YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2004年 8月


8月1日(日)  バイバイ!“カウント踊り”

いわゆる“カウント踊り”を脱するためには、音をよく聞いて、その抑揚とカウントで覚えた振りを合わせて、
“音で踊る”わけですが、そのためには、やはりある程度のテクニックが必要になってきます。
“この音でこの振りなら、うーんとねばって引っ張ってキープして、シャープにきりっと回りたい”と思っても、なかな か実際それを身体で表現するのは、難しいわけです。
しかし、そこであきらめずにまずは、やってみることです。
私も、昔は、そんな悔しい想いをたくさんしました。
“この振りでこの音なら、たぶん先生は引っ張りたいだろうから”と思ってやってみたら、ぼとっと落ちてしまったり、 シャープにきりっと回ったつもりが、よろっとなってしまったり・・・。(>_<)
それから、自分では精一杯やっているつもりが、前で踊る先生は自分より引っ張っていたのに、もっと早く回っていたり ・・・(先生だからあたりまえなんだけど、それをホントに悔しいと思いました)
しかし、だからと言って自分が出来る範囲の安全パイばかりで、踊っていては上達はしません。
チャレンジ、失敗、チャレンジ、失敗、チャレンジの繰り返しなわけです。
たとえ、“ぼとっ”、“よろっ”となっていても、音を感じて踊っているか、そうでないかは、見ればわかります。

実は、昨日ビデオをひっくり返していたら、大昔、私が属していたスタジオの最初の公演のビデオがでてきて、つい見て しまいました。
“絶対封印、取り扱い危険”くらいのヤバさでした・・・。(~_~;)(誰が何と言っても皆さんに見せられるようなシロモ ノではありません)
しかし、そんな昔から、(ぐにゃぐにゃ気持ち悪い踊りなんだけど)音のとらえ方というのはあんまり今と変わっていな くて、ちょっと我ながら可笑しかった・・・。
たぶん、その音のとらえ方、感じ方というのも、表現の個性の一つで、下手は下手なりですが、“私の踊り”というのを していたのでしょう。(^^ゞ
音のとらえ方も含め、すべて表現の個性こそが、ジャズダンスの醍醐味、“自分にしかできない自分の踊り”をさぁ、踊 りましょう!!(*^_^*)



8月2日(月)  “虚弱体質のピット”その後

皆さんは、以前書いた、“虚弱体質のピット”のダイアリィを覚えていますか?(6月7日参照)
私のお友達の家にいる、獰猛で有名なピットと言う犬種の犬にまつわる話です。
“獰猛で有名な”はずのピットではありますが、その子は、“虚弱体質”でアレルギーがあり、なおかつ、その性格は、甘ったれで、それは愛らしく、犬を苦手とする私が、初めて仲良くなった犬でした。

さて、昨日、またそのお宅へ遊びに行きました。
(私のお誕生日を祝って頂き、バースディケーキまで用意して頂き、感激しました。(T_T))
虚弱体質だったその犬も、先日、一歳のお誕生日を迎えたとのこと・・・。

再会した彼は、さらに体もしっかりして、何よりも嬉しいことにずいぶん元気そうになっていました。
1歳と言うと、人間では20歳の青年、晴れて大人の仲間入り、ということもあり、幼犬時代の“虚弱体質”を克服したのかもしれません。(そうあって欲しいです!)
食卓の下に寝ころび、必ず誰かの足に体を押し付けたり、なめたりしては安心している様子で、人懐っこく、甘ったれで以前通りとても愛らしく、私も足の上に足を乗っけられたり、着ていた洋服の裾をペロペロなめられたりして、とても満足でした。
しかも、彼は以前にもまして、賢くなっていて、“SIT”(おすわり)や、“DOWN”(ふせ)や、“COME”(来い)や、“WAIT”(待て)など様々な事ができるようになっていました。

何と、私でもやってもらえる(*^_^*)という事で、早速チャレンジさせてもらいました。
身振りや命令の仕方を教わって、さて、やってみます。
彼の目を見て、(祈るような気持ちで)低い声で、威厳を持って?「COME!」
すると、私のお願いが通じ?彼はすーっと私のもとへ・・・。
(やった!!)
「SIT!」
すると、おすわりする!!(*^^)v
一回ずつ、頭をなでて誉めてあげて、次は「WAIT」です。
玄関の方へ連れて行って、顔の前に手を広げ、「WAIT」と言って、私だけ戻ってくる。
しばらくそこに待たせて、「COME」と呼び戻す、というちょっと難しそうな一連です。
一回めは、私が指示を間違えて(~_~;)、失敗し、私と一緒に戻ってきてしまったのですが、二回めは、私が戻ってきても、ちょこんと玄関にすわって、指示を待つ彼・・・。
やった!やった!
どうも、彼よりも、私の方が頭が悪く?!(-_-;)きちんと指示をできなかったのに、私に付き合ってくれた彼は、本当に賢い!

生まれて初めて、仲良くなった犬と、生まれて初めてコミュニケーションがとれて、私はかなり感動しました。

前回会った時は、胃腸の調子も悪く、ぐったりしていた彼が、元気そうだったのもすごく嬉しいです。
虚弱体質のなごりか、彼は食も細い方だという事ですが、1歳になって、これからは、どんどん食べられるようになって、元気にたくましく、賢く育ってほしいと思います。
そして、今のまま、いつまでも愛らしい性格で、今度会っても、一緒に遊んで欲しいな・・・。(*^_^*)



8月3日(火)  白のタイプ

バレエのお友達とレッスン前にお茶していたら、何か私にはよく事情がわからないのだけれど、中の一人が頭から湯気出して怒っていました。
だいたい、私はバレエ界の人ではないので、誰がどこのバレエ団出身とかほとんどわからないし(ごく近しいお友達の他は)、表面上は、オープンクラスでレッスンの時間だけ集まる、というクラスなので、その奥にうごめく?人間関係はよくわからないのです。
結局、その怒りの原因は、中の一人の先生の事で、その内容は省きますが、お友達が説明してくれた中になかなか面白い一言がありました。
「だいたい、バレエのダンサーは、白のタイプと、黒のタイプ、キャラクタータイプというのがあって、白のタイプっていうのは、要求しだいで、黒も、キャラクターもできるけど、他のタイプは白をやっても、何かダサかったりしちゃうから、バレエの先生はなるべく白に育てようとするんだよね・・・」
ほーっ?!
舞踊界では、ある意味、野育ちともいえるジャズダンサーとしては、なかなか興味深い・・・・。
他の先生は、わからないけど、私のジャズの先生は、「何でもできなきゃだめ、何にでもなりきりなさい」
という方向だったし、「自分の個性」というのも重要視していたと思うし、“色のない人”というのはつまんないし、先生にいろいろ要求される前に、自分を出していかないと・・・と思ってたからな・・・。
「白のタイプ」か・・・。
バレエで白のタイプといえば、まず、お姫様ができる正統派ってことだと思うけど、それには、少なからず体型、容姿が大きく関係してくるし、まさに選ばれたほんの一握りで、その他は、いかに自分を消せるか、群舞の一人となりきれるか、ってことになるのでしょうね。(@_@
う〜ん、ジャズでよかったかも・・・。
私は、たぶん、「白のタイプ」になりきって、演じて踊る事はできても、「白のタイプ」になる事はできない気がする・・・。
いろんな色がいっぱい混ざって、面白い人がいっぱいいる、というパワー、元気のある、ジャズの群舞が私は好きです。



