YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2004年11月


11月1日(月)  好きな曲

唐突なのですが、“キューピーのパスタソース、たらこ”のCMをご存知でしょうか?
キューピーのキャラクターが、ざっ、ざっと行進してくる。
そのバックに流れる、
「たらこ〜、たらこ〜、」というCMソングに参ってしまいました。
独特な、半音を生かしたメロディーで、一度聞いたとたん、“うわっ!”と一目惚れならぬ、一聞き惚れです。
しかし、結構複雑なメロディーで、すぐ歌えて覚えるという感じでもない。
キューピーのお人形が、隊列を組んで、行進してくる様もカワイイのですが、何しろ、“たらこ”の歌です。
あまりに、気に入ったので、着メロなどを探しているのですが、みつからない。(-_-)
それで、キューピーの会社のホームページまで行って、CMの所で、もう一度聞くことができましたが、やはり好きだった。(*^_^*)
(着メロ、欲しい〜(T_T)

好きな曲と言えば、映画、インディージョーンズの、レイダース、失われた聖櫃のテーマ、レイダースマーチも好きです。
元気が出る、というか、(まぁ、マーチですから当たり前なんだけど)頑張ろう、っていう気になるので、私の携帯の目覚ましアラームの音にしています。

好きな曲と言っても、ちゃんとした楽曲だと、万が一にでも振付なんか考えちゃって、疲れるといけないので?普段オフには、ほとんど音楽を聴かない私で、BGMとかもなるべく聞きたくない私です。
が、この間、治療院でマッサージ中に、クラッシックがかかっていて、それが幼い頃私が眠れない時に、いつもかけてもらっていた、シューベルトの「ます」。
久しぶりにじっくり聞いてしまいました。
自分にとっては、ある意味、原点に近い曲で、懐かしさと共に、当時の、眠れないという不安と何となくじれったい気分や、だんだんほわんとしてくる感じが、ふわーんと戻ってきて不思議でした。

クラッシックでも、どちらかと言えば、ドラマティックな曲、ロマン派の曲などが好きな私ですが、最近、その治療院で、昔はあんまり好きじゃなくて、いやいや練習していたモーッァルトのピアノソナタなどを聴かされて、“悪くないなぁー”などと思ったりして、自分でもちょっと意外でした。
年とって、落ち着いてきたのかなぁ〜・・・?
今度、時間のある時、ゆっくり聞いてみよっかな・・・。(母にはナイショで・・・)



11月2日(火)  打ち上げ

舞台と言えば、“打ち上げ”、打ち上げと言えば、オール(オールナイト)、始発帰り、というのが結構当たり前だった昔の私・・・。
今は、とっても徹夜は無理・・・。
たとえ、徹夜できたとしても、その余波が数日続いてしまう。
昔は、徹夜明けで、朝からレッスンとか平気だったのに、年はとりたくないもんです・・・。(-"-)

朝まで何してるか、と言えば、もちろんお酒飲める人は、お酒飲んでいるんだろうけど、私のような下戸は、ひたすらジュースやお茶で過ごし、話しをしているわけです。
しかし、お酒をちゃんと飲んでる人は、当然ながらだんだん酔いも回り、くどくなったり、やたらテンション高くなったり、愚痴っぽくなったり、説教おやじみたいになったり、感情的になって泣いちゃったり、あげくのはてにふと見ると寝てたりする・・。
寝てるならほっとこう、としばらくするといつのまにか復活して、パクパク食べてたり・・・。
シラフで、よくつきあえるね、とか言われたけど、そのうち慣れっこです。(~o~)

お芝居の人なんかも、お酒飲んで朝まで芝居論を戦わす、というイメージがありますが、昔は、私も、よく真剣に“踊りとは?”とか、“表現とは?”みたいな事を仲間同士熱く?!語り合っていました。
打ち上げじゃなくても、しょっちゅうそういう機会はあったのですが、特に舞台後の“時間無制限?”の語り合いでは、お酒も入ってか、思いっきりのその人の、人となり、踊りに関する考え方、本音が聞けて楽しかった気がします。
考えてみると、結構、真面目な話して飲んでた(私はお茶を)気がする・・・。
その頃私は、自分が舞台を創るなんて全く思っていなかったし、年上に囲まれて、生意気な意見?!を意気揚々と語るある意味、“大人こども”だったけれど、私にとっては必要な季節だったのだと思います。

明日は文化祭本番。
本番後の打ち上げもあります。
舞台のある種、“非日常”を思い切り楽しみ、皆さんにとっての“明日へのエネルギー”になる、また、踊りの上でも、次の舞台へ向かってレッスンに励むためのステップになる、素適な舞台、そして打ち上げになることを、願っています。
グッド・ラック!!(^^♪



11月4日(木)  舞台中毒

昨日の舞台、何事もなく、無事終わってよかったですね・・・!!(*^_^*)
打ち上げで、皆の話しを聞いた限りでは、個人個人、細かな失敗はあったにせよ(^^ゞ、本番のテンションアップで、す べて?!カバーし、なかなかよい出来ではないかと、思っています。
お疲れ様でした!

舞台は魔物で、一度魅力にとりつかれると、あの興奮をもう一度?という具合で中毒?!になります。
人前で、いつもの自分の実力をすべて披露するのは、なかなか難しいけれど、逆にいつも自分では出せない何か別のも のが、つかめたりするので、皆にもどんどん魅力にとりつかれていって欲しいな・・・。

さて、本番では実は、舞台に乗る皆さんと同じように、乗ってもらっている私も緊張します。
最近こそ、まな板の鯉という心境になれますが、う〜んと若い頃?教え始めて最初の発表会なんかは、もう心臓がばく ばくでした。
本番前の、舞台での場当たりでは、(そういえば、文化祭はぶっつけ本番なので、リハの場当たりとかなくて残念)客 席で、がなりマイク(ハンドマイクの事)を持たされて、
「先生、どうぞ」とか言われて、
完璧に舞い上がり・・・。
それでも頑張って、ポーカーフェイスで、
「じゃ、場当たり始めますから、皆さん最初の位置へ」とか、始めたまではよかったけれど、
舞台見ながら、位置を直しているうちに、足元を全く見ないで移動していて、客席の椅子と、段差のある前列の椅子の 間にある隙間に、落っこちて、足がはさまり、
「ハイ○○さん、もう少し上手へ、ギャーッ痛っ!○△××」
とマイクを持ったまま、絶叫し、スタッフさん一同を固まらせた!?経験もありました。ヒヤヒヤ・・・(~_~;)。

昨日の舞台では、公演にも2回参加してくれたスタジオOGが、何年かぶりに顔を出してくれてとても嬉しかった。
客席から、一緒に汗と涙?を流してきた仲間の晴れ姿を見るというのは、なかなか複雑で、感動したと言ってちょっと 涙ぐんでいる彼女の気持ちはよくわかる気がしました。
舞台上の人は、やはり輝いていて、そんな輝きが誇らしくもあり、ちょっぴりうらやましくもあり・・・。
私も、舞台特有の、ドーランとか、スモークとかのにおいや、舞台裏や袖の、カビやほこりのまじったにおいを嗅ぐた びに、舞台中毒の虫が騒ぎ出します。
やっぱり、舞台はいいもんですね。(*^_^*)



11月6日(土)  “雨の本厚木”

文化の日であった3日前後というのは、だいたいどこの市でも、文化祭、芸術祭のようなものが催されていたと思いま す。
実は、一昨日、3日に引き続き、知人の参加する文化祭を見に行ってきました。
(ジャンルは、日舞系の民謡舞踊、新舞踊中心の会で、ぐっと年齢層も上がり、なかなか楽しかったです)
最近、スタジオで流行っている?(流行らせている?)“眼力”(メジカラとお読み下さい)が、重要なのは、何のジ ャンルでもいっしょで、先生レベルの方の踊る日舞では、視線のつながり、止め方、が動きの間合いと連動していて、 門外漢の私をしても、“うまい!”とうならせるものがありました。
要は、素の部分がない、細部にわたるまで、スキのない眼力、それは何も正面切って、顔を売ることだけではなくて、 たとえ目をふせていても、見られている意識がちゃんとあって、次の目線につながっているということです。
日舞の場合、むしろ正面切って見得を切るというのは少なく、こころもち目をふせ、どこを見ているのかわからないよ うな視線がふっと次の視線に移ったりすることで、間が感じられたりするので、余計意識のある人、上手い人、派手な 魅せ方をする人、渋い魅せ方をする人などがわかって、楽しかった・・・。

