YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2004年 7月


7月1日(木)  作家、野沢尚さんの訃報

作家の野沢尚さんが亡くなりました。
しかも、自殺だって・・・!!(@_@;)
実は、私は野沢さんの小説のファンでした。「破線のマリス」、「リミット」、「深紅」、「砦なき者」・・・。(みんなおもしろいよ!)
他にも、TVの脚本などもいろいろ手がけていた彼ですが(亡くなる直前まで、NHKの時代劇枠の脚本を手がけていたらしい)その中でも、私が一番好きなのは、「呼人」という作品です。
ある奇病(そのきっかけには理由があり、かなりサスペンス的な要素もあるのですが))成長のとまった呼人という名の少年の視点から描かれた小説です。
彼と同級生だった、仲間の小学生が大人になっていく中で、いつまでもみずみずしい12歳の感性で生きる彼を通して、心に響く、暖かい物語です。
映画にしても、絶対面白いと思うな。
つい最近は、「砦なき者」が、TVドラマ化されて(見た方いますか?)、ちょっと見ましたが、原作の迫力と、計算されたラスト(ドラマではあの恐怖は出せない)は、本の方が面白かった気がしました。
次回作が早く文庫に(単行本は高いし、重いからね〜)なることを楽しみにしていたのに、突然の訃報にとても残念な気持ちでいっぱいです。
才能の枯渇も全然感じられなかったし、彼の自殺にいったいどんな理由があったのかわからないけれど、(NHKの脚本に苦しんでいたといううわさもあるけど・・・彼には合わない仕事だったのかも? 絶対仕事を断らない人だったそうで・・)もっともっと彼の作品を読みたかった・・・(T_T)
謹んで、ご冥福をお祈りします。



7月2日(金)  定年制

何だか、天皇陛下の癌細胞に少し異変が見られたので、ホルモン治療を始められるとか・・・。
思うのですが、天皇陛下には、定年制度がないから、大変ですねぇ〜。
七十歳を超えられて、普通なら悠々自適の生活を楽しんだりするのでしょうが、相変わらず、ご病気になってもご公務は続き、(よくはわかりませんが)日本中あちらこちらに行かれては、祭典に出席なさったり、お言葉を述べたり、握手をしたり、結構ハードなのではないか・・・と思います。

定年がないと言えば、踊りの世界も、自分が引退と思うまでは定年がありません。
私の周りには、何故だか異様に!?元気な、70歳台寸前!という大先輩が何人もいて、そんな方々を見るたび、いったい自分はいつまで現役でいられるのかしら・・・?などと思ったりもします。
バレエの世界では、そろそろ夏休みに向かい発表会シーズンで、 いつもレッスンで顔を合わせるバレエの先生の中にも、生徒さんを踊らせ、ご自分も一曲くらい踊られるという方がいます。
耳をダンボにして、その50歳代半ばくらいの先生が踊られる作品をもれ聞くと、何と“ロミオとジュリエット”だそうで・・・!
でもあれって14歳くらいの少女の話じゃないの?と、大変申し訳ないのですが、その先生をそっと、でもまじまじと見つめてしまった私でした・・。(^^ゞ(失礼をお許し下さいませ。m(__)m)
しかし、よく考えてみれば、クラッシクの古典の作品の主人公というのは、みんないわば少女の役で、年齢に合った役どころというわけにはいかないのかもしれない・・・。
しかも、天下の森下洋子さんなんかは、日常ではどうあれ、舞台に乗れば立派に14歳に化けるわけで、そこは芸の力というものなのかもしれません。
とはいうもの・・・ジャズや、モダンは、その時の自分に合った作品や、表現というのが可能で、何となく私はホッとしてしまったのでした。

定年がないということは、自分で自分に責任を持って、プロとしての仕事を提供し続けるということで、それにはやはり健康管理と日頃の地道な鍛錬しかないわけで、周りにいらっしゃる大先輩のパワーをあらためて感じ入る次第でした。



7月3日(土)  コウモリ

昨日レッスン前の一服、(最近は、公民館なども全館禁煙で)入り口前の喫煙スペースで暮れかけた空を見ながらボーッとしていたら、“一服仲間”?!の生徒の1人が、
「あっ、コウモリだ・・・。」
とつぶやきました。
「えっ?」と聞き返すと、何事もなかったように、
「コウモリが飛んでますよ、ほら、あそこ・・・」と言うのです。
私は今まで、東京と神奈川に育ち、コウモリを実際に見た事がなかったものですから、結構びっくりして、
「コウモリなんてこんなとこにいるの?」
と聞き返しました。
すると、そのM子によれば、飛び方でコウモリは分かるそうで、しかも、このくらい日も暮れてくると、小鳥は飛ばないから絶対さっきのは、コウモリだという事。
間髪をいれず、また、
「ほら、また、あれもそうですよ」
「えっ?どこ?」
M子の指差した先には、確かに黒い小さな影が、見えました。
コウモリと言えば、吸血鬼の周りを飛ぶ、半分妖怪じみたイメージの“吸血コウモリ”だったので、普通に駅から5分程度の住宅地を飛ぶコウモリは何か頼りなく思えました。

そんな事から、ちょっと興味を覚え、ネットでコウモリを検索してみたら、コウモリのページって結構あるんだよ・・・。(~_~;)
たぶん飛んでいたコウモリは、小さな虫とかを食べている種類の小さなもので、吸血コウモリも、吸血で人を殺すなんてことはなく、傷をつけたところをぺろぺろなめる程度らしいのですが、伝染病などにかかりやすいので注意という事らしい。(しかも、これは、熱帯にしかいない)
コウモリが逆さにぶらさがっているのは、空を飛ぶために、体を軽くしていったら、足が細くなりすぎて、体重を支えられなくなって逆さにぶら下がっている方がラクになっちゃったのだそうです。ふーん。(^ム^)

そういえば、前にも、やはり厚木に住んでいるミセスが、ウチにもいっぱいコウモリがいる・・と言っていたような気がします。
いるんだねぇ〜。

何はともあれ、かなり遠かったとはいえ、(黒い影でした・・・(~_~;))始めてコウモリを見た私でした。



7月4日(日)  厚木のカルチャークラス

私が、講師をしている厚木のカルチャーの店長さんが、定年で今月いっぱいで退職なさるとの事・・・。(本当にお疲れ様でした。m(__)m)
思い返せば、私が最初にそのカルチャーに入ったのは、もう12年位前の事。
その間に、店長さんも3人くらい変わりました。
いやいや、月日のたつのは早いこと・・・。(^^ゞ

カルチャーの人気の講座というのも、流行すたりがあるようで、私が最初に入ったきっかけは、こどもの“新体操”の先生が、代わりを探していると言う話を、知人の“新体操”の先生からもちかけられて、お引き受けしたのでした。
あの頃は、こどもの新体操が大流行だった・・・。
しかし、もちろん、私は新体操なんかやったこともないし、(それは、お引き受けする時にもちろん、伝えましたよ)苦肉の策?で、そのクラスは、「新リズム体操」クラスとなったのでした。(この“新”がリズムにかかるか、体操にかかるかが微妙?!)
しかし、フタをあけて、今日から新しい先生です・・・と私が入っていったら、子供達は、みんな新体操のリボンとか持って待ってるし、(そういえば、前の先生から、簡単でいいから、リボン持って踊らせて下さいとか、言われていたっけ・・・(@_@;))それはそれは、冷や汗ものでした。
ちょっとやってみたら、全然私ができないんだもん。(からまっちゃうの・・・。(-_-;))
結局、じわじわと、新リズム体操クラスから、キッズジャズのクラスへと移行していき、やがて大人のクラスも・・・となって現在に至るわけです。

新体操とともにその先生が持っていて、私が代わりに入ったのが、“ビューティスリムアップ“(?確か・・・そんな名前だった)クラス。
内容は、まぁエアロビクスもどきのような感じだった・・・。
今も、スポーツクラブなどでは、(一時期ほどではないけれど)やっていると思いますが、エアロビクスもすごく流行っていましたね・・。
ジャズダンスが大ブームだったのは、実は、私が始めた頃、20年以上前のことです。
その頃なんか、どこのカルチャーも、定員オーバー、空き待ちだったりした・・・!!

