YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2004年 3月


2004-03-01 カマキリ

先日の、こわいものの話で、きわめつけの私がこわい、キライなものを忘れていました。
それは・・・カマキリです。
緑色のもこわいし、茶色のもこわい。(あれってカメレオンといっしょで周りによって変わるんですかね?)
ゴキブリも決して好きじゃないけれど、ゴキブリよりもこわい。
皆さんは、「別にすきじゃないけど、そんなにしょっちゅういないし・・・」とかお思いでしょうが・・・。
私が住んでる柿生にはなぜかこれがいっぱいいるのです。

冬の今は、あまり見かけませんが、暖かくなってくると始終遭遇してしまう。
マンションの玄関を開けたところに、緑のが、鎌を振り上げていて、
(そこどいてくれないと出れないよ〜)という事もあったし、私の部屋の窓を開けたら、網戸の外側に張り付いていて、じっくりと顔を見ちゃった事もある。
ものすごい恐い顔してますよ。邪悪な・・。
ある時なんか私の自転車のハンドルのところに止まっていて、動こうとしないのです。
乗れないじゃないの、どいて!と心の中でお願いしたのに、どいてくれる気配がない。
仕方ないから、カバンの中のいらない紙に止まらせて捨てようとしたら、その紙に乗ったはいいけれど、紙をつたって何と私の手のほうに、一歩ずつ、わあー来る来る・・・
「ぎゃぁ〜!」
あわてて紙ごと振り落とすと、地面に降りて、怒りの鎌を振り上げている。
紙を拾って一目散に逃げました。(ーー;)

そんな恐ろしいカマキリに、“なった”事があります。
踊りで。
ほんの短期間」ですが、お世話になった現代舞踊(日本のモダンダンスかな)の先生のところで、舞台があるというので参加させてもらったら、やった作品のテーマが、ずばり“カマキリ”・・・。(@_@;)

むろん衣装は、カマキリを連想させることはない、(緑とか茶色ではなく)海老茶色のドレスで、振りもずばりカマキリという振り(どんな振りじゃ?やっぱりカマキリ戦法?関根勤の、えっ?知らない?)ではなかったけれど・・。
ただ、単純に、(私はカマキリがキライなんだよ!)というところであまり踊りたくなかった。
かまきりのメスって、交尾した後、オスを食べちゃうんだよね。確かそんなイメージで、主役の人たちが、官能の踊りをやってた気がする。
私は、その他大勢の子カマキリだったし、すごく前のことで忘れてしまいましたが・・・。

暖かくなるのはいいけれど、(今日は、寒かったけれど)また、カマキリの季節が来ると思うと、ちょっぴりユーウツな私です。



2004-03-03 歩きと走り

演じるのものが、男役か、女役か、子供か、年をとっているか、によっても全然違うだろうし、悲しいのかうれしいのか、恋をしているのか、別れようとしているのか、もちろん全体の踊りの流れもあるけれど、そんな事が歩きや、走りでも表現できると良いと思います。
たぶん、役者さんが、背中で何かを表現するのといっしょでしょうね。
ただ、踊りとして表現するためには、あくまで踊りの基本姿勢(引き上げだったり)は、維持しての事で、気持ちが入って芝居するからといって、いきなりドタバタするのは、ちょっと違う。(使い分けがうまくいけば、“あり”の場合も)
結局は、その人のセンスや、踊りの技量がでてしまうのです。

さて、歩きといえば、私には、苦い思い出が・・・。
自分の振付した、スタジオ公演でのこと。
主人公のカイ少年(私)が、心の闇へと落ちていくシーンで、光と闇のはざまを、綱渡りのように、上手から下手へただゆ〜っくりと歩くというのをやったのです。
舞台の前方では、心の中のざわめきをあらわす踊りが踊られていて、その間を、ひたすら前方を見つめて歩く。
私は、ひたすらものに憑かれたように前方を見てあるきながら、実は、おなかの中では、火が吹いていました。
参加したメンバーは、ご存じてしょうが、その時、私は、ギックリ腰をやってしまっていて、薬とハリ治療のおかげで舞台には立てたし、足上げたり回ったりはなんとか普通にできたのですが、(火事場のばか力か?)このゆーっくり歩くというのが、なんとも厳しかった・・・。
誰だ〜!こんな振りつけしたのは!なんだ・・私か・・。
それでも、自分では普通に歩いていたつもりが、ビデオで見たら、左足が、全然前に出ていなくて、二歩に一歩しか進んでいなくて、笑えた・・(笑い事じゃないか・・しゅん・・)(T_T)
つくづく、おそるべし、“歩き”、そして“ぎっくり腰”でした。(^^ゞ



2004-03-04 日常と非日常

先日、ある生徒さんがレッスンで鏡を見るのが恥ずかしいというのは、踊っている自分がいわば非日常だからだと話してくれました。

なるほど・・・。
確かに、踊りというのは、非日常ですね。
仕事をしたり、街を歩いたり、あるいは母であったりする自分とは全く関係ないところで、稽古着で汗を流して足なんか上げちゃってる自分というのは、ある意味初めてみたら、ショックなのかもしれませんね。
大人になって一から踊りを始める人は、皆それまでに積み上げてきた日常の自分とは違うところで、全く守ってくれるもののない素裸の状態で、鏡の前に立つのだから、恥ずかしいというのもなんとなくわかる気がします。

が、最初のショックをのりこえて、踊りにはまってくれば、日常にあって、どこかに埋もれていた、自分も知らなかった自分が垣間見えてきたりします。
日常、気がつかないうちに身にまとっている“鎧”や、”恥ずかしさ”を捨てて自分を解放してあげると、どんな人でも(踊りをやろうとした人なら)たぶん、“非日常の自分の快感”ってあると思うな・・・。

たとえば、踊りをやっていない人でも、気に入った服で、バッチリメイクして、いい顔して(パッチリ目を開けたりして)鏡の前に立って、「私もまんざらじゃないな」と思える瞬間ってあると思います。
ちょっとだけナルシストで。でもどこか変なところがないかなと探している・・。
いい女のつもり、でも見られている自分を意識して、でも冷静に自分の気づかない変なところがないか、チェックしている・・。
鏡の前で、(基礎訓練じゃなくて振付を)踊っているのってそんな感じかも知れません。

でも「非日常」の一番は、何と言っても「舞台」です。
まだ未経験の方も、機会があったら是非やってみて下さい。
やったものにしかわからない快感です・・・。
一歩踏み出しただけで、そこは、まさに別空間、非日常の魔法の世界・・。

踊りをやるって、たぶん日常の中ではあまり意識できない生のままの自分と(心も身体も)、いい所も欠点も含めて向かいあえることかもしれないと思います。
「非日常」だから恥ずかしいと感じている方も、非日常の自分と出会う楽しみをいつか見つけてくれるといいのにな・・。

踊りの中で最も難しいのは、実は歩くことと走ることではないかと思います。
これこそが、そのダンサーの技量をあらわすと言っても過言ではないかもしれません。

まず、その人の身体の出来上がり具合、重心だったり、姿勢に問題があれば、丸見えになります。
いわゆるテクニック、足を上げたり回ったりできたとしても、踊りの中で歩かせるか、走らせるかすれば、動きでごまかせた部分がばれてしまいます。
“あらら。すごい出っ尻”とか、“かかと重心で背中が落ちてる”とか、“脇があがっていなくて手がぶらぶら”とか・・・。(ーー;)

それに何より、歩きで何かを表現する、これは、本当にそのひとの表現力の真価を問われますね。

2004-03-05 かたつむり と おたまじゃくし

私は特に動物が嫌いというわけではないのですが、幼い頃からマンションなどに住んでいたため、犬や猫を飼った事がありません。
そのせいか見ていると、とてもかわいいと思うのだけれど、さわったり抱いたりするのが、ちょっとこわい。
最近はだいぶ大丈夫になったけれど、前は犬が散歩などしていると、ちょっとこわくて、よけて通ったりしてました。