さて、ウチの参加した文化祭も、いろんなジャンルがあり、ウチの前は、懐メロ系演歌合唱、その前は、“雨の本厚木 ”!!
のソロ(消防士か、アルミ箔のような?銀の着物のご婦人が、演歌に合わせて踊るもの) 、その他バレエがあったり、(そのバレエの先生は、私の母と同い年ですが、それは素晴らしいパワフルな方です。) 、子供からシルバーまで、様々な出し物が繰り広げられていました。

私達のスタジオの踊りを観に来てくださった方の中には、ウチの踊りの世界にどっぷりつかって見たかったと、言って 下さった方もいたそうですが、10分という枠の中、無料で舞台に立たせてもらう機会ですから、まぁ贅沢はいうまい 。
前向きに考えれば、ジャズダンスなんて見た事もないという方に、踊りを見てもらえるかもしれないチャンスなわけで す。
ただ、仕方ないのかもしれないけれど、作品の上演中に、平気で人の前を横切って、出入りしてしまうマナーのない方 が山ほどいて、できれば、もっと客席を暗くするとか、ドアの前に係りの人を配置してくれるとかして、落ち着いて舞 台を見られるようにしてもらえるといいのになぁ〜。

どうでもいいことですが・・・“雨の本厚木”なんて曲、よく見つけたねぇ〜。
それとも、歌っている人と知り合いとか・・・?
ちなみに、銀のギラギラの着物が出てきたとたん、私はつい、「うわーっ!!」と一言もらしてしまったのですが、私 の隣の席のおじさまが、必死でビデオを撮っている身内の方らしく、やはり見るマナーは重要、といたく反省致しまし た。m(__)m



11月8日(月)  母の演奏会

6日は、私の母が指導する合唱団の演奏会でした。
つまり、我が家では、3日が私の方の発表会、6日が母と、親子してイベントづいていた週でした。

合唱団と言っても、もともとは、母が卒業した公立中学の音楽の先生を囲んで発足した、OG,OBの集まる混声合唱が母体、その後急逝されたその先生の後を継いで、母が指導に携わるようになったらしい。
同級生、先輩、後輩のおじさん、おばさんが集まって、練習した後、それが楽しみという人もいるらしい飲み会へ、というアットホームな合唱団が、立派な会場を借りて、自分達だけの演奏会を開いたわけだから、そりゃ、指導の母の重責は如何ばかり・・・(T_T)といった有様でありましょう。
踊りの群舞より、なお、お互いの和を必要とする、“そろってナンボ”の合唱において、何名かの“困ったちゃん”もいて、練習するといっても、なかなか時間がとれず、母のストレスはどうやらピークに達していたようです。
う〜ん・・。気持ちはわかる・・・。

人をまとめて、引っ張っていくというのは、なかなか苦労があったりするわけです・・・。(^^ゞ
私と違って、何でも自分でやりたい方?の母は、(母に言わせるとそうじゃないけど、任せられない、そうですが)もちろん指導、指揮、ピアノ伴奏から始まって、プログラム作成から、案内状のハガキ作成、当日のスケジュールまですべてしきり・・・そりゃくたびれるわなぁ〜。
まぁ、自分達の公演となれば、雑務の苦手な私もそういったものを抱え、青息吐息になるわけだから、状況はわかる。

しかも、ピアノ伴奏しながら、指揮って、どういう事かと思ったら、顔の表情、アゴや首を駆使して、弾きながら、皆を引っ張るそうで、そのために、どうやら首を痛めたらしく(首の振りすぎ?)・・・。
しかも、そんなに苦労して指揮しているのに、楽譜から目が離せず、見ちゃいない人もいるそうで、
「暗譜しろって言えば?」と私が言ったら、
「言ってるわよ〜、でもダメなんだもん」
「じゃ、楽譜取り上げちゃえば?」
「そうもいかないのよ〜」
どうやら、母の方が、少し優しい先生のようで・・・?

演奏会前日は、いきなり私の部屋に、衣装の黒いロングスカートをはいて入ってきて、(あーびっくりした・・・)
「お腹出て見えない?」とか聞いてるし・・・。(~_~;)
当日の朝は、いきなり後ろをくるっと向いて、「ピアノ弾いていて後ろが見えるから、後ろのヘアースタイル、大丈夫?」
私は仕事で観に行けなかったのですが、会が終わって、疲れで寝込まない事を祈る私であります。
(母は、年取ると、疲れがすぐに出ないで、3日後!くらいに出るから・・・と言ってたから・・・)

やれやれ・・・。



11月9日(火)  右向け〜右!

皆様に遅れをとらず、私も風邪をひきました・・・。(-_-;)
昨日から、鼻水、喉ともに明らかに風邪の症状を呈しております。
風邪には、休養、ということで今日は早く寝させていただきます。
本日の営業は終了致しました、またのご来店をお待ちしております。m(__)m



11月10日(水)  “白鳥のカード”

どうも、まだ風邪です・・・。やれやれ・・・。(-_-;)

さて、今日は占いの話。
昔の仲間に、いわゆる霊感の強いタイプというか、様々な占いなどが出来て、オーラが見れたりする人がいました。
彼女のその時の興味で、手段は変わるのですが、特殊なカードの占いや、ルーンという石の占いや、いろいろなものが出来たようです。
ひかえめで、大人の人だったので、自分から言いふらしたりしないのですが、私も、動物のカードの占いをやってもらったのを、覚えています。
一時期、流行った、コアラとか(ちなみに、私はコアラなのですが・・・)、ペガサスとかのあれではなく、由緒ありげなムードのある?カードによるものでした。
私の友人の一人は、「あなたは、ビーバー」と言われていて、「家族や仲間をとても大切にする人。」「そういう身内をまとめ上げて、ついにはダムを作るけれど、よそものには厳しい。」ということだったような気がします。
本人がナットクしていたかはわかりませんが、友人一同は、何となくうなづけるものがあったような気がします。
もう一人の友人は、「あなたは、狼」と言われて、「周りのだれよりも先に歩いて、ここまで大丈夫だよ、という感じで人を引っ張る」とかだったような気がします。

さて、私。
「白鳥」で、「よく言えば繊細、人の気分や感情に敏感」だそうで、「できれば、それを保身のためではなく、人のためになるような仕事に使えるといいと思う」といった感じのことを言われました。
その頃、まだフリーターで、踊りをやっていた私。
先生のダメ出しに、一喜一憂し、年がら年中、踊りだけで頭がいっぱい、しょっちゅう、落ち込んでは泣いてばかりいて、将来、人に教えたり、スタジオを持ったりするとは全く思ってはいませんでした。
その占い結果も、“ふーん”という感じだったのですが、今になって、もしかしたら、何となく的を得たアドバイス、占いだったのかも・・・と思ったりしています。
自分の性格を思うと、昔から、少人数と深くつきあうタイプで、稽古場を持った今も、どうも一人ひとりへの思い入れが強すぎて、“来るもの拒まず、去るもの追わず”という稽古場の鉄則?を貫くにも、ウエットすぎたりしてしまうのですが、広い間口で、新しい仲間をどんどん迎え入れる度量を持って、なおかつ、自分の特性として、一人ひとりの個性を大切にしていけるように、努力していけたらな。。。と思っています。

たぶん、あの動物占いのカードも、その結果を分析してくれた彼女の、私への人間観察、メッセージが重要で、(たぶんどんな占いも、それを説明してくれる占い者の個性によるように)周りの状況や、他者の気持ちを考えることなく、自分中心に傷ついていた若き日の私を、何となく諌めてくれたのかな・・・。



11月11日(木)  “舞台で伸びる”

先日、母の演奏会の話を書いたけれど、その会を観にきてくれた人が、“百の練習より一つの舞台で伸びる”から、や はり演奏会を開いてよかったじゃない、と言ってくれたとの事・・・。(^.^)(よかった、よかった・・・)
それは一理ある、と私も思います。
人前に立つ、人前に立つために作品を集中して稽古して自分のものにする、という事は、実は日頃のレッスンだけでは 得られない様々な効果?があるわけで、それは、結局、踊りも歌もいっしょですね。