今日も、店長さんに言われましたが、
「先生のクラスも長いですもんねぇ〜」
という事で、いつの間にか、カルチャーの講座の中でも、お蔭様で、古株となった私のクラス。
爆発的人気講座というわけにはいきませんが、定番の商品?!として生き残り、ジャズダンスの魅力を伝えるクラスとして、この先も頑張って行きたいな・・・と思っていますので、どうぞよろしくお願いします。(^_-)-☆



7月5日(月)  舞台へのお誘い(^_-)-☆

もともと、ジャズダンスをはじめとして、「踊り」というのは、人に見せる事を想定している気がします。
誰もいないところで、一人で踊っていても、それはそれで楽しいとは思うけど、ちょっと危ないし?(~_~;)、それなら上手く踊るために習う必要なんかない気がします。
もちろん、自分が踊って気持ちがいいのは、前提ですが、人が見てカッコよかったり、美しかったり、何かを感じてもらう事なしに、ただ発散しているのは、やはり私はつまらない気がします。
やはり、発表の場というのは、その上達の過程においても、必要だと思うのです。
・・・・というわけで、“舞台”です。

舞台という空間の魅力については、いくら言葉で語っても、実際体験しなければ、理解し得ないところがあるわけですが、だた、人に見てもらうという事だけでなく、日常を超えた一種、異空間へのトリップ(大げさかしら。。。)で違う自分を発見したり、普段のレッスンではつかめない“見られる事”、“魅せる事”みたいなものがつかめたりしますね。
例えば、群舞などの場合、実際の踊りの実力というものに、個人差があろうと、「その人の今、現在のパワー」の輝きが、集まった時の集合体の「作品のパワー」になったりして、やはり舞台はいいなと思います。
皆で一つのものを創るというのも、また得がたい舞台の魅力であります。

また、大げさになりますが、今ある自分を肯定して、100パーセントのパワーを出すよう努力し、花火を上げるのが舞台で、また、明日の自分を夢見て、レッスンする、そんなロマンが、踊り、そして舞台だと思ったりするのであります。(*^_^*)

さて、レッスンに来てくれている皆さんには、レッスンの時にご案内しますが、今年も11月3日に、市民文化祭へ参加します。
是非、一人でも多くの参加を待っております。なんか、勧誘みたいになっちゃたけど、私のホントの今の気持ちです。(^^♪



7月6日(火)  いちごみるく

いちごみるくというキャンディーを知っていますか?
たぶん、今でもあると思うけれど、あれは私の小さい頃からあって、私はあの飴が大好きでした。
いちご味のキャンディーの中から、粉ミルクみたいなミルク味が出てきて(せっかちな私は、飴はなんでもすぐ噛んじゃうのですが)とてもデリシャス!
あのいちごみるくには、ちょっとした思い出があります。

小学生の一年生くらいのある日曜の夕方、母親が出かけていて、父と二人だった私・・・。
日も暮れて、きっと何となく寂しかったんだと思うけど、急にいちごみるくが食べたくなったのです。
父にそう言うと、いっしょに近所の、駒場マート(今もあるのかな?何か乾物屋さんみたいなノリのシブいお店。あの頃、たぶん今もだけど、駒場と言う街にはいわゆるスーパーがなかったのです。)に買いに行くことになりました。
ところが、何しろ駒場マート!そんなものは置いていなかった・・・。
ないとなると、とたんにどうしても、いちごみるくにこだわりたくなった私。
たぶん、母がいないのと、何かつまんないので、ぐずりが入ってたんでしょうね・・・。
「いちごみるくが食べたい〜!」と騒ぎ出しました。
困った父は、仕方なく、(父は私には甘かった・・・)電車に乗って(2駅だった)、下北沢まで私を連れて行くハメに・・・。

下北沢も、今と違って、オシャレな街ではありませんでした。
これは、今もある、駅前の市場で、父がまず入っていくと、ニコニコして、
「あったよ」と買ってきたのは、何と、いちごみるくはいちごみるくでも、いちご牛乳だったのです!
「これじゃな〜い!」と、とうとうべそをかいた私でしたが、さすがに父がちょっとかわいそうで、結局は“おいしい“とその牛乳を飲みました。
それでも、執念で、もう一軒、ピーコックに行くと、やっとありました。
いちごみるく!!父としては、さぞ、やれやれ・・・というところだったでしょう。m(__)m
いちご模様の包み紙もかわいい、懐かしい、思い出のキャンディーです。(*^_^*)



7月7日(水)  今度は・・・!

ギックリゴシーン(ぎっくり腰)には、日頃から馴染みのある(そんなものに馴染むな!って感じですが。。。)私ではありますが、実は、また新たな故障をしまして・・・。
本当に、ここへきて、しょっちゅう故障が多く、皆様には、何かと、ご迷惑、ご心配をおかけし、心苦しい限りであります。m(__)m
一昨日、いつものように、朝、クラッシックバレエのレッスンに出かけ、やる気満々、軽くストレッチなどもすませ、バーについた私でした。
レッスンが始まってほんの数秒後、後ろに大きく反ったとたん、背中で何かが、「ズドン」といいました。
(えっ?なにこれ?)
と思ったら、もう、少し上を向くだけで、激痛が背中に・・・。
何かやったな・・・と思ったのですが、まっすぐしている分にはいけるので、そのまま最後まで動いてしまいました。
まぁ、反るのは、全く無理なので、目だけ上向いて・・・。(それじゃ、普段皆に注意してる悪い例じゃん・・・)
目の玉が、疲れてしまいました。(@_@;)

背中(肩甲骨の内側あたり)の、「肉離れ」ではないか・・・ということで・・・・。(>_<)(そんなにヒドいものではないと思う)
やれやれ・・・です。(-_-;)
その後、だんだん痛くなってきて、さすが、肉が離れている(コ・・コワい)だけある。
教えるのは、(反れないけど)だいじょうぶだし、まっすぐなまま、レッスンには行っているのですが・・・。(~_~;)
何もしていなくても、じっとしているだけでも、ずっと背中が痛くて、かなりブルーな私です。
ま・・・しかたないか・・・。寝るとしよう。(寝るのも結構大変。(T_T))



7月8日(木)  やりがい

いや〜暑い、暑い・・・。
本当にまだ梅雨なんでしょうか?(~_~;)
まさに、真夏そのものの陽気で、夏生まれ(今月の23日が誕生日で〜す!!)の私も、辟易するほどの暑さです。
こんなに暑い日は、Tシャツが絞れるほど大汗かいてレッスンでもするのがいいんだけど・・・?!

今日、炎天下で看板を前と後ろに背負って立っている、“サンドイッチマン”を見ました。
いやー、ご苦労様です。
ただ、物の様に立っているというのは、たぶん精神的にも、もちろん肉体的にも、かなりツライと思う。
自分が頑張ったからと言って、たくさん物が売れるとか、人が助かるとか、何かが創られるとかいう、目に見える成果がないというのは、私には耐えられない気がします。
(頑張ったら、成果がある、誉めてもらうのが大好きな私ですので・・・)
昔、TVのCMであったけど、仕事のやりがい(やり貝とか言って大きな貝を背負ってるCMだったよね・・・)ってやはり大切だと思う。
もちろん、お金を頂くんだから、そんな事を言ってられないのはわかるし、仕事があるだけラッキーなんだろうけど、見ていてちょっと辛かった。
私の仕事は、人から言わせると、好きな事してお金もらえていいなーという事になるんだろうけど、もちろんそれなりにキツイことは、それこそ、肉体的にも、精神的にも、人と関わる仕事だからこそあるのですが、“やり貝“も大きい。
苦労して教えたことが、一人ひとりの生徒さんに身についていくのを見られるのは、何よりもやりがいにつながります。
“ビンボー”なのが、玉に瑕ですが、まぁそれは仕方ないか・・・。(^^ゞ



7月9日(金)  ブルース オールマイティ

今年の元旦に(もう半年が過ぎちゃったよ!)ジム・キャリー主演の「ブルース・オールマイティ」という映画を見たのですが、もう貸しビデオとかDVDとかが出ている頃と思います。
私としては、これはなかなかおススメの、楽しい映画でした。
全編にあふれるユーモアと人間に対する暖かい視線・・・。
ジェニファー・アニストン(ブラピの奥さんだけど、私的には、ブラピはそれほど興味ない・・・)演ずるけなげな女は、世の男性方にしてみれば、理想の妻像らしい。
何があっても、彼を受け入れ、彼がたとえ浮気をしても、彼の幸福を祈り続ける・・・。(あくまで、男性がつくった理想像とも言える?)

