YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2004年 1月


2004-01-10 振付の事

レッスンのコンビネーションの振付は初級とか中級という
クラスのレベルを考えるとともに、
受けているみんなの顔を思い浮かべて作ったりします。
・あの子は、きっとここが不得意だから、よくみてあげよう・とか、
・あの人は、きっとこういう感じは好きだろうな・とか・・・。
でも、時としてはレッスンのコンビネーションという枠を
まったく忘れてイメージが、舞台の作品へとふくらんで、
・照明はここで、こんな感じ・とか
・体型はここで変わって・・・とか
のめり込んで作ってしまう事もあります。
「振付を覚えるのに必死で」という声も聞こえてきそうですが、
皆さんもたまには、(振りの一つや二つ間違えても!?)
舞台の上にのっているつもりで、思いきりのめりこんで踊ってもらえると嬉しいです。



2004-01-11 “ピルエット”回転について

「回りもの」って、好きな人と、あまり好きではない人がいるかもしれません。
KID'Sクラスなどで見ていると、子供はわりと回るのは好きです。
踊りをやっていないふつうの幼児とかでも意味なく、くるくる回って、はしゃいでる子とかいるでしょう?

大人になると、まず恐怖心だったり、転ばないように無意識に防御して回転力を止めてしまったり、緊張して力が入ってしまったりするかもしれません。
私はといえば、踊りを始めたての頃から回るのは好きでした。
子供に限りなく近いところがあるので、全く無防備に、軸もとれてないのに回っては、ステンと転んだりしてました。
ただ恐怖心という感覚は全くなくて、懲りずに何度でも、どこでも(部屋の中でも)回っていました。

つまりは、回数なんだと思うのです。
もちろん理屈や悪い点を指摘することは出来るけれど、回数を重ねることで、慣れて力がぬけて、回りやすくなるというのもあると思います。

引き上げて軸をとって、軸に集めるタイミングと回転力のバランス、そしてもちろん首の返し、がその人の体なりに、いつか必ずつかめてきます。
『今、入った!』という感覚が得られると、何か回るのが意味なく楽しかったりしませんか?



2004-01-12 「不器用」な私の「くり返し」

昨日、回転の話しでも書いたけれど、同じ事をくり返す事って凄いことだと思います。
例えばストレッチにしても膝の裏がまったく伸びなかった人が、
いつのまにか少しづつ体を前に倒せるようになってきたり、
できなかった事が、少しずつ少しずつ身についてくる不思議・・・。
でも、危険なのは自分の思い込み。
意識の外で変な所に力が入っていたり、体のクセで曲がった方向に引っ張ってバランスをとっていたりすることがあります。
こういうのが他人の目で(あるいは鏡を冷静に見て)軌道修正をしないと繰り返せば繰り返すほどクセになっていってしまう。

世の中には、いわゆる器用な人と不器用な人がいます。
これは思うに、思い込みが元からあまりなかったり、
修正した時、すっと直せてシンプルなイメージが持てたり、
なおかつ頭と体が早く自然につながる人と、
思い込みが強くて意識に力みがあったり、頭でわかっても体とすぐにつながらない人なのではないでしょうか。

私は自分が不器用なことにかなり確信を持っています!?
もともと運動系は嫌いなわけではないけれど、まったく鈍い方で体育はずっと2で、何故踊りの世界に入ったのか不思議なくらいです。
だから言うのですが(?)「不器用」おおいに結構だと思うのです。
まわり道して、ああでもない、こうでもないと繰り返して、そのうちに力みがとれてシンプルな方向に少しづつ近くなってくる。
時間は確かにかかるけれど、そうして得たひとつひとつの事が大切に思えます。
踊りに限らず訓練は何でも、くり返す事が基本です。
器用な人が少ない回数で済む所を、不器用な人は頭を使って、しかもそれが自然になるまでくり返す。一見無駄なようでも、そこにその人なりの味?が出てくるのかもしれません。

不器用な諸君、めげないでそれを楽しんで、くり返していきましょうよ。



2004-01-12 「不器用」な私の「くり返し」

昨日、回転の話しでも書いたけれど、同じ事をくり返す事って凄いことだと思います。
例えばストレッチにしても膝の裏がまったく伸びなかった人が、
いつのまにか少しづつ体を前に倒せるようになってきたり、
できなかった事が、少しずつ少しずつ身についてくる不思議・・・。
でも、危険なのは自分の思い込み。
意識の外で変な所に力が入っていたり、体のクセで曲がった方向に引っ張ってバランスをとっていたりすることがあります。
こういうのが他人の目で(あるいは鏡を冷静に見て)軌道修正をしないと繰り返せば繰り返すほどクセになっていってしまう。

世の中には、いわゆる器用な人と不器用な人がいます。
これは思うに、思い込みが元からあまりなかったり、
修正した時、すっと直せてシンプルなイメージが持てたり、
なおかつ頭と体が早く自然につながる人と、
思い込みが強くて意識に力みがあったり、頭でわかっても体とすぐにつながらない人なのではないでしょうか。