そんな私が飼った事があるのは、かたつむりとおたまじゃくしです。
かたつむりは母の知り合いが十数匹、どこかでとってきて(よく考えると変わっている・・・)水槽に葉っぱを入れた物ごとくれました。
はっきり言って、あまり嬉しくなかったけれど、もらっちゃったものは仕方ない。
ところが特大のこのかたつむり。
ガラスに貼り付いて動いているのは、どこから見てもナメクジそっくりで、嬉しくないどころか気持ち悪いのです。
その意見には一家3人とも同感で、とうとう父にお願いして近くの公園に放してもらう事になりました。くださった方、すみません。

次に飼ったのは、何を思ったのか近所の池で私が友達と採ってきた、おたまじゃくしです。
かたつむりがいた水槽にちゃっかり収まって、それなりに一生懸命、世話をしていた気がします。
ところが、ある日、水替えをしようと、お風呂場に水槽を持ち込んだ時のこと。
手がすべって、水槽がひっくり返ってしまったのです。
小さなおたまじゃくしは、水と共に流れて、排水口へ・・・。
『わぁーっ』 ショックとパニック状態になった私は、固まってしまい何も出来ず、
かわいそうなおたまじゃくし達は仲良く皆、下水管へと姿を消したのでした。
ショックからなかなか立ち直れず、わぁわぁ泣いている私に母は、
「大丈夫よ。下水管の中でちゃんとカエルになるから」
(って本当か?)

この事件は私を語る上で(大袈裟?)避けて通れない苦い思い出で、いつかは書かなければと思惟しておりました。
“おたまじゃくし事件”・・・あの時のおたまじゃくには本当に申し訳ない事をしたと思ってちょっと後ろめたい思い出です。



2004-03-06 いまどきの若い子

先日ファッションビルのトイレに入ったときのことです。
私が入ったとき、洗面台付近に高校生らしい二人の女の子が二人だけいました。
用をたして出てくるとなんとその二人は、上半身下着姿で!!買った?洋服を試着しているではありませんか。
っていうか!(ーー;)
普通そこまでの着替えは、個室入ってするでしょう?!
私が、あきれてちろりと見ているのに、恥ずかしそうにするでもなくまるで“無視”の“二人の世界”。
私は、透明人間じゃないんだよ。

年寄りくさいフレーズで恐縮ですが、“いまどきの若い子”は本当にわかりませんね。
電車の中で、堂々と、下地クリームからマスカラまでメイクをしちゃってるのを見た事もあるし、ロマンスカーでもない普通の通勤電車で、コンビ二おにぎりを食べるのも、周りへの遠慮なんかまったくない。
ただ、他人の目を気にしないというよりは、彼らにとっては他人、見知らぬ人は、人間じゃないらしい。
だからとことん無視できる。
少し前によく聞いた、中年男性や、ホームレスへの集団リンチも、相手が人間と思ってないからできるのでしょうね。

この前読んだ本に、今の高校生にとって“迷惑をかけられるなら、それは友達じゃない”というフレーズがあって、愕然としました。
一緒にいてなんとなく居場所がある、というメリット?以外の面倒が発生するなら、それは=デメリットであって、続けるべき人間関係ではないということらしい。
先生や先輩、後輩なんかの濃い人間関係には、当然様々な不都合や、面倒が発生するから避ける。
そうやって何となくいる仲間?の中で、自己主張するつもりのファッションやメイクも周りと同じ。
周りの仲間以外は、人間としてうつらない。かといって仲間のために命かけるなんてとんでもない。
そんな若者がそのまま大人になって、思い通りにいかない“超面倒”な、子育てという人間関係に直面すると、虐待に走ったりしちゃうのかもしれない・・・。

もちろんすべての若い子がそうだとは、思いませんが、そんな“いまどきの若い子”が増えているのは確かで、こわいなーと思います。
踊りでもやって、発散して、かつ身体を鍛える中で、自分をしっかり見つめて、きちんと人との関係を築けるようになってくれればいいのにな・・・。
な〜んてガラにもないけれど、ちょっぴりマジに世を憂える私でした。



2004-03-07 石灰沈着症(せっかいちんちゃくしょう)“一日”四十肩

一昨日、朝起きたら、左肩が痛くて手が全く上がらなくなっていました。
ずっと痛かったということは全くなくて、前の晩、ちょっと変かな?くらいだったのが、朝は、10センチ上げるのも激痛?!です。
(ギックリ腰とどっち?位の痛さ、これってギックリ倶楽部会員しかわからない比喩か・・)
「なんだ?こりゃぁ〜?」って感じです。
それでも、とにかくそのまま電車に乗ってバレエに出かけました。
その頃には、これでレッスン受けられるのか不安になるほど、左手の動きは困難になっていました。
先生に事情を話して、バーについたはいいけれど・・・。
ぐえっ!バーにもさわれない(バーの高さまで手が上がらない)し、アンオールなんてとんでもない。悪戦苦闘です。
手が使えないと、回転もやりにくい。なんかの拍子に上げちゃうと、下ろすのがまた、痛すぎる〜!(>_<)
先生が途中で、「僕も、前にそういう時があって、その時は後から調べたら、脱臼していたから、レントゲンを撮ってもらったほうがいいですよ」と言いに来て下さるほど・・・。
私もさすがに、これは病院に行かなきゃダメだ、と思い、仕事の前に本厚木で整形外科に駆け込みました。

お医者様に、私の仕事も話して、急に肩が痛くて手が上がらないというと、
「いわゆる、五十肩、四十肩ですかねー」
えーっ!私が四十肩?そんなバカな〜!
「だって、毎日動かしてるし、今まで全然痛くないのに、そんな?腱とかの故障ってことはないんですか?」
と思わず食ってかかりました。
「いや、石灰沈着症といいましてね・・。とにかくレントゲンを撮ってみましょう」

結果、レントゲンをじっくり見た先生は、
「肩関節に変形がみられますが・・ブツブツ・・・写真に写る程の石灰じゃないのかな・・・ブツブツ・・」
「?」
「これから石灰を溶かす注射を打ちますからそれで様子を見て下さい。石灰沈着症なら、二、三日でよくなります。腱の故障なら長くかかるかもしれません。」
私としては、私が四十肩や、その石灰なんとか、だというのは信じられない気持ちでした。
腱を痛めたとしても、どちらにしても、(よくみんな四十肩だと、半年から何年も痛がっているし)仕事にならない!
と、かなりブルーに・・。

と、こ、ろ、がです。
注射をして三時間後には、痛みがひいてきて、夜のクラスの終わりごろには、何の意識なく動かせるようになってしまったのです。
次の日も、そして今日も、けろっと直ってしまいました。
これは、やはり医者の言った通り、石灰沈着症という病気で、注射で石灰が吸収されたとしか考えられません。

後から聞いた話だと、知人のやはりこの石灰沈着症をやった方は、肩から注射器で石灰を抜いた!そうで、けろりと直ったそうです。
ちなみに抜いた石灰は、運動会で線引きに使う白い粉みたいだったとか・・・。
私の肩の石灰は、どこへ吸収されたのでしょうか?・・・

たった一日でしたが、石灰沈着症、四十肩?体験コースということで、またもや“痛い話”を更新した私です。(ーー;)



2004-03-09 踊りの中の芝居

踊りと芝居って、とても近い所にあると思います。
今スタジオにいるメンバーの中でも、実は学生時代は演劇をやっていたという人もいます。
かくいう私も学生時代、ダンス部に入る前、本当は演劇部にもちょっぴり興味がありました。
が、私の学校は女子高で、その演劇部も「青い鳥」とかいう名前がついていて(他のクラブは皆○○部なのに・・・)
一風変わったムードがあって、入りにくかったのでやめました。
女子ばかりで、むろん男の人の役も女子が男装でやる・・・
そう!まさに宝塚チックな世界です。
今だったらよろこんで?入っていたかもしれませんが、その頃は男装の似合う先輩にキャーキャー言う心理があまりわからず、「ふ〜ん」といった感じでした。