ウチのスタジオが、厚木の文化祭に出演するようになったのは、去年からで、ごく最近の事です。
で、その前は、どんな舞台をやっていたかと言えば、(自分達だけの舞台、スタジオ公演を開くに至るまで、またその 間の期間は)今回も参加させてもらうヤンコミや、発表会として、私のもとの師匠が、住んでいた、東京の板橋区の舞 台に出させてもらっていました。
板橋区は、なかなか文化に力を入れていて、年に二回、そういった地域のサークルのための舞台があって、最初は師匠 から引き継いだ東京のクラスとの合同、その後は厚木クラスのみで、年に二回、はるばる厚木から板橋まで出かけて、 舞台にのせてもらっていました。

最初の頃、厚木から、遠征?する中には、途中で電車を間違って急行に乗ってしまって迷子?になる人もいたりして、 それはてんやわんやの大騒ぎ・・・。
最初、急に辞められた師匠の後を、引き継いで、もと仲間の人達と、始めて自分の厚木クラスを引き連れて、板橋の舞 台に乗った時は、私自身、かなり舞い上がっていて、腕時計をしたまま、衣装を着て、踊ってしまったりしました。 (~_~;)
その後、何年にもわたり、お世話になった舞台でしたが、やはり遠い・・・というのと、もともとは板橋区のサークル のための舞台ですから、手続きも面倒で、そのうちに、足が遠のきました。
しかし、舞台経験がなかったその頃の厚木クラスメンバーが、見る見るうちに、魅せるということを覚え、何よりも欲 が出てきたのは、やはり舞台のお陰だと思います。
昨年からの、厚木の文化祭では、地元ということもあって、観にきてくださる方も誘い易いし、経験の浅いメンバーの 中にも、もっと上手くなりたい、という欲が出てきたり、自然に自分の殻が向けて、ただ振りをこなすという世界から 、自分を表現するという楽しさに目覚めてきたのが、私としてはとても嬉しく、内心“しめた!(^.^)”と思っています 。

数多くの舞台に乗るうちに、自分の出せるもの、出したいもの、足りないもの、どう見えるのか、などが自然にわかる ようになってきて、そのためにレッスンが必要なことが、実感できると思います。
そして、もっと踊りたくなってくる。
“舞台でのびる”というのは、そういう意味もあるのかな・・・と私は思います。(*^_^*)



11月12日(金)  原点〜純粋な踊りへの気持ち

この前の文化祭のビデオを見てたら、つい古いビデオが見たくなって、第一回公演のビデオなんかを見てしまいました・・・。

1997年の10月だから、もう何年前かな・・・。
その頃から、スタジオで踊っているメンバーも何名かいるけれど、みんな若いねぇ!!(自分の事は、棚に上げて・・・?!)
踊りも、若いし、つたない部分もいっぱいあるけれど、情熱に満ちて、思わず微笑ましくて楽しくなってしまいました。

今見ると、自分の振付も、まさに若い!という感じ。
構成や、その他、細かい部分にあれれ・・・(-_-;)という部分は、いっぱいあって、決して上手い振付ではないのだけれど、初めての公演として、それまで自分の中にためて来たすべてを吐き出したという感じがあって、イメージや、振りの勢いに、熱いものがあった気がします。

踊り手も作り手も、一言で言えば、荒削りという感はあるけれど、
久しぶりに見ると、“なんか、感動!!”という感じでした。(自己陶酔〜(~_~;)
テクニック的に難しい振りも、役になりきって、気持ちでみせる芝居の部分も、がむしゃらではあるけれど、とにかく“私を見て〜”という声が聞こえてくるよう・・・。

それから何年もたった今、続けているメンバーは、見違えるように達者になったと思います。
キャリアを積んで、自分の中の情熱を、ソフィスティケイトされた形で、あらがなく、魅せることもできるようになった気がして、感心しました。
私にしても、たぶん、大人数を動かしたり、作品の内容を伝えるための構成や、踊り手のあらや、欠点を上手くフォローし、上手に見せることは、少しは覚えたと思います。
ただ、自分の原点とも言える、一回めの公演の時の熱さ、と純粋な踊りへの気持ちをあらためて見て、忘れてはいけないなと自戒しました。

未熟な私に長い事ついて来てくれたメンバーへの感謝とともに、今現在、私を囲んでくれているメンバーの、踊りへの情熱をもっともっと引き出して、引っ張っていけるように、もっともっとパワーアップして前進していければ・・・と思っています。
たまに、古いビデオを見るのも、いいもんですねー!(*^_^*)



11月13日(土)  ネバーギブアップ!

明日は、ヤンコミの舞台。
昨日、照明あわせで、舞台に立った出演メンバーですが、如何でしたか?
(都合で来られなかった人もいましたが)
ヤンコミの舞台は、板ばりのままで、すべるし、決して広いとは言えないし、客席はすぐそばで、なかなか踊り辛い・・・。
けれど客席が近い分、お客様の反応、エネルギーも伝わり易く、勉強になると思います。

エンターテイナーとしてのあり方を語れば・・・。
ライブのような客席と近い舞台では、大きなホールとは一味違った空間把握、客席のつかみ方がある。
つまり、大舞台のお芝居をそのまま小さな芝居小屋で、同じ強さ、テンション、方法でやると見ている方は、引いてしまう事もある。
たぶんその場所にあった凝縮された表現や、引き込み方、心地よさ、があるのだと思います。

経験の浅いメンバーは、とにかくは精一杯踊ること。
踊りに対する、情熱と真摯さが伝われば、ヤンコミの舞台では、きっとお客様も感動して下さると思います。

何しろ、今回の二つの舞台では、皆さんのやる気とパワーにいろいろな元気をもらった気がします。

文化祭のリハーサルの時もそうでしたが、昨日の照明合わせにも、文化祭は参加したけれど、ヤンコミは出られなかったMさんが、手作りのケーキを持って応援に来てくれました。
(おいしかった、ご馳走様です。)
メンバー同士の信頼感や、暖かい応援の気持ちも、とてもうれしかった!


「やる気!」、と言えば・・・。
何と、今朝も、今回自主練、自己練に燃えているSさんは、一人でレッスン前に曲をかけて隠れ?自主練。
本番を一つ終え、次の本番を明日にひかえて、なお前向きな一人稽古に、“見ないから・・・”と言っていた私も、つい横目で見ては、最終ダメ出し。
Sさんとしては、今初めて理解した真実?!もあったらしく、
“しかし、これが明日できるかな?”
と、心もち不安そうでしたが、たとえ、明日はできなくても、次につなげれば、いいのさ!!(*^_^*)
Sさんのパワーに刺激され?、私も最後まであきらめることなく、いつのまにか、最古参メンバーの一人となった、Mにこれまた最終確認の、メール。

本番では、作品はもう私の手を離れ、各自がその人なりの踊りをして、輝いてくれれば、それで大満足です。

楽しみにしています!!



11月14日(日)  お疲れ様でした!

今日は、ヤンコミの本番。
先日の文化祭に続いての舞台、出演者の皆さん、本当にお疲れ様でした!!
皆の気持ちが一つになったいいステージになったと思います。(お客様が、もう少し入るともっとよかったけど・・・(>_<))
思うように踊れた人(^.^)も、今一つ(T_T)だった人も、新たな気持ちで、また次の舞台に向けていっしょにレッスンしていきましょう!
人間の可能性は、無限です!
大切な生徒の皆さん一人ひとりに、エールと愛を送ります!!



