YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2004年10月


10月1日(金)  衣装を求めて三千里!?

近頃、時間があれば、衣装になる既製品があれば・・・と繁華街を歩いている私です。
昔は、衣装になる既製品といえば、“原宿”が多かったのですが、今は原宿も普通のカジュアル、ヒップホップテイストものが、多く、照明があたってちょっとイケそうな、衣装風のもので、安い、というのはあまり見つかりません。
だいたい、探していない時に限って、うわっという値段で良いものがあったりするのですよね・・・。
しかし、普段の服なら、いつか着るかも、と買っておくこともあるかもしれないけど、衣装の場合、踊る人数もわからないし、果たしてそんな感じのものを使えるかも、全く不明で、ちょっと買っておく勇気というのもなかったりします。
うわっと、言う掘り出し物は、思いがけないちょっと“怪しい”お店にあったりして、今までもそんなお店に助けられたりしたことは、何度かあります。
中野のお店で偶然見つけたカラーのスーツは、3千円とかいう値段で、普通だったらありえない!!
しかし、どうもそれも運で、今回はなかなか出会いがなく、苦労しています。(-_-;)

公演などで、大量に使う布を探すなら、大抵は、日暮里か、田原町の問屋街。
田原町には、畳敷きで、靴をぬいで上がり、思いっきり出がらしの?!お茶を出してくれる問屋さんが残っていて、ちょっと楽しい。
田原町のちょっと向こうには、道具街で有名な合羽橋があって、お店を出す人なんかには不可欠な調理器具や、食器なんかが大量に売っています。
小物や、帽子なら馬喰横山。
問屋さんは、みんな、一応、“小売お断り”、“一見さんお断り”となっているけれど、大抵はたくさん買えば、もちろんニコニコ売ってくれる。
でも、一種独特の雰囲気があって、ちょっと入りにくいお店ももちろんあったりします。

原宿も、吉祥寺も、下北沢もその街なりのカラーというのはもちろん残っているのですが、どうも最近は、チェーン店なんかの進出が激しく、何となーく個性がなくなり、似通ってきてきている気もします。
それだけ、不景気を乗り越えて、個人経営の個性あるお店が生き残っていくのが大変な時代なのかもしれませんね・・・。
何にせよ、ピンきて、うわっと言う値段で、いいものに出会えることを祈って、もうちょっと時間を見つけて歩いてみよっかな・・・。(^。^)



10月2日(土)  タイタニック

映画“タイタニック”をTVでやってて、また見ちゃいました・・・。(そんなの4時間も見てる場合じゃないっつーの・ ・・)(~_~;)
劇場公開も見たし、その後もTVで見て、3回めだけど、また感動してしまいました。
やっぱり、娯楽映画としては、非常によくできてるなと思います。
何にせよ4時間近く、飽きさせないというのは、スゴイと思う・・・。
もちろん、主人公、良い人、悪い人と、あまりに極端すぎる、わかりやすーい人物描写とか、難はあるかもしれないけど 、結局は創り手の思う壺にはまって、涙してしまう・・・。
突極のラブ・ストーリーも、さることながら、84年もたって、すべて海の底に沈んだ、栄華のなごりも思い出になって 美しく、哀しいんだけど、何かロマンティックな創りがいいんだよね・・・。(見ていらっしゃらない方、ごめんなさい )
しかし、何度見ても、やっぱり女性は強いね〜・・・。
板にやっと乗せてもらって、恋人は、冷たい海の中、ふと気がついたら、凍え死んでいる恋人を、ポチャンと海に落とし て(T_T)、それでも力を振り絞って、助けを呼んで助かって生きぬくローズを見ると、ホントすごいな、と思います。
しかし、女性の方が、体脂肪率が高いんだから、少しでももちそうな気がするし(そんな事ないかな?)、何とか恋人と 半分ずつ板に乗るとか、二人とも助かる方法はなかったのかしらん?(それじゃあ、感動ラブ・ストーリーにならないか ・・・)

とにかく、この忙しいのに、とうとう最後までまた見てしまった私っていったい・・・?と思いながら、感動の余韻にひ たる私なのでした・・・。(-。-)y-゜゜゜



10月3日(日)  客観性

若い頃、私は、踊りの上で、とても真面目な(ホントは今もよ〜)一途なタイプで、しかし、ともすれば、周囲があまり 見えていないことが多かった気がします。
一生懸命は、いいけれど、いろんな意味で客観性はどこにあるわけ〜?という感じだったと思います。
細かいところが、とても気になるわりに、全体が見えていなくて、大ポカをやっていたり、気分から入り込んで、なりき るのはいいけれど、少しは繊細に、いろんなところに気を配ろうよ・・とそんな感じだったと思う。
注意されることには、過敏で、言われた事は必死で直そうとするんだけど、意識しすぎて、前よりヘンになってたり・・ ・。

そんな私が何故、少しは?マシになったかと言えば、ひとつには、モダンの先生のおかげだと思います。
グラハムのメソッドの非常に合理的、緻密な訓練の中で、一挙一動を、まず正確な動き(たとえ、動きが小さくてもいい から、まず正しいこと)から、という指導のおかげと、その先生の、理性的な言葉の使い方で(私が指導する上でも、少 なからず影響を受けていると思います)本当に一歩ずつ、身体のセンターをつかみ、それプラス、緻密なモノの見方を少 しずつ覚え、それまでの“生まれっぱなし”の踊りから、変わっていくことができたのだと、感謝しています。

もう一つ、モノの見方と言う意味では、やはり、教えをやるようになって、物を創るようになったこともあると思います 。
お客さまが見た時、どう見えるのか、という事を考えずには振付はできないし、踊りを外から見ると言う感覚が、自然と 自分に馴染んでいった気がします。
外から見る、つまり客観性ですが、それと、役になりきる主観的なイメージ、そしてもちろんきちんと使える身体があっ て初めて、人を楽しませる(自分も楽しく)事ができるわけで・・・。

生徒の皆さんの中にも、いろんなタイプの人がいて、リハーサルなどで見ていると、きちんと周りが見えている人、或い は全く見えていない人、(振りを覚えていなくて、周りを見ている・・・と言うのはモチロン論外ですよ〜)、曲に入り 込んで発散している人、いつも素の自分の殻から抜けられない人・・・いろいろです。
自分の踊り、自分がどんな風に踊っているのか、というのをリアルタイムで、外から見る事は鏡を通してしか見えないわけですが、少しずつ、上達していくうちに、自分のやっている事のビジョンが、現実とそんなにずれなくなってくる気がします。
文化祭リハーサルが始まって、みんな各自のベストで頑張ってくれているのが、とてもうれしいのですが、舞台を一つ越 えるごとに、一人ひとりが、何か今の自分に欠けているものを少しでもつかみ、また一つ大きくなってくれる事を心から 祈る私です。
頑張っているみんな、一人ひとりにエールを送ります!!(*^_^*)



10月4日(月)  照明のお話し

舞台には、照明は欠かせないし、照明次第で、作品がぐっと素晴らしく見えたりするものです。
まぁ、今度の文化祭なんかでは、ゲネもないし、プロの方がやるのかもわからないし?そんなに複雑な事は、望めませんが・・・。
だいたい、振付を考える時に、イメージで、どうしても欲しい明かりというのは、同時に浮かんでいて、(例えば、ここでサス(上から来る円形の照明)があって・・・とか、上手から下手へ照明の道があって・・・とか)そういう重要なものは、自分の中では、決まっていたりします。
あとは、ぶっちゃけた話し、予算次第。
お金があって、ホールの設備があれば、いろんな事ができます。
もちろん、私も、照明のプロでは全然ないので、専門的なことはわかりませんが、感覚の合うスタッフさんと出会えれば、私の作品の世界を、照明が一層ふくらませてくれたりすることもあるわけです。

しかし、私もただのダンサーだった頃は、照明の効果の素晴らしさというものに、それほど意識がなくて、舞台に乗って初めて、(しかも、余裕があれば・・)“へぇ、こんな照明なんだ・・”と気がつけばいい方、後からビデオで見ても、ひとしきり自分の踊りのひどさ?!に一喜一憂する事の方がメインだった気がします。
よその舞台を観に行ったりしても、まずは、踊り、振付、音楽、衣装に先に気が行って、照明をことさらに意識することは少なかった気がします。
ですから、振付をし出した最初の頃は、照明の希望を出して下さい、と言われても、何をどう頼んだらいいのか迷うこともありました。
しかし、踊りを専門にやっているベテランの照明さんなどは、こちらがあまり細かい指示を出すのを、むしろ敬遠したりする方もいて、そういう方の場合は、作品のイメージをひたむきに伝えて、感覚がわかってもらえれば、何も言わなくてもベストの照明をくれたりするのです。
舞台監督さんなどの場合も似たところがありますが、要は相性、そういう意味でも、舞台は決して一人で創るものではないな・・・と感謝しています。
照明、で思い出したあの第二回公演の時の“悪夢”をのぞいては・・・!!
・・・その話しはまた明日・・・。(-"-)