“自分でないものになり切る”というのが演劇と踊りに共通する点の一つだと思います。
その別のものの中に、自分の気持ちをのせて、まとめ上げて表現していく。
結局私は演劇をやった事はないのですが、子供の役の踊りや、男役を踊り、などいろいろな踊りの中で、いわゆる踊りの振付のない芝居の部分は昔から好きでした。(うまいか下手かはさておいて)
踊りの中での芝居は、セリフがない分、視線の動きや、体の動きのつなぎだけで、見せる事になります。
ですから、どう動けば、どう見えるか、という事プラス、
“踊り的にはあまり見苦しくない形”の中で表現するという事もあって、演劇よりも、どうしても抽象的になりますね。

でも本当に芝居心のある人の踊りをみると、形の制約がたくさんあって、踊りの部分と芝居の部分のつながりも難しいはずのクラシックバレエでも、本当に涙が出ちゃうのもあります。

森下洋子さんとヌレエフが随分前にやった「ジゼル」では(踊りはいうまでもなく)芝居の部分がすばらしくて、ラストシーンの、ジゼルがお墓に房ってしまい一人残されたヌレエフの悲しみは、胸にせまり涙がでました。
それまで何度もジゼルは見たけれど、あんなに哀しかったのは、ありませんでした。

先日、マシューボーンの「白鳥の湖」(ビデオ録ってもらたよ!)も出演者一人一人が役になり切っていて、その細かい一つ一つの芝居がとてもすばらしくて作品に入り込めました。

レッスンの限られた時間のコンビでは、なかなかつながりのある芝居の勉強まで、いかないのが現状ですが、次回作品を発表する時には、ぜひ皆さんにも芝居心を思う存分?!発揮する機会をつくれれば・・・などと思ったりしています。



3月11日(木)  ホームページお引越しのご挨拶

新しいホームページで、皆様にお目にかかれて本当に嬉しく思っています。
最初のホームページでは、デザインや、写真の場所、枚数があらかじめ決まっていたため、皆様のご要望に答えられない点や、不都合があり、引越しを決意してから約1ヶ月・・・。とうとう新居に越せて、感動です。
管理人様、お疲れ様でした。
PC素人で、ほとんど役に立たない私も、画面を見ているだけで、目をやられ、何度も瀕死になりました。最後の難関だった、カウンター(PCのウイルスソフトにひっかって稼動しなかった)も、設置でき、800を超えていた!アクセスも(皆様有難う)、また新たに積み重ねることとなりました。
毎日更新していた日記ですが、今までのものは移行できなかったので(T_T)、気持ちも新たに(*^_^*)、また楽しく頑張っていこうと思います。
皆さんの書き込みも、楽しみに待っています。
これからも、末永くよろしくお願い致します。 with Love Yuko



3月12日(金)  人の踊りを見る事

人の踊りを見る事って本当に勉強になると思います。
舞台などを見に行って上手い人の踊りを見る事はもちろんですが、いつもいっしょにレッスンしている仲間の踊りを見るのも、それはそれで、とてもよい勉強になります。

昔、私が踊りを習い始めの頃、「人への注意は、自分の注意と思いなさい」という言葉をよく聞きましたが、これは私が教えるようになって、とてもよくわかります。だいたい教える側は、大勢の中から一人を選んで、その子を例にして説明を加えたりするので、たとえ、他の人にされた注意であっても、その動きをよく見る事はとても大切です。
「自分もあぁなっているなー」とか、「そう直せばいいんだ」とか、一人一人、自分で消化出来る事はいろいろあると思います。

そして、コンビネーション。これは、他の人がどんな風に踊っているか、つまり何を感じて、何がやりたいのか(それがたとえ上手くいっていなくても)、など得られることは山ほどあると思います。

実は、少し前までは、私はレッスンの中で、コンビの最後は、メンバーを二つに分けてお互いを見合うことにしていたのですが、初心者の多いクラスなどでは、振りを覚えるのにいっぱいいっぱいで二つに分ける時間がなかったり、1回でも多く踊ってもらおうとしたりして、なんとなく最近は、分ける事をあまりしていませんでした。
しかし、先日それに気がつき、久しぶりに二つに分けてお互いに見合ってもらったら、やはり見る方も見られる方も、良い緊張があって、いいなーと再認識した次第です。
初心者の方には、若干、見られる事に恥ずかしさや抵抗があるようですが、そのうちにそれも良い刺激になってくると思います。
毎回とはいかなくても、やはりレッスンの中でも、人の踊りを見る事、そして人に踊りを見せる事を勉強してもらうのもよいなーと思っています。
振りを覚える事、テクニックをつけていく事、そしてその中で、どんな風に自分らしく表現するかという事こそ、踊りにはかかせない楽しさですからね・・・。(^^♪



3月13日(土)  匂い

一昨日は、春の嵐のような強風、そして昨日は、春雨といった感じの雨・・・。
春はすぐそこに来ていますね。

雨の匂いってあると思いませんか?少し生臭いような、湿っぽい匂い・・・。
時々、風に混じってふわっと匂う。
あまり好きではないけれど、確かにあると思う。
雨に濡れた木の匂いは、好きです。
私の家の方は、緑も多いので、自転車で通り過ぎる時に何となく匂いがします。
芳香剤などの、人工的な匂いは苦手です。
香水もどんなにいい香りでも、長時間嗅いでいると辛くなってくる。
(電車の中で隣の人は、つけすぎ〜という時はホント辛いです)

ドキドキわくわくの合わさった、舞台の匂いは、ドライアイスの匂い。
結構くさいんだけど、あれを嗅ぐと何かわくわく興奮してきてしまう。
あと舞台といえば、ドーランの匂い。
やはり、やるぞ〜という緊張感高まる匂いです。

花の中では、沈丁花。
ちょうど、今頃、早春に、風にのってあちらこちらから漂ってきます・・・。

私の父は、晩年喉頭癌で、手術をして喉に開けた穴から呼吸をしていたため、匂いを嗅ぐことができなくなっていました。
鼻から呼吸をしないでいると、鼻自体に問題がなくても、匂いをなかなか感じなくなるらしいのです。
その父が、亡くなる前、沈丁花の匂いがしたと言って喜んでいた事がありました。
そのせいか、沈丁花の匂いがすると、父の事を思い出します。
私にとっては、どこか懐かしくて、少しだけ淋しい匂いです。

3月14日(日)  先生の評価表

ある生徒さんが、面白い?!ものを見せてくれました。
娘さんの小学校の担任の先生の、「評価表」です。
先生の良いところ、悪いところをそれぞれ、子供が書いているのですが、これがシビア・・・。
ホントによく、大人を見ていますね。
しかし、この評価表、先生個人が書かせているのか、学校が書かせているのかを聞くのを忘れましたが、今は、こんな事をしちゃうんだ・・・と内心びっくりしました。
お子さんをお持ちの方、どこの学校でも、こんな事してるの?

私が、子供の頃は、先生は、「先生」、大人は、「大人」で、良い点、悪い点、を評価するなんてありえませんでした。
たとえ、子供にあまり人気のない先生であっても、先生は、先生であって、子供は従うのがあたりまえ、(むろん反抗する子もいたけれど)親も、子供の前では、先生の悪口は言わないようにするといった感じでした。
前に、「学校の先生なんか、税金で雇っているんだからちゃんとしてほしいよねー」という言葉を、子供から聞いた事があって、これは、親がいつも子供にそう言っているんだなーとあきれたことがありました。
「お父さんみたいになりたくなかったら、勉強しなさい!」と言う母親の発言もそれに似ています。

古臭い事を言うようですが、大人や、先生に権威を感じて、単純に恐れたり、尊敬できた昔の子供の方が、ある意味、幸せだった気がします。
子供のところまで降りていって、子供に受けが良い先生や、大人になるのも良いところはあると思います。
子供と同じ目線に立つ事、友達みたいな親、友達みたいな先生もよいとは思います。
ただ、いざと言う時、凛とした大人の威厳、一本筋が通った存在感で、子供を導ける、そんな強い大人になれたらいいですよね・・・。(えらそうですが・・)

実際は、大人も(先生も親も)ただの人間で、良いところも悪いところもあるし、そんな事は、子供は、たとえ口に出さなくてもシビアに感じとっているのです。
頑張って、「大人」や、「親」であろうとする事、「ついてらっしゃい」と言って、つまずいたり迷ったりしながらも、進む背中を見せる事が大切なんじゃないかと思う。
私は、子供に先生を評価させたりしなくてもいいのにな・・・と思ったのですが、皆さんはどうお思いですか?
(これは、決して「ダンスの先生」としての私を、子供に評価させたら、「自分で作ったのに振りをよく忘れる」とか、「唾をとばして大声でしゃべるのはやめてほしい(ヒャ〜)」
とかのマイナス評価がつくから言っているのではありません?!)