しかし、この一週間だけ、神様になったらというストーリーは、破天荒ながらあちこちにうなづけるものがあったりします。
オールマイティの神様になって最初にやってみるのが、スープ皿のスープをさぁーっと二つに分けることだったり(モーゼじゃないんだから)、結構どうでもいいことで、自分の力を確かめているうちは、いいけれど、そのうち、パソコンに(この辺がいかにも現代で笑えるけど)「神様へのお願い」メールが全世界から殺到する。
(試合に勝たせて下さい、とか試験に合格させて下さい、とか彼とうまくいかせて下さいとか・・・)
それも、ほとんどが、自分の事ばかり・・・。
そんな中で、キラキラ光るのが、もと彼女の、それでも、彼の幸福を願う、人のための祈りだったりするわけです。
やがて、メールだけでなく、全人類のお祈り、お願いが、頭の中にわんわんと鳴り響き、神様もラクじゃない事がわかる・・・。
街角で、神様自ら!、「神は存在する」(そりゃそうだ)のプラカード持って立ってたり、何気ないシーンが笑えて、何か暖かい、私の好きな映画の一つです。(*^_^*)



7月10日(土)  ひとみさん、再会おめでとう!

やっと、旦那様と娘さんに再会できた、曽我ひとみさん、本当によかったですね!
昨日はどこのチャンネルでも、感動の再会シーンを放映していて、情熱的なひとみさんの抱擁とキッスは、しんの強い穏やかで優しい感じのひとみさんの新たな一面を見た気がして、ほほえましかった。
ジェンキンスさんの方が、押され気味とも言えるくらい・・・。(~_~;)
ひとみさんは、帰国してから随分大きく?なったし・・・。(^^ゞ

曽我さんのコメントや、文章は、飾らない中に、素直に心の中を表現していて、いつも胸を打たれます。
報道陣の一言一言にも、必ず真摯に受け答えするひとみさん。
「頑張って下さいね」などの一言にも、「ありがとうございます」などと振り返って笑顔で答えるひとみさん。
あれほど、いろいろとツライ目にあっているのに、いつも前向きでやさしいひとみさんは、本当に強い人だなと思います。拉致被害者で、帰国された人達は、たぶん皆そうした、前向きさと強さ、やさしさ、賢さがあったから故、悲劇を乗り越えくぐりぬけてきているのだと思うのです。

さて、ひとみさんの旦那様のジェンキンスさん。
鼻から下が(一文字の口)、亡くなった私の父にとても似ている気がして、あのパジャマの映像が映るたびに我が家では、「パパに似てるよね〜」と言っていました。
病後で、少しばかり不機嫌そうな表情も、同じく晩年病気だった父にそっくり・・・。
今回は、仕立ても生地も良さそうなスーツでおしゃれをして、大分パリッとしていましたが、やはり何となく父に似ている・・。
生きてる時は、まさかアメリカ人に似ているとは全く思いもしなかった父ですが・・・?
或いは、病気のお爺さん?(ジェンキンスさんはまだ若いけど・・・)というのが、皆似ているのかしらん?
ジェンキンスさんの訴追問題もあって、簡単に帰国できるというわけにはいかないかもしれないけれど、(そんな個人的事情?もあって)、何とかひとみさん一家には、幸せに暮らして欲しいと切に思う私なのでありました・・・。



7月11日(日)  あぁ、なつかしのラインダンス @

NHKで宝塚の記念番組をやっていて、新入団員のラインダンスをクローズアップしていました。
そういえば、私も踊りを始めたての頃、某スタジオの公演オーディションを受けて、ラインダンスをやったっけ・・・。
オーディション組と呼ばれる同期30人と、先輩達で、60人位ののラインだったと思う。
当然、右も左もわからないオーディション組の中でも、始めたばかりで情報にも疎く、ぼーっとしていた私は、雰囲気につ いていくのが精一杯でした。
・・・とはいいながら、何気に周りを見渡して、この人と同じことしていれば、たぶん怒られない?というしっかり者の子 と友人になって、一挙一動を真似していたあたり、賢かった・・・?
とにかく、気が利かないとダメだし、その子に見習って、お弁当を運んだり、お掃除したりしたました。(そういう事はみ な下っ端がやるものと決まっているーまぁどこの世界でもいっしょでしょう・・・)

さて、肝心のラインダンス、背の順に並べられて位置が決まり、たまたま同じ先生のクラスでいっしょだった子の隣となりました。
ところが、その子が振りをなかなか覚えないし、よく間違えるんだ・・これが・・・。(-_-;)
思い切り目立って、先輩のチェックターゲットとなってしまい、隣の私も気が気ではないありさま。
先輩の固めの時に注意をされて、ぽろぽろ泣いているから、じゃあ明日早く来て、練習しようとか約束したのに、肝心の本 人が遅刻したりするマイペース・・・。(-"-)
そろって何ぼ、足が上がって何ぼのラインダンスですから、振りを間違えている場合じゃないのに・・・。
ラインを5人づつ区切って、その中の先輩に見てもらう練習では、私がまねっこしていたしっかり者の友人は、背が高い為、先輩だらけのグループになってしまい、“みんな各自で練習しよう”と何も言ってもらえないと泣いてるし・・・。
(いいじゃん?。。。)
あっちでもこっちでも涙で、皆若かったのでしょうね、きっと。
しかし、このしっかり者は、次の年も次の年もその公演に出ているうちに、
“今年のオーディション組は生意気で・・・”
と愚痴をこぼすまでに出世?しました。
(~_~; )         続く



7月12日(月)  あぁ、なつかしのラインダンス A

はるか昔、私が参加した公演でのラインダンス。
大所帯、タテ社会に見事打ち勝って?何度も足を上げた友人とは違い、ほんの出来心?でオーディションを受け、いい経験と楽しませてもらった(不謹慎?)私は、その後は、自分の先生の所のスタジオで様々の作品を踊らせてもらい、そんなに大人数のラインダンスはその時だけの経験でした。
始めたばかりで、見る事聞く事目新しく、コワい思いも?いっぱいしたけど、それなりに楽しかったと思います。
私は、幸い始めたばかりの頃から、足を上げるのはそんなに苦じゃなかったけど、どちらかと言えば、柔らかいのに力が入ってしまうタイプの隣の子は、振りを覚えるのも苦労していたけど、足上げにも結構苦労してました。
「目の高さ、目の高さ、目の高さ、(最後はできるだけ高く)思いっきり!」
というのが、“決め”で、じゃぁ、思いっきりが目の高さの人はどうするんだ、とか、目を下げればどうなんだ、とか茶々を入れている場合ではないのです!(^^ゞ
私の反対側の方は、ずっと先輩の方で、仕事でリハーサルにもいない事も多かったのですが、たまにいらっっしゃると、結構コワくて、腰に回した手が、
“重いから、よっかからないでよ!”としかられたり、
ビビッて、そおっとさわると、
“くすぐったいから、ちゃんと持って!”と言われてしまい、気の小さい?私は、内心ビクビクしていました。
公演後の打ち上げで、大人数の中から、やっとその先輩を探したして、
「いろいろ有難うございました。ご迷惑かけました」と言うと、
「こちらこそ有難う」とものすごく、感じがよくて、ほっとしたのを覚えています。

さて、やっと迎えた本番の初日、いよいよオーディション組の唯一の見せ場?ラインダンスです。
心配だった隣の子も、振りを間違えることなく無事踊りきり、袖に入ると、
「初めて間違えないで踊れた〜」と号泣!
(えっ?初めて?(~_~;))と思ったけど、私もつられてもらい泣き・・・。
ちょうど、袖にいらっしゃった、雲の上の存在で、あまり接触もなかった先生も、“初めて?”と一瞬、額に汗のご様子でしたが、とりあえずめでたしめでたし・・・。
その後、数年で家庭に入り、踊りをやめてしまったその子にとっても良い、思い出になったことと思われます。続く



7月13日(火)  あぁ、なつかしのラインダンス B

さて、これはわりと最近になって判明した事なのですが、私がラインを踊ったその公演を、15年もお世話になっているモダンの先生は、ご覧になっていたらしいのです。
もちろん、私が、先生の稽古場の扉をたたく、ぜんぜん前の始めたての頃で、顔はまん丸(ホントです!)、センターも何もないぐにゃぐにゃ人間・・。
たまたま、話していて、実は、小鳥の衣装で(鳥の楽園、とかいう鳥をテーマにした作品の中のラインダンスだった・・・)ラインを踊った事があると言うと、“それ、見たわ!”という事になったのです。
「へぇ、あの中に、YUKOさんがいたのねぇ〜」と笑っておられました。
縁は異なもの・・・。