10月5日(火)  あってはいけない失敗をしてしまった照明さん

忘れもしない第二回公演の時、場所は麻生区民会館、本番は1日限り、昼、夜二回公演で、ゲネは前日をしっかり押え、その前にも照明の打ち合わせは、何回も行っていました。
一部からの通しで、照明のリハ中心ということで、頭から小返し(一曲やってとめて、またその曲から次の曲につなげてやって、止めて・・・というやり方)でやっていました。

私は、照明ブースとつながったインカムをつけて、客席から舞台を見て指示を出していました。
が、どうも、いちいちきっかけが遅く、しかもメチャクチャなのです。
これは・・・?!(-"-)と思い、日頃温厚?な私も、ちょっと声を荒げて、“打ち合わせでお願いしたはずですが?”と何度も言ううちに、どうも照明さんの様子がおかしい・・・?
「実は・・・打ち合わせ表を、昨晩、電車の中で忘れ、なくしてしまって・・・」

はぁ?(@_@;)

ありえない〜!!!ブチッ!
「それって・・!!何で最初に言って下さらなかったんですか!それじゃ、今照明リハやったって意味がないじゃない!!ちょっと、止めて!!」
インカムをかなぐりすてて、私は叫びました!
今だかつて、あんなに怒ったことはありません。

打ち合わせ表をなくしただなんて、仕事の場で、大の大人が口にする言葉じゃないでしょう?!
結局、いったん照明リハは、中止。
出演者の踊り中心ということで、リハを再開し、一部のみを行い、二部は本番の日送り、私とスタッフは、本番前の日だっていうのに、夜更けまで再度打ち合わせのし直し・・・。
涙が出るほど、悔しかった・・・。

本番当日、むろんあかりはつきましたが、昼の回と、夜の回は全然違って、昼は照明のゲネ状態(出演者は、もちろん頑張りましたが・・)さんざんな目にあいました。
後日、照明を頼んだ舞台の製作会社から、謝罪の電話がありました。
「では、そのお気持ちは代金の方で、形にして頂きます」と、ゲネの会館分くらいは、安くなりましたが、本当ならば、慰謝料ものだよね〜。
あの事件だけは、ホント忘れられない!
仕事を一緒にするメンバーは、本当に選ばないといけない、というよい?お勉強になりました。(-"-)



10月6日(水)  自主練のススメ

文化祭の練習も押し詰まり、そろそろ皆さんのお尻にも火がついて、自主練の希望などもちらっと聞くこの頃です。
(どんどんやって〜!)
舞台の作品の練習というのは、不思議なもので、その上達曲線というのがあるように思います。
集中してやった2ヶ月くらいで、一度ピークに達し、その後横ばい或いは、慣れてだれてきてしまい、それを超えると再 びゆるやかに上がりだす。
つまり、この一回めのピークで本番を迎えるか、それよりずっとしつこく飽きるほど、だれるのを超えて練習して、練習 するか、どちらかだと思うのです。
もちろん、それには、「集中して」というのは不可欠ですが・・・。(~_~;)

過去、私が生徒だった時代、やはり大きな公演の他に、文化祭のような舞台が何度もあったのですが、私の先生も忙しく 、振付の後は、ほとんどが生徒だけの自主練習が続く、ということもありました。
振付を覚えると言うのは、まずは当たり前で(-_-;)、その後は、各自の苦手なところの練習、そして二つに分けて、お互 いの踊りを見合うというのが、定番でした。
この、お互いの踊りを見合うというのが、とてもいい勉強だったように思います。
レッスンなどで、たまに二つに分ける(時間がなくて、なかなかできないのですがm(__)m)時もそうですが、人の踊りを 見るというのは、自分に足りないところを自覚したり、人の個性を発見したり、さまざまな意味で重要です。
“あの人があんな風にねばっていてカッコイイから、真似してみよう”というのももちろんいいし、逆に、
“自分なら、こういう風に魅せるのに”というのもいいと思う。
そんな、一種の攻防を含めた自主練もまた、先生がいないからこそ、自由にいろいろできるいい機会だったりしました。

普段のレッスンにも言えることですが、結局、人に言われたことよりも、自分で発見したことが一番ツヨイというのはあ って、何故できないんだろう・・・としつこく繰り返した後に、あれっこれかな?と発見した事が、その人の中に底力と なって残っていく、というのはあると思うのです。
そのためには、まずは、自分に問いかけながら、ゆっくりと反復するしかなくて、そういう時間を持つことは、やいのや いの私に怒られるよりは、時には大切だったりするのです・・・。
というわけで、自主練のススメでした。(^.^)



10月7日(木)  スケジュール帳

私の父は、一ヶ月のカレンダーが一枚の厚紙に印刷されたスケジュール表を愛用していました。
手帳ではなく、一ヶ月ごとのその紙を背広の内ポケットに入れていて、独特の細かい字でそれに、何やらびっしり書いてあったように思います。
退職した晩年は、たぶん、何時に〜病院、とか、何時に歯医者とか、何時に碁の先生、とかそんな予定だったのではないかと思います。(ちゃんと見てないから知らないけど・・・)
何しろ、最初に心筋梗塞の発作で倒れ、病院に運ばれ、心室細動で、電気ショックをかけられて目を開いたとたん、
「明日のゴルフの予定を、〜君に電話して断ってくれ!」
と言った人ですから、行き当たりばったりの逆、律儀でかなり細かい方だったと思います。

ところが、その娘の私・・と言えば、これがスケジュール帳ってちゃんと使ったことがないのです。
行き当たりばったり、というわけではなく、結構一度決めたら、びっちりスケジュール通りに動く人なのですが、(それだけはかなりA型。)あまりにびっちり同じスケジュールを繰り返すので、書くまでもない。
仕事はもちろん、自分の稽古も一度決めたら、雨が降ろうが槍が降ろうが、必ず同じ時間に同じように動くので、それは書くまでもないし、その合間を縫ったプライベートの約束などは、その時間以外に動かしようがない所に押し込んでいるから書かなくても忘れようがない。
リハーサルの場所なんかは、プリントをもらったりするので、そのまま参照。(たまになくしたりして、場所が不明の際もだいたいが近隣なので、誰かに聞く・・・。(^^ゞ)
絶対、忘れられない約束や、しなければいけない電話など、特殊なメモは、手帳を見るのを忘れると困るから、今だに手の甲に書く。(~_~;)

そういえば、若い頃、舞台の掛け持ちなどで、リハーサルの場所があちこち移動、しかも時間もまちまち、この日が衣装つきで、この日は舞台リハとか複雑だった頃は、ちょっとスケジュール帳を使ったけど、結局そこまで切羽詰ると、自分がそのスケジュールにストレスを感じてか?!すごく意識して、書かなくても忘れたりしないので、やめてしまいました。
その後、自分で舞台やる時は、全部自分で決めてるスケジュールだから、忘れようもないし・・・。

たまには、自分でスケジュール帳を見て、あっ、今日は何時にここね、とのんびりとその日の予定を確認するというのもいいかもしれないな〜。



10月8日(金)  名産品と秋の新作お菓子

今日、稽古場で、名古屋に出張した先輩のおみやげと、京都に旅行に行った人のおみやげを頂きました。
うなぎパイと八橋。

名古屋でうなぎパイというのは、ちょっと?ですが、(ホントは浜松だよね〜)“うなぎパイミニ”というので、しかもナッツ入りというもの。
(あの、夜のお菓子ってなかなかインパクトあるよね〜)
(話によると、同じメーカーで朝のお菓子、昼のお菓子というバージョンがあって、“昼”を食べた人の話しだと、昼は、エビ入り塩味!のパイだそうで、あまりおいしくなかったそうです。)
うなぎパイ、おいしかった・・・。(*^_^*)
八橋の方は、新製品で、栗アン入り。
これが、私は、どうも生栗、天津甘栗以外(この二つは別!)の、黄色い甘煮の栗や、マロングラッセってイマイチ苦手なんだよね〜。
そういったら、へぇ〜、栗が嫌いな人って初めて〜と驚かれてしまいました。そう?