3月15日(月)  着物の展示会

踊りの友人から(もちろん洋舞)、着物の展示会のバイトをするからのぞいてくれないかと言われました。
何だか、人を呼べれば、少しマージンが入るらしい。
日頃、着物とは全く縁のない私ですが、そんな訳で着物の展示会に行ってきました。

「もちろん買わなくていいし、ぐるっと一周したらすぐ帰っていいから」という事だったのですが、展示会といってもそこは、まさに着物屋さん・・・。
私のイメージした、会場をぐるっととは、かなり違う感じ・・・。
ど素人の私は、反物を見てもちんぷんかんぷん。どう、ぐるっとしたらいいか困っていると、お店の人が話しかけてきました。

「この前お着物を着たのは?」
私は、胸をはって、
「成人式です」
「まぁ〜それは・・・」(ずい分前・・とは言えず、口ごもる)
「ちょっとこれをあててみて下さる?」
「そう。着てみたらいいわ」
私、「?」
ちょうど暇な時間帯だったらしく、次々と私一人に集まってくる着物のプロたち・・・。
私は、あっと言う間に、セーターとパンツの上からたすきをかけられ、着物に袖を通すと、何本かの紐で着物姿に!
「あーそれならこの帯は?」
「草履はこれがいいわ」

そして私は、黒とぼかしのグレーに、小さな花模様の着物に、シルバーとピンクと薄い黄色など見ようによって何色にも見える帯、ちらりと帯の上にのぞく鮮やかなトルコブルーと黄色の布(何というの?帯揚げ?)、帯の上からアクセントにしめる紐、着物のぼかしの部分にマッチした薄いピンクの鼻緒の草履まで完璧にコーディネイトされていました。

(悪くないじゃん)我ながら、いいかも・・・。
早速携帯のカメラで、カシャっと一枚。
お店の人が、すかさず電卓を差し出して、
「全部ひとそろいです。5年でどうですか?」
とそこには、4桁の数字が。
「えっこれでいいの?」と思わず言いそうになった私。
危ない危ない・・・。4桁×12×5だぞ・・・。

その後、もう一枚、今度は反物を着物のように作って着せ掛けてもらいました。
ちなみに、今度のは、海老茶の無地で、帯がぐっとモダンな、白とこげ茶の二色のものに、淡いピンクの帯揚げ。
プロの選ぶコーディネイトは、本当にきれいでした。

結局すぐ帰るはずが、一時間近くもいて帰る時は、さすがにちょっぴり帰りづらかった・・。(お店の人は、似合うのに、とかいいものに出会った時の決めないととかすすめていました)
でも、お土産までもらって無事帰ってきました。

着物の世界って本当にコーディネイトの楽しさなんですね。
目の保養、いい経験をさせてもらいました。
確かに、安い買い物ではないけれど、同じお金をかけるなら、?十万のブランドのワンピースよりは、着物の方が全然リーズナブルな買い物だなと、私は思ったのですが、どうでしょうか?

3月17日(水)  ちょっと一服・・・

最近は、公共の場所での喫煙がどんどん禁止され、スモーカーにとっては肩身が狭く、不便な世の中になりました。
駅での喫煙が禁止されたせいか、ロマンスカーも喫煙車の混む事・・・。
電車が走りだしたとたん、あっちでもこっちでももくもく・・・。
まぁ私も一緒にもくもく・・・。健康に悪そーな空間です。

私が、煙草を吸いだしたのは、踊りを始めてから、23歳くらいの事で、きっかけも、ずばり”踊り“であります。
コンビネーションで、煙草を吸う振りがあって、その形が決まらず、ためしに吸ってみたのです。
まぁ、待ち時間やストレスもそれなりに多い世界、ダンサーの中には、健康に悪いとわかりながらも、煙草を吸う人が多く、私もいつのまにか定着してしまいました。

心理学的に言えば、煙草を吸う人は「口唇期」とか言って、幼児性の抜け切らない人、たぶん指しゃぶりの延長みたいなものかもしれず、それはおそらくあたっているのでしょうが・・・。フン!(-_-)

振付を考える時は、やはりニコチンパワーは欠かせません。
集中してくればくるほど、その緊張を煙草で緩和?して、一層ぐっと集中する効果が、私にはあるようです。
一方、気分を変えると言う意味では、仕事後の一服も欠かせません。
(何とか言って、結局ずっと吸ってるんじゃないか・・・と言わないで下さいませ)

忘れられない一服といえば、第3回公演、POSITIVE3の舞台リハーサルの日です。
(スタジオメンバーの方は、ご存知ですが)
公演当日は、大雪だったのですが、その一週間前のリハの日も、やはり夜から雪にみまわれました。

スタッフとの打ち合わせが終わり、自宅のある柿生に着いた時は、すでに深夜近く。
使いたい時に限って使えない、柿生のタクシー(ー_ー)!!は、長蛇の列。
仕方なく、歩き出したはいいけれど、(ふつうなら12,3分距離です)衣装でパンパンのキャリーバッグは、降り積もった雪のうえでは、タイヤが雪だるま状態で転がらず、持ち上げて歩くしかありません。
雪は、小降りにはなっていたけれど、しっかりと積もって誰の足跡もなく、一歩ごとにずぼっ、ずぼっ・・・。
十歩歩いたら、荷物を置いて休み、また歩き・・・。
30分経っても、おうちはまだ遠い・・・。
あたり一面は、真っ白で、何の音もしない。
ボーっと明るい銀世界の中、とうとう私は荷物を置いて、一服・・・。
ふーっ。
あの一服は忘れられません。
などと、感傷にふけりながら、今日も元気に一服する私でした。



3月18日(木)  ソノシート

世はMDの時代。しかしながら私は、相変わらずCDそしてカセットテープを使っている、古い人間であります。

若い方は、ご存じないでしょうが(年寄りくさいか・・・)、カセットテープの前は”オープンリール”というのがあって、踊りの音源を編集するのもすべてオープンを使用しての手作業という時代がありました。
20センチくらいの輪を、右から左へ巻き取る際に真ん中のところで音が出る仕組みは、カセットと同じですが、編集などで音をカットする時は、そのままその部分をはさみでチョキッと切って、テープで貼るという、果てしなく時間がかかる、でもわかりやすい作業でした。
(今なんか、PCで画面を見て、音なんか聞かずに、音を表す折れ線グラフをマウスでクリックしてカットだもんね・・・)

そして、レコード。
レコード自体は今でもあるし、クラブなどでミキシングするのは、逆にそれがかっこいいみたいのがあるけれど、一般の家庭では、針がなくて聞けなかったりしますよね。

幼い頃、私がよく聞いていた何枚かのレコードがあります。
ディズニーのお話と音楽が入っているもの。不思議の国のアリス、バンビ、くまのプーさん。
3大バレエの、白鳥の湖、眠りの森の美女、くるみ割り人形にやはり音楽と語りが入ったものでした。

ディズニーの方は、ドーナツ盤という真ん中に大きな穴があいたサイズのものと、プラスチックのペラペラの「ソノシート」というものでした。
ソノシートって今、全然見ませんね・・。
セットで絵本がついていて、その絵を見ながら、お話を聞くのです。
「♪くまのプー、くまのプー♪」という歌や、
「おやおや、雨らしいぞ?!」というセリフ(このセリフでA面が終わり、裏返すので覚えている)
など断片的ですが、記憶があって、夢中で聞いていた幼い頃が思い出されます。
今の子供は、当然ビデオでしょうね。
でも、あの動かない絵を見ながら、音を聞いて、場面を想像するのもなかなか味があってよかったような気がするのです・・・。
(^^♪