8月4日(水)  免許の更新

身分証明書になるから、と原付の運転免許証を死闘?の末ゲットして、はや3年・・・。
随分前に、初回更新の通知が来ていたのですが、忙しさにかまけて、気にはなりながらも放置していました。
しかし、誕生日も過ぎ、いつのまにか猶予は20日を過ぎ、さすがにヤバイと、重い腰を上げた私・・・。
神奈川の運転免許場って、二俣川で遠いんだよね・・・。(>_<)
通知を読むと、近所の警察署でも手続きはできるらしい。
詳しく聞こうと、警察に電話をかけてみました。
電話に出たお姉さん(婦警さんでしょうね・・・たぶん)は、それはそれは、つっけんどん。(-"-)
「こちらで手続きして、もう一度指定の日に講習を受けて下さいっ!!」(ものすごい早口で語尾がはねあがる)
「えっとじゃあ、手続きはいつでもいいんですか?」と聞くと、
「通知書に書いてある時間内にお越し下さいっ! 」
「指定の日というのはいつなんですか?」
「9月は8日、10月は7日、全部時間は2時から4時ですっ!」
「わ、わかりました。ありがとうございました!」
あまりの切り口上に、私は何故かおどおどしてしまい、早々に電話を切りました。
こわすぎる・・・。(-_-;)
市民のための警察じゃないの?
とにかく、早速スピード写真で、精一杯いい顔作って、写真を撮って、てくてく歩いて警察署に。
何とか、手続きを終了、9月に講習となりました。
受付にいたお姉さん、どうもさっきの電話の人みたいだったけど、電話よりは、大分感じがいい・・・。
電話ブスなのかしらん?
講習の場所は、麻生文化会館大ホールだって!(第1・2回公演の場所)なつかし・・・。
免許をとってから、一度も乗ってない原付ですが、せっかくがんばって取った免許、これで何とか流れないですみそうで す。ホッ・・。(~_~;)



8月5日(木)  ダメなものは・・・

新聞で読んだんだけど、中学生の実の子に、煙草を定価で売っていたお母さんが未成年に煙草を勧めたとして書類送検さ れたとか。。。
おもしろい、おもしろすぎる親ではありませんか!
その親に言わせると、ダメだとただ規制しても、どうせ影で吸うし、それなら自分の小遣いからちゃんと金を払わせて、 吸った方がいいと思ったとか・・?
親が子に煙草を売る、という発想がユニーク!と思ったのですが、よく考えるとさすがに中学生に煙草はないだろう・・ ・。
或いは、話せる親をめざしたのかもしれませんが、どうも、最近の親御さんは、子どもに弱すぎる気がしてなりません。
前も書いたことあるけれど、ダメなものは、ダメとしっかりと威厳を持って言ってあげることも、時には必要で、それと “話せる”存在である事とは、別な気もしますね。。。
犬と人間の子どもは違うかもしれないけれど、よく甘やかされてきちんと人間の指示に従えないダメ犬になってしまって いる犬を見ると、人間の子どもも、小さい頃にきちんと、規範を叩き込まれていないときっと後でその子が苦労するのに ・・・とか思います。
ユニークな子育て、その子の個性をのばす子育ても素適ですが、どうも私は古いのか?いわゆる常識のない人は苦手だし 、個性豊かであること、才能があることと、常識はずれであることは違うと思います。
少し問題は、ずれるかもしれませんが、「加古川の7人刺殺事件」の容疑者も、(おそらく精神病でしょうが)行政のも っと早い対応が非難されていると同時に、もっと早い時点でまず、母親が、子どもを恐れず、きちんと決断し病院や、保健所、警察などに協力を求めていれば(求めるどころか、出動した警察を、穏便にすませるようにと返しちゃったんだそ うで)、こんなひどい事にはならなかったのではないかと思うのです。
まぁ、私は子どもがいないから、言う事だけいえて?!、申し訳ないのですが、どうも最近、日本の次世代に対する不安、次 世代を育てる自分達の世代も含めて(これも、もちろんある)、不安がつのる事が多いなぁ・・・。(-"-)

8月6日(金)  踊りをやっていなかったら

踊りをやっていなかったら、いったい今頃何をしているのかな・・・。
時々そんな事を考えます。
大学そのまま行って、もしかしたら母校に戻って国語の教員をしていたかもしれないし、会社に就職してOLやってかもしれない。(ちょっと、自分でも想像つかないけど・・)
いずれにしても、時間があれば、いつか何か自分を表現するものをやりたくなって、趣味のレベルでも、始めていたような気もします。
それは、もしかしたら音楽で、もう一回ピアノを習っていたかもしれないし、コーラスに入っていたかもしれないし(うーん、歌はありえないかな。。。)お芝居を始めていたかもしれない。(これは、結構あるかも?!)
ジャズダンスと芝居というのは、実は結構近い部分もあるし、はるか昔から(学芸会の頃)お芝居はキライじゃないような気がします。(学芸会以来やったことはないけどね・・・)
何しろ、小学生の時の学芸会で、私は、オーディションを打ち勝ち?「バッタ7」という一番セリフの多い役をやったくらいですからね?!(^^ゞ
国語の時間で、感情込めて?教科書を読むのもかなり好きでした。(~_~;)
一方、音楽というのも捨てがたく、ジャンルは問わず、クラッシックだろうが、ジャズだろうが、ロックだろうが気にいった曲がかかると、思わず入り込んでしまったりします。(今は、仕事がら振付モードに入ってしまって疲れるから、オフではあまり聞きませんが・・・。)
自分でやるなら、ピアノなどの個人演奏より、オーケストラや、バンドなどの合奏のほうが楽しそうです。(ピアノやってる時から、どうせやるならオーケストラをバックにコンチェルトとかを弾かなきゃつまんない、とか思っていたくらい)
そう思うと、やはり、踊りには音楽あり、芝居あり、皆と踊る群舞あり、で、私にとっては最高の自己表現かな〜などと思ったりするのです。



8月7日(土)  タカラヅカ!!

先日、生徒さんから、昔の宝塚のビデオを借りました。
私は、そんなに宝塚ファンというわけではないのですが、やはりあのショーの構成や衣装の豪華さは他にはないものだと 思います。
だいたい、今の日本で正統派のレビューをやっているのは宝塚だけだしね・・・。
昔、生の宝塚の舞台を見た事なかったときは、TVで(芝居の部分)見て、「なんだこれ・・・?」とちょっとバカにし ていた(ごめんなさい・・・)位だったのですが、ある時、生の舞台を見る機会があってから、先入観を一新しました。
見た事ないという方は、是非一度くらいは見てみて下さい。(ただし、宝塚の魅力は多分に、トップの人によるので、今 はあまり興味のあるトップの人がいない私としては、強くおススメはできないのですが。。。(>_<))
最近の人は、わりとアクが弱くて、トップになったと思うとすぐ退団しちゃうので、誰がトップなのかも知らないのです ・・・。(-_-;)
私は、大浦みずきさん、安寿ミラさん、真矢みきさんまでの、流れの、花組の舞台がすごく好きです。(かなり昔)
特に、宝塚としては、ちょっと正統派とはいえなかった?けれど、何とも、色の強い真矢みきさんが好き!!
宝塚の人の踊りは、バレエが基本で入っているから、芯がとれていてキレイな分、スタイルがよすぎるせい?か、わりと 、パキパキしている人が多いけれど、彼女の踊りは、一歩間違うと泥臭いまでに、“クサイ”から好き!!
決して、すっきりしていないんだけど、そこがいいのです。
(まぁ、これは私の好みかなぁ・・・)
踊りも、歌も芝居も決して達者というわけではないけど、独自の魅せ方があるんだよね〜。
今、退団してよくTVに出ているけれど、あれは断じて、真矢みきではない!!(-"-)

私も、背がもう少しあって、若かったら猛勉強して(千人に一人ぐらいの競争率なんだっけ?)、男役やりたかったな〜 。
さて、私も、明日からお盆休みに入ります。一年に二回だけの、盆、暮れの貴重なお休み。
ダイアリィも3,4日お休み致します。m(__)m 
リフレッシュして戻ってきますので、またよろしくお願いします。(^_-)-☆



8月11日(水)  ただいま!!