八橋と言えば、私は、何も中に入っていない、皮だけのバージョンが、結構好きで、あのニッキ味の上品な甘さが後を引くのです。
同じ八橋という名前でも、生じゃなくて、カリカリの薄い河原せんべいのようなものもあるけど、やっぱり“生”がいいかな〜。

私“御用達?”のコンビニでも、秋の新製品の、チョコレート菓子もいろいろ出てきましたが、ちょこちょこと試しています。
しかし、これも、どうも秋を意識してか、栗(マロン)味が多く、ちょっと残念。
食欲の秋、私にとっては、秋の夜長の“お菓子の秋”です。(^。^)



10月9日(土)  台風上陸!!

昨日から、台風の影響で大雨!
中級クラスからの帰り、既に雨はかなりの降りよう・・・。
今日は、朝から、キャリーバッグに(愛称 ポチ)ビニールかけて、ずぶぬれの覚悟満々?の私でした。
案の定、秦野クラスの終わる頃になると、昼ごろ一時止んでいた雨も、猛威をふるいだし、カルチャーの建物を一歩出 たとたん、強風にあおられ、ワンタッチのかなり丈夫な方の私の傘が、バキッと不吉な音と共に折れました。
何ってこったい・・・。
どうも、雨女で、名をはせている私ですが、やはり、台風にも縁が深いようで・・・。(-_-;)
クラスの後、新宿方面に用があったので、買っていたロマンスカーは、運転取りやめのため、払い戻し、乗った急行電 車は、かなりの強風にあおられ、かなりヤバイ感じ。
窓の外は、真っ暗です。
電車が東京に入ると、既にもう電車のダイヤはメチャクチャ・・・。
ホームにまで、強風と共に雨が降りこみ、屋根なんてあったって、ずぶぬれです。
時は、夕暮れ、おそらくたった今、台風の通過中!に違いない、只事ではない風雨の猛威の中、歩きましたよ・・・。
傘は折れて捨てちゃったし、まぁ傘をさしてもたぶん同じでしょうが、道路は冠水して、足首くらいの水の中、前が見 えないくらいの雨・・・。
そんな雨なのに、猛スピードで走り去る車が上げた大量の水しぶきを、頭からかぶり、もうヤケです。
久しぶりに、自然の猛威を体感致しました。
ほんの一時間後、雨は上がり、何事もなかったような穏やかな天気に・・・。
全くどういう事よ?!
まぁ、せっかくの?久しぶり、関東上陸の台風を、たっぷりと満喫させてもらった、今日のワタクシでございました。
(-。-)y-゜゜゜



10月10日(日)  茶道と私

中学に上がった時は、まだ私はピアニスト予備軍?として、本気でレッスンに励むべく、クラブ活動なんかにとられる時間はない!(という母の意向)と、なるべく活動がラクな、週一回のクラブを選ぶ事になっていました。
週一回の活動のクラブは、確か、茶道部、華道部、くらいで、たまたま新入生歓迎お茶会というのに行ったら、お菓子とお茶が飲めて、こりゃいいや、毎週お菓子が食べられる!と茶道部に入った私でした。
ところが、このお菓子は、どうも地域の和菓子屋さんと、契約があったらしく、一、二ヶ月はすべて同じお菓子。
毎週、同じお菓子というのは、食い意地で入部してしまった私にとっては、大きな誤算。
加えて、正座が苦痛。
入ったばかりは、まず正座、そして正座の訓練で、げんなり。
次に、教わったのは、畳の歩き方。
一畳を六歩で、ヘリを踏んではいけない、心持内股で、一直線を歩くってやつ・・・。
う〜ん・・・。(-_-;)
そして、お茶の飲み方。
何故か、お茶碗を回す。
意味わかんな〜い。
と思いながらも、結構真面目に、茶道部に出席し、袱紗のたたみ方(あのパチンと音をさせる・・・というのも意味わかんな〜い)、そして、いよいよお茶の立て方、とそれなり順調に、しかし、心が全くないまま、順番だけを機械的に習っていました。
結局、一年たって、とうとうピアニストへの道というのにも、自ら反旗をひるがえし、晴れて自由の身となり、ダンス部へと転部するまで、茶道の奥深さに触れることなく終わってしまった、私の茶道部だったのです。

先日、TVで、茶道の大家が出ていて、お茶碗を回す意味を初めて知りました。
お茶碗の絵柄の正面を向けて、差し出されたものを、“遠慮して”“避けて”回すのだそうで・・・。
そうしてお茶を頂いて、飲み終わったあと、またもとの状態の戻すために、回す。
最後に、お茶碗を返す時に、相手に、絵柄の正面が来るように、回す。
そうだったのか・・・!!(目からウロコ・・!)
聞くところによると、茶道は、本当に奥深く、粋なものらしく、季節に合ったお菓子、着物、お道具、その他いろいろ凝りだしたらキリがないほど・・・・。
そして、きっと、ただ機械的に覚えていた作法の一つひとつにも、きっと意味や訳や、心があるんでしょうね・・・・
今さらながら、せっかく入り口に立ちながら、ちょっともったいない事をしたな・・・と思ったりする私です。



10月11日(月)  カセット&ウオークマン

私はいまだに、カセット&ウォークマンを愛用する旧世代であります。
しか〜し、世の中は既にMD時代であり、カセットを使用している人がいるなんて事は、忘れられそうです。
で、この前も、ウオークマンが壊れ、新しいのを買おうとしてさんざん苦労しました。
むろん、安い、高いにこだわらず何でもいい、というのなら、ある事はあるのですが、少しでも安いものを選んでなんていうのは、どうやらムリに近いようです。
ソニーの、文字通りウオークマンの他は、一社、(パナソニックかな・・のものが)出ているだけ・・・。
秋葉原まで行ってみたけれど、選ぶのはムリで、その同じパナソニックのものが少し(怪しいバッタ屋さんのような所で千円くらいは安く買いました)安いかな・・・と言うくらいでした。

私の母も、カセット愛用者で、ダブルデッキをさんざん探していました。
ダブルデッキも、この頃見ないでしょう?
MD、CD、カセットが付いていても、それでダブルカセットというのは、もうありませんね・・・。
そりゃ、世の中はMDでしょうけれど、なかには、どうもカセットじゃないと、という人、カセットじゃないとわからないというお年寄り、とかいろんな人がいるわけですから、新しいもの、新しいもの、と新機種ばかり作るのもいいけれど、古いタイプのものも、何種類かは残してほしいと思います。
(携帯だって、新機能つきの新機種ばかりに変わるけれど、余計な機能はいらないから、今までのものがいいという人もいるに違いない、と思うのです。)

前から、電化製品(例えば、掃除機とかでも)とかで一つ部品が壊れたら、新しいのを買った方が安いですから、という状況がよくあって疑問に思います。
話しによると、ドイツなんかでは、きちんと定番のものの部品は作っていて、壊れても部品一つがちゃんと買えるそうです。
そうやって、発展してきた日本経済なのかもしれないけれど、物を大切にする、という美徳はどこへ行っちゃったのでしょうか?
今は、物を捨てるのも大変な時代。
新デザイン、新機能の追及よりも、使いやすく長く愛用できる定番を大切にすることも必要なんじゃないかなぁ〜。(゜o゜)



10月12日(火)  アキバのオタク分布図

昨日のダイアリィの中にもちょっと出てきた、電気街、秋葉原ですが、たまたまTVの番組でこの街を取り上げていて、興味深く見てしまいました。
何よりおもしろかったのは、この街に生息する?!オタク達です。
実際行くとよくわかるのですが、本当に男性、それも見るからに“オタク”の人達が多い街なのです。
デイバッグ、或いはショルダーバッグを肩にかけ、両手をあけて、品物を物色する人々・・・。

彼らには、いくつかの分類があるそうで・・・。
コンピューターオタク、電気、通信オタク、アニメオタク、アイドル(それもブレイク前の)オタク、ゲームオタク、そしてコスプレ、特にメイド(メイドのファッション、白いエプロンをした店員さんばかりの“メイド喫茶”というものがたくさんあるそうで・・・?!)オタク・・・。

ラジオセンターという、市場みたいな、一畳くらいの極少のお店ばかりが軒をつらねている建物があって、その中をのぞいたら、(実際、私もちらっと入ったのですが)何に使うかも素人には全く不明な、ネジみたいなものや、真空管みたいなものや、無線関係の小物や、スピーカーみたいなものなどが、うじゃうじゃ・・・。
部外者は、居心地が悪いくらいの、マニア空間!でした。
しかし、電気、通信オタク達にとっては、よだれが出るほどの、ミラクル空間なのでしょうね。

他のオタクにとっての天国も、地域ごとにまとまってあるらしく、確かに裏通りをぶらついていたら、パソコンの基盤?!がまとまって売っている店があったりしました。
パソコンオタクは、自分で一から、パソコンを作ってしまう!!そうで、いったいどういう頭をしているのか、私には皆目見当もつきません。(~_~;)

秋葉原の駅前再開発の計画も進んでいて、つくばの方とを結ぶ電車乗り入れも決まっているそうで、ますますオタク頭の電気人間?たちが大勢流れ込むことは、まちがいありません。

同じ人間なのに、とてもそうは思えない位、私には理解不能(たぶん彼らにとっても、一年中身体を動かして、踊っているなんて、意味わかんない〜と思うでしょうが・・・)な人達がいる・・・。
やっぱり、人間って奥深くて、おもしろいな、なんて思ってしまったのでした。(^.^)



10月13日(水)  ネット集団自殺に思うこと

ネット集団自殺、それも7人という数の人がインターネットを通じて示し合わせて心中をはかる、という事件が起こりました。
私としては、自殺くらい一人でできないのかよ!という感じですが、自分の人生の持っていきようがない人達が同調しあって、ヘンに“死”というものの美化をして、そのままホントに死んでしまった・・・のですかねぇ?