3月20日(土)  誉める、誉められる

私は、誉められるのが大好きです。
(まぁ、誉められるのが、キライと言う人はあんまりいないか・・・)
実際誉められたりすると、照れくさいのと嬉しいので、返答に困ってしまう。
そのくせ、その言葉は、大切に心にしまって、時々取り出しては、一人ニンマリ・・・
(これってどうなの?(-_-;)
舞台なんかの後は、自分から何とか誉めてもらおうと(!)食い下がる。
「ねぇどこがよかった?」(我ながらなんという人でしょう?!)
しかし、私の周りの人は、皆一筋縄ではいかないので(私という人間をよ〜くわかっているのか)、そう簡単に手放しに誉めてはくれません。(>_<)

「豚もおだてりゃ、木に登る」ということわざは私のためにある、という位、ちょっと誉められられれば、もっと誉められたくて頑張ってしまいます。
逆に言えば、悔しがりで、けなされたり、ダメ出しされた事は、執念深くこだわり続けて頑張り、何とか誉められようとする。
ある意味、私のそんなところが、踊りにはまってきた上でのエネルギーになっているのかもしれません。

子供は誉めて育てると良いとよく聞きますが、私の親は、あまり誉めない方でした。
母親によれば、彼女自身が、いわゆる優等生で、できて当たり前できていたので、ちょっと注意されるとへこみすぎて萎縮してしまう。
そのため、ものを習う上で、非常に苦労したので、私には耐性をつけようと叱咤したらしい。
これは、まぁ成功かな・・・。
私は、言われたり、注意される事は慣れているので、少なくとも萎縮したりする事はないですから。

さて、そんな私も今は教えて人を育てる立場にあるわけです。
確かに今までの生徒さんの中にも、母のように、注意される事に慣れていなくて、言われると萎縮して、
“どうか、私にかまわないで下さい〜”モードに入ってしまう人もいました。
が、私の嵐のような?注意、ダメ出しの連続に慣れるのか?そのうちに注意されると、“俄然、張り切って頑張っちゃうモード”に変わってきたりもします。
私は、自分が“誉められ好き”なためか、生徒さんのことも(子供も大人も基本的には同じ)、いい所、良くなったところはできるだけ口に出すように心がけてはいます。
「そう、近い」とか、「そっち」とか、「よくなった」とか言われたら、誉められたんだと思って一層頑張って下さいませ。m(__)m



3月21日(日)  長さん、さようなら

ドリフターズのいかりや長介さんが、亡くなりました。
頸部リンパ節の癌で、一度復帰したのに、あっという間の死でした。
私を含め、ドリフ世代の人間にとって、“長さん”の死は少なからずショックだと思います。
しばらく前に、荒井注さんが亡くなった時も、びっくりしたけれど、ブラウン管に現役バリバリで登場し、役者としても活躍していた長さんの死は、またショックな気がします。

「8時だよ、全員集合」という番組は、当時の小学生のとって欠かせないものだったと思います。
生の、公開番組で繰り広げられるコントは、臨場感、迫力に満ちていて、当然アクシデントもたくさんあり、それがまた魅力でした。
(スタッフさんもそれは大変だったらしい。一部の後のセットのばらしなんて、子供が見ても殺気だってるのがわかったもんね・・・)
カトちゃん(加藤 茶)の、「ちょっとだけよ。あんたもすきねぇ〜」(ストリップ劇場のネタのコント)
や、他にも下ネタ満載で、PTAにとっては、ワースト番組ナンバー1だったそうですが、だいたいいつの時代も、子供が夢中になるものは、大人の受けが悪いんだよね。
ピアノや、バレエで忙しかった私も、ドリフに関しては、例外で必ず見ていました。
聖歌隊のコントや、マット運動のコント、お化け屋敷や、長屋のコントなど、思い出されるものは、山ほどあります。
他局の、季節番組、ドリフの大爆笑の「もしも・・・シリーズ」(前に、痛い話の時に書いたけれど)なんかも今見ても笑えると思う。

今朝、長さんの訃報を知って、母親に、
「PTAでは、ドリフは受けがよくなかったらしいけど、ママは何も言わなかったね?」
と聞いたら、
「だっておもしろかったもん」
と一言。う〜ん、確かに。

うろ覚えなのですが、確か私が小学生の頃、「全員集合」が一時打ち切りになった事がありました。(また、再開されたのですが)
そのエンディングで、いつものようにカトちゃんが、「頭洗えよ〜」、「宿題やれよ〜」、などと呼びかけた後、最後に、「元気でな〜」と言った時、
食い入るように画面を見つめ、カトちゃんと番組とのお別れを惜しんでいた私は、テレビに向かって、ウオ〜ウオ〜と大泣きしたのでした。
(たかが、テレビ番組が1つなくなるだけなのに、何があんなに悲しかったんだろうか?・・・)

私はもちろん?カトちゃんのファンでしたが、長さんは、ドリフのリーダー、長さんなしのドリフは考えられません。
子供時代の思い出を懐かしむとともに、謹んで長さんのご冥福をお祈りする私でした。<(_ _)>



3月22日(月)  涙

外は、冷たい雨。雪にもなるかという予報で、一気に冬です。
皆さん風邪などひかぬよう気をつけて下さいね。

さて、今日は、涙のはなし。
これはたぶんあまり知られていないと思いますが(そうでもないか?!)、実は私はかなりの泣き虫です。
今は年もとったし、理性もあるので人前でそうそうワァーワァー泣く事もないのですが、子供の頃からずっと、「よく泣き、よく笑いました」と通知表に書かれたほど、泣き虫でした。

小学校低学年の頃、クラスに一人、“1日1回私を泣かす!”と決めている?男子がいました。
結構優等生な子で、たぶん私に興味があったのかもね・・?
私もまんまとそれに乗って、毎日泣いていました。
泣くだけ泣くと、すぐ機嫌が直って笑っている、いわば“今泣いたカラスがもう笑った”の典型だった気がします。
TVを見てもよく泣きました。昨日書いた、ドリフが終わった時もそうですが、「みなしごハッチ」という題名だけでもかわいそうなアニメがあって、
「そんなに泣くなら見るのやめなさい」と言われながらも、楽しみに見ていました。

踊りを始めてからは、悔し泣きというのを何度もしました。
更衣室で、人知れず、汗にまじって涙をふく・・・なぁ〜んてスポ魂の世界だ!

感動の涙というのもありますね。
第1回公演の時、出演者に、
「舞台の上で決して泣いてはダメだよ、泣くのは、幕が下りてからよ!」
などと偉そうに言っていたのに、
フィナーレを迎えたとたん、先頭を切って涙をこぼした私に、皆ブーイングでした。(言い訳すると、涙こぼしながらも、笑ってたんだよ。それも気持ち悪いか・・・)

最近は、年のせいか(>_<)、涙腺がゆるくなって、TVを見ていて何でもない事にも涙ぐんでしまいます。
感動的な話に涙するのはまだいいとしても、バックに流れる感動的な音楽だけでもやられてしまったりします。
ドラマティックな音楽が危ない。
白鳥の湖の一番最後のほう、曲が転調して明るくなるところがあるでしょう?
あぁいうのにやられてしまう。
まずい・・・。
「水戸黄門」を見て涙ぐんでいた父親を笑えなくなってきた・・・この頃の私です。(^_^;)



3月23日(火)  近視と暗転

私は近視で右目は0,1あるかないか、左目は0,2位。
コンタクトはしたことないし、メガネも持っているけど、ふだん踊っている時も、その裸眼のまま。
つまりちゃんとは見えてません。
でも別に不便は感じませんけれど(^。^)
細かい手の振付、手の先がグーなのかパーなのかは、たまに見えない事があるので、近くに寄っていましたが・・・
それなのに生徒さんの変な所、間違いなどは何故か目に飛び込んでくるのです。
ボーっとしか見てないはずなのに「あっ今○○ちゃん、手が変!」とか「足が伸びてない」とか見えるのは何故なんでしょう?