その公演では、すべての作品が(時代かな・・・?)黒かベージュのハイヒールで踊る事になっていて、それまで、ヒールで踊ったこともなかった私は、サイズだけを聞かれて、黒ハイ、ベーハイを注文したのですが、これが、大きな失敗で、普段の靴のサイズでいいものと思ったら、先が細いデザインのヒールで、きついのなんて・・・。(>_<)
指の間が広がったのか、縮こまっていた指が伸びたのか、ただでさえその頃より足のサイズが0.5大きくなってしまった私には、もう二度とはけないヒールです。
きついヒールで踊っていると、頭まで痛くなってくるのですが、自業自得とあきらめて(ヒールって履いたことがなかったから、そんなものなのかとあきらめていたのです)、我慢していました。
出番が終わると、楽屋に駆け込んで、ヒールを脱いで一息・・・。
今考えると、なんてバカだったんだろう、と思います。
その後、自分の所属するスタジオなどの公演で、何度も(もちろん買い替えた)ヒールで踊りましたが、足にあったヒールは天国!でした。(~_~;)

先輩におびえ、きついヒールをはいて、実力のなさに落ち込み、それでも頑張って、頑張って、足を上げたあの時の私・・・。
今思い出すと、半分泣き笑いのような笑顔で、ラインダンスを踊り終えた宝塚新入団員のTVにもだぶり、なつかしく、自分ながらちょっといとおしく思えるのでありました。(-。-)y-゜゜゜



7月14日(水)  暑いとき〜!

とうとう梅雨明け宣言、これでやっと、「夏本番」というわけですね。(どう考えても、今までも立派に夏だった気もし ますが・・・?)
こう、暑いとさすがにクーラーなしにはいられません。
基本的に、私は、踊りの時にクーラーが入ってるのは、キライだけど、(汗をかくそばから、その汗が冷える感じがダメ なのです)踊っていないときは、クーラー(冷えすぎは苦手ですが)がないとムリ・・・という最近です。
この前、本厚木のドトールに行ったら、何とクーラー故障中とかで、扇風機が5台くらい、モアーッとした暖かい空気を かきまぜていました。(-_-;)
入るなり、えっ?と言う感じだったのですが、お手洗いに行きたかったから、仕方なく暑〜い密室(窓がないからねぇ〜 )でコーヒーを飲んでしまいました。
当然、思いっきり空いていて、お客は3、4人。
何より気の毒なのは、やはり従業員で、その日1日は直らないという事で・・・。(@_@;)

友人にその話しをしたら、やはりそんな経験が、居酒屋さんであったそうです。
その時は、1メートル位の大きな氷の柱を部屋の真ん中に置いて、扇風機をかけていて、結構それが涼しかったそうです 。
う〜ん、なるほど・・・。
考えてみれば、私が子供の頃は、クーラーより扇風機が主流で、我が家では、音がうるさいから窓を開けられないピアノ のレッスン室だけに、クーラーがあるだけでした。
夜なんて、汗じっとりかいて寝てたよ〜。
昔の日本の夏は、庭に打ち水して、カキ氷食べて、うちわであおいで、風鈴下げて、気分から涼しくなる、とそんな工夫 いっぱいだったらしい・・・。(便利になると、人間は工夫をしなくなるのですね)
しかし、都会の夏は、クーラーの室外機のせいもあって、昔よりも全然気温が高くなってるそうです。(新宿あたりでは 、40度近くなってるらしい。(@_@。)
エネルギー節約のためにも、なるべくクーラーつけずに我慢して、工夫するのがいいのだろうけれど、やはり暑さに負け て、クーラーで涼しい部屋で、パソコン打ってる私でした。。。(~_~;)



7月15日(木)  ブラウニーの威力

先日、たまたま古い写真が出てきて、たぶん高3の時の写真で、10数人のクラスメートといっしょに写っているのですが、ほとんど記憶がない・・・。
あまり、親しくしていなかった人もいっぱいいて、でも私服で、いったいこれは何の写真だ?としばらく頭をひねった後、やっと思い出しました。
高3の、夏休みと言えば、“受験”。
どうやら、それは、クラスメートに誘われ、しぶしぶ行った?自主的な受験合宿の写真だったのです。
私の学校は、私立のミッションスクールで、そこは、その学校のシスター達の宿舎のような所で(たぶん。それもあまりわかってなかった・・・)、“静かな環境で、お互いに刺激しあって、受験勉強に励みましょう!”(ぐえっ!)というコンセプトの合宿だったのです。(確か1週間くらいの長さだった。。。)
もとから、勉強キライの私で、その目的には全く魅力を感じなかったのですが、なりゆきと家にいてもつまんないので参加したわけで、だから全く忘れていたんだと思います。
いや〜皆それは、よく勉強するんだ、これが・・・。(-_-;)
何をどんな風に勉強するのも各自の自由というやり方で、私一人、あっという間に飽きてしまい、友達の邪魔をして(ナンテ奴でしょう!)時間をつぶし、楽しみは食事だけというありさまでした。

ある日、親切なシスターの一人が、皆さんとても頑張っているから、と手作りのお菓子を作ってくれました。
ブラウニーとかいうチョコレート味の家庭的なお菓子で、おいしそうだったのですが・・・。
それが、甘いのなんのって・・・・!!!
やはり、カナダ人(その修道会の本部はカナダにあり、シスターはカナダ人だった)の味覚は、日本人とは違う!
ニコニコして、感想を待っているシスターの手前、皆口々に、味をほめたたえ、歯にしみるような甘さのお菓子を頬張りました・・・。
特に、全然頑張ってなかった私は、何となく後ろめたく、率先して、そのお菓子を頂きましたよ。。。(~_~;)

善良なシスターのお菓子のおかげか、行きたい大学もなく、最後まであまり頑張らなかった私も、とりあえず進学は果たしたのですが、やはり神様の御心か?結局は退学し、踊りに出会ったわけです。
その写真の私は、見事につまんなそうな覇気のない顔で写っていますが、まぁ、回り道も含めて、私の人生。
いまとなっては、そのブッ長面が妙になつかしく思える、私です。(-。-)y-゜゜゜



7月16日(金)  氷麦茶のありがたみ

夏は、麦茶!
お酒が飲めない私にとって、夏の暑い日のビールのおいしさや、よく周りの人が言う、レッスン後のビールのおいしさは一生わかりそうにありませんが、その私の夏の不可欠品は、冷蔵庫に冷やした麦茶であります。
それも、やかんで煮出した・・などという本格品でなく、心持薄めの冷水パックの麦茶は、夏に限らずほとんど一年中、私の主飲料ともいえるのです。
暑い時に甘い飲み物は、余計乾きを誘うし、東京の住宅に育ち、水はまずいと言う感覚がしみついている私は、朝に麦茶、夜に麦茶、薬飲むのも、食事の時も麦茶なのです。
踊りの時など、汗をかいた時は、電解質が失われるから、水や麦茶よりも、スポーツ飲料などの方が良いらしいので、なるべくそうしていますが、家で飲む、薄めで氷入りの麦茶がやはり一番おいしいと思います。

中学、高校の時は、学校に自販機はただ一台、しかも牛乳とコーヒー牛乳!(うわっ!)のものだけだったので、お弁当と夏は凍らせた麦茶を持参していました。
しかし、溶けきるのを心配して、タオルでくるんでビニール袋に入れた麦茶は、時折、昼になってもほとんど溶けてなかったりする。
急にあせって、シェイク、シェイク・・・!
手で暖めたり、顔につけたり、何とかして飲める分の液体を得ようとすれども、甘み分のない液体の塊の氷はなかなか溶けないものです。
かといって、タオルなしでむき出しにしておくと、昼には、溶け切って生ぬるくなっていたりして、それも哀しい・・・。
休み時間のたびに、溶け具合をチェックして、タオルをはがしたり着せたり、かなりこだわって、飲んでいました。(学業に専念しなさいって?)
しかし、他に冷たい飲み物のない学校で飲む、溶けかけの冷た〜い麦茶は素晴らしく贅沢な気がして、おいしかった。
物のありがたみってそんなところから分かったりするのかな・・・。ナーンテ(^−^)