毎年、夏は伊豆近辺に出かけるのですが、今年も行ってきました。
海というのは、眺めているだけでも、やはり心がぱぁーと広くなる気がしていいですね。

今年は特に、たまたま早起きしたおかげで『水平線からの日の出!』という、それはまるでどこかで見た絵のような?!絶景が見れて大満足でした!!(*^_^*)

いつもは、伊豆高原に泊まるのですが、ほんのちょっと足をのばして、1日は熱川に泊まりました。
熱川という街は、湯煙がシンボルのもろ温泉街なのですが、いまいちピークをすぎた年をとった街という感じがあり、古い旅館が立ち並び、少し前の熱海のような(今熱海は、遊園地や新しいホテルなどで必死に若返りをはかっています)感があります。

宿を取ったホテルも例外ではなく、働いている従業員が、何かお婆さんとお爺さんばかり!!
サービスもおちおち安心して受けられない気がして・・・。
(重いものなんか運ぶ時、“よっこらしょ”とか言ってて、持たしちゃ悪い感じなのです)
しかも、いわゆるホテルの備品というのにも、かなりガタが来ていて、(ドライヤーが壊れていたり・・・)
都心近郊の観光地というのも、真剣に町おこしを考えていかないと、一時期の熱海のように、衰退していくというのを実感しました。

まぁ、それでも、(“安近短”の庶民の旅行ではありますが)、十分満喫、リフレッシュ&エンジョイして、無事帰って参りました。
それにしても、3日分の旅行の荷物が、いつもの仕事の荷物より、全然軽いっていったいどういう事なんでしょう?!!(-_-;)



8月12日(木)  なせば成る

今週末までは、仕事もお休みで、旅行から帰ってきてもちょこちょことのんびりし、かつ遊んでいる私であります。
(お願いですから、“文化祭の振付はどうなってるんですか?”とか聞かないでね!?(-_-;))

さて、伊豆方面への旅行の最終日、熱海で遊んだのですが、熱海という街は、一時期最低にさびれた時よりは、少しづつではありますが、若返り、活性化をはかろうという兆しが見えてきた気がします。
私は、とても泳ぎたいとは思いませんが(“芋の子”だし、子どもがやたら多く、あまりキレイとは思えないので)、“サン・ビーチ”なる海水浴場も、それなりに賑わっていました。

以前、伊豆の富戸で乗った遊覧船(とは名ばかりの、漁船のような船)で死ぬほど船酔いしたのに懲りず、熱海から出ている、「初島」行きの船というのに乗ってみました。
全然、大丈夫でしたよ〜。(船が、富戸の時より大きくて、ほとんど揺れなかったし、天気も良く波もあまりなかった)(あの遊覧船は、特別揺れたよ〜(>_<))
風が気持ちよく、最高でした。

が、肝心の初島自体は、実はほとんど見ずに、島にいたのは、わずか50分!
すぐ次の便で、熱海に帰ろうということになったのです。
島自体には、あまりおもしろそうなものは、ないようだったし、スケジュールの都合上、その方がいいと思ったのです。
ところが!その次の便までは、残り時間、あとほんのわずか・・・。
しかも、船着場まで、日影のまったくない海岸道・・・距離も結構ある・・・。(~_~;)

結局、久しぶりに猛ダッシュして、今にも出船しようとしている船に、文字通り、走り込みました。(すべり込み、セーフ!)
遠くに見える乗務員の人に、乗る意思があることを、必死にアピールして?!、死に物狂いで走りに走りました。
何事も、決して諦めることなかれ!!
なせば成る!です。
なんて・・結構どうでもいいことで、あらためて、真理を確認した私でした?!(^^ゞ



8月13日(金)  地球の自然は・・・

伊豆高原、大室山のすぐふもとに「伊豆シャボテン公園」というのがあります。
いつも、伊豆高原には行っていたのだけれど、この“シャボテン公園“という地味な?ネーミングが災いして、一度も足 を踏み入れたことがなかったのです。
何か、サボテンがたくさんある、ただの植物園みたいではありませんか?!

ところが今年、初めて行ってみてびっくり!
サボテンはもちろんたくさんあるのですが、様々な動物が、“放し飼い”になっているのです。
園内に入って、木の上を見上げると、“普通に”熱帯のオウムが止まっていたり、お昼ごはんを食べているレストランの 窓のすぐ下を、立派なクジャクが“普通に”トコトコ歩いているのです。
鳥達の楽園というコーナーに一歩入ると、何の柵もなく、すぐそこの水際に、フラミンゴがのんびりと片足で立っていた り、(手をのばせば、さわれる!!)、カンガルーの丘というコーナーでは、足元にカンガルーの子ども(たぶん?!も しかしたらワラビーかな)が落ちている木の葉を食べていて、あんまりかわいくて、ついそこにあった木の葉を差し出す と、何と私の手から食べたり・・・!!
ダチョウや、ラバなどは、ごく簡単な柵の向こうにいるのですが、人を全く怖がらず、柵ぎりぎりまで来て、10センチ くらい向こうで、つぶらな瞳でこちらを見ているのです。

普通の動物園などで、人間に視線に疲れ、うんざり・・・といった感じでいる動物達とは大違いで、自然の中でのびのび と暮らしている動物達の中に、人間の方がちょっとお邪魔しているといった具合です。
あそこまで、“普通の”いわば、“自然体”でいられると、かえってこちら人間の方が、気を使って、そおっとお邪魔さ せてもらうという感じになって、なんかとても楽しかったです。
(クジャクなどが、道を横切る時は、みんな道を空けて、待ったりしていました)
地球の自然は、動物や植物、皆のものだという、何か忘れがちな真実をちょっぴり実感する、ほっとする空間でした。
(*^_^*)



8月14日(土)  ビバ!オリンピック!!