この事件には、いろんな側面があって、まずは、そうした人生の目的を見出せない若者が増えているということ。
NEET(ニート)と呼ばれる就職もしない、学校へも行かない、引きこもり未満の若者が急増している、という記事を読んだばかりですが、そんな状況と関連しているのかもしれません。

そして、またもや、インターネットの危険性。
顔も本名も素性も知らない人間が、訪れる様々なホームページの中には、一般的には、はなはだ危険ともいうべき様々な情報が無防備にあふれています。
爆弾の作り方や、違法な銃器の入手法、そして自殺の幇助などのページも、未だ何の規制もなく、誰でも見る事ができてしまう。
TVや、ラジオの放送媒体、本や雑誌の出版媒体では、法律的な規制がかかるところが、インターネットだけはそうした規制が追いつかずにいる現実・・。
インターネットを使う方の人間も、膨大な情報に飲み込まれている感もあります。

そして私が、この集団自殺で連想したのは、“レミングの集団自殺”です。
レミングとは、北欧、北米に生息しているネズミの一種で、数が増えすぎると、集団で海岸に移動し、次から次へと海へと飛び込んで、死んでしまうと言われています。
種の保存のための、個体数調節、つまり餌がなくなった時に、全部が飢え死にして種がなくならないように、自ら起こす行動、自殺であると言う説が、妙に印象的でした。

しかし、実は、調べてみたら、このレミングの集団自殺というのは、俗説に過ぎず、実際は自殺などではなく、餌がなくなった場合に、集団で移動して海へ飛び込むのは、あくまで新しい餌を求めての行動だというのが事実のようです。(なぁ〜んだ・・・)
そして、もう一つウンチクをたれれば、この“レミングの集団自殺説”が有名になったのは、「白い荒野」というディズニーのドキュメンタリー映画だそうですが、この映画の中で、ディズニーは、たくさんのレミングを故意に死に追いやった、として問題になったとのこと・・・。
ふ〜ん・・・。

さて、話しはそれましたが、ネット集団自殺、最近のように、こうした自殺や、殺人、子供の虐待、などの人間の狂気的な行動があまりに多いと、人間という種も、或いはもう終わりに近くて、自浄作用というか、レミングのように、何かに憑かれたように海へ、海へと飛び込んでいるイメージが浮かんでしようがないのです。

なんて・・・そんな風に考えると、あまりに暗くて、救いがないのですが、感覚が麻痺しそうになるほど、次から次へと起こる事件は、本当に、人間という種というもの自体が、あえいでいる・・・というか内なるシンプルなパワーを求めている気がしてならないのです。



10月14日(木)  “総理大臣 スーパースター“

政治的な信念が特にあるわけでは、まったくないのですが、小泉総理の所信表明、TVでやってて、ちょっと笑ってしまいました。
どこだかの甲子園に出た高校の校歌から拝借した、「やればできる、は魔法の合言葉!」を妙に力説していて、いやいや政治家が魔法に頼っちゃダメでしょう、という司会者の突っ込みに、大笑いしました。
その他にも、アテネオリンピックに出た選手の、(女子レスリングの浜口選手とか・・・)言葉をあちらこちらから借りてきては、つぎはぎ・・・。
お疲れなのでしょうか?

不謹慎ですが、私は、前から、総理の顔は、ゼッタイ狐に似ていると思っていて、「虎の威を借る狐」じゃないけど、今回のように、人様の、それも、汗水たらして自分が頑張った人の心から出た言葉を、ちゃっかり借りて、演説しちゃうのは、ちょっとどうなの?という感じでした・・・。

総理大臣も、スターも、昔よりみんな“小粒”になったな〜と思います。
昔の、総理大臣は、一癖も二癖もあるけれど、それなりの個性と存在感がばっちりあった気がします。
スターにしても、昔は、ホントに大物、なかなかなれないけれど、星のような存在感がある人を言った気がするのです。
今は、よく言えば、身近、親しみやすいけれど、やっぱり“小粒”。
どっちも、親しみやすくなくたっていいけれど、独特の強いオーラがなければ、つまんない。
皆に受けなくたっていいけれど、時には有無を言わさない迫力がないと、つまんない。
そんな自信、スケールの大きい人間が育ってこないのは、いったいどうしてなんでしょう・・・。(-。-)y-゜゜゜



10月15日(金)  昨今の流行の食材

お昼に外で食べたサラダに、“アルファルファ”が入っていました。
そういえば、昔、アルファファもやしが出たての頃、家庭でも簡単に栽培できるとか、身体に良いとか、いろいろと話題になってスーパーなどでも、目立つところに出ていたりしていましたねぇ・・・。
最近は、あるにはあるけれど、あまり目立たない存在になっているような気がします。
食材にも、流行すたりってあるのですね。

アボガドを初めて食べたのは、大分前だけれど、最初ウチでは、デザートとして、お砂糖とレモン汁をかけて半分に割ったものをスプーンで食べていました。
アボガドのお寿司なんかが流行ってから、お醤油をかけたり、サラダに入れたりする、いわば食事の方で食べることの方が断然多くなって、今ではほとんどそっちの食べ方。
アボガドは、一般的にも、たぶんかなり定着した方でしょうね・・・。

これは、う〜んと前の話しになるけれど、子供の頃は、グレープフルーツは、必ず二つに割ったものに、お砂糖をかけて、(好みで大人はブランデーなんかちょっとかけて・・)スプーンですくって食べていました。
皆さんは、どうですか?
だいたい、グレープフルーツ自体、たぶんアメリカから入ってきたてで、その前は、日本ではあんまり食べてなかったんだよね?!
昔のグレープルーツってかなり酸っぱくて、お砂糖をかけないで食べるなんてありえない位だったと思う。
今のグレープルーツは、とっても甘くなって、お砂糖なんてかけなくても、全然オーケーですよね。

お砂糖と言えば、いちごも、昔は“いちごスプーン”でつぶして、お砂糖と牛乳をかけて食べてましたねぇ。
今のいちごは、大きくて甘くて、つぶさなくても、ポイポイ食べられる。
たぶん、昔は、いちごは今より高級品で、贈答品としてお客様が持ってきて、それをお持たせで、お出しする時にそんな風に出したりしてたのだと思う。

結構、新しいものを取り入れるのが得意で、好奇心も食い意地も張っている日本人は、着々と新しいものを取り入れたり、改良したりして、いろんなものをパクパク食べる・・・。
私の子供の頃、ほんの数十年前とでも、いろんな変化がある・・・。
そんな、日本人の、食へのエネルギーを、ふと、感じてしまった私です。



10月16日(土)  新手のオレオレ詐欺

トゥルゥルゥル・・・・(電話の音です)
「はい、もしもし」
「もしもしこちら○○警察ですが、お宅のご主人が先ほど交通事故を起こされまして、被害者の方は、若いお母さんと 幼児で、幼児の方は危篤状態になっています。ご主人は、こちらの○○警察に拘留されていまして、保釈金300万円を次 に言う口座に振り込んでください」
「!!」

例えば、そんな電話が、突然かかってきて、あなたなら、その日のうちに300万もの大金を、振り込んだりしますか?
これは、実際にあった、新手の“オレオレ詐欺”の被害例だそうです。
詐欺の被害にあったのは、30代の主婦で、“まさか、自分がオレオレ詐欺に引っかかるとは思ってなかった”そうで 、そうした詐欺は、高齢者が対象と思い込んでいたらしい。
こうした詐欺は、日本人が引っかかりやすい心理の盲点をついていて、例えば、まず、警察からの電話ということで権 威主義、公的機関に弱いという盲点、そして、幼い子供を轢いてしまったという罪悪感、警察に拘留されているという ことで、なるべく人に知られたくないという心理(つまり容易に他人には相談できない)、或いはお金さえ払えば、と りあえずは自由が買えるという切迫感、などを有無を言わさない短時間の会話で、攻めていくらしい。