私は自分が不器用なことにかなり確信を持っています!?
もともと運動系は嫌いなわけではないけれど、まったく鈍い方で体育はずっと2で、何故踊りの世界に入ったのか不思議なくらいです。
だから言うのですが(?)「不器用」おおいに結構だと思うのです。
まわり道して、ああでもない、こうでもないと繰り返して、そのうちに力みがとれてシンプルな方向に少しづつ近くなってくる。
時間は確かにかかるけれど、そうして得たひとつひとつの事が大切に思えます。
踊りに限らず訓練は何でも、くり返す事が基本です。
器用な人が少ない回数で済む所を、不器用な人は頭を使って、しかもそれが自然になるまでくり返す。一見無駄なようでも、そこにその人なりの味?が出てくるのかもしれません。

不器用な諸君、めげないでそれを楽しんで、くり返していきましょうよ。



2004-01-13 「視線」の事

レッスン中、私が発する「YUKO語?!」で言えば、
“見ない・見る”(つまり一回視線をはずしてから決める)だったり、
“さし出した手の上に胸をのせて遠くを見る”とか
“自分の中を感じて見る”とか
踊りの中で視線も重要ですね。

それは、ただ顔の向きや視線の方向だけの事ではなく、実は内面のニュアンスにつながっています。
“見ない・見る”の時はある意味、挑戦的に自分をアピールする感じだったり、
“さし出した手”の先の何かに魅せられ、ためる感じだったり、
“自分の中”に何かをためて少し鬱な感じだったり...。

もちろん、言葉で説明するより、振付をよく見て、伝わってくる感じを、真似して踊っていくうちに身につくパターンというものがあるわけで、「YUKO語」はあくまで具体的にそれを体で表現する時、またいくら心の中で感じていても、外から見てそうは見えないという状態へのアドバイスとしての、分析の手引きにすぎません。

そして、そういうパターンの中にも、その人なりの感性や感情の込め方で、出てくる個性があり、流れがあって、はじめて「表現」となって、見ている人に伝わる踊りとなるのでしょう。

まずはよく振付けを見る。そして真似をしてみる。
そしてそのまなざしに気持ちを込めて見る。
そんな事からはじまるのかもしれません。



2004-01-14 進化するYUKO

先日、友人の先生の発表会を見に行ってきました。
(20年に近い昔!!)ジャズダンスを始めた頃の友人です。
その後、スタジオも違ってしまい、歩いて来た道も別々ではあったけれど、お互いに踊りにハマってしまい、あっという間の年月でした。
別々の道を歩き出して以来、会ったのはほんの数回、じっくり話す事もなく、久しぶりに彼女の主宰する発表会を見せてもらいました。
彼女の作品、生徒さんたち、そして彼女の踊りを見るうち、いつの間にか自分の歩いて来た道を振り返り、感慨無量でした。

踊りを始めた頃は、自分が教えるようになったり、舞台を作ったりするようになるとは、まったく思っていませんでした。
只々夢中でもがきながら進んで来た道のりです。
私がそうであったように、きっと彼女には彼女の長い道のりがあった事を思うと、記念すべき彼女の第一回発表会の成功を心から祝う気持ちと、エールを送りたい気持ちでいっぱいになりました。
同時に、舞台を見ると、彼女の今に至るまでの趣向や、学んで来た事、感じた事が透けて見えるようで、我が身を振り返って気を引き締めて進んでいく覚悟が改めて得られました。

踊りだけに限らず、物の見方、感じ方を含め、いつまでもどこまでも一歩ずつでもいいから、“進化するYUKO”でいたいなと切に思った一日でした。



2004-01-15 YUKOのダンス用語解説

私もジャズダンスを始めた時、先生や先輩が普通に発するダンスの言葉がわからなくて、
かなり「?」なことがありました。
でもなかなか「それって何?」って聞けないんだよね。
わかったふりをしているうちに自然にわかった事がほとんどです。
クラシックバレエの用語などは、本を見てわかったり、ずっと後になってモダンの先生に聞いてわかったりもしました。

クラシック用語は、全国・全世界共通で、外国人の先生のレッスンでも一緒です。
(発音良すぎてわからない場合も)(汗;)
ジャズダンス特有、あるいはその先生特有の言い回しもあって、でもそのうち何となくわかってくる。
しかし要望もあることだし、経験が長くて「もうそんなのわかっている」という人にも
・なんちゃって一口メモ・のようなものを加え、思いつくままいきましょう。

■アイソレーション
isolate・個別化する・・分離する・という動詞から来ていて、体の各部、首、肩、胸、腰、などをその部分だけ動かす練習。
どこのスタジオでもたいてい曲に合わせたひと繋がりになっている事が多い。
これはジャズダンス特有の動きで、バレリーナがジャズをやると意外に苦労するらしい。
・その部分だけ・って所がミソで日常生活では、そんなことはしないから、最初みんなくっついて動いちゃう。
最近のヒップホップ、ストリート系のダンスだとわざと首と肩を連動させて動かしたりしているけれど、基本はやはりキッチリその部分だけ動かせる事だと思います。

■ プリエ、ア・テール、ルルベ
ごくシンプルに言えば、順に膝を曲げた状態。
膝を伸ばしてかかとが床についた状態。
膝を伸ばしてかかとが床から上がった背のびの状態です。
プリエに関しては、膝を曲げる際に上体を引き上げて、つま先の方向にまっすぐ膝を曲げるとか、その時股関節を開くように意識するとか、、、いろいろと細かい条件、注意があって、その一連とルルベまでの訓練をまとめてプリエと称したりします。