とうとうやって来たアテネオリンピックの開会式!
皆さんごらんになりました?
今回は、時差の関係で、夜中の2時とかの始まりで、さすがにリアルタイムは断念しましたが、私は今朝見ました。
どういう仕掛けかわからないけど、空中を人が歩いたり走ったり、立体的な、そして何よりもかなりハイテクを駆使した 、それでいて、壁画の中の人物から妊婦さんに至るまで、実際の人の体というものをいかした、なかなかおもしろい出来 だったと思います。

だいたい、今回のアテネに関しては、ぎりぎりまで準備が整わないという報道で、いったい間に合うのか?とあちこちで 心配の声が上がっていましたが、結局、スタジアムに関しても、開会式に関しても、ちゃんとクリア!ということで、ギ リシア人って本当におもしろい。
ギリシアには、“パラ・ペンテ”(5分前)という成句があるそうで、日本だったら、5分前にはすべてを終わらせて置 こうよといった意味に使われるであろうところを、ギリシアでは、これは、5分前からすべてが始まるという意味だそう で、まさに、“泥縄の本家”!!
よく言えば、“集中力がある”のかもしれませんね。(^^ゞ

オリンピックの開会式といえば、私は、フランス、アルベールビルの冬季のオリンピックの開会式が一番印象に残ってい ます。
確か、ダンスの振付師の人が演出を担当したとかで、幻想的で、本当におもしろかった・・・。
とんがり帽子をかぶったり、竹馬のような長靴をはいた人がどこからともなく次々と現れて、空中ブランコを使ったり、 回る円盤の上で総タイツのバレリーナが踊っていたり、衣装もおしゃれで、さすがフランスと感動したのを覚えています 。
そういえば、日本の開会式の衣装ですが・・・あれっていったい!!(-_-;)
山本寛斎デザインだそうですが、安っぽい色合いの浴衣の出来損ない?!のような服にウチワに日よけ帽みたいなのと、 私は、いったいどうしちゃったの?という感じでした。
微妙なデザイン違いで、今までの枠を壊して、個々の個性を出したかったらしいですが、やっぱり私は、もっとシンプル で、もう少しフォーマルな、色あいもすっきりしたしたものの方が好きですねぇ〜。
(冬季の時のダッフルコート着た、ユニクロの方が全然よかった気がする・・・(-_-;))
これから、いろんなスポーツの注目の試合が続出、日頃、特にスポーツファンというわけではない私ですが、やっぱりオ リンピックとなると、急に日本びいきで熱くなります。
明日から、仕事も始まり、そうそう見れないけど、できるだけチェックして、はるかアテネの日本選手にエールを送りた いと思っています。(*^。^*)



8月15日(日)  終戦の日

今日は、終戦の日。
この前TVで、渋谷の街で、若い子に第二次大戦で日本はどこと戦争したでしょう?と聞いたら、「え?韓国?」とか言 っている人がいて、ビックリしました。
さすがに、私の世代だと、親の世代がまだ戦争を知っているし、そんなバカなことはないですが、これは本当にヤバイで すね・・・。(-_-;)
その後、同じ渋谷で、インタビューした青年は、
「僕は、戦争反対ってわけじゃないですねぇ。戦争しないと決まらない事ってあると思うしー」
などと言っていたのですが、インタビュアーの人が、渋谷の同じ場所の戦争時の焼け野原の写真を見せて、
「これは、ここの写真なのですが、どう思われますか?」と聞くと、
しばらく、絶句して、
「これは・・悲惨ですねぇ・・やっぱり・・戦争はまずいっすね・・。戦争反対です。」
とあっさり意見を撤回していました。(カ・・・軽い。軽すぎる・・・(-"-))
結局、知らなすぎるし、ものを考えなさすぎる。

私の父は、被爆者で、言葉少なではありましたが、生前、原爆の悲惨さ、戦争の悲惨さを、身近な人の体験談としてリア ルに受け継いだし、母も、疎開世代で、やはり戦争というものが、どんなに恐ろしいかというのは、子どもの頃から知ら ず知らずのうちに聞いていました。
しかし、戦争を知る人がどんどん少なくなる今、若い世代に、その体験を少しでも伝えていくこと、そして、その体験を 一方的な愛国主義で、歪めることなく、(中国の日本チームへのブーイング事件はその一例)広い視野で見るように、子 供達に考えさせていくこと、という事の重要性をあらためて実感しました。
そして、遠い誰かの体験した悲惨さでも、きちんとそれを実感できるだけの、想像力(どんな側面でも、これは、キーワ ードだと思う)のある子どもを育てていくこと(TVゲームなどのリアルな非現実のみにつかる世代に、本当に恐怖を感 じます)がとても大切だと思います・・・。
本を読んだり、演劇を見たり、絵を見たり、そして、踊りをやったりという中で、少しでも想像すること、思いやること ができる人になることが、広い意味で、戦争回避へつながるのかもしれないと思ったりしています。



8月16日(月)  エトワール

昨日たまたま、TVをつけたら、「エトワール」という映画を(神奈川TVで)やっていて途中から何となく見てしまいました。
これは、パリオペラ座のバレリーナの日常をドキュメントとして描いたもので、上映している時に見逃したのでちょうどよかったのですが、できれば最初から見たかった・・・。(>_<)

ピラミッド式に階層づけられたトップ中のトップが、「エトワール」であり、その頂点は想像以上にきびしい地位であり、若くてもエトワールであるダンサーは、人間的にもきびしいところをくぐりぬけたせいか、かなり成熟しているようでした。
一方、その下には、代役をねらってひたすら努力するダンサー達。
舞台に立てることを夢見て、誰かが急に出られなくなった時のために、全群舞の位置、動きをすべてメモし、記憶するダンサー・・・。
足の指が化膿し、抗生物質を飲みながらも、決して舞台に穴をあけないダンサー・・・。
念願かなって、急に代役に入れることになってうれしそうなダンサー・・・。

エトワールの女性の定年は、40才。
映画では、その日を境に引退する女性のエトワールにもインタビューしていました。
稽古、リハーサル、舞台、そしてまた稽古、リハーサル、舞台・・・のだけの連続の日々、華やかな舞台と仲間達、そして帰るといつも一人、という今までの人生から、40才にして初めて新たな世界に踏み出そうという彼女。
そんな今までの自分の人生を、少し自嘲的に、でも誇らしそうに、これからの人生を前にして、少し不安げに、でも期待をしている風でもあり、その表情は複雑で、でもとても美しかったです。

踊りに魅入られたバレリーナ達の、どこかすさまじいまでの純粋さ、美しさ、そして強さ・・・。
細ーい針先の上で、研ぎ澄まされた踊りを踊っているような彼らと、広ーい野原や草むらで踊っているような私?とでは全く違うけれど、同じ踊りにかかわる者として、踊りというものの魔力、舞台の魔法という点は非常にわかる部分もあって、とても印象深く見れた映画でした。



8月17日(火)  ニッポン!!

またまた、オリンピックの話題で申し訳ないのですが、私を含め、普段は自分の国、日本というのをそんなに意識することもない人達が、ことオリンピックとなると、異常なまでの愛国精神にめざめ、「ニッポン」コールに興奮する・・・。
何か、とても不思議ですね。
(しかし、柔ちゃんは、ほんとにカッコよかった。
試合で、集中している時の顔は、ホントに美しいと思いました・・・。
怪我も、気力でねじふせ、金メダルまで突き進んだ、精神力、集中力は、やはり凡人ではありませんね・・・。)
柔道にしても、ソフトボールにしても、競泳にしても、一度日本がらみの試合を見だすと、あまりに日本に思い入れすぎて、胃が痛くなりそう・・・。(~_~;)

そういえば、北朝鮮とか、イラクとかの独裁者政権の国では、オリンピックも、国の威信を賭けて来ているので、勝てば、山ほど褒美が出たり、生涯を保障されるけれど、いい成績を残せないと、拷問!!や、強制労働!!が待っているそうで、そうなると、文字通り、生きるか死ぬかの勝負、選手も必死らしい。
北朝鮮の脱北した、もとオリンピック選手によれば、オリンピックは彼らにとって、形を変えた「戦争」だそうで、日本やアメリカには、特に、絶対に負けるわけにはいかないそうです。
そこまで行っちゃうと、愛国精神による応援も、何か一歩間違うと危ない、不穏な空気を、かもし出してきます。
石原都知事は、TVで、「オリンピック行くのに、“楽しんで、自分の試合をして来ます”なんて言ってる選手はおかしい。皆の金で行くんだから、勝たなければ意味がないんで、楽しむなら自分の金で行けばいい」と例の調子で言っていました。
確かに一理はある・・・。(^^ゞ
が、あくまで、「戦争」ではなく、「スポーツ」。
負けても、勝っても、選手達の流した汗に、敬意を払い、余裕を持って、応援できればいいな・・・と頭では思うのですが・・・。(実際は、ムリ・・・。「ニッポン」コールに大汗かいて、応援し狂っている私です。(~_~;)



8月19日(木)  カラオケでフィーバー!!