私としては、かなり、ありえない話しで、何で引っかかっちゃうのか不明ですが、他にも、被害者方の弁護士と名乗る 人から、やはり、お宅の息子さんが傷害事件を起こしたので、示談金を振り込んでくれ、という例などがありました。 (それも示談金を振り込まない場合は、拘留される、とか言う。)
パニックになりやすいタイプの人は、そこで、パーッと舞い上がって、即振り込んだりしちゃうのですね・・・。
私は、親によーく対処法を言い含めましたが、(親も自分は、そんなに浅はかではない、と言ってたけど)まず、警察 からの電話と言っても、とりあえず電話をいったん理由をつけて切ること。(今手が離せないでも、何でもいいから) そして、向こうの言った電話番号ではなく(これが重要)、104で、代表番号を調べて、担当に回してもらう方法で 、かけ直す。
決して、相手からの電話で、信用して、相手のペースに巻き込まれないように。
聡明な皆さんなら、よもや引っかかる事はないと思いますが、どんどん巧妙に悪質化する詐欺、気をつけましょうね〜 。



10月17日(日)  地震20秒前

昨日、夕方、ばら色の夕焼けを見ました。
素晴らしくキレイだったけれど、何となく不気味な感じさえしました。
それと言うのも、阪神大震災の前の日は、夕焼けがすごかったという話しを聞いた事があるからです。
最近、あちこちで、地震が多いから、なおさらです。(そうしたら、深夜、寝ていたので時間はわからないけど、本当に地震あったよねぇ!!(~_~;)

さて、その地震なのですが、難しいと言われる地震予知の世界も日進月歩で、とうとう大きな地震の起こる20数秒前にはかなりの確率で予報が出せるようになった、との記事を読みました。
しかし、20数秒前に、予知されても・・・・という気もしなくもない。
その20秒で、いったい何ができるか、と言うと・・・?
机の下にもぐる?
頭を保護する?
ガラスから、離れる?
実際、問題になっているのは、例えば、その予報を出した場合に、野球場などでは、入り口に向かって人々が押し寄せ、かえってパニックが起こって危険なのではないか、とか(そりゃそうだ・・・)、高速道路などを走るドライバーは、おそらく急停車するのでしょうが、その予報を聞いた人と、聞いていない人がいた場合、かえって追突事故などを招いてひどい事にならないか、とか・・。
では、いったいどれくらい前の予報なら、有効かと考えると、これがまた難しいですよね。
1時間だったら、あなたなら、何をしますか?
あと、一時間、あと一時間と、待ちながらドキドキするのもかなり辛いですよね。
3時間だったら?
それとも、1日あったら?
たぶん、1日とかあれば、その地域を離れようとする人々で、交通機関はパニック、麻痺するだろうし・・・。
う〜ん・・・やはり、自然の威力に人間が立ち向かうのは、容易ではありませんね。(@_@;)



10月18日(月)  舞台の笑顔

昔のレビューの世界なんかでは、もっとも自分がキレイに見える笑顔ということで、目をいっぱい見開いて、口角を上げて(もとが下がっている人は、口紅を描く時に、こころもち、口の端を上げて描いて・・・)微笑むように言われたらしいけれど、確かに自分が魅力的に見える笑顔を、研究するのも大事かもしれません。
もともとの顔が、わりと地味目で、表情が乏しいタイプのある先輩は、家で鏡を見て、笑う練習をなさったそうです。

私?
私は、もともと笑うとホッペが上がるタイプの顔で、笑いすぎ(^^ゞと言われたことはあっても、あまり笑顔で苦労したことはありません。
私の友人は、たまたま同じ舞台で、位置が近くて、振り返ったら、あまりに笑っている私を見て、びっくりしたと後からさんざんからかわれました。
だって・・・楽しかったんだもん!

もう一人の友人によれば、自分としては最大限に高揚して、大笑いしていたはずが、後でビデオで見たら、“含み笑い”にしか見えなくて、びっくりしたそうです。
しかし、自分の事は見えなくても、他人の舞台を見た時に、いろんなタイプの笑顔があり、それがその人の個性、表現で、例えば、無理やり顔をつくっても、その人の中身の表現とそれがかみあっていないと、かえって違和感があったりすると、気付いたそうです。
つまり、悲しい曲に笑っていたりするのは問題外として、笑う曲で、その人なりに出てくる笑顔の表現は、例えていえば、色の濃淡、トーンで、その人の感じているものは、自然と伝わってくる、と。
ふーん、なるほど。

群舞を揃えることでは、定評のある或るスタジオでは、「必ず歯を見せて、笑え!」と強制されたり?しましたが、歯を見せて笑ったって、目が死んでいては恐いばかり。
要は、作品の世界を、一人ひとりが感じて、まず自分が楽しみ、そして、観客をも楽しませる、という舞台の上での魔法をエンジョイしないとね・・・。

笑う踊りで、画一的に、笑え、笑えと言うのは好きじゃないけれど、各自が、一番魅力的な自分、楽しくて、今、瞬間の生を心からエンジョイしていることを、その人なりの素適な笑顔、表情で出すことができれば、作品を創った私も幸せであります。(*^_^*)



10月19日(火)  勤勉

私は、ジャズ、モダン(コンテンポラリー)、そしてクラッシックバレエと3つの世界をまたにかける女?!

各ジャンルのダンサーを比較すると、やはりバレリーナが、一番勤勉かもしれないと思います。
もちろん、これはあくまで一般的な感想で、ジャズのダンサーは、私のように?クラッシックバレエを自分のレッスンにしている人も多いし、一概には言えませんが・・・。
しかし、森下洋子さん曰く、「レッスンを1日休めば、自分がその違いを思い知り、2日休めば仲間のダンサーに、そして3日休めばお客にわかってしまう」というのが、全く誇張でないくらい、毎日、毎日レッスンに励むのが、当たり前の世界。
つい最近も、私の通う稽古場が、“秋休み”(いいな・・・私も秋休みして、遊びに行きたい!?)と称して、4日ばかり休みだったのですが、もうバレリーナの焦りは、すごいものがありました。
その間、違う稽古場に行くのも気が引けるし、かといって4日も休むのは心配!と、休みになる前の日、そして休み明けの日は、全メンバーが勢ぞろい、くらいの混み様でした。

まぁ、かく言う私も、どちらかといえば、立派な稽古フリークで、この曜日と、この曜日と言う風に一度決めたら、雨が降ろうが槍が降ろうが休まないタイプであります。(仕事でどうしても行かれない日を除けば、できれば毎日受けたい方)
ですから、本当に例えば1週間何もしなかったら、ダンサーの身体、バレリーナの身体が、本当になまるのかどうかは、あまりわかりません・・・。
多くのバレリーナのように幼児の頃から、そうした身体を作ってきた人が、果たして数日レッスンをしなかったからと言って、そうそう変化があるとは思えないのですが・・・。

しかし、私でもやはり、年末などで1週間近く、間があいてしまった時や、ギックリ様で余儀なくお休みした後などは、自分の身体の感覚が違う感じはします。
たぶん、ほんの数日で、筋肉が落ちたりはしないのでしょうが、ダンサーの身体や、バレリーナの身体の本人が自覚する微妙なセンターの感覚が、変わったりするのかもしれません。
筋肉的に言えば、休ませるのも、むしろ必要なわけで、バレリーナの一種、信仰に近い稽古フリークは、おそらく精密な機械であればあるほど、その狂いが気になる、精神的なものによるのかもしれませんね・・・。



10月20日(水)  いつも目をあけて・・・

私の母は、キリスト教のカトリックの信者でありまして、(亡くなった父も、母に勧められて信者でしたが、私は、今 の所、どの宗教にも入っていません)そういうと、世間の人は、品行方正な規律正しい人々を想像するのかもしれませ んが、母も、母をとりまく教会の仲間の人達も、話を聞く限りでは、ごく普通の、結構アバウトな?明るい人々のよう です。

母の教会の友人の、Kさん夫婦、同級生同士の結婚で、とても仲がいいけれど、ささいな事でよくケンカもするらしい。
先日も、お二人で車ででかけた際に、高速を使うか使わないかで、大喧嘩!
奥さまが、「それなら、あなたは降りて電車で帰れば!!」と車から旦那様を降ろしてしまったそうです。