7月17日(土)  父の憧れ?の職業

最近、よくいろんなTVで、マジックの人が出ていて、どうも世の中は、平成のマジックブームなのでしょうか?
昭和の頃の、帽子からハトが出てきたり(なつかし〜)、ボックスの中の美女切りなどとはまた一味違う、古典的なのに 、一段とテクニックに長けた、カードのマジックなどをよく見ては、感心しています。
ホント、最近の人は、すごいと思う。
そういうマジックを見ると、つい私は、「この人は、本当は魔法使いか、超能力者の世を忍ぶ姿なのでは?」と思ってし まいます。(~_~;)
私の父は、本気かどうかわかりませんか、手品師(この呼び方自体が、なんかなつかし〜)か、指揮者になりたかったそ うで、よく、昔から、帽子からハトの手品や、カードの手品をTVで食い入るように見てました。
“なんで?”と聞いたら、“人をうまくだましたい”と訳わかんない事言ってましたっけ。(実際は、私といっしょで手先が非常に不器用なので、無理だったでしょうが・・・(-_-;))
父は、昭和の頃、よくやっていた引田天功系の大掛かりなマジックよりも、細かい手品が好きだったので、今生きていた ら、喜んで見ていたでしょう・・・。

さて、もう一つの指揮者ですが、これは結構なりたかったと言う人は多いみたいです。
何しろ、あれだけの人数を率いて、音楽を奏でていくのは気持ちいいに違いありません。
茶の間で、TVのオーケストラに合わせて、お箸を振るのは(よく父がやってました・・・)誰でもできるけれど、実際 はそんなもんじゃないわけで・・・。(あたりまえ!)
友達から聞いた“TVゲーム”(あんまり詳しくないし、得意な方ではないのですが)で“Let’s ブラボー ミュージ ック”というのがあって、一時期、かくいう私もはまりました。
画面に出るマークに合わせて、右手でリズム、音の強弱を、左手で、パート指示を出すのですが、音楽には結構自信のあ った私も、最初のうちは全くお手上げ!
しかし、何事ものめり込む方の私・・・。(^^ゞ
こつこつと回数をこなし、とうとう全曲をクリアし、最後の曲、「威風堂々」をこなした時は感動に打ち震えました!
(ボケ防止?にもなるし、父が生きてたら是非やらせたかった?!)
しかし、あくまで、ゲームはゲーム、結構前だけど、ゲームの飛行機の操縦士モノにはまっていたオタクの人が、ハイジ ャックして、「一度本物でやってみたかった」とか言ってたふざけた事件がありましたねぇ。
どんな事も実際やって見て、苦労しないとその本当の辛さ、楽しさはわからない。
そんなあたりまえの事もわからないバカな大人がいる時代ですが、TV見て、お箸振ったり、ゲームでさわりだけ楽しん でみるのも悪くないかも・・・。(*^_^*)



7月18日(日)  今までで一番不味いもの

今日は、私が今まで食べた中で一番不味いものについて書きたいと思います。
もともとそんなに好き嫌いはない方だし、何でもおいしく頂く方だと思うのですが、あれだけは許せなかったというものがあるのです。
かなり、前の事になりますが、私が通っていたジャズのスタジオは新宿の2丁目にありました。
普段は、あまり気にもとめずに、日夜通っていたのですが、すぐ裏手は、ゲイの街、その方面の方には?有名な公園などもありました。
レッスンの後は、軽く(決して軽くない時もあり、まぁいろいろとエピソードもあるのですが、それはまた次の機会に・・・)一杯(私は、飲めないのでジュースや、食事でおつきあいでした)というのが、習慣でした。
ある時、今日は、本当に軽く、お酒ではなく、お茶にしようと、ある喫茶店に入りました。
喫茶店と言っても、夜のレッスンが終わった後に営業しているお店ですから、もちろんビールや軽食くらいはあって、私は、かなりお腹も空いていたので、メニューにある、「ほうれん草とスモークサーモンのホワイトソーススパゲティ」というのを頼んだのです。
しばらくして、私の前に出てきたのは・・・・。
これは、ウドン?と言うくらい、ゆですぎて太くなったスパゲティが、ごろんごろんのホワイトソースにあえられ、これも明らかにゆですぎの色の変わったほうれん草と、パックから出したばかりの形で3枚重なったままのスモークサーモンが、ドンと上に乗っている・・・というシロモノでした。
見たとたん、ヤバイと思いましたが、勇気を出して、一口・・・・。
「う〜ん・・・(-_-;)」
期待を裏切らない?どころか、3倍も上回るほどの、不味さ・・・!!
お店には、申し訳ない気もしたのですが、悪いっけど、ムリ!と言う状態でした。(それでも半分は頑張った)
それ以来、しばらく、ホワイトソースとか、サーモンとかが見事にトラウマになってしまい、食べられなくなったほどの不味さでした。
私は、食べ物に、贅沢は言わないほうだし、自分で頼んだものなのに文句言うのは、雄々しくない?から好きじやないけど、あのスパゲティだけは、(後にも、“先にも”と祈りたい・・・(T_T))ホントに不味かったベストワンなのであります。
さて、この店には、まだ別のエピソードもあり、それはまた明日・・・。



7月19日(月)  今までで一番不味いもの 喫茶店

私が、今まで食べた一番不味いものは、通っていた稽古場の近くにあった喫茶店のホワイトソースのスパゲティなのですが、実は、この喫茶店、少し変わった点がありました。
新宿2丁目の、ゲイの方には有名な?相手探しの公園の、すぐ近くというロケーションだったのですが、私達にとっては、“単に稽古場に近かった”だけでした。
外見も、ごく普通の喫茶店、夜遅いにもかかわらず、照明も明るく、“ここでいいじゃん”位の感じで入り、感じも悪くなかったので、何度か利用していました。
メニューもごく普通で、私も、例のスパゲティにヒットしてしまうまでは、ホットケーキ食べたり、サンドイッチ食べたり、味もごく普通だったのです。
ところが、何度目かの来店、自分達の話しに夢中になっていた私達が、ふと回りを見ると・・・・。
妙に、男の子同士の客が多いのです。
しかも、向かい合わせですわった2人連れで、目と目を見つめ合って・・・?
あらら・・・?
後から、知ったのですが、そこは、その手のペアの方達が、よく待ち合わせに利用するお店だったらしいのです。
まぁ、私達は別にそんなのは、いいんだけど、よく考えると、そういう色っぽい店?!に女の子達で入って、ギャーギャー騒いでいたとすれば、かなりヒンシュクだったのかも・・・?
しかも、どうもいつもレジの所にいるおじさんが、どこかで見た顔・・・。
あっ!!
ずい分前で、ご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、“涅槃で待つ”と遺書を残して、自殺した俳優の沖雅也さんの“お相手”とうわさになった、“日影忠男”さんではありませんか!
なるほど!(^^ゞ
沖雅也さんに先立たれ、どうされているのかと思っていた、日陰さんもごく普通の喫茶店マスター?として元気にしていらっしゃたのでありました。
今もあるのかは、わかりませんが、万が一、また店に入るようなことがあったら、スパゲティ以外のものを頼むつもりです。(~_~;)



7月20日(火)  恐ろしい“塩分攻撃”のお店

毎日、異常な暑さで、新潟や福井には何と1日で2ヶ月分もの大雨!・・・
「デイ・アフタートゥモロー」の映画じゃないけど、これは、やっぱり地球の終わり?と心配になる位です。
ちょっぴりマジで、ホントにコワい私なのですが、暑さに負けることなく、とりあえず元気に毎日踊っています。(*^_^*)

さて、実は、昨日また新たな“不味い店”を開拓してしまいました!(したくなかった・・・(T_T))
久しぶりに友人と飲んで、行った二軒目の居酒屋さん。
街頭でもらった、一杯目のドリンク無料という券につられて、入った初めてのお店です。
一軒目では、お腹一杯というほどではなかったので、軽くおつまみを頼みました。
つき出しの枝豆をつまんでいるうちに来た、私のウーロン茶、何気に飲んでから、気づくと“氷が入ってない”のです。
この暑いのに、ありえない!(-_-;)
やがて、来た、きゅうりとたこの酢の物。
小鉢になみなみとつがれた真っ黒な液体のなかに、真っ黒に染まったワカメと、既に色が染まってしまっているたこ・・・。
これは?(-_-;)と言うヤバイ予感どおり、そのまんま醤油づけのつけものみたいに塩辛いのなんのって・・・。
あまりのことに、お店の人に、“少し、(ホントは少しどころではない)しょっぱいのですが、これはこういうものなんですか?”と聞くと、少しして帰ってきて、“こういうものなんですが、少しタレを減らしました”とただ、なみなみあった醤油を切っただけのもの?!をそのまま持ってきました。(-_-;)
一応、もう一度味見したけど、もう液体に長くつかっていたので、タレを切ろうが切るまいが遅く、相変わらず、つけもののままでした・・・。
その後来た、(ミニミニ)まぐろ寿司(見本の写真は、もちろんミニミニではなかった)は、ごはんとほぼ同量のわさび!!で出来ており、ほっけは、食べれば食べるほど、じっとりと塩気にやられていく代物、連れが頼んだグレープフルーツサワーは、ほとんどが焼酎の味しかしない!というサービス?で、早々に退散しました。
あれだけ、塩気で責めれば、喉が乾いて、ドリンクも出るだろうけど、作っている人、一度食べてもらいたい!
ドリンク無料につられたのが、敗因だろうけど、後で見たら、レシートにしっかりつき出しの料金も入っていました。
後で、あまりの塩分に体がおかしくなった気がして、参りました。
全く無料(ただ)ほど、恐ろしいものはない、というのは、本当なのでありました・・・。(>_<)