11月15日(月)  “嫌われものの生き物展”

この前、朝のTVでやっていたのですが、荒川の生物館で、“嫌われものの生き物展”というのをやっているそうです。
嫌われもの、第一位は、ゴキブリ!!
以下へびや、カエル、芋虫など、苦手とする人が多い生き物を、まとめて展示して、子供達などに触れ合ってもらい! !(-_-;)生き物の大切さを理解してもらうという催しらしい。
ゴキブリは、製薬会社の研究室からまとめてゆずってもらったものを、ガラスケースで飼育!!
ケースの掃除の際などに、すばしっこく逃げるものを、職員が苦労して、素手でつかまえてもどす様などが映っていて 、かなりショッキングな映像!!
見学に来た小学生などが、へび(毒のない青大将)を首に巻いてもらったり、(-_-;)、芋虫をさわったり、カエルを手 に乗せたりして、騒いでいました。

職員の話しによれば、ゴキブリ自体は、大変キレイ好きな虫で、年中身づくろいをしていて、“みんなのお部屋の方が 汚いかもよ〜”という事でしたが、どうも“不潔”、“不気味”というイメージはどうしようもない・・・。
人間の勝手な都合で、悪さもしないのに、嫌われて、かわいそうな生き物と触れ合ってもらうことで、生き物の命の大 切さを理解してもらう、という主旨は、非常にわかるのですが、私自身も、ゴキブリ、へび、芋虫、カエル・・とくる と、やはりちょっとカンベンです。
ゴキブリなんかは、人間の方が、何倍も大きいんだし、刺すわけじゃないし、毒もないし、よく考えれば、何の問題も ない気もするけれど、やはりなるべくなら遭遇したくない。
あの、異常なまでのすばしこさ、そして、不意に飛んだり、脂ぎった外側の様子や、色、すべてが、みんなに嫌われる 。
外にいてくれればまだしも、家の中などを、我が物顔で、通行するのに出あったりしたらやはり、“うわーっ出た!! “となるのは、仕方ないかも・・・。
(考えてみれば、カブトムシなんかと、そんなに見た目変わるわけじゃないのにねぇー)
中には、アトラクションとして、ゴキブリの気持ちを味わおう!ということで、大きな“ゴキブリホイホイ”に子供が もぐって遊ぶシーンもあり、ちょっとそれはどうなの?といった感じではありました・・・。
(そんなもの、味わってどうするの?)

私の叔母(母のいとこ)は、専門が生物学の学者で、その後、鍼灸を勉強して鍼灸師になった変わり種ですが、ゴキブ リなんか屁でもないらしく、昔、“殺虫剤なんかより、プリンのカップをパッとかぶせて熱湯をかければ、すぐ死ぬわ よ”とか言っていて、かなりぞっとしました。

長いもの、へび、ミミズ、ムカデ、そして芋虫も、どうもカンベンです。
我が家の裏は、“まむしに注意!”という看板が立つ秘境?の細道がまだあるのですが、最近は、まむしはもちろん小 さなへびにも遭遇しなくなりました。
やはり、自然がちょっとずつ失われているのでしょうか。


そう考えると、さみしいし、確かに意味なく嫌われる生き物にも同情はしますが、やはり、私はあの展示会には絶対に 行きたくありません!!(~_~;)



11月16日(火)  “誉めてもらったよ〜!”

バレエのクラスでいつもごいっしょしている、バレエを教えていらっしゃるY先生。
(前にダイアリィにも登場した、パワフル印の、あのY先生です)
先生は、偶然にも、厚木でもクラスを持っていらっしゃって、先日の文化祭にも生徒さんを出していらっしゃいました 。
順番の関係で、私は、残念ながら先生の生徒さんの作品は見られなかったのですが、Y先生はわざわざ会場に残って、う ちの発表を見てくださったのです。
そして・・・。今日、久しぶりにお会いしたら、開口一番、
「この前、すごくよかったわよ。」と言って下さいました。
「何よりも、皆、踊っていてすごく楽しそうで、踊りはこんなに楽しいから、さぁ皆さんいっしょに踊りましょうよ、 と言われている気がしたわ。残って見た甲斐があったわ!」
おぉ!!(T_T)
それこそ、私が皆さんに、要求した事、日頃から目指している事、そのものではありませんか!!
そんな風に伝わった、という方が一人でもいらっしゃた事、そう言って貰った事がとても、とてもうれしかったです。
やったね、皆!!(^_^)v
それから、先生は、
「やっぱり、踊りは楽しくなきゃダメよ!でも、皆若くて、将来楽しみじゃない」
と言って下さいましたよ。再び(^_^)v!ちょっとだけ、(~_~;)!
舞台で、皆の力が結集し、一人でも、そんな風に思って下さったことに感動です。

掲示板で、ヤンコミの舞台監督をやって下さった小瀬村さんも、ステキな感想を寄せて下さいました。(まだの方、読 んでみて!)
これで、また、元気倍増、一歩づつ、より多くの感動と共感を発信できるように、頑張っていこうね!!(*^_^*)



11月17日(水)  “○○子の部屋”

一昨日のダイアリィーにちょっと出てきた、生物学者から、鍼灸師になった私の叔母。
中年も過ぎて、いきなり専門分野から180度転換し、(・・・といっても彼女の父親は、西洋医学の医者だったので全くの突然変異というわけではないけど)鍼灸の免許をとったのです。
東洋医学のツボとかって、素人が図を見たって、もう複雑、面倒そうな名前ばかりで、あんなの全部暗記しただけでもすごい!と思ってしまいます。
しかも、脳の活性化している若者に混じって、勉強したエネルギーはすごい。
晴れて、鍼灸のプロとなって、まず、叔母は、自宅にプライベートな、知人中心の治療院を開きました。
私が、ちょうど、引きこもりであちこち、体も具合の悪い時で、しばらく治療に通っていました。
自宅の玄関に、うれしそう?に掲げた小さな看板は、「○○子の部屋」!!
“徹子の部屋”じゃないんだから、やめようよ・・・と心の中でつっこんでいた私ですが、まぁ喜んでいるもの、口に出しては、言えないですよね・・・。

一風変わっているのですが、とても優しい叔母は、丁寧に一つ一つのツボにお灸や針をしてくれました。
その合間、ふと壁際の戸棚を見ると、何だか人間の頭蓋骨、もろドクロが飾ってあるではありませんか!!
“なに、これ!!”と聞くと、
それは、嬉しそうに、“本物なのよ〜それ。誕生日のプレゼントにおじちゃまから(彼女の夫君)買ってもらったの。ドイツの囚人のだって。”
ひえぇ〜!!

しばらくその“○○子の部屋”は破格に安い、知人値段と、丁寧な治療で大繁盛していたのですが、叔母が大学病院のペインクリニック科で働くようになり、閉じたそうです。
現在は、何しろ、私の母より大分年上の高齢もあり、それも引退したそうですが、少女のようなところのある不思議な魅力は相変わらずです。

私も、引きこもりから立ち直り、踊りに進み、元気に、そして忙しくなり、しばらくご無沙汰しているのですが、私の踊りの会などには夫妻で顔を見せてくれたりしています。(*^_^*)



11月18日(木)  “女性専用車両”

電車によって、また時間帯によって(終電近くが多いのかな?!)“女性専用車両”というのがあるそうですが、皆さんの中に、乗った事がある方はいらっしゃいますか?
私の友達で、乗ったことのあるという人の話しだと、それは、スゴイ事になってるらしい・・・。

まず、とても混んでいて、なおかつ、とてつもなく、騒がしい。
女3人寄れば・・・じゃないけれど、おしゃべり、おしゃべり、笑い、とそれはそれはうるさかったそうです。
そして、化粧を直す人もあり、座り方まで、足を開いて、口を開いて寝ていたり、だらしない人が多かったのこと・・・。
彼女によれば、男性がいないと、こうも変わるのか、という位だったそう・・・。
結局、あまりの騒がしさに耐えられず、その彼女は、普通の車両に移ったそうです。
いわゆる、“女子校”ノリなのでしょうか?(私も女子校だったけれど、ウチの学校は、躾、風紀にそれはうるさかったからね・・・)
結論としては、“異性の目って重要ね!?”ということだったのですが、考えてみると、男性ばかりの車両を作ったとしても、果たして男性は、普段とそこまで変わるのか?ということで、なんか私も女性ではありますが、そういう女ってちょっと情けない気もする。
よっぽど、普段、無理しているのかなぁ。

だいたい、何故、女性専用車両か?と言えば、痴漢に遭わない、とか酔っ払いのおじさんといっしょに乗りたくないという女性のニーズでしょうが、痴漢が発生しやすいのは、もっと混雑度の高い、通勤時間帯でしょうし、帰宅時間は、ある程度、ずらすことが可能で、酔っ払いが増える前に帰宅する事が出来る人も多いはず・・・。
朝の混雑時に、どうしても他人とくっつかなければならないなら、女性としては、まだ同じ女性の方がまし・・・という意見もあるので、朝に女性専用車両を作って欲しい、という意見もあるようです。