クラシック、モダン、ジャズの基本は“引き上げ”と“股関節を開いて使う事”
(これは足先がまっすぐ前を向いている“パラレル”でもいっしょ)
という位なので、この3つの状態がしっかり体に入れば、かなり動きはすっきり見えます。

■コンビネーション
ずばり「組み合せ」です。
動きを組み合わせた、レッスンでやる振付の事。
“コンビ”ってよく略します。

■ピケ
つき指す事。「かかと一発上げ!?」です。
軸足からもう片方の伸ばした足のつま先に、いっぺんで重心を移して立つ動作。
「ピケターン」はよく使うけれど、ピケの状態で立って回る事。
「ピケアラベスク」ならピケで立っていっぺんにアラベスク(後ろに足を上げた状態)になる事。

■アンデオール・アンデダン
外回り(外回し)と、内回り(内回し)
「ピケ アンデダン」というのが軸に対して内回りになる、よくレッスンでやる「ピケターン」です。
パラレルのピルエットは、アンデオール(外回り)を最初にやるけれど、もちろんアンデダン(内回り)もあります。
「足をアンデオールして」と言ったら、英語だと「ターン・アウトして」つまり外回ししてという事です。

■バットマン
伸ばしたまま足を上げる動作。
グラン(大きな)バットマンも、高く足を上げる動作。
普通ジャズでは、バットマンだけで、できるだけ?!(汗)足を高く上げる事をさします。

■シェネ
踵を上げて立って、片足ずつ重心を移し、半回転ずつ回っていく動き。
「鎖」という意味の言葉から来ていて、クラシックのもともとの動きでは、2回以上で、
初めてシェネだそうです。
バレリーナで、ジャズに転向した友人は、「ジャズだと、1回しか回らなくてもシェネっていうんだね。」と感心?していました。

■コントラクション
英語で「収縮」という意味ですが、おへそを引き上げたまま、
背中を丸める事。

■リリース
「放す」、「解く」、つまりコントラクションからもとの状態に戻す事。背中をまっすぐ引き上げた状態。

■ハイリリース
背中を突き上げるようにそる事。

■ティルト
両脇を保ったまま、付け根から傾く(シフトする)事。
または、その状態で横に足を上げる事。

■パ・ド・ブレ
両足を交互に踏む動作。「白鳥の湖」で、袖から登場するトウシューズの細かいパドブレも、ジャズで足をクロスして踏み変える基本のステップも、同じ「パドブレ」の一つです。
ジャズダンスでは、他にも「パドブレターン」或いは「3歩(スリーステップ)ターン」などと呼ぶ、足を後ろにかけて、踏みながら回るステップもありますね。

■「首を切る」、「首をつける」
「首を切る」って踊りをやっていない人が聞いたら、かなり不気味な感じがしますよね。
「首をつける」にしても、初めて言われたら「?」かもしれません。
もちろん、これは、首をどうにかしてしまう訳ではなく、(当たり前か・・)“視線を1ケ所に残して、シャープに振り返る”事をさします。首がつけられるようになれば、回りもの全てが、大分楽になりますから、是非マスターしてほしいポイントです。


さて、駆け足で、思い付くまま書いてきましたが、もちろん他にもまだまだあります。
(前にも書きましたが、ジャズダンスには、クラシック・モダンそして、そうした要素から変型したジャズダンスの言葉が混ざり合っていますから、大変です)

もし何か、わからない言葉があったら遠慮なく聞いてください。
「そら耳アワー」で思い込んでしまうより、「聞くは一時の恥」といいますからね!



2004-01-18 初舞台の事(バレエ編)

私の初舞台は、はるか昔、小学一年生の時にさかのぼります。
習い事として、ピアノとバレエをやっていた私ですが、どちらも気がついたらやっていたという感じで、今思うと(嫌いだった訳ではないのでしょうが)本当に「何となく」やっていたような気がします。
ピアノは、母がピアノ教師だったので、親の思い入れもかなりあり、「簡単にはやめられないぞ・・・」という感じが、子供ながらあったのですが、バレエに関しては「体のため」「情操教育」くらいの感じで、かなりしっかりしたバレエ団で習っていたわりには、のんびりと楽しくのみ、踊っていました。

夏休みの研究発表会での初舞台。
場所は新宿厚生年金会館。
グラズーノフという作曲家の「四季」という曲の春の部分で“小さな薔薇の精たち”夏の“ケシの花”を、やらせてもらったと思います。
何しろ小学1年生ですから言ってみれば、ただの“チビ”ですが、それなりに緊張し、興奮していた気がします。

実は“薔薇の精”に関しては、ひとつ下のクラスで欠員が出て、年のわりには小さかった私が代役として幼稚園生の中に混じったので、チビのくせに責任感とプライドで(端からみれば、大差ないのに)、「きちんとさせなきゃ」位の事を思っていたらしいのです。
横一列になるところで、センターの私は、両端が曲がっているのが気になって「もっとこっち・・・」と必死に、つないでいる手をひっぱていたような記憶があります。
「三つ子の魂百まで」ではないですが、「教え好き」の「おせっかい」は実は、そんな昔からあったのかもしれません。