7月21日(水)  自然の脅威

いつも、かかっているマッサージの治療院の院長先生が、急にお休みになりました。
予約をしていたのに・・・と受付で、「どうかなさったんですか?」と尋ねると、「ちょっとご実家の方に御用があって しばらくはお休みになるかも・・・」とのことです。
院長先生の出身は、確か、新潟の三条の方・・?
あっ!もしや、水害?
局地的豪雨の被害で、大変なのでは?
ニュースなどで見ると、ボランティアの数も足りず、被害の復旧に手間取っている様子。
詳しい事情はわかりませんが、本当に相手が自然ではどうしようもないし、心からお見舞い申し上げます。

自然災害といえば、三宅島の島民の帰島の話題。
まだ、完全に安全とはいえない状態でも、やはり自分の故郷に何としても帰りたいという想いは、特にお年寄りの人には 如何ともしがたい、強い願いのようです。
アンケートの結果を見ると、若い世代は、既に新しい仕事や生活に定着し、帰島しない、という方も多いようですが、“ 帰島を願いながら亡くなった夫の遺骨を何としても持って帰りたい”(T_T)という老婦人などもいて、長年暮らした島へ の想いの強さが、心につきささります。
都知事の石原さんは、「危険を承知で帰島するなら、それは“自己責任”である事をはっきり言っておく」みたいな事を 言ってたけど、確かにそうかもしれないけど、自己責任って言ったって、相手は天災で、どうしようもなかったわけだし 、生きているうちにもう一度故郷へ帰りたいという想いは、特にお年寄りには当然の気持ちで、何とかしてあげたい・・ ・と思っちゃう。
自然の前には、人間の生活や、想いなんて本当に無力である事を思い知ります。

太古の昔から、打たれても打たれても、また立ち上がり命をつないで来た人間達の生命力の尊さを感じるとともに、科学 の力やお金の力で何でも思い通りにはならないんだ、という自然の警告を無視してはいけないんだとあらためて感じたり している私です。



7月22日(木)  焼そばと花火の思い出

学校も夏休みに入りましたね。
子どもの頃、7月中は無限にあるように感じた夏休みが、なつかしく思い出されます。(8月も半ばを過ぎると、残った 宿題が黒い雲のように広がってくるのですが・・・(-_-;))

夏休みと言えば、大人になって踊りをやりだしてからは、毎年スタジオの友達と必ずどこかへ行っていました。
ある年、伊豆高原の貸し別荘に4人位で行くことになりました。
貸し別荘なので、食事はつかず、自炊。
焼そばでもしよっか・・・ということになり、ふもとのスーパーで材料、お酒類と花火(夏は花火でしょ!)をしっかり 仕入れ、意気揚々と乗り込みました。
建物は結構洒落ていて、部屋がいくつもあり、全員上機嫌。
そろそろ、夕飯にしようと、台所にたって材料を広げ、(ただのキャベツ焼そばでしたが、麺だけしか入っていないもの を買っていた)ハタ!と気づくと、何と油、調味料、を買うのを忘れているではありませんか!(@_@;)
“ど・・どうする?”と全員協議の結果、近くの貸し別荘の人に泣きつくことに・・・。
“ごめんくださ〜い!”と隣家の戸をたたき、幸いにもいた人に事情(まぬけな。。。)を話すと、
“明日帰るので、油はどうぞ”と下さったのですが、ソースはなく、塩を少しわけてもらいました・・・。
あの時の、超シンプルなキャベツ塩焼そば、それはそれでなかなかおいしかった。(^^ゞ

夜も更けて、さぁ花火タイム!
何故か、夜中2時起床で、それから花火タイム!というスケジュールを組んでいた私達。
中の一人は、熟睡中をたたき起こされ、半分涙目で、それでも屋外へ集合。
しかし、あたりまえなのですが、寝静まった別荘地帯に、打ち上げ花火はかなりの近所迷惑で、そのうち近くの犬が、吠 え出してしまい、ヤバイ状況に・・・。(迷惑な私達・・・。ごめんなさい!m(__)m)
“あと、一個だけ、この落下傘花火やったら帰ろう”と最後に打ち上げた花火・・・。
“ヒュ〜ン!”という音と同時に飛び出した、パラシュートは高く上がり、ゆらゆらと下降、そして事もあろうが、油を 下さった親切な隣家の二階の窓にコツン!
“ガラッ”と窓の開く音!
ヤバイ!と皆、息をひそめ、暗闇にしゃがみました。
“シーン”とする夜中の草むらに、蚊に食われながらしゃがむ私達・・・。(~_~;)
しばらくして、また窓の閉まる音とともに、安堵のため息をついて、逃げるように部屋へと退散したのでありました。

若気の至り・・・?の旅行の楽しい思い出です。



7月23日(金)  誕生日

ジャ〜ン!!今日は、私の誕生日であります。
九州は熊本で、今からさかのぼる事、ウン十一年前、私は誕生致しました。
熊本で生まれたと言っても、父の転勤で1年半くらいしかいなかったので、私自身は何も覚えていないのですが・・・。
由布子という名前の由来は、九州の由布岳、と小説「風林火山」の由布姫から来ているそうなので、なんとなく一度は行ってみたい気もします。
しかし、考えると、結婚してわりとすぐ妊娠して、父以外、誰も知る人のいない熊本で、一人でお産をした母は、偉かったなと思います。

気がつかないうちに、母が私を産んだ年をはるかに上回り、その時の父の年齢も上回り、自分的には若い頃とあまり変わっていないような気がするままに毎年、年を重ねていく・・。
幼い頃、「大人」の人というのは、揺らぎない自信を持って生きているように感じていたけれど、ホントはいろいろ悩みや迷いがあったんだろうな・・・と最近やっとわかった気がします。

自分の年齢というものも、ここまで来ると?ふだんあまり気にもならないし、忘れているのですが、年に一度、誕生日くらいは、ちょっぴり真面目に、育ててくれた父母に感謝し、健康(あちらこちら、故障はあるけど・・・(^^ゞ)感謝し、踊れる事、生徒のみんなとの出会いに感謝し、またあらたに頑張っていこうと殊勝にも?思う、今日の私であります。
これからも、皆さん、どうぞ宜しくお願いします。m(__)m



7月24日(土)  帽子の踊り

自慢じゃないけど、頭は大きい方です。(ホント・・・(-_-;))
だいたい、何故か私の周りには、頭が小さい人ばかりがいて、幼稚園の帽子が入るとか、子供用のサイズじゃないと大き すぎて・・・とか言ってて、何かムカつくのです。(-"-)
・・・とは言え、ちょっと自慢すれば、以前ベリーショートにしてた時も、(マジにベリーベリーショートで、スキンヘ ッド一歩手前の五ミリくらい)頭の形がとても良いと美容師さんに誉められたくらいで、頭の後ろが“絶壁”の反対で、 丸いから、どうしてもサイズ的に大きくなるので?!、帽子自体は、わりと何でも似合う方だと思ってます。
帽子売り場に行くと、買わなくても、いろんな帽子をかぶっては喜んでいます。