まぁ、それはさておき、私の職場は、女性だらけ。
異性の目のない世界であります。
外から見たら、或いは、一種独特な世界なのかもしれないけれど、踊りという目標に向かって、真摯に打ち込む姿には、男も女もなく、“人にどう思われる”というのもないかもしれない。
誰にどう思われる云々ではなく、自分の中の規範で、行動する、これがあれば、異性の目があろうとなかろうと、関係ないのじゃないかなと私は思うのですが・・・。(-。-)y-゜゜゜



11月19日(金)  クラシックバレエ

クラッシックバレエに詳しい方は、ご存知なのかもしれませんが、私は最近、Y先生から聞いて、“なるほど〜”と感心した事があります。

何の話しから、そうなったのか忘れましたが、
「クラッシックのいわゆる幕物の作品って、よ〜く考えるとストーリー的に変?なものがたくさんありますよね」
とつい、日頃の疑問を口にした私に、先生は、
「そうなのよね・・・。白鳥とか、くるみ割りとか、よく上演されるものは一応筋もちゃんとしていて、わかりやすいからまだいいんだけど、
例えば、よくバリエーションをやる海賊なんかは、本当は、ご主人様と奴隷、それぞれに彼女がいて、二組のカップルの話なんだけど・・・。」
「でも、よく男性が上半身裸で女性と踊るあれは、じゃぁどっちのカップルなんですか?」
「あれは、奴隷の男とご主人様の彼女なのよ」
「じゃあ不倫?」
「そうじゃなくて、本当は、〈ご主人・奴隷の男〉の2人と、〈ご主人の彼女〉の踊りなのよ。
それで、ただリフトの為だけに奴隷が出てくるっていうのが、本来のバージョンなんだけど、男性二人も出すとお金もかかるから、〈奴隷だけ〉になったりしてるのが多いのよねぇ。
でも、それも、筋的には変よね?!」
「なるほど・・・」

「ジゼルなんかは、よーく考えるとあの王子様は、単なる浮気者で、そんな男が許されて、実直なヒラリオンが呪い殺されちゃうのは、納得いかないわよねぇ」
「それは、私も思ってました!!」
(前のダイアリィーで、ラ・バヤデールについても、書きましたが・・・)

「演劇的に、感情を入れようと考えると、人間像的に厚みのないものもいっぱいあるわね」
「だから、マシュー・ボーンの現代的解釈のバレエがあんなに受けたのでしょうかね?」
「そうだわね」

その後も、さすがに博識なY先生に、いろいろな事を教わりました。
もちろん私も、様式美が第一のクラッシックにあって、ストーリーや、人物の厚みなんてそれほど重要ではないのかもしれない・・・とは思っていました。
が、そのバレエの創られた時代背景と言うのが多々あって、
コッペリアの二部なんかは、戦争で亡くなった出演予定者の追悼のために、付け足されたのだそうです。
必ずしも、現代的に考えると、納得いかない運びになっているものも多い、ということを教えていただいて、伝統的なクラッシックの作品の歴史の重みを感じたり、そうしたイマイチ納得いかないストーリでも、圧倒的な美や、表現力で、感動を呼ぶという、クラッシックのバレリーナ達の技量にあらためて、感心した私でありました・・・。(-。-)y-゜゜゜



11月20日(土)  舞台写真

先日のヤンコミの舞台写真を、Tがいっぱい撮ってくれて、昨日持ってきてくれました。
有難う!m(__)m
近々、ホームページにアップ予定!!
(参加者の方は、レッスンの時に見て注文して下さいね〜)

今回、私も、文化祭の時や、リハーサルを撮ってみて、あらためて思ったけれど、踊りの写真ってホントに難しいね〜 !
振付けた私だから、ポーズに決まる瞬間や、タイミングがわかっているはずなのに、間に合わない・・・。(~_~;)
前に、公演の時に頼んだプロの写真の方も、(普段は、バレエの写真などが多い、ということらしく)ジャズを撮るの は難しいってこぼしてました。
バレエは、何か技に入る前には、キッチリ、プレバレーション(準備)を見せるけれど、ジャズは、それを見せないで いきなり、決めるのが、カッコよかったりするからねぇ〜。
しかし、そこは、ジャズの踊りをわかっているTが撮ってくれたので、かなりいい写真がいっぱいあります。

実は、ビデオより写真の方が、コワいというか、勉強になる部分がたくさんある気がします。
ちょっとした瞬間の、意識が抜けている部分を、写真はむごくも?、捕らえるからです。
ビデオで流して見てしまうと、気にならない欠点を、克明にレンズは写しだしています。
また、そこは自分で意識が抜けている、としたら、ビデオで見ても、意識が抜けていて、気がつかずに行ってしまう、 という事もあります。
これは、技が決まる途中だから、変な格好でも仕方ない・・・なんて思っていても、実際にそんな瞬間があったことは 事実だったりするし・・・(おおコワ・・・(-_-;))、自分で見えない背中が“素”だったり、肩が気持ちよ〜く?上 がってしまっていたり・・・、どこ見ているのかわからない、ぼーっとした顔で映っていたり・・・。
やれやれ・・・。(~_~;)
瞬間、瞬間の連続が、踊りであり、稽古を重ね、キャリアを積むうちに、だんだんとそういった“封印”写真は少なく なってきます。(それでも、たまに、あちゃ〜というのもある・・・(^^ゞ)

しかし、同時に、あら、これが私?という位、解放された、いい顔で映っていたりする写真もあったりします。
やったじゃない!という、会心の出来の、瞬間もあったりします。
今回、みんなの写真を見て、実は私は人知れず?涙した位、みんながステキな表情をしていて、とても嬉しかったです 。
あー、この人、こんな表情ができるんだ・・・という、作品に入り込んだ顔、強い視線、憂いのある横顔・・・などな ど・・・。
二度とない瞬間、同じには二度と出来ない踊り・・・。
やっぱり、舞台はいいもんです。(*^_^*)



11月21日(日)  “食べる!”

よく、生徒の皆さんと打ち上げの席などや、いっしょにご飯を食べたりすると、
“先生って少食ですね〜”とか言われちゃったりするのですが、これは全く事実に反しています。
私は、実はかなりの早食い&むら食いなのです。
いざ、食べるとなったら、猛然とダッシュ?してぺろっと一人前以上を、平らげたりしています。
ただ、こう見えて、以外に小心者なのか、振付の前や、大勢の人に囲まれて話しながら・・・なんていう状況になると 、それほど食べられないので、そんな風に思われてしまうのかもしれません。
加えて、甘いもの好きの私なので、眠る寸前まで、お菓子を食べていたり、起きたとたんチョコレートに手をのばした り、健康志向の人なら卒倒しかねない有様でもあったりします。(~_~;)

しかし、本当の意味での、“大食い”の記録は、やはり思春期、高校生の頃にはかないません。
あの頃って、何であんなに食べられたんだろうねぇ〜・・・?
お弁当に、パン一斤分のサンドイッチを持っていって平らげたり、お弁当のすぐ後に、パンを食べたり、おやつにラー メン食べたり、そんなのがわりと普通でしたねぇ。
友達の中には、ぶりっ子お弁当箱?!に、きれいにカワイク詰まったお弁当を、ゆっくり食べている子とかもいたけれ ど、ちょっとそんなのをバカにしていた?硬派?の私でした。

踊りの仲間の中には、聞くだけで、ちょっと引いてしまうような、ものすごい“大食い”の記録を持っている人もいま した。
山形のイギリス食パン1・5斤分を、焼かずに(これが、たくさん食べるコツらしい)ムシャムシャ平らげた、とか、 レディーボーデンの1リットルのアイスクリームを、カレースプーンで完食した、とか、一番すごい人のは、炊飯ジャ ーに炊いた5合のお米を、ざばっと桶にあけて、ちらし寿司を作って、一人で全部食べた事がある、というものでした !!
しかも、そういう強者は、皆何故か、かなりスリムなのでした。
きっと燃費の悪い体なんだろうねぇ〜??