昨日、久しぶりに友人と3人でカラオケ行って、何と夜中二時半まで!!遊んじゃいました。
その中の一人は、プロの歌い手(歌って踊れて芝居ができる)なので、それはゴージャスなカラオケでした。
当たり前だけど、上手いの上手くないのって・・・。(*^_^*)
英語のミュージカルの歌から、バラードから、演歌からフォークから歌謡曲までまさに何でもOKで、とても素適でした 。
しかも、いっしょにいい気になって、私も過去最高、歌いまくりました。
不思議なもので、上手い人に引っ張られるのか、いつもより声も出てちょっと上手くなったかも・・・という勢いで気分 よかった・・・。

「どうやったら声って出るわけ?」
と真に根源的な?(どうやったら踊れるわけ?に近い?)質問に、ちょっと困りながらも教えてくれたところによれば、 喉仏を下げて、息をお腹に入れて、そうすると喉の管が広がって、いい声が出るのだそうで、あとは、声帯の筋肉の訓練 らしい。

話しによれば、発声法の日本の昔の先生の教え方というのは、イメージによるところが大きく抽象的なのに比べて、アメ リカの先生は、具体的で科学的な教え方で分かりやすいとの事。
実は、これは、踊りでも似たところがあって、昔の日本の先生は、ひたすら「引き上げて」、「お尻しめて」といった決 まりきった言葉などしか言ってくれなかったりしましたが、今は、様々な言葉を使い、科学的に身体の構造から、筋肉の 使い方を言ってくれたりする先生も増えています。
ですから、昔の人で上手くなる人というのは、たまたま身体の条件がすごくよかったり、勘がよかったりする一部の人だ ったものが、今は、ある程度のところまでは、誰にでも道が開かれているとも言えましょう。
踊りに限らず、例えば、スポーツの世界などでも、昔はひたすら、根性論だったものが、スポーツ科学の面から様々の研 究がなされ、指導法も変わってきているようです。
しかし、そういった具体的、科学的な指導が引っ張れるのは、あくまで“ある程度のところまで”の技術論であって、そ の先、芸術でもスポーツでも、個性や感性、そして精神力などは、その人ならではのもの。
その人の最大限の可能性を引っ張り出してあげる手伝いはできても、その先自分の力を信じて、歩き続けるのはその人の 力であるわけです。
いずれにしても、歌だろうが、スポーツだろうが、そして踊りであろうが、一つの道を歩き続けること、その人だけの華 を追い求めて行くことは素晴らしい事だと思います。

さて、久しぶりにいい気になって歌い狂い、下手は下手なりに楽しんだのですが、どうせ歌うなら少しでも上手くなりた いな・・なんてちょっと野心が芽生えた私であります・・・・。(^.^)



8月20日(金)  親と子

世の中にはいろんな人がいて、そのいろんな人が親になり、そこには様々な親子関係があるようです。
小さな頃は、親というのはあくまで、“親”であり、その人間性や、性質、個性なんかにまでは目がいかなかったりします。
しかし、子どもも成長し大人になっていろんなものが見えてくると、我が親ながら、
“あぁ、この人はこういうところのあるこういう人なんだ”といった具合に客観性が出てくる。

私の場合、幼い頃はかなり父親っ子だったと思います。
母親にはピアノを教えられていたせいか、ある意味煙ったく、また口うるさく、恐い存在で、父親は一人娘の私に弱い、甘い存在として、遊び相手であり、家来?でした。
成長し、親との間にある距離が出てくると、その父親が妙に癇に障りはじめ、キツクあたりすぎる私に、母親が仲裁に入ったりして、そして、大人になってからは、弱り始めた父親が、頼りなくも哀れでもあり、その父親が亡くなった今は、全く勝手きままな生活をする私と、今も音楽の道や悠々自適?な生活を楽しむ母との間には、いい具合の距離と接点があるように(私は・・?)思っています。
ここまで、年を取ると、親の性格も個性もわかるし、認められもする。
等身大の父と母がいて、その長所、短所、様々な特色がちょっとずつ、私にもあって、可笑しくもある。

そんな、ある意味幸せに、親との距離がとれた私なので、親というものにわだかまりを感じているという話しを聞くと、何だかツラく感じたりします。
大人になって、頭では“この人はこういう人”という認識ができても、そこが他人と親の違う所で、我が親となると冷静ではいられなかったりする・・・。
分かる気もするし、何だか不幸な気がする。
しかし、どんな人も、両親があって生まれてきて、でもその人自身の人生を生き、死んでいくわけです。
親というのはまず最初にかかわる人であり、一番近い、でも自分でない人で、その存在を前向きにとらえられれば、その人の人生もある意味、前向きに発展できるような気がするんだけどな・・・?!言うのは簡単だけどね・・・(-。-)y-゜゜゜



8月21日(土)  自転車屋のお婆さん、お元気で!

前のダイアリーにも書いた、ウチの近くの自転車屋さんのお婆さんが、とうとう自転車置き場を廃業するとの事!!
私的には、大大大ショックです!!
昨日の昼ごろ、レッスンから一度帰宅した際、自転車置き場によると、若い女性(たぶん孫か、その嫁)に、
「お婆ちゃんが、お話があるのでちょっといらして下さい」と呼び止められました。
「?」
今どき珍しい、ともいえる、“縁側”にちょこんとすわったお婆さんが、
「なかなか、お会いできなくて、本当はもっと前にお伝えしなくちゃならなかったのですが、実はワタクシ引っ越すので 、8月いっぱいでやめることになりました。お父様の時代から長いことありがとうございました」
・・・と実に丁寧に、しかしきっぱりとおっしゃるではありませんか!
ホント、私が今の家に引越して以来、なんと、28年間、雨の日も風の日も、ウチの自転車を2台、父が亡くなってから は、私の自転車をずっと預かってもらっていたのに、とうとうお別れとは・・・。(T_T)
私が、中学生になった時から、既に立派に“お婆さん”だった彼女は、今も小さーくなったけど、特にご病気もないよう ですが、なにしろご高齢(推定90歳以上は間違いない)なので、もしかしたら、どこかの老人ホームに行くのかもしれ ないし、他のご家族に引き取られるのかもしれない・・・。
ひなびた柿生の里には、珍しく、山の手奥さま風の言葉遣い、凛とした物腰、そして、どうもいつまでもふらふらしてい る?自由業の私を、ちょっぴり批判的に?、
「いつも、お帰りが遅くていらっしゃるようですが・・・」とかはんなりとたしなめる風でもあったお婆さん。(-_-;)
しかし、もう会えなくなると思うと、とても寂しいです。(>_<)
ウチの父には、かなりえこひいきをしてくれて、自転車の預かり代を値上げしないでくれたりしていました。
(もしかしたら少ーし父に気があったのかしらん・・・なんてマサカネ)
父が亡くなったことを伝えると、すごく寂しそうで、でもそれを機会にこちらも申し訳ないので、預かり代を値上げして もらったのですが・・・。(~_~;)
どうか、引っ越されても、お元気でもっともっと長生きして頂きたい・・・と思う私です。
(それと、新しい自転車置き場探さなきゃ!(^^ゞ)



8月22日(日)  セミ!