さて、踊りで、“帽子”と言えば、小物としてはかかせない、作品の“ムード”をつかさどる役割を担っています。
ジャズのナンバーで、粋にオシャレに、或いは、シブい男役の小物としてなど、いろいろと活躍します。
種類も、定番もので、ダービー、カンカン、ソフト、シルクハット。
明るいスウィングなら、カンカン帽とか、ダービー帽ならジャズ一般、ソフト帽なら深めにかぶって男役でも女役でも色 っぽく、シルクハットならステッキなどもかかせません。
むろん、そういったある意味定番な使い方を裏切る使い方もおもしろいけど、要はオシャレに、小物が活きるように踊り たいもの・・・。
ソフト帽を、子供が麦わら帽子をかぶるみたいに、“照って”(前をあげて)かぶっちゃったり、持った手の先にぶらぶ ら垂れてたりするのは、いただけません。(-"-)
くるっと回してかぶったり、投げてキャッチとか、ちょっと練習が必要な場合もあるけど、小技も含めてやはり踊りとし てかっこよくないと意味がない。
まぁ、何事も経験、練習、見る目とセンスというわけです。

私も今まで、何回か発表会などで、帽子を使った踊りを皆さんに振付ましたが、頭の小さい生徒さんの帽子は、自分のサ イズに合わせて、隙間テープ(スポンジのついたテープ)でぐるっと小さくなってて、私は全然かぶれない。(~_~;)
小さい人は小さいなりに、ぐるぐる帽子が動かないように工夫したり、いろいろ大変みたいだけど、大きい私は、ダービ ーなどで、脱いだりかぶったりが、激しいときは、懇親の力を込めて、“グッと”頭を押し込まなくちゃいけなくて、そ れは大変です。(^^ゞ
帽子の踊りをもらったら、家の鏡で、かぶり方だけを、しつこく研究する(そういう友達がいました)くらい、ある意味 ナルシストになって、オシャレに粋に踊ってみましょう?!(*^_^*)



7月25日(日)  帽子つながり・・・

帽子と言えば、その昔、ワーキングウィークというアーティストの“インナーシティブルース”という曲で踊った事があ って、(実は生徒さんに借りたCDに偶然、この曲が入っていて思い出したのですが)これが、一風変わった帽子の踊り でした。
振付した先生が、イメージとしておっしゃったキーワードは、「妖しげ」。(決して、怪しげではありません!(~_~;))
そこ、かしこに“ここで、各自妖しげなポーズをちょうだい!”というところがあって、いい女になり切って?その気で 踊ってました。
都会的で、洗練された、しかし謎めいてセクシーなイメージの女性のイメージの踊りだったと思います。
衣装は、ビロード素材の黒のレオタード!(一丁)で黒のタイツ!で、ヒールで、胴体の部分に真紅の三角の布を各自由 に縫い付けるという超シンプルなもの、そして問題の帽子です。
おそらく、昔の女優さんがかぶるような、つばが広くて顔が半分かくれるような感じの中に、同じ真紅の布でネッカチー フをかぶるのです。
しかし、手作り!
帽子は、ごくふつうのつばの極広の麦藁帽子を黒のスプレーで黒に染めたのですが、かぶるそばから、ぽろぽろ塗料がは げてきて、本番当日も、楽屋の廊下で新聞紙広げて、シューッとやってました。
難しいのは、かぶりかたで、一歩間違うと、田植えのおばさん!!
私?本人的には、バッチリ、イケてたつもりです?!(^^ゞ
ただ、レオタード、タイツという衣装の方が、身体のライン丸出しで、ちょっと・・・。(~_~;)
黒一色で、ヒールでどんな人もそれなりにスタイル良く見えた(離れれば?)はずですが、若くてムチムチ、素晴らしい O脚だった私としては結構ヤバかったかも・・・。
しかし、帽子も、衣装も、着こなしは最後は気力?!
気力で、イメージを持って、それになり切る!
皆さんも、特に、帽子で、顔が半分隠れるような場合は、顔を全部出しているよりも、余計にオーラをいっぱい出して、 なり切って踊ってみましょうよ。(*^_^*)



7月26日(月)  自分がいいと思ったもの

どうも、世の中には、自分がいいと思ったものを、それは熱心に人にすすめるタイプの人がいます。
うわさによれば、この業界大手のNスタジオのN先生もその手の方らしく、ストレッチングボード(膝の後ろをやふくらはぎをのばす斜めの台)がいいとなれば、それを、圧力鍋がよいとなれば、圧力鍋を・・・といろいろなものを、(ただしご本人が飽きるまで)お勧めになったとの事・・・。
私が習っていたジャズの師匠も、ある意味その手の?方でありました。
しかも、そういった進取の気性に富んだところは、すべてそのレッスンに取り入れられるというところがミソで、私達生徒は、それはそれはいろいろな試みに出あったのでありました。(~_~;)

足の裏マッサージが身体に良いとなれば、(確かに良いのでしょうが)レッスンの途中に二人組みで、お互いをマッサージし合うとか、両手の指を一本ずつぐるぐる回すのが、脳にいいとなれば、レッスン後、その“指のぐるぐる”をやった人から帰ってよいとか、ある日レッスンに行ったら、スタジオ中にお香の匂いがたちこめていたり(これは、匂いには好みがあるから、と先生に申し上げた人がいて、わりとすぐなくなりました)・・・。
ただ、どれも、いつまにか、立ち消えになっていて、おそらく先生の興味の移り変わりによっていたものと思われます。
先生に魅力を感じ、先生を信じて、全力で?ついていっていた私にしても、実は、レッスン中のマッサージはせっかく温まった身体が、しんしんと冷えていって辛かったり、両手ぐるぐるは、少し?だったりしたのですが、そういった“?”を含めてまとめて、人を引っ張っていくパワーにあふれていた事も否定できません。

考えてみれば、教えを仕事にしている人というのは、自分の得た知識や、自分でつかんだ事や、自分の感性を人に伝えるのを、喜びとできる人なのであって、それが、踊りだけに限らず、いろいろな分野の知識や興味にまで発展していっても不思議はありません。
かく言う私も、テレビの健康番組などが、結構好きで、チェックしては、レッスン中の話題にしたりしていますが、幸か不幸か、自分がそれほどのめり込んでやってみない怠け者なので、皆さんに、強く勧めるまでには到りませんが・・・。
あと、もう一つ言えるのは、私の興味というのが、かなり、狭く深くの方向に傾いているので、お香や、お鍋を勧めたりには至らないのかもしれません。
いずれにせよ、そういった外へ向けての働きかけ、パワー、情熱というのは、他人なんかどうでもいいと、どんどん殺伐としてくる世の中にあっては、貴重な(むろん程度問題ですが)キャラクターなのかもしれないな・・・と思ったりするのです。(-。-)y-゜゜゜



7月27日(火)  習っていてトクをしたこと

私は、中学2年までは、音大を受験するレール?に乗っていて、ピアノと和声・調音というのを習っていました。
この、和声・調音というのは、だいたいは、ピアノの先生がレッスンの終わりにちょこっとやったりするものですが、私は、わざわざ専門の先生を、家に呼んで習っていたのです。(イバリッ!?(^^ゞ)
いったい、それは、どんなもの?という方のために説明すると、まずは、音符を読んで、正確な音程で歌う、“ソルフェージュ”や、先生がピアノで弾いたメロディーや、和音を楽譜にとる“調音”や、その複雑版で、両手で弾いた和音を、採譜するのとか、譜面を別の調子に“移調”したり(ハ長調のものをイ長調にするとか・・・)など、など・・・。
はっきり言ってつまんなかった。
おまけに、宿題が山ほど出て、先生のいらっしゃる30分前には、冷や汗タラタラで、時間との戦いでした。(前もってやっておけ!って・・?)(~_~;)

音大受験をやめて、ピアノをやめ、従って、この調音もやめたのですが、何の役にもたたない・・と思っていた(そんなことはないんだろうけど)これが、後に、結構便利だったりしたのです。
例えば、TVでちょこっと流れた気に入ったメロディーを、適当に音符にして残しておいたり、踊りを始めてからは、カウントが数えにくいクラシックのカデンツア(フリー演奏)の部分を、先生に頼まれて楽譜にしたこともありました。
(・・・が、結局、先生が楽譜が読めないということで、ボツになったのですが。先に言ってよ!(-_-;))
もちろん、やってなければ、忘れるし、今はもうできるかわからないけど、直接的に役にたたなくても、踊りをやる上でも、子供時代に、たとえいやいやでも、音楽に親しんでいた事は何となく、得をしているのかもしれないと思います。
やはり、世の中、無駄な努力というのはないのかな・・・なんて思ったりするのです。(-。-)y-゜゜゜