近視のせいなのかはわからないけど、唯一、目で不便なのは、舞台暗転です。
劇場によっては、本当に真っ暗になるので、何も見えなくて走れなかったりする・・・。
前の人の衣装をつかんでハケたりしたこともあります。

先日バレエの友人の舞台があって見に行ったら、ホールの前に救急車が止まっているのです。
「え゛っ!誰か怪我したのかな? 足?!!」
心配しながら幕があくと、みんな別に怪我をしてる風でもない。
後から友人に聞いたら、ゲネプロの時に男性二人が“ごっつんこ”をしたんですって。
結構激しくぶつかったらしく、一人の男性が額から流血!!
救急車を呼んで縫合してもらったそうです。(ウー痛そう〜;)

みなさん、特に目の悪い方、暗転には気をつけましょう!
でも出入りはなるべく迅速に・・・(-。-)y-゜゜゜



3月24日(水)  コマフェスティバルの事 1

“コマフェスティバル”というのは、新宿コマ劇場出身のダンサーで、自分のスタジオを持った方が、その作品を披露するという公演で、その初回は、十数年前にさかのぼります。
私が今もモダンダンスを習っている先生も、もとはコマ出身のダンサーで、十数年前、モダンを習い始めて一年弱の私もその公演に参加させて頂くことになったのでした。
これは初回公演の時の話です。

ジャズを始めてから五、六年は経っていて、それなりに舞台経験は積んでいた私でしたが、モダンの作品を踊るのも初めて、ましてコマ劇場なんて見に行ったこともなくて、想像もつかないといった有様でした。

コマ劇場に行った事のない方に説明させて頂くと、コマの舞台というのは、普通のホールの舞台とはちょっと違っています。
ふつうのホールの舞台は、だいたい長方形ですが、コマは正方形に近く、前方が半円状、そして舞台に三重の円になったセリ(盆)があるのです。
それぞれ、中心から、芯盆、中盆、外盆と呼んで、それが上下に移動し、かつ回転する。
その有様が、コマという名の由来なわけです。
真ん中の芯盆を最も高く上げて、順に低くしていけば、まさにデコレーションケーキ状、それを回せば、メリーゴーランドの様だし、他にもいろいろなバリエーションは出来て、作品を創る側、見る側、両方にとって、とても夢のある舞台です。(ただし、踊る側は、ちょっと大変。)

さて、私は何の予備知識もなく、始まったリハーサルですが、先輩のお姉さまダンサーに混じり、私を含む新人も何人かいて、“子供たち”は子供たちでまとまれるし、なかなか楽しいリハーサルでした。
ただし、それは、私が経験もなく、踊りの上で何も考えていなかったからで、今から思えば、よくあれで出ちゃったよ、という反省は、しきりであります。

その頃の私は、ジャズで楽しく踊るということしかやってこなかったところもあり、細かな体の使い方のダメ出しに終始するリハーサルに少し戸惑っていました。
自分をどう出したらいいか、息がつまるような感じもしていたのです。

今から考えると若かったのですね。頭も体も。
モダン、特に私の先生の振付するグラハムメソッドの動きというのは、ちょっと見ると、ただの変わった格好なのですが、その中に、体の使い方のアカデミックな理論が生かされていて、たとえ、そのままその形ができなくても、理論を理解して、その方向に体を使うのと、外側だけ真似するのでは、天と地ほどの違いがでてしまうのです。
(まぁ、これは、どんな動きにも言えることかもしれません。)
ですから、まずは、体の使い方をしっかり理解させるという地道な先生のリハーサルは、(週に五回、四ヶ月以上というリハーサル)ある意味、不可欠、当然だったわけです。

第一回めの作品は、“祈りの行方”と題する十数分の作品でした。

3月25日(木)  コマフェスティバルの事 2

さて、第一回コマフェティバルの事です。
衣装は、ベージュのドレスで、全円のロングのスカート、スカートの部分が、二重になっていて、裏地にあたる二枚めが、こげ茶色で、回ったりするとそれが見えてとても素敵でした。
薄いベージュとこげ茶の組み合わせと、全円の感じから、私たちは、その衣装を「椎茸」?!と呼んでいました。
貸し衣装だったため、体に合う衣装を選ぶ時は、まさに女の闘い?、争奪戦がくりひろげられたのでした・・・。

その時は、私のようなモダン初心者も何人かいたため、そういうメンバーにはそれほど高度なテクニックは、入っていなかったと思います。
が、それでも、その時の私が、どうしてもできない振付が入っていたのです。
片足をかけてすわった姿勢から、手をつかないで上体をねじりながら立つというものだったのですが、これがとうしても、ムリ!!(>_<)(今はできるよ!)
先生が見ていない隙に、ちょこっと後ろで手をついてごまかしていたのですが(ーー;)、(当然ばれていましたが・・・)
ゲネプロで実際コマの舞台に行って愕然・・・。
何度も言いますが、コマの舞台は、半円状、客席もそれにそって扇状に広がっていて、その舞台にあわせて位置どっている私たち・・・。
つまり長方形の舞台なら、あんまり見えないはずの後ろについた手が、これでは全方向から丸見え!!なのです。
しかも、先生は、「手なんかついちゃダメよ」とダメ押し・・・。
うわっ、やばい。こんな事とは。
こうなったら、勢いでも、何でも立つしかない・・・。

作品の最初は、奈落から床に座ったポーズでのセリ上がり、その後盆がくるくる回るという演出でした。
私たちは、本番直前に奈落に行って、スタンバイ。
床に全円の二枚目の方のスカートを丹念にしわがないように広げ、表地のスカートを頭にかぶり、舞台まであがり、盆が回りだす時にに、花が開くように、パッとそのスカートを離すことになっていました。
布をかぶって、各自自分の世界、いやでも高まる緊張感の中、曲が始まり、ウイーンというかすかな音とともに、盆が上がり始めました。
とうとう本番です。

しつこく練習して合わせた、布をはなすタイミングもバッチリ。
盆の回りだしと、回り終わりは、がくんと衝撃があるのですが、座っているポーズだったのでよろよろしないですみました。(^_^;)
外盆に乗っている人は、当然外周を回るので結構なスピード、でもメリーゴーランドみたいなんて、のん気なことは言っていられません。
少し踊ると例の立ち上がる振りがあるのです。
その時、私の頭の中は、立たなきゃ、立たなきゃということでいっぱいでした。
そのせいか?!途中、一瞬振りがとんでしまい、真っ白に・・・。(@_@。(私は、めったに振りがとんだ事ないのに〜)
誰も手を上げていないのに、一人手を上げてしまい、ソロと思ったなのかビデオカメラがパッと私によってアップになり、その後何年も皆にからかわれ、ネタとなってしまったのでありました。(T_T)
それで、肝も据わり、本番の火事場のバカ力か、肝心の立つ振りは、立つことができました。
(コマフェスティバルの事 3に続く)




3月26日(金)  コマフェスティバルの事 3

さて、コマフェス(コマダンシングフェスティバルの略)第一回目、初めての特殊な形の広い舞台という事でリハーサルの間中、場あたりは念入りに、場ミリテープを駆使して行ったので、何が何でも「この位置に入る!」というのは全員に浸透していたはずでした・・・。

ところが、何と一人が、しかも本番!何を勘違いしたのか、二人でセンター割りの位置を一人で『どセンター』に自信たっぷりに入ってしまったのです。
シンメの位置の人は“これでは私が間違えたみたい〜〜”という可哀想な目に・・・(;_;)/~~~
ビデオで見たら、後ろの本来センターの人としっかりかぶっていました(~_~;)
しかも、その人はかなりの興奮状態にあったのか(結構がたいのいい、しかし素晴らしく動けるバレリーナだったのですが)
前を向いたまま後ろに下がってくる振りで、よけきれない程のスピードで、私めがけて猛突進!!
私は後ろにいて彼女が見えるので
“あああぁぁっ、ぶつかる!!〜〜”
案の上、ドーンという衝撃とともに激突されたのですが、若く?頑丈な私は何とか踏みとどまったのでした。危ない危ない、、、。
ちなみに彼女はぶつかった際、舞台上で踊っている最中にもかかわらず、かなりの大声で「すいません!」と言って下さり・・・びっくりしました(汗;)

さて曲の後半、クライマックス!全員のユニゾンがあったのですが、最前列のふたりが、何故かタイミングがずれてしまい、前に合わせるという約束事を守ろうにも、後列の私達はオロオロ・・・・
どっちに合わせるんだよ〜〜。
結局、上手と下手のタイミングが違うまま進んだのでした。
見た人の話によると、まるで意図された時間差の振りのように美しかったとか・・・?