いずれにしても、大食いができるというのも、健康の印!?
よく食べて、よく動け!と言われるように、是非心も体も健康で、体を動かしていたいものです。ヽ(^o^)丿
(実は、今お腹がいっぱいです・・・(~_~;))



11月22日(月)  「鏡の破片」、「祈り」

文化祭で、久しぶりに古くからいるメンバーに、彼女達の若い頃(今でも若いけど・・・フン(-_-;)の踊りの話しなん かしていて、懐かしくなって、また、前回の公演のビデオとか見てしまいました。
第3回ともなれば、わりと最近(それでも2001年だから、何年前?)なので、特に発見もないかと思えば、そうで もない・・・。
間を置いて見ると、その時見えなった、いろんな点が見えてきます。
まずは、自分の踊り!(ゴメンね、私もダンサーなので・・・)
何でこうかな〜?!(-"-)と我ながら、腹立たしい点も多々あり、やはり一生、勉強です。
作品についても、間を置くと、妙に新鮮で、他人事のように、“この曲はおもしろい”とか、“ここは、こうしてもよ かったな・・”とか、いろいろ思う。
(やってる最中は、夢中だし、最善と思っているからね・・・。)

加えて、第3回の、二部の「鏡の破片」。(見てくれた方、参加者はご存知と思いますが、原作はアンデルセンの「雪 の女王」です。もちろん、例によって、全く改作版ですが)
その頃、私の中にあった、引きこもり、家庭内暴力などの、荒れている青少年への不安が、まるで、悪魔の鏡の破片が 、突き刺さったために、急変してしまった“カイ少年”にピッタリとリンクして、ふくらんでいった作品でした。
現実には、側にいて、心配し、祈り、愛するだけしかできない、ゲルダの愛が、本当に破片を溶かすのか、また
作品中のラストのように、天の川で再びめぐり合うように出会えるのか、それはわかりませんが、“ポジティブバイブ レーション”としては、そう信じたい、そういう思いの作品でした。
現在、現実は、ますます恐ろしく、過酷な方へと進んでいる気がします。
鏡の破片が降り注ぎ、あちらこちらの子供に突き刺さっている気がしてなりません・・・。

そして、個人的に、どうしても少しだけキツイのは、二部の“鏡”の中の“祈り”です。
ゲルダの、カイへの想い、祈りの踊りの後に、どうしてもやりたかった、聖歌の音でのキャンドルサービス。
クリスチャンというわけではないのですが、思春期をそういった環境で育った私にとって、ごく自然に、神への祈り、 絶対者に対峙する気持ちが、イメージとなった作品でした。
この音を選んで、振付を考えた時には、全く素振りもなかったのに(病気で自宅療養中ではありましたが)、2000 年の11月、まさにリハーサル期間中に、私の父が急逝しました。
みんなの踊りを固めている時に、結果、“レクイエム(鎮魂歌)”となってしまったこの作品を見るのは、ちょっぴり ツライものがありました。
たぶん、そんな私の気持ちを、何となく察し、ろうそくに火を灯して、それを増やしていくみんなの瞳も、何かをたた えていたような気がします。
私にとって最もしんどかった時、公演のリハーサル中で、打ち込むものが目の前にあり、踊り、そしてメンバー皆がさ さえてくれた(本当に有難う!!)、そんな様々な想いがよみがえり、何となくちょっとだけ感傷的になっている私で す・・・。



11月23日(火)  小さなギックリ様

今朝起きたら、ちょっと腰がヘンで、(もしや、また小さなギックリ様かしら・・・(-_-;)・・原因はたぶん昨日のち ょっぴり無茶な?頑張りなんだろうけど・・)それでも、レッスンに行ったけど、だんだんヤバくなって、ジャンプが いつものように、跳べなくて悲しかった。
どうも、痛い腰の方の足で着地すると、ビシ〜ンとくるので、思い切って跳べない。(>_<)
そのうち、跳べないどころではなくなってきて、途中で抜けさしてもらおうと思ったけど、きっかけを失い、そのまま 最後までやるハメに・・・。
今日はたまたま、初顔のプチバレリーナが、(祭日なので)来ていて、たぶん、小学3年位で、でも何でも出来ちゃう 。
まともに動けないのに、そのプチバレリーナと組んでグランワルツになっちゃって(二人ずつなのです)、すごくイヤ でした・・・。(T_T)
朝の星占いでは、しし座は今日は2位だったのに、全然あたらないじゃない〜!!(-"-)
まぁ、ギックリ様の中では、ごく小さい方なので、たぶんすぐよくなると思うけれど・・・。

・・・というわけで、今日はもう閉店致します。
またのご来場をお待ちしておりま〜す!!



11月24日(水)  人間の神秘

絶対見ようと思っていたのに、つい忘れてしまって、(>_<)途中から見たのですが、TVで、“記憶”の特番をやっていて とてもおもしろかったです。
皆さんは、見ましたか?
頭にボールがあたった事故以来、一切の記憶力を失ってしまった青年や、一度聞いた音楽は、すぐに記憶してしまう自 閉症の少年や、円周率を5000桁以上記憶する事に挑戦している青年の驚異の記憶術や、そして、アメリカでついに 開発されつつある、“記憶力増強の薬品”の話・・・。
記憶力を失った青年は、事故以前の事は何でも覚えているのに、事故以来、記憶が継続するのはわずか40分ばかりで 、毎日通う作業所への道順も毎朝、初めての場所に行くかのように、メモを確認しつつ行かなくてはならないのです。
しかも、毎日あったどんなに楽しかった思い出も、日記にメモしない限り、まるで、手のひらからサラサラ落ちる砂の ように、消えて行ってしまう・・・。(T_T)
番組で語られたように、個々の人間をつくるのが、積み重なって行く記憶だとしたら、一見まるで普通に見える彼が、 自分の存在を見失わないように、必死の努力で毎日毎日、メモを取り続ける様子、それを見守る母親の様子が、苦しい ほどの、生きていきたい、という叫びに見えて仕方ありませんでした。
また、盲目で自閉症の少年が、魂からの叫びのように、記憶した音楽を歌う様子も胸に響いてきました。

科学が解明していく様々な謎の中でも、たぶん最も不思議で神秘的なのが、人間そのものではないかと思います。
脳の潜在能力のすごさ、そのメカニズムがわかってきたのは、ほんの一部で、まるで奇跡のような事がまだまだたくさ んある・・・。
開発途中の“記憶力増強の薬品”にしても、それを研究している人自らも言っていたように、人間が無意識に記憶する 事、忘れる事、と選択しているところまで操作はできないので、それを実際使用できるようになったら、どういう風に なるかは、まだわからないそうです。
全般的に増強された記憶力のおかげで、確かにラクに便利になるかもしれません。
でも、そうなったら、暗記分野中心の試験などは、やっても意味がないとも言え、別の能力、創造力や、分析力などを 測ることに重きが置かれるでしょうね・・。(それは、その方がいいとも言えるかな。。)
何よりも、人間は忘れるからこそ生きていける部分もあるわけで、昔読んだSF小説の主人公のように、全ての事を忘れ られなくなったら、どんなに苦痛で悲劇か、というのは想像に難くありません。

脳の奇跡的なプログラムなどを知ったり、一歩づつ研究が進められ、解明されていく事を知ると感動するし、人間の探 究心自身、知りたいと思い、研究してきた歴史も素晴らしいと思います。
でも、どんなコンピューターにも勝る、人間の脳のメカニズムは、或いはどこまでいってもすべてを解明することはで きないのかもしれない。
そして、最後の最後は、人間は、神の奇跡の創造物である、というところでよいのかもしれない、なんて思ったりもす るのです・・・。