さて、聖書の言葉に、“いつも、目を開けていなさい”という一節があるそうで、
(そう聞いたとたん、私は、暗闇で目を開けて、睡魔と闘っている不気味なイメージがわいてしまい、思わず、“何そ れ?”と言ってしまったのですが・・・)
これは、いつ何が起きても、後悔のないように、自分の行いに、“目をつむることのないよう”という意味らしい。
たまたま、教会のお話しで、その言葉をやって、Kさん夫婦はちょっぴり反省したそうで、例えば、ケンカのあげく、車 から降ろしてしまった旦那様が、交通事故とかで、万が一帰らぬ人になってしまったら、どんなに後悔するか・・・な どを考えて、しゅんとしていたそうです。

身内や、恋人、パートナー、はたまた友人などに腹をたてて、ケンカをする事は誰にでもある事ですが、確かに、それ がこの世の別れになってしまったら、どんなに後悔するかしれません。
間違いに気がついたら、なるべく早く気持ちを立て直す。
それは、神様に対してというよりも、幸せに生きて行く上でも必要なことで、人として生を受けたからには、その生を 大切にしていくのが、使命であるというのは、素直に納得できたりするわけです。
まぁ、私は有難いことに、もとから、そんなに長く怒っていられないタチでして、(一部、執念深いところもある気も しますが・・・?)自分なりに、ぼちぼち、1日1日を、精一杯生きて行きたいな、などと思った次第です。(^.^)



10月21日(木)  台風23号

速報好きの私としては、不謹慎ながら、台風23号の被害のニュースにクギづけになってしまいました。
水没したバスの屋根の上で、救助を待つ人々の映像は、結構すごかった・・・。
京都、舞鶴の温泉帰りの37人の9時間。
窓ガラスを割って、屋根に登ったそうですが、60代から80代の老人が、よくまぁ、皆よじのぼれたこと・・・。
バスのカーテンをちぎってつないでロープにして、近くの木に結びつけ、バスが流されないようにしていたそうで・・ ・。
なるほど、映像には、近くの木の上で、救助を待つ人もいっしょに映っていました。(結びに行ったら、もう帰れない もんねぇ・・・)
インタビューを受けた助かったおじさんは、「そりゃぁ、寒かったですよ、膝まで水につかってたからね。でも、皆で 頑張れ、頑張れ、と励ましあってね・・温泉で一杯飲んでたところから、一気に、天国と地獄ですよ!」とかなりの笑 顔?!で、興奮して語っていました。
37人全員が助け合って、救助されたそうで、ホントによかった。(皆偉い!)

堤防に激突して、座礁した「海王丸」の167人も、救助されるまで10時間。
荒れ狂う海の上で、降りることもできず、私だったら、船酔い(@_@;)と恐怖でどうにかなりそう!
訓練船で、いわばプロの集団である彼らにしても、予想を超えた未曾有の高波、強風の威力。
室戸岬では、観測史上初の、17メートル(ビル4階よりも高いそうで・・・)で、損壊した家で、お年寄りが3人亡 くなりました。
(自然災害は止めようがないにしても、こうしたお年寄りの被害は、本当に心が痛みます。どうにか早めの避難に手を 貸すことは、できなかったのでしょうか・・・)

科学の力で、どんどんと、不可能を可能にしてきた人間達。
天気予報も、かなりの確率であたっていて、台風が来る事、その規模もわかっていながら、結局、自然の前では、なす すべもなく、このように被害がでてしまう。(明らかに危険な場所に自ら出て行って、被害に合ってしまう人ってどう してなんだろう?といつも思ってしまう。自然をなめたらあかんぜよ!)
人間よ、驕り高ぶるな、との自然のサインを見逃すことなく、あくまで地球の一員としての立場を忘れることなく、い かないとやっぱりマズイんだな・・・と改めて思ったりしています。



10月22日(金)  我が家の食べ物

たぶん、よそのお宅では、あんまり食べていないと思われる、“我が家の食べもの“ってきっと、どこのお宅にもそれぞれあるのでしょう。
私の家では、前にダイアリーで書いた“父の作る焼き飯”(コショウたっぶり具なし)の他にも、いろいろとあります。
そういうのって、子供の頃はもちろん気が付かないんだけど、大人になってある時、ふと“これって、よそでは食べていないんじゃ?”とふと疑問に思う。

例えば、ウチでは、たまに、名古屋の方で有名な、八丁味噌(別に名古屋出身ではないのですが)を、たぶん?ダシ汁でのばして、おかかを入れた、ソースみたいなものを、ご飯にかけて食べる。
湯豆腐にかける時もあるけど、ご飯にかけると、ご飯が進むんだ・・・。
どうです?お宅ではそんな風に召し上がりますか?

あと、私の父は、豆類が好きだったみたいで、(グリンピースご飯、ウチでは“ピースご飯”と呼びますが、なども目がなかった)みつ豆や、あんみつに入っているお豆、(たぶん赤えんどうと言うんだと思うけど)を和菓子屋さんで買ってきて、それを好んで、ごはんにかけて食べていました。
私は、これは、そんなにしなかったけど・・・。

日曜日のお昼なんかは、“そばがき“が主食ということもありました。
そば好きの父が、熱湯をわかし、時間との勝負で、そば粉に一気に入れながらかきまぜる。(結構、力が要りそうでした)
すると、あっと言う間に固まったものを、熱いうちに、お箸でちぎって、醤油と味の素(これは、欠かせない!(^.^))につけて食べるのです。

母の簡易お昼は、バターご飯。
熱いご飯に、マーガリンじゃなくて、良質のバターを乗せて、お箸で混ぜて、醤油たらして食べる。
プラス、生卵をかけたりもしてたけど、私は生卵はキライなので、やらなかった・・・。
もちろん、ウチではそんなものばかりを食べていたわけではなく、ちゃんとした料理もいっぱいあるのですが(母の名誉のために言っておきましょう)、ふとした時に思い出すのは、こんな料理以前の、でも何か懐かしく美味しい“我が家の食べ物”だったりするのです・・・。(*^_^*)

10月23日(土)  台風の次は地震!!

台風23号の次は、なんと新潟を中心に震度6強が3回!!です。
またもや、速報に釘付けの私であります。(@_@;)
こういった突発的な天災の場合、だんだんに被害が明らかになってくるので、(阪神大震災の時も、あの未曾有の被害 は大分経ってから、明らかになりましたよね)最初のうちは、同じ情報が繰り返されるのですが、それでも一度TVをつ けてしまうと、何か新しい情報はないか・・・と目が離せなくなってしまう私です・・・。(゜o゜)
ほんの一時間あまりに、次から次へと、それも震度6近い余震が起こると、船に乗っていて降りた時のように、揺れて いない時でも、揺れているような感じになってしまうのではないかしら・・・?
最近、あちこちで地震がよく起きていて、弓なりの形の日本列島が、ある日ぽきっと折れてしまうのではないか、とか とうとう“日本沈没”かとか、恐くなってきます。

こうした速報に目が離せなくなると言うのは、創られて計算された番組にはない、様々な人間模様が見えるせいもあり ます。
アナウンサーしかり、急に電話に出る羽目になった地元市役所などのおじさんしかり、地方TV局の報道の方しかり、は たまた急に会見をするはめになった気象庁のお役人しかり、そして防災大臣しかり・・・。
皆、突然の危機に、急に人前で喋るはめになって、同じ事を何度も繰り返したり、口ごもったり、トンチンカンな応対 をしたり、てんやわんやな状態が、なかなか臨場感をかもし出している。(ホント興味本位、不謹慎でごめんなさい。 m(__)m)
地震が起きた直後の、TV局内の映像なんかを見ると、意味なく?走り回る人や、すぐ電話をかけている人、立ちすくん で上を見上げている人、それぞれだったり、街に設置してあるビデオに映る一般の人なんかでは、不安そうにうろうろ するおばさんや、固まって騒いでいる中学生や、ホントに“あぁ〜人間模様”であります。
駅の映像なんかでは、駅員さんが、パニックになっている乗客に囲まれて、その対応に追われていて気の毒です。
だいたい、災害時や、事故などで、電車が止まると、必ずといっていいほど、駅員さんに食ってかかっているおじさん がいて、“どうしてくれるんだ!いつ動くんだ!”と言ってるけれど、あれも情けない・・・・。
自分がパニックってるのは分かるけれど、
“とりあえずその人に文句言っても、状況は変わらないから、落ち着こうよ〜”といつも思います。
そうは言っても、私は、(駅員さんには文句言ったりはしませんが)地震は相当恐いので、震度3くらいの関東地方の 余震でも、立ったりすわったり、意味なくうろうろしている現在であります。(~_~;)



10月24日(日)  頑張れ!人間!