なんだかんだあったけれど、全体的には無事に終わり、たぶん素敵な作品に仕上がっていたとは思うのですが、出演者一同は、あきらかにタイミングがずれたユニゾンがド〜〜ンとのしかかっていました。一同、意気消沈気味。。
楽屋に戻るには、コマの迷路のような舞台裏を階段を上ったり下りたりしなければなりません。
トボトボ一列になって帰る私達はいつの間にか「迷い道くねくね〜」と違う階段を下りてしまい、気がついた所で そのまま回れ右!
また一列で引き返し、やっと楽屋に戻って来れたのでした。
やれやれ・・・。

コマにはダンサーが背中にも塗ったドーランを落とせるように、小さなお風呂もあって、何人かずつ、そのお風呂を使わせてもらいました (*^。^*)

意気消沈気味だったメンバーも、劇場を後にする頃には元気になり、
終わって打ち上げで、すべて発散・・・あーー楽しかった。
コマの舞台のスリルとサスペンス?そしてモダンの先生、そのチームの人達、暖かい人柄にふれて、コマフェスのとりこ?やみつきになった私は、この後毎年のようにコマダンシングフェスティバルに参加させてもらう事となったのでした。
(コマフェス「いなり事件」「衣装ふんずけ事件」など数々逸話があり、機会をみてまた続編を書きます。乞うご期待)




3月27日(土)  大先輩のショーダンサー

私のモダンの先生は、もとコマの劇場ダンサー、そのお仲間にも、個性豊かな素晴らしい方々が、いらっしゃいます。

コマのしきたりでは、先輩の方は、女性の方は、“お姉さん”、男性の方は、“お兄さん”と呼ぶことになっているそうで、あだ名や、呼び名の後に、〜さんがついてその下にお姉さん(お兄さん)がつく。
つまり、私なら、「YUKOさんのお姉さん」となるわけです。
呼び名が、例えば、みっちゃんと言う方がいたとしたら、「みっちゃんさんのお姉さん」となるそうです。(ホントの話ですよ)

そもそも、コマや日劇といったショーダンス、レビュー専門の劇場があった頃は、私はまだ幼児で、見る機会がなかったし、(今唯一、レビューを大劇場でやってるのは、宝塚だけだけど、女性だけでちょっと特殊だものねぇ・・・)
その魅力は、先輩や先生のお話で想像するしかなくて、とても残念です。
バレエや、モダン、日舞、タップありとあらゆるダンスを交えたショーは、どんなに素晴らしかったでしょう。
8ミリの時代なので、ビデオの資料もないそうで、本当に惜しまれます。
そうしたあらゆる踊りの基礎が入った、大先輩のダンサーは、やはり一人ひとり、今でも魅力をもった方々ばかりです。

先生の先輩の、”Nさんのお兄さん”もその一人で、コマフェスにも何度か私達と一緒に参加して下さった事もあり、本当だったら口も聞けない程の大々先輩なのに、気さくに接して頂いています。
もう一人、”I さんのお姉さん”も、今でも、先生のモダンのレッスンを受けていて、たまにご一緒すると、60歳を迎えた今でも、昔の、ショーダンサーの底力を思い知るといった感じです。
やはり、とても暖かい方で、あの雪の中、POSITIVE3もわざわざ見に来て下さったのです!

私の先生も含め、団体生活の中、(よい意味でのタテ社会の中で)、踊りの技術のみならず、礼儀や、思いやりを身につけ、厳しい世界で揉まれながらも生き残ってきたたくましい精神力をもったダンサーは、私のあこがれであります。
それは、話に聞くだけでも、ハードなダンサー生活だったようです。
例えば、洋舞から、日舞の着物への3分の早替わりとか(!!)、舞台がはねてから深夜の振付とか(コマは、深夜2時ごろお婆さんの幽霊が出るんだとか・・・)、
下駄でタップ踏んだ後は、ポアント(トウシューズ)でバレエとか、男女の激しいリフトがあって投げ飛ばされたり?!、上がりかけたセリによじ登ったり?!・・・・。
あと20年早く生まれていたら、絶対コマのダンサーになりたかったなぁなどと思ったりもします。(ひ弱な私には、勤まらないかな・・・)




3月28日(日)  再び、コマフェスティバルの事 4

記念すべき第1回のコマフェスの後、第2回めを除き(その時は、ジャズの公演とリハーサルが重なり出られなかった)、私は、ほとんどの公演に出演させてもらいました。
それぞれの回に、事件、エピソードの類はつきないのですが、特に私にとって転機となったのは、第4回の「ラプソディー イン ブルー」です。

ご存知の通り、ガーシュイン作曲の名曲中の名曲であります。
ジャズテイスト満載のこの曲で、モダン(コンテンポラリー)の振付で踊らせてもらったこの時をきっかけに、私の中で何かがはじけた気がしたのです。

作品の始まりは、コマならではの舞台機構を生かし、真ん中の芯盆を高くあげ、その側面にブルーの照明、それより少し低く上がった、周りの中盆に様々なポーズをとったダンサーが載ってシルエットで見えている。
そして、その中盆がくるくると回りだす・・・。
まるで、回り灯篭か、オルゴールのようで、それは素敵でした。
まぁ、踊っている私達には、後でビデオを見るまでは、どういう風に見えたかは判らなかったわけですが。

見る分には、“わぁ〜きれい”という感じなのですが、ポーズと言ってもオフバランスの入った不安定なポーズ。
しかも盆が、ガクンという衝撃とともに回りだすと、“グラグラ怪人”のお出ましです。
(足元が決まらず、グラグラしてしまう事をこう呼んでいました)
しかも、その不安定なオフバランスのポーズのまま、上体をコントラクション、リリースで動かすので、余計危険・・・。
ブルーの照明に、黒いシルエットになっているので、一人よろよろしたら台無し・・・。
結局、本番、私は、グラグラ怪人の魔力に対抗しようと、安全策として、上げていたかかとをそーっとおろしてしまいました。
インチキして、ごめんなさい、先生・・・。m(__)m

もうひとつ、この時とても勉強になったのは、先生の先輩の“Nさんのお兄さん”が、いっしょに参加して下さったことでした。

“Nさんのお兄さん”は、容姿も(お化粧はしていらっしゃいませんが)、性格も、芸能人で言えば、「美川憲一」さん似。
口は、手厳しいけれど、とても優しい方で、踊りは、女性陣の誰よりも、柔軟性に富んで、しかも色気があって(^_^;)、素晴らしいのでした。
普段から、その指には、幾つもの指輪、ネックレスやブレスレットとアクセサリーふんだんなのですが、(ここらへんも、美川さん似?)
「光り物はダメよ、お兄さん」
との先生の言葉にも負けず、衣装の目立たないところに、いつのまにかラインストーンがキラキラついていたりしました。(~_~;)