しかしそのバレエもひとりで通うのがイヤになったらしく、あっさりと小学4年生の発表会を最後に辞めてしまいました。
今思えば、あのまま続けていたらジャズをやるにしても踊りをやる上で、だいぶ楽だったのに、、、と悔やまれます。
まあ、それも運命、、、。
もしバレエを続けていても限界を感じ、辞めてしまって、それっきり「踊り」自体に巡り会わなかったかもしれないし、全て人生のおもしろさかもしれません。



2004-01-19 ダンスクラブの事(バレエ初舞台、その後)

さて、あっさりとバレエをやめて、ピアノ一本に絞り、しばらくの間、ピアノのスパルタ教育の中にあった私ですが、中学2年、コンクールを前に、何とか本気にならせようと、「一週間ピアノに鍵をかける」宣言をした母の期待もむなしく、まんまとピアノをやめてしまい、学校のダンスクラブなるものに、嬉々として所属し、再び踊りとの接点を得たのでした。

しかし、このダンスクラブ、教えてくれる先生がいる訳ではなく、学年ごとにまとまって、(私が、通っていたのは、中高一貫教育の学校で、クラブも一年から、五年(高2)までが、一緒に行っていました)
勝手に振付けした作品を、文化祭などで、発表するというもの。
私が半ば引っぱりこんだ友人と、計四人の我が学年は、その頃流行っていたアバ(わりと最近リバイバルヒットしましたね。なつかしい・・)
を選曲し、初めて出会った(今思うに、ジャズダンスなのかな・・?)先輩の踊りに感化され、ディスコダンスともジャズダンスともつかない作品を作っては、楽しく踊っていました。

五年生になると、クラブの進行を任され、タンバリン!!を叩いて号令をかけて、たまに注意をする「先生役」の係を交代でやるのでした。
私が、率先してこの係を買ってでていた事は、いうまでもありません!?(^^ゞ

その頃私は、一応「なんちゃって優等生」で、踊りで生きていくなんてアウトローな道は、毛頭考えていなかったのですが、何の因果か、二十年以上もたって同じ様な事をやっている自分が、チョットコワイです・・。ジャズダンスとの本当の出会い前の、昔話でした・・・。



2004-01-20 ジャズダンスそして、二人の恩師との出会い

大学に進学し、あっという間に(今でこそよく聞きますが)“引きこもり”状態となり、そのまま大学を中退し、紆余曲折の末、私はやっとジャズダンスに出会ったのでした。
「なんちゃって優等生」から、「引きこもりの拒食症」、そして、「ただのプータロー」になって、カルチャースクールで(その頃一代ブームだった)ジャズダンスにやっと巡り会ったのです。
最初の一年位は、精神状態もよくなくて、この私がかなりの対人恐怖症で、エネルギーもなく、ただの趣味(週一回のレッスン)どまりだったものが、発表会で悔しい思いをした事をきっかけに、爆発的にのめり込むこととなりました。
かじれる親のスネはかじりつくし、あとはバイトをしてレッスンを受けまくりました。
プロになろうとか、将来的なビジョンがあったわけではありません。
ただ上手になりたかった・・・。
「コケの一念」です。

その頃習ったある先生は、「踊りなんて習うもんじゃない!見て盗るもんだよ」とおっしゃいましたが、私達の時代、たいていどのジャズダンスの先生も、体の使い方を丁寧に教えてくれるなんて事はありませんでした。ひたすら汗をかきながら、形を真似して必死でついていくのが、当たり前、一クラスの人数が、三十人を超えるクラスもあり、質問できる雰囲気ではありませんでした。

自分には、基礎がなさすぎる、とある時思い、ジャズダンスの為の基礎を得ようと、クラシックとモダンを始めました。モダンダンスのグラハムテクニックを教えて下さった、杏先生に出会い、体の使い方の悪い点を、少しづつ直す事ができたと思います。私のジャズダンスの師、星先生が、様々な作品を踊らせて下さる事で、「踊り心」を教えて下さったり、「感性」を培って下さったとしたら、モダンの杏先生は、モダンダンスに限らずすべての踊りに通じる「踊れる体」作りに生涯向き合って行く「姿勢」を授けて下さったように思います。



2004-01-21 鏡の前

踊りを始めたばかりの人ってわりと鏡をきちんと見れていない気がします。自分のありのままの姿、欠点をしっかりと見据えて受け入れる事から、実は、上達が始まるのですが、これがなかなか難しい。
昔、「いったい鏡でどこを見てるの?顔見てぼーっとしてたってしようがないでしょ!」と怒鳴っていた先生がいましたが、これはまさにその通りなわけで、「何か変」、「何かカッコ悪い」から始まって、例えば、「肩が上がっている」とか、「脇が落ちてる」とか、自分で見つけて、自分で直すように努力しないと、上手にはならないのです。
もちろん、先生の目に止まって、あきらかに、これは、本人が気付いていないなと思われる場合は注意を受けるでしょうが、一回注意を受けた欠点を直すには、天才でない限り、その動きや、その応用を何度も何度もくり返していかなければなりません。
先生に言われなくても、実は、おかしなところは、いっぱいあるわけで、おかしくなくても、もっとカッコよくするには、どうしたらいいかとか、お稽古場では鏡に向かって踊りながら、イメージでは、観客に向かって踊っているわけで、自分らしさのアピールや、感情表現もすべて鏡の中の自分に向かってするわけですから、まさに、ぼーっと見ている暇などありません。
お稽古場によっては、鏡が片面しかなかったり、小さかったりする場所もあるけれど、そのような時も、自分の体の感覚と、見た目とのズレを(ステップの待ちの短い間でも)鏡に映して修正することは、やはり必要だと思います。

