上げてきます。

 政府は、イラクへの自衛隊派兵の方針を変えず、来週早々にも基本計画を決定するとのこと。アメリカが無法な占領状態を続けているからテロがなくならないのに、このアメリカの言いなりになって、日本が自衛隊を派兵すれば、日本人の犠牲がさらに増える可能性が高まります。

 なんとしても、イラクへの自衛隊派兵をやめさせなければなりません。そして、一刻も早くアメリカの占領状態を終わらせ、国連中心の復興支援の枠組みをつくる必要があります。日本はこの方向にこそ力を発揮しなければなりません。

 今回犠牲なった井ノ上書記官には、小さなお子さんとこれから生まれてくるお子さんがいることが報道されています。私と同じ子育て世代が、戦争によって犠牲になることは耐えられません。

 また、イラクの犠牲者が数万という単位で出ているということも報道されています。その中には、多くの子どもたちの犠牲が含まれているということ。想像するだけでも恐ろしいことです。でも現実です。

 みなさん、イラクに一刻も早く平和が取り戻されるためにも、自衛隊の派兵をストップさせましょう。






2003年11月21日(金)

 18日に11月議会が始まり、昨日・今日と代表質問が行われました。共産党議員団も3人(倉林明子、加藤広太郎、赤阪仁)が代表質問に立ち、桝本市政8年間で、市民の暮らし切り捨て、大企業優先の政治がどのように行われてきたか、まちこわし、医療・介護、教育、中小業者の営業など、さまざまな角度から検証がなされました。詳しくは、市会議員団のHPをご参照ください。

 驚いたのは、自民党の若手議員2人が代表質問の中の現状の認識を述べたところで、あまりにもひどすぎる競争教育、子育て世代の厳しい環境などで、私たちとほぼ同じ認識を示したことでした。残念ながら、こうしたひどい状況を作り出した悪政が、自民党自身の手で作り出されていることへの反省はありませんでしたが、いずれにしても、自民党議員ですら、庶民のおかれている現状を異常な状態だと認めざるを得ないということは、はっきりしました。

 だとすれば、結論はただひとつ。来年2月の市長選挙で、国いいなりに、市民のくらし切捨ての政治を進める今の市長を変えることが、市民の暮らしを守り、中小業者の仕事を守る一番の早道です。



2003年11月19日(水)

 11・19府市民総行動で、多くの市民のみなさんが市役所前に切実な要求を掲げて集まってこられました。朝から宣伝をしたあと、「くらし、雇用、営業守れ」と個人請願を市長に対して行い、お昼まで市庁舎前で座り込み。お昼にデモ行進をしたあと、府庁舎へとデモ行進をしていきました。

 小泉自民党・公明党政権により国民生活はこれ以上ないほど痛めつけられており、今こそ、自治体が国の悪政の防波堤としての役割を発揮するときです。






2003年11月10日(月)

 衆議院選挙では、共産党は9議席へと議席を減らす大変残念な結果となりました。マスコミの二大政党への異常なキャンペーンの中にあって、「くらし応援の政治の実現を」との共産党の訴えを、多くの有権者のみなさんに届けきれず、力不足をあらためて感じさせられました。
 しかし、論戦の方向が間違っていたわけではなく、自民党も民主党も悪政推進で全く一緒、との認識が広がったのも事実です。

 自民・民主によるくらし破壊の方向は、はっきりしています。引き続き、消費税増税と憲法9条改悪を許さない取り組みを、多くのみなさんと協力しながら進めていきます。


報告集会であいさつする原としふみさん



2003年10月22日(水)

 一乗寺保育所の「原としふみさんを国会へ送る会」の小集会に、15人が参加。子どもも8人来ており、合わせて23人が、会場としてお借りしたお宅(保護者の家)に集まり、大盛況。
 参加者からは、「小学生の子どもがいるが、教師の数をもっと増やしてもらわないと大変」「厚生年金が大幅に値上げになって困っている。ボーナス時にローンを払うようにしてあったからやりくりがつかない」「保育士をしているが、本当は正規の職員として働きたかったのに、アルバイトしか斡旋がなかった」「原さんの話を聞いていたら、ひどい現状も、あきらめずにがんばったら、変えていけると思えた」など、要望や感想が次々と出されていました。
 




2003年10月20日(月)