キライな虫でダントツはやはり、カマキリなのですが、最近もう一つ新たにキライなものがふえました。
セミです。
夜のセミ。
別に、どっかの木で鳴いている分には、いっこうにかまわないのですが、光にむかってなのか?マンションの廊下に飛ん できて、電球にぶつかって転がっているセミは、ホントにカンベンしてほしい!

セミの天敵が減ったのか(ウチの方は、ウグイスなどはまだいっぱいいて、鳥が減ったとは思えないのですが・・・?)
、ここ数年、やたらにセミが増えて、廊下に転がっているセミもやたらに増えたのです。
エレベータ降りてから、私の家まで、10メートル位なのに、その間に、昨日なんて5匹も落ちているのです!!
完全に死んでいるなら、いいんだけど、ご存知のように、あれは気絶しているだけで、人が通るのを、異常な感性で察知 して、急にバタバタ飛び回るんだよね・・・。(>_<)
何の躊躇もなく、気が狂ったようにこちらに突進してくるし、今にも顔にぶつかりそう。
実際、私は、眉間にぶつかられた事もあります。
セミに気付かれないように、足音を忍ばせて通ってみたり、死ぬ気で?ダッシュしてみたり、いろいろしたけど、どれも ダメ。
エレベーターを降りたとたん、行き先を瞬時に見渡し、どこに敵(セミ)が落ちているか把握し、地雷を踏まないように 、爪先立ちで、目一杯引き上げて(踊りやっててよかった?)ダッシュしても、一匹に気付かれると、もうアウト。
複数のセミが、暴れ狂う中を、顔をふせて走りぬけるしかありません。
最悪なのは、我が家の前に落ちている時で、鍵出して、ドアを開けてるうちに必ず暴れだす。
そうなると、セミが部屋に入らないように、パッとあけて素早くすべり込んで、すぐ閉めるしかない。
昨日は、スペシャルオマケ付きで、セミにくわえて、結構大きなバッタ(私はバッタもキライ!!)がいて、ドアを開け てすべり込むまで、息もできませんでした。
自然が多いのもいいけど、ホントカンベンしてほしい・・・。(T_T)
早く、寒くならないかな・・・・。(~_~;)

8月23日(月)  メダル、メダル、メダル

女子マラソン野口選手、金メダル取ったね!!
やった!!
さすがにリアルタイムで全部は見れませんでしたが、(>_<)、またもや感動!!
すぐ後ろに、ヌデレバ選手が迫っていて、リアルで見てたら、どんなにドキドキしたことでしょう!
だいたい、マラソン選手の走りって、マラソンという言葉で私がイメージする、“長く走る“というのを、全くくつがえ す、私ならたぶん“猛ダッシュ”なんだよねぇ〜。
それで、42キロも走り続けるって・・・ホントにすごい!!
しかも、坂だったりする。
アテネは35度もあって、無念の棄権の選手もいたし、あんなに小柄で華奢な彼女に潜む肉体的、そして精神的なパワー に本当に拍手です。(*^_^*)

今回のオリンピックは本当におもしろい。
メダルだけがすべてじゃないけど、やはり日本人選手のメダルラッシュが、日本人みんなに元気をもたらしていると思い ます。
私も含め、たぶん応援している人はみんな自分がメダル取ったような気になれて?張り切っているのかもしれない。
(私なんか柔道やってて、オリンピックでメダル取れたらいいのに・・・とか思ってる)
私なんかは、ふだんからそのスポーツ、或いはその選手をよく知って、応援しているというわけではなく、メダリストと なって初めてその選手を知った、なんて場合もあるんだけど、もちろんそこに来るまでには、各選手の努力、それをささ えるサポートが山ほどあるわけです。
そういった今までが、すべてむくわれる瞬間というのは、やはり文句なく感動を呼ぶし、一つの事に命をかけて突き進む 姿勢って美しいと思います。
集中している選手の顔ってホントにかっこいいと思うし。
しかし、今回、ロサンゼルス以来20年ぶり決勝進出、とか20年ぶりのこの種目メダル、とかよく聞く気がするけれど 、何でなんだろう?
もしかしたら、日本人自体の気質というのが、若い世代になって変わってきていて、いわゆる“本番に強い”、プレッシ ャーに強い、今までの日本人とは少し違ったタイプが増えてきているのかもしれないね・・・。
そうだとしたら、これは歓迎すべきこと、次回北京大会では、(時差も少なく、寝不足にならずにTV観戦できそうだし ・・)また期待できそう!!(^.^)



8月24日(火)  潜在能力

私が、普段レッスンでストレッチの時にかけている曲、あれはもう10数年変えていないのですが、実は、“潜在能力アップ”というCDなのです。
教えるようになって、結構、試行錯誤の後、落ち着いた曲です。
ストレッチの時のBGMって、よくバラード調のスローな曲をかける先生もいますが、私は自分が受ける時でも、BGMがいい曲だと、じっくり聴いちゃってダメだし、まして教える時は、気になっちゃってどうもダメ。
キライな曲は、あたりまえだけど、聴きたくない。
スローな曲でも、下のビートのはっきりした曲だと、自分が出すカウントとずれると気持ち悪いし、かと言って、ビートに合わせちゃうと、気持ちよく伸びなくて、やはり気持ち悪い。
じゃあ、無音は?というと、やはりそれもしばらくすると、シーンとした圧迫感が気になってくる。
結局、ビートのない、メロディーもあるようでない、完璧なBGM系の曲がいいのです。
環境音楽のようなCDも使ってみましたが、小鳥の声や、波の音なんか入ってきて、眠くなっちゃってもいけないしねぇ・・・。(~_~;)
・・・というわけで、セレクトしたベスト?!の一枚が、今のCDなわけです。
どうせ、毎回聴くなら、(誰よりも毎回聴くのは、私だからね)何か効果がある方がいい、というわけで、“潜在能力アップ”なわけです。
人間には、使われていない潜在能力がたくさんあるらしく、そんな未知の部分を開発し、表に出せれば、思いもかけない事がたくさんできる。
ストレッチしながら、音楽を聴くともなく、なんとなく聴いているうちに、少しでも効果があればラッキーではありませんか?!
しかし、誰よりもたくさん音楽を聴いている私・・・はたして、少しでも潜在能力はアップしているのでしょうか?
まっ、いっか!(^.^)