11月25日(木)  生意気な子供

モダンダンスを一緒に受けている、大先輩のH先生が、頭から湯気をたてて、
「昨日、生徒とケンカしちゃった!!」
と怒っていました。
「ケンカですか??」
と聞くと、
「そう。小学2年生の子なんだけど、もうそれは生意気で・・・。」
話しによれば、その子はいつも、できる事は一生懸命やるけれど、苦手なことがでてくると投げてしまって、何かしら言い訳して、(膝が痛いから、とか誰かとぶつかりそうだから・・・とか)ちんたらして、ちゃんとやらないそうです。
昨日も、そのパターンが始まったので、注意をずっとしていたのにちっともやらないので、廊下に出してきつく叱ったそうです。すると、
「だって、もう過ぎてしまった時間は戻らないじゃないですか」
とシャーシャーと言うのだそうです!
H先生はカチンと来て、(私もかなりカチン!(-"-)
「じゃー何のために、反省ってものがあるの?!悪いと思ったら、反省した態度をしたらどうなの?」
と言ったのに、まだ、何だかんだ言い訳を繰り返す。
あまりの態度の悪さに、とうとうキレて、
「そんなにやる気がないんなら、もう来なくていいわ!!」
と言うと、また妙に冷静に、
「それは、辞めろってことですか?」(またもや、私も(-"-) しかし普通、この辺でしょせん子供?!は、ワーッと泣くのに・・・。すごい根性とも言える)
「そうね。お母さんには先生から電話します」
と言ったとたん、急に態度が歯切れ悪くなり、
「いや、自分から言うからいいです。」
どうやら、その子は、頭はいいし、親には優等生で、しかも親が体罰を与える厳しい方なので、親に言われたくないらしいのです。
「そんなのダメよ。どうせ、お母さんは心配して先生に電話かけてくるんだから。」
すると、泣きまね(明らかに、真似で、涙はちっとも出ていなかったそうです。)をして反省した素振りをしたそうです。
結局、H先生は、親には電話はしたらしいけれど、その子をまだ辞めさしてはいないそうですが、いやはや、恐ろしい・・・。

怒っている先生の気持ちは、よくわかるし、確かにそんな事子供に言われたら、私も激怒しそうですが、(大人をなめるじゃない!)ある意味で、先生と言う立場じゃなくて、その子とじっくり話しをして見たい気もちょっとしました。
優等生を求められ、頭もよくて、だから踊りの場で、自分だけ上手くできない事がイヤで、言い訳する。
できない自分を認めたら、ずっとラクに素直に生きられるのにねぇ・・・。
小学2年の子が、その小さな頭で、何をどう考えて、そんな言葉を使って自己防衛しているのか、その子の心に入りこみたい気もする・・・。
今なら、まだ間に合う気がするのです。
(たぶんそのまま大きくなったら、もう手のつけようがないことになるかもしれない・・・)
H先生は、暖かい人だし、踊りを続けさしていれば、どこかで、その子の心と触れ合うことができるんじゃないか、と思ったのでありました・・・。



11月26日(金)  「愛」・・・人間の根源

19歳の男性が、鉄アレイで両親を殺害したというニュース聞いたと思ったら、間髪を入れず、今度は28歳の男性が両親と姉を殺害、との事・・・。
ここのところ、そんなニュースが次から次へと流れ、そんなに驚きもしない自分がコワいと思います。
19歳の鉄アレイの男性は、キレるとコワいと思われていた(周囲の人は、こうした場合、いっつもそういいますね〜)ニート(就学も就職もしていない引きこもり未満)で、将来を心配する両親の言葉に頭にきて、「皆殺しにしてやる!」と思ったそうです。
祖父、両親共に、学校の先生で、本人も優等生だったそうですが、自分の価値が見出せずにこんな結果になったのでしょうか・・・。
たぶん、両親も、“打ち込むものがない”のがよくないと思ったのか、本人に、“習い事でもすれば”と勧めていたそうで、教育者なりにいろいろと考えていたのかもしれないけれど、時すでに遅し・・・で、彼にはその言葉がうるさかったし、頭にきたのだそうです。
現在、彼は、反省の色は特になく、皆殺しにしようと思ったけれど、両親を殺害したところで力が失せた、と供述しているそうです。
はぁ〜・・・。
いったい、何がどこで狂ってきているのでしょうか・・。

本屋で立ち読みした、中村うさぎさんのエッセイの中に、ハチャメチャの買い物依存症ネタの多い彼女には珍しく、シリアスタッチで、何となく私の心に引っかかるくだりがありました。(何しろ立ち読みなので、(~_~;)表現はかなり違うと思いますが)
いびつでも、不完全でも、そのまんまでいいんだよ、と何があっても、その人まるごとを引き受けるのが愛ではないか、という事。
そして、その行為は、つまり神様のなす業といっしょで、誰かが誰かの神様になるという事が、愛なんではないか・・という事。
私もそんな気がします。
そして、両親を殺してしまった彼も、居場所がなくてさまよっているニート達も、根源的なところでの安心感、自分は自分でいいんだ、という確信、神様がいなかった事が原因なのかもしれない・・・。
神様がいた人は、今度は誰かの神様になれる、自分を受け入れられる人が、人を愛せる。
世の中が複雑になってきて、そんなある意味とってもシンプルな事が見えなくなってきてるのかな・・・。



11月27日(土)  踊りのお仕事

気がつけば、あと少しで今年も終わり。
あまりの速さにイヤになってしまいます。
年末と言えば、昔は、〜歌謡祭とか、レコ大(レコード大賞)とか、懐メロ、紅白、そして、ディズニーのカウントダウンとか、踊りの単発のお仕事がいろいろある時期でしたが、今はどうなんだろう?
TVで見る限り、歌手バックのダンサーも昔のようには多くないし、いてもヒップホップ系で少人数だし、だいたい歌手も踊っちゃうから、そんなにバックって感じじゃないよねぇ・・・
人件費削減か?演歌なんかには、あまりダンサーもつかないようだし、ヨン様にバラエティーショーと言われた紅白は、結構大人数のバックをつけたりしてるけど・・・やはり時代は変わったのかな?
ディズニーは別として、カウントダウンは、今でも外部のダンサーを募集しています。
今年は我らがスタジオのMちゃんも初参加!頑張れ!!
他のTVのお仕事で、私が思い出深いのは、やはり、TVのお仕事で最初にやらせてもらった、レコ大かな・・・。
何しろ、まだ若くて右も左もわからない状態なのに、大人数に混じり出してもらったという状態だったし、かなり舞い上がっていて
ヤバかったと思う。
確か明菜ちゃんのデザイアーのバックで(古い話しでごめんなさい・・・(^.^))
仮面をつけた振付だったから、視界が全くなくて前しか見えないし位置を間違えないように、ついて行くだけで精一杯。
明菜ちゃんの歌なんか全く耳に入っていませんでした。
武道館で、あっちにもこっちにもお客様がいて、しかもあっちでもこっちでもTVカメラがいて(当たり前か・・・)、もう大変〜!!
そういえば、その時だったか(確かそう・・)中山美穂の、ついてるね、のってるね〜とかいう歌で、銀のカツラつけて、頭をぶんぶん振って、動いていていく台の上に乗っかって踊るのもあったなぁ〜。
目の中に、銀のカツラがいっぱい入っちゃって、しかも頭は振ってるし、下は動いてるわで、もう貧血寸前!
やれやれ・・・。

そんな状態でも、立派に?ダンサーとしてギャラをもらった時は、すごく嬉しかったし、何か誇らしかった・・・。
先生の代講をして、初めてギャラを頂いた時もそうだったけれど、好きで始めた踊りでお金を頂くという事が何にもまして有難く、いいのかな?と思ったくらいでした・・・。
自分としては、最初から踊りを仕事にしよう、なんて意識はなかったし、ただ上手になりたいと思っていたのだけれど、ダンサーとしての仕事の場で要求されるのは、必ずしもいい踊りを踊るという事だけではなく、場の空気を読み、最もスムーズに場が進むように動けることだったり、初めて会う人同士で、チームワークを組むことだったり、どちらかと言えば、ドンくさかった?私としては、なかなか気疲れし、あまり向いているとはいえなかったのだけれど、それはそれで、なかなかいい勉強をさせてもらいました。

結局、私は、その後教えの仕事に進み、自分の好きな踊りを振付し、好きな踊りを踊るという世界に生きることになりましたが、この季節になると、周りに圧倒されつつ、踊りでお金を頂いてたあの頃の気持ちを、何となく甘酸っぱく思い出したりするのです・・・。(*^_^*)



11月28日(日)  教えのお仕事

昨日、踊りのお仕事と題して、若い頃、ダンサーとしてお仕事させてもらった頃の話を書きましたが、私が最初に“教えのお仕事”をさせてもらったのは、踊りを始めたのが遅かったわりには、わりと早く、25歳の頃でした。