衣装は、ブルーのレオタードに、黒のチュチュの変形。
ダンサー各自の手作りです!
数あるコマの作品の中で、このラプソディの時の衣装作りが、一番大変でした。(@_@;)
しかも、こう見えて?小心者の私は、生地をもらって、作り方を聞いたとたん、衣装製作にとりかかる「すぐやる課」タイプ。
ところが、大抵真っ先に出来上がって、先生の目が通ると、変更等が入り、無残にも私の第1号作品は、お宮入りとなって消え去る運命にあるのです・・・。(何度かそういう目に・・・)(T_T)
そう!この時も、私はあの大変だったチュチュを2枚!縫ったのでした。
詳しい理由は、もう忘れたけど、私が、勘違いしていたか、それとも、先生の、
「やっぱり、こうつけないほうが、いいわね。」
かなんかの鶴の一声だった気がします。(涙)
続く




3月29日(月)  またまた、コマフェスティバルの事 5

この手作りの黒いチュチュ、共演して下さった“Nさんのお兄さん”は、
「一回、着させて〜」
と嬉しそうに?!に、着てみて、満更でもない様子。
確かに、細身で、スタイルのよいお兄さんには、私達よりむしろ似合っているとも言えましたが・・・(汗)

さて、作品の中で、曲調が変わり、全員が袖にいったんはけた後、上下の袖幕から、私ともう一人の子が、顔を出してすぐ引っ込める、ちょっとコミカルタッチの部分がありました。
が、このもう一人の子というのが、言ってみれば、無機質な踊りをする子で、先生のそのニュアンスがなかなか伝わりません。
業を煮やした先生は、だからこんな感じよ、と見本を見せて下さいました。
それを、横で見ていた私は、思わず、
「うわぉ〜!!!」
コマのショーダンサーの真髄を見ましたね。
その顔の残し方、一瞬のはけの切れに感動し、かつ、
「な〜んだ、やってもいいのか!」
と羽をのばして、とことんイってしまいました。(~_~;)
しかし、あれは、かっこよかった・・・。

さて、どんどんリハは進み、あっという間にゲネ、場当たりです。
コマフェスというのは、先生にとっては、古巣への里帰り、同窓会状態らしく、ゲネや本番になると、私達の先生という役割から、ふわふわと抜け出していってしまいそうです。
出演者の子のお母様が、たくさん作ってきて下さった、おイナリさんを召し上がりながら、かなりリラックスしていらっしゃるご様子。
舞台上、あまりの移動の激しさに(3歩で、7メートルくらい)、決められた場所まで移動できない一人が、
「先生!位置まで行けません」
と悲鳴を上げているのに、すまして、
「うん、行って」
???っていうか〜〜!!!(@_@;)
スタッフさんもくすくす・・・。

何回目のコマフェスか忘れましたが、(回を重ねるに従い、私達もそんな事では動揺しなくなり)
やはり、ゲネの場当たりで、斜め一列になるところを、客席の先生に見てもらおうと、
「先生、斜めの列大丈夫ですか?」
と声をかけたのに、
「うん、合わせて」
(皆舞台の上にのっててわかんないから、聞いんとんのじゃ!)
と怒る人は、誰もいません。
「じゃ、非常口見て、それに合わせよっ!」
さっさと自立した、私達でした・・・。



3月30日(火)  コマフェスの次の日はジャズ協

コマフェス第4回の作品は、ラプソディー(狂想曲)というだけあって、曲の中盤のスローの部分以外は、狂ったような?!早い動きの連続、鬼のような体力勝負でした。

後に、小劇場風なステージで、モダンのライブをやった時にも、少人数に編成し直して、この作品をやったのですが、狭いからキツクないと思ったら、大間違い。
狭いところでの、切り替えしがツライ “卓球のようなキツさ”があったのでした。

本番は本当に楽しく踊れました。
もう、唇が乾いて閉じなくなるほど!笑っていたらしく本番中、私と顔が合った仲間の一人に、あとからずっとからかわれました。

作品のイメージについて、先生は、一言、
「みんな、音符になって!」
とおっしゃただけでしたが、
私は、たぶんそれは音を感じて踊れという事だと、解釈していたように思います。

モダンやコンテンポラリーだから、ジャズとは違って、ひたすら合わせて悪目立ちしちゃいけない、などとモダンを始めた頃は、考え違いをしていた自分が、大きく反対の方向に揺れて、(まぁ揺れすぎて、この作品に関しては、今見ると、かなりイッちゃってるけど)ものすごくラクになりました。
“Nさんのお兄さん”の人柄の温かさにも触れ、踊りのすばらしさにも触れて、とても収穫のあった舞台でありました。

そして、今思い出して、我ながら感心しているのは、何とこの時、コマフェスの次の日は、ジャズのスタジオの方の舞台、ジャ協(ジャズダンス協会)の舞台の本番だった・・・。

打ち上げにもちゃんと参加して、最終電車で、メルパルクホールの近くにとったホテルにチェックイン。
前日が、ゲネだったのに、コマフェス本番で出られず(ヒンシュク!)、ぶっつけ本番で、それでも、元気に踊っていました。
うーん、若いってすごい。
リハーサルも、平行していたはずなのに、どうやりくりしたのか全く記憶がありません。

しかも、その時ジャズでやった作品は、またもや、体力の限界にチャレンジの、“そって、そって、またそって・・・♪”の作品でした。

人間のエネルギーってすごいと思いますが・・・。
私は、若い頃は(今でもそういうところあるけれど)夢中になると周りが見えなくなるタイプで、周囲の方には、さぞご迷惑だったとあらためて、“若気の至り”を反省することしきり・・・でした。



3月31日(水)  引っ張れ〜、引っ張れ〜♪

このホームページに新しくできたPHOTOのコーナーをもうごらんになって頂けましたか?
まだの方は、ぜひ、まずは、見てみて下さい。
過去の私の舞台の写真を選んでアップさせて頂いているのですが、今日はそのうちの1枚、男性と二人で、ブルーの総タイツで踊っている作品のエピソードなどを、書こうと思います。

これは、私が所属していたジャズのスタジオの公演の写真です。
一見して、想像がつくように、思い切りモダンダンス風な作品でした。
だいたい、わたしは、モダンダンスを習う前から、なぜか、モダン風な作品につかわれることが多く、そういったものに苦手意識があった私が、
「これでは、いけない」
とモダンダンスを習いはじめると、なおさら?!そういった作品には、かかさず?出していただけるようになっていました。

この写真は、私の登場するところ、この形のまま、上手袖より、男性に引っ張られて出てくる所の写真です。

が、それには、並大抵ならぬ苦労があったのです・・・。

片手一本で、引っ張られて、雲の上をすべるように登場というのが、先生の意図だと思うのですが、ためしにやってみてもらえばすぐわかるけど、そんなに簡単にすべるわけではないのです。(>_<)
私のポーズは、左の腿というか、お尻一点を支点に、上げた足と倒れた上体を、脇とコントラクションのひっぱりで支えています。
上体の力をぬいたら、当然コロンと上体の方に、倒れる。
力のバランスとしては、持たれている手の方には、なかなか行きたくないわけで・・・。
(逆方向に進むなら、まだスムーズなんだけど、そこは振付だしね・・・)

つまり、これを引っ張るには、かなりの抵抗があるし、何しろリノリウムの床との摩擦がすごい!
あ・・・あつい・・・のです!(@_@;)

一方、引っ張る方も、それは大変で、身長差もある上に、(私は床の上なので)、上げている手も、かなり低い位置にある。
つまり、中腰で、しかも片手をのばしたまま、後ろ向きで、進む。
おまけに、私の上げている足が、引っ張っている男性のすね(弁慶の泣き所付近)に、時折ごつんごつんとあたってしまう!
うっ!痛いでしょうに・・・。

こんな状態で、シアターアプルの舞台のセンターまで、約7メートルくらい進まねばならない。
もちろん、曲のカウントもあるので、決まった音までに、何が何でもたどりつかなければならないのです。

私は、祈るような気持ちで、お尻と腿に、少しでもすべるようにと、ベビーパウダーをはたき(効果のほどはわかりませんが)、男性に、神妙に手をさしだし、お任せしたのでありました。

結果?
3回公演でしたが、3回とも無事にほぼセンターまで、なんとかたどりつけました。(ホッ・・・(~_~;))
この写真を見ると、その苦労、そして、引っ張ってくれた男性、Sちゃんへの感謝の念でいっぱいになる私でした。



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