 宣伝で鞍馬にお邪魔しました。22日の火祭りの準備で松明があちこちに横たわっており、その松明の前で記念撮影。



杉本さんの家の前にて



2003年10月19日(日)


 岩倉団地で原としふみさんと団地の日本共産党後援会のみなさんで、原としふみと日本共産党へのご支援を訴えて団地内をねり歩きました。後援会のみなさんは総勢17人にもふくれあがり、とてもにぎやか。団地の窓から顔をだして手を振ってくれる方があいつぎ、「がんばって」の声援もあちこちからかかりました。



三宅せいこう前市会議員を先頭にねり歩き



2003年10月18日(土)


 岩倉北学区で日本共産党演説会が行われました。原としふみさんが、学生時代に水俣病の裁判にかかわった話などに触れながら「もうけのためになんでもする大企業を許しておけない。青年の就職難も、もうけだけを追及する大企業の責任によるところが大きい。そんな大企業の横暴を許さず、国民のくらし優先の政治実現をするために、なんとしても国会へと送り出してほしい」と力強く訴え。梅木のりひで府会議員と私も訴えを行い、その後いろいろと皆さんのご意見などを聞きながら懇談しました。






2003年10月11日(土)


 「修学院中学校区から原としふみさんを国会に送る会」主催の原さんを励ますパーティが行われました。原さんの迫力ある訴えのあと、たくさんの方々からの激励。人形劇まで飛び出し、大いににぎわいました。





2003年10月4日(土)


 日本小児科学会の主催する子育て支援シンポジウム「いきいき子育て いきいき子育ち」に参加しました。
 大学の先生や、保健所の所長さん、おもちゃ屋の社長さんなど、パネラーはバラエティーに富んでいましたが、どの方の話も大変面白いものでした。
 たとえば、「発達段階にあわせた対応が必要であり、2歳前の教育というものは私は虐待だと思う」「子育てが、全体的に○か×かの判断しかないように思えている。これが正しいという答えはない。間違いに気づいた段階でやり直したらいい」など多くの子育て世代が聞けたらいいのに、と思える内容でした。



 午前中はわが子の通う保育所の運動会でした。



2003年10月3日(金)

 9月議会の閉会本会議が行われ、京北町を京都市へ編入合併しようとする提案に対して、日本共産党を代表して私が反対討論を行いました。
 2005年3月までの特例措置に間に合わせようと、十分な論議もせず、協議会を設置し、しかも、理事者の答弁によれば、「合併しないという判断はありえない」と論議をする前から、結論があるという、全くおかしなものとなっています。
 合併をすることが、本当に住民の利益になることなのかどうか、しっかりとした検証を行うべきですし、この観点から、日本共産党は設置された協議会でも論議を尽くしていきます。



2003年9月17日(水)

 京建労が「不況に苦しむ住民の要望にこたえ、住宅改修の助成制度を創設しろ」と京都市・府に対して、請願行動と座り込み行動をしました。

 
 この行動は1997年から連続して行われているもので、すでに12回を数えています。こうした行動をする中で、京都府下では、すでに3つの自治体が助成制度をつくり、地元住民から大変喜ばれるとともに、多大な経済効果が報告されています。

 京都市でもなんとしても制度の創設をさせるために、議会の中での活動を活発化させていきたいと思います。


2003年9月14日(日)

 京建労左京支部が拡大まつりを行い、たくさんの人出で会場は大にぎわいでした。
 
 昨年までの「出陣式」形式から今年の「まつり」形式に変えたことで、各分会がお店を出し、要員だけでも本当にたくさんの人で、大変な苦労ではあったと思いますが、拡大月間に向けて大いに勢いがついたまつりになっていると感心しました。


2003年9月13日(土)

 原としふみさんの事務所開き。左京、山科、東山の各区後援会から250人が参加。近畿比例代表候補のこくた恵二衆議院議員も決意を表明しました。
 
 3つの行政区の後援会代表、地元修学院の後援会や青年の代表からも「京都二区からぜひ原さんを国会へ」と熱い思いを訴えました。
 事務長は梅木紀秀府会議員がつとめます。事務所の電話は705-2211、場所は東大路通り里の前交差点下がる東側(旧加藤あい事務所)です


2003年9月

ひぐち英明onWEB開設。