8月25日(水)  祝?コーポ祭

私はマンションに住んでいて、地域の町内会とかは盛んじゃないし、特にお祭りで駆り出されて・・・なんて事はないの ですが、何とそのマンションのだけの“お祭り”というのがあるのです。
その名も“コーポ祭”。
築30年近く(もちろん塗装のし直しとかはやってますが)、ほとんどが最初からの持ち家の人が多い。
コーポというのは、コーポラティブの略で、マンションの管理すべてを住民で自らやろう、というコンセプトがあるらし く、管理人さんもいなくて、普通管理人さんがやってくれるすべての事を、当番制で行うシステムになっています。
そして、その管理組合主宰の年一回の大イベントが、この“コーポ祭”。
今度の土、日曜なのですが、もうすでに、“祝コーポ祭”の垂れ幕が下がっているし、入り口には、提灯が揺れています 。(~_~;)
大人になってからは、自分の生活で忙しく、親にまかせっきりなのですが、m(__)m 高校生ぐらいまでは、仕方なく、マ ンションの広場に出る(っていうか自分達で出して、自分達で買うのですが)出店で、焼き鳥を焼いたりしましたよ。
ブロックで分担がきまり、あらかじめ配られた材料で各家が、おでんを煮込んだりして、それも売る。
そういうのが、好きな人がいっぱいいるんですよ・・・。(^^ゞ
中の人で得意な人が作った、手作りのおみこしまで出て、結構大がかりです。
小さい子どもは、広場にテントを張ってキャンプなんかして、花火もあって、盛り上がる。
が・・・、最近は築30年ということもあり、住民もそれなりに老人がふえ、あるいは世代もかわり、何となくムードも 変わってきたようです。(何しろ私は、参加していないのでよくわからないけど・・・)
編集部では、会報も出しているし、庭仕事をしている園芸部もある。
設備の係りになったら、エレベーターの故障や、火災報知機の誤作動などで駆り出される。
私の父は、会計になって、あまりの仕事の多さに悲鳴を上げていた時もありました。
住民みんなが若く、やる気に燃えていた頃はよかったけれど、老人化が進むこの頃では、そういったやり方に、水面下で は、苦情もあるらしく、“お金払って、管理人さんを雇う方がラク”という声も上がっているらしいのですが、なかなか 、長年のシステムは変わらない。
そのうちに、またウチにも順番が回ってきたら・・・と内心脅えながら、垂れ幕をにらんでいる今日この頃です。(-_-;)



8月26日(木)  口癖

オリンピック、シンクロ種目の解説者の人で、顔もそこそこキレイでTV向きだし、もと選手だから種目に詳しいし、そ れはいいんだけど、やたらに口癖が気になる人がいます。
ここのところ、毎日見てると、とにかく話し出す前に必ず、「そうですねぇ〜」って言うんだよね。
一回気になりだすと、もうダメ。
何か聞かれると、「そうですねぇ〜」・・・。
10分くらいの放送の間に、30回は言ったと思う?!
それが気になって、あっまた言った、とか数えていると、話しの内容が全然わかんなくなるんだ・・・。
こういう経験ってどこかであった、と思ったら、遠い昔、数学の先生で、「ねっ!」がやたら多い先生がいて、一時間の 授業の間に160回位言ってて、それを毎回数えていた私は、すっかり数学がわからなくなりました・・・。(>_<)
「それでねっ!だからねっ!こういう具合にねっ!・・・」
うお〜!!!(@_@;)
特定の口癖の多い人の性格分析というのが、前に何かに載っていて、内容は忘れちゃったけど、確か念押しの言葉が多い 人というのは、実は自信がないとか書いてあったなぁ〜。
あの先生、自信がなかったのかしらん?
とか、言ってると、私ももしかして口癖ってあるのかもしれない・・・。
文章では、「或いは」、とか「いわゆる」とかが多いかもしれないけれど、話言葉、レッスンなんかでも、もしかしたら 何かあるのかもしれませんね・・・。
気がついている人がいたら、教えて下さい。(~_~;)



8月27日(金)  お土産

夏休みで実家に帰ったり、旅行したりした人のお土産でお菓子などをよく頂くこの頃・・・。(^.^)
お菓子好きの私としては、とてもラッキーです。
(火曜クラスの方はご存知ですが、先日頂いた、ドリアンのキャンディーは強烈でしたね・・・!最後までなめきった人は一人しかいないという、ものすごい匂い、味でした!(~_~;))
昔は、よく名物のうまいものなし、なんて言って、おみやげのお菓子なんてあんまり美味しくないというイメージもありましたが、最近は、各メーカーもよく工夫していて、なかなかいけるものが多いようです。
先日、頂いた、新潟のこしひかりクッキーは、香ばしくてほんのりお米の香りがして、かなり美味しかったです。

おみやげといえば、昔、父がゴルフに行っていた、富士山の方の(どこだっけな?)おまんじゅうで、一家が皆気に入っていたものがありました。
ごく普通の黒い皮の温泉まんじゅう風なのですが、なかのつぶし餡とのバランスが最高でした。
ところが、ある時、一口食べると、何か違う・・・。
餡の中にギュウヒが入っているのです。
入っていない時の方が、全然美味しかった・・・。(-_-;)
かなり、そのおまんじゅうが気に入っていた我が家としては、全く納得がいかないので、わざわざ製造元に電話して、もとのおまんじゅうはもう造っていないのか、何故ギュウヒを入れたのか、確認したくらいです。
製造元の返事では、自信を持ってわが社がした改良版で、元のものはもう造っていないとのこと・・・。
がっかり・・・。(>_<)
それから、1,2度はそのギュウヒ入りを食べましたが、結局あまり人気がないのでもう買わなくなりましたね・・・。

昔、仙台出身の友達が、夏休みのたびに帰省しては、“萩の月“を買ってきてくれていましたが、あれはほんとに大好き・・。
最近は、あまり会わないので、貰えないのですが・・。
もちろん、東京でも買えるのだから、自分で買って食べてもいいんだけど、なんかそれはしないですね・・・。
やはり、お土産には、お土産の楽しさと美味しさがあるようです。
(決して催促しているわけでは、ありません)(^^ゞ



8月28日(土)  “うたう”ということ

昨日、もと生徒で、フランス在住のピアニストと久しぶりに会いました。
あらためて、踊りも音楽もいっしょなんだなと納得する部分がいっぱいあっておもしろかったです。
ピアノでは、(ピアノにかぎらないかもしれないけど)“うたう”という言葉があって、これは音楽に自分の情感や感性 をのせて弾くことなんだけど、踊りで言えば、いわゆる“音のとり方”、ねばったり、きったりして音を自分なりに感じ 表現していくことといっしょですね・・・。(踊りは、全身表現だから、他にも視線や表情や芝居的な部分やいろいろあ るけれど)
譜面や、振付そのままというのは、例えば、芝居で言えば、(芝居もいっしょですね)棒読みで、早く言えば、つまらな い。
さて、それを教えていくという面で見れば、まずは譜面通り、或いは振付通りにこなせるようにすること。
これは、不可欠で、当たり前。
テクニック的にできない部分、弱い部分があれば、アドバイスし、練習させる。
問題は、その後です。
その人なりの、表現、味を引っ張り出していくこと。
一つの方法は、先生なり振付師が、自らやってみせるというやり方。
それを見て、ああやりたいと自ら思って、まずは模倣から入っていく。
(しかし、ああやりたいと思っても、いったいそれにはどうしたらいいかわからなかったりする場合がある。
実は、表現のテクニックというべきパターンやノウハウが少しはあって、そういうのも何か生徒がモーションを出せばア ドバイスしたり、経験でつかんでいったりするのですが)
後は、何かヒントになる身近なイメージを与える。
例えば、踊りで私がたまに言ったりする、ここに好物があってそれを背伸びしても必死でつかもうとする(あまりに低級 なイメージかしらん)・・・とか、光が向こうからさしていて、それに向かって歩いていこうとする・・・とかの類かも しれません。
しかし、そういった格闘をいろいろ試みても、全く何も出てこない(・・・としか見えない)人もたまにいる。
どこを叩けば、殻が割れるのか・・・と悩む時です。
彼女の話では、そういった生徒の中には、舞台にのった時だけ、“化ける”人もいて、現に練習では全く何も出てこなか った子が、舞台にのった瞬間、解放されて自由に表現し出したそうで、確かにたまにそういうタイプっているんだよね・ ・・。
それって、格闘した先生にとっては、すごくうれしいんだけど、同時にあらっ?(^^ゞって感じで、それが本人の無意識 であればなおさら、複雑だったりします。
私は、リハーサルの中でのコミュニケーションで、作品が出来上がっていくのを見るのも好きだから、ちょっと寂しい気 もする。
まぁ、いずれにしても、何か表現したいもの、感じる心があって、それに触れるのは素適なことですね。(*^_^*)