7月28日(水)  夏はカルピス

夕方、歩いていたら、どこかの家から、チリンチリンと爽やかな音が聞こえてきました。
たぶん、風鈴の音なのでしょうが、私の頭に浮かんだのは、「カルピス」の音!
喉が渇いていたせいかもしれませんが、昔よく見たCMで、カルピスをぐるっとかきまぜて、氷がチリンチリンと鳴る、 あの音です。
そういえば、最近、カルピスを全然飲んでいないなぁ〜。
子どもの頃は、よく、お中元などで、カルピスの瓶のセットなどが送られてきて、(最近は、紙パックが主流のようです 。あのイラストや、水玉模様のパッケージも懐かしい・・・)夏といえば、カルピスでした。
スタンダードの白いのと、オレンジ味やグレープ味などが混ざっていたけど、私は白い普通のが好きでした。
それも、少し薄めの(麦茶といっしょ)が好きです。
麦茶と違って、カルピスは凍らせて持っていくと、糖分のせいか早く溶けて、油断しているとすぐシャーベット状のおい しい状態を通り越して、完璧に溶けてしまうので、注意が必要です。
よそのお家にお邪魔して、カルピスを出していただくと、我が家のよりも大分濃い目に作ってあってびっくりしました。
あと、我が家には、かき氷器の古い型のがあって、後に普及した冷蔵庫の氷でできるものではなく、専用の丸い容器で作 った氷をはさんで、がりがりやると、かなり粒子のあらいかき氷ができるものだったのですが、そのかき氷に、カルピス の原液をかけて、食べるのが大好きでした。(おいしいよ!(*^_^*))
カルピスソーダというのも、一時期よく見たけど、今はあんまり見ないなぁ・・・。
う〜ん、書いてたら、どんどんカルピスを飲みたくなってきた・・・・!!(^_^.)



7月29日(木)  映画「バレエ・カンパニー」

映画「バレエ・カンパニー」を観てきました。
よかったよ!
ストーリー的には、ダンサーの日常というか、群像劇という感じなんだけど、登場するダンサーが全員、実際のジェフリ ーバレエ・オブ・シカゴの現役ダンサーで、踊る、踊る・・・。
主役の、ネーブ・キャンベルは、カナダ国立バレエ学校で学び、ステージにも立っていたのに、15歳で心身に故障をき たし、バレエを断念、その後女優として活動、(この映画も彼女自身の企画ということですが)9年のブランクを全く感 じさせない踊り、存在感は素晴らしかったです。
ネーブ演じる、ライが、一応主軸と言う感じでストーリは進むのですが、実際にジェフリーバレエでのレパートリーであ る作品を含め、10数作品がしっかりと映像化されていて、踊りだけをとっても、しっかりと見ごたえのある映画でした 。(特に、ルボビッチ振付の「マイ・ファニー・バレンタイン」、嵐の中でのネーブの官能的なデュエットは、もう一度 観たい!!)
たぶん、監督アルトマンの手法なのでしょうが、あくまで、一歩ひいたスタンスで、一人ひとりのダンサー達、そして、 魅力的なキャラクターの芸術監督ミスターAなどを見事に描き出していて、けれども決してその内面に入って、ドロドロ とした部分を感情的にさらけだしたりしない。(ストーリーがすべて三人称で進んでいくという感じ・・・)
抑えたセリフ、抑えた映像なのですが、でも、一人ひとりの心情や、信念、情熱は伝わってくるのです。
バレエ(踊り)に向かって進んでいくダンサー達のストイックさや、シビアさが、より伝わってくる気がしました。
ダンサーは、本当に肉体的にも精神的にも、強くてしなやかでないとやっていけないという事や、やはり「踊り」に魅入 られた者は、「踊り」に向かってひたすら進んでいく中で、人間的にも成長していくんだな・・・と思いました。
もし、機会があったら観てみて下さいね。(*^_^*)



7月30日(金)  創作の“ピン”

踊りを創る時の、アイディアってとんでもないところからピンときたりします。
もちろん、私の場合大抵は、「音」先行で、音によるイメージで、振付するんだけど、例えば、公演などで流れやストーリのあるものを創るとき、日常の何でもない瞬間からピンと来ることもあるのです。
第3回公演の、鏡の破片の景で、銀のラメテープを舞台上にめぐらすというのは、実は電車の窓から外を見ていて、田んぼにカラスよけのテープがギラギラ光っている様を見て、ピンと来たのです。
映画「バレエ・カンパニー」で、同じように舞台上に(その踊りは、たぶんくもの巣をイメージしていたので、はりめぐらしたのはゴムでした)ひもがはりめぐらされているのがあって、なんかなつかしく思い出しました。
第2回の時に、青い鳥のチルチルとミチルが森に襲われるシーンは、旅行に行って、露天風呂につかって夜の森を見ていて、なんか怖かったので思いつきました。
しかし、実の所は、アイディアを実際に形にしていく作業こそがなかなか大変なのです。
これが出来たらいいのに・・・というアイディアの大半は、現実に直面すると、まず、例えば資金面や、舞台の機構上の問題などに阻まれます。
「バレエ・カンパニー」でも、「青い蛇」という大作のアイディアを聞いた芸術監督はまず、じゃスポンサーを探さなきゃと言うくらいです。(セットの蛇の口からダンサーが登場するのです)
しかし、同じ映画の中でも、何のセットもなく、野外の劇場であいにく嵐に見舞われ、最悪の条件の中で踊られるデュエットも「青い蛇」に勝るとも劣らないくらいの拍手、感動を呼ぶわけで、アイディアを形にするのももちろんですが、やはり基本は踊りそのものなんですね・・・。
まずは、イメージをかきたてる音楽に出会い、ちょっとしたピンを逃さず、形にする苦行に負けず、踊りそのものに魂を込め・・・そしてよいダンサーを育て、(映画とはもちろん私自身の才能のレベルもスタジオの規模も違うけど)、私も生きているうちに一つでも、何かを人に感じてもらえる作品を創っていきたいな。。。(-。-)y-゜゜゜



7月31日(土)  カウントの話

ジャズダンスで踊りを覚える時は、だいたい、まずはカウントで習った振りの順番や音の長さを把握して覚え、音に合わせて踊るわけですが、モダンダンスや、クラッシックの先生の中には、カウントをおっしゃらない先生もいるようです。
私の習っているモダンの先生は、きちんとカウントで振付けますが、使う音が5拍子、9拍子や、10拍子などの場合もあ り、ジャズの8カウントに慣れていた私は、最初はとまどいました。
(もっとも、今は、私自身も3拍子や、5拍子などを使う事もありますが)
クラッシックの場合、古典的な曲は大抵は3拍子で、音の使い方も定番の振りなら決まっているので、いちいちカウント を言わなくても、振りの名前で処理できるわけで、レッスンでは、私の習っている先生もカウントはおっしゃらない事が 多いようです。例えば・・・
「エカルテからシャッセ、グラン・パディシャで3番アラベスクからアントルラッセで・・・」
みたいな感じです。
モダンダンスなんかでも、先生によっては、踊りの動きをまず振付けられて、その動きを音で何度も合わせるうちに呼吸 を合わせ、自然に踊りがそろっていく・・・というパターンもあるようです。

しかし、ジャズダンスの場合は、動きの形、流れ、順番、その振りに使う音の長さ、をすべてカウントで覚えていくわけ で、合理的ではありますが、初心者の方の中には、カウントと音が一致しない、つまり音が数えられないと言う方もたまにいたりします。
(小さい子どもは、最初は数えられないのが普通で、初めて踊りを踊る子どものクラスなどでは、まずは手をたたいて、音を 数える練習をしたりします。)
ある程度踊りをやってくると、よく、
「カウントで踊らない!」という注意を受けたりします。(私もそれに類したことは言いますが)
しかし、これは、あたりまえですが、決してカウントを無視しろと言っているわけではなく、カウントを完全に把握した 後に、それを自分で音に置き換え、「ねばったり」、「切ったり」して音の抑揚に反応した表現をしなさいということで す。
言って見れば、“セリフの棒読み状態”から脱しなさい、ということだと思います。
だいたい、私の創る振りは、もとから、ある程度踊って欲しい音というのにこだわりがあって、
「ワンエ〜ン」とか、「フォ〜〜」とか、カウント自体に抑揚をつけて振付たりしていますが、なおかつ、そこに言葉で は伝えきれない、あるいはプラスアルファの抑揚があってこそ、音を楽しむジャズダンスなわけで、皆さんにも一層のこ だわり、工夫を期待したりする私でした・・・。(*^_^*)



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