最初は、先生の代講、つまり先生の代わりに行って、レッスンをさせてもらうと言う形で、考えてみれば、きちんと習い始めてほんの数年、先生もずいぶんと大胆な決断をなさったものです・・・。(~_~;)
我が家からは、かなり、果てしなく?遠い大宮にあった、カルチャースクールのクラスで、1ヶ月に1回が先生、あとの2回がもう一人の先輩、そして残りの1回が私というローテーションで、初めての私の“教えのお仕事”は始まりました。

あくまで、先生のクラスとして、基本的な方針、そしてコンビネーションは先生の振付けて下さったものをやる、という風に決めてくださったので、最初の教えとしては、入りやすく、生徒さんにご迷惑をかけることもそれほどなかったとは思いたいのですが、それでも今考えると、本当に穴があったら入りたい!!状態の赤面ものだった気がしてなりません・・・。(~_~;)
しかも、そのクラスには、経験の長い、本部のスタジオにもいらっしゃっている生徒さんもいて、下手をすると、本部のスタジオでいっしょにクラスを受けていて、次の日に、同じ振りを私が教えるという事態も発生し、
“先生を信じ、自分を信じ、できることを誠実にやるしかない!!”
と自分に言い聞かせ、必死で頑張っていたような気がします。

今思えば、そのときの経験は、後の自分にとっては本当に有難いもので、様々な事を勉強させてもらったと思います。
何しろ、振付は、先生と決まっていたので、来週の振付は何をやりましょうか?とお伺いをたてると、
「そうね、じゃ、先週の水曜日にやったものをお願い!」
とか、公演が近くなり、先生がお忙しくなると、ローテーションの他に、前日に急に、
「明日、お願い!コンビは先週の月曜ので。」
なんてパターンもあって、普段のレッスンでの振り覚えも命がけ?!です。
あえて、自慢させてもらえば、後に、“人間ビデオ“と言われた事もあるぐらい、振付を記憶することがわりとラクになったのも、この頃の経験のおかげだと思います。
(しかし・・・今となっては、何故か、自分で振付けた振付なのに、すぐ忘れてしまう・・・(-_-;))

自分のクラスを持つことができたのは、その2年くらい後ですが、経験未熟で、人間的にもかなり子供で、やっかいばかりかけていたその頃の私に、代講を任せて下さった先生のおかげで、今に至るまで、一生の仕事として、人を教える“教えのお仕事”につくことができたことを、本当に感謝しています。
最初の生徒さん達に限らず、その後も、未熟な私に習うことなった方々、或いは周りの方々には多大なご迷惑をおかけしていたのかもしれません・・・。
今となっては、私にできるのは、一つずつ、自分にできる最大の事を、誠意を込めて伝えていく事だな・・・とあらためて感謝と自戒の意味を込めて思ったりしています。



11月29日(月)  下戸達の鬱憤

そろそろ世の中は、忘年会シーズン。
今日、友達とタクシーの中で、たまたまお酒の話しになりました。
彼女も私も、いわゆる下戸で、お酒は飲めません。
日頃から、鬱憤(うっぷん)がたまっていたのか、彼女が、
「それにしても、飲み会とか行っても、自分が飲める人って何で、飲まないの?とか、少し飲んでみれば?とかう るさいんだろうね?!」と言い出しました。
「そうだねー。」(私は、飲めない事をかなり公言してるし、あんまりそういう経験もないのですが・・・)
「私なんか煙草吸うけど、吸わない人に何で吸わないの?とか、強要なんかしないじゃない!?」
「確かに・・・。」
「しかも、飲む人とご飯とか行くと、絶対飲まない人は損だよね〜」
「それは、ホントにそうだね〜。気の利く人とか居れば、ハイ飲まない人はいくらでいいから、とか言ってくれる けどねぇ・・。」
「飲まない人は食べればとか言ったって、そんなに食べれるもんじゃないしさぁ〜。
男の人とか一人いれば、結構女の子に気使って、はい飲む人いくら、飲まない人はいくら、残りは僕が払う、とか 言ってくれるのに、飲む女の子って絶対そういう事言わないよ!しかも、飲む女の子ってばかばか食べるの!」
ここに、至って、ずっと聞き耳をたてていたらしいタクシーの運転手さんが、ぷっと吹き出しました。
そして、
「自分も飲まないんですけど、男も、男同士だとそんな気は全く使わないからねぇ。」
と、やはり鬱憤がたまっていたらしく、会話に参加。
「ビールなら5杯飲めても、ウーロン茶5杯飲めって言ったって飲めないし、ペットボトルでくれって言いたくな っちゃうよ、持ち帰るからって。」
「そうそう、つまみも、じゃぁタッパー入れてって。」(笑い)
「でも、女の人でぐでんぐでんになられたりしたら、困っちゃうんですよ。下手に体に手を触れると、エッチ!と か言われちゃうし・・・。」
すると、友達は、
「私なら、絶対置いて帰る。それか、交番の前に捨ててきちゃう!」
「いやー女の人はシビアでいいな〜・・・」
と、そこで、車は駅へ到着。気のいい、そして下戸の運転手さんは、メーターを早めに倒してくれました。(^_^)v

まぁ、怒る気持ちもわからなくない・・・。
私としては、自分は飲まないけど、お酒好きな人がお酒飲んで、少し(あくまで、少し?!ぐでんぐでんはちょっ とね・・・)酔っ払って、上機嫌になったり、ハイになったりするのはキライじゃないし、そういう雰囲気は好き な方です。
ただ、飲む人も飲まない人も、いっしょに行くなら、あくまで、お互いが楽しんで場を持てるようにしないとねぇ 〜!!(*^_^*)



11月30日(火)  ドラマ

私は、だいたいにおいて、見だしてしまうと、TVドラマにはまりやすい方で、NHKの朝の連ドラは、生まれてこの方(・・は大げさにしても、物心ついて以来・・・?!)欠かさず見ていたのですが、ここ数年、悪いっけどあまりのつまらなさに、とうとうNHK離れとなり、今年に入っては、8時を過ぎると民放へチャンネルを変えるようになってしまいました。
昔、朝の連ドラのヒロインと言えば、その後の女優人生を約束されたも同然、“あぁ、〜の○○××子ね!”と言った具合でしたが、今は、そういえば、どっかで見たような・・・と言った程度・・・。(もちろん、例外もいるでしょうが・・・)
私がたぶん最後に燃えた?!のは、もう何年も前になる、“二人っ子”で、(あの時は、ストーリー展開に引き込まれ、15分が短く感じられたものでしたが・・・)その後は、惰性でとりえあえずTVがついている状態、今は、積極的にチャンネルを変える状態へとなりました。(-_-)

朝の連ドラに限らず、これは・・・と思って一度見だしてしまうと、ビデオに録ってでも見る。
前に、ダイアリィーにも書いた、自閉症児がテーマのドラマ“光とともに”は最近、はまったものの一つです。
木村拓哉も好きで、結構見ていましたが、“プライド”は最初に見損なって、入り込めず、イマイチ相手役の子もはまれず、見ませんでした・・・。
そして、今は、何と、織田裕二が月9(月曜9時ドラマ枠、フジ系列)に入れ込んで、月9の王道を行くとか言ってやっている、“ラスト・クリスマス”。

いや〜、あの曲はとりあえず、名曲ですね!!
それは置いておいて、もう最初に見たなり、設定もクサイし、題名からして、これは絶対最後は泣かせる(女の子が病気で死んじゃうに違いない・・・)つもりだし、笑ってばかりいて、人のいい役の織田裕二ってイマイチだし、見るのをやめようと思ったのに・・・。
ハマっています・・・。(~_~;)
部屋が隣同士の二人が、ケンカしながら仲良くなって、でも男は妙に前向きでいい人で、それに愛を教えられた女がだんだんと変わり、でも、女は病気の爆弾をかかえていて・・・、二人はクリスマスにオーロラを見に行こうって約束してて・・・。
それで、題名が“ラスト・クリスマス”ですよ。
たぶん、このドラマを見ている全国の人が皆、わかっていて、見え見え・・・とか悪口言いながら、見ちゃってるのかな・・・。
でも、いいんです!!
ドラマを見る醍醐味は、ハマりきる事。
最終回を見逃さないように、(実は今回は、なんと何回か忘れて、抜かしてしまいました)最後まで、漬かり切るつもりの私です・・・。(^.^)



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