新潟県中越地震、時を経るごとに、その被害がどんどん明らかになってきました。
死者21名、負傷者1800人にも及ぶ大災害です。
直後と比べ、一夜明けて、新しい映像が入ってくるにつれ、その悲惨さは息をのむほどです。
倒壊した家屋、隆起し寸断された道路、崖崩れ、土砂崩れ、孤立し、助けを求める人々・・・。
相次ぐ非常に強い余震・・・。
被災地では、ライフラインが断たれ、地震二日目の今晩も、避難所で、不安で不便な夜を過ごしている方々の映像を見 るたび、心が痛みます。
地震は、ホント恐い!!
人間は、本当にちっぽけで、弱い存在だ、と実感してしまいます・・・・。

しかし、阪神大震災の時も思ったけれど、どんな悲惨な壊滅状態からでも、生き残った人は、立ち上がり、一歩ずつ一 歩ずつ再生に向かって行く・・。
限りなくちっぽけで、弱い存在でありながら、そのエネルギー、可能性は、やはり捨てたもんじゃないのが、人間かな ぁと思います。
助け合い、ボランティアもまだ充分でないなりに、少しずつ稼動しつつあります。
信号機が故障し、混乱をきたす道路の交通整理には、神奈川県警が出動しているそうです。
この震災の、直前の、台風23号の被害の復旧作業には、各地のボランティアが手を貸して、やっと水の引いた家屋か ら、泥水をかきだす作業などに励んでいるそうです。
第二次大戦終戦後の日本の写真を見た事があります。
現在、ビルが林立し、人々が喧騒のうちに行き交う街が、一面の焼け野原、地獄のような有様だったのです。
一人ひとりの命は短く、弱く、ちっぽけで、自然の前にはひとたまりもない人間・・・・。
でも、その夢は永遠で、手を取り合う事で強くなれて、時には非常に愚かな行いもするけれど、崇高な行いもできる。
何か、こんな風に、人間の限界を思い知らされる災害が続くと、逆に、ポジティブな人間性を信じたい気がしてきます ・・・。
頑張れ!人間!!
そして、被災地の方、どうぞ頑張って下さい!



10月25日(月)  “スカーレットはB型?”

最近、また血液型性格分析が、あちこちで流行りですが、これが最初に日本で話題になったのは、私が子供の頃だったと思います。
私の親が、日本で最初に血液型の本を書いた、元祖?能美さんの本を買ってきて、家庭内で“あの人は〜型だからあぁだこうだ・・・”とか言っていた気がします。
(ちなみに、ウチは、父A 型、母 O型、私A型であります。)
中には、そんなもの根拠がない、などと言われる方もいっらしゃるようですが、私は、何か人間のおおまかな気質の分類としては、なかなか当たっているような気がします。

さて、そんな血液型分析を、歴史上の人物や、小説の人物に当てはめて見ると、なかなかおもしろかったりします。
名画として誉れ高い(もちろん小説も)、“風と共に去りぬ”。
主人公、スカーレットと彼女を取り巻く人物を、見てみると・・・。
スカレーット、これは、絶対にB型でしょう?!
あのマイペースさ、気性の激しさ、ユニークさは、Bって感じ。(あくまで、私の独断であります)
そして、レッド・バトラーは、Oかな?
生命力あふれる様や、B型のスカーレットのユニークさにひかれる所や、周りの人をそらさないリーダーシップ、などO型の男性って感じがします。
一方、我慢強く、ひかえめなようでいて、芯が強いメラニーは、A型でしょう。
ソフトで優しく、繊細で、でもつかみどころのない、スカレーットの憧れのアシュレは、AB型かなぁ?

歴史上、戦国武将として、よく比較されるおなじみの3人、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。
これは、DNA鑑定で、実際に血液型が特定されているそうで、誰もが想像するとおり、B型、O型、A型だそうです。
ユニークで、激しい“鳴かぬなら殺してしまえ、ホトトギス”と言った(ホントかしら?)信長、気配りで、どんどん出世し、信長に気に入られたサル、“鳴かぬなら、鳴かせて見せよう”と言った秀吉、そして、自分の番が回ってくるまでひたすら忍耐した、“鳴かぬなら鳴くまで待とう”の家康・・・。
やっぱり、血液型分析ってあたっている気がします。

よく分析では、A型はB型が苦手とされると言うけれど、こうした小説や、歴史上の人物にあてはめたB型って、どれもなんかすごくカッコイイ気がする・・・。
それに比べて、A型の人ってナンカ地味で、つまんない・・・。
細かな所を気にしすぎる、と言われるA型にとって、(私は、あまりそうとも言えないけど・・・)B型の一種、突き抜けたパワーは、やはり憧れでもあるのかな・・・。(別に、B型を特に持ち上げているつもりはないのですが・・・(~_~;))



10月26日(火)  憧れのスカーレット

さて、話は“風と共に去りぬ”について。
たぶん私が、最初にこの映画を見たのは、小学6年生の時だったと思います。
何故、覚えているかと言えば、乗り物酔いの激しい体質だった私は、なんと修学旅行にあたる“移動教室”というのに置いてきぼりをくらい、(担任の先生が、本人が辛いでしょうから・・とか言いに家に来て、結局連れて行ってもらえなかった・・・(T_T)、家でTVの名画劇場を見ていたのです。
確か、前編、後編に分かれ、2週に渡る放送だったと思う。
感動しましたね・・・。
その後、小説の方も読みましたが、先に映画だったからかどうか分かりませんが、スカーレット、バトラーのイメージは、映画そのもの、ぴったりでこれも感動しました。

数ある映画、私の好きな映画の中でも、やはりこの作品は、五本の指に入るし、何度も見ています。
CGのない時代に撮った!!、戦火の中を馬車で駆け抜けるシーン同じくCGではない何万人のエキストラによる、駅の負傷者のシーンなど、迫力あるシーンがいっぱいあるし、ビビアン・リー、クラークゲーブルの美しさ、かっこよさは、最高です。
ストーリーも、本当に感動的だし、スカーレットのひたむきなまでの生きるエネルギー、(実際、彼女が友達だったりしたら、付き合いきれるかわからない?!位の)自己中心的な強さ、は私の憧れであります。
そして、あの前向きさ。
戦火の中を命からがら、故郷に帰りついたら、母親は、流行り病で亡くなり、強かった父親はショックでぼけてしまっており、何もない畑から人参(だっけ)の根だけを掘り出して、飢えのあまり、思わずかじってしまったスカレーットは、天を見上げ、まるで挑みかかるように、「神様、私は二度と飢えません、二度と家族を飢えさせません!!」と宣言する・・・。
そして、あの有名な、「明日がある。明日、タラで考えましょう!」
どんなにボロボロになっても、不屈の精神で立ち上がり、その瞳は、カッと明日を見据える。

一般的に考えれば、嘘も平気でつき、人を裏切り、傷つけ、ある意味鈍感で、出しゃばり、見栄っ張り、派手好き、甘ったれ、特極の自己中心・・・と欠点だらけの彼女ですが、スカーレットを見ると、元気が出るのです。
自分にとって、“明日、考えるタラ”という南部人スカレーットにとってのバックボーンと言うまでの、故郷はないけれど、煮詰まったら、とにかく、“明日、陽の光の下で考える”というのは、ある意味で座右の銘の一つかもしれません。
私にとって、B型?スカレーットは、憧れの人なのであります。(^。^)



10月27日(水)  OH!野菜 高〜い!