8月29日(日)  結婚式

行ってきました、久しぶりの結婚式!
11年教えた生徒のJが、晴れて嫁に行くことになり、招待されたのです。
それは、メデタクて、よい話なのですが、主賓扱い、祝辞つきというのに、ビビり、この数日緊張しまくりでした。(ホ ント気の小さい私です・・・)
人前で、毎日喋っているくせに、マイク使ってあらたまってのスピーチというのは、本当に苦手で、原稿作って暗記して 、暇さえあれば、それを繰り返し暗誦し、準備万端のはずが、やっぱり超上がってしまいました。(>_<)
だいたい、友人代表というのと違って、主賓のスピーチは、宴が始まってすぐで、場も慣れていないので、やりにくいと は聞いていたのですが、新郎側の主賓が原稿もなしに、流暢に喋っているのを聞いたらもうダメ・・・。
生まれて始めて、と言うくらいの緊張で、生まれて始めて足もカタカタと震え、声もかすれ(普段からか?)、自分が原 稿のどこを言っているのか、頭の中でパニックで、本当にどうしようと思ってしまいました。
半分を過ぎたあたりから、やっと人ごごちがついたけれど、それでも、自分的には全然×。
もうちょっと上手くできると思ったんだけどな・・・。(T_T)
しかし、繰り返しの練習のおかげか、途中で一回紙見たけど、どうにか終えられてほっ。
冷静になって、新婦のJを見ると、全くの自然体、リラックスして満面の笑み!!
緊張して、モノも入らないといった花嫁さんのイメージとは全く違って、本当に嬉しそう。
お酌されて、ビールを飲み干すあたり、全くいつものJではありませんか。
壇上に、皆どんどん上がって、携帯や、デジカメの新郎新婦との写真撮影がひっきりなし
全体の宴の雰囲気も若い人中心のアットホームな感じで、昔の結婚式の、おもむろに原稿を広げて読み出す、と言ったタ イプのおじさんも全くいなくて、皆ニコニコと、自分の言葉で、その場で思いついたかのように、スピーチしているので す。
明るくて、アットホームなJらしい、いい結婚式でした。
でも、それにつけても、私一人でなんであんなに緊張したんだろう?(~_~;)
今度、もし誰かに頼まれる事があれば、もっとラクにやるぞ・・・。
まっ、とにかく、ホントにおめでとうございます!(*^_^*)



8月30日(月)  軽スポーツ

私は、前に12年間ほど体育館で、クラスを持ってて、そこで結構いろんなスポーツを経験させてもらいました。
クラスの内容は、軽スポーツという事で、半年が1クールで、一般公募で集まった女性が、一つのスポーツを一回か二回 にわたり経験し、軽く汗を流しリフレッシュする・・・みたいな事だったのですが、その前半のストレッチと超軽ジャズ ダンス?のようなダンスを教えていました。
後半は、私にとっては、実は苦手な分野で(体育2だからネ・・・(^^ゞ)、かなり悪戦苦闘したけど、今となっては懐かしい 思い出でもあります。
ソフトバレー、(ボールもいわゆるバレーボールとはちがうんだよ)インディアカ(知ってますか?バトミントンの羽の お化けみたいなものを手で打って、ルールはバレーといっしょ)、ゲートボール、トランポリン(これは楽しかった!! ただタテに跳んだり、跳んで回ったり、膝打ちと言って、膝で正座みたいに降りるのとかくらいだけど、おもしろかった )ユニホッケー(プラスティックのスティックでプラスティックのボールをたたく、軽いホッケー?でも結局走り回るか らハードです。)、昔懐かし、ドッジボール、ポートボール、さいころサッカー(スポンジでできたサイコロを蹴って、 出た目が得点になる)、スケート(これはかなりハードだった。転んでびしょびしょになりながら、汗びっしょり)・・ ・etc。
広く、浅くというコンセプトだろうけど、スポーツの楽しさは、悪い見本として活躍しながら?、指導側の私も充分楽し んだ部分がありました。
結局、最後は、講師として外から招かれていた私ではなく、体育指導を専門とする体育館スタッフオンリーで行くので、 バトンタッチということで、あまりに急に契約打ち切りになって残念でした。(ちょっと怒)(普通もっと前に言うでし ょ!!)(-_-;)
それはさておき、今回オリンピックなんか見ても思うんだけど、やっぱりスポーツって見てもやっても、実際関わると、 楽しいですね。
(そのクラスで、超軽ジャズダンス?を始めてやって、踊りが好きにになってくれた人もたくさんいました。)
ただ、私は性格上、ちょっとやったら、もっと深くやりたくなるタイプなので、たぶんそのクラスを受ける側だったら、 どれか一つのスポーツ、或いは踊り?にはまっていったと思うけど・・・。(^。^)



8月31日(火)  速報の時代

どうも、速報系のTV番組に弱いのです。
大変、不謹慎なのですが、台風情報とかいって、各地の被害などをやっているのを見だすと目がはなせなくなります。
あの臨場感がたまらない。
しかし、昔は透明のレインコートを着て、風雨の中、波打ち際とかでレポートする人を、よくTVで見たけど、あれは、 どう考えても危ない。
もし、そのまま、波にされわれるのが、TVで放映されちゃったりしたら、どうなるんだろう?とか余計な心配までして しまいます。

速報と言えば、選挙の開票速報とかも大好きで、見だすととまらない。
刻一刻と変わる状況、候補者の悲喜こもごも、解説者や、各党の党首のコメントなんかが上手いことミックスされて、お もしろい。
やはり、事実は一番強い!!

速報と言えば、アメリカの9.11の時はホントにビックリしましたね〜。
レッスンの後だったので、駅にいたら、友人から、「大変な事が起きたよ。」とメールが入り、家に着いたとたんTVを つけたら、信じられないような事実が、画面に・・・!
あの、ビルの中を飛行機が貫通する映像は、どんなパニック映画のCGにも出せない、度肝を抜く恐怖でしたね。
あり得ない、と思いながらそれこそ目が離せず、夜中までTVを見続けてしまいました。

最近は、戦争も速報で伝えられてしまう時代。
TVで見ると、どんな深刻な事も、私のような?!不謹慎な奴には、野次馬的な興味の的になってしまう。
ジャーナリストの命を賭けた、真実の報道も、受け止め方で、リアルであればあるほどかえって、現実感がなくなってき たりする。
そんな中で、しっかり目を開けて、気を確かに持って、これは現実だと自分に言い聞かせ、判断力を持っていくことは難 しいけれど、必要だなと思ったりします・・・。(-。-)y-゜゜゜



ページ先頭へ 前へ 次へ ページ末尾へ