”踊りは「醜い自分を知る」事から始まる”
これは私の師の言葉ですが、よく考えるとなかなか深い言葉で、ひいては人生にも通じる真理であると言えましょう。
ダンサーが、自分に厳しくコツコツと努力できるのも、始終、鏡の前に対し、自分の欠点を見つめているからかもしれません。



2004-01-22 ダンスのビデオの事など

ダンスを見てみたいけれど、何をどうやって見たらいいかわからないという質問を受けました。
うーん・・・。これは、すぐには答えられない・・・。
何しろ私が、踊りを始めたのは、20年も前、その頃、輝いていたスタジオも、今見ると時代の流れか、私の感じ方が変わったのか、何か違う・・・。
ぴあなどを見て、キャストや振付家で選んでミュージカルなどを見に行くという手もありますが、ここでは、手軽にビデオなどで見られるミュージカルの原点ともいうべきところから、紹介してみます。

まずは、「ザッツ・エンターテイメント」。これは、貸しビデオ屋さんにあるし、ミュージカル映画の歴史、名シーンの抜粋がわかります。
ジャズダンスのルーツとも言うべき、ハリウッドミュージカルの数々。
フレッド・アステアや、ジーン・ケリ−、タップダンス、クラシックの基礎がしっかり入ったステージダンス、そして歌、全てを名人芸の域で魅せるものです。ここから派生して、アステアやジーン・ケリ−の映画を見るのもよいでしょう。それから、古典でありながら、今見てもちっとも古くない、「ウエストサイド・ストーリー」。「シカゴ」などで最近また注目された、振付家ボブ・フォッシーの作品。
もし、手に入れば、「ソフィスティケイテッド・レディーズ」!!

あと、私は、特に「ヅカファン」ではないし、テレビで見ると(得に芝居の部分は)ちょっと引いちゃうかも・・ですが、ショーの部分の構成や衣装はやはりスゴイ「宝塚」の舞台。
今のスターは全然知らないけど、大浦みずきは、ホント踊り上手いし、、、!
あと真矢みき!!!(今は全然違うモノになっちゃってテレビとかに出てるけど・・(>_<)
昔のビデオがあったら是非見て下さい。

まとまりがなくなってきましたが、どんなものも見れば勉強になるので、踊りが関係するビデオや、生の舞台(クラシックなどを含めて)どんどん見てみて下さいね。\(^o^)/



2004-01-23 「かまぼこ板絵」の事

突然ですが、
かまぼこ板絵って、ご存知ですか?
かまぼこがついてる、あの板に絵を書くのです。
実は夏休みに旅行した帰りに「鈴廣」という蒲鉾を製造している会社の
展示館へたまたま立ち寄り、その作品展を見る機会がありました。
そこで、かまぼこ板絵コンクールなるものの応募を知り、ほんの気まぐれで、何十年ぶりかで(中学校以来?!)絵筆をとり応募したのです。

このたび、その入選作と応募作品全てが、新宿タカシマヤの10階で26日まで展示されているので行ってきました。
(私の作品も《もちろん入選なんてレベルじゃない!》ありましたよ。
題は「キリン」! 我ながら稚折なタッチで、小学生の作品のようですが、本人的には愛着!)

いや〜おもしろかった、、、。
招待作家としてプロの画家や漫画家の作品は当然その人らしいカラー、安定感のある出来映えで、楽しめるのですが、一般の応募作品が、また見ていて飽きません。
千点以上の作品の中に、題材、テクニック(プロのように上手い人がいっぱい・・)立体的にするなどの様々なアイディア、そしてその作品にふさわしい題などの、いろいろな角度からの自己主張、感性があふれていました。
少し離れて見ていてもパッと目を引くものや、何か光るものがある作品や、力強いアピールがあるものがあったりして、時間があればもっと見ていたい気がしました。

テクニックに支えられた感性、そしてその人の個性が、人の心を捕えるという意味では、ある意味、踊りも一緒ですね。
しかし、世の中、いろんな人がいて面白いなと思いました・・・。



2004-01-24 「生きた時間」の共有、作品創りについて

時間って本当に不思議なもので、同じ五分間でも、長く感じる時とあっという間に過ぎてしまう時がありますよね。
例えば、満員電車の中の五分は、“あと五分頑張れ”と自分に言い聞かせないと過ぎないのに、楽しい事をしている時には、気付かないうちに五分なんて、たっています。
五分間という時間は、平等に刻まれていくのに、感じる人の主観によって長くも短くもなる。

次に人と一緒に過ごす時間を考えてみます。気の合う人との、楽しい時間は、あっという間に感じられ、これは言ってみれば楽しい「時間の共有」ですよね。

さて、踊りに置き換えてみましょう。例えば、ぼーっと聞いていたら五分の曲なんてあっという間に終わるのに、それに振りがついて覚えるとなったら、結構、長い、長い・・・(--;)。
その前に、振りを創るのも、長い、長い・・・。それが、イメージが固まってくるとだんだん短く感じてくる。
《蛇足ですが、大抵の曲は、もともと作曲した人の自然な時間の流れで完結しているはずだから、できれば、私は、振付けする時も無理な編集、カットや繰返しで、短くしたり、長くしたりはしたくないのです。そうは、いかない時もあるけど。》完成すると、私にとってその曲の長さ、時間が、自分の感覚にフィットした心地よい時間に、なってくるのです。作曲者との、ある意味での「時間の共有」です。
同じように、踊る方も、最初は果てしなく長く感じた時間が、振りが体に入って、踊り込んでいくと、だんだん短く感じてきますよね。
始めは、「あれやって、これやって、」の羅列だったものが、音の流れと共に呼吸が入って、それに感情の流れものるようになって、「生きた時間」になってくる。思いの込もった「濃い」時間、創った私との「時間の共有」になってきます。

そうなって始めて、その時間は、見る人、観客とも共有できる時間となります。
長いようで短い一生のように、思いの込もった「濃い時間」、「生きた時間」をお客さまに、共有して頂けるように、作品、舞台を、皆で創っていければいいなと思います。



2004-01-25 友人の訃報

すごく親しいという訳では、ないのですが、同じ舞台を何度か踏んだことのある友人の、訃報を受けました。
彼女とは、この数年顔を合わせておらず、元気でいるらしいという人づてのうわさのみ、名前を聞けば、「あーどうしてるの?」と記憶が蘇るといった感じでした。
ところが、去年の春頃、先生のところに、本人から突然、「入院した」との電話があったと聞き、びっくりしました。
どうやら、悪性の腫瘍で、それは本人も知っているらしいという情報を得て、なんとも言えない気持ちになりました。
やがて、一人暮らしだった彼女から、実家のある県へ、転居するという明るい感じの通知があり、そこに至ってやっと、何通かのメールのやりとりとなりました。しかしその県でも、入院中の彼女は、具合もかなり悪いらしいのですが、あくまで、 詳細はなく、こちらも「あせらず、療養して・・・」などとしか返せないまま・・・。
やがて、退院しました。とのハガキ。
よくなったのか、どうなのか、気になりながらも、何ヶ月かが経ってしまい、いきなり、届いた訃報でした。

年令的には、10才上の彼女でしたが、でも、まだ若い・・・。やり残した事もいっぱいあったでしょうに・・・。
繊細で、それで、世慣れていない所があって、誤解をうけやすいのですが、童女のように、こちらの懐にぽんと飛び込んでくる、純粋な人でした。

父が亡くなった時にも、生前、照れもあって、自分がかなり優しくなかった気がして、後悔したのですが、亡くなった彼女の事を思うと、もっとこちらから飛び込んで、少しでも力になれる事があったかもしれないと後悔しています。

こんな仕事をしていると、たくさんの出会いにも恵まれるのですが、同時に、「来るもの拒まず、去るもの追わず」でないとやってられない位、人の出入りもあります。そんな中でも、できる限り、たとえ短い間になったとしても、人との触れあい、一瞬一瞬を、大切にしていかなければとあらためて思いました。
そして、亡くなった彼女の御冥福を、心からお祈りしたいと思います。



2004-01-26 めざせ、オールラウンドプレーヤー!?

一口で踊りといっても、ごく大雑把に分けて、日舞、洋舞、それから民俗舞踊、洋舞の中にも、クラシックバレエ、モダンバレエ、モダンダンス、コンテンポラリー、ジャズにタップにヒップホップetc・・・と様々なジャンルがありますね。
私は、クラシック、モダンダンス、コンテンポラリー、ジャズ、ほんの少しタップ、ストリートあたりは、習ったことがありますが、そのジャンル分けにしても、内容は、先生次第・・・。
さすがにバレエは、どこに行ってもバレエですが、最近は、クラシックのバレエ団が、コンテンポラリーの要素を大いに含んだ作品をやったりしますし、ローザンヌのバレエコンクールの決戦で、タップを踊った人もいたし。
そもそも、ジャズダンスもモダンダンスも、バレエの基礎なしには踊れない訳で、
要するに一つの固定概念にとらわれず、踊りたいものを、踊れればいいわけね・・(踊れれば、どいう所がミソ・・)と思っているわけです。

作品創りにしても、クラシックの曲を聞いて、ビビッとくれば、それで創るし、
曲が例えばテクノ風の今の曲でも、モダンダンス風のイメージが湧けばそんな振りになるし、
もちろんスタンダードなジャズもやるし、ストリートダンス的なステップも使う・・・。
今はわりとスタンダードなジャズを使って、スタンダードなジャズの振付けをする人が少ないからか、(スタジオによっては、ジャズとジャンル分けしてあっても、ジャズファンクとか、クラブジャズとか言って、かなりストリート寄りのクラスが多いからね・・)
外部のスタジオとジョイントした時に、“シアター系ジャズ”などと紹介されちゃったけど、
必ずしもそういうのばかりやってるわけではない。

ジャズダンスは、もともとジャズの曲を使うから、“ジャズ”ダンスだったのだろうけれど、
私の中のジャズダンスは、=自分の踊りたい踊りなのかもしれません。



2004-01-27 最初に振付した曲

生まれて初めて振付したのは、たぶん25才位の時、
友人のプロデュ−スした公演で、踊ってくれたのは一緒に活動している仲間達でした。
習っていた先生の公演ではなく、友人同士でお互いに振付しあって・・・という初めての
企画でした。

作品的には、ジャズダンス全盛の頃のジャズダンスの公演だったのに、かなりモダン風の抽象的な作品で、その頃から、ジャンルというものにはこだわってなかったのかもしれません。
パーカッションのみの楽曲で、テーマは“雨を求める木々の踊り”で、最後には雨(スコール)が降るというものでした。

習いはじめてばかりで、おもしろかったグラハムテクニック満載で、
裸足でレオタードとタイツに葉っぱの装飾・・・。(そのまんま木!?)
今思うと笑える程、直接話法の衣装、、、汗;

う〜ん。あれはやはり普通に見たらモダンダンスかな?
ただ、自分の中では、たまってきたエネルギーを排出した心地よさがあり、
創るのっておもしろいという快感を得る事ができました。
教えを始めて、生徒に振付をするよりも前に、キャリアのあるダンサーに振付させてもらった事で楽な部分もあったし、勉強になる事もいろいろあったような気がします。
(踊りもかなり下手っぴ〜で、若輩者で、しかも稚折な作品をよくぞ踊ってくれました。
仲間の皆さん、ありがとう、、、。)

その後十数年、数多くの作品を創らせてもらったけれど、やはり、あれかなり恥ずかしい、でも大切な想い出の作品です。



2004-01-28 YUKOのダンス用語解説・番外編

今回は、前に書いた動作の用語ではなく、ダンスの世界で比較的よく使われるけれど、一般的には少し変わった言葉を集めてみました。

■なんば
右手と右足、或いは、左手と左足が前に出ている状態。
初めて踊りをやる人が、ツーステップをやると、大抵、右手、右足が一緒に前に出てしまい妙な格好になったりしますが、そんな時「なんばになってるよ」などと使われます。
しかし、この「なんば」という言葉、語源はどこから来るのか不明で、先輩のダンサーなどに聞いても知らないようです。ちなみに、バレエの先生に聞いてみたら、その先生は、使うそうですが、「もとは、ジャズの言葉なんじゃないの?」言ってました。どなたか、由来をご存知の方いらっしゃったら、教えて下さい。

■かま足、バナナ足
ポイントにした足先が、内またの方向に曲がっている事。形が、草を刈る鎌に似ている事からかま足と呼んだり、バナナにも見えるので、バナナ足ともいいます。これは、普段私もレッスンで、よく使っているので、知ってますね。

■さる手
もとは、普通の言葉なのでしょうが、日常あまり意識する事もないからそんなに使いませんよね。猿が、本当にそうなのか見たことがないから、不明ですが、肱の部分が、内側に入っていて、まっすぐに伸ばそうと力を入れると、反ってしまう手を言います。
その人の曲がり具合によっていろいろですが、脇を上げて、手を引っ張ってみせるには、一工夫必要です。
手のひらを上に向けて、両手を前に伸ばした時に、両肘がついてしまうようなら、あなたも立派な?!さる手ですが、日本人には、かなり多いそうですから、悲観することはありません。

■豚の鼻
ダンスの世界でも、果たして一般的かどうか判らないけれど、ポイントがあまくて、つま先が上を向いてしまっている時言います。
ハイ、そうです、豚の鼻が、上を向いているからです!

■顔を売る
日常でも使う言葉ですが、(例えば、「顔を売ろうと、あちこちにパーティに出る」などと・・)ダンスでは、客席に顔を残して、アピールする事を指します。
(あまり、多様すると、くどいっていわれちゃうから、気をつけよーっと!・・・って誰の事?(--;))

■場みる、場みり
ダンスだけでなく、ステージでのパフォーマンスでは使うと思います。
ステージの特定の場所(センター)や、立ち位置をマークしたり、ステージの大きさを囲ったりする事、または、その印。
場当たりも、同じ様な言葉で、ステージ上での立ち位置や移動を、現場で確認する事。

■板付き
その作品が、始まる時(幕が開いたり、照明がつく前に)舞台上にいる事。この「板」は、舞台の事。(蒲鉾とは、何の関係もありません?!)

■小返し
公演などで何曲もの曲をリハーサルする時に、「通し」ではなく、1曲やって止めて、またその曲から次の曲につなげて2曲やって止めて、という「返し縫い」のようなやり方。

■ツン
衣装のドレスの下などにつける、ずばり、パンツの事。
黒ツンなどと言います。ダンス用語というわけではなくて、略語ですが、黒ハイ、べーハイといったら、黒ハイヒール、ベージュハイヒールの事で、黒ハイ、べ−ハイ、銀ハイは、ショーダンサーにとって昔は、必需品でした。他にも、ボディファン(ボディーファンデーション)、短手[たんて](手首までのの短い手袋)、長手[ながて](長い手袋)など、略語は、いっぱいあって、黒長手、といったら、去年の発表会で、M1の人が、していた黒の長い手袋です。

■だるま
羽根をしょって出てくるショーダンスのダンサーが、着ているスパンがついているレオタードのような衣装の事。
ちなみに、宝塚のスターが、しょっている羽根は、はんぱじゃなく、重いらしい・・・。(体力勝負!)

■二重関節
ものすごく足が上がる人、開く人、頭が床につきそうに反れる人などを、[あの人は、二重関節だから]などと言いますが、実は、関節が二重になっているわけではなく、生まれつき関節の可動範囲が普通の人より大きい人を言うのだそうです。(100人中5人位いるのだそうです。結構いるんだねー。)
ちなみに、ふつうの人の足の可動範囲は、右、左70度ずつで、あとは、筋力でねじりあげて開いていくらしい。ぎしぎし、みしみし、と開いたり反ったりしている者にとっては、少しうらやましい気がする二重関節ですが、痛めやすかったり、それなりに苦労もあるらしく、まあ自分の身体と仲良く付き合っていきましょうという感じでしょうか・・・。

今回の、番外編は、別に覚えなくてもよいものが、多かったかな・・。
あらためて考えると、思い付きませんが、また何かあったら書いてみます。\(^o^)/



2004-01-30 脳のエクササイズ

ダンスって脳に良いと思います。 右脳の訓練にもすごくなると思う。

少し前から、世間では右脳の開発が注目を浴びています。
どうも簡単に言ってしまうと、アナログ的処理が右脳、デジタル的処理が左脳の役割で、創造性、発想力、イメージ力といった右脳分野の潜在能力開発が、現代社会には必要とされるといった論旨が多いようです。

そこでダンスです!
まず音楽を聞く、目で見た形からイメージして何かを表現..そこに感情を入れる..と右脳大活躍です。
もちろん、言葉による理想的な情報処理という左脳の活躍も含みつつ、そこに動きのイメージ、映像としての自分の動きを思い浮かべ、その二つを近付けていく..。
なかなかの脳のトレーニングではありませんか!

ちなみに実際に運動を管理しているのは小脳で、本によれば「動きのお手本」のようなものは、小脳に記憶され、くり返し練習する事で記憶されたそのお手本の情報とのズレが、指令となって大脳へ行くそうです。
「体で覚える」というのは、この小脳の関連で、スポーツの試合の本番では、リラックスして、頭(大脳)で考えようとせず、力を抜いた方がよいと言われるのは、そのせいらしいです。

テニスの試合をする自分を想像させることでも、活発に小脳がは働くそうで、ダンスの場合は、そこにプラス、音楽が加わり、その音の取り方、表現やその他様々な要素が加わるわけで、小脳、右脳、左脳の大活躍。
まさにダンスのイメージトレーニングは脳のエクササイズに他ならないと言えるでしょう!?



2004-01-31 想い出の街

私が育ったのは、東京都目黒区の端っこ、最も渋谷区寄りの駒場東大前という街でした。通っていた小学校は、天下の東大教養学部の裏にあって、その頃校舎が工事中だったからか、東大のグラウンドを借りていて、私達は、広い東大グラウンドで、ボールを蹴ったり、草むらでバッタをとったりしました。渋谷に10分、下北沢に10分という地の利の良さにしては、緑があって、静かで落ち着いた住宅街だったように思います。

ところが、私が中学生になる時、家がマンションを買って引っ越し、一転して今度は川崎市の端っこ(また端っこか・・・)、町田市と横浜市に隣接する小田急線の柿生という街に住む事になりました。

26、7年前、新しく住む事になったマンションに初めて来て、私は、唖然として、かなりショックを受けました。
マンションの前がなんと小さな牧場!だったのです。
[ひえーっ!牛がいる!]
牧場というにはあまりに狭いスペースに、それでも10頭位の乳牛がいて、時々それは、よく通る声で、モ−ッとか鳴いているのです。
たまに、脱走した一頭と自転車にのった私ははち合わせしたりもしました。「柿生」というだけあって、柿の木が多く、秋には紅葉が美しく、心なしか空気も澄んでいて、家の周りを散策するにはうってつけ、若干の不便さを除けば、それはそれでいい街でありました。

やがて、大学進学、通うことになった大学は、小田急線の本厚木からバスで30分、その春青山から移転したばかりの青山学院大学という学校でした。
渋谷のキャンパスライフから程遠い、山の上の学校は、周囲には山ばかり、裏山に猪!が出たとか、急カーブを曲がり切れなかった新入生の車のせいでガードレールが切れていて、お花が供えてあったり・・!
移転初年度で、新入生しかいないキャンパスはがらんとして、夕刻などは寂しくて・・。入学半年で、引きこもりになってしまい退学してしまった私は、おそらく一生この街には来ないと思っていたのです。

ところが、踊りを始めて約10年、自分のクラスを持つ事になったのは、偶然にもその本厚木でした。
10年たった本厚木の街は、随分とにぎやかにひらけ、私の精神状態のせいか前と違った活気のある明るい街に見えました。
そしてそれからまた10年。現在に至るまで、週4回も本厚木に通う事になるとは、全く思っていませんでした。きっと何かの縁があるのでしょうね。

小学校時代を過ごした駒場東大前にも、約30年ぶりに、駒場エミナースでの第三回公演の際に訪れました。あまり変わっていないように見えました。ただ、小さな時は、急な坂に見えていたものが、そうでもなかったり、幅広い道が、実は狭い道だったりして、子供の自分とは違う自分がいて、懐かしく思いました。

さて、柿生ですが、30年ほとんど変化がありません。(--;)
牧場は、なくなってしまったけれど(駐車場になりました)、相変わらず柿の木に囲まれゆったりと時間が流れる街です。



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