新潟中越地震で、生き埋めになっていた母子の車から、二歳の男の子が救出されました。
今にも崩れそうな土砂と岩の中に、かすかに見える車の中で、4日間、93時間!!
本当に、よく助けてくれたと思います。
が、続いて救出されたお母さんは、病院に搬送された際に、もう亡くなっており、(ご冥福をお祈りします(T_T))現時点では、まだ女の子の方は、車の中・・・。(何とか助かってほしい!)
映像で見ていても、激しい余震の中、レスキュー活動にあたる方々の身の安全が、心配になる位の現場、しかも、専門家の話によると、生き埋めなどにあって、長時間筋肉が圧迫された状態から、急に解放されると、血流が急になってそのショックで亡くなる場合もあるとの事・・・。
輸液などをしながら、慎重に救出しなければならないそうで、救出された男の子の生命力と、現場の方の努力に感謝したい気持ちです。

さて、台風23号の影響で、その前の台風の豪雨から高騰していた野菜の値段はどんどん上がっているようです。
レストランなどは、困るだろう・・・と思っていたら、今日、いつも行くお店でセットで付いてくるサラダは、とうとう高騰値段バージョンに様変わり。
いつも、レタス、プチトマト、きゅうりなどで出来ているサラダは、よくもここまで・・・と言う位のうすーく細ーく切られた大根!と、2,3本の貝割れ大根と、彩りに、紫キャベツと思われる?!何片かの切れ端!!が載せられた、サラダ??に変化していました。(゜o゜)
朝にコンビニおにぎり一個、昼にパン一個、夜のおにぎり二個という食事で、辛抱されている新潟被災地、避難所の皆さんを思えば、贅沢は言えないけど・・・。

全くの素人考え、勝手な意見ですが、この際イラクに駐屯している自衛隊も、新潟地震を理由に“国内の一大事”だからと言って帰ってきて、自衛隊の飛行機にいっぱい食べ物を積んで、空から避難地に落とす・・・とかできないのかなぁ〜。
小泉さんの視察も、お付の人とか全部なくして、空いたスペースに、できる限り食べ物積んで、報道のヘリも、もう報道は、一社くらいに任せて、食べ物積んで・・・とか、やきもきしている私であります。



10月29日(金)  リピーター

ふと、気付いたら、私って同じ映画を結構何度も見ています。
この前「風と共に去りぬ」の話しを書いたけれど、好きな映画だと、TV放映とかしてても、“これは、もう見たからいいや”と思えなくて、つい見ちゃう。
他にも、「サウンド・オブミュージック」は6回くらいは、見てるし、「ジーザス・クライスト・スーパー・スター」も、「レナードの朝」も、「ポセイドン・アドベンチャー」も・・・。
「星の王子様」(ボブ・ホッシーの蛇の踊りは、最初に見た時は、ホッシーの事とか知らないから、“このおじさん踊り上手いねー”とか思ってました・・・(^^ゞ)・・・。
人によっては、何度も見て、俳優さんの演技や、演出、映画の作り方なんかを見るという人もいるみたいだけど、私は、ひたすら、映画のストーリに入り込んで、感動して、泣いちゃう。(~_~;)
何回も見て、この後、来るな、来るな・・・と思ってても、やっぱり、感動して、泣いちゃう。
これって、“水戸黄門”が好きで、ラストの印籠のシーンに毎回感動するお年寄りみたいかしらん・・・。(^^ゞ

しかし、考えてみると、私は、ウチにビデオがなかった高校生の頃から、気に入ったTV番組などを、ビデオがないのでなんとカセットテープをTVにつなぐジャック買って、音だけを録音して、何度も聞いたりしてました。
その頃、私はNHKの“男達の旅路”というドラマが大好きで、それで、“水谷豊”が好きになって、(今も結構好きで、“相棒”とか見てる)何度も、何度も、聞いては、感動してました。
最近になって、再放送されたので、今度は、ちゃんとビデオに撮りましたが、やっぱり、あのドラマはよくできてる!
(特に、桃井かおりが死んじゃうところなんかは、もう号泣ものです!)

そのくらい、ストーリーに入り込んで見てると、気に入った役の俳優さんを好きになり、その役のイメージで追いかけてしまうので、イメージとちがう役をやってると、妙な違和感があったりします。
水谷豊の場合は、結構年を重ね、渋い役が似合う感じがする(えこひいきかしら?)けれど、私の中では、クールで、ちょっと悪っぽい医者のイメージの“織田裕二”が、明るい、軽い役で出てたりすると、ちが〜う!とか思ってしまうのです。(これは、最初に明るい役で、はまった人は、逆かもね?)
俳優さんにとっては、迷惑な話だろうけど、一般視聴者なんて、そんなものじゃない?

最近、リピートしてどうしても見たい映画や、ドラマってあんまり出合っていない気がして、ちょっと寂しい私であります。



10月30日(土)  自分を育てる

“ローマの休日”久しぶりにまた見てしまいました。
オードリー・ヘップバーンってどうしてあんなにカワイイんでしょう!
上品で、キュートで美しくて、聡明そうで・・・。
今に至るまで、全世界の女性の憧れ、カレンダーが、いまだに売れ筋(だそうです・・・)な事が心からナットクいってしまいます。
あんな風に生まれたかったけど、王女様には生まれなくてよかった。。。(単純な私・・・)
作品中のセリフではないけれど、“人生、思う通りにいくわけじゃない”。

さて、文化祭はいよいよ今度の水曜日!
経験の浅いうちは、“自分が思っている自分の踊り”と、実際舞台に立って、ビデオなんかで見た“人から見た自分の踊り”というのに開きがあって、ショックを受けたり、落ち込んだりするものです。
例えば、自分の声を録音したものを、初めて聞いた時、“ええー私ってこんな声なの??”とびっくりして、かなり抵抗があったりするのと、似ていて、初めて、自分の踊りをビデオで見た時、私は、“このくにゃくにゃ魔人は、いったい誰?”と思うくらい、イヤでした。
ものすごく恥かしかった・・・。
声と違って、普段、鏡を見れば、自分の姿や、踊りは見れるはずなのに、始めたての頃は、ちゃんと鏡が見れていないのか、余裕がないのか、俗に言う“うのぼれ鏡”(ありのままの自分ではなく、美化した自分を見ている状態)なのか・・・。
私の場合、なんかヘン、下手だ・・・と言うのから、ココがヘンだとか、こうヘンだとか、またこの癖が出ているとか、もっとこうすればよかった・・・というのにだんだん変化していって、少しずつ、“自分が思っている自分の踊り”と“人から見た自分の踊り”の差が縮まってきた気がします。

今、生徒の皆さんに私が注意をして、“こうなってるよ!!”と指摘した時、自分で鏡を見て、“あっ、ホントだ”とナットクする場合、これはたぶん、直る欠点だと思います。
ただ、そういわれても、“?”だったり、違いが自分で分からない場合は、ちょっと時間がかかったりする。
自分を育てるのは、自分である、これはたぶん、何にでもあてはまる、絶対的な真理だと思います。
自分がやりたい自分の踊り、というイメージを持つ事、そして、少しずつ、少しずつ、それに実際の自分の踊りを近づけていくこと、そのためにも、発表会や、公演で、舞台にたつこと、人前で作品を踊る事は、客観的に自分の踊りを見つめるために、とても良い機会だと思うのです。
本番で上手くいっても、たとえ失敗しても、そんな事は、気にしないで、今の自分、今やりたい事を精一杯出して、これが一番ですが、楽しい舞台マジックにかかりましょうね!!(*^_^*)



10月31日(日)  “キンチョー!”

とうとう、迎えた(大げさ!?)文化祭リハーサルの最終日。
皆さん、自分の仕上がり具合はどうですか?
今日は、今回は、参加できなかった、古くからのメンバーJとTが、相次いで、差し入れ持って、陣中見舞いに来てくれ ました。

私に見られるのは、慣れていても?、同じ仲間や先輩に、外から見られるのはまた違うらしく、一同なんか緊張モード でしたね?!
しかし、リハの最後の方は、テンションも上がり、掛け声なども出て、なかなかいい感じでした。
本番は一発勝負、私としては、もうできるのは、皆にとって悔いのない本番であるように祈るばかりです。
とにかく、こうやって激励に駆けつけてくれる仲間がいるって有難いことです。
二人とも、本当に有難う!!

緊張といえば、私は踊りの舞台では、始まる前は緊張しまくるのですが、(しかも上がった、ヤバイと騒ぎまくる迷惑 なタイプ(^^ゞ)大抵、照明があたると、楽になってしまいます。)
まぁ、緊張のピークは、上がる直前の幕を内側から見ている時ですかね〜。
暗転、板付きで、出だしがスローな歩きとかも緊張する。
始まったとたんの、難度テクニック?!とかも、緊張する。(あまりないパターンですが、過去に実際ありました・・ ・。(T_T))
アップテンポの曲や、リズムものや、ちょっと位失敗しても“カッコつけて”魅せてしまえば、ある程度ごまかせる? (何て私が言っちゃダメですね・・・(^.^))曲なら、踊りはじめてしまえば、“こっちのもん”です。
別に、多少失敗したって、命までとられるわけじゃないし(当たり前か・・・)、“照明もらって私がスター!”で楽 しまなきゃ、損というものです。
それにしても、今日来てくれたJの結婚式のスピーチで、そんな私が喋り終わるまで、足が震えるほど緊張したのは、照 明がこなくて、舞台の上じゃなくて、何よりも踊りじゃなかったからだと思う・・・。(意味不明?)
考えてみれば、日常生活では、そうそうない、“緊張の機会”。
緊張をテンションアップのバネに変えて、舞台の上で爆発する生徒の皆さんのパワーを、楽しみにしている私です。 (*^